季語の素晴らしさ

 

俳句における季語には勿論味わい深いものがある。私も俳句らしきものをつくっているのだけれど、俳句をやると

言葉というものに敏感になっていくものである。

季語。季節を表す言葉。日本人独特の感覚が現れている。というより日本語の特性がみられるということでしょうか。

「歳時記」に載っている季語に余り左右されないように俳句を作りたいと考えているので、俳句じゃないといえるので

しょうけど。やはり、季語の素晴らしさには違いがありません。

水面n張った薄い氷を表現する。秋も深まり初冬の頃に張る氷と春が来て次第に暖かくなり薄くなった氷。

季語は見事に言い分けている。「初氷」は冬。「薄氷」は春を表しているという。

薄く張った氷に対して季節感を言い分けている。

同じ氷でも、「かちわり」となると夏である。甲子園を連想しますね。

あるものに対して季語は四季においてどのように言い分けているのかという観点から調べるのが良い方法である

と聞いた。なるほどそうかもしれないと思う。

現代人はボキャブラリーが不足しているという。皆同じような言葉を使っている。若い世代にしか通じない言葉も

あるけど、バリエーションは驚くほど少ない。それに表現がストレートになっている。言葉に深みがない。

新しく言葉を作るのは構わないけど、長続きしないでしょうね。

言葉の表現を専門にしている詩人や俳人、歌人、文学者、小説家・・・・・・などなど。

もっともっと頑張って欲しいですね。

自然を失いつつある日本人には。「たおやか」とか「すがしい」とかなどの言葉は理解されなくなってきている。

「しなやか」で有名な長野県知事の田中さんも、「しなやか:という表現が議会にどれだけ伝わっているのかな。

 



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