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 埋草コラム

2004.1.23
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家族の前でオナラはしない
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家庭や学校や仕事場で、
親−子、先生−生徒、上司−部下というような
縦の関係がなくなったら、
個人の人格と人格が、
生身のまま向き合うことになるのではないか。
それは幸福なことだろうか。
幸福なことだと思っていた。
上下の関係などなくなって、
個人が個人として、
人格と人格との関係を取り結ぶことができたら、
それは理想的な状態だと考えていた。

ところが、人格と人格、感情と感情が
むき出しで向き合うことなど、
少しも理想的ではないと、
いまでは感じている。
人格と人格、感情と感情が
ぶつかり合わないようにする工夫、
そのほうがずっと大切なのではないか。

ところで、人格と人格のぶつかり合い、
感情と感情のぶつかり合いが、
最近は以前に比べて、
多くなっているような気がする。
親−子、先生−生徒、上司−部下のような、
そんな上下の関係が希薄になったために、
関係を意識しない個人の人格と人格が、
生身のまま向き合うようになったためではないか。

親−子、先生−生徒、
上司−部下というような縦の関係が、
感情と感情のぶつかり合いを、
防いでいたのは確かだと思う。
親や先生や上司に反発を感じても、
親だから先生だから上司だからという理由で、
それを抑制しようとする気持が働いていた。
感情が爆発したとしても、
親だから先生だから上司だから
という理由でそうなったともいえるので、
それはむしろ縦の関係を意識して、
感情的になっているのだと思う。

現在の、人格と人格のぶつかり合い、
感情と感情のぶつかり合いは、
これとは少し違うような気がする。
親だから先生だから上司だから、
感情的に反発しているのではない。
親だから先生だから上司だから
という意識が希薄になっているので、
人格と人格、感情と感情が自然に、
向き合うことになってしまうのではないか。

でもいまさら、
縦の上下関係を強化しようとしたり、
古い関係を復活させようとしても仕方がない。
横の水平的な関係のまま、
どうしたら相手を他人として意識できるか
という問題であるような気がする。
縦の関係にあった、
相手を他人と感じる気持、
それを横の関係にも
作り出すことができればと思う。

それは、家族の前でオナラはしない、
年上の人にも年下の人にも丁寧な言葉を使う、
というようなことになるだけかもしれないけれど、
気持ちの構えとしては、
ずいぶんと違うように思える。

家族や人との距離を少し空けてみること、
つまり相手を他人であると
少しだけ意識してみること、
そうすることによって、
人格と人格、感情と感情が向き合うことを
避けようとするほうが、
家族は家族らしく、
他人は他人らしく見えてくるのではないか
と感じています。

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