20110124 光永プロ 巻頭の言葉

 wowowのエキサイトマッチでボクシングを見るのが好きだ。ボクシングに限らずス
ポーツ全般が好きで、テニスのグランドスラム大会もほぼ連日見ている。ただ、1年
を通してで言うならボクシングを主に見ると言ってよい。
 その中継で気づいたことがある。実況が二人の選手を区別して言うときに、例えば
黒人選手と白人選手が試合をしているならそう言えば簡単なところを、必ずグローブ
の色やトランクスの色で説明していることだ。ボクサーには黒人選手も多いためか、
人種に関する表現は番組では避けているのだろう。その番組を見るまでは、私はあま
り意識していなかった。というわけで、私の黒人にまつわるエピソードを書こうと思
う。

 もう10年以上前になるが、学生時代の後輩を訪ねて友人とフランスに初めて行っ
たときのことである。夜も遅くなり、私たち3人は確かホテルに帰るために駅で電車
を待った。だだっ広いホームには、まるで私たち以外誰もいないのではないかと思わ
せるほど人影はまばらだった。そのときに不意に、少し離れたところでかなり大柄な
黒人が立って新聞を読んでいるのに気づいた。
 ただそれだけのことである。それだけのことであるが、正直なところ、その瞬間ほ
んのわずかではあるが恐怖心を感じた。そしてそれが私にはとても意外だった。私は
自分では、そういった感覚や偏見に近い感情にはほぼ無縁だと思っていたからだ。自
分でもそう思うんだ、と思いそれが驚きの発見であったとともに、貴重な体験として
今でも鮮明に覚えている。一応付け加えると、人種に関する偏見とは関係がないかも
しれない。白人だってかなり大柄だったら怖かったかもしれない。自分が何を根拠に
何を感じたかを正確に把握することは難しい。ただそんなことに関係なく、4人は来
た電車に乗り、彼は新聞を読みながらそれぞれの帰路についた。

 次の話は家の近所にあるスーパーでの出来事である。そこでは給水用の専用ボトル
を売っていて、それを使って専用の器械で浄水を入れることができる。ただ、その仕
組みはいくつかの段階に分かれていて、説明を読むなりやったことがある人に聞くな
りしないとちょっと分かりにくいかもしれない。
 夜の12時ごろ、妻と二人でスーパーに行き、妻がレジを待っている間に私が水を
汲むことになった。そのコーナーに行くと、赤いキャップをかぶり、ちょっと不良っ
ぽいような10代と思しき黒人がその器械のドアをガチャガチャと引っ張ろうとして
いた。それはちょっと異様な光景で、その音もそれほど小さくなかったから店内でも
気づいている人がいたかもしれない。
 普通に考えれば、たぶん使い方が分からないんだろうと思って、彼に話しかけて使
い方を教えた。私は拙いかたことの英語で説明し、実際にやって見せた。彼も少し短
い質問をはさんだりしたがおとなしく聞き入り、主に静かな中で説明は終わった。
ちょうどそのとき、精算を終えた妻がやってきた。それに気づくと彼は少し恥ずかし
そうに「もう大丈夫だ」と言い、それで別れた。
 あとで少し後悔したことだが、日本人の悪い癖なのか、どうも話せる範囲の英語で
のみ話して、どういえばいいか分からないところは何も言わずに黙ってしまうところ
があった。前から思っていることでなかなか実践できないのだが、そういうことは日
本語で言えばいいのに、と思う。相手がその言葉が分からなくても、こちらがしゃべ
ることで何かを伝えようとしていることは分かり、そうしたらその場の雰囲気で何と
なく分かってくることがある。これは私が実際に海外で何度も経験したことである。
しかし彼は日本語も分からないのに、どうして住宅街のスーパーにいたのだろう。そ
れはちょっと謎である。

 最後も近所での話。ちょうど桜の季節だったか、選挙カーがけたたましく騒音を吐
き出す中、私は一人で家に帰る途中だった。ちょうど道の反対側を、大柄な黒人男性
が、間近では見たこともないような大きなストライドで大股に歩いていた。そして道
を渡って、なんとなくこちらの方向に来ているような感じだった。ただ、その歩き方
が確実に目的を持った風であったため、私は自分に用があるとは思っていない。誰か
いるのかな、と思って後ろを見たが誰もいない。そうこうしているうちにその姿はど
んどん大きくなって、驚いたことに私の前に来て止まった。彼は私に向かって
「Excuse me?」と話しかけた。なんだ!?
 「あれは何だ?」と彼は尋ねた。よく聞くと選挙カーのことのようだ。私は若干混
乱した。なんでそんなことを聞くためにわざわざ道の向こうからまっすぐにやってき
たのだ?そしてちょっとした混乱の中、私は選挙を英語でなんと言うか、突然ど忘れ
してしまった。やばい。それくらい言えないとちょっと恥ずかしいぞ。ただし時間を
かけるわけにはいかない。どうする?私は咄嗟にそう判断した後、選ぶという動詞は
「select」なので、とりあえず様子見で「selection」と切り出して相手の反応をう
かがうことにした。違うはずだが通じるだろう。
 すると彼は少し驚いたような感じで、大きな声で「エレクション?」と聞き返して
きた。そしてその「レ」が、語調が強めに感じられたせいか私には巻き舌の「r」の
発音に聞こえた。

 ・・・・・・・・・ 幸か不幸か、私は「erect」という単語を知っている。確か
「勃」とかいう字がつくような。私は激しく動揺した。まずい。このままではあまり
にもまずい。私は平静を装いつつ、もう一度、「l」の発音を強調しながら
「selection」と言ってみた。すると相手は少し考えたのち、「エレクション、O
K」と言い残して去っていった。私はいろんな意味で終わった、と感じた。

 頭が真っ白になったまま、家に帰って辞書を調べてみた。選挙は「election」。冷
静になってみれば当然知っている単語である。そうか、私が聞き間違えただけなの
か。でもいちどこれはやばい、と思ってしまった状況では、「r」を「l」と疑う、と
いう発想がなぜか全く出てこなかった。しかしあの黒人は何でそんな意外そうな反応
をしたのだろう。しかもそんなこといちいち聞かなくても分かりそうなものじゃない
か。
 ここで何かモヤモヤした気分のままモヤモヤしていったとか締めれば話のオチとし
ては満点なのかもしれない。しかし実際には脱力してしまって、フヌケな一日を送っ
た。

光永 淳造


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