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 埋草コラム

2002.8.30
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アルバムをなくしたら
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阪神大地震のとき、
なくした物でいちばん残念なのはアルバムだと、
震災にあった人が
異口同音に語っていたのを、
テレビで見たことがあります。
アルバムがなくなったらなんて、
普段はあまり考えないものです。
だからアルバムのことが、
そのときから気になっているのも事実です。

学生のころ毎日顔を合わせていたのに、
いまでは音信が不通になっている人がいる。
むしろそういう人の方が、
多いかもしれない。
でも、その人だって
いまこのとき
どこかでちゃんと生きているはずで、
そのことを考えると、
とても奇妙に感じることがある。

Tさん、Nさん、Kさんが、
いまこのとき
どこで何をしているかと考えると、
なぜか学生時代の映像(顔)が思い浮かんでくる。
でも
いまこのとき
一体どこで何をしているのか、
その様子はさっぱり分からない。

現在の様子が分からないことと、
思い浮かぶ映像(顔)が
学生時代のままであることとの間にある、
ながーい時間をどうしても埋めることはできない。
そのことが、
奇妙な感じを与えているのではないかと
思ったりしている。

家族や自分や身近な人の場合だったら、
ちょうどこれと反対のことになるような気がする。
身近な人や自分の映像(顔)は、
いつも間近で見ているから、
いまこのとき
の様子は分かっているのに、
昔の映像(顔)は思い出せない。
でも誰だって、
過去は間違いなくあったのだから、
現在しか知らないというのは、
やっぱり奇妙な感じを与える。

アルバムがなかったらきっと、
身近な人や自分の過去の映像(顔)なんて、
思い出せない。
5年前の顔なんて、
アルバムを見ないと分からない。
いまこのとき
だけをいつも見ていると、
過去は見えなくなってしまうものだから、
だと思う。
そして、
そんな過去の空白を埋めることができるのが、
アルバムのような気がする。

だから、
アルバムをなくしたときの喪失感は、
いまこのとき
と過去との間にある、
ながーい時間を埋めることが
できなくなったことによる
喪失感だと思える。

「現在」しかなくて、
「過去」が全部なくなってしまったら、
やっぱりちょっとサミシーものだと思う。
家族や自分の「過去」って、
意識の中では
いまこのとき
も、
生き続けている「現在」だから。

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