表紙埋草コラム[一覧]サイトマップ

 埋草コラム

2003.4.25
─────────────────────────
好きが先か、したいが先か(2)
─────────────────────────
しつこいようですけれど、
「したい・してもいい」という気持ちがどこかにないと、
異性を「好き」になるということは
難しいのではないかと思っている。
「好き」になるためには、
相手が性的な対象になる可能性がないと、
ダメだと思えるのです。

ふつうはあまり、
岩を抱きしめたいとか、
洗濯機に魅力を感じるとかいうことはないので、
そうしたらやっぱり、
性的な対象になるのは
生身の人じゃないとムリかもしれません。
性的な対象にするって、
相手を肉体のある人として感じるということで、
顔を見たり声を聞いたりすることだって、
性的なものをいっぱい含んでいると思う。

性的な対象になる可能性があって、
生身の人といったら、
どうしても身近な人になりますよね。
身近な人と恋愛をするということには、
ちゃんと理由があると思えるのです。
生身の人間でも、
あまりにも遠い存在だと、
性的な対象になる可能性がないから、
好きになることもないのだと思う。
木村拓哉とか藤原紀香に対して、
「好き」という感情を持つことができないのは、
そのためだと思える。

現存していない人や、
物語の中の人物ともその可能性がないから、
紫式部を好きになることもなければ、
光源氏を好きになることもないですね。
「好き」になるってけっこう、
限定された関係の中でしか、
可能ではないのかもしれない。

身近な人か、
身近になる可能性のある人しか
「好き」になれないのは、
「したい・してもいい」という気持が
底の方にあることによってしか、
そうなれないからだと、
シツコク思い続けているのですけれど。

表紙埋草コラム[一覧]サイトマップ