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 埋草コラム

2003.6.20
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岡目八目
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テレビのクイズ番組に出たら、
どんな簡単な問題でも答えられないと思う。
その場になったら、
パニックになってしまうに決まっている。
会議のときなんかでも、
自分が話す場面になると、
途端にあせってしまって、
見当はずれなことを言ったり、
バカなことを言ったりしてしまうことがある。

当事者でないほうが、物事がよく見える。
そのことを岡目八目というらしい。
他人の囲碁をそばで見ているときは、
八目先の手まで読めるのに、
実際に自分がやると先が読めなくなってしまう。
当事者になった途端に見えなくなってしまうという、
その気持ち、すごくよく分かります。

人や出来事に直面すると、
何となく重圧を感じて、あせってしまう。
それで、当事者になるのが苦手なのだと、
自分では思っている。
だから、重圧を感じない人や出来事なら、
平気だということになりそうです。
小さい子供や犬を相手にして、
重圧を感じる人もあまりいないですしね。

あせってうまく振舞えなかったとき、
ああ言えばよかった、こう言えばよかったと、
後で思うことがある。
そのときではなく、
思いが後から、遅れてやってくるのだ。
そしてそのことが、
小説を読みたいとか、
何かを書いてみたいという、
欲求を生じさせるのではないか。

自分のことを考えてみても、
こうした「遅れ」があることが、
読みたい書きたいという
キッカケになっているような気がする。
だから、読んだり書いたりするというのは、
そのときその場でうまく振舞えなかったことを、
後から埋め合わせようとしていることに
なるのではないか。
それは当事者という場所から離れて、
当事者だったときの思いを、
遅れてもう一度体験することになるのだから。

そのときその場でうまく振舞える人は、
そのときその場ですべてが終わるのだから、
後から遅れてくるものがないのかもしれない。
心残りのないさっぱりした気分、
すこしは分かる気がします。

「そのときぱっと分かる人」と、
「後から遅れて分かる人」が、
お互いに理解しあうことは、
けっこう難しいかもしれないと思う。
思いが残る人と残らない人とでは、
分かり方に時差があるから。

でも日常の生活って、
そんなに厳密なものではないから、
理解しあっているつもりになって、
暮らしていけばいいんですね。
そのつもりになること、
本当は難しいですけれど。

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