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 埋草コラム

2001.11.30
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参加しないことに
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高校野球などを見ていると、
敗れても、
選手の方は案外サバサバしているのに、
応援していた方はボーゼンとしていたり、
泣きじゃくったりしていることがある。

直接参加しているのかいないのか、
当事者であるのかないのか、
そのことがやはり
大きな意味を持っているのだと思う。

試合に敗れても、
参加したということによる充足感、達成感が、
実際に戦っている選手にはあるに違いない。
だから、
負けたことによる敗北感は、
意外と少ないのかもしれないとも思える。

それに対して、
応援していた方は自分自身を、
試合の勝ち負けに関係することができない、
無力な存在としか感じることができない。
だから、
敗北感もそれなりに深いのではないか。

それでも、
球場で応援していた人は、
まだいいのかもしれない。
敗れてボーゼンとしたり、
泣いたりできるのは、
その場にいるという参加意識が、
それなりに充たされたという感情を
喚起するからだと思う。

遠く離れたところで応援していた人の方が、
勝ち負けには無縁だということで、
心の片すみに長く残るような敗北感を、
よけい深く味わっているのではないかと思う。

そして世の中の大半のことに、
私たちは参加することができないし、
力になることもできない
(身近な人の離婚や失恋に対してさえ難しい)。
それでも、
参加しなかったことによる、
あるいは参加できなかったことによる、
敗北感や無力感や空しさのような感情を、
大事にすることだけは
できるような気がしている。

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