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 埋草コラム

2003.10.24
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感情はやっかい
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男の子がいないからよけい、
そう思うのかもしれないけれど、
思い出の中に、
理想的と思えるような父と息子の情景があります。
そして、何かの拍子にその情景が、
ふっと思い浮かぶことがあります。

たぶんまだ、
自分の子供がいない20代のころ、
日帰りで行けるような
近い場所でのことだったと思う。

ちょっと気弱そうで、
ちょっとダメそうなお父さんが、
店の外の縁台で日本酒を飲んでいる。
そばにはしっかりした感じの、
それでいて素直そうな、
小学校4年生位の男の子が、
お父さんを見守るような感じで、
おでんか何かを食べている。

男の子を見ている、
お父さんの嬉しそうな顔が実によかった。
心の底から信頼しあっているような、
そのときの様子をいま思い出しても、
しみじみとしちゃいます。

こんな情景が記憶の奥の方から、
何度もくりかえし浮かび上がってくる。
情景が、だろうか。
ほんとうは感情が、ではないのか。
そのときの気持が残っていて、
それで、そのときの情景が
自然に浮かび上がってくるのではないか。

印象に残っている情景というのは、
その情景にまつわる感情の方を記憶しているから、
いまでも思い出すことができるのではないか。
情景が単なる情景として、
単独で記憶されることはないように思う。
ある情景に、
驚きや悲しみや
嬉しさや辛さや悔しさなどの
感情が結びつくことで、
その情景は印象的なものとして
記憶されるのではないか。

けれど、感情の動きは人によって異なるから、
同じ情景を見ていても、
感じることは一人ひとり違う。
それで、同じ情景も違う色合いで、
記憶されているのだと思う。

私が密かに理想的と思っているような、
父と息子の情景を見ても、
感じ方は一人ひとり違う。
だから、その情景も一人ひとりに、
違うように映っているに違いない。
同じものを同じように、
見ているとは限らない。
変な父子と、
感じている人もいるかもしれない。
同じものを違うように、
見ているのだから。

どうしてそんな、
お父さんと男の子の情景を、
私は印象深く憶えているのだろうか。
それは分からないけれど、
その情景を記憶させることになった、
そのときの感情の動きのほうに
秘密があるのだと思う。

そして、感情から切り離された情景は
自然に消えていくのに、
感情は情景と関係なく頑固に保存されている。
情景は身体の一部(頭)で憶えているけれど、
感情は身体の全部(心)で覚えているから
ではないだろうか。
感情はやっぱり、
やっかいなものだと思う。

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