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 埋草コラム

2003.7.25
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仕事なんて本当はつまらないけれど
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私など、これでもずいぶん長い間、
勤め人として過ごしているけれど、
それほど好きでもないし、
面白くもない仕事なのになぜ、
飽きもせず続けることができるのか、
そしてときにはなぜ熱中できたりするのか、
不思議に感じることがある。

仕事だからということで、
普段は理由など考えないけれど、
仕事だから一生懸命やるというだけでは、
ほんとは説明にならないような気がする。
カネをもらっているからとか、
責任感からとか、
メシを食うためとか、
家族を養うためとかいっても、
やっぱり説明にはならないですし。

勤め人は日々、
その仕事をし続けることによってしか、
勤め人であり続けることはできない。
そのことが、
それほど好きでもないし、
面白くもない仕事に熱中できたり、
一生懸命になれる
原動力になっているのではないか。
勤め人であるということが、
私の存在を支えている限りは、
その原動力は働いているといえるのではないか。

仕事の場以外で、
同じようなことをやっても、
「好きでない」「面白くない」ということが浮上してきて、
仕事の中味なんて、
本当はつまらないということが明らかになってしまう。
仕事をしている間はきっと、
その仕事をし続ける力に押されているから、
仕事のつまらなさは隠されているのだと思う。
その職業をやめてみないと、
仕事のつまらなさは分からないのかもしれない。

仕事の中味がつまらなくたって、
それが私を支えている限りは、
仕事を続けていこうと思うだろうし、
仕事自体をつまらないと
感じることはないかもしれない。
原動力が働いている間は、
仕事がそれなりに張り合いになっているし、
けっこう楽しかったりするのだ。

そして、
必ずしも好きではない仕事が長続きするのに、
趣味やスポーツのように好きではじめたことが、
かえって長続きしないことがある。
続けていこうという原動力が、
強力に働いていないからだと思える。
その趣味やスポーツがまだ、
自分を支えるものとはなっていないのだ。
それがなくなると自分ではなくなる、
といえるまでにはその趣味やスポーツが、
自分の一部になっていないためだと思う。

でも、趣味とかスポーツが
自分を支えるようになると、
それは好きとか面白いとか楽しいとか
いうのと違って、
仕事をやっているのと
同じような気分になるのかもしれない。
ホームページを続けていると、
そのことがよく分かる。
それでも、
好きだから・楽しいからという出発点は、
忘れないでいたいと思う。

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