2000/8/9
4. 外国語で何かのテーマを解説してもらうとその外国語が良く身につく。
私はMayumiさんの主催のpas à pasというメーリングリストのフランス語勉強会に参加しているのですが、最近これが実に良い勉強になると思い始めました。和文仏訳した結果についてフランス人の先生方がああだこうだとコメントして誤りを訂正してくれるのですが、コミュニケーションがあるのです。つまり自分のや他人のフランス語のどこが悪いか、何が変かをフランス語で指摘してくれるのですが、先生の発言をちゃんと理解しないと自分の訳の何が問題で、何が良かったかが分からないのです。先生のメッセージをちゃんと理解するということに力を注ぐということが凄く勉強になるような気がします。
更に、訳した文自体も参加者が幾とおりにも訳し、それのニュアンスや用法の良し悪しをフランス人の先生が論じてくれるので、一度に類似した表現とその違いを学ぶことができます。またこのような説明はなかなか辞書には載っていません。これらのメールを読むのは非常にヘビーです。時間がかかります。Mayumiさんは暇さえあれば、これらのメールを読み返しているとどこかでおっしゃっていたような気がします。
この訓練はいずれはその外国語でものを考えることができる能力になっていくのではないかと思います。日本語で説明を受ければ、その日本語による説明を覚えてますが、フランス語で学べばフランス語の説明を覚えています。これは特に用語についてそれが言えると思います。専門用語を外国語のみで学ぶとその単語でしか思考ができなくなります。日本語のどの単語がそれに相当するかそもそも知らないからです。
2000/6/21
今日はおけいこさんのところで発言したので、その勢いで書きます。
私自身はジュール・ベルヌを原書で読んでみたいという願望がありまして、十五少年漂流記を10年くらい前に買って、7-8ページ読んでほったらかしにしていたのを、引っ張り出して来て、昨年の終わり頃からまた読み始めました。やはり単語が難しいです。一つの文の中に調べないと分からない単語が5-6個あります。訳本も買って、最初は訳本だけの助けで辞書なしで読もうと思ったのですが、大胆に省略されていて、文が3つ、4つ飛んでいるなんてざらでした。仕方がないので辞書を引き始めたのですがふとHtmlで単語帖を作ろうと思い立ったのです。それは辞書を調べたところで、「あっ、これはこの前調べた単語だ。」と何度か思ったからです。そこでどうせ何度も引くぐらいなら、パソコン上に単語帖を作ってしまおうと思い立ったのです。なぜ単語帖パソコン上(8/9/2000修正)かと言いますと私は紙に物を書いてもすぐになくすのです。という訳でどうでも良いような話を長々としましたが、他にはダルタニアン物語とかバルザックを読んでみたいと思ってます。
しかし、本当は小説ではなく、新聞の方が入門としては良いような気がします。新聞は最初のうちはやはりとっつきにくいし、単語もちんぷんかんぷんなのですが、繰り返し同じような単語が出て来やすいので、1-2ヶ月でそれなりに理解できるようになってくるのです。そうなるとしめたものです。読むのが急に楽になり、筋を追う楽しみを味わうことができるようになります。
2000/6/12
ほんとうに久しぶりです。
3.リーディングをもっと重視する
私は外国語の勉強の基本はリーディングだと思っています。だから毎日「もでゅじゅーる」をやっています。これにはいろいろ理由があります。まず読めないものは話せないし、聞けないし、書けないのです。良く赤ちゃんのように耳だけから自然に覚えるのが語学の理想ですなどと言ったり、書いたりする人がいますが、何言ってんだ、俺らは赤ちゃんじゃないんだっつーの、ていう感じです。赤ちゃんという時期は神様が人間に与えた特別な時期で物事をものすごい勢いで吸収できるときなのです。また当たり前ですが、赤ちゃんが母国語にさらされる時間というのは、我々大人が学習のために外国語にさらされる時間とは比べ物にならないぐらい多いです。だから大人は赤ん坊とは同じ方法は使えません。大人の最大の武器である理屈を使って覚えるのです。私のもでゅじゅーるのなんと理屈っぽいことか。少しでも短時間に効果的に単語を覚えるために、あらゆる理屈を動員しています。
もう一つリーディングを重視する理由があります。所詮日本という国で外国語を勉強するということは地道な努力が95%であり、それが花開くときは5%というところでしょう。超人的な粘り強さのある人ならいざ知らず、このような超地道な学習に耐えるためには、日々の楽しみというものを作らねばなりません。リーディングというのは日々の楽しみを提供する上で一番良い方法だと思います。話の筋を追う楽しみのもたらす効果は驚くべきものがあります。
2000/4/29
中1の息子が
This is a cat.
という英語を学校で習って来ました。フランス語ならC'est
un chat.というところでしょうか。こんなものを習っていてどうしてコンテンツを意識して語学を学べというのだ。教育が間違っとるんだ。とおっしゃるかも知れません。しかし現状を嘆いていても始まりません。私は息子に聞きました。「幼い子供ではなく大人がこの文を会話の中で言う状況を一つ挙げてみろ」、と。息子は答えました。「下手な猫の絵を指してそれが何か説明するとき」「なる程。」このような一見役に立たないような例文でも立派に役立つ例文として活用できるということが分かります。
私はこの例で少し先走ってしまったようです。コンテンツの大切さを十分に説明する前に、如何に身の回りの教材がコンテンツとして役立つかという話に移ってしまいました。
コンテンツの大切さをもう少し考えて見ます。あまり良くない例かも知れませんが、例えば自分の子供が水俣病の患者となった母親が公害の問題を訴える国際会議で悲惨な現状を訴えたとします。このとき、その母親の演説に対して、なんて外国語が上手だろうという感想を述べる人はいないと思います。その母親はあまりに悲惨な現状を世界に訴えたいという強い欲求を持っているので発せられる言葉は魂の叫びなのです。そのときに外国語が上手かどうかなどはどうでも良いことなのです。真実を伝えたいという欲求が語学という技術を超越するのです。
別の例です。ある外国の大学の研究室のセミナーで私の知り合いが発表をしました。その人は明らかに私よりも下手な外国語でプレゼンをしたのですが、質疑応答のときに日本語を交えながらでも実に情熱的に質問に答えたのです。もちろん原稿を見て話したりなどはしません。その人は発表の内容に対して実に豊富な知識と自分の意見を持ち、その内容について自信に満ちていました。その知識と自信と情熱が外国語の技術を補ったのです。私はそのやり取りを見て、はっとしました。私は生半可に自分の外国語に自信を持っていただけに打ちのめされたような気分でした。しかしそれと同時に外国語で話すということの本質を学べたような気がしました。
これらは極端な例でいつでもこのような場面がある訳でもありません。しかし外国語を操る技術とコンテンツとどちらが大事かということを決して間違えてはならないと思います。
2000/4/22
2. 会話はコンテンツありき
一般に外国語の勉強をするとき、現代ではまず、会話ができるようになることというのが、当然の目標と考えられています。英会話学校の電車、テレビ、新聞などの広告の数を考えると日本人がいかに英会話を重要視しているかということが分かります。ところで会話をするということは一体どういうことなのでしょうか。
例えば、マクドナルドでハンバーガを買うときを例に取って考えて見ます。あなたが列の一番前に来ました。そのとき
店員 ->あなたへ伝えられるメッセージは「あなたの番が来たよ。欲しいものを教えてくれ」」で
あなた->店員 に伝えられるメッセージは「ビッグマックとポテトのセットとMサイズのコーラを一つずつくれ」
だとします。するとこの場合の会話の最も重要なポイントは、自分の欲しいものが的確に言えて、相手に理解されることです。私が題に掲げているコンテンツとはこの「欲しい食べ物」のことです。会話をするためには先ず、あなたが伝えるべきコンテンツが必要なのです。コンテンツのないところに会話は成立しません。
そんなことは当たり前だから分かっているよとおっしゃるかも知れません。そういう人は多分既に外国語はお上手だと思います。しかし、日々の外国語の勉強の中で、常にこのことを意識して練習するというのは意外に難しいと思います。なんとなく与えられた教材をなんとなく勉強してはいませんか。
今日はここまで。
2000/4/19
積極的に出て行ける人はこの実践的外国語学習方法論を読む必要はないと思います。完全に日本語だけで用が足りる人たちも、この文章は読む必要はありません。外国苦手の人で絶対外国人と関わるものかと硬く心に決めている人たちも必要ありません。そうです、あなたです。あまり英語好きじゃないんだけど、会社でToeic受けろってうるさいしと思っているあなた、外国旅行は好きだけど日本語だけで通す勇気もないしと思っているあなた。外国映画好きでほんとは原語で理解したいんだけど外国語ちんぷんかんぷんだしと思っているあなた。この文章はあなたのために書いているのです!!!(ああ、こんなに言い切っちゃっていいのかな)
今日はここまで。そろそろ「会話はコンテンツありき」に入ってゆくとします。
2000/4/15
外国好きの人の特徴は外国人を恐がらないというのがあります。そう言う人はわざわざ外国人と交われる場に出かけて行って、自分の外国語をぶつけて実力アップをしようとします。いっぽう外国苦手の人は外人が苦手で逃げ出したり外人と出会うと舞い上がってしまい一体どうして良いか分からなくなる人がいるようです。例えば、会社で突然英語で電話がかかって来たら自分では何も言わずに外国語得意と言われている人に電話を回してしまったり、相手の状況はお構いなく自分の習った外国語のフレーズを何がなんでも思い出して言おうとしたりします。実はもう一つ別のタイプの人たちがいます。完全に普通の日本語で外国人に接して友達になってしまうという人達です。
今日はここまで。
2000/4/12
ここまで考えて来て気づいたことは、日本人の外国文化を取り込んだ後外を見ない内向きの面と、ファッションとして舶来のものをありがたがるという外向きの面です。なぜ一見矛盾するような二つのものが共存するのでしょう。その答えはとても難しそうですが、二つのものは一人の日本人の中に存在するというより、日本人がそういう二種類のグループに分かれるような気がします。外国にあこがれる日本人と外国が苦手な日本人です。
ちょっと待ってください。いつの間にかファッションとして外国にあこがれるグループと外国が好きな人たちが同一になってしまっていませんか。ええい。ファッションのことは完全に忘れて外国好きと外国苦手について論じることにします。それがこの文章の本題につながるからです。
次は外国好きの人たちの特徴(私を含む)です。
2000/4/7
すると日本人が外国語が下手なのはとりもなおさず、どこの国にも屈せずに、外国の優れたところだけ吸収はするが、必ず消化して完全に日本の物としてしまうということが最大の理由ではないかと考えられます。つまり、外国の技術や文化の導入の初期に一部の外国語に堪能な人が必要であるが、その人たちのおかげで他の大多数の人は外国語を使えなくても全く困らないということです。昔ある台湾の人に聞いたところ台湾の大学院の工学系の授業は英語の教科書を使うとのことでした。日本では全くないとは言いませんが、英語の教科書を使うケースはまれです。大体の場合において既に日本語の良い本が出ているからではないでしょうか。
では外国というか西洋のものをありがたがったり、英語ばかり話すラジオのDJやバイリンガルの帰国子女がもてはやされたりするのはなぜだと聞く人がいるでしょう。私はそれはある種のファッションだと思います。なぜならDJの話す英語が全く理解できなくてもまず、そのラジオ番組の内容を理解するのに困ることはないからです。
今日はここまで。
2000/4/3
ということで外国語が上手ということはある意味「屈従」を意味するのでしょうか。日本は遠い昔の歴史を振り返ってみるとまず、漢字というものを中国から輸入しました。日本にはそれまでは文字がなかったとされるのですが、漢字の伝来とともに日本語が中国語で置き換わってしまうということは決してなく、万葉仮名から始まって平かな、片仮名の発明に見られるように見事に中国のものを完全に吸収して日本オリジナルのものを作り上げてしまいました。そして遣隋使などは「もう、中国から学ぶべきものは何もない」ということで廃止してしまいました。これは屈従からは遥かに遠い行動であると考えます。
現代で考えてみますと日本は海外から技術を導入するとき、正確なフレーズは良くは覚えていないのですが、「1号機は輸入、2号機はライセンス生産で、3号機以降は輸出」というような言葉を聞いたことがあります。これにせよ、古代や平安時代にせよ、日本人がいかに海外の文化や技術をうまく吸収し、自己流に発展する能力を持ち合わせているということの証だと思います。
今日はここまで。
2000/3/29
1. はじめに
最近英語を第2公用語にという議論が新聞紙上をにぎわしています。当然これに対立する議論として日本人には英語不要論というものがあります。このページはフランス語の学習のページなので英語はフランス語と置き換えて議論したいところですが、さすがにフランス語を第2公用語というのは無茶苦茶すぎて議論になりません。とにかく日本人にとって外国語がなぜ必要なのかという議論はいろんなところで議論しつくされているとは思いますが、解決したという話はとんと聞いたことがありません。
ここでは私なりの切り口であえて議論して見たいと思います。まず、最初の疑問なのですが、日本人はなぜ外国語(英語)がへたなのか。本当はそのまえに「日本人は本当に外国語(英語)が下手なのかという疑問があります。」私の周りにいる人は英語の上手な人がたくさんいます。しかし、その議論はこの文のテーマに直接関わりがないのでまた別の機会に譲ることにします。なぜ下手なのかに戻ります。私はそれは日本がかつてどこの国の植民地にもなったことがないからだと思います。アジア諸国でどこの国の植民地にもなったことのない日本以外の国の一つはタイだそうですが、タイの国民が外国語が堪能かどうかについては良く知りません。
今日はここまで。
2000/3/26
ものすごく大上段に構えたタイトルを掲げてしまいました。例によって独断と偏見で書きます。これはさすがに毎日書き換えというのは無理なので、不定期に更新することにします。実践的フランス語学習方法論としなかったのは、私の今のフランス語の実力ではあまりに不遜だと思ったからです。ということで英語をん十年学習した経験を中心に今まで人が指摘しなかったことを述べていきたいと思います。
まず、今日は予告ということで順不同でキーワードを並べたいと思います。
・使えない和x辞典
・リーディングをもっと重視する(既に言い古されているかも)
・会話ができるようになりたいというだけでは限界がある
・新聞はおススメ
・語学はお稽古事である
・いわゆる「通じなかった」というエピソード
・会話はコンテンツありき
・文法より語法
・文法悪者論は本当か(既に言い古されているかも)
・日本人に外国語は不要 vs 英語を第2公用語に
・ネイティブは絶対か(既に言い古されているかも)
・発音よりアクセント(英語)
・辞書を引く楽しみ
・資格試験にこだわりすぎ
・外国語で何かのテーマを解説してもらうとその外国語が良く身につく。(8/9/2000追加)
最終更新日時 2000/8/09 00:35
作成日時 2000/3/29 11:30
作成者 Duffy
Copyright (C) 2000-2001 Duffy