「落語ネタの不思議なお話……・・茄子娘」

これは、女性を不浄のものとして考えて、女性と相交えることを禁止したものです。
現在では、結婚している僧侶の方が普通なのでしょうが、昔は厳しかったようです。
しかしながら、僧侶とはいえ男ですから、そちらの方の欲求がなかったわけではなく、
「ぼんさん、かんざし買うを見た…よさこいよさこい」などという唄にもありますように、
裏話はあったようです。
神奈川は平塚の郊外にあるお寺の住職は偉い僧侶でして戒律を守っておりました。
食事も精進料理ですから肉食はしない、野菜などが中心になっている。
その和尚さんはある日、茄子に向かってよく育つようにと
「早く采になりなさい。」と声をかけた。と、ある晩に美しい女性が訪ねてくる。蚊帳の中に寝ていた
和尚さんは、雷が来たために、蚊帳の中に招き入れた。
この辺からちと、話は可笑しくなってくる。いかに仏門の身とて、
男は男なのだから、君子危うきに近寄らずという配慮が必要だろうにね。木石ならぬ身にて
とうとう……・・でなことに
なってしまった。
実はこの女性は茄子が人間に変身したものなのだ。
「采になりなさい」というのを「妻(サイ)になりなさい」と勘違いしてしまったのだ。
「信太の森伝説」のように人間とキツネが化けた女性が結婚して
子供が産まれるという
逸話は形を変えてたくさんありますが、人間と茄子のカップルといのは珍しい。
和尚さんは、戒律を破ったことで再び修行の旅を始め諸国を行脚する。五年ほどして
戻ってくると、お寺の前に女の子が立っていて自分の事を父親だという。理由を聞いて
みると「自分は茄子の子供でありあなたのこどもです。」という。
では母親はどうしているのかと聞くと「亡くなりました」という。
「親に育ててもらっているのか」と聞くと、「一人です。」と…・・それで
「親はなす(無く)とも子は育つ」という地口のオチとなるのだが、
どうも話の運びがおかしいですよね。
で、こう推察しております。
和尚は邪淫を犯し、女性との間に子供をもうけたのではなく、何かの事情で子供を預かる
ことになった。突然子供ができる訳がないから、五年前の茄子の一件を作り上げて周囲の
者に説明をした。子供が氏素性の分からない者ではなく、自分の子供としたのではなかろうか。
それにしても、奇妙な話なのです。