落語ネタの不思議なお話「洒落番頭」

三遊亭円窓師匠の紹介文から」引用いたします。噺の骨子は以下のようなものです。
珍しい噺で円窓師匠以外の落語家さんからは聞いたことがありません。
さる商家の主人、老妻に「うちの番頭は洒落番頭と言われるほどの洒落の名人です」
と聞かされたので、番頭を呼んで「洒落をやって見せておくれ」言う。
番頭が「では、題をいただきます」と言うので、「庭の石垣の間から蟹が出てきた。
あれで洒落を」と主人は頼む。
番頭は即座に「にわかには(急には)洒落られません」という。
洒落のわからない主人は真面目に受けて「できないなら、題を替えよう。孫が大き
な鈴を蹴って遊んでいる。あれでどうだ」と言う。
番頭、すぐに「鈴蹴っては(続けては)無理です」。
主人は「『できません』『無理です』って、なにが名人だ!」と本当に怒ってしま
う。
番頭は慌てて、部屋から退散して、「主人の前では二度と洒落はやるもんか」と独
り言。
主人は老妻にその話をすると、老妻は「それは洒落になってます」。
「『できません』『無理です』って断わるのが洒落かい。」
「洒落になってますよ。番頭は洒落の名人なんですから、番頭がなんか言ったら、『
うまい、うまい』って褒めてあげなさいよ。それを怒ったりして、人に笑われますよ」
「じゃあ、番頭を呼んで謝ろう」
呼ばれた番頭、主人に謝られて盛んに恐縮する。
主人「機嫌を直して、もう一度、洒落をやっておくれ」
番頭「いえ、もう洒落はできませんで」
主人「やぁ、番頭。うまい洒落だ」
(圓窓のひとこと備考)
原話は小咄の[庭蟹]であるが、古い速記本にそれを膨らませて[洒落番頭]と題 した作品があったので、
それを脚色したのが、この[洒落番頭]。
主人の洒落のわからなさぶりは、演者の呼吸、聞き手のセンスで受けたり受けなかったりする難しい話でもある。
狂言に〔秀句傘〕という曲(作品)があるが、これがまさに[洒落番頭]。
円窓師匠はこのように解説されております。
「聞き手のセンスで受けたり受けなかったりする難しい話」という部分が需要奈指摘をされていると思うのです。
「演者の呼吸:は噺家さんの努力幅でしょうけど、「聞き手のセンス」と言われてしまうとこれは我々の責任ですよ。
指摘されたことは全くそのとおりでしてね。現代の落語は「聞き手のセンス」が問われていると痛感します。
落語芸だけではないでしょうけど。
「芸能」」を聞く・観るセンスが薄れてきている気がしてます。
ところで、この噺ですが。洒落のわからない人の滑稽さを描いています。
「洒落」という言葉は落語の世界だけではなく、現代でも生きている言葉です。
「お洒落をする」などという表現がありますよね。「おしゃれ」と表記することが多くなっていますがね。
「洒落」という表記自体が「当て字」的な感じがしますので、「しゃれ」という語感に注目したいです。
日本語表現のなかに
「あの人は、お洒落な方ですね。」
「あの人は、洒落がきついですね。」
この二つの表現には、全く違う感情がありますでしょ。
「お洒落」というとファッション的な感じがしますでしょ。外見的な客観的な価値観でしょうか。
「洒落がきつい」というと、言い方がきつかったりね、洒落では無くて、あまりにストレートな言い方になっている状況でしょうか。内面的な意味でしょうね。
ということは、「洒落」には両面的な意味合いがありますね。
「ニュアンス」という言葉があります。日本語を考えるうえで、「ニュアンス」という言葉が逆に理解できるというのが
可笑しいですね。「日本語のもつニュアンス」などという表現を実感として受け入れてしまうのに、今更ながらでしょうか
「日本語のもつニュアンス」というのを、どう言い換えますが、「日本語のもつ語感」ですか?
しっくりこないのですね。「日本語のもつニュアンス」という方が古い言葉を理解しやすいというのも変です。
けど、現実はそうなっておりますでしょ。
言語というものは、そのようなものなのでしょうね。若い人が使っている言葉。仲間内で通じるような表現をあえて
することで、互いのidentityを認識するような世代が使う言葉。大人達は否定するけど、言語は、このような形で
作られてきたのではないかなとも思えます。
私たちが日常的に使っている言葉の中にも仏教用語があったり、芝居の中でセリフを抜き出している言葉が
あったりしております。なにげない言葉なのですが、よく考えてみると、そうなのだと気付きますよ。
例えばですか?・・・・・・・・・・仏教用語でいいますと・・・・・・シダラ・・という表現があります。
「シダラがない」・・・・というのを「フシダラ」といいます。
「ふしだらなことはしてはいけない」・・・などといいますね。漢字では不設楽と書くのでしょうか?
「しだらがない」・・・「設楽がない」・・・・・というのが正しい表現です。
でも、現代では「しだら」をひっくり返して「だらし」といい、「だらしがない」となります。
これは芝居言葉から出ています。
「不設楽」という言葉と「だらしがない」という言葉が両立しているのも日本語ですよね。