菅平高原は、長野県にあります。
上田市の北東、猿飛佐助などの真田忍者で有名な真田町の北側に位置します。
住所で言うと 長野県小県郡真田町菅平高原 です。
車で行くなら
上信越自動車道を上田菅平ICで降り、国道144号線へ。
菅平口で左折、国道406号線に入り、右に菅平湖を見ながら進むと菅平高原に到着です。
電車で行くなら
長野新幹線を上田駅で下車。上田駅からはバスかタクシーになります。
田園ラグビースクールでは、例年、菅平高原で3泊4日の合宿を行っています。
合宿の目的は
1)集団生活を行うことにより、リーダーの育成とチームワークの育成を計る
2)体力の向上を計る
3)技術の向上を計る
ことにあります。
菅平高原は湿度が低く、真夏の平均気温は19℃と、横浜に比べてはるかに過ごしやすい気候です(真夏でも朝夕は肌寒いほどです)。また、80程もあるグラウンドのほとんどが芝という、ラグビーのメッカの名にふさわしい実に恵まれた環境といえます。
このため、菅平には、この時期全国のラグビースクールが合宿にやってきます。ですから、普段対戦することのない、他県のスクールと数多く交流試合が出来ることも、この合宿の魅力のひとつとなっています。
合宿のもうひとつの特徴は、部屋単位の団体行動です。宿舎の部屋割りは「縦割り形式」と呼ばれる分け方をしています。各部屋に1年生〜6年生が、それぞれ2名程度ずつの構成になっており、5・6年生が部屋のリーダーとして下級生の面倒をみます。練習の時以外は、常に、この部屋単位の行動になります。
この学年の枠を超えた集団生活により、低学年は集団生活を覚え、高学年はリーダーシップを身につけて行きます。
また、毎年何らかのお楽しみが用意されています(今年も24日の夜にバーベキューパーティーを行う予定です)。他にも小学生は1,000円のお小遣いを持って、お土産を買いに行くのも子供達の楽しみのようです。
2004年の合宿は、7月23日(金)〜7月26日(月)です。
今年のスケジュールは以下の予定です。
| 7/23(金) | 7/24(土) | 7/25(日) | 7/26(月) | |
| 6:00 | 集合・出発 | 起床 | 起床 | 起床 |
| 6:15 | 散歩・体操 | 散歩・体操 | 体操 | |
| 7:00 | 朝食 | 朝食 | 朝食 | |
| 7:30 | 休憩 | 休憩 | 荷物整理 | |
| 8:00 | ||||
| 8:30 | ||||
| 9:00 | 練習 | 練習 | 試合 桐生RS 杉並少年 |
|
| 9:30 | ||||
| 10:00 | ||||
| 10:30 | 菅平到着 | |||
| 11:00 | 部屋割 | |||
| 11:30 | 着替え | |||
| 12:00 | 昼食 | 昼食 | 昼食 | 昼食 |
| 12:30 | 自由時間 | 1〜2年生 お土産買物 |
3〜4年生 お土産買物 |
菅平出発 |
| 13:00 | ||||
| 13:30 | 自由時間 | 自由時間 | ||
| 14:00 | ||||
| 14:30 | 練習 | 試合 伊勢崎RS 流経ドラゴンズ |
試合 高崎RS 西東京RS |
|
| 15:00 | ||||
| 15:30 | ||||
| 16:00 | ||||
| 16:30 | ||||
| 17:00 | 入浴 | 入浴 | 入浴 | |
| 17:30 | 到着・解散 | |||
| 18:00 | ||||
| 18:30 | 夕食 | バーベキュー | 夕食 | |
| 19:00 | 自由時間 | 自由時間 | 5〜6年生 お土産買物 |
|
| 19:30 | ||||
| 20:00 | 自由時間 | |||
| 20:30 | 消灯 | 消灯 | 消灯 | |
| 21:00 | 就寝 | 就寝 | 就寝 |
本年の菅平合宿の宿泊先は、まるみ山荘(0268−74−2065)です。
長野県小県郡真田町菅平高原
カーナビ用 N 36°31’43”/E
138°20’34”

菅平高原内にあるグラウンド数は約80面、そのほとんどが芝グラウンドです。
ここはラグビーのメッカと呼ばれ、毎年日本代表をはじめ社会人・大学・高校等の一流選手が集います。
菅平高原のラグビーの歴史は昭和6年から始まったそうで、そのさきがけとなったのは法政大学ラグビー部だそうです。
この年、上田丸子電鉄専務取締役柳沢健太郎氏が、それまで県下の戸倉温泉で合宿を行っていた当時の法大ラグビー部長高橋一太郎先生に「菅平にホテルを建設したが、冬季以外の利用者がなく、他のシーズンに活用できる方法はないものか」と相談したのがきっかけで、合宿地の選定に苦労していた法大ラグビー部は8月の中旬、部長以下40名をひきい、始めての合宿練習を行いました。
その後、法大についで早稲田大学ラグビー部も昭和7年より菅平で合宿を行うようになりました。
昭和16年、戦争のためやむなく中断されてしまった合宿も、10年のブランクを経て大学が正常にもどった昭和26年から、法政・早稲田ともに再び行われるようになりました。
その後、同志社大学、青山学院大学、日本体育大学をはじめ関東、関西の各大学も菅平に来るようになりました。
対戦相手を求めての合宿を希望するチームが増えてくるなか、グラウンドの数はまだ少なく、地元では受け入れに頭を悩ませていました。そんなおり、専修大学が昭和39年に専用のグラウンドを設けたのをきっかけに、東洋大学、国士館大学等が旅館と契約して次々と専用グラウンドを造成させました。その後、各旅館が競ってグラウンドを建設・整備し受け入れ体制を整えて行ったようです。
昭和42年、日本ラグビーフットボール協会が初めてナショナルチームを編成して菅平での合宿を行いました。これは、ニュージーランド遠征のための強化合宿でした。
日本ラグビー協会は、国際交流が盛んになってきた昭和40年から全国の大学、社会人チームから優秀な選手を選抜して一か所に集め強化し、日本代表スコッドを選出する制度を始めていました。昭和42年の菅平での合宿は、特にニュージーランド遠征を控えての強化合宿であるということで、集合した選手一人ひとりの意気込みが異様なまでに高揚していたと言います。
この時、日本代表をひきいていたのは日本ラグビー界の祖とも言われる早大教授の大西鐡之祐氏でした。「接近・展開・連続」の戦術で早稲田の華麗な展開ラグビーを築き上げたのも大西氏で、「カンペイ(菅平の音読み)」と名付けられた有名なサインプレイが誕生したのもこの時でした。
さらに、法政大学がこの年の大学日本一になり、ニュージーランドに遠征したジャパンは、オールブラックスジュニアに勝利を得る快挙をなし遂げラグビー界の期待に応えました。これはまさに菅平合宿の成果といってよく、以来ジャパンの合宿は毎年のように菅平で行われています。
今では夏になると、さながら「ラグビー銀座」の様相を見せ、ラガーマンたちでにぎわっています。