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 埋草コラム

2005.7.8
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大物と小物
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同じ話や同じ行為であっても、
それをする人によって、
受け取る印象がまるで違うことがある。
そこには人間としての、
大きさの違いが現われてしまうからではないのか。

二こと三こと話しただけで、
その人が小物だということが、分かってしまうことがある。
ある出来事をきっかけに、
意外と大物だったと知ることもある。

人間が大きいとか小さいとか、
大物だとか小物だとかというのはどういうことだろうか。

何も持っていない者として、
何もやってこなかった者として、
「いま」と無心で向きあえる者が大物ではないのか。
「いままで」の自分はちゃんとあるけれど、
「いままで」に得たこと、
「いままで」にやってきたことと関係なく、
「いま」と無心で向きあえること、
そのことができる人は大物、
人間が大きいと感じさせるのではないだろうか。

反対に、「いままで」に得たこと、
「いままで」にやってきたことを元手に、
「いま」と向き合おうとすること、
つまり「いま」という目の前のことよりも、
「いままで」の自分の方に価値があると考えているため、
言うこと・行うことがいつも、
「いままで」の自分から離れることができない。
そのことは人間を小さく見せるし、
小物にさせるのではないだろうか。

「いままで」の自分から離れて、
現実に向きあえるかどうかは、
人間の大きさを左右する
大きな要素になっているような気がする。

大物だったらこんなこと、
考えないのかもしれませんけれど、
そうなりたいとは思っています。

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