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 埋草コラム

2004.2.20
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「することが好き」だからする
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野球をするのは好きだけれど、
プロ野球や高校野球などほとんど見ないし、
見るのはそれほど好きではない
という人を知っている。
楽器を弾くのは好きだけれど、
音楽はほとんど聞かないし、
聞くのはそれほど好きではない
という人も知っている。
野球も楽器も、
するのが好きな人は当然、
見るのも聞くのも好きだと思っていた。
だから意外な感じがした。

逆はどうだろうか。
プロ野球を見たり、
音楽を聞いたりするのが好きでも、
野球をしたり楽器を弾いたりするとは限らない。
見るのとやるのとは違うし、
見ることはできても、
やることはできるとは限らないから、
このことはよく分かる。
それでも、不思議な感じは消えない。

まずはじめに、
野球や音楽を見たり聞いたりしたから、
野球や音楽が好きになり、
それで野球や音楽をするように
なったのではないか。

違うのかもしれない。
見たり聞いたりする→好きになる→やってみる、
という経路を必ずしも、
通るものではないのかもしれない。
見たり聞いたりする→やってみる→好きになる、
という経路を通ることがあるのではないか。
この経路だと、
見たり聞いたりすることではなく、
やることが好きになるのだと思う。
むしろこの方が、多いのではないか。

釣りが好きな人、自転車で走るのが好きな人、
散歩が好きな人、ダンスが好きな人は、
「する」というそのことじたいが好きなのではないか。
もしかすると、
釣りや自転車や散歩やダンスに
関心があるのではなく、
それをすることが好きなだけかもしれない。
好きだからしているのではなく、
することが好きだからしている、のだと思う。
釣りや自転車や散歩やダンスは「する」もので、
「する」こと以外には考えられない
ということかもしれない。

そのことに関心があって、
そのことが好きだからするということより、
することが好きだからしているということのほうが、
ずっと多いような気がする。
恋は論じるものではなく、
「する」ものだとはよく言うし。

「する」ということには、
全身がかかわっているという、
たとえようのない楽しさや充実感があるのだと思う。
「することが好き」なことが何なのかは、
してみないと分からない。

私など、見聞きする→好きになる→する、
という経路を通過してしか、
「する」ことがなかなかできないので、
する→好きになるということが、
造作もなくできる人を羨ましく思う。

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