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 埋草コラム

2003.3.28
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明日の天気などどうでもいい
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世界情勢や戦争などに強い関心を持っていると、
身近な人との関係や、
自分の心の動きなどに対して、
関心が希薄になってくる。
そんなこと、
どうでもいいことのように思えてくる。
反対に、
人との関係や、
自分の心の微細な動きばかりを凝視していると、
外の世間のことなど自分とは無関係な、
別世界の出来事のように感じられてくる。

心の中の微細な動きと、
外の世界の大きな動きを、
いっぺんに感じることはできない。
電車の中で、
便意を必死にこらえているとき、
あしたの天気のことなどどうでもいいことだし。
仕事に追われているとき、
きのう読んだ村上春樹の小説を
思い出すことなどできっこないし。

たとえば、
戦時中の心の動きについて、
三島由紀夫は、
職の心配もなければ、
試験の心配さえなく、
未来に関して
自分の責任の及ぶ範囲が皆無であるから、
生活的に幸福であったとして、
こんなふうに書いている。

「……こんな状態を今になつて幸福だといふのは、
過去の美化のそしりを免かれまいが、
それでもできるだけ正確に思ひ出してみても、
あれだけ私が自分といふものを
負担に感じなかつた時期は他にない。」
(「私の遍歴時代」)

世間の関心や自分の気持ちが外の、
戦争という大きな流れに向かっているとき、
心の動きはこんな感じの、
健康的な状態になるのかもしれない。
戦時中は精神的な病が少なかったと、
聞いたことがある。
この健康さはでも、
空虚な健康さだといえるのではないか。

反対に、
寝食を忘れるほど小説に熱中していたり、
人との関係に疲れ果てているときだったら、
外の世界ははるか遠くに
小さく見えるようになっている。
じいーっと自分のことを凝視しているときって、
自分の外の現実より、
想像していることのほうが
リアルに感じられたりする。
世界情勢や世間のことなど、
どうでもいいのだ。

気持ちが外に向きすぎたときは内に、
内に向きすぎたときは外に、
そのあり方を変える。
そのことを忘れないようにしようと思う。
どんなに熱中しても、
その出来事から距離をとれば、
また時間がたてば、
かならず冷静になるものだから。
政治や仕事に熱中しても、
文学や恋に熱中しても、
それはずっと続くものではない。
そのことを知るだけでもいいのかもしれない。

大自然の雄大さに比べたら、
個人の悩みなどちっぽけなものに過ぎない、
という感情が持続するものでもなく、
いまのこの便意の苦しさから
逃れることができるなら、
明日の天気などどうなってもいい、
という感情が持続するわけでもないのだから。

でも分からない。
頭上で爆弾が炸裂し、
足下で大地震が発生したらどうなるかは。


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三島 由紀夫

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