落語ネタの不思議なお話「笠碁」

この落語はストーリー自体に不思議なところはありません。
大店の旦那が二人、商売は番頭に任せておりますので十分に時間に余裕があります。
暇を持て余しているという贅沢な身分です。
二人とも碁が好きですが腕前の方はへぼという。碁会所などに行って相手をしてもらおうにも、へぼすぎて勝負に
なりません。碁将棋などは双方がほどほどに力量が合わないと面白いものではないです。
勝ったり負けたりというのが具合が宜しいのです。
志ん生師匠も将棋が大好きで弟子を相手にやっていたそうですが、負けるのが大嫌いな上に腕前はへぼの部類に
入ります。弟子にいい手を打たれて負けそうになってくると、待ったをするわけです。その一手を待ったする程度なら
まだよいのですが、師匠の場合は自分が有利な状態になるまで何手でも戻すそうなのです。
これには弟子もしょうがないわけでして、師匠を勝たせてやるとご機嫌だったとのことです。
二人の旦那も同じなのですが、碁の先生から、待ったをするようでは上達をしないと言われて、ひとつ待ったなしで
やってみようということになった。
始めてみるのですが、途中で手を間違えます。どうみても形勢不利ですから、待ったをしようというのですが
約束だから待ったなしでやりましょうと断られる。理屈は解っているのですが、気持ちのコントロールができません。
過去に借金をしたときの話しを持ち出しまして、「あのときは返済を待ってあげたでしょう。どうしてこれが待てないか」
などということになって、とうとう喧嘩別れをすることに。
年配の旦那が些細なことで喧嘩をして、碁の相手を失ってしまう。ああなんてことを・・・なんて思っても後の祭りでして
日々、暇を持て余して悶々としているわけです。
こんな調子の落語ですから、なんということはないし、爆笑をさそうなんてこともないのでして、面白くない噺といえば
そうなるでしょう。
でも、この噺を分析してみると、人間は金に困らなくなって暇を持て余すような状況になったとき、どのような行動を
するものなのかという部分が浮き出てくるのです。
「あくび指南」なども同様で、暇なときにでてくる「あくび」の仕方を教えようなんて商売がありゃしないか?
落語は投げかけてきているのです。
「暇なので醤油を三升飲んで死んだ奴が居た。」
「夕べの雨で溜まった水溜りで一日中釣りをしている奴がいた。」
「それを、荷物かついでじっと見ている奴がいた。」
持て余した暇を上手に使ったということで、この連中は偉いということになりはしませんかと、落語は言うのです。
現代の人間ではどうでしょうか。大金持ちで買いたいものはない。宝石で身を飾って豪邸に住んで、リムジンや
スーパーカーなんて何台もある。世界中の珍味は食べ尽くしたし、外国旅行なんて飽きるほどした。
船も持っているし、専用の牡蠣養殖場もある。30億払って宇宙旅行もやった。
酒池肉林は昔のこと。しかし今は年をとって健康を失い糖尿病を併発して寝たきりとなっている。
というような人生が待っているのでしょうか?
人間、暇と金があっても、この程度のことしか出来ないとはねぇ。
「あくびの仕方でも習って居ろよ。」
「水溜まりで日がな一日中釣りをしてれば。」
「醤油を三升飲んで死ぬのも一興さ。」
とかね。落語は語っているのですよ。
「ばあさん。浦賀の黒船はどうしたかなぁ。」
「豊臣秀吉はまだ大阪城にいるのかねぇ。」
「ヒトラーのちょび髭はあのままかい?」
「談志はまだ志ん生のとこにはいってねぇのかい。」
「志ん朝はどうしたい。」
「円楽もそろそろかねぇ。」
「プロ野球は二十球団くらいにはなってるのかい?」
なんていうのが暇つぶしにはベストだという結論が出たようですな。