権田義一の剣道ひとり言です。
剣道で感じた事を書いていきます。
すべて本気なので、皆様に合わない所も多々ありますが、 暇つぶしで見て頂けたら幸いです。

私の二回目の審査ビデオです。
なぜかこれがグーグルで評価して頂きました。
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『手と足が合わない』
大人になってから剣道をはじめた人に最初に大きな壁にぶつかるのが四段だと思う。
まして今は審査の合格率が厳しい。
色々な原因はあるけど最も多いのは面を打った時に手と足が合っていない事があげられる。
逆な言い方をすれば手と足が合っていれば合格できると言っても良い位重要な事だと思っている。
中学・高校でちゃんとした先生に習った人には手と足が合っているし、そんなこと考えたこともないほど自然に出来ている。
それはたくさん稽古してきたし、怒られ怒鳴られ、ひっぱたかれやってきたから体で覚えている。
でも大人になって始めた人は先生に頭ごなしに怒られるどころか『なかなか上手いじゃないですか』なんて挨拶代わりの社交辞令を『俺はもしかしたら剣道の天才』と大きく錯覚をするから、余計に当てることだけを喜びにする。
そして四段審査で不合格となる。
落ちた人たちは自分の手足ばらばらなことより、『当たらなかったから』とか『気合が出なかった』とか『相手が強かった』などその次のことを不合格の原因にあげる。
そんな人に私は私が師匠から言われた言葉を言う。
『八段審査は打つ所なんて確認だよ、審査場に歩いてくる姿を見られてる、その時に八段らしい雰囲気がない人は審査も見ていない。半分の人はその時点で審査されていない。だから色々な八段にたくさんかかればその雰囲気がわかる。稽古しないとこの雰囲気が出ない』
なんとも歩くときから審査されているなんてと思うより、そこから気を高めていけ!とも聞こえるし、稽古は見える所を磨くことと少し適当になってしまう礼法や歩く姿にも気をつけなさい、そうすることで気の充実や集中力を切らさない稽古にもなる。
四段の人にそこまで望むことはないけど、この『その時点で審査されていない』の部分。
だいたいの人は構えをしっかり作って、大きな気合も出す、ここまでは出来るのだけど初めの一振りでぼろが出る。
手と足が合っていない面を打つ、審査の先生たちは心の中で『はい終わり』とつぶやいている。
たとえ初太刀が当たらなくても手足が合っているとじっくり見ようとしてくれる。
それはなぜか?
手と足が合わない人ばかりだから。
相手に打たれないで自分の打つことだけしか考えていない一人勝手な立会いだから見ていても面白くない。
四段を審査する先生たちは八段と七段で剣道を恋人のように愛している人たちなんです。
恋愛は相手がいて成立するもので、剣道も似ている所があり、自分勝手に盛り上がり、相手が来たら隠れて、相手が隙を作ったら近くに寄って当てて逃げる。
これでは恋愛ではなく、まるでストーカー行為とかわらない。
恋愛は自分勝手ではない、相手のことを思いやり、相手のいい所を見極めたり、相手に感謝・尊敬をして、そして自分のことも理解してもらう努力をする。
だから恋愛は時には難しいし、面倒なこともあり、いくら尽くしても微笑んでくれないこともあるけど、それが楽しいと思えないと恋愛は出来ない。
剣道も恋愛もセンスだけではある程度の所で止まってしまうけど、顔が少々良くなくてもまめで丁寧で礼儀のいい人はもてる。
剣道なら素直に自分の技量がわかり、信頼する先生の言うことだけを信じる一途な心。
「褒められていることは辞めないために言われているお世辞で、注意や小言は強くなれと言う愛情の証と思え。」と聞いたことがある。
また、いくら好きな相手だからと言って全て満足なんてないはず。
より良い恋愛をしたいならまず一番基本的な所が正しくしなければならない。
結婚したいから誰でもいいから恋愛する、それじゃ相手に失礼。
剣道なら四段の肩書きが欲しいから、いい所だけおそわり、合格したらしばらく稽古は休む。
こんな気持ちでは審査員に見抜かれてしまう。
でも、仕事を持っている大人の人達だからそれもしょうがないとも思っている。
だったら相手を打つことよりまず打った時、手と足を合わせることをすれば良い。
でもこの手と足を合わせて打つことが何よりも難しい。
こんなに長々書いてやっと本題に入った。
源流舘では今まではそんなことをあまり気にしてこなかった。
それはだいたいの人が学生時代剣道していたから。
源流舘がなぜこんなに合格率が良いのかは大きく三つあると思っている。
1、上に立って稽古している人がふざけるような稽古をしない。
2、ダメなことはダメとはっきり言われる。私の毒舌に耐えられれば六段まで合格する。
3、いい加減な気持ちの人は辞めさせられる。
指導が良いんじゃなくて、忍耐力ですね。
これだから合格率が良い訳ですね。
でも最近は別な道場を立ち上げたり、源流舘にも新しい人がきたり、今までとは違った剣道を歩んできた人たちともふれあい、その足と手が合わない打ち方を何とか治してあげたいと取り組んでいる。
まずはビデオを撮って見てもらった。
ここで大きな事実が判明。
手と足が合っていないと言われている人たちは、いくら言われてもなぜ今まで直らないか?の意味がわかった。
それは手と足がずれていることの意味がわかっていなかったからだ。
なぜわかったのか、普通の速さでビデオを見せて『ほら、手と足が合っていないですよね』というと『はい』と返事をしたので、ずれていることはわかっているんだと思ったけど確認をしてみた。
『竹刀が面に当たるのと足が床に着くのはどっちが早いですか』と聞いたら『竹刀が早い』と言ったので『それ勘でしょ?』と言ったら『ばれました?』返されて思わず笑ってしまいました。
答えはその逆だから。
ビデオで見てもわからないというのでは打っている時に、自分はずれているなんてわかるわけもないですね。
『合ってない人は足が先に床に着いてから、遅れて竹刀が0.3秒後に面に当たっているのですよ。私たちが打つ、合っているという面は竹刀が面に当たるのが0.3秒早く当たり、その時はまだ足は空中に浮いているのです。』と説明しながらコマ送りでビデオを見せてやっと納得。
10年以上「手と足が合っていないですよ」といわれて『はい』と返事していたのは本当はわかっていなくとりあえず『はい』と言っておこうだったのですね。
でも素直な気持ちはいい。
今稽古できないから店番でお客様が来ない時に何回もビデオをパソコンで見て原因がわかった。
合わない人の原因のポイントを三つに絞る
1.間を詰め攻め入る時、上半身が前に倒れるようにかかる。
合っている人は腰と肩のラインが倒れず垂直になり間を詰める。
(へそで攻めるというのはこんなことでしょうか)
2.打とうと出した右足がすぐ上に上がる。
間を詰めるときに重心が前にかかってしまいそのまま振りかぶろうとすれば、重心を今度は後ろに戻そうとする、その反動で足が上に上がる。
振り子の原理になる。
合っている人は打とうとした時の腰の平行移動なので右足はすぐには高く上がらず床から少し上をすべるように相手に向かって出る。
3.振り上げた竹刀の先が自分の面よりも後ろになる。
しっかり打とうと思うあまりに手首を必要以上に曲げてしまい竹刀が床と平行位寝てしまう。これでは体は前に出て足を高く出してしまっているのだから竹刀が遅れて出るのは物理的に間違いない。
相手が合わないと感じた人はその人の手と足を合わせようと無責任に「振りを小さく」なんていう。
言われば頑張ろうと力むし、小さく真っ直ぐ振り上げると面金が出ているので邪魔だから右の方に担ぐように引っ張る。
体は前に出る、竹刀は力んで右後ろにあるのでは、相手にどうぞ私の面を打って下さいと言っているようなもの。
相手が上手な人なら手を出すだけで当たってしまう。
もっと合わなくなり酷くなり、良かれと指導した人は『ダメだ、この人はセンス無い』と思いつつも、言った手前上『良くなってきたよ、今日はこれくらいで』とかえって悪くしてほっぽらかし。
まるで木を切るような感じになる。
立派な木こりを育てるために稽古している訳ではない。
ダイエットのみたいに下手に痩せて、またあきらめてリバウンドの繰り返しではやらない方がましだし、剣道なら『下手に向かって稽古している』と言われてしまう。
上手な人は、手元は上げても竹刀は床より垂直以上に倒れない。
要するに振り上げる時に手首は使わない。
大きく振り上げるのと大きく振るというのとは少し違う。
だから剣先はいつも自分の前にあるから遅くても相手よりも早く面が当たる。
下手な人はどうしても腕の力だけで打とうとするから足が床についていないと落ち着かな
い。
私は、面打ちは体全部の力を竹刀の先に集中させて打つ気持ち、だから力はいらないと思っている。
ゆったり構えて全ての力をなるべく自分の体の遠いところに置くイメージで攻めて打つ動作に入り、竹刀が面に当たる瞬間に遠くに置いといた力を竹刀の先に集中させる。
だから良い面の時は打つ時の起こりが相手に悟られずに打ち間にスーッと入ったような感じになる。
私も一度だけ八段審査の二回目の時に打った面がそんな感じだった。
これだけ能書きをたれておきながら、自分で打てたのはその一回だけではまだまだ自分の物ではなく、まぐれ当たりですね。
これを言葉で説明して納得して直ってくれるのなら、もうすでに直っている、でも今に至るのだから、それなら修正器具みたいなものを作ろうと思った。
面打ちで真っ直ぐ振りかぶって手足合わせ器具、名づけて『手足ピッタリ君』を作った。
すみません急にふざけた感じになってしまいましたが、いたって本気です。
我ながらよく色々な事を考えるな、と思った。
どんなものかは少しでも効果があったらご紹介しますが、まるで効果なき場合には忘れてください。
すごく良かったら商品化するかな?
後輩が誰にでも打った時に手と足が合う指導法があったら絶対に売れるといったので、それくらい大人から始めた人は手と足を合わせるのが難しい事なんですね。
人のことより自分のことを考えろって言われそうですが、こんな事を考えていると自分の打ち方も再確認できたりするんですよね。

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『怪我の功名』
剣道だけではなくスポーツを真剣にやれば体のどこかが痛みだし、悲鳴をあげる。
悲鳴をあげている体を気がつかない振りして、だましだましやっていると体が壊れる。
一度壊れた体はなかなか元には戻らない。
完璧に治したいと思えばそのスポーツを辞めるしかない。
今話題のサッカーではプロの寿命は30歳以上無理だといわれている。
キングカズこと三浦選手は例外だけど、またプロ野球の工藤選手も現役を続けているけど先日テレビで体中いたるところが痛いという。
でもなんで続けているかといえばサッカー、野球が大好きだからと返事が返ってくる。
大きな哲学や理由があるわけではなく、ただ好きだから、これは逆にどんな理由より素晴らしい理由だと思う。
剣道はスポーツではなく武道だと私は感じているし、道がつくということは死ぬまで本気で出来るということでもあると思っている。
学生時代はあれほど剣道が辛くて絶対に辞めると思っていたのに今は自分の背骨のように感じている。
八段の先生たちは背骨ではなく、命だと剣道を思っているでしょうね。
そこら辺がまだ私には甘い所だ。
そしてもっとすごいのは、剣道家は医者の見立てをことごとく裏切る回復力がある。
剣道には魔力があるとある筋の医師が言っていた。
私の場合もケガと痛みのデパートみたいな体になっている。
一年を通してどこも痛くなく稽古できた年は最近ではまったくない。
寒くなると左足の脹脛が軽い肉離れになる。
軽いといっても普通には歩けない。
痛みに馬鹿になっているから普通の人がすごく痛いと感じるのは軽い程度になっている。
でもこんな状態でも剣道するんですよね。
休めば良いのに、本当に馬鹿みたいだと自分でも思ってしまう。
仲間も勘違いしてそこまで足を引きずっても剣道するなんてよほど好きなんですねと言う。
違う、私は剣道している仲間に会うのが好きだからこんな足でも稽古に行く。
でも最近は仕事を多くやるようになって時間が少なくなってから、なんか剣道が本気で好きになっていることが感じられているのだから好きと言っても良いでしょう。
そして今は先をかける気持ちに取り組んでいるから稽古も面白くなっている。
でも足が痛くて面が打てない。
先をかける攻めは続けていく、でも前に出る面は打てないから自然と応じ、返しが多くなってくる。
私は現在七段、でも胴打ちレベルでは四段ぎりぎりってところなんです。
八段審査の時なんか応援に来てくれた弟子からも『胴は打っちゃだめ』と何度も小声で念じられてしまったほどである。
でもこの状態になって返し胴が多くなるにつれて、意外と返し胴って面白いし、すごく意味深いと感じてきた。
そして先で打とうとすれば以前の構えより少し重心が前の方にかかり前傾姿勢になっている。
それがまた良いのか前で捌けるので、ふところに余裕があり、返しのタイミングが少しつかめて来た。
何百と試合をしてきたけど胴を決めたことは一度しかない位本当に下手なんです。
これをチャンスに返し胴を少し取り組んでみようかな。
面を活かすためにも返し技ができると出来ないとでは間を詰めるのにも2センチは違いますからね。
その2センチが面の芯を打てると思う。
暖かくなるまでは肉離れ足を無理しないで剣道していこうと思っている。
相変わらず転んでもただ起きない私の性格に自分で笑ってしまう。

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『正月の高校での稽古』
恒例の高校のOB稽古会に行ってきた。
朝店を開けて昼の時間だけ代わってもらってバイクに乗って行ってきた。
寒い中、原付バイクにまたがり足元のステップの所に防具を入れ、前かごにはカメラと試合の賞品、竹刀は肩から襷がけ、完全防寒のスタイルにそれだから一段と大きなかたまりだ。 寒い時の稽古は行くまでにも色々と大変なのです。
一ヶ月稽古していないし先日少し子供たちと稽古した時には自分じゃないみたいな違和感満載ロボットのようだった。
ましてや今日は七段も多く、八段の師匠もいる。けがなどなくどこまで出来るかなんて弱気な考えではかえって弾かれてしまう。
こんな時ほど絶対に下がらない心、そしてなにより今年の目標でもある『一回を、一振りを大切に考えて稽古する』それをやる。
最初は現役高校生を相手に稽古、そして後半はOBだけの稽古となる。
まず高校生の稽古では相手に先を取らせず自分の気持ちの充実を高め攻める。
相手が打ってきた時は必ず、返し、応じ、出鼻、切り落としと色々な事で対応する。
決して、ただ打たせたり、受けっぱなしにはしない。
そしてなにより自分が打ったら打ち抜くことを忘れない。
今までの高校生との稽古とは違う感じになった。
たくさん打つとか自分勝手にとかではなく、相手を考えて気後れしないで、気の張りを感じての稽古は高校生にも本気で打たれる場面も出来て良かった。
そして先輩たちに対しては一振りの意味を考え、その大切さを感じ、中心を突き抜く勢いで攻め、根拠の無い打ちはしない。
そして常に気迫と先の気持ちは忘れずに、と自分に言い聞かせながらの稽古はいつもと違う感じになった。
先輩や仲間も試合ではないから真っ直ぐの技が多い中にも、応じ返しと『まだ足りない』と言われているように打たれ、張り合っている切羽の位の良い気分だ。
そして師匠とは久しぶりに一番終わりの稽古となった。
全員見ている中での二人の稽古は緊張感もあるけど集中している感じがわかった。
前日の自分の剣道日誌には『師匠にかかれるような感覚があったらかかってみるかな。稽古はしてなくても心が楽しんでいる今を見てもらえるのも良いと思う。稽古不足をやりたい心で表したい』と書いてあった。
もちろん面で望んでいくけどそれ以上に今の状況での剣道心をまず自分がどう正直に出せるか、礼をした時から打つことよりこの気迫と心をどう表わせられるかの方が本当の勝負だと思った。
構えて立ち上がったときそんな心配はいらなかった位自分でも自然と気が満ちていくのがわかった。
気合も盛り上がっていく、気後れしないと先の気持ちで間を詰めようと攻めに移ると師匠の気の壁が立ち塞がる、少しでも早くと思い面に出れば早すぎて返し胴を切られる。
また気を新たに今度こそと攻めに入ろうとすれば無駄な力が入りすぎる。
そして少しして気持ちも落ち着き気の溜まりも感じ、力を抜いて先の間に入れそうと僅かにすっうと入る瞬間、師匠の面が決まる。
まるで対応できず、心を読まれているみたいだ。
今度は裏の道を通してみる。
当てたい訳ではなく今無心に剣道していると感じていたからだ。
一瞬でも怯むまで行かなくても別なことを考えてくれたら少しは道が開けるのかもしれないと思った。
攻めも徐々に中心近くなり、間も詰まると師匠の気当りの強さや厚みが大きくなっている。
私とは次元が違う。
八段とは、師匠とはこんなにも差があると痛感した。
でもその大きさと強さを感じられたことは私の今の心が師匠に届いたからここまで真剣に立ち会ってくれたのだと嬉しかった。
新年早々すごい面を打たれて気分も晴れやかだ。
当てる、打つより前に気持ちをどう作るかの事の意味が少しわかった。
はじめにやった高校生にも手先で当てようと思わなかったから早い技の高校生にも面が決まる。
自分でもなんで当たったのかわからない面の道がある。
これが剣道の不思議なところですね。
若くて早いのが一番ではなく、どう相手に感じさせ、相手に先の気位で攻め、心・体・構えを崩し、そして相手を使って勝つのが剣道だと思う。
稽古一人を縁と感じ最後にどう打ち抜くかを考え、始める。
上手い植木職人ほどすぐに鋏など入れず、じっくり庭を見て感じる。
そして心がまとまった時鋏を入れる。
一度鋏を入れたら迷わず、流れるように突き進む自分の腕と感覚を信じてやり抜く。
剣道と似ているのかもしれない。
完成形も描かず技を出しても、それは根拠の無い打ちになってしまう。
師匠が挨拶で『念ずれば通じると言う言葉のとおり、稽古するときはただやるよりも願いを持って稽古すると目標に近づける』と言われた。
まさに今年の私の気持ちみたいだ、少なくなる稽古を意味深くするには課題を持って稽古するということですね。
また剣道の深さを感じられた。

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『剣道は雑巾がけ』
私たちの道場は試合で強くと言うより昇段する心を今は優先順位にしている。
もちろん剣道は格闘技だから強くを目指し試合の結果もやっぱり大切。
警察や教員のように仕事の一環の中に剣道が入っている人はたくさん稽古ができるのだから試合も審査稽古もたくさん取れる。
でもやはりあまり関係のない仕事をしていると平日は難しいし、土日だってそうやすやすと稽古には時間が使えない。
大体の目安として週に一回の稽古なら年に50回と言ったところだから、一般の人にとって年間100回の稽古はすごく難しい。
私はおかげさまでコンスタントに二回と他に少しなもので年間130回くらいは稽古は出来る。
そんな時いつも思うのは年間500回も稽古している人と100回の人ではもうすでに勝負ありと言うのかもしれないけど、回数が少ないならその質にこだわる。
だから妥協はしない稽古となる。
源流館も稽古はきついと皆声をそろえて言うのを一番わかっているのは私かもしれない。
妥協とは自分も相手にもだから相手が少しでも手と足が合わなかったり、下がったり、気を抜いた瞬間もう本気でやらない。
これを我ままだと言うのかもしれないけどそれだけつきつめて稽古という時間を考えさせられる。
仲間同士だから相手のことを思いやるなら多少の事は『まぁ、良いんじゃないかな』でも良いのかもしれないのだけど上席に立つ人たちは下の人の為に稽古をしない。
自分がやらなくてはいけない稽古時間も限られているのだから相手が緊張感が薄くなればそれで終わる。
最近は稽古人も20人近く参加してくれるのだけど狭い道場だからいっぱいになる。
だから今一瞬を大切に稽古となる。
6組も稽古すればいっぱいになるし、少しでも下がれば壁と言う構えた時に切羽の位になる。
だから下がる逃げるが出来ない。
これが審査稽古には良い。
今の審査はとても難しいけど今回は六段・五段・四段と四人の合格者があった。
狭くても稽古前に30分以上形の稽古もしている事も良いと思っている。
私は仲間を見て辛いでしょ、七段が多く、誰もお世辞を言うような人もいないし、現に八段も本気で狙っている。
だから形も楽しんでやっているという感じではなく、防具の稽古より辛い。
私はそんな時いつも感じている事は形も実技もお互いだけでやっていても下手の上塗りだと。
床が汚れていたら雑巾で拭きます。
その雑巾をそのままにして何回も拭いても綺麗になっているような気にはなるけど本当は汚れを床にすりこんでいるだけ。
剣道の稽古も似ている。
自分たち同士で稽古しているとどうしても優しくなったり、少しの妥協も入る。
決して悪いことではないけど、それは本当は拭く力は出来ても本当に綺麗にしようと言う事とは別物だと感じている。
怒られるかもしれない、ダメ出しをいっぱい言われるかもしれない、日頃の心構えや今までの事を見抜かれてしまうと思うから師匠や先輩たちにかからず、自分たちでどうにかしようと考える。
これが汚れた所を何回も同じ雑巾で拭いているのと同じ。
何回か拭いたらバケツの綺麗な水で汚れを落としてまた拭く事が一番掃除として理にかなっていると思う。
剣道で言う所では、雑巾で汚れた所をなんとか綺麗にと思うのはお互いの稽古、これはお互いに切磋琢磨という事、そして綺麗な水が入っているのは信頼、心配してくれて心から応援してくれている師匠や先輩。
汚れを取るという事とは剣道では、同等の人とばかりの稽古だけでは礼法なども含めてちゃんとした事を忘れがちになってしまう、先生はやっぱり当ったことより、正しい指導や正しい事を再認識させてくれると思う。
誰しも良い歳になって人に注意される事を嬉しいと感じる人は少ない。
ましてずばっと言葉にされると心が痛くなる。
だからこそその痛みを遠ざけるより、綺麗な床にしたければ自分たちで一生懸命磨き、そして時々綺麗な水に雑巾を入れてその汚れを落としてもらう。
真冬ならなるべく冷たいバケツの水に手を入れたくないだろうし、てもかぶれてしまうかもしれない、そうかと言ってゴム手袋のような何か一枚入れるのでは心の扉も開かずに汚れだけ落としても我身には響かない。
剣道は辛いから辛くならないように当たり前と思える努力、また相手にも楽しくいてほしいから稽古はありったけの心を開いて純粋になる稽古をする。
だからそんな人たちの多い気持ちの稽古は見ているだけで半端な気持ちなら辛くなる。
私も師匠と稽古することは何よりも辛いけど、だから少し心が綺麗になれたような気がする。
いつも言う剣道で愚痴を言うなら言葉にする前に書きとめる。
そしてあまり人には愚痴を言わない。
愚痴を言って一時的に気楽になることより、それだけ辛いなら今の心を書きとめてあとで見直せば参考にもなる。
四人の合格者は私の事を厳しいと思っているに違いないけど、だから厳しい審査に取ったんですよと、これは私がどうこうではなく本来自分で持っている力が出せただけなんですと言う。
でも良い事ばかりの言葉になにも努力はできない。
『他人の注意はその人のうっぷん晴らし、他人の褒め言葉は自分の成長を妨げる呪文』と思っている。
だから師弟関係と言うのは愛情もって強い口調で言うし、罵倒も言う、私など師匠からも『お前は毒舌だ』と言われましたけどそれは信頼している人にしか言わない。
好きな人には初めに怒ったり、注意して、後から本当に良い所を褒める。
嫌いな人やどうでもいい人には最初に最大の褒め言葉を言って、終わりごろに皮肉を言う。
なんとも傷つくやり口かもしれない。
だからこそ仲間と言うのは段に受かってほしいからこそ本当の急所を言葉にする。
だからこそ見えない心の扉が開く。
心を開かせようとするのではなく、こっちが真剣だと言うことがわかってくれれば自然と病を、心の毒を吐いてくれる。
そうすればあとは一緒に道を歩けばいい。
弟子から合格しましたと連絡をもらったから私は『あなたを教えた人はたぶん辛抱強く、丁寧で、あきらめない心を持った性格なんですね。』と送り返した。
そして『合格ありがとう』と付け加えた。
お互いにギリギリな所まで真剣にやるからこそ少し無理なことも乗り越えられる。
一人だけでは何事も出来ない、掃除をするなら雑巾、バケツ、水と言うように最低でもそれだけのことが必要になる。
上達したければまず綺麗な水をバケツに入れてくれる師匠を探すこと。
でもそれは冬は冷たいし時には痛いかもしれない、でもお互いに辛いことなんだとわかった時『ありがとう』と言葉になる。
私には師匠がいるし、弟子もいる。
だからこそ日々雑巾がけの心を忘れない。
自己満足な雑巾がけは意味がない。
とはいうものの自分もなかなか冷たい水のバケツには手を入れたくないでのが本音です。

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『新しい道場』
源流館の道場が新しくなりました。
約25年位前に笹塚駅近くの高架下施設に源流館を立ち上げた。
青山先生の呼びかけで集まったのは笹塚中学校の卒業生。
本当に長く続けるということより、その場限りでもいいと思ったくらいの感覚で始めたからあまり募集もしていなかったけど、だんだん続けていくうちに人が増えたり、辞めたりと色々な時代があった。
ホームページを作り紹介をすると色々な問い合わせも来るようにもなり、多くの人もきたし、やはり色々な都合で辞めていく人もあった。
私はいつも思っているのは、少しでも源流館に来る稽古人には剣道を再開するきっかけや、剣道の喜びを感じてくれたならその後どこで剣道してもいいと思ってる。
かたくなにこの源流館は一番いい道場なんて思ってもいないし、人の顔が全て違うように剣道も求める方向や思いが違って当たり前なんだから、移っていくことは決して悪いことではない。
ただ関わってくれたんだから、源流館にいる時は真剣に、楽しく、一生懸命に仲間を感じてほしいということ。
剣道は一人ではできない、でも何でもかんでも多い人数でやることは必ずしも良い事ではなく、気持ちが整って稽古する事が難しいなことだと私はいつも感じている。
一時間の稽古で素晴らしい先生や人気のある先生でも稽古できる人数は20人を超えない。
当たり前です、私たちでもどう頑張っても15人はできない。
いい加減にやるなら何人でもできるけど相手を納得させ、そして楽しく感じたり、本気の一本がお互いにある稽古なら3分以上はかかる。
稽古時間の短い先生ほど私は名人に近いと思う。
時間の長さではなく内容の濃さがあるからたとえ短くても満足感がある。
下手な先生や人気のない先生ほど稽古時間が長いからなおさら人が並ばない。
だから源流館という道場の広さはちょうどいいと思っている。
今までの道場は真ん中あたりに柱が二本あった。
それは上に電車が走っているからなのです。
でも15人くらいまでなら稽古するには何とかできる。
だからいい、その全ての15人でさえ稽古できないのだからそれより広くてもできない残念感もある。
源流館は大人の館員だけですが30人くらい登録や仲間が稽古に来てくれる。
変な話だけどその人数が勢揃いしたら稽古ができない。
というよりかかりたい人と稽古ができなくなってしまう。
だから人が多くより心の質の合う仲間で良い。
そんな気持ちで25年間館長を中心としてやってきた。
お互いに始めた時は四段だったのが今は七段になっている。
そして仲間たちも七段になり、その次の人たちも六段五段と合格して、こんな道場でも20人近くで稽古すると総段位が100段を超す事もある。
だから真剣だし、伸び伸びやっている。
そうするとやはり床が所々悪くなってきたりもするのは当たり前だし、もちろん他の団体も使っているので柔道や卓球やダンスも皆使っている。
少しづつ痛みが出てきている道場が改修工事のために取り壊され、新しいところに移転と決まってから一年間私は複雑だった。
本来こんなに長く続けるとは思っていなかったし、ましてやこんなにも素敵な仲間たちに会えるなんて思っていなかった。
でもこの道場が何かの都合でなくなったら剣道もやめる時なんだとも感じていた。
今源流館は良いメンバーと稽古ができている。
辞めるわけにはいかないし、ずっと続けていきたいとも感じている。
すぐ近くに道場ができたこと、渋谷区区役所と京王電鉄様には感謝しています。
これだけの良い立地条件で稽古できる事心から幸せだと思っています。
今、仲間たちが本当に我が家みたいな親戚みたいになっている。
25年の歴史を館長と振り返ると色々な事があったし、終わってもおかしくないような状態もあった。
努力、苦労なんて感じていないから今まで続けてこれたのだと本当に思っている。
自慢話は聞いている方にはいやかも知れないけど、今までの道場が無くなるこの日ぐらい館長の思い出話の独演会で幕を下ろしたかった。
でも、最後まで多くを語らない館長は本当に素晴らしいと思った。
そして新しい道場が10月から始まった。
本当に素晴らしく綺麗で、柱もなくなり使い勝手もよくなった。
少し狭くなったけど動き的にはとても良い。
もしよろしければ見に来て稽古してはいかがですか。
こんなこと書くと新道場にお祝い持って来てなんて深読みされてしまいそうですが、お祝い等は一切受け付けていませんし、現にお持ちいただいた方には丁重にお断りをさせて頂きました。
源流館は気持ちのいい人が来てくれることだけを願っています。
自分の道場なのにまだ新しく他のところで稽古しているみたいです。
今までの道場には本当にお疲れさまでした、そして無事に稽古させて頂き感謝しています。
これからも恩を感じながら稽古していきます。
新しい道場でまたみんなと楽しく盛り上がりましょうと館長の挨拶に嬉しくなりました。
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『お詫びと訂正』
数日前から何人の方から剣道のHPが表紙しか見られませんと言われたのですが、私が見たのでは見れたと思っていたのは中側から見ていたからでした。
そんな指摘を頂き改めて別な所から見たら見れなくてわかりました。
よくよく調べたら剣道のコーナーの色々な所がどういうわけかリンクの設定が外れていたのです。
最初は少し悩みましたが初めからやったらわかりすぐにリンクをし直して元通りとなりました。
見て頂いている方には少し悩ませてしまいました事をお詫びします。
まだまだパソコンは私にはわからないことだらけですし、これからはもっと便利になるでしょうがどこまで理解できるのかと不安ですが、ついていこうと思います。
剣道も人生もなにかわからなくなったり、戸惑った時は途中から何とかしようとするより、初めからやり直すことの大切さを今回のHPの事で感じられたことは良かったことかもしれませんね。
また何かあると思いますが、そんな時は言って頂けると助かります。
『剣道審査ビデオ』もグーグルでお勧めビデオになってからアクセス数が増えているのに嬉しさと喜びとすごさを感じました。
やっぱり『世界の検索一位』というのと、どの位な人が今パソコンを見ているかと思うと考えも及ばないほどなんでしょうし、その影響力は膨大ですね。
少しづつ増やしていこうと思っていますのでビデオコーナーもご覧下さい。
ご迷惑おかけ致しました。
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『面が打てない』
稽古している仲間から『先生上手く面が打てない』と言われた。
子供ならと思いつつも相手は六段40歳は過ぎている。
その言葉を聞いて頭に浮かんだのはもう一つ上の段階に踏み出したとすぐ思った。
私の息子も大学に入って本格的に剣道部に入って三カ月『面を打つのが怖い』と言った。
そんな言葉を聞くと何度も自分でも経験した面を打つ恐怖。
特に試合前に多かった気がするし、剣道は頭だけで考えると体はバラバラにになるどころかどこで打っていいのかさえもわからなくなる。
日本語は表現が多彩だから難しいから『面を打つのが怖い』だけでは何に怖いかの主語が明確ではない。
これは剣道をしていないとわからないと思いますが剣道以外なら、やり手営業マンが急にお客さんと接客したくなったり、演歌歌手が急に人前で歌えなくなるとか、ゴルフならパターが絶対に入らないと感じたりすることと同じかもしれません。
これは精神的な物なのですが、何が原因と言うことは本人にもわからないけど、一番簡単で一番好きなこと一番興味あることが突然どうしょうもなく怖くなるのです。
よく一般的にはパニック症候群ということと似ているのかもしれません。
でもそこまでひどくなくても大なり小なり物事を突き進んでいくと好きだったことが嫌いになったり、なんでこんなことしているんだとやけに冷静になったり、剣道というものはとても面白いというのは『すぐには上手くならない』『自分納得する技は年間に数本しかない』『色々な人から千差万別な注意がある』なのに止められない。
私も八段を受け出して三回、50歳ともなれば他の人から見れば誰にも注意されず、自分の思い通りの稽古ができて楽しいでしょと言われたことがあるけど、その真逆で『どうしてこんなみっともない打ちをしてしまったんだろう』『攻めも中途半端、気持ちも溜まりがなく、そして打たれたくないとかわして打ってる』といつもこんな感じ。
でもそんな時の私の対処法は、昔撮ったビデオ(もちろん数少ない私が良い感じのビデオ)それを見て『意外と上手いじゃないか』と自画自賛する。
稽古では打ち込みと掛り稽古で頭で考えない稽古をする。
あとは子供たちとたくさん素振りをする。
500本くらいすると途中でダメかと感じるけど400本位過ぎるとなんかずっとできそうにもなる。
でもこれって少し成長している時なんですよね。
何かを求めているから悩むんですよね。
野球選手がよく言うスランプというやつですね。
スランプは台風みたいなものだからもがいても無理、でもその時にもがいた分だけ晴れた時に素晴らしい日差しがやってくる。
だからそのダメな時にもっと考え、もっと辛いと感じ、どうしたら出られるかと真剣になる。
そうすると何かを気がつく。
剣道上達は『真剣』『稽古』『気分転換』そして『いつかは上手くなれると信じる』
仲間の言葉にこいつまた上手くなりかけていると感じた。
心から嬉しい。
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『審査稽古』
渋谷区剣道連盟も月に二回程度合同稽古会をすることにした。
場所は京王線の幡ヶ谷駅近くの西原スポーツセンター。
その月によってできる週は違うけど水曜日の6時30分から行っている。
まだ始めたばかりだし会社員の人には少し早い時間なので稽古参加者は少なく10人程度だけど何事も初めから盛大という方が尻つぼみになりやすい。
今は参加者の愛情込めて手塩にかけてこの稽古会を盛り上げていきたいと思っている。
月に一度程度日曜日にやっている合同稽古会だって初めはやっぱり10人程度から始め今では常時50人近くの人が稽古参加してくれるようになった。
稽古は多い時や少ない時にできる内容があると思う。
そしてこんな難しい時間帯にそしてまだ盛り上がっていない稽古会に役員でもないのに参加してくれる人は目指すものがある。
そして心が熱い。
私も八段受験中ですが参加してくれている人の中にも七段合格を目指している人が二人いる。
その人たちと審査の稽古をしようということになり、ただやるのでは面白くないので礼法から蹲踞、そして立ち上がり初太刀一本だけをしようと提案した。
二人は最初は何言ってんだという困惑気味だったけど意味を説明した。
剣道に限らず見た目というものの大切さ、良いか悪いかと言う前に審査員はまずその審査に向かうだけの雰囲気があるかどうかを瞬時に察知する。
これは昔秘書時代に色々な会社の人事部の部長さんと話したけど面接で聞くことはありきたりな事が多い、でもそんな答えの内容を聞いているんじゃなくその話し方やそれよりまず入ってくる姿礼作法や振る舞いを見てる。そこで、大体決まってるという。
剣道で言うなら礼をする姿の前の審査場に歩いてくる姿からチェックされているという。
見た目九割という言葉があるように第一印象が大切。
だから審査では礼をして開始線まで歩いて『はじめ』という号令で立ち上がり気合いを出し、気持ちが満ちてきて相手との理合いがかみ合った時、初太刀となる。
この段階で二割くらいではないかと思うけど、二割と八割の原則と言うのがあり、会社では二割の社員が八割の利益を生み出してしている。
だからその二割の初太刀までで八割の合否がつくという理論も考えられるなら、その二割に八割の気持ちを入れて振る舞うことは重要じゃないかと言った。
ここで間違えては困るのはその最初しか見てないのかではなく、その二割の部分をしっかりしないと全てを見てくれないということ。
最後の方に良い技を出したのに・・・・、と思うかもしれないけど、初太刀で先を取られ面を打たれてしまっていたのではなかなか難しい。
だから何回もそこまでを稽古した。
もちろん初太刀は面とは限らず相手を攻めて勝って、そして相手をつかって応じ技も素晴らしいと思う。
ビデオでは納める時は立礼にしているのはもちろん審査は初太刀だけで終わるわけではないので気持ちをつなげる意味でも立礼にしました。
たまにはこんな稽古も新鮮かなと思ってやりました。
良かったらご覧ください。

私的の見解は最初は相手の勢いに押されてしまい小手に行くも完全に遅れ、惨敗。
最後の方に打った裏筋に入った面がなかなかいいと思った。
10本以上やって感じたことは最初は良いところを見せようと思うばかりに上体に力が入り構えがそりかってしまった。
なめらかさに欠けてしまう構えだ。
しっかり打つということと力を入れすぎて力むということは真逆なこと。
それが構えに出てしまってはど素人と言わざる負えない。
後半に入り疲れてきたことがかえって無駄な力が抜けて立ち姿、構えがそりかえらず自然になってきた。
見せかけの構えるから、自然の流れを感じ相手を感じ技を出せる構えに少し近づいてきたように感じた。
だから先をかけて打った面が裏の筋を通り相手の面に届いたと感じた。
あれで抜けて行けたらちょっとは評価の材料になるのかもと思った。
これも合同稽古でいつもやらない相手とやるから新鮮なのかもしれないと思った。
なにごとも挑戦する心をもつことも剣道を続けられることだと私は感じている。
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『初めての試合』
去年の7月から指導をしている子供たちが日曜日に初めて試合に出る。
一人だけ防具をつけている子供は去年の秋に試合に出した。
その時でさえ私はとっても気が高ぶったことを今でも感じている。
今までにもたくさんの子供たちと関わり試合もたくさん参加してきたけど、私が主になって教えている道場からは初めて全員参加の試合となる。
防具をつけている子供にはまず一勝をしてもらいたいと心から願っている。
彼は五年生だけどしっかりしているし、礼儀も正しい、素直だし稽古も真面目。
そしてなにより今の剣西舘では主将的存在でもある。
次に続く子供たちの良き手本でもあるから勝つという喜びも味あわせてあげたい。
本当は良いことでもある『優しい性格』も勝負の世界ではマイナスの要因になってしまうこともある。
勝負はやっぱり負けず嫌いで『なにくそ根性』が強い人が勝つ。
だから彼には勝ってもらいたい、普段の生活では今持っている誰に対しても優しい心で、竹刀を持ったら誰よりも気迫あふれる男になってもらいたい。
そんな難しいことをついつい願ってしまう私の方が力みすぎかもしれない。
そして小学生2年生以下の基本の部に七人の子供たちが参加する。
まだ防具をつけられない子供たちの試合は体の運用と面・小手・胴の素振りで勝敗を決する。
相手と打ちあってする試合ではないからある意味自分との戦いとなる。
小さい子供たちが初めて大勢の人の前で試合をするのだから緊張するだろうし、剣道は礼法も難しいから大丈夫だろうかとか、大きな声を出して元気よく出来るだろうかなど心配をすればきりがないけど、やっぱり最後に心から願うことは怪我をしないで一日を終えてほしい思っている。
私は指導者としてでもあるけど二人目の父親だとも思っている。
勝ってほしい、それよりも強く思うことは負けた時なんと声をかけてあげようかと思ってしまう。
普段の稽古では怒ってばかりいるから怖いと思っているだろう、でも試合は包むように見守ってあげたいといつも思うし、誰よりも緊張しているのは私かもしれない。
日曜日までの数日間なにか胸に引っかかったような気分で時を過ごさなくてはいけないと思うと酸素不足の金魚みたいに、パフパフ呼吸しそうだ。
親もやっぱり緊張していると思う。
幼稚園の運動会でさえ応援する親たちはオリンピックの日本代表選手より熱い応援をわが子に贈るのだから、剣道という良く分からないけど難しそうな事に真剣に取り組んでいるわが子にはもっともっと熱い祈りを注ぐのは当たり前だ。
本当にいつもの元気でやってくれれば何よりだと思う。
子供たちの頑張っている姿を見て涙しないようにしないとね。
これは私の勝負となりそうだ。
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『剣道上達の十の心』
知り合いから剣道が上達するにはどんなことに心がけたり、どんな気持ちで稽古したらいいですか?
と聞かれたので、一生懸命稽古すればいいんじゃないですかと言ったのですが、権田さんは今までどんな気持ちで稽古してきました?と聞かれたので私の気持ちを十個ほど書きました。
偉そうにこれが剣道上達の全てなんて思っていませんが、私なりにここまで来たことのお守りみたいにいつも感じていることです。
一、
稽古で他人の注意は聞き流せ
二、
胴打ちは刺身のつま程度と思へ
三、
自分はかなり上のレベルと信じる
四、
剣道の時だけ剣道を考える
五、
結果を考えないで面を打つ
六、
無理して稽古はしないけど少し頑張る
七、
剣道の愚痴は口で言わず書き留める
八、
剣道は二人でしてると感じる
九、
稽古は強い順から掛かる
十、
避ける、下がる、いつくは下手名人
これだけですと少し捉え方のギャップがあるかもしれないので解説を付けさせていただきます。
1.
色々な稽古は良いけど、その場では注意・指導など言われる。それは良かれと思って言ってくれているが心底自分のことをわかっていないし、それによってどんな結果になっても責任はないから気楽に言っている。普段から一緒に稽古している先生や先輩は責任を感じて助言を言っている。色々な事をやってもいい剣道にはならない。まずは自分らしい剣道を身につける。心をぶらさない。
2.
剣道は面が命。胴打ちをやらなくていいというのではなく常に面の気持ちで攻め入る心でいる。狙って胴を打っても審査では評価にはならない。
3.
自分は下手だと思って稽古に取り組むより、自分は上手くなっているという明るい気持ちを持つことこそ稽古が華やかになる。どうして上手く打てないと悩むより、剣道はあきらめないで稽古すれば本当にその分成長する。自分に自信を持つ勇気。
4.
剣道していない時に剣道のことを考えるのは剣道のプロだけ。普通の人が別な時に剣道のことばかり考えていると最後はマイナスのイメージの方が多くなるし、新鮮な気分にもならない。切り替えの出来る頭の方が剣道は上手くなる。
5.
面を打つという動作はやはり隙もいっぱいできる。相手にとっては出鼻、応じ、返しもしやすくなる。だからと言ってその不安な気持ちで打てば力が入りすぎて伸びもなくなり冴えのある面にはならない。無心で打った面ほど良い面になるのは打った後の結果を考えない爽やかな気持ちが技となるから。
6.
仕事や体調の悪い時に無理して稽古してもよくはない。特に体は休ませることも稽古のうち。でも稽古をしたくないときに理由を仕事や体調が悪いと言い訳にしては剣道の神様がいざという時に助けてくれない。
7.
駄目なことや負けたこと、上手くならないこと口に出すと心は少し楽になるけどそれだけでは忘れてしまう。一時的に心を楽にさせても剣道は上達しない。本当に自分が成長したいなら残念と感じた時、悔しいと本気で思った時ほど最大なチャンス!その気持ちを忘れないで一本一本大切に稽古すること。書くと忘れない。
8.
どうしてこの人には通用するのに、この人には当たらない、全て相手は同じではないから当たり前。通じないから通じるように考えられるから当らない人ほど自分の成長につながる。まずは相手と心を合わせる。相手を尊重する。相手に感謝する。その先に相手に通じる道が見えてくる。相手を拒否したら相手だって自分を認めない。
9.
良い先生や強い先生ほど人気があるから早く面をつけないとできない。常に稽古では誰が一番かという神経も磨きあげられるし、早ければ早いほど良い先生は真剣に熱い心で稽古してくれる。先生もかかってくれることに感謝しているから。
10. 稽古で避ける、下がることは相手と切羽詰まった心ではないという証。上席にかかるなら下がった時点で負け、かかった意味さえもなくなると思う。常に先の気持ちでいればいつく事もなくなる。避けることに喜びを持っても下手になるだけ。
私がここまで剣道をしてきて感じたことですので私流なことですので全ての人に通用しませんがこんな気持ちで剣道をしていると剣道センスがない私でも七段になれた心の置き場所だと思っています。

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『川柳が載りました』
なんとここで言っていた川柳を投稿したらなんと本当に選ばれました。。
私は今迄にも原稿を頼まれたり、投稿したり、また編集部の人たちとも仲良くさせてもらっているのでとても身近に感じている雑誌なので本当に洒落半分で送ったのです。。
そうしたらなんと剣道時代から『川柳が一番の評価になりましたよ』と連絡が来たのです。
私は冗談かと聞き直したら、間違いなく載りますと言うのです。
私は『知り合いだから優遇してくれては申し訳ないから、良いですよ』と言ったら、川柳は評価を書いたりするので一切編集部ではタッチせず川柳の先生にお任せしていると言うので私たちも採用された名前を見て驚いたというのです。
それなら心から喜んでいいし、なんかとっても嬉しい気分になったのです。
そして『とれが選ばれたとおもいますか?』と聞かれ私は迷うことなくここに載せた一番最初のだと答えたのです。
『気負い無く、勢い増して、剣の道』
『審査前、勢い増して、気負い無し』
この二つはどちらも同じ意味だけど言い回しが違う。
私的には最初のがすぐに思い浮かんだしなんか力強さもあると感じていたのです。
そしてこの二つでは似ているから引き立てる意味でさらっとした川柳も載せて置いたのです。
『合格を家までそっと持ち帰る』
これで選考してくれる先生にも審査の為の川柳とわかってもらえるようにと。
なかなか策士でしょ。
そして皆さんはどちらが選ばれたと思いますか?
そしたらなんと選ばれた川柳を聞いて私は飲みかけていた焼酎を思わず噴き出した。
なんと『合格を家までそっと持ち帰る』だったのです。
それもただ選ばれたのではなく一番の評価で批評までついているのです。
一瞬私はそんなの書いていないと言ってしまったくらい記憶が薄い川柳だったのです。
だってこの最後の川柳は引き立てようとして三秒で浮かんだ噛ませ犬みたいなものだから意識が薄かったのです。
そのくだりを話したら編集者の人と心の底から失笑。
人間て言うのはえてしてこんなことがあるのですよね。
編集者の人いわく『とても自然で、心配して待っている家族に連絡しないで、家に帰って驚かせて、より一層盛り上がれますね』
複雑。
まるっきりそんなこと考えて作った一句ではないし。
でも、納得。
最後は編集者の人にも八段審査もこんな感じの自然な気持ちで受けたら良い結果になるんじゃないでしょうか?
と薄い笑みを浮かべられながら言われてしまいました。
仲間に気負うなと言いながら一番気負っているのも私かもしれませんね。
景品として頂いたクオカードは息子にあげた。
その時に『力むより自然が良いぞ』と言う私。

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『気負い無く勢い増す』
日本語というものは本当に不思議だと思う時があるし、落語を聞いているとそれがとても良く感じることもあるし、剣道理論も七段になってやっと半分位理解できるようになったのかもしれないと感じることがある。
日本語の解釈で外国の方が戸惑うのはある家に招かれご飯をごちそうになりそこの奥さんが『ご飯お代りいいですか?』と言うので『いいです』と言ったら、お代りをくれなかったと言う事を聞いた時、一瞬なにも不思議ではないけど外国人の人には「いいか?」と聞いているのだから欲しいのはYesだと思ってその言葉通り「いいです」と答えたのだと言う。
ここの最初はどうですかと聞いている「いい」で、答えの「いい」は結構ですと日本人は解釈してしまう。
日本人同士ならこんな説明はしなくても自然と理解している。
剣道もこの言葉のように主語と言うか明確なポイントをはっきり言わないので戸惑うこともある。
私も最近になって感じたことは、面打ちは『思い切って遠い間から捨てて打ちなさい』と言う言葉の意味。
剣道やっている人ならほとんどこの言葉を聞いたこともあるだろうし、子供たちを指導している人なら注意として言ったこともあると思う。
本当にそうだかどうかわからないけど私は今迄の教えてもらったことをただ覚えると言うより、自分らしく理解して頭で考え体で覚えようと心掛けている。
だから本来の意味とは少し違うのかもしれないけど自分らしく正しい方向に進めるならと思って考えている。
この『捨てて面を打つ』と言うのは思い切って体を投げ捨てるように打てということだけではなく、自分の感じてしまう、『恐さやもしかしたら返されるのではと思う不安な心を捨てて打つ』ということも入っていると思う。
それはなんで感じたかと言うと子供たちに捨てて面を打ちなさいと言うと剣先の触れ合ったところから少しでも入ると何でも良いから面を打つのを見て感じた。
この子の『捨てる』というとらえ方は何でも良いから遠くから打つということなんだと思って聞いてみたらやはり『先生が捨てて打てと言うから竹刀を捨てるように打ってる』と言った。
小学生の低学年の子供なら元気もあり立派なことだと思うけど、ある程度の経験を積んだ人はただ投げ捨てるのではなく、恐怖心や疑う心などの精神的な自分の弱い部分を捨てて打ちに行く。
だから何にもしないで遠くから打つんじゃなく、誰だって相手がいれば何をしてくるかもわからないし、この距離から打って当たるともわからない、それが邪魔な心になるならその自分の弱い心が強い心に変われるように気合いを漲らせ、竹刀の攻めとして相手を逆に弱い心にさせそれが自分の力となり勝ちとなった時自分を信じて全力で打ちぬく。
私はこの『捨てて面を打て』というのは闇雲に打てではなく、自分の心の弱さを捨てて面を打てと思っている。
何事も教わる気持ちでは上手くはならず、まずは自分が本気で何に一番興味を持つのかと言う事をしることこそ一番の近道と思っている。
良い先生に習っていても上手くならないという事を聞いた時、その人に『本当に全てのことに対して反論する心もなく、信頼しきって素直になっているのでしょうか?』と聞きたい。
本当に上達したいな『良いとこどり』的な心を捨てて、もしかして少々は間違っている所もあるのかもしれないけどそんなことよりこの人を信頼しているかどうかということが重要だと思う。
だから私は信頼する仲間を大切にするし、弟子や教えている人には心の底から信頼してくれたら望みをかなえるために一緒に歩いて行こうと思っている。
京都に八段を受験する仲間に私は『今のあなたはとってもいい感じだから自分を信じて頑張って下さい。そして勢いを増して、気負いをなくして面を打って下さい』と言った。
この言葉も日本語の面白いところで『いきおい』と『きおい』だ。
一文字の『い』があるだけで迷いのない良い言葉なのに、『い』がないと不安で揺れ動くように感じる。
彼からは『気負いを無くして、勢いを増すは永遠の課題ですね。これができたら八段になれますね』と返事をくれた。
この感覚の返事で私は彼は合格すると強く思った。
自分なりに自分の言葉として理解したんだと思ったからだ。
さすがだねとこっちが嬉しくなった。
日本語は色々な言い回しががあり、似ている言葉があるけど、全然違った意味ということもあるし、言葉の中に隠されている意味もいっぱいある。
私は小説も書いたことがあるけど、ある小説家の人が言った言葉がはっきりとわかるようになったらもっといい文章を書けるかもしれないと思った。
『行間に隠されている心を読み取る』
書いてある言葉の裏側ではなく、行間とは文章と文章の間、要するにそこには何の字もない空間。
これで何を・・・・・、そしてどんな心を・・・・、私にはわからないけどこれが余韻であったり、剣道の残心であったり、また形に現れない攻めであったりするのかもしれない。
目で見えることは『実』ではなく本当は『虚』なのかもしれない。
目で見えないものこそ本当の『実』なのかもしれない。
恐いのは相手や社会や学校や人間関係ではなく、自分の弱さだと私は思っている。
堂々としている人を見ると本当に素晴らしいと感じ、少しでも近づきたいと願っている。
私の周りにはそんな人がたくさんいるから私は幸せだと感じている。
ここで一句。
『気負い無く、勢い増して、剣の道』
または
『審査前、勢い増して、気負い無し』
剣道時代の川柳部門に投稿するかな?
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『肉離れも治りかけ』
稽古と試合で痛めた肉離れもなんとか良い方向になり、痛みもなくなってきた。
ただ整骨院でもまれるとまだまだ痛い。
でも普通の生活には支障が無くなってホッとしている。
ただ今恐いのはまたやるんじゃないかとの不安な気持ち。
なにしろ痛かったし、それ以上無理したらアキレス腱が切れたかもしれないと思うとやっぱり怖い。
医者には三ヶ月間くらい休ませてからと言われているけど一ヶ月たったことだし、三月からは少し強めに稽古していこうと思っている。
この足になって良かったと感じたのは、痛みの箇所が足だけに相手との距離感や間合いや要するに技を起こす前の動作、起こりが大切だと言う事を再認識できた。
足の痛みがなければ少し遠間から入れるし、とっさ的な相手の攻めにも対応できるから堂々としてられるけど、足が痛いから少しでも前に詰めなくてはいけないと思ってしまって、勢いをつけるように間に入ってしまう。
攻めて勝って打つのではなく、距離を勢いいをつけて詰めて当てるという動作になってしまう。
だから相手はそれがわかってしまうから大したこともないし、剣道は相手の心を読むのではなく、相手が何を次に打とうと動作を起こすことを見極める。
これだけで全くと言っていいほど当たらない。
源流舘は七段が多いいから当たり前なのだけど、改めて源流舘は少しでも良くないと見極められてしまう。
でも今回のように足を痛めて打たれることも良いことだと感じたのは、技の起こりがこんなにも大切だと言う事が再認識できたことや、左足が痛いので上段を取るようになってかなり上手くなった。
でも上段は痛いです。
突きは打たれるし、小手は打たれ慣れていない左小手だし、逆胴は外されたりと痛いところがまた増えた。
何事も今まで通って当たり前だけどそれが一番いいことなんですよね。
健康も病気になってからそのありがたみがわかると言いますしね。
暖かくなるから関節の痛みは和らいでくれるけど、これからは暑さとの戦いだと思うとそれも大変だ。
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『肉離れは味方?』
冬になると古傷が痛むというか、左足の脹脛(ふくらはぎ)をよく痛めてしまう。
七段を受験する前はアキレス腱も悪く、左足の裏側がすべて痛いと言ってもいいくらいだった。
その時からの付き合いだからもう15年は無理すると痛い。
その都度病院に行くと答えは同じ『肉離れです。三ヶ月は安静にして下さいね。』アキレス腱の時なんかは医師から『こんなに腫れているということは、どお言うことだかわかりますか?中で半分切れている状態で本来ならギブスしてもいいくらい悪いんだよ』と言われながら絶対に休まないんだろうねという目であきらめていた。
そうなんですよね、休むのはいいのですが道場には嬉しい仲間がいるから稽古に行きたいんですよね。
またなんで冬に足を痛めるかはやはり寒いからだし、正月の休み明け出し体も慣れていないからだと答えは簡単なんだけど学習能力の乏しい私は同じことをやってしまう。
私はお酒の学習能力もない。
お酒を飲む時も毎回今日は軽くしておこうと思うのに3杯目のウーロンハイを飲み終えるともう今日もとことん飲んでしまうスイッチが入ってしまう。
でも今年は二日から稽古しているし1月は12回の稽古をしていたから足は大丈夫だと思っていたけど先週行われた試合の為の合同稽古会で楽しくなって若手と頑張って稽古した時左足に痛みが走った。
ああああ、もしかしてまたやってしまったか?
ちょっとした痛みであってほしいと願ったけど翌日も少し痛い。
その後水曜、木曜と稽古した時に徐々に痛みや張りや違和感が増している。
でもなんとかなるかと思いつつマッサージや湿布してもあまり変わらず試合になった。
本当にもう少し動かなかったら変わってもらおうとさえ考えたけど、こんな土壇場で代わってもらおうなんて皆にも迷惑かかるし、会わせる顔も無くなってしまう。
だから試合にいってなるべく引き分けを目指して頑張ればいい、だいたいここ数年体は元気でも試合は引き分けばかりだしと思った。
相手を見てこれは引き分けもたやすくないと思った。
知ってる相手でもあるし今まで勝った記憶もない。
よくよく考えても相手はその区を代表する選手なんだから弱いわけはない。
試合は何があるかわからないし、勝ちたいと思って気合いを出し攻撃するから相手も打って来れないから結果的に引き分けとなる。
はじめから引き分けと気を下げてしまうと相手に悟られどんどん攻撃されて結果負けとなってしまう場合が多い。
じゃこんな時はどうすればいいか?
長年剣道や試合を何百回としているとこんな時は欲をかかずただひたすら頑張ること、そうすればそんなに悪い結果にはならないと信じている。
そのことを信じて試合をすると神様は応援してくれているのか、相手に打たれても旗は一本しか上がらずなんとかしのぎ、一本取るならまずは竹刀を振らないと一本にはならないから、足は出ないからとりあえず近間の時に何回か振ってみると軽く当たった面が一本だけあった。
かすっただけでも良いかと思っていたら旗が上がってくれた。
うわ〜〜〜〜、一本取った。
その一本は時間間際だったので相手は残り30秒を怒涛の如く攻めてくる。
ここで打たれてはまたまた皆に申し訳ないと必死に頑張りなんとか勝った。
こんな足の状態でいつもなら勝てそうもない相手に勝った。
そして足はほとんど痛いのを通り過ぎて歩くのがやっと。
二試合目はもう左足が使い物にならないから上段を取った。
稽古では時々するけど公式戦は初めて。
さっき勝ったんだし、今回は負けてもなんとか許してほしいと思って構える。
やはり初めての上段だから痛みもあるけど緊張もしているし、やっぱり試合だから勝ちたいと本能が前に出る。
そしてこのまま時間までやっていると足がどうなるのだろうかわからないので勝負に出た。
小手を攻めてそのまま担ぎ面で行こうと一瞬感じた。
この技なら諸手で面に行けるから外れても避けもしやすいと思ったからだ。
そしてその技を打つために小手に気持ちを入れた時激痛が走った。
そうだ、この技を打つ時体重の移動があり左足に重力が何倍もかかる。
なんとも一番大切な事を忘れてた。左足にこんなに重力がかかることを。
いくら緊張してて痛みが忘れかけていると言ってもこの時ばかりは『グキ』っ音が鳴るような感覚があり力が抜けた。
それが良かったのか面が決まった。
苦し紛れで上げた上段で一本当たった。
でも完全に足が壊れてしまった。
もう蹲踞さえできないかも・・・・・と不安になる。
でもまだ試合は続いている。
二本目はもうどうにでもなれという気持ちと動けないと開き直って上段に構える。
相手にはこんな状態とわからないように少し前に攻める、そうして私が考えていることは一つだけ。
相手が出てきたら片手で面を打つ!
そのためにはさがれない。
そしてなんでもいいから動いたら打つ感じで打った。
手に良い感覚があった。
面が当たったんだ。
本当に当たったみたいだ。
応援してくれている人たちの少しどよめいている声も聞こえた。
『俺もしかしたら上段上手いのか?』と錯覚さえ浮かんだ。
その後はもちろん普通には歩けない。
本当に剣道は不思議だ、こんなに最悪な状態の時ほど試合に勝てる。
無心にやるから邪念も無駄な力も抜けてできるから結果がいいのかもしれないのかとも思った。
仲間から『勝ちは嬉しいですね!勝ちの代賞は足の痛みですか・・・・、複雑ですが、しばらく安静にして下さい』と良い言葉をもらった。
今日はその足を引きずりながら仕事しているとお客様から、足どうしたのと言われて、剣道の試合で肉離れになってしまいましたと答えた。
でもなんか納得して試合したからだし、試合に勝ったからだけではなく、頑張れた自分に心が晴ればれとしていた。
もし試合をキャンセルしてたらこんな感じで晴ればれとはしていなかったと思う。
無理することはいけないけど、出来る範囲の頑張りはしないと次はないと思った。
ここに書いててつくづく思ったのは皆に迷惑かけないで良かったな〜〜〜と感じた。
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『初稽古』
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
昨年で50歳になりもうそろそろちゃんと生きていかないとダメだと頭の片隅に思い始め、さて何をするか?どんな心構えで時間を過ごそうかなど私も考えた。
偉いでしょ!
この私がこんなことを考えるなんてやっぱり歳を重ねるって趣味趣向が変わるようにこんな私でも少しはまともな事を考えるのですよ。
とりあえずなにをしっかりすると考えた結果、やはり仕事だろうなと考える。
そして後は剣道や人との接し方や行動・発言などしっかりしないととなんとも正しい方向性。
でもふと頭に浮かび直すことは仕事と剣道は相反するものと思う。
この相反するというのは時間の制約という意味で心の面では本当に一緒だと感じている。
目先のことを考えれば少しの結果重視になって厚みのない剣道や仕事となってしまう。
とは言うもののかたくなに地道な事ばかりでは周りにも迷惑なる。
そしてなにより相反すると言った時間の制約は本当に難しい。
仕事を頑張れば稽古の時間が少なくなり、稽古を優先すれば仕事がおろそかになる。
先日も大変お世話になっている会社の大量のコスチュームの集配日が変更になり担当者の人と話した時『仕事を頂いている私が言える言葉ではないのですが、その日の時間帯は都合が悪いのですが別の日にして頂けますと助かるのですが』と言った。
担当者の人も三年位付き合っているので表情でだいたいのこともわかる。
配達日を変えると言うのは気まぐれではなく会社の事情で変えてくるのだろうし、今までもどんなことにも対応してきた。
だから担当者の人も珍しい?どうして?と顔が少し曇った。
そうだできない内容を言わなかったからだと感じた。
あまりの突発的な日程変更だったので戸惑ったからだ。
なぜ配達ができないのかは去年から始めた子供たちの剣道道場が重なってしまったからなのです。
以前からこの担当者には剣道をやっていることはふだんの会話でも話しているので知っているし、理解もしてもらっていた。
でもやはり仕事は仕事だからどうしてもダメだと言われれば私は仕事を取らざるおえないとも思っていた。
そして剣道と重なってしまうことを伝えると担当者の人は内容が剣道だとわかり笑顔で『それはダメですね、わかりました翌日の朝一番でも良いのでそちらにしましょう』と言ってくれた。
(この書き込みを道場の関係者が読んで錯覚しないで下さいね、私は喜んで新しい道場で稽古をしています)
限られた時間しかないからどっちと言われる状況もある。
それを感じた時、剣道をするっていうことは色々な人の協力があってこそできるものなんだとつくづく感じる。
だからこそ一回一回の稽古ができる時に感謝と心をこめてやるということなんですね。
そして今日正月の三日目に稽古に行ってきた。
本当は右肘の痛みはあるし、冬の稽古は何度かやって肉離れや肩など痛めたので躊躇していたけど、弟子から正月の稽古仲間がたくさん来てますよと連絡があり、ちょっと休もうかと思っていた心が行く気になった。
そしてこんなにもたくさんの稽古人がすごい楽しそうに盛り上がっている。
来てよかった!とつくづく思った。
しっかりやるというのはたくさん稽古することも一番大切だけど、出来る時にやりしっかり意味を持ってする。
また人に教えられた感じがした。
家に帰り、こっそりビールを持ってお風呂に入りながら飲む。
まさに温泉気分!
お正月だしこの位は許される範囲内だと自分に納得。
そして今日の稽古を考えた。
私は出来なかったけど弟子たちがY先生にかかる姿を見て嬉しくなった。
絶対にいい加減に打たせることをしない先生に対して気持ちが入ってか前から攻め、そして打った時『おおお』という感じがあった。
もちろん有効打などにはならないけど、竹刀の先の心が先生に通じたと感じた。
ずいぶん成長したなと思い、本当に嬉しかった。
私も元に立っているとU先生がかかってきてくれた。
この人は年下だけど私の方がお願いしたいくらい素晴らしい剣道。
審査みたいな大きな声で気合いを出した。
本当に素晴らしい剣道だなぁと稽古してても感じた。
いつも思うのは剣道はやり終わった時の爽快感はどのものにも優っていると思う。
新年稽古は剣道人にとってお年玉なのかもしれない。
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『納会』
早いものでもう年末なんですね。
八段を受験してから三年目が過ぎ、審査が終わるともう今年もあと少しで終わりだという感じが身についてきた。 季節や年度替わりに何か行事的なものがあると目安になるけどその都度一年て早いなと感じる。
子供の時はとっても一年が長かったと思っていたけど、20歳過ぎて年数がかさむほど一年が早く感じるよと言われた言葉を今実感している。
特に今年は夏から子供たちの指導教室を担当して、色々と準備や書類や日程表、月謝の管理、運営とやってきたから一ヶ月一ヶ月が早く、書類整理など間違えないようにとか気を使っていた。
すでに源流舘で澁谷区剣道連盟に対しての登録や試合申込などはなれているし、この剣道教室も連盟の方からの依頼なので流れはスムーズで何も問題はなかった。
ただ初心者の子供たちばかりなのでどんな風に剣道に興味を持ち、厳しい稽古を乗り越えようと言う心になれ、礼儀を重んじられるかと、私なりに毎週考えて稽古に行った。
時間が早くたつというのは楽しい時間が多いいからだと言った人がいたけど、そう考えると『私にとって楽しいこと?』って・・・・・・。
失敗したことや不運な事や病気の事、失恋したことなどその数を数えたことはあるけど、『幸せの数』はなかなか数えられない。
簡単に行ってしまえば一年間何回笑っただろうか?
そうそんな数、かぞえられないのですよね。
新しい道場を担当になってからほとんどの人が私のことを気を使って『仕事もあるのに剣道指導だけではなく、道場の掃除から(仲間も手伝ってくれます)書類管理、会計まで全てをやるなんて大変でしょ』と言ってくれます。
本当に嬉しい言葉をかけてくれます。
でも私はきっとそんなこと大好きなんでしょうね。
嫌いだったら私はやらないと思います。
この子たちは絶対日本一にさせてみたいと今願っているから一回一回の稽古が楽しいのです。
孫みたいな幼稚園生に大きな声で本気で指導して誰よりも汗をかいて、急に素振りを増やしたものだから右肘を壊し審査の時も痛みが走りしびれた状態だったけど、それでも後悔どころか自分の体の弱さを教えてくれたのもこの場なんだと感謝している。
子供たちの成長は親も喜んでくれている。
以前は剣道という次元ではなく、まして正座、礼なんて無縁の世界。
子供たちは道場を好き勝手に走り回って竹刀を遊び道具にしている。
半年が過ぎ今では道場に入る時には大きな声で『お願いします』と挨拶をして、すぐに剣道着に着替え準備体操や素振りを始める。
正座をして礼をすると稽古前に私は必ず10分近く話をする。
幼稚園生に10分間の静かに落ち着いて正座がどんなに大変なことくらい私もわかる。
私の子供の時の通信簿にはいつも『もう少し落ち着きがあると良いですね』と必ず書かれていたから、一番じっとしていることが辛いことは我身が知っている。
その話も毎回同じではつまらないから(聞いている人ではなく私が)色々な事を角度を変えて考えて話す。
車の中で聞いている落語が本当に役に立っていると思う。
先日数えたら落語のCDが50枚を超えていた。
もちろんツタヤで借りてダビングしたり、プレゼントしてもらったり、買ったものは一枚しかないけどその全てが私の喋りの教科書となっている。
子供を指導し、成長を感じ、我身も話し方も磨け、そして何より皆と仲良くできていると感じられていられること。
だから水曜日は昼ごはんはほとんど食べずさっさと仕事を片づける。
その事が出来るのも健康なんだからなんだと思ったりする。
報酬もないのに仕事を早引けしてもやりたいと思う心が先にあるから楽しいと感じられる。
そして昨日年末の納会をした。
皆勤賞が二人いたことに感動した。
賞品を買う時もこの子が少しでも喜んでくれる物を探しいてる時間も楽しい。
まだ教室も始めたばかりだから会費もまだ貯まっていないから大したものはあげられないけど、出来る限り多くの子どや一般の人に心を、感謝を伝えたかった。
私へのご褒美は納会の時に皆が一言づつ言ってくれた言葉だった。
その話しの中でも一番嬉しかったのは、いつも孫の稽古を見学してくれている方が『権田先生のはじめのお話や指導中の言葉を聞いていると声に強弱があり、聞きやすく内容や大切な事が心に残ります。』と言ってくれた。
まさかそんなこと言ってもらえると思わなかったので、気を許していたら嬉しくて涙が出そうになった。
本当に歳を重ねると涙腺が弱くなってしょうがない。
源流舘でも納会日と私の誕生日が一緒になり皆が私の為にプレゼントやケーキやカードを頂いた。
こおいうのが私は一番弱いんです。
そこに我子がいなかったら間違いなく涙していたと思う。
そしてこんな言葉をもらった。
『あなたが望んでいるすべてが実現しますように。』
本当に幸せを感じた。
来年もこの感じならとても早い一年となるのかもしれない。
少しでも早く皆に恩返ししないと一年が終わっちゃうな。
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『八段への本心』
八段は最高段位と言うだけではなく私にとってはおぼろげに見える陽炎のように感じていた。
と言うのも本当に私自身にとって剣道とはなに?と問いかければ『私にとって剣道は心の自信』と思っている。
それは集中力・持続力・運動能力が無い私を支えてくれたのが剣道だから。
辛い剣道だからこそ乗り越えてきた意味が深い。
何事も中途半端で投げ出し、辛い事、努力をしなくてはいけないことはすり抜けてきた子供時代。
でも剣道と知り合い、こんな俺でも逃げずに乗り越えられたと言う自信ができた。
でもやはり剣道は今でも辛いから休めるものなら休みたいと思っていることも本心。
でも八段の先生たちのお話や行動を見ていると『剣道は命』なのです。
ある八段の先生が病気で命を落としそうな時に医師がこの処置をすると剣道を含め激しい事はできませんがよろしいですね?と聞いた時、その先生は『剣道できないなら生きている価値はないのでそれはしなくていいです』と即答したらしいです。
その話しを聞いて剣道はただの剣道じゃなく『命』だと思った。
私がその状況ならたぶん剣道を取らないと思う。
だからと言って本気じゃなく、どうでも良いと思って八段を受験していない。
でもこの差が大きいと思った。
そんな時一枚の葉書が手元に届いた。
それは八段審査の結果だった。

この葉書を見たとき思わず笑ってしまった。
それはどんな気持ちかと言えば言葉には表せないけど、一番近い気持ちで表わすとするなら『Cの極めて厳しい評価です。じゃなく、Aのもう一歩?この俺が?本当か?範士八段の先生が俺に3人評価してくれたのか?・・・・』
というのと不合格だけどちょっとは良いのだと感じたから笑顔になったのかもしれない。
そしてその葉書を見ていたら涙が出てきた。
この涙は今まで剣道を一緒に歩んできた人たちの顔が浮かんできたから。
初めて剣道を教えてくれた先生、試合に勝てるようにしてくれた先生や今まで一緒に稽古してくれた仲間や弟子たちのこと。
こんな俺が七段になれたことでさえ皆のおかげなのに、八段受験で範士八段の先生が俺に3人評価の丸をつけてくれたことに、皆本当にありがとうの気持ち。
これは仲間との信頼関係があってこそと改めて思った。
本当にありがとう。
これが涙となった。
そして次に感じたのは涙の種類が違うなと思った。
感謝の涙は良いと思っているけど、その涙の中に悔し涙とならない限り八段はまだまだ幻のままだと感じた。
そしてまた自分の審査ビデオを見て改めて感じたのは『勢い』が足りない。
もちろんそれだけではなく全てがまだまだ未熟だと思うけど一番足りないと感じたのは『勢い』このビデオを撮ってくれた仲間に心から感謝したいと共に応援をしてくれた人もそれを感じたのではないかと思った。
なんでもそうだけど出来ることから私はやって行く事を心がけている。
次回の審査まで勢いを何よりも一番に考えて稽古しようと思った。
でもだからと言ってなんでもかんでも打ちまくるとかではなく、構えからにじみ出るような気迫や打った時は打ちぬく勢いを考える。
そんなこと今更といわれるかもしれないけど私にはそれが足りない。
私の審査ビデオを載せました。
良かったらご覧下さい。
最初と二組目の左から出ているのが私です。

今真剣にできる健康な体にも心から感謝。
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『八段審査』
またこの時期が来たという感覚よりもいよいよ来たかと言う感覚に今回はなっていた。
自分の中では三回で一応の区切りとして考えていた。
三回終わったから受けないというわけではなく、三回目には何らかの形を作りたいと思っていると言った方が正しいかもしれない。
四回目は自分が納得する時、または館長が受ける時にとも思っている。
今までの八段審査を自分なりに分析すると一回目はただ面を打とうと思っていた。
そこには相手とのやり取りもなく、形だけの思いっきりさや空回りした気合いしかなかった。
弟子についてきてもらって今でも申し訳ないと反省しているのは受ける前から記念だからと口にしていた事。
記念で受かる気がない師匠を弟子は合格してほしいと願って会社を休んでも来てくれている。
こんな状態で受かるほど剣道の神様は甘くない。
というより応援してくれる人たちに失礼と感じた。
受験するまでに10年の稽古時間を決していい加減にしてきたわけでもなく、指導も真剣だし、後輩や弟子たちにも真面目に稽古してきた。
その集約の審査に立ち向かうのに謙遜とはいえ受からないよと言う言葉ははじめから受からないですと言われているのと同じでした。
だから二回目は一年間審査の事を思い、悔しいと落ちて本当に思うのだったら、受かって一緒に涙したいと思った。
そして去年の審査は二人目の後半に打った面が自分でも打ったこともないような面が決まった。
でもそれは二人目の後半から良くなっただけ、全体を見合わせれば四分の一にしか過ぎない。
二人とも良くなければ一次合格はあり得ない。
でも少し進歩、成長はしたと思ったし、何よりも受かりたいと強く願っている自分がいた。
そして今回の三回目は絶対に受かると口にした。
七月から始めた剣道教室には幼稚園生や初心者の子供たちが10人位来て礼法や素振りを何回も見せたり、一本一本真剣に降ったおかげで右手の肘に痛みを感じるようになってしまい、稽古量を増やすとやはりどこかに支障をきたす、それが古傷の右腕の肘に来た。
今までなら痛みの始まりは無理しないで治すために休むのだけど今回は始めた道場に来る子供たちの目を見たくて休まず素振りをしてついには竹刀を持つのも痛くなってしまっていた。
こんなことは剣道をしている人ならだいたい経験をしていることだしさして珍しい事でもないと思うが、それが八段審査前かと思った。
通称『ねずみ』というやつらしいです。
いままでもそんな時は注射をしてなんとか乗り越えてきたのだけど出来ることなら注射はしないで乗り越えたかった。
それとなにしろ筋に打つ注射だから痛いんですよ。
注射を打つ前に麻酔の注射を打ってくれないかと言うくらい痛いのです。
今までに10回以上は打ってきたから慣れていると言えば慣れているんですけどね。
でも今回は打たずに審査を迎えることにした。
前日はお酒は薄い水割りを一杯だけ飲んで10時頃に寝た。
寝つきの良い私は寝るんだけど1,2時間おきに妙な夢を見て起きるのです。
でも寝られるのですが、またすぐに夢で起きてしまう。
そんな事を5,6回繰り返すと自分では寝ているのか起きているのか変な気分になってそれだったらかえってしっかり起きていた方がいいのかもと思ったくらいだった。
やはり今回は神経が高ぶっているんだと思った。
意識が強くなっている時ほど精神状態は良くなくなる。
朝を迎え支度を済ませ日本武道館に向かう。
少し渋滞で焦ったけど時間前には入った。
右腕はやはり痛いけど着替えて竹刀を振る頃にはその痛みさえも忘れていた。
第二会場の三列目と言う早い立会でホッとした。
後ろの方だと気の溜りが抜けていきそうだからやるなら早い方が良いと思っていた。
いよいよ一人目だ、Aなので一回やってまた最後に出るということになった。
二階には仲間が応援に来てくれている、打たれてもいいからみじめな立ち合いだけは絶対にしたくないと思った。
『はじめ』の声にスッと立つ。
緊張している気持ちを、大きな声に変えて出す。
少し落ち着いたと感じた。
昔からそうだった大将戦で出て行く時の前が一番嫌だった。
勝つことよりも負けたらどうしようとばかり頭をよぎるからだ。
出来ることならここから逃げ出したいと思ったことは毎回だった。
剣道は二人でやるものだから自分だけ舞い上がるな、相手に先を取られるな、気を出さず気を貯めろと自分に言い聞かす。
そして面に出る。
やはりそんな感じで面に出ても一番大切な勢いがない。
審査の優先順位はまず勢いだろとあらためて感じる。
相手は小手に来た、瞬間に小手だとわかったけど面に行った、なんとも私は中途半端な技だ。
でも態勢は崩れなかった。
その一本目が気持が乗り遅れてしまい後はあまり記憶がない。
残ったイメージはモヤモヤとした感じ。
これでは受からないどころか応援に来てくれた人に申し訳ないと思った。
その後一度下がり二回目の立ち合いの時に右肘が痛いと感じた。
心の中ではこんな時に痛みの電気が走るなんて困った。
一人目の立ち合いもなんとも言えないのに、もうどうにでもなれ。
頭の中では突きでも打とうかと思ったくらい言葉で表せば『ガーーーーー』って感じ。
そうしたたら右腕が痛いから右手が開く、心の中では打つなら打って来い、そんな感じが少し構えが大きくなったことを感じた。
なんだこの感じ、開き直りってこんなことなのか?と思った。
そうして相手との動きもわかるけど、それより勢いでつぶしてやると気合いが出てる。
竹刀を握っている右手には力が入らないのが良かったのかもしれない。
そして一本目に面が決まった。
面越しに相手がしまったと表情が曇った。
これで私はいきなり心が落ち着いた。
次も面で行こうと思ったけど相手の焦りが手元に見えたので、小手と行きなんとそれもいい感じだった。
後は焦らないと思い終了した。
礼を済ませ審査会場を出て二階にいる皆には少し胸を張って会えると思った。
それだけでも私は嬉しかった。
今回は二人目が良かったので発表に期待をした。
合格発表の紙には私の番号はなかったけど一回目より二回目、それよりも三回目の今回の方が成長していると感じた。
審査は自分がどうだと見極めるのではなく、審査員の心を動かさないとダメだから今度はその心を動かす勢いを修行しないといけないと感じた。
一ついい所があると感じれば、またいくつかの至らないところがわかる。
剣道は絶対に惚れちゃいけない女性に恋してしまったみたいなものですね。
お互いに愛し合うことができたら八段合格できるのかもしれませんね。
『恋』は心が下にある『下心』
『愛』は心が真ん中にある『真心』の違いですね。
剣道の神様がほほ笑むのを願ってまた稽古していきます。
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『審査は愛情』
物事を続けるということは、なかなか難しいから継続は力なりと言う言葉があると思う。
楽しいことばかりではないし、辛い事や、嫌なこともたくさんある。
特に剣道はただストレス解消だけではできない。
やはり格闘技と言う部分が大きいから打つことだけではなく、打たれることの方が多いいし、稽古は二人でやるから自分が辛くても勝手には止められない。
剣道は選手生命も長く、なにより段がある。
他のスポーツなら過去の栄光だけで地位的なものを保っていられるかもしれないけど、剣道はいくら過去に全日本に出たからと言って生涯ずっと上席になんて座れない。
もっと言ってしまえば日々努力をしていることが意味があり、次の世代の人にも手助けをすることが本来の剣道だと思っている。
私も今回三回目の八段審査を挑戦させてもらう。
まさか学生時代の剣道からここまで来るなんて予想もしていなかったけど、周りに恵まれたとおもっいいるし、なにより心通じ合える仲間と稽古していると実感できているから続けてこれたのだと思っている。
今回は源流舘で日頃から一緒に稽古している仲間も八段審査に行く。
今週は八段審査三人、七段一人、六段一人、二段一人と審査のオンパレードになっている。
もし全員合格だなんてことになったら、他の館員の人は合格お祝いはいくら出さなくてはいけないのかと心配してしまう。
今は合格率がとても厳しいと言われているけど、0ではなければ真剣に望みたい。
そして何より感じることは仲間の愛情だと思う。
皆仕事を持っているし忙しいと思う。
それでも普段はなかなか来れなくても、時間をやりくりして師匠が心配して稽古に来てくれたり、弟子が心から頑張って下さいと稽古に来てくれる。
それだけでも嬉しくて涙が出そうだ。
今は稽古前と稽古あとに剣道形をやっている。
あんなに不得意な形の稽古が楽しく感じられてきた。
興味を持つって今まで見えなかった事が見えるんですね。
歳を重ねると趣味趣向が変わるというのもそんなことなのかもしれませんね。
先日師匠との稽古を撮りました。
http://www.youtube.com/user/gonyosikazu
いつまでも大きな山だから登りがいがあると思っています。
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『言葉より稽古』
先日後輩が稽古に来た。
源流舘は幸せなことに色々な人が稽古に来てくれる。
知り合いからの紹介や、HPを見てきてくれる人や学校や職場の関係など最近はとても道場が狭く感じるほどたくさんの人が集まってくれ、ありがたい反面道場が狭くて本当に申し訳ないとも感じている。
彼は高校からの後輩で歳は離れているれど身近にも感じている。
学生時代からとても奇麗な剣道でありながら試合もとても強い。
卒業生の中でも三本の指に入るほどの理想的な剣道でもあるし、人柄もとてもいいし、社会人になってからも実業団で優勝をしたり都道府県大会や国体の東京都の代表になり好成績を残している。
特に今年は全日本選手権の東京都予選ではあと一つ勝てば全日本出場の権利を取れた。
ベスト8では全日本には出られない。
本当に言葉には言い表せられないほどこの悔しさは計り知れないと思う。
後で知った私たちでさえなんとも残念と言う言葉だけでは処理できない。
それはやっぱり同じ道を歩んできただけに、そして私たちも多くの試合を経験してきたし、嬉しい思いもしてきたけど、負けて辛く一敗の重みをしているからだ。
剣道を趣味やストレス解消でしているという人もいるけど、大半は剣道をしている人はある程度の目標をもってしていると思う。
それが試合だったり、昇段だったり、子供たちへの指導だったりと真剣な部分がないと剣道をしていても張りがないと思う。
いつも感じているのは剣道は一人ではできない。
大切なのは環境。
自分だけ真剣になろうと思っても周りがそんな状態でなければやはり限度があるし、なにより大切な仲間がいて、信頼できる師匠がいる、それが真剣な空気となると思う。
その後輩と師匠との稽古を私は見ていた。
お互いすっと立つ姿は久しぶりに剣を合わせる感じには見えない。
もう卒業して15年は経っているだろうし、卒業してからは一年か二年に一回くらいしか稽古していないのに、なんとも構えて気合いを出し合い、攻め合いをする時には力みも無駄な欲もなくしっくりしている。
これが今までしてきた師弟関係なんだと我身も含めて思った。
当てたいとか、良い評価をしてもらいたいなんかそんな打算はない。
彼が面に出る。
その技に師匠が受け止めるかのような技がかぶさる。
今度は師匠が飲み込むような攻めから面に出ると引き寄せられるような間になりすごい技が決まる。
見てても『打たれたからどうだ!』と言わんばかりの心、体の芯が壊れない。
数分二人の稽古を見ているとなんか会話しているように感じてきた。
私の中ではこんな会話に聞こえてきた。
『学生時代から色々お世話になり試合でも頑張って来ました。今年はもう一歩の所で負けてしまい本当にすみませんでした』
『選手として続けていく最後の年かもしれないと思いますし、ここを頑張った方が良いのか、それとももうそろそろ選手としてではない剣道の道を歩んだほ方がいいのでしょうか?』と聞いているように感じてきた。
それを言葉で聞いているんじゃなく、一本一本真っすぐに大切に全力で打ち込む事で稽古を通し心で会話しているようだ。
『まだ選手として諦める時期じゃない、あと一歩ならその一歩を踏みこんでから止めても遅くはない。』
『剣道の試合は年齢でするもんじゃないよ、自分の気力年齢が大切だよ。打ち込む気迫、勝ちたいという意気込み、愛する人に喜んでもらいたいと思う心があれば頑張れ』
と師匠は言っているように感じた。
最後はすごく爽やかでありながらも力強い面が彼の心に決まった時お互いの礼は終わった。
少し年齢を重ねてくると師弟関係でありながらも言葉にすることは少し照れくさいこともある。
でも剣道はそのことを言葉にしなくても稽古で相手が何を言いたいのかがわかるし、そしてそのことを竹刀という筆に置き換えて心に書き込む。
それが大切な一ページとなるのかもしれない。
言葉で交わすことよりも、このことの方がより残る。
言ってくれなきゃわからないという言葉を耳にするけど、剣道の師弟関係は言葉にするより稽古の方がわかりやすいのかもしれない。
剣道自体言葉で説明できることの方が少ないからなのだろうか。
私にも弟子が居るけどほとんど私が言わなくてもほとんどわかっているみたい。
言葉なくして稽古だけでわかりあえるには時間より、心の近さでしようね。
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『木刀基本の形』
正式には木刀による剣道基本技稽古法と言います。
来年二月から渋谷区剣道連盟では級審査の時に取り入れることに決まりました。
とっても素晴らしい形だと思いますが、覚えるのは大変そうと言うのが私の率直な気持ちです。
今剣道人口は減っているのは皆さんも知っていると思いますし、それは少子化と言うこともありますが、子供達が剣道をどう思っているのか?
私の耳に入ってくる声は、難しい、痛い、恐い。
『恐い』、これは私が教えているからかもしれませんね。
私は人数が多い事が良いことだとは思っていないのですが、これからの剣道界を考えれば子供たちには興味を持ってもらいたいと思うのも本音です。
渋谷区でも先日講習会開きました。
多くの人が参加して行いましたが、やはり難しい、覚えるのが大変と言う言葉多かった。
今までは級審査は一級だけ三本、三段審査でも剣道形七本を覚える。
今回は一級はいきなり9本と言うことは、元立ち掛り手と言う動作を18通り覚えることになる。
今まで剣道をやってきた六段、七段の先生たちでさえ戸惑いながら行っている。
これは愚痴や批判をしているのではなく、本当に大変だということで書いてます。
私の覚え方は自分で内容を書いてみる。
他人が書いたものだと上っ面だけの覚えになってしまうので、自分の言葉にして覚える。
そしてそれをいつも座っているパソコンの前に貼っておく。
努力しようと思わなくてもいつも眼にはいるから。
そしてビデオを見る。
今はユーチューブでとてもわかりやすいのがあるんです。
初心者の方にはお勧めな動画だと思ったので載せますね。
木刀による剣道基本技稽古法
皆さん本当に色々とご苦労していると思います。
自分の身になる基本打ちですので正しく覚えるといいと思います。
級審査に向かう子供のことを考えるとまずは指導者がしっかり覚えないとダメですので、私も頑張って自分のものにしたいと思っています。
今は剣道形がやっていてとっても面白く感じたり、奥が深いとつくづく思っているし、なによりこの形を作った先生たちの隠された心みたいなものを感じるのも面白いと思っています。
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『権田流の心構え』
新しく子供を指導し始めてもうすぐ二ヶ月が過ぎる。
最初受け持った時からどれだけ変わったかと言うほど変わってないかもしれないけど、私はしっかりした手ごたえを感じでいる。
この子供たちの潜在能力はずこい!
と長年やってきた私は感じた。
特に幼稚園生の三人は本当にすごいし、四年生の子は責任感を感じて私の稽古についてくる。
防具をつけられる子供はその子だけしかいないから、防具をつけて稽古の時は大人の中に入って稽古するし、私と二人で15分稽古する。
俺がその子だったら絶対にしたくないほど、細かい注意をするし、勢いやまだ試合をしたこともないのに試合に勝てる技を教えてる。
涙を浮かべていた一回目とは違い、頑張る目をしている。
私の教える中で一番苦手な女の子も少しづつ心を開いてついてくれている。
私は苦手ではないのだけど、声は大きいし、あまり褒めないし、細かいところのチェックも多いいから、女の子は怖がってしまうみたいで、今までも恐がられてしまっている。
まぁ、人間だから全ての人には好かれないのが当たり前なんだけど、今回は少しは恐がられながらも彼女は頑張っている。
もう私にはその子たちが小学生になって渋谷区の団体戦で決勝戦で戦っている姿が見えた。
試合に出られるのは小学校3年生だからあと三年みっちり基本を教え込もうと思った。
いつも思うのは子供たちと素振りを200本から300本すると、私がする数の二倍はこの子たちは疲れるだろうなと思う。
そして今日ある子が稽古あと不思議そうに手を見ていた。
どうした?と覗き込むとそこには小さな豆ができていた。
でも、その子は痛いけど何でこんな物ができたか分からないし、素振りで豆ができたなんて日本語も知らない。
立派なものだ、素振りで豆ができる幼稚園生をどう思いますか?
来月からは道場的な感じの組織にしたいと思い、色々と話し書類も色々私は作って配った。
その中に私の剣道の心構え的なことを添えて渡した。
これはこの子たちと言うこともそうだけど、親にも私の考えをわかってほしいから。
もちろん一般の人にも渡した。
下に書かせて頂きました。
将来の全日本チャンピオンがここから生まれることが私の目標です。
この子たちならできると信じている。
1.礼・挨拶を正しくする
道場に入る時は稽古をさせてもらう心で『おねがいします』と言う。
稽古が終わり道場を出る時は一日無事に終わりました、の感謝の心で
『ありがとうございました』と大きな声で言う
稽古途中の道場出入でも声は出さずとも頭を下げる事を忘れない。
2.返事は声を出す
先生や先輩に指導されたり、注意を受けたら大きな声で返事をする。
剣道だけではなく大きな返事は相手に対しての礼儀でもある。
3.気を抜かない
道場内にいる時は気をはっている。
これは剣道が上達するだけではなく、竹刀を使っているので気を抜くと他の人にぶつかったりして怪我をしてしまう。
剣道は武道だけど格闘技でもあるので気を抜くことはとても危険。
4.体調管理
一生懸命頑張ることは大切だし当たり前だけど、体調が悪くなったり、
気分が悪くなった時は先生に言う。
自分の体調管理も剣道では大切なこと。
5.稽古と試合
剣道には稽古と試合があるがその心の置き場所は『試合はお父さんや
お母さんや先生や応援しくれる人の為に頑張る』
そして日頃の稽古は『自分の為に頑張る』稽古は自分との勝負。
6.自立こそ剣道上達
自分のことはなるべく自分で出来るように頑張る。
勝手に無理していい加減するのではなく、どうすれば正しく早く自分で出来るのかを考えて努力することが大切。
頭で考えて行動することが剣道上達にもつながる。
7.少しでも剣道を毎日考える
剣道ができる日は限られているから、それではなかなか上達できない。
稽古がない日は竹刀を握るだけでも良いし、剣道日誌を書くことも良いし、もしできるなら安全確認して少しでも良いから素振りをする。
竹刀を握ったり、考えることで剣道の血が体に流れる。
8.ゆとりと余裕を持つ掃除
道場に早く来たらまずは自分の支度をし、掃除をしても余裕があったらゆっくりでいいから道場の中を大きく走る。
これも稽古のうちだから決してふざけて走らない。
最後にふざけてしまっては良い事をしても全てが無駄になってしまう。
余裕を持つことは精神的にもゆとりがありそれだけでも良い稽古。
9.感謝の心
両親にはいつも感謝の心を忘れない。
元気で楽しく生きていけることや、剣道できることは親がいなければ
できないし、そして辛い時も悲しい時もいつも見守ってくれているのは親だから、感謝の心は忘れない。
10.信じる心
寝る前には『絶対に日本一になる』と声を出して布団に入る。
人がいる時は心で言ってもいいから自分を信じるように言う。
剣道だけではなく夢を持つことや自信を持つことは大切だし、勉強も
人柄も良い人間になってほしい。そして自分に力をつけたら弱い人を助けてあげられるような人になってほしい。
剣道を通して厳しく辛いけど乗り越える勇気を持ってほしい。
私が今まで剣道を通し、感じた事を書きました。
剣道が強くても他の人には剣道を強いことはわからないけど、礼儀作法や堂々
とした姿、正しい心は周りの人が良いと思ってくれる。
竹刀を持たなくても剣道はできる。
夢を持ち努力すれば願いが叶うのが剣道なんです。
厳しい・辛い・臭い・痛い・すぐ上手くならない・理論が難しい・つまらない
でもその嫌だと思う事をやることは、いつかは自分の思い出と力になる。
権田義一
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『心あった小手』
剣道は面が一番で他の技はそれには行き届かないなんて私は思っていないし、皆さんもそうだと思っている。
文章を整理していたら、昔私の弟子に書いた文章があったので少し手直しをして書きました。自分で読み返しても、なんかわかるような、わからないような、楽しいような、難しいような気分だったので載せることにしました。弟子の問いかけは本当に良い問題提起だと思っています。
弟子こそ一番の師匠かもしれませんね。
私が私の師匠と稽古して私が面に行った時に打たれた小手についてです。
私はまず師匠との稽古は初太刀に全てをかけますというよりその前の礼に全てをかけます。
皆さんもそうかもしれませんが私の思いと皆さんとはたぶん違うと思います。
打たれてもいいから面を打つとか、自分に納得で思い切って面を打てれば良いとかではない次元で礼をする。それではどんな気持ちなんだ?と言われれば……、『教えません』。
本当は適切な言葉が見当たらないのです。
美味しいラーメンを食べたとき、どんな素材・出汁・麺はラーメンを少し知っている人ならだいたいのことはわかるけど、でも何か肝心な所がわからない?と同じですね。
その私にだけしかわからない言葉に言いきれない心・気持ちがそろっている時良い礼が出来る。
でも良い気持ちを持って礼をできたからと言って相手の心を打ち切れることはない。
礼をする時皆さんはあまり疲れないと思いますが、私はその時に私の全部の神経の引き出しや剣道理念コンピューターが全速力で走り始めるのです。
『剣』を使う前に、『気』を使うですね。それが所作として表れるから私みたいな剣道をそれほどすきでもない者が七段審査を通過できたのだと思います。
もし稽古も反省会も師匠に対して気を使って、言葉を選んで、聞くだけではなく、会話を引き出し、そして心を熱くさ満足させ帰らせるという芸当が出来たら七段になれます。
でも難しいですよね。
好きだけで剣道をすれば我ままになります。
嫌なら打たない、打たれそうなら避ける、用事があれば稽古は休む、稽古に行ったときはたくさんやりたい、これが楽しい剣道なんです。
その逆をやってみたら楽しくありません。
辛いけど打つ、打たれると思っても潔く打たれる、用事があっても稽古は休まない、稽古に行ったときは一番強い人とやるために一番にかかる。
これは修行なんです。楽しみや趣味での剣道ではなく、重すぎます。
でも、だから続けると夢がかなうのです。
私は竹刀を振りあう剣道はあまり好きではなく、私は役者だと思っているからそれらしくやりますが、本来は色々な人と心を合わせる剣道が好きなんです。
剣道とは矛盾の世界に身を置きその中でどう自分が座っていられるかと言う感覚と自分では考えています。まして師匠の言う言葉は常に違うのですから、ついていくのではなく寄り添う、の感覚です。
ですから師匠と稽古をするときはせめてどっか一つでも何かをして確認をしたいと思うのです。
この世界の境地になりますと権田なに言ってんだ?
となるかもしれませんね。
一本打たれた小手を語る前にこんなに話して前置きが長いそれも剣道ですね。
その気持ちで、そして初太刀に向かうのです。
気持ちの位では負けないではなく、気で師を下がらせる。
今回の場合も同じです。
満ち上がった気で立ち上がり、剣先に思いが乗っかる。
そうなるとただ真っ直ぐ面打ちなんてどうでも良い、その思いを全力で打つために、そして攻めに入る、間の隙間を見つけ『ここだ』と思ってすっと入って打ったのでは打ちたいがために間に入っただけになる。
そうじゃなく勝ってから『打つ』だから師匠との稽古は立ち上がったら私から先をかけて入る、その時の気持ちの関係で師匠は出頭を捕らえに来る、でもそこですぐに私が打つのでは思う壺になる。だから私はすぐ打たない、間の0.3秒後を狙う。
でもその形だけ真似するともっとすごい面を打たれるので要注意だし、単調ならすべてが終わりとなる。
切羽の位で攻めあうから打ち間に空間が出来る。攻めで相手が本気になる一瞬の見極めが剣道の『妙』です。
今回のことを簡単に言ってしまえば私が先をかけて攻めに入り、師匠がそれに応じようと面に出ようとしたけど、私は攻めからすぐに面に行かず、出鼻面を仕掛けようと少し上がった手元が『しまった!来ない面に予測で反応してしまった、だから出鼻面が空を切るくらいなら元に(構え)に戻そうと思う』その瞬間を権田は面に出る、『え、そこで来るのか!』と心が慌てる。この一瞬が『日頃から師に気を使い、かかる気持ち、矛盾に身を投じた心、そしてせめてものわがままだけど剣道を続けている自分へのご褒美』
師匠の面を打ちたいのではなく、唯一心を合わせた外しの確認。
これは『してやったり』ではないのです、信じているからこそ外れる間なのです。
誰よりも信じあえる空間なのです。
今までなら年に一回くらいその形を作り少しはかするくらいな形になったり、避けられて終わるのですが、師匠は今回はそこから行きかけ、そして戻りかけた体勢を空中で踏ん張り返し、私の面に出ようとした(見ている人にはわからない攻めと打ちの間)小手を切る。
今日の稽古はそれで終わった。一本で一年分打たれた気がした。あとはここまで出来上がらせてしまった師匠に触れるすべはない。
それを飲み会で師匠に切り出した。
私から師に今日の稽古は……?と問いかけることはめったにない。
私は毎回のように師匠と稽古はやるけど、飲みながら語り合わなくても、もうすでに言葉ではない反省会が終わっているからです。
師も他の人には今日の稽古内容を丁寧に語ってくれるけど、私との稽古内容を聞いた人は少ないと思う。
それが長い師弟関係なのですね。
すでに言葉を伝える、質問をする関係ではないのですね。
でも飲み会で珍しく今日の初太刀を弟子の私から切り出すと、師匠はその小手を解説してくれた。
『あの小手はすごい小手だな』と重低音の笑顔。
本当に珍しい!
師匠は自分の技を自画自賛することはめったにないからだ。
また、私は師匠から面を打たれ『一年間で一番良い面を打てた』と言われた事があっても『すごい小手を打ったな』と言われたのは初めてだし嬉しかった。
そんな会話を聞いている時同席していた後輩が、心と会話を合わせるような『その技は『妙』と言う感じですね』と口にする。
本来はその『妙』はあっているのかも知れないけどこの関係ではちっと違うと思う師匠と私。
今の後輩のコメントは、料理で言えば濃い目の味の料理をより美味しく感じさせるためのさっぱりとしたセロリの酢漬けを出す絶妙のタイミングだけど、二人には乗り切れない。
かえって『???』と並べてしまった。
または野球で言えば投手の球種を読みきってバットの芯で捕らえ、上手く流し打ちでホームランになりかけたのに浜風を読みきれなく50cm外れた打球のようでした。
『重ねた稽古の閃き』の方がもう少し近いかもしれない。
それにしても打ちから面に行くまでの0.3秒の中でこれだけの考えが頭の中と体全部に行き渡り右手の人差し指の第二関節が反応するってやっぱり剣道は極めても極めきれずに人生を終わるから、後世に伝えたくなり弟子という心に伝えるのかもしれませんね。
俺が出来ないこと、わからなかったことを弟子に紐解いて欲しいと願うのでしょうね。

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『源流舘の字』
以前私たちの道場の『源流舘』と言う名前を書いて下さった先生が本を出しました。

とても素晴らしい字で感動しました。
後輩から素晴らしい漢字を書いてくれるサイトがありますと教えて頂き、だめ元で図々しくもお願いをしてみました。
もちろんプロの書道家の先生ですので本来は経営的にも行っているのですが、営利目的でなければ無料で書きますと紹介がありました。
私たちの道場は本当に趣味でやっているし、子供は教えていないので積み立てや繰越金はありません。
要するにお金は無いんですね。
でも先生の字を見た時書いてもらいたくてお願いをしたらすぐに書いて送ってくれました。
本当に感謝の気持ちでいっぱいだったのです。
まだお会いしたことはないのですが、いつも感謝の心は忘れていません。
その先生が本を出したとのことここにご紹介させて頂きます。
http://tonan.seesaa.net/article/116834395.html
良ければご覧ください。
私は買わせて頂きます。

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『子供は先生』
七月から子供の指導を担当することになり今日で一ヶ月がたった。
一年前に担当したところだけど、訳あって二回目の指導で終わった。
今回はどうなんだろう?と手探り状態と言った方が本音かもしれない。
はっきり言ってここは何をしたいと思っているのか?
だからしっかりした剣道を教えたいと思っているけど、ぬるま湯に50度の熱湯を注ぐようなものだから、みんなびっくりして飛び出してしまうと思った。
でも頼まれた以上荒れた状態のまま剣道らしきものを続けることは私にはできない。
最初は竹刀も持たず礼法や剣道の意味を正座で聞かせた。
今までの人にはちっとも面白くない剣道かもしれない、でもそれが剣道なんだよって心から言う。
もし私に合わないと思って全員辞めてもいいと思った。
その位責任を持ってここの場所をどうにかしたいとも思った。
私は出来る限り大きな声と夢を持ってほしいと願う気持ちと、この子たちや来てくれる大人の人への愛情は誰にも負けないと思った。
一ヶ月たって残ってくれたらなんとかなると思った。
本日一ヶ月目でほとんどの子が残ってくれた。
嬉しかったし、剣道に対する心も変わってきたと思った。
それは目を見てればわかる。
今日はこれからの予定とここがどうなってほしいかということも話した。
私はいつも言うけど子供には子供らしく話しはしない。
というとそれはわかりづらく自己中心的で良くないと言われるかもしれないけど、私は道場にいるなら同じ人間と思っている。
そして子供を劣っていると思うから『いいんだよ』なんて言葉も心もなってしまう。
同じ人間なんだから同じ気持ちで話し、心を伝える。
だから上も下もない。
真剣になれる人がその中で一番であるべき。
いつも一生懸命な幼稚園の子が私を喜ばせてくれたし、勇気をくれた。
こんなに強気で言ってても本当はこの子たち俺のことをどう思っているんだろう?
いきなりこんなに厳しくしていいものか?などおもっていた。
おばぁちゃんと一緒に来るその子は元気だけどちょっと照れ屋。
先日稽古が終ると帰る時おばあちゃんが私に『七夕の短冊に剣道日本一になると書いたんです』と笑顔で言ってくれた。
涙が出るほど嬉しかった。
そして今日は年上の子がいなかったのでその子に稽古前と稽古あとの礼の号令をかけさせた。
今まで四回来ているけど正しい礼法の号令をやらせたことはなかった。
当たり前だ、幼稚園生の号令で皆が動く。
ちょっと聞くとどこが難しいかって?
まず自分が一番右に立ち整列!といい皆を並べる
そして先生が座るの見計らい、正座と言う。
全員が揃ったら『姿勢を正して』といい、『黙想』という。
しばらくして私の合図を感じ『止め』
そして正面に礼・先生に礼・お互いに礼という。
これを練習なしで一発でこなした。
私は感動した。
一回一回の稽古を真剣に思っているから礼法も良くできている。
今まで何人も子供を教えてきたけどこんな子は初めて。
本当に日本一になると思う。
喜びは自分が到達することより、その教えた子たちが到達したことの方が何倍も嬉しい。
他の子たちもまだまだ竹刀を上手く振れないけど一番大きな声を出す子や、やる気だけは絶対に誰にも負けないと思う瞳や大人の方たちもなにも文句も言わずその子たちの指導を手伝ってくれる。
今はまだ剣道の勝ち負けと言うレベルではないし、まだ防具も付けていない。
でも私はこの子たちは絶対に渋谷区で優勝する。
それができなかったらそれは全て私のせいだと思う。
こんな素晴らしい幼稚園生を導けないなら剣道を指導する資格もないと思う。
子供の一生懸命する姿は我身にお前こそ頑張れ!といわれているみたいだ。
子供は写し鏡と言うほど指導者の心を見抜いている。
厳しい夏を過ぎ本当に気持ちが絆に変わったら道場となるでしょうね。
とってもきびしい私に涙も見せず頑張る子供たちに私は涙が出る。
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『初段合格』
連盟主催で初段から三段までの昇段審査が行われた。
役員でもあるけどその前に親父でもあるし、私は朝から審査を見に行った。
自分でも今は受験している立場なので、この緊張感という物を他人ごとではないと感じるし、やはり子供の審査とか試合とかは緊張というよりも、楽しみでもあり、心配にもなってしまう。
試合なら勝ってほしいしけど怪我をしないでほしいと願ったり、審査なら合格してほしいと思うけどもし落ちたとしても落ち込みすぎないでほしいとか、期待をしながらも円やかな気持ちがある。
100人近くの受験者の顔はみんな緊張そのものだ。
なんでもそうだけどレベルが高くなれがなるほど合格率も厳しくなるから、緊張の度合いも高くなるだろうと思うかもしれないけど、私の経験上初めて受ける時が何より緊張してた気がする。
審査ということのやり方もわからないし、どんなことが合格できるのかともわからない。
先生の『いつも以上に大きな声を出すつもりで気合いを出して、思いっきり打ち込みなさい』の言葉を信じて私は今迄の審査に臨んできた。
だから教え子たちにも後輩にも、我子たちにもそれを最後に言って審査に臨ませる。
いくら良い打ちができるとしても、元気がない子、声の出ない子は審査員の立場で言ってしまうと、やる気がないのかな?
と感じてしまう。
大きな声や、きびきびした動作をして審査に挑む子は『やる気があります』と言っているみたいに感じている。
ほとんどの子がやる気があるから審査を受けに来ているのだけど、初めて会う審査員と受験者の関係の中ではやはり明確な動作がある方が良い。
五段以上ではその元気だけではなかなか難しいのではと思うけど、私はあえて言う『審査会場で一番大きな声を出せたら絶対に合格できる』それはどうしてか。
本当に自信がない人は審査の時に大きな声や鋭い気合いは出せないからだと思っている。
子供の審査を親の気分で見ながらも、剣道初段という技量を考え見ていると、審査を終えた子供に『良くできた』とは言えなかったというより、もしかしたら不合格になるかもしれないと感じた。
救いと言えば構えと気合いは良かったのでなんとか合格してほしいと祈るとともに、もし不合格だった子供に対しての言葉も考えておいた。
初段なのですぐに発表があり『合格』ということがわかってホッとしたけど、子供もなんか嬉しそうだった。
合格したからあえてその場で子供には『合格だけどその上には言葉が書いてないけど、あなたの合格の上には「なんとか」という言葉がつくと思うな、普段の三割も出ていない、でもそれでも合格できるんだからあなたの力はだいぶついてきてとも思ったよ』と注意なんだか、褒めているんだかわからない感想を言った。
というのもまだ本当に合格ではない、形が残っているから気分をへこましてもいけないし、形も落ちることは今は珍しくない。
そして形の審査の準備をしていると、合格人数が奇数でまして息子の相手がいないとわかり、本部席から『息子なんだからお父さんが相手しなさい』と指示があり、やりたくなかったけど他の人にやってもらうのも悪いかとも思い。
審査で親子で形をした。
正式な審査会で絶対に親子で形を打つなんて絶対にないと思う。
審査は年齢で区切ることもあるからだ。
まぁ自分の連盟だし記念にと思ってやってみた。
自分たちの順番が来る少し前になると私の方が緊張してきたみたい。
おいおい、審査されるのは息子の方だよってみんなの声が聞こえるようだ。
そしてなんとも順番の関係で息子が打太刀で私が仕太刀。
子供が師の位というのもなんか笑える。
でも緊張しつつも間違えずに終了して無事に全部合格でなによりもホッとしたのは私の方かもしれない。
どんなことでもそうだけど結果にはそれなりな原因がある。
稽古は嘘をつかないとはよく言ったもので、日頃からちゃんとした目標を持って稽古しているとやはりそれなりな結果が付いてくる。
誰だって稽古してて打たれることは嫌いだけど、打たれても体の中心や心は崩さない、それで例え打たれるなら、それは正しい剣道へ近づいていると思って頑張ることそれが稽古だと思っている。
一つ一つどんなことでも前に進んでくれる子供たちに嬉しいと感じている今日この頃です。
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『竹刀は布団』
この言葉を聞いてどう第一印象をとらえますか?
たぶん竹刀は打つものだから布団と言うなら面布団の所を打つという風に考えると思いますよね。
そんな考えが私にあるなら大正解ですし、でもこんなアバウトな言いかたが剣道なんですよね。
主語述語のメリハリを作らずに言った先生のその場の感覚なんですが、剣道とは人の道なりと言うが如し人はそれぞれですから絶対の教科書はないのだと思っています。
そんなことより、この竹刀は布団と私が書いたのは、剣道をする上でなくてはならないものは色々ありますが竹刀はやっぱり自分の感覚で安心できて安らげることにやっと最近感じたのです。
そんなことあたりまえじゃないかという人もいますが、30年やってて自分に合った竹刀って何本あるでしょうか?
私の中では二本か三本ですね。
でもそうだからと言って魔法のように当たるというのではなく、持っている感覚が安らげるんです。
布団は寝るという最大の心安らげるものだと私は思っています。
だって無防備になって眠りにつくんです。
戦争をしている人が寝る時にどんな姿やどんな場所で寝ているか?
誰もいない無人島でどんな姿で寝ているか?
その感覚の違いなんですよね。
私にとって今までの竹刀は。
やっと無人島で誰と競うというのではなく自分に邪魔にならない感覚の竹刀探しをしてみてる。
布団は身を守るものではないけど中に入っている真綿って防弾チョッキににもなるくらい回転するものにはからみつくし、商売がら繊維の力って知っていますが、それより私がなんで竹刀と布団と思いついたのは構えた時ほど戦いでもあり防御でもあるけど、その前に竹刀は体の一部でありたい。
でも当たり前だけど血の流れていないものが体の一部でもない、だから持っている感覚で一番実感できるのは竹刀だと思うんです。
私は防具屋さんではないからお勧めしているんじゃなく、また高額な防具や竹刀は私は万人にはその通りなんて言わないです。
私の竹刀は女性用の39ですし、決して高くないというか安いのを使っています。
武道具屋さんには困ったお客さんだと思います。
色々偉そうなことを語りながら、稽古もそれなりにやりながら安い竹刀を割らないで一年以上持つのですから、最悪なお客さんだと思いいます。
完全な営業妨害ではなく壊れたから竹刀を買うのではなく、心地よい竹刀を探すと今あるものよりももっといいものに出会えるから竹刀って買うんですよね。
私も五本くらいありますよって言ったら剣道七段の家にはふざけるなって言われました。
五本なんて一桁間違っている。
ある人なんか『家の中竹刀だらけ』と言ってた。
でもその人の家の数本の竹刀の利用法は室内の洋服掛け、箪笥の支えだとかなんとも本筋ではないけどずいぶん利用価値は高い。
そこで思った、剣道だって日々生活の中で竹刀を持って僕七段ですなんて言っても意味ないし、でも竹刀を持っていると安らぐんですよね。
と最近思うようになったんです。
テレビにミュージシャンの人が出る時に歌の枠もないトーク番組なのにギターを持っている姿を見たことあると思いますが、まさに信じているこいつがここにいるから今自分は自信を持って人前にいられる、って思うのだと思います。
これはこれ見よがしとかできなく。
持っている安心感なんです。
だから竹刀はやっぱり安らぎを求めて、そして一番自分を開花させてくれるものなんですよね。
携わっていると自然すぎて寝やすく、幸せになりながらも、目覚めたら活力満載なものが竹刀ですね。
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『私の学科』
私だったらの答えを本を見ずに書くならこんな感じになります。
一、中段の構えを説明せよ
剣道には色々な構えがありますが、一番一般的でもあるし代表的な構えは中段の構えと思っています。また中段は自然体の構えとも言え、無理をせずそして構えの中には攻めも防御もバランスよくあるのが中段の構えと考えています。形としてはまず足をそろへ背筋を真直ぐに立ちます。そこから両手をおへその前で合わせますが、その時左手は拳一つ分ほど離しその位置から右手を鍔元まで伸ばす。竹刀の高さは柄頭から切っ先の延長線上が喉元あたりが良い。その時中心にこだわると左手が窮屈なら少し左にずらしても良いが右手は中心からは絶対にずらさない。半身ではなく右自然体の構えともいえる。足は両足をそろえた所から左足のつま先を左直角に開き、そのつま先を動かさず右足と平行にする。イメージとしては、力まずそしてかかと・腰・首・つむじの先が無理なく真っすぐになるように構える。
二、「掛け声」について説明せよ
剣道の掛け声は打つ時だけではなく構えている時にも発声する。それを気合いともいうけど本来気合いとは内に秘めたるものこそ気合いでもあり、ただ声を大きく出せばいいということではなく、今の心に合った鋭い声を出すことが適切な構えている時の掛け声だと思っている。打突時にその部位に合った掛け声は『気・剣・体の一致』の如く、有効打突にもっとも重要でもあり、残心を考えながらも自分の全てを出すという気持ちで声に表す。大きな声を出すことばかりに気を取られて肩に力が入ってしまうと伸びのある打ち込みができないので『気合を入れても、力は入れない』とい気持ちで稽古を行うと良いと思います。
三、剣道は他のスポーツとどんな所が違うと思うか。
剣道は他のスポーツと違うというところはやはり精神的な部分に大きな重みがあるところだと思うし、試合などでも技が決まってもその態度や所作が悪いと取り消しということがあるくらい、全ての流れや礼儀を主にじることや練習のことを稽古というように、今までの歴史を考えるような意味もある。
まして剣道とは武士道と言われる精神面が多く感じられると思う。先生にかかる時などでも『自分を捨てて面を打て』などの言葉の中にも、恐がらず自分を信じて打ち込む稽古こそ自分が強くなれると思っている。
そして勝つことだけではなく、正しい剣道を求められるように『段』があるし、生涯その道に向かって真剣に現役の心で頑張れるのも剣道の良さでもあるし、他のスポーツにはないとことではないかと思います。
剣道は精神的にも肉体的にも日々精進して鍛えながらも優しさやゆとりを持って後世に伝えようとしていくことも素晴らしいことでもあると思います。
以上です。
30分位で思いつくままに書いたのですがこのまま書きます。
初段の学科試験の解答をこんな書き方したら生意気ですね。
本当に書くということは自分の心が出るので良いものですね。
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『初段の学科』
源流舘にも初心者がいる。
当たり前なのにどうしてと思うかもしれないけど、源流舘は防具をつけられない人は本来はお断りをしている。
それは差別とかではなく道場の使用時間とか指導する道場の広さとかの面でいたしかたないのです。
広い体育館なら教えられるのですが、なにしろ20人でいっぱいとなってしまう。
それだけに源流舘は少数精鋭的にそこに来たら頑張ると気合が入る。
もっと言ってしまうと生半可な気持ちで楽しみたいと思って源流舘に来てもなにか取り残された感を感じるみたいです。
でもそれでもやる気があれば私は教えるし楽しいと感じている。
矛盾かもしれないけどそれが心を打つということかもしれない。
私はだいたい6時ごろに道場に行く。
そうすると掃除を済ませ準備体操を終えたた頃何人かの稽古人がやってくる。
素振りや形の稽古の為にやってくる。
初心者は取らないというのは「さー教えて下さい」的な感覚では時間が足りないということで、ここまでやる気をありますので見てほしいと心を見せられれば私は喜んでやりたい。
以前も書きましたが源流舘はだれが来ても最短距離で昇段できているのではなく、自分でいっぱい予習復習してきて、そして心をそろえてきたときだけの人にしか聞こえない言葉が聞こえる。
またインチキ詐欺師的なコメントと思うけどそうなんですよね。
久しぶりにそんな新鮮な仲間が集まってきてくれたおかげか初段を受ける人が出てきた。
厄介なのは学科試験です。
学科試験は本来は自分の力でその場で書かされたのですが、場所の時間関係などから持ち込みというシステム変わってきた。
だからというわけではないけどどんな間違っていようと書いてあれば合格。
それってなんかおかしくないかな?って思っていたし、現にたくさん私は手助けをしてきたというより、喜んでさせてもらっていたという方が正解かもしれない。
今回は違った。
自分の思ったこと、自分が好きで剣道していることや、今まで読んだ本や漫画や聞いたことなどなんでもいいから好きに書いてごらんと言った。
もし間違っていた事や適切でない言葉があったら治すからと言った。
そしてこんな文章を書いてきた。
初段の学科の問題と答えです。
一、中段の構えを説明せよ
中段はまず竹刀を上から持つようにし切っ先を正中線から外さないようにし、切っ先の延長線上に相手の喉元があるようにする。このとき左手は、お腹から拳一つ分離した状態にしておく。足の構えは、まず両足をそろえてそこから左足を90度位真横に開いてつま先を起点にして左足を動かしてつま先を正面に向ける。もし窮屈なら左足をそのまま少し左後ろに下げると余裕が持てる。また左足は、かかとを少し浮かした状態にしていたほうが前に重心をかけやすくなる。全体として、肩の力を抜き、かといって気持ちは抜かず余裕をもった形で中段に構えるととても動きやすくなる。重心は前でもなく、後ろでもなく、足と足の間にかけるようにする。また、背筋を伸ばすと構えがきれいに見える。イメージとしてはつむじのところから上に引っ張られているような気持ちでいるとやりやすい。
二、「掛け声」について説明せよ
「掛け声」についてはただ単に大きな声を出して相手より強く見せるためではなく、「これからお前を斬るぞ」、「絶対に負けないぞ」、といった目の前にいる相手や周りの審判やギャラリーに対しての意志表明のようなものだと私は考えている。故に、掛け声をする際は、打たれる恐怖心を消し、「絶対に勝ってやるんだ」というような強い意識を持って行うと審判から高評価を受けて一本を取りやすくなる。相手からみても全体的に大きく見え試合の流れを掴みやすくなる。ちなみに、掛け声は人それぞれ違うが、私は「ィヤー」といっている
三、剣道は他のスポーツとどんな所が違うと思うか。
剣道は本来殺し合いの中で生まれた唯一の武道でありそこから空手などの武器を使わない武道が生まれた。故に、剣道はすべての武道の始まりだと私は考える。侍と呼ばれた人達が己の命や流派を守るためにほかの誰かの命を奪っていた。今の時代、人を殺すのはご法度になっておりそのために防具や竹刀が作られ、また柔道や合気道といった剣道とは違う武道が生まれた。しかし、己の命をかけて大切なものを守るといった信念や決意、覚悟を待った侍がいたということを少しでも後世に伝えるために剣道は今でも残っていると私は考えている。なので、剣道をするということは、命をかけて戦った侍たちの考えをほんの少し実感できる機会だと考えており、これは他のスポーツにはないものだと思います。
高校生が書いたのかと思えないような時代劇的な言葉まわしだけどちょっと楽しかった。
どうしても参考書の丸写しはやめなさいと指導はしても字数を埋めるのはそこを借りないとできないと思ってしまう。
私ならこの問題を見た時一番書きやすいのは三番目の問題。
難しいのは二番目の掛け声って何?
気合いと発声は違う。
でもどうしても同じに取られていしまうけど違う。
でも声を出すということをどのようにとらえているかって先生からは教わっていないと思う。
面を打つ時は大きな声で面と言いましょうなんて指導はあるけど、その意味なんて初段に対して書かせるのかと思った。
たぶん六段くらいな人でも本を見ずに掛け声というテーマについて書きなさいと言われたら、すごく悩むと思う。
読み返していると一番も二番も日頃から私が言っている言葉を書いている。
本を見ずに書きなさいということを守っているのはここで分かった。
だってこんなことは本には書いていないから。
そして三番目は漫画のバカボンドという武蔵の一説の言葉を用いてる。
そして知らず知らずというか知っているのかもしれないけど「武士道」という意味が入っている。
我身より人のために身を投じれるか、その大切な命を守るために我が身は喜んで散っていく。
剣道を通してこんな気持ちになれるから良い。
彼にはおれも書くから学科勝負だといった。
本を見ずにというテーマだけになかなかきっかけがない。
でも余裕でいつでも書けると思っていた矢先にその日に書きあげてきた。
私はすぐに見ずに私も書いたものをあなたに見せてお互いに感じようと約束をしたけど、先ほど言ったように掛け声って?と引っかかってしまったのと中段をどの辺から書くかと悩んでしまい。
約束をやぶり彼の書いたのを見た。
なんともいえず言い負けっぷりだと自画自賛。
彼には謝った、見ずに書くと言ったけど、七段の薄っぺらなプライドが少しでも見栄え良く書こうと思ったらペンが走らなかった。
本を少しだけ見たら入口が分かれば君より上手くかけるけど、それは剣道を30年以上やってきたから当たり前にできる。
もしかして本を見ずに書けと言ったら、一行も書けないとまでは思ってないけど的外れなことを書くと予測してしまったのは、自分がそうだからだと思った。
人の才能は限りがないし、脳も5%くらいしか使っていないとテレビでも言っていた。
学科の調べる楽しさと意味とそしてもっと言ってしまうと今までのお世話になった先生への感謝の手紙なのかもしれないと思った。
負け惜しみではないけど、私の答えも載せたいと思っています。
すでに負けているんだから、別な気持ちで書きます。

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『二つの心』
昨日教え子の試合を見に行ってきた。
正式に言えば元教え子というか剣道を始める前から知っているし、お兄ちゃんの送り迎えのお母さんの後ろにちょこんと着いてきた幼稚園児が初めての彼との出会いだった。
そして剣道しない?と彼に聞くと『やらない』と即答された。
でも私はその子の眼には未来を感じたから『そうか、でも君なら日本一の剣士になれるよ』と言った。
その言葉の魅力を感じたのか『日本一になれるの?』と聞き返してきた。
『もちろんだよ、君ならなれるよ』
そして数年後彼は剣道を始めた。
決して体が大きい訳でもないし、飛び抜けた剣道センスがあったわけでもない、もちろん剣道をしていない幼稚園児にそんなことはいい加減な言葉と思われるかもしれないけど、私にそれは本気の言葉だった。
彼には二人の兄がいるその二人はもう既に剣道しているし、私が教えてその剣道センスと素直さとまじめでかなり上達しているし、両親もとても剣道に対して協力的で素晴らしい。
剣道に限らずスポーツの世界で上を目指す為には親の理解力と協力なくしては成り立たないと思っている。
今までにも何人かいた。
素晴らしいセンスを持っている子供だけど親が無関心だといつの間にか辞めてしまう。
それはスポーツはとても苦しい、周りが支えてあげないと心が折れてしまうから。
特に剣道は子供には痛いし、臭いし、動き辛いし、なによりもすぐに上手くならない。
だから雪玉みたいに最初は一生懸命手でこねて小さな玉を作り、ゴロゴロ転がしてある程度大きくしてあげないと形にならない。
でも一度大きくなって山から転がすとあとは自然とどんどん転がりながら大きくなっていく。
そうなった大きな球でも最初はサラサラ空から舞ってくる溶けて消えてしまう柔らかい雪。
だからこそ愛を持って見守ってあげる心がなにより。
剣道はやっぱり格闘技だから体も精神力も両面から鍛えていかないとだめだとも思っている。
でも私は小さい子供だからと言って甘い態度は稽古の時はしない。
鬼といわれていることもわかっているし、我がまま帝王とも言われているだろう。
それは人間として認めているし、共に歩んでいると感じたいから。
http://www.youtube.com/watch?v=HMIfMZvDqNw&feature=channel_page
このビデオを見てわかると思うけど半端な気持ちの小学生はこんな何倍もあるような岩みたいな親父に掛っていくことさえ躊躇する。
だから精神力も大切なんだ。
彼は転ばされても突かれても私に向かってくる。
そして何度も自分で気合いを入れなおして掛かってくる。
涙ぐましい子供たちだ。
でもやっているのは鬼の私。
その子が私と同じ高校に入り、そして同じ大学へと進み、教え子から後輩へと変わる。
そしてどんどん強くなっていく。
早く俺を乗り越えろと願っている。
そして昨日試合があったので私は見に行った。
母校の後輩ももちろん稽古したり飲んだりしているから大好きだし、頑張ってもらいたい、でもやはり彼は私の宝なんだ。
後輩から彼の存在は先輩にとってなんですか?
と言われたの時私は迷わず『俺の命』と答えてしまった。
その幼稚園児の彼が今大学の試合に出てる。
学校の代表として選手として出ることさえ難しいことは私が一番が知っている。
勝ってほしい。
それは応援に行っているんだからというより、応援とかの心より君を見に行きたいと仕事を休んでも足を運んだ。
試合が始まる少し前になるとこっちが緊張のど真ん中であぐらをかいてる。
でも気分はお忍びで見ている。
そして試合は思う通りにはいかなかった。
でも試合って勝つ人がいるから負ける人がいる。
当たり前だけどなんとも残酷なことなんだとも思う。
この子たちにいつも言ってきたこと『試合は誰のためにするか?』そうすると最初は『はい、自分のために頑張ります』って答える。
だからお前たちは勝てないんだよ。
『試合は結果なんだし相手も勝ちたいと思う、もし自分のためだと思ってたら負けたら自分が一番悲しいだろ、それじゃ勝負をあきらめても自分が一番悲しいで終われる。違うんだよ、試合は一番真剣に支えてくれはお父さんやお母さんや先生の為にやるんだよ。だから辛くて負けそうだと思った時ここで負けたら俺より何倍も周りが悲しむと思うから最後の頑張りに繋がるんだよ』って言う。
付け加えるように『君たちは親のどんな表情が好き?』というと『笑っている顔』と答える。
そうだよ、俺も親の笑っている顔が大好き。
だから試合に勝って賞状やメダルは親にあげなさい。
そうしたら親は本当の心からの笑顔を君にするね。
それが君の最高の表彰状だよ。
でも親は勝つことだけを本当は願っていないとも思っている。
なんで彼をそこまで思うかといえば同じ年の娘が私にもいるからだ。
勝つことの喜びより、負けた時の悔しさの方が記憶としてもこれからの人生のことにとってもいいことだと思う。
なに不自由なく育った子が大人になって少し注意されると凹むどころか、人生を終わりだと錯覚してしまう。
たくさん色々なことに出会い、そして失敗をしたり、注意されると挫折するということより早く立ち直ろうとか、5回は同じ失敗はしないようにと考える。
そして落ちている時は一人じゃないんだと、うなだれた首をもたげると仲間が心配そうに見守ってくれている。
はじめはそれだったら早く言葉をかけてくれと思ってたけど、自分の足で立ち上がるまで見守る愛情の方がどんなに辛いかを感じたから、私もそんな時は声をかけない。
勝ってほしいと祈る心、負けて悔しいと感じるそれも大切と思う心。
彼にはこんなメールを送った。
『昨日はお疲れ様。あなたの試合はいつも俺たちを感動させてくれてありがとう。負けることは悔しいから負ける意味があるだね。また大きくなれる努力の時間がもらえたね。また一緒に稽古しよう』
昨日は試合後に仕事に戻り、彼の兄貴と飲んだ。
たくさん水分を取り過ぎてしまったら目頭から感動の水がたくさん出てしまった。

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『こんなんだったら』
学生時代数えきれないほど試合をやった。
結果は高校で東京都で優勝したこと関東大会で準優勝、大学では全日本選手権に出場したからかなり勝率はすごいんでしょうねって言われたことがあるんですが、私の場合試合結果を残していたので調べてみたら68%だった。
もっと言ってしまうと練習試合まで入れると60%弱なのである。
この数字を見て何を感じるか?
勝率6割ならたくさんいるよと思う。
そして四割も負けているんじゃない。
それで東京都で優勝できるくらい強いの?って思われるけどそこなんです。
実はそんなに強くなくても勝てるんですよ。
というより神様にこのときだけは勝たせて下さい。と願っていました。
だからどんな試合にもどんな相手にも、どんな状況でも勝てたわけではないんです。
勝負の神様に魂を売った男はその大事な時にだけでいいからと約束したんです。
だから私は勝率より大切な時に勝つ。
もっと言ってしまうと私は試合を楽しみにしたことはないといってもいいかな。
試合は今でも好きではない、できることなら出たくない。
でもそのかわり自分がする監督は好きなんです。
勝てないと思っている人に勝たせてあげたいから、私も強くないのに勝てたやり方を教えてあげればだいたいの人は少々のことは勝てる。
でもそういいながらも、私もやっぱりいつも勝ちたい、そして大切な時にすべて勝ちたいと思うのは誰でも一緒だと思うけど、それは不可能。
そしていつも学生時代考えていたのは、いくら強い相手でもじっとしてくれたら勝てる。
当り前か。
普通の人はライバル的な人がいたらそいつよりも早い面を打っために稽古したり、応じ技や返し技、または強い相手と試合稽古したりして自分の力をあげる。
これは普通の一般的な考えで大正解なんですが、私はちょっと違う!
だいたい体を動かすことが好きではないから楽して勝ちたい的な感じなんです。
勝負をする前の人にはあるまじきことの考えた祈り。
相手が試合に来なければいいな!
おれの相手だけ病気にならないかな?
俺が打つときだけ目にゴミが入って目をつぶってしまうとか、やる気のない相手とか、もっと言ってしまえば俺が打っていく時はじっとしててくれないかな?
と本気で思ってた。
私の嫌いな言葉『切磋琢磨』
好きな言葉『他力本願』
良く言われるんですけど、負けず嫌いですよね?って言われるんですが、私は違います『勝ち好き』なんです。
ここで負けず嫌いと勝ち好きの違いを私なりに解説すると、負けず嫌いは負けるともう一度勝負したいそして絶対に次は勝ってやる!と思って努力する。
だからたくさん稽古して満足感と共にいい汗かく。そして結果を残して周りも納得。
でも私の勝ち好きは同じ負けたときでも、その悔しさを覚えて『ちくしょうなんとかならないか』と試合内容を振り返って、いつも感じるのは最後まで持たなかった体力と精神力。
もう自分ではこれ以上苦しいことはしたくないから、勝たせてくれよ!って思ってみると意外に勝てるポイントみたいなことが見えてくるんです。
詳しくは書ききれないけど自分がだめな時ほど竹刀はよく生きていたし、大人になってからも大二日酔いで出た試合が入賞だったりしたりわからないものだというか、別な力が働くのかもしれないと思った。
というのももう何年か前に肩を壊してしまいまるで打てないというんじゃなく、肩が動かない状態になってしまった時もうこのまま肩を動かさない剣道になるんじゃないかな?
って本気で思った。
でも少したって稽古をし始めてもまるで動かない。
ここで自分より年齢も段位も下だと思っている人ばかりなら、何とか相手ぐらいはできるけど、やっぱり上の人とやる時にはそうはいかないと思っている。
時々ほかの稽古会で感じるのですが、私が偉そうに段が上という意味ではなく、かかってきた人が私にかかってくるという気持ではなく、さぁお前が出てきたら打ってやるぞって雰囲気をかもしだしている人がいるんですが、その相手にも打っていけないんです。
私はそんなに剣道好きではないから稽古では打たれても良いし、もっと言ってしまうと打たれかたに意味がある方がいいとも思っている
でも肩が動かないとどうにもこうにも剣道にならない。
それでも先生との稽古は何かを求めて稽古となる。
別に打たれることはいつものことだけど打たれかたが悪いなら、稽古にかからない方がいいと思っている。
ちょっと複雑な言い回しだけど、相手をまして上席なら当ててどうこうではなく、優先順位は『潔さ』何だと思う。
武士道とは死ぬことなりという言葉は『死』ということだけではなく現代では、素直に身を投じるとか、自我をなくすとか、人が嫌なことはしないとかの様に我が身の喜びは相手の先の喜びと思う。
だから一生懸命に打ちにいかなくては意味がない。
でも意外とそんな肩がだめたったり、肘が痛い時の方が内容は良かったりする。
何年も剣道してて感じるのは怪我をしている方が結果はいい。
『こんなんだったら、試合や審査前は怪我をした方がいいのか?』
とさえ思ったしまう。
そして肩が悪くて動かないとき感じたのはなんで体の一部がだめな時ほどいいのか?
それは他の所がカバーをしてくれるという感じなのだと思った。
いくら頭で力を抜けと思ってもその場所が動くと本能がどうしてもその場所を指示してしまう。
だからよくある言葉で『力を抜いているつもりなんですが、無意識に力が入ってしまう』これなんですね。
私も肩を壊し動かなくなった時、相手が打ってきた面に対して打とうと思ったら手が動かなくなった。
あ〜〜〜打たれると思った時、自分の竹刀がすり抜けるように相手の面にあたった。
何が起きたか分からなかったし、どうして当たったんだろう?
自分でもわからなかった。
それも相手は師匠。
まさに火事場のバカ力的とっさのことなんです。
その時たまたまビデオを撮っていたので見たら当たっている。
でも何で当たったのかわからない、それから何十回とそのビデオを見てわかったことがあり、今度はわざとその面打ちに取り組んでみた。
もう何年かやっているし何千回と打ったと思う。
そうしたらなんかやっと感覚的なものがつかめ、八段審査の時もやってみたら当たった。
これはなかなか言葉に表せないものなんです。
というのも少し自分的につかんだので弟子や教え子に伝えてもなかなか伝わらない。
他の技はそれなりに理解できるみたいだけどこの裏筋の面はよほど右肩を動かなくならないとできないのかもしれないと思った。
まぁ、ただ動かないからと言ってできるものではないのですけど。
そしたら甲野先生のビデオを見たらまさに私のやっと考えが理論と同じだった。
それがこのビデオです。
影抜
このビデオの説明の中にあったけど、相手に対して気合いを入れて打ち込めば相手はその動作を予測して打ち負けないと力が入るけど、それは本来の自分の力より打ち負けないと思うから力が入る。
そうすると自然と裏が開く。
こっちはその途中でというよりも気合いは満載だけど肩が動かないから竹刀は遅れてくる。
野球でいうところのチェンジアップみたいに投球フォームは速い球と同じなのに球はずいぶん遅いとイメージがずれてしまう、またはフォークボールような手元にきてスーッと落ちる。
このような現象に近いと思う。
もっと言ってしまうと相手が面が早い人や、前に出足の良い人ほど楽に当たる。
なんとも省エネな技なんです。
怪我をして悔しい、残念と思うより、そのときだからできることがある。
人間は生きている上で無駄な時間は一秒もないという言葉があるように、だめな時ほど大チャンス!
それは次に良い波が来た時に何倍も良くなることが今なんだといつも思っている。
何事も『教えて下さい』ではなにも自分には入らない、『盗んでやろう』という感覚で稽古を見ていると竹刀を振るより身に入る。
楽しんで稽古したいと私は思うけど、すぐ疲れてしまうからなるべく動かないで上達したいと考えるとこうなるんですよね。
会話も剣道も自分が満足するより、相手が飽きないで付き合ってくれることをいつも考えている。
すごく強いといわれる剣道より、見たことない剣道と言われることの方が私は嬉しいのかもしれない。
そして人の見えないところで努力している姿が一番好きなのかもしれない。

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『ご褒美的な一日』
知り合いに誘われてとても感動的な一日を過ごせた。
心から今まで剣道続けてて良かったと思える日だった。
25年位前にはまったように『六三四の剣』という漫画が大好きで毎週楽しみで見ていたし、テレビゲームも買ったし、そして話しの中の剣道の言葉や戒めや心の動きなど私の今までの剣道を続けていく中でとっても影響を受けたといっても言い過ぎではないのです。
だから剣道も上段の構えが大好きなんですよね。
なにしろ一発で仕留めるような切羽詰まった感じがたまらなく良い。
だからこの『六三四の剣』を書いた作者の人に会ってみたいと思っていた。
それが現実となった。
それもその場所には去年全日本剣道選手権で優勝した正代君も来るという。
というより正代君も『六三四の剣』の大ファンだったということでこの集まりが企画されたらしい。
私はそこに便乗させてもらったということですね。
そして図々しくも記念撮影もしてもらっちゃいました。

正代君はとっても礼儀正しくて初めての私にも丁寧な話し方でこっちの方が恐縮してしまう。
そして何しろ『六三四の剣』の作者村上もとか先生は本当に素晴らしい人柄で話しもみんなと合わせてくれるし、写真も良いですよと言ってくれるし、サインも書いてくれた。
それも一枚一枚丁寧に絵つきで書いてくれてみんな幸せいっぱいという気持ちになった。
私も今連載中の『JIN』という本を頂きそこには息子のためにサインも書いてくれた。

なんという豪華な本が出来上がった。
村上先生と正代君のサインが一緒に入ってる。
この世に一冊しかない本が出来上がった。
日本の頂点に立った正代君や有名な作家の村上先生の一言一言や行動を見ていると本当に人柄がよく、そして何より努力をすること、そして今やっていること愛していること、そしてなにより周りの人に感謝の心を忘れない。
剣道は人の道なりの言葉の如く、剣道上達には人柄が良くなることも不可欠なんだとあたり前なことを改めて気づかせてもらいました。
そしてその中で色々と話させていただき本当に興味深い先生にお会いできた。

一言では言い表せきれないほどの大きな懐をもった先生の話はまた私に新しい一ページを増やせてくれた。
興奮して最高に幸せな一日を過ごせました。
本当に感謝の心でいっぱいです。
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『審査の季節』
剣道は審査のためにやっている訳ではないけどやっぱり励みとしたり、目標としては昇段というのは良いことだと思うけど、今の審査は本当に難しい。
ダイエットと同じで一人ではくじけてしまう。
私の気持ちとしては楽しんで正しく、強く、自分の思うとおり剣道ができたら最高なんだけど、そんなに甘くない。
稽古をたくさんしているのにどうして審査で落ちてしまうとか、俺はなかなか稽古ではいけてると思うけど受からない、そんな人を見ていると稽古を一人でやっている気がしてならない。
稽古は一人ではできないよ?
と思うけどそれは剣道の竹刀を持った時のことです。
私のいう一人じゃないは、支えてくれる人、一緒に歩んでくれる人、心から応援してくれる人、そして嫌なことでも嫌われると思うことでも信頼関係で言ってくれる人。
それでも大体の人は仲間も一緒にいるし先生もいるし、ちゃんとやっているという。
でもそんな人が源流舘に稽古に来るとやっぱりここは違いますねと言葉にする。
そうなんです、剣道を不真面目にやっている人の方が極々わずかでほとんどの人は真面目に取り組んでいるからがてんがいかないのです。
私たちは本当に優しくないけど、その人の良さを見抜き今何をしなければいけないかと言葉にしたりします。
だから自分の道場でもあり、副館長の私は自分の道場で稽古するのが一番つらいです。
今は形をよくやっていますが、形をどんな気持ちでやらないといけないかと、相手に教えるならその本当の気持ちを自分で勉強したり、師匠に聞いたり、もちろん試合にも出たりして自分の力量をわかって、次の人に伝える。
私の場合他の道場にあまり行かないから自分の思いを通せる。
他の道場に行くとやはり心も動きもぶれてしまう。
新鮮な気持ちも山ほどあって楽しい時もあるけどまだ定まっていない気がする。
渋谷区の合同稽古会は自分の道場と同じたし、今まで知りあえた道場も自分の道場と同じ気持ちでできる。
だから気持ちを変えないでできる。
良く聞く言葉に色々な人とやらないと審査は色々な人とやるんだから勉強になるよと。
それは間違っていないけど、そのつど自分の剣道を変えていたらおかしくなってしまう。
だからだれとやっても自分の思いを曲げずにできるかの心が大切だと思う。
今源流舘はたくさんの稽古人が来てくれているけど、私は責任者の立場でこの道場に合わない人は入れさせないし、途中から変わってしまうのであっても丁重に辞めてもらう。
これは源流舘を守ることだと思っている。
人数の多いいことが良いことでもないし、他にもたくさんいい道場があるし、なによりも信頼関係がないのは何事にもよくないと思っている。
だから真剣に教える。
まさか受かるとは思えない人が受かるのもちゃんと信頼関係があるから私は当たり前だと思っている。
合格したいなら何をしなければいけないかを考えることがまず初めだと思う。
源流舘に来てくれる人、そして仲良く皆と稽古できる人は、たとえ今はたいしたことはなくても2年位辛抱していれば目標に近づけると思う。
いつも言うけど数回の稽古で合格できますか?
ときかれればそれは無理です。
でも二年以上信じてきてくれるということは源流舘皆が認めたんだから大丈夫だといいます。
落ちたら私はその人に謝ります。
それが例え弟子でも心からすみませんでしたと声を出して謝ります。
慕ってきている人を落ちて当たり前だなんて思うくらいならその前に審査に行かせません。
それが信頼というものだと思います。
だからビデオを使ったり話をしたり、その本人より努力をします。
だから共(友)に歩いているという感じになれるんです。
愛情なくして昇段は難しいと思います。
受かる秘訣は教えてくれる人を信じて疑わず、愚痴も言わずついていくことが一番の近道ですね。
今年も私を含めて八段を三人受験し、七段六段四段二段初段と審査の花盛りです。
全員落ちたら私は皆の前で土下座をして謝りたいと思っています。
信頼の中で剣道をする喜びは幸せですね。
今週は渋谷区合同稽古会も日曜日にあるし、あの人とも稽古ができるなとちょっと嬉しい気分です。
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『子供と剣道』
剣道を続けていけば習う方から教える方になることもある。
教えるという立場になると色々なことがわかったり、気づいたりするし、教えていると思っていたけど本当はいっぱい子供や初心者の人から教わることもあると強く感じる。
何よりも人との繋がりの大切さを感じることや温もりを感じたり、時には裏切られることや残念なこともあるけどその一つ一つが本当に人間として成長していくんだと感じる。
剣道の強い人が教え方が上手かといえばそうとも限らないし、段位は低くても一生懸命真剣に取り組んでいる指導者にはとてもいい教え子がいっぱいいる。
私も源流舘では大人だけの稽古なのですが、自分の巣立った笹塚同志会というところで火曜日の指導担当を任されてやってきた。
もう20年近くやっているからかなり教え子もいっぱいいると思う。
その中には教え子というよりもっと強い信頼関係の師弟関係になった弟子も何人かいる。
私のような者が師匠と呼ばれるのも臆がましい気はするけどそれだけの心を持ってついてきてくれることに私もやはり嬉しい気はある。
でもやたらめったら弟子は取りたくない、というより私の中では弟子という存在は時には我子よりも可愛いと感じることもあるし、誰にも言えないことや辛いことを共有してきた仲間という意識もあるし、何より心配だと感じる。
私は財力も地位もないから弟子が本当に困っても助けてあげられることはできないけど、話しを聞いてあげることやそのことについて一緒に考えることだけは愛情を持っていると思う。
こんな我儘な師匠の私によく今でもついてきてくれたなぁとつくづく感謝の心でいっぱいなのです。
同志会という道場は、子供を中心として稽古しているのですが、剣道だけではなく正しい礼儀作法や人としての大切な心のようなことを育成する道場なのです。
そして今は私の弟子が責任者として指導を行い始め、とてもいい感じになってきた。
師匠としては本当に嬉しい限りだと思うし、いい意味でも師弟関係の中には距離感が大切だと思っている。
だから私はもう大丈夫だと感じたから去年あと一年で私は指導担当から身を引きますと伝えた。
弟子が一生懸命真面目に取り組んでいる姿は本当に嬉しいし、師匠としても独り立ちしていく姿はこの上ない幸せを感じる。
もう道場を任せてもいいと感じる。
これからは一切指導についてはコメントも助言もしないつもりだし、困った時は自分の力で乗り越えて行け!と思っている。
『それでも本当にどうにも行かなくなったり、時には愚痴を言いたくなったら言いに来なさい、私は聞いてあげることしかできないけどね』
と彼には言った。
物事を行っていく上で自分の思い通りに行く方が少ないからこそやりがいがあると思う。
そんなことを思いながら昔のビデオを整理したら面白いビデオがあった。
昔から時々子供たちの稽古をビデオに撮ったりする。
素振りや打ち込みや試合など道場での姿を見て自分を知ることが一番いいと思っているからだ。
記録や記念にもなると思っているしね。
でもだいたいは消して次のを入れたりするか、みんなにあげてしまうからあまり手元には残っていないのだけど15年ほど前のがあった。
私の動きも若いしなにより子供たちが小さいのにもかかわらず頑張っている。
その当時は個人も団体も渋谷区では優勝してきたし、東京都の大会でも本気で上位を目指そうと子供たちにも言っていたから稽古は一段ときつかったと思う。
いま改めてみると本当にこの子たち頑張っているなぁ〜〜〜〜と感じる。
子供たちと稽古
今こんなことしたら親に怒られちゃうかもしれないけど、その当時はかえって親には喜ばれました。
剣道の成績も良かったけど、この子たちは性格も良いから礼儀もいい。
子供と剣道
この二つのビデオはいじめている訳でも、機嫌が悪い訳でもありません。
毎週こんな感じで稽古の最後はこの掛り稽古で〆て終わりでした。
子供たちから私は嫌われてはいないと感じていますし、剣道以外の時は一緒に遊んだり我家にきてテレビゲームをやったり、お菓子パーティーをしていました。
でも恐がられていたのは確かですね。
今でも教え子たちに会うと目が微かにビビっていることはわかります。
だから時々会うくらいで師弟関係は上手くいくのかもしれませんね。
この子たちはもう成人式を済ませて立派な大人になっているし、大学で剣道している子はすごく強くなって全日本学生選手権で活躍を期待できるほどなんです。
いまでは私は弟子に打たれっぱなしですがそれも嬉しいものですね。
もう剣道もお酒も皆には勝てなくなってしまったけど、私にはまだまだ彼には勝てるものがあるから・・・・・?
ずっとずっと頑張ってもらいたいものです。
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『かかる稽古』
稽古はいつもやればいいものではない。やる意味をを持ってやった方がいい。
大まかに言って稽古は三種類。
@ 自分の道場でやる稽古。
A 他の道場でやる稽古。
B 色々な人が集まる合同稽古。
この中で一番つらい稽古はどの稽古ですか?と聞かれたら何と答えますか?
私は即答で@の自分の道場で稽古するのが一番つらい。
辛いというのは何が?と聞かれれば責任を感じながら物事を進めていくこともそうですが、時々お願いをする師匠との稽古なんです。
肉体的に辛いとかより、精神的にと言った方が正しいかもしれません。
師匠にはたくさんの人が並ぶ中に私の弟子がいるので稽古が終って『なんで先生に稽古をお願いをする?』と聞いたら。
見ているだけでなんか違うオーラがあるからやってみたいと思うし、もしこんな技を出したらどうなるんだろうか?とか、そしてやり終わるとすごい達成感がある。
と言った。
まさに良い答えだけどそれだったらその学校に入れば?と思う。
もっといえばそのくらい素晴らしいと感じるならもっとやるべきことがあると思う。
弟子にそれは試し稽古なんだよ、だから面白いし、自分の力を相手はどのくらい評価してくれるか?
そしてよければ『私の剣道はどうでしょうか?』なんて聞くのは自分の道場でやる気持ちではない。
それは合同稽古会的な気分なんです。
他の道場に行くというのは私の場合呼ばれていく機会が多いというか、私は稽古があまり好きではないから自分から探していこうとは思わない。
でも色々と楽しく行きますが、行くとやっぱり色々なことに気を使って稽古するけど相手側も楽しく気を使ってくれる。
合わせる稽古なんだと思う。
なぜ自分の道場の稽古はつらいか?
それは師匠に『かかる稽古』だから。
上手く打ちたいだとか、思い切り打つ、一生懸命やるなんてごく普通の気持ちで稽古ならかかる気持ちではない。
かかる稽古とは・・・・・・・・・。
答えが出せれば書きたいけど書けないほどまだ手探り状態!
え、何年師匠とかかわっているの?
と言われればそうですね、30年以上かな。
それで手探り!
だからかかる稽古なんです。
簡単な気持ちでかかったことなんてないし、打ちたいなんて思ってかかったことはない、じゃ何を一番に思ってかかっているか?と聞かれればすごい面を打たれたいからかかっている。
これに尽きるかもしれない。
打たれるなんて簡単じゃないかと思うけど一番難しい。
弱い人を打って楽しいと思いますか?
まして弟子を打って楽しいと思いますか?
気が合わない人を色を見せて当てたいから打って楽しいと思いますか?
私は全然楽しくない。
強い人を心の通じる人を打って楽しいと思うけど、それをただ抜きや誘いや待ちで打っても意味がない。
強い人を素晴らしいと感じ、そのもっとすごい気持ちで構えそして少しでも気遅れしないように全神経を集中して、まして師匠なら、下がらない、よけない、応じない、返さない何よりも出鼻を狙わない。
そして攻めて面を打つ入りを単調にならない。
相手の気を盛り上げる相手との見えない風船を瀬戸際まで膨らます。
弟子が師匠にその気持ちで行ったら結果はどうなるでしょうか?
そうしたら正しくすごい面を打たれる。
それが私たちの八段と七段の師弟関係なんです。
決して真似はしない方がいいですよ、形だけをまねようとすると剣道を止めたくなりますから。
『かかる稽古は打たれて評価』と言った人は本当にわかってると感じてる。
だからかかる稽古は当たったことを評価するんじゃなく『合った機会があったね』と師匠から言われたら少し合格点近くまで行ったのかもしれないと嬉しく感じる。
褒められるために稽古はしないし、自分から教えてくださいも言わない、相手が言いたくなるまでただひたすらに稽古する、そして少しでも技も心も話も盗む。
それが近道かもしれない。
なんとも剣道は大変だ。
楽しくやるのが一番だけど、それでは今の昇段審査は受からないから頑張る仲間とともに歩む。
辛いけど源流館を誰よりも私は愛している。

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『打ち切る』
良く打ち切りなさいって言われるけどそれが剣道の一番難しいことだと思う。
その気持ちも大切だけどどうしたら打ち切れることができるか?
簡単に言葉にできるくらいなら誰でもできるとおもうけど初心者の方にはなかなか気持ちの面まで理解が難しい、私もまだできないのに七段でいる。
心の打ち切りはまだ先だとしても少しくらい形にあらわせたいと思い、私は柄を変えた。
39の竹刀に37の柄を付けると私の手の大きさだとほとんど小手がついたみたいになってしまうけどその方が胸も背中も割れるように大きく構えられる。
そして相手の面を打つ時は真ん中を打つのではなく、真っ直ぐ振りかぶって当たる瞬間に相手の右面の紐の所(自分から見ると左側裏の方)を手首を入れて打つ。
手首を絞ると言う感覚と言うより、右手の親指を相手の右目の所に差し込むようなイメージで行う。
注意点はどうしても竹刀を回してしまいがちになるから振り上げるときは真っ直ぐ下ろす途中までも真ん中を通し最後にその部分に竹刀を置きに行く感じ。
最初から力を入れすぎると上手くできないし、急に右手をひねるから手首やひじを痛める可能性もあるので注意してほしい。
その打ち形をするのには柄が長いと出来ないんですよね。
剣道はいつも言いますが、だれでもできるかわりに剣道は絶対にこのやり方が一番はないのです。
剣道の面白さ難しさの中にもあるとおもうのは、自分探しの剣道。
自分で自分に合った剣道を探し、求めるのも良いかもしれませんね。
そして攻めから入りは蛙が水の上の葉っぱの上を、ピョコン、ピョコンとどぴ越えて行くように無駄な力を入れすぎず、そうかと言ってその場に長くいたら沈んでしまうし、踏ん張りすぎても飛び移れない。
虎が獲物を狙うような気合いをもち、蛙のような身軽さで起こりを悟られず、それでいて大きな風が湖面全体を叩くかのごとく打つ。そのあとは波紋のようにゆっくりそして大きく後を取る。
それができたら九段だね。
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『面と胴と背中』
私は胴がどうしても上手く打てない。
これは子供の頃からの悩みでもある。
悩みと言ってもそんなに悩んでいたわけではないけど、やっぱり返し胴を打つ人を見ているとなんともうらやましいと感じていた。
試合は小手と面と押し出し?で勝ち抜いていたし、審査もだいたい面だけで七段になったと言っても過言ではない。
だったら今更胴なんて良いじゃないかと思うけど、面を打つにはその対角にある胴を打てないとその面が光らない。
だから色々なことを考えてみた。
そして稽古の時胴の下手な人と上手い人、面が下手な人と上手い人の稽古を見ていたらなんかイメージの違いを感じた。
私は技を当てることより、打ったあと自分の背中を相手に対してどうなっているかという違いに着目した。
当てることは瞬間、でもそれだけでは何の意味もないと思った。
試合でも当たったことだけではだめで、決めるという動作がないと一本にならない。
お金も将来の希望や買いたいものがあるから頑張って貯金できるけど、それがないとなかなかお金を貯めようと思っても貯まらない。
だから私は当たる瞬間より、当たった後の姿のことを考えて何回もビデオを見てみた。
そしてわかったのは面打ちがどうも上手くいかないと言う人は相手の面を打ってもその場打ちになって、面を当たる所までは全力で打つけどそこで終ってしまう。
ましてや当たらないと気合いまでなくなる。
面は打ち抜け!
と言葉にあるなら相手を打ち抜けば相手を通り過ぎる。
と言うことは一瞬相手に背中を見せるくらい後を取って行く。
でももちろんそのままなら相手に打たれてしまうから、相手を打ち抜いたらすぐに振り返り残心を取る。
上手く打てない人はどうしても打たれまいと先に頭で考えてしまい思い切り打ちぬく潔さがなくなり、相手を打ち、抜けていけない。
そう、当たってなくてもいいから打ち抜く心をもって面を打つ。
そうすると当たった時は相手を通り抜ける。
『勝って背中を見せる!』がこれですね。
胴打ちはその逆で背中を自分から見せない。
それでは決めの姿になっていないと思うかもしれないけど意外とそうではない。
胴は打ち抜くと言うより、打ち切る!
下手な人は手だけで胴を抜く動作をする。
それは自分だけの満足で、相手も見ている人も納得をしていないと感じた。
私の胴打ちもそんな感じだった。
だから胴は自分からは竹刀は抜かない。
胴の当たる所を切る感じなら自分から抜くのではなく、相手が面を打ち抜けていくから結果的に抜いているように見えるけど手で抜くのではなく、腰の回転で切る。
無理して手だけで抜こうとすれば詰まってしまうから。
胴に当たった瞬間はしっかり打つけど、あとは抜くことより、逆に左腰を開いて相手に対してすぐに構える。
だから相手には自分の背中を見せない気持。
この感じの違いだけでずいぶん私は変わったような感じになった。
特に胴は上手い人ほど相手の力を利用する。
そしてそれはその前に相手をその気にさせるとか、相手を苦しくさせるとかの攻め合いの関係を大切にしている。
面も胴もなんか今まで逆の発想やイメージでやってきたのだと思った。
これはくれぐれも私の見解ですので皆様に合うかどうかは保証できません。
今は本当に自分をライバルだと感じて、もう一人の自分を見つめ直している感じです。
良いものを取り入れると言うのではなく、逆転の発想からの発見をしています。
竹刀の握りや打ちの強さもそうなんです。
その年代にあった力加減があるから、一概に力強くでもなければ柔らかくでもないのです。
自分に合った力の入れ方を探すのも剣道の面白いことの一つかもしれませんね。
雨の日に傘をさしていても笑われないけど、雨の降っていないときにさして歩いていると笑われそうだけど日差しが強ければ日傘も当たり前でおかしくない。
剣道もその一本に意味のある攻めやタイミングや根拠みたいなものを自分で説明できればその技は当たろうが外れようが関係なく意味のある技なんですよね。
背中を見せるとは目線を外すからいけないことのようだけど、もっと大切な心の目があるならそれで見ればいい。
力もどのくらいが良いかは今の自分の稽古量と内容と考え方次第なんですよね。
先日、梅の写真を撮りに行ってきたらまだまだ蕾が多くて、そこにいた写真家の人に『まだ早いですね、見頃は来週あたりですかね?』と尋ねたら、『いやいや梅の花びらの活き活きした写真を撮るなら、もう少し遅いよ』と言われました。
咲いて満開の華やかさより、一つ一つ寒さに負けず今の思いを花びらに感じたいなら、その前から見ていないとね。
なるほど、たまに来るから良い所を撮りたいから満開を狙うけど、本来の花は咲き開く前に一番良い姿があるのかもしれない。

これが今年の私の一番好きな梅の写真です。
梅のように寒さの中でも自分らしく咲き、いい香りを漂わせたいものです。
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『一足の心』
剣道は一足で打ちなさいと言われる。
剣道の構えも打ち方も普段の生活の自然の歩みとは違う。
いまさら言うことではないけど、だから剣道は難しいと言われる要因の一つでもあると思う。
右手を出しながら右足を出して、半身にならず真っ直ぐ打ち込みなさい。
初めての人には本当に難しいし、理解しようとすればするほど『そんなこと理論的に無理』だと感じてしまう。
剣道はいつ始めても楽しめるのですが、やはり子供の時からやっている人と30歳を過ぎてから始めた人とではやっぱり違いが出てしまう。
不自然な剣道の動きを自然と思えるのはやはり子供の時の理論で考えるより体で覚えるに越したことがないと思う。
そしてよく言われる、剣道の技は『手で打つな足で打て。足で打つな腰で打て。』と言う言葉の意味。
私が思うにこの言葉は剣道の段階として大切だと思う。
やはり竹刀を持っているのは手だしそれが動いて初めて技となる。
特に初心者の人や学生時代は試合に勝ちたいと強く思うし、結果が出ないと剣道してても面白くない。
だから当てることも大切な段階だと思うし、そして少し上達したら手だけが勝ち過ぎないで、足を出しましようと思うのです。
そして足が出るようになれば、体の中心の腰を出しましょうということではないかと感じている。
だったら最初から腰を出せと言えばいいと思うかもしれないけど、初心者の子どもにそこに捉われ過ぎると試合に勝てないどころか面白くもないから、はじめは何でもいいから元気よく大きな声を出して打ちこみなさいと言うのだと思う。
私も子供の指導をしてきたからわかるけどまずは元気良くないと剣道は続かないし、あまり細かいことばかりでは面白くない。
何事も徐々に段階的に指導も理論も変わってくるし、それで良いと思う。
そして力いっぱい打つことができたら、徐々に無駄な力を抜いていく。
その無駄な力とは何かとは言葉や文章にはできない。
前にも書いたけど、人は全て同じではなく顔も体系も考え方も違う。
だからこれが絶対理論が剣道にはないと思っている。
でも今私が思い描いていることは攻めや入りの段階では力を一ヶ所に集めない。
例えは適切ではないかもしれないけど、宴会で会計を一人で払おうとすればお金も大変だし、何回もそんなことしているとその宴会自体やりたくなくなってしまう。
周りの人だって本当の仲間ならおごってもらうばかりでは悪いと思う。
だから会話もお金もみんなで均等にすることが楽しくて、負担がないですよね。
体も同じではないかと思う。
長く続けたければ、そして爽やかに打ちたければ、一ヶ所に力を入れすぎるのではなく、できるだけ全身を使う。
一ヶ所ばかり使うと、満足感はあるけど、そこばかり疲れてしまうし、辛くなってしまう。
誰だって早く打ちたいと思うけど、早く打つならやっぱり一番前にある手を動かす事に集中する。
そうすると腕や肩の関節を痛めてしまい、剣道自体を休まなくてはならなくなる。
剣道をやりたいのに無理して一ヶ所に負担をかけすぎて、自分から剣道を止めるように稽古をしてしまう。
だから無理をしすぎてはいけない。
でもそれでは強くならないじゃない、成長もできないじゃないかと感じてしまう。
だからその打突の時に最小限の力で最大の威力となるように体全部を使って打つ。
ユーチューブの動画を見ていたら子供の試合を撮っている人がいてそれはただの記念ビデオではなく解説をつけ、スローでも再生してくれている。
当たり前だけどこんな小さな子供は力があるわけではない。
大人からみたら本当に微力だと思うけど、その技を決まった時の瞬間はしっかり打っている。
手だけの力ではこんな風には打てない。
力のある人ほど力に頼ってしまう。
年齢を重ねていけば自然と体や運動能力は落ちていく、でも剣道はそれだけで弱くなっていくものではなく、かえって強くなっている。
まさにこんなところも初心に帰るなのかもしれない。
これがそのユーチューブです。
良かったらご覧ください。
ビデオ
子供は自然と無意識に力を分散させている。
そして一足で打つことの大切さや最短距離で打つことの意味みたいなことを感じる。
本当に無駄な力を抜くといことは、剣の冴えにもつながる。
そして一足で打つことにより分散した力が打つ瞬間に集中する。
『ため』は力んで作るのではなく全身に力が均等に分散できたとき、それが自然の『ため』となり、残心までのつながりの力となる。
審査合格の秘訣と言うほどたいそうなことではないけど、打突は一瞬だけど堂々としたしっかりした残心の姿の方が審査員の印象に残る。
当たることよりそのあとの姿が良いと当たったようにも見える。
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『上善水如』
剣道にかぎられたことではないとは思いますが、人が人を指導するという事や、皆の模範となって上に立つ人は、ただ高段者だからと言うことではないと私は思っています。
そうなるべき人が正しく努力をし、稽古に励む真剣さを次の人の為に背中を見せ、次の時代への掛け渡しだと思っています。
特に武道とはその年代にとって向かい合う角度が違うと感じています。
若い時は体を動かし試合の結果を重んじるし、打たれず相手を打って勝つことが良いとされ、学生剣道から離れると昇段を目指し当てることより、打ち抜くこと、そして正しく美しくを求め稽古する。
八段となれば全ての剣士の見本となる剣風・構え・打ちと良い人格を兼ね備えてより一層の努力をし稽古に励む。
新年の稽古会で師匠と稽古をしてつくづく感じました。
言葉の中に剣道は何歳になってもいつでも相手と真剣な勝負ができる。
それは当てることではなく打ち抜くことに意味があるから。
そして八十歳を過ぎれば剣を持たずとも、力まず・焦らず・迷わず生涯をかけて『日々是剣道』を秘めたる力だと信じて、まっとうしていくと思っています。
だから剣道にはこれで良いというところがなく、最後まで努力できると信じているのです。 私も最近は八段を目指すようになってから、無駄な力を抜いて自然の風のように『ゆるりと間に入り、相手の心を打つ』ことを考えていますがなかなか難しいです。
もちろん審査ですから相手も八段を目指し日々相当な稽古をしてきたと思われます。 その相手を打つのですから並なことをしてもかすることさえできないと思います。
自分でもわからないのですが、二回目の審査の二人目の人とやっているときにまさにそんな感じになれたのです。
気合いを出し相手と気が交わった感覚の時肩の力がスーッと抜けたのです。
自分でも何が起きたのかわからない感覚でした。 そしてその次には面を打ち抜いたのです。
後でビデオを見てみると本当に力が一瞬抜けた感じに見えました。
あれでは相手は避けられないと思いました。
けして早くないけど野心という殺気がないから相手はただ立ちすくむ、になると思いました。
これが居付かせるなんだと感じたのですが、それを毎回出来なくては八段は難しいですね。
この無駄な力を抜くというのは本当に難しいことだと感じていますが、ある先生の居合を拝見していますと本当に爽やかな風の如く、どこにも無理・無駄がなく行きつく所を知っている川の流れの水のように乱れのない姿は本当に勉強になります。
『老子』の言葉の中にある『上善水如』のようです。
「上善」とは、最も理想的な生き方のこと。
老子はそれを「水の如し」であると言い、処世の理想を水の姿に求めたようです。
「水は万物を助け育てながらも自己主張せず、誰しも嫌う低きへ低きへと下る。水は低い所に留まっているが、その心は深く静かである。与えるにわけへだてがない。言動に偽りがない。おさまるべき時には必ずおさまる。働きは無理がない。時にしたがって、変転流動して窮(きわ)まることがない。水と同様に、自己主張せぬもののみが、自在な能力を得るのである。…」
この『見返りなく生きる』こそ『剣道の求める心』だと思います。
そのことが仲間や弟子達への思いでもあり、自在であるからこそしなやかでありながらも芯があると感じています。
我が身の地位名誉だけの『強欲』ではなく、剣道家として正しく剣道をしたいという『善く』を持ち、剣道を通して知り合える人や幸せに生きていく人に愛情を持っているから人も集まってくると思います。
稽古はきっといつもなんかを教えてくれていると感じています。
それを気づくかそうでないかは自分次第なのだと我が身に言い聞かせています。

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『OB稽古会』
高校のOB会の稽古と懇親会の写真をアルバムに載せました。
写真だけ早くと思いとりあえず載せました。
多いいので二つに分けてあります。
スライドショーでご覧頂くと見やすいと思います。
アルバム1
アルバム2

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『大好きな先輩』
源流館も新しい年を迎え、より一層仲間の絆も強く深くなり本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
そして個人個人の目標に向かって気持ちも新たにスタートした。
実に良いものですね、剣道は楽しむということもあるけどきついこともたくさんある。
特に冬は床が冷たいし、寒いから打突が外れるととっても痛い。
でも私は真夏の剣道に比べれば冬の方がいいと思っているんです。
寒いけど動けばあたたかくなりますしね。
今年は特に仲間がやる気があるのか稽古開始を8日と今までにない早さで稽古はじめとなり『おおおお、そのやる気嬉しくなるね』と心から思った。
そしてお客さんも来てくれた。
その人は私の大好きな先輩なんです。
どのくらいお世話になっているかわからないくらいお世話になっているし、今でも渋谷区ではなくてはならない人と私は思っています。
将来はその先輩が剣道連盟の会長になり私が副会長になりたいなぁと夢を持っているのです。
先輩とは今年初めての稽古だからやっぱりいい感じの稽古したいと思った。
竹刀を合わせてすぐに感じた『今日はなにか違う』明らかに攻め方が鋭い!
いつもはどちらかと言うと柔らかい感じの攻めの形なのに、無駄な力は入ってないけどしっかり中心を攻めている。
先を取られている感じが否めない。
でも嬉しかった。
心の中で『先輩とってもいい感じです、今私は負けています。でもその勢いごっつぁんです。その上を行かせて頂きます』と口元に微かな笑みが浮かぶ。
やられているのに楽しくなる。
これは見下しているとかではなく、そしてその勢いの上に乗っかれるなんて保証もないし、ましてや勝てるなんて無理の方が多い。
でもなんかとっても楽しい気分。
変な気分です。
でもそれが『This is 剣道』なんですよね。
攻めても打っても先輩は心も体も崩れないどころか、かえって高揚している感じに思える。
完全に攻めも展開も先を取られているし、流れの主導権は先輩になってる。
強い!このままづっとこんな感じだったら先輩は八段になると本気で思った。
こんな感じがお互いに強くなって行くんだと感じる。
好きな先輩だからこそ打ち抜きたいし、打たれるとその上を目指したいとも思う。
変な妥協も遠慮も打算的気持ちもない。
打たれればもっと相手が唸るような良い入りや攻めをして風のような技を決めたいと思いつつ、稽古をしているとき『とても嬉しい!』という思いの気合いが響く。
そして弟子とも稽古を新年からできたことや、今年一年かけて面打ちを少しづつ変えてあげたいと思う仲間とも稽古ができた。
肩や背中の痛みががあり去年の年末から稽古をしていなかったから、感覚的にはまだまだどうしようもない状態だけどこんな素晴らしい仲間と剣道できる今を感謝している。
社会情勢も経済的にも厳しい時なのに本当にみんな時間をやりくりして稽古に来てくれたことは、私は最大で最高の素敵なお年玉をもらった気分です。
日曜日は高校のOB会だからまた色々な人に会えるし、稽古もできるし、お酒も飲める。
稽古したい先輩もいらっしゃるという連絡も頂き本当に楽しみなんです。
今年も自分に納得の出来る稽古を少しでも多くしたいと願っています。
また今年の稽古の課題の一つに『あとを大きく取る』と考えています。
当たる当たらないに捕らわれず、打って終わりではなく、残心までの大切さを感じながら稽古していこうと思っています。
『終わりよければ全てよし』と言う諺にもあるように、終りの大切さ。
もっと言ってしまえばいくら良い技を打っても、その残心がなければまぐれ当りと同じになってしまう。
Today is the first day of the rest of your life.
こんな思いで日々新鮮に毎日を送って生きていきたいですね。

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『隠されている物』
新年明けましておめでとうございます。
旧年中は多くの人にご覧頂き、そしてお声をかけて頂いたり、メールを頂いたり嬉しく思っています。
私の書き込みをわざわざ見に来て頂けるだけで本当に感謝しています。
今年もちょこちょこという感じでは書けませんが心に残ることがありました時には書き込みをさせて頂きたいと思っています。
少し書き込みをしなかったというか、できなかったのは12月に背中と肩と腕の筋肉というか筋を痛めてしまい、本当にしびれたような痛みで困りました。
シップでは直らず二回ほど医者に行って注射をしてもらいました。
筋肉や関節に打つ注射って普通の注射の三倍位痛いのです。
今はなかなか注射を打つ先生が少なくなったし、あまり頻繁に打つことは好ましくないということなのですが、昔からの先生なので何も言わずに笑顔で注射の用意をしてくれるのです。
私の子供の時からの先生なのでもう85歳を越えているので、細かい字や薬などを見るときは虫眼鏡で見ているし、会話好きなのでなんか症状の話より剣道の話をしてくるのです。
ですので注射を打つのも大体このへんかな?
なんて言いながら打ってくれるんです。
でもとても効くし、何しろ安いんですよ。
そして心から信頼している先生なんです。
この先生は私の顔を見ただけでどこが痛いかとか、調子が悪いとかの場所が分るみたいにもうすでに動いているんです。
やっぱり長年医師をしていると患者の雰囲気だけでだいたいどこが悪いのかがわかるみたいですね。
そんな先生を見ていると昇段審査の気持ちが少し出てきた。
今の剣道審査は五段からかなり難しい合格率になっているし、七段となると7〜8%の合格率。
そんな合格率を乗り越えていくために何をしなくてはならないかというと、『しっかり当たらないとダメ』とか『相手に打たれたらダメ』とか『気合いを大きく出せ』とかというようにやはりその場の現象も大切だと思いますが、それ以上に大切なものは『隠されている物』が一番の評価の対象になっていると感じるのです。
その『隠されている物』というか一般人には見えなくても八段の審査員には見えるものなんです。
それだったらその隠されている物が自分の中になかったら合格しないのか?
といえばまるで合格しないとは言わないけど、ほとんど六段以上では合格はしないと思います。
またわからないことを書いていると言われてしまうのですが、剣道ってそんなものなんですよね。
余談になりますが産婦人科の名医が『私は女性の顔を見ただけで、胸の形や大きさなどほとんど当てられます』と言ってました。
まさに隠されている物がその先生には見えるのです。
じゃ剣道の隠されている物を合格のラインまでもっていくことはどうすればいいか?
それを文章にして実践して七段合格できたらその本は50万円でも売れるよと言われたことがありますが、私もそう思います。
自慢になってしまいますが源流館の合格率の良さはそれをしっているからだし、稽古でそれを妥協しないで行うからだと思います。
そしたら書けるはずだと思うかもしれませんが、人は全て体系や顔や考え方や稽古量が違うのでその人に合ったことを伝えてあげないと無理なんですよね。
私が心の面でいつも言うことは『稽古を好きになると段は受からない』
これは要するに色々な事を常に注意して剣道することは本能をなくすということ、剣道は格闘技的にその場その場の感じで自分でも思いもよらない動きで技が出るのが面白いと思うし、それが本能というものなんですよね。
だから昇段してだいたいの人は今は剣道やってて楽しいという。
そのはずなんです昇段すれば上の席に行けるし、下の人の剣道も見えるから打ちやすいし、打てる。
でもそれをやっていると楽しい剣道はきめ細かくなくなるんですよね。
相手と張り合った時に気持で押されそうと思うと気を外してその場の展開を変えようとするのですよね。
審査前なら打たれてもいいからそこを頑張れと言われていたはずなんですが、そこで頑張ると打たれてしまうのです。
打たれて楽しい剣道なんてたいていの人は思いませんよね。
源流館の七段は本当に打たれるのが上手いですよ。
だから合格できるんですよね。
稽古に来た人が『稽古やってて格の違いを感じる。いくら攻めても動じないし動揺もしない。あれじゃ打てないよ』と言った人がいる。
まさにそれが隠された物なんでしょうね。
ただ他の人とちょっと違うことをしているだけなんですよね。
相手が変な打ち方をするために攻めてくるなら、打たれてもかまわないと思うだけ、自分がここだと思う時は迷わず打ちに行く。
小手や胴は打たれても気にしない。
相手が休んでいるとき(気が抜けたとき)に気持ちを入れる。
打った後など気を抜かないというところですかね。
そして剣道形を考えながら毎回少しでも良いからやる。
稽古前10分もあればできますよね。
本当は30分位やりたいですよね。
なぜ形を少しでもやった方がいいかというのはこんなことかな。
90歳を過ぎたピアニストの人が毎日ピアノを8時間弾く話を聞いて私は形をするときに考えを変えました。
なぜ8時間も弾くのかと言えば、年齢的にも練習しないと指先が衰えるからというのかと思ったら、その90歳のピアニストの人は『なぜそんなに弾くかって、そんなに弾いているつもりはないよ、ただ譜面を見ているとそこに並べてある音符は記号でしかない、でもそれを作った作曲家はどんな思いで作ったんだろうとか、どう弾いてもらいたいんだろうかと思うと、その作曲家のような気分になるし、やればやるほど、気が付かなかったことがまた見えてきたりするんですよ、だから長い時間やっているんじゃなく、納得できないからやっているとそんな時間になってしまうんだね』と聞いたとき私も形に対して考えが変わった。
年末に形の試合を出て途中まで良かったと自分でも思ったけど、六本目で私は終わろうとしてしまい膝を少し曲げてしまった、でもすぐに気がついて立て直してなんとか終わったけどそれが原因で負けたと思っています。
相手の方は私の道場の館長だから大らかにそれは関係ないよと言ってくれたけど明らかに形の流れに膝を曲げる動作はないのだから大きな間違いなのです。
私はその形のことでやっぱり見るところの場所ではないところまで見られているし、木刀の振り方さばき方はたくさん稽古しなくてはできない。
それこそこの剣道形を作った人はどんな思いで作ったんだろうと思えば、一振り一振りに取り組んでもいいと思うし、それができたら剣道も良くなると思う。
剣道が上手くても形の下手な人はたくさんいるけど、剣道形の上手い人に剣道が下手な人はいない。
これも隠された物かもしれませんね。
もちろん楽しく剣道することが悪いことと言っているのではありません。
ちなみに当てる稽古だけが好きなら昇段は少し時間はかかりますが、剣道が好きなら七段になれます。
八段になるには剣道が命だと自然に思える人がなれると思います。
まだまだ遠い道ですが少し微かに光も見えた気になっています。

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『力の限り』
八段審査に行ってきた。
二回目の挑戦だけに今回の審査は合格したいという気持ちもあるけど、それ以上にどんな感じの審査になるだろうかと、期待もするし、不安もあるし、もしかしたら発見もあるかもしれないと思った。
そして何よりも思うことは一回目より少しは良い立ち合いをしたい。
一年考えて色々な事をやっって来たし、少しづつ納得のいけるような打ち方もできた。
でもそれが本番で通用するのか?
稽古では名人でも本番には通用しない人もたくさんいる。
前日は変な時間に昼寝をしてしまったのとやはり緊張したり、どんな立ち会いになるかなど考えていると目がさえて熟睡はできなかった。
お酒も控えていたからなおさらかもしれない。
朝7時に風呂に入り体をほぐす。
三口ほどのご飯と味噌汁を食べ、原付に乗っていざ日本武道館。
八時についた。
もうすでにたくさんの人が日本武道館に飲み込まれていく。
やっぱり緊張する感覚が盛り上がってくる。
とりあえずお茶を買って、剣道時代の売店に挨拶しに行く。
席に着くとなんかまたこの時が来たかって一年間の色々なことが、ふぁ〜んと頭に浮かんだ。
死に物狂いで頑張ったわけでもないし、年間100回位の稽古だし、特別なことなど何もしていないけど、元気で稽古したし、やる時は真剣に頑張ったことだけは自分がよく知っている。
私は緊張感が苦手で人前に出ることは本当は好きではないから、試合や審査や試験など本当に辛い。
でもこの一年に一度の緊張感は大切なことなのかもしれない。
何か目標を持って稽古したから厳しさを忘れずにできたのだと思う。
道場の仲間も応援に来てくれた。
こんな私に仕事を休んでまで応援来なくてもいいのにと思いつつもやっぱり嬉しかった。
でもそのかわりプレッシャーも緊張感も増してきたのは言うまでもない。
そしていよいよ審査が始まった。
10組目だから他の人の審査を見ながら自分との考えと合わせてみた。
なかなか良いなと思う立ち合いがあるとイメージとして残さないとと思うけど順番を待っている私には通り過ぎる立会だ。
いまさらどうこう考えてもならないし、師匠からは普段通りの稽古を心がけてやればいいよと言われた。
え、普段通りで私は八段の一次審査を通る可能性があるということなのか?
と良い方に考えるのも私の性格だ。
そしていよいよ私の出番となる。
出順はCだったので相手を見てからできるので集中してみていると、なんと二人はほとんど打たない。
おおおお、この間が大切なのか?
でも私には相手の技量を見ることはできない。
ただ相手は少し開き気味な構えで防御の強い感じ。
私は礼の所までゆっくり歩きながら心の中で『師匠や仲間のみんな今まで付き合ってくれてありがとう、おやじ頑張ってくるからな』と思った。
剣道大好きな親父はどっかで見てくれていると信じてる。
そして一人目、号令と共にスーッと構え、気合いを出して相手の雰囲気を感じるとやはり開き気味な構え、でも打ち気がとても感じる。
もう迷わない面を打つ。
でも単調に行ったら絶対に胴に返される。
だから相手が打ちを考えたとき、その動く心の少し先を攻めながら考えた。
速く打てば胴に返される。
少しでも遅れれば相手の面になる。
この際を見つけるというより、相手が辛くなって面に出たくなるところを攻めで作る。
そのことがよかったかどうだかわからないけど、相面のような形になるも少しいい手ごたえを感じた。
その後のやり取りはあまり記憶はないけど、下がることはしなかったし、気合も自然と出せた。
続けて二人目、とても返し技が上手そうな感じの相手だ。
でもじりっじりっと間を詰めていくとなにか、スーッと力が抜けた。
なんか妙な感覚が体全体に流れた。
そして私は面に出た。
どうしたことか相手は別に避けるのでもなく面が当った。
お互いに張りつめていたつっかえ棒みたいな気がなんか抜けたのかもしれない。
自分でもわからないけど、なんか降りてきたみたいな自分じゃない力の抜け具合だった。
ビデオを撮ってくれた仲間がいるので早くその所をどんな感じなんだったか見てみたい。
でもその手ごたえを感じ、私はもっと確実な形にしたいと思ってしまった。
欲をかいてしまったと思う。
ここでもっう一本決まればもしかしたら一次通過できるかもと思った。
でもそうは上手く行くはずもなく、決めに行った面は力が入りすぎ綺麗に胴を返される。
まだまだ未熟というところだと自分で思った。
そして終了
結果は第一会場一次合格者五人の中に私の番号はなかった。
結果は不合格だったけど、少しは成長できたのかもしれないと感じた。
どんな形でも、不合格は不合格でも私は自分との約束だった『迷わない』ができたことが少し嬉しかった。
そして何より道場の仲間や弟子たちが応援してくれてる所に胸を張って帰ってこれたことにほっとした。
一年間やってきて本当に良かった。
力の限りできたと思った。
結果は結果として正しく受け止め、合格ではないということはまだまだやることがあるのだから稽古しなさいねと言われたと思っているから、また皆と頑張りたいと思った。
久しぶりの日本武道館で私は一番と感じたのは、こんなに素晴らしい応援をしてくれる仲間がいること。
この気持ちは生涯忘れないと思う。
早く恩返ししないとだめですね。
少し肌寒い風なのに帰り道のバイクは快適だった。
応援をしてくれたり、心配していただいた皆様には本当に感謝しています。
審査のビデオ
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『八段審査への思い』
二回目の八段審査が火曜日にある。
一度目はよくここまで剣道続けてこれたという記念の気持ちが強く、今回は合格を心に秘め受けに行きたい。
1%もない合格率に不平を言うことなどない。
難しいからこそ受けに行く意味があると思っている。
今まで真剣に歩んできてくれた仲間に本当に感謝をしているし、師匠や弟子の血の温かさをお守りに受けたいと思っている。
我が道場の館長が七段合格した時の言葉を思い出す。
『一生懸命やれば結果は後から付いてくる』
本当にいい言葉だと思う。
八段という名誉や地位が欲しいのではない、今まで稽古を付き合ってくれた人への恩返し、これからも一緒に歩んでほしいから一つ一つ真面目に取り組んでいく心を感じてもらいたいから八段審査に向かっていく。
面を打つ!
もう迷うこともない。
力まないでいつもどおりやってきなさいと師匠にも言われた。
初めての審査の時についてきてくれた弟子が私の審査が終わり、発表前に着替えようとしたら、『なんで先生は着替えるのですか』と言われたから、『自分の手ごたえはわかるよ、これでは一次は合格しないよ』といったら『そんなことわからないじゃないですか?私は先生が合格することを願ってここに来たのです』この言葉は私の心を動かした。
本当にすまなかった、そうだね結果は自分で決めるものではないし、最後の最後まで願ってなければ思いも通じない。
今年はどんな内容でも胸を張って合格する気持ちで発表を待つ。
人は弱いし、結局最後は自分だとおもっうこともあるけど、剣道にはたくさんの仲間がいるし、その心は純粋に真実だと思う。
こんなことを確認できたことも八段審査のおかげだと思う。
絶対に恥ずかしくない立ち会いをしてくるとその弟子には伝えたい。
そろそろ50歳なろうかというおじさんが本気で一つのことに向かえる剣道はやっぱり凄いものです。
また応援に来てくれる人達には生涯の恩を感じています。
ありがとう、頑張ってきます。

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『鍔ぜり合うも・・・』
『袖振り合うも多生の縁』
この言葉を耳にする人は多いいと思います。
意味はご存じだとは思いますが、こんな意味です。
『道のいきすがりに、袖が振れ合うというような、偶然でほんのささやかな出会いであっても、それは前世からの深い緑で起こるのです。 人との絆を大切にしたいものです。』
とてもいい言葉だと思います。
先日何気なくなぜかこんな言葉が私の頭の中に浮かんだのです。
そして興味が湧き正確な意味を調べたくなり調べたら、なんと字から間違えていました。
私はこの諺を『袖すり合うも多少の縁』とずっと思っていました。
袖すりあうは言い方を袖振り合うというのは良いのですが、『多少の縁』ではなく『他生の縁』でもなく『多生の縁』だということに驚きました。
また調べていくと面白いことがわかり感心してしまいました。
この諺は仏教のことわざなのです。
仏教の世界観には、命あるものは死を迎え、そして何度でも入れかわり、輪廻のなかを回り回っているという思想があります。したがって、正しくは「他生の縁」ではなく「多生の縁」となるのが正しい。
でも、「多生」ということが、一般に馴染みにくい言葉であるというところから、「他生」の方が多く使われており、また許容された用法となっています。
日常生活のなかで「ご先祖の生まれ変わり」とか、「前世で悪いことをした報いが来た」などと、「因果応報」というような考え方もこんなことですね。
「袖」は着物の腕を通すところのことてすが、現代風にいいかえてみると、「電車のなかで、偶然となりの席に座った縁」とか「同じ学校や会社など入ったとか」いうような状況ですね。茶道の心得のなかにある「一期一会」は「一生に一回だけしか、お会いできないのかもしれない、と入念にお茶を入れること」をいいますから、同じような意味ですね。
日常生活において「縁」という字を使っている言葉の中に「縁談」があります。もちろん、結婚の話のことですが、これがもし、うまく行かなかったときは「縁がなかった」といって、深く詮索しないようにという感じですね。
人の生涯のすごし方を見ていると、「他人とのきずなや縁を大切にしている人物」と、比較的粗雑に、無造作にすごしている人とが見られます。そして、人との関係を丁寧に扱っている人は幅広い交友関係が生まれるのみならず、強力な人物ネットワークを持つことになることが多いようです。
会社の同僚や得意先などで交際が始まったのであれば、深い因縁があった訳ですから、念入りなおつきあいが大切であり、粗雑な応対をしたり、相手を疎外してはならないといえます。
剣道でも同じことを感じます。
剣道が強いからと言って全てが良い剣道人でもなく、稽古で人気があると限りません。
七段になって10年元立ちをやらせて頂いて感じたことは、一期一会の気持ち、もしかしたらもうこの人とは稽古できないかもしれないから今を一生懸命やる。
また試合に負けたり、審査に落ちたから腐らず今まで以上に頑張ったり、素直になり教えてもらう。
愚痴を言ったり、批判をすることで良い結果になるなら、言ってもいいかもしれませんが、良い結果目指すなら自分自身の考えを正しい方向にすることが近道だと思うし、剣道は一人ではできないのだから相手に感謝をし教えてくれた先生に感謝をし、共に歩んでくれた仲間に感謝をして審査に向かいますと言った人の言葉を思い出します。
合同稽古会などに行くと色々な人と稽古ができまさにこんな言葉になります。
『稽古会、鍔ぜり合うも、多生の剣』
今は本当に縁を大切に、切らない剣道を目指しています。
おまけ
先日渋谷区の大会で源流館の館長と形を披露させて頂きました。
まだまだ未熟ですがビデオを撮ったので載せます。
ご覧頂ければ幸いです。
形のビデオ
自分なりな注意点は次回書かせて頂きます。
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『形を好きになると』
日本剣道形を好きになると剣道が変わってきます。
私は何年か前までは剣道形はとても苦手で好きではなかった。
何年か前までということは私はすでに七段になっているんです。
そんな状況でも形は苦手だった。
その理由
@流れはわかっていても細かい所が定かではないから
A覚えたと思っても所々変更になる
B形を覚えるのは昇段の為だけでいいと思っていたから
C人前で形をすることが恥ずかしい
D形をすると聞いてもいないのに注意ばかりする人がいるから
E根本的に剣道と繋がりがあるのかな?と思っていた
F相手がいない
G指導してくれる人が近くにいない
H静かな動きだから物足りない
I覚えるのが面倒くさい
こんなことを七段になっても私は思っていた。
でも、こんな形に興味もない私がなんで興味をしめしたかといえば、息子が剣道しはじめたのがきっかけかもしれない。
高校から剣道を始めることに私はなんか逆だと感じた。
たいがい剣道をしている人が子供に剣道をさせたがる時小学生の低学年から始めさせる。
そしてやはりおやじが強ければ強くなるけど、辛さも感じ、いやになってしまったり飽きでしまう。
そして半数以上は高校まで続かず辞めてしまうことをよく耳にする。
だからそれなら逆から入ってみるか?
本来なら高校生だから5回位素振りや足さばきをして防具をつけるのが普通だけど、私は剣道形七本全部できたら防具をつけよう。
そして源流館は半端じゃ勤められないんだからみんなの前で俺と形をやって間違えなくできたら防具をつけよう。
と約束をした。
だから稽古前に一時間形をやった。
半年以上やったかもしれない。
こんなところで妥協をしたり優しくしても意味がないから。
もちろん形ができているというレベルではなく、形だけは四段合格するように教えたから許さない形になる。
そんなことをしていると皆も形に参加してきたり、昇段審査があったりとやる人が増えてきた。
そしてやっていくうちに色々なことに気がついたり、わからないことを聞きたくなって師匠に見てもらったりして行っていくうちに楽しくなってきた。
また今年は新鮮な仲間も入り初心の気持ちになって始めたり、私も八段もあるし東京都の形の大会も館長と出場する。
先日は渋谷区の大会の前に皆様の前で形を披露した。
本当に感じたのは少しくらい間違えることより、怖がらずたくさんやってみる。
時間があったら友達や仲間と太刀の形七本でも体操代わりにやる。
時間にしても10分もかからない。
そうして慣れてくることが本当に身近に感じること。
形は昇段審査のためではなく、剣道の技術向上にとっても役に立つ。
私が特に感じたのは三本目と四本目と六本目のさばきの手首の使い方。
もちろん形全部剣道的に大切なのですが、私が今取り入れたいと思っている手首の使いはこの三本だと思っています。
そして特に六本目は難しい。
これをして周りが唸るような形になれば一人前だと思っています。
もっと難しいのは小太刀の三本目。
これこそ相手と気持が合わないと何も始まらない。
何回もやっているとよくぞ形の順番を考えたものだとつくづく思う。
色々やっていき10本目に相手との気持ちが合い、最後の二人の心の合わせを見て下さいと言った感じの形。
だから無構えとなる。
形を上手になるには、子供たちに教えると上手くなります。
そのかわり嘘を教えたら子供たちには悪いとおもう考えをもって教えるのが条件ですけどね。
やってはいけないのは、お願いをされてもいないのに人の形を見て細かい所を注意すること。
これは大きなお世話ですし、それをしたからと言ってどうにもなることはないのです。
愛情を持った関係だから注意をすると素直になれるのです。
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『生涯剣道』
生涯剣道(1)現代版養生訓
はじめに
剣道は生涯続けることができる。しかし、そのためには、「健康」であることが必要である。「健康」とは、ただ単に病気がないだけではなく、心身ともに調和が取れた状態を指している。「健康」を維持するためには、「心」と「身」があたかも車の両輪のごとく調和している必要がある。
「健康」を保ち、「生涯剣道」を行うためには、「健康」の仕組みを理解することが大切である。さらに、「健康」を損なわないような努力と工夫をしなくてはならない。
1.からだの抵抗力のみなもとは?
からだの抵抗力のみなもとは「免疫」というしくみである。「疫」とは病気のことであり、「免疫」とは病気から免れるからだに内蔵されたメカニズムである。
免疫は、「自然免疫」と「獲得免疫」と呼ばれる二つのしくみからなっている。「自然免疫」には、涙や唾液の中にある抗菌物質や、血液のなかの好中球(白血球の一種)はマクロファージと呼ばれる細胞が関わっている。ちなみに、けがをしたときにつばをつけるのは、唾液の中に抗菌物質が入っているからである。からだの中に病原体が侵入してくると、血液の中を流れている好中球がこれを食い殺してくれる。また、肺の中にあるマクロファージは、吸い込んだ結核菌やカビなどを食い殺す。また、ナチュラルキラー細胞と呼ばれるリンパ球の一種は、からだの中に出現したがん細胞を殺すことができる。すなわち、「自然免疫」とは、からだがもともと備えている防御機構である。
一方、「獲得免疫」は「自然免疫」に次いで作動する防御機構である。これに関与しているのは、抗体やある種のリンパ球(白血球の一種)である。この仕組みは、病原体が体内に侵入してもすぐには作動しない。病原体の侵入をからだが感知すると、それに応じて抗体が作られたり、これを攻撃する能力を持つリンパ球ができるが、これには数日かかる。ちなみに、このような「獲得免疫」を強くするのが、予防接種である。インフルエンザの予防接種を行うと、インフルエンザウイルスに対する抗体やこれを攻撃するリンパ球が作られる。
2.からだの抵抗力を落とすのは?
抵抗力を落とす原因としては、1)喫煙、2)飲酒、3)過食、4)睡眠不足、5)過労などがある。
なかでも喫煙は健康に悪影響を及ぼす。特に喫煙は、心肺機能を低下させる。ところが一流の剣道家が喫煙をしている例は珍しくない。ほかのスポーツではみられない現象である。喫煙が、肺気腫(肺がゴムのように伸びきってふくらんでしまう状態)、慢性気管支炎、肺がんの原因となっていることはまぎれもない事実である。
過度の飲酒も大きな問題である。剣道家は「第二道場」を楽しみにしている輩が少なくない。しかし、酒も適度に飲めば「百薬の長」であるが、過度の飲酒はメタボリックシンドロームや痛風の原因となる(後述)。また、肝硬変、肝臓がんや膵炎の原因ともなる。
過労も免疫機能を落とす。たとえば、激しい寒稽古のあとに風邪をひくのはその好例である。過度のストレス、睡眠不足もからだの抵抗力を弱める。何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」である。
3.剣道家に多い病気
剣道家に多い代表的な病気は痛風である。特に一流の剣道家に多くみられる。痛風はからだの中に尿酸がたまることで起こる。たまった尿酸は、関節の中で結晶化する。その結果、激しい関節炎が起こるが、これが痛風発作である。発作が起こると、関節は赤く腫れ上がり、稽古どころではなくなる。
からだの中で尿酸を増加させるのは、飲酒、肉食、脱水、激しい運動などである。激しい稽古の後に、焼き肉を食べながらビールをがぶ飲みし、アルコールの利尿効果でさらに脱水が増強し、痛風発作に至るというパターンは剣道家にみられやすい。
痛風の治療は簡単である。尿酸降下薬を毎日服用することで、発作を完全に予防することができる。しかし、痛風発作は「神様がくれたイェローカード」である。痛風発作を起こす人は、高脂血症、高血圧、糖尿病などの合併症を抱えている人が多い。すなわち、痛風発作が起こったときは、合併症の有無を調べることが大切である。「イェローカード」のうちに対処しないと「レッドカード」(=突然死)へと至ることも決して少なくない。
剣道家にはメタボリックシンドロームも多い。これは内臓肥満、高血糖、高血圧、高脂血症のうち、2つ以上を合併した状態をさす。以前には、この組み合わせを「死の四重奏」とも呼んだ。このような状態が続くと、動脈硬化が進行し、狭心症、心筋梗塞の原因ともなる。過度の飲酒、過食を避けることが肝要である。
4.「養生訓」の教えること
江戸時代の儒学者である貝原益軒(1630-1714)は、83歳のときに自らの実体験に基づいて「養生訓」を書いた。ここには「生涯剣道」を行うための秘訣が書いてある。その一節を紐解いてみよう。
養生の術は先ず心気を養ふべし。心を和にし、気を平らかにし、いかりと慾とをおさへ、うれひ、思ひ、をすくなくし、心をくるしめず、気をそこなはず、是心気を養ふ要道なり。又、臥す事をこのむべからず。久しく睡り臥せば、気滞りてめぐらず。飲食いまだ消化せざるに、早く臥しねぶれば、食気ふさがりて甚元気をそこなふ。いましむべし。
酒は微酔にのみ、半酣をかぎりとすべし。食は半飽に食ひて、十分に満つべからず。酒食ともに限を定めて、節にこゆべからず。又、わかき時より色慾をつつしみ、精気を惜むべし。精気を多くつひやせば、下部の気よはくなり、元気の根本たへて必命短かし。もし飲食色慾の慎みなくば、日々補薬を服し、朝夕食補をなすとも、益なかるべし。
(中略)
養生の道は、病なき時つつしむにあり。病発りて後、薬を用ひ、針灸を以病をせむるは養生の末なり。本をつとむべし。
おわりに
剣道家は意外と不摂生をしている人が多い。しかし、「生涯剣道」のためには、それなりの努力と工夫が必要である。江戸時代に書かれた「養生訓」を改めて読んでいただき、「生涯剣道」の一助としていただきたい。
なお、「養生訓」の詳細はインターネットで閲覧可能である
(http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/kaibara/yojokun/text.htm)。
次回は、「女性剣道と健康」、最終回は「青少年剣道と健康」について書く予定である。
★この文章は源流館の先生でもあります宮坂先生がお書きになったものです。
都剣連だよりに3回連載をするとのこと、まず一回目は『生涯剣道』現代版『養生訓』と題して書かれました。
特に今回は私に対しても意識をして頂き『飲みすぎに注意!』と書いて頂きました。
読めば読むほど、煙草と限度を超えた飲酒はいけないかと感じました。
私は稽古はほどほどにセーブできるのですが、お酒はなかなか難しいですね。
煙草の方はほとんど吸わないから心配はないのですが、やはりお酒は適量を心がけます。

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『肘と膝』
剣道は武道。
スポーツでもあり、格闘技でもあり、段位もあり、稽古場所はどこにでもあり、生涯現役でやれる。
そしてなにより自分の課題をもってやれるから、どんな楽しみ方もできる。
試合に勝ちたいや正しい剣道だけが剣道ではない。
子供だけとかかわっていた人やどんな打ち方でも良い当たれば!
私はそれもすべて剣道だと思っている。
正しくやり昇段を目指したいならそのような道場に行けばいいし、楽しみだけでいいならそのような道場に行けばいいと思っている。
ある道場など素晴らしい八段の先生が教えているのに稽古人は10人もいない。
ほとんどの人が5段以下。
それでもみんな楽しそうにやっている。
その先生が合同稽古会に行けば長蛇の列ができるのに、この場所は?と思うけどここはそれで良いという感じなのかもしれない。
そこにはそこの意味があるから。
また教える人によって色々と異なる指導がある。
だから『剣道は人の道なり』と言われるのかもしれない。
同じ先生でも若い人に教える言葉と、30歳・40歳以上の人に教えるのは違ってくる。
その方が私は正しいと思う。
このところの源流館は本当に人数も増えてきたけど、それ以上にちゃんとしっかり何かを目指してくる人が稽古に来るから気合も入り、意味深い。
HPを見て久しぶりに剣道する人も来るし、年齢も違う。
ただ一つ源流館という場所が思っていることは、今は本気で昇段を目指し、日々の稽古を当てることより、楽しいと思うことより、体をまっすぐ出し先をかけて自分から打つ、そして何より潔く。
だから基本打ちや言葉に出して指導しなくても今の状態をこれからの人が見るとすべて我が身の教科書となると思っている。
自分の道場だからこの道場が好きだから自画自賛になってしまうけど、他の道場に負けないところは打たれ方が上手いこと。
これは弱いということではない、ちゃんと剣道を知っているから打たれることが上手いし、おみごとと思う。
私もかなり上手いですよ。
だからみんな七段や六段になり年々厳しくなる昇段試験も何回かで合格する。
こんなことを書くとなんか秘訣があるのかと思うけどありません。
源流館で毎週三か月間計12回続けてこれたら自分の目指す七段までの段位なら数回の受験で合格すると思います。
今までがそうだったのでウソではありません。
でも参加するとわかると思いますが、みんなの気迫に押されてしまったり、稽古をしなくても同じ空気を吸っているだけで自分は迷惑ではないだろうかとか?なにをやっても当たらない、自分の次元の違うところで剣道していると思ってしまうのか、さしてなにもきついこともしないうちに辞めてしまいます。
本当はこっちも初めての参加者は嬉しいので気にしているのですが、少し様子をみてから色々と共に歩んでいきたいと思っているのです。
それがだいたい三か月間ですかね。
最近の参加者は源流館にあった心をもってくれているのかとても良い人ばかりだし続いてくれます。
だからその人たちに『肘と膝』の使い方を教えようと思っています。
四段の人にこの肘と膝の使い方を一年かけて教え、理解できたらこれからなんらかの都合で移動して源流館を辞めても、そしてどの道場に移っても続けていれば七段までは合格することを私は気がついたので教えながら一緒にやっていこうと思っています。
せっかく源流館にきて続いてくれたお礼だと思っています。
また私も八段に向かって一緒にやっていく連帯感ですね。
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OB稽古
先日OB稽古会が行われたので参加してきた。
久しぶりに会える仲間との稽古はやっぱり面白いし、昔を思い出す。
そして今の高校生は強いんですよ。
先日行われた東京都の大会でも優勝することができ、先輩としても嬉しい限りです。
ちなみに我校の初めての東京都優勝は私の時代で私が大将でした。
素晴らしい自慢話ですみません。
稽古後は懇親会で色々と話も弾み昔話に花が咲きとっても楽しい時間を過ごせました。
飲みすぎはいつものことですが、剣道をなんで今まで続けられているかと聞かれれば間違いなくみんなと楽しく飲めるからにつきます。
元気な限り剣道を続けられれば幸せですね。
OB会の写真を撮りましたので良かったらご覧ください。
アルバム
スライドショーでご覧頂くと見やすいですよ。
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剣の華
先日世田谷区の試合の審判に行ってきた。
世田谷区は東京の中でも剣道の盛んな区であり試合も盛り上がり、もちろん昇段する人も多いし、そしてなにしろ剣道を愛している人が本当に多い。
そんな中で審判をしていると緊張もするけど、とってもいい気分で審判をさせてもらった。
秋の大会の個人戦は段位無制限のオールフリーの試合。
だから段位が上だから強いというものでもないからここぞとばかり若手は頑張る。
剣道は礼儀も厳しいけど格闘技だからやっぱり勝つという心の強い人が勝つ。
私も審判をしながらやっぱり気になる試合があった。
母校も世田谷なのでやっぱり高校生の試合は気になって見ていると一つ一つの試合に力が入り、見ているこっちの方が気合が入ってくる。
高校生の試合だけではないけどまだまだ剣道の技量は完成されていないのだから、技で勝つなんて思わず絶対に勝ちたいという気迫を持った方が勝つ。
と言いつつも今は負けてもいいよ、その負けも将来のためになるからとも思っている。
あたりまえだけど勝ち続ける人なんていないんだから。
そして次に期待していたのは女子の個人戦。
知り合いもたくさんいるのでみんながんばれ!ってかんじて見ていたのですが、やはり決勝に残ったのは知り合いの奥さんと母校の女子高校生。
なんとも複雑な試合だ。
どっちも優勝すればいいのにと思うけど、やっぱり試合内容が気になる。
年の差は親子ほどの差があるのに動きや攻めはどちらかというと知り合いの女性の方がいいと感じた。
『決まった!』と何本か惜しい場面もあったが最後は高校生の技が決まった。
なんと素晴らしい試合だったとため息が出た。
これだから剣道ていいんだと思った。
年の差なんて関係ないこの真剣さは本物だ。
そして久しぶりに試合に出る人がいる。
その人は何しろ強いし、とてもきれいな剣道をするし、何回か稽古をしたけど技の起こりがわからないほど想定外の所から技が出る。
さすがに日本一になったことを経験する人は違うと感じた。
そしてその人が試合に出ると場内すべてに近い人がそこに集中する。
そして試合開始の号令でしばし呼吸もまばたきもしないでその試合を食い入るように見た。
何を打つんだろうという興味より、なんてこの人はこんなに人を引き付けるだけの魅力というか『華』があるんだろうと感じた。
知り合いの人も久しぶりに彼の試合を見るから楽しみなんだと言っている。
そして期待通りというか想像を超えるような面!が決まる。
その一つ一つに場内がうごめく。
落語の名人の川柳に『出ばやしで背中が離れていっちょまえ』とい言葉がある。
落語を寄席で聞くと何人もの人が出てくるから、聞いている人は座っているから背もたれにしっかり体重をかけている。
でもやっぱりこの人がいいと思っている落語通の人は、そのお目当ての名人や『華のある人』が出る前の出ばやしの三味線や鳴り物がなるだけで、『おお、出で来るか』と身を乗り出す。
これが剣道でもある。
剣道には出ばやしはないれど試合に向かっていく姿にオーラがあり、試合で呼び出されると場内が言葉にならないざわめきがある。
この『華がある人』がやっぱり凄いとおもった。
去年八段を受けに行ったとき同じ会場に大阪の石田さんがいた、まさにそんな感じの空気を感じた。
そう打って受かるのは七段まで、やっぱり剣道に『剣の華』がなければ八段への道はない。
その華の花を咲かせるには日々の稽古だと思った。
審査までの限られた稽古を思い切り頑張らなければと改めて思った。
難しい審査だからこそ挑戦する意気込みの意味がある。
そしてそれを共に歩んでくれる仲間がいる幸せを今感じている。

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打ちの重み
剣道の『打つ』と言うことは野球で玉を『打つ』とは違うし、ゴルフでもない。
別な角度から言うと釘を打つでもない。
球技の打つと言うのもとても難しいと思うけど、打つ感じが違うと思うのです。
じゃ剣道の『打つ』とはなんだと言うと、六段を越えたらやはり『心を打つ』というところに視点を置いて考えるとその打つと言うことがどういうことだかほんの少し見えてくると思う。
これはある人の言葉が私を考えさせられてくれた。
とっても剣道が好きな人がいっぱい稽古をしていたとき言われた『君は打ちが軽いね』の一言。
私がその人とやってみるとそんなに打ちは軽くないし、かえって防具を付けていないところを外されると飛び上がるほど痛い。それは当たり前ですね。
その人は試合はとても上手いし、強い。
そこで私はその関係について考えることにしてみた。
試合が強い!と言うことは審判の旗が上がらないと一本にならないし、勝てなければ強いとは言わない。
試合の審判の感覚からすればどんな優先順位で旗を上げるのか、有効な場所に竹刀が届き、気合・体が一致してることが一番だと思う。
相手の攻めに対しても真正面から受けるのだけが良いのではなく、下がりながら相手の技をかわしながらや、相手が避けようとした裏を打つとか、でもその一瞬当たれば一本となる。
私もたくさんの試合をやってきたからわかるけど、そんな時ちょっと面白いと思う。
それは相手の心の裏と言うか『まさか!』と言う所を打つから。
見ている方も試合を見ているのだから単純に勝つことだけを期待して喜んでいる。
この動作・内容の中に『しっかり打つ』という項目はない。
この『試合に勝つ』や『稽古が好き』と言う人はほとんど相手を打ち、その結果で嬉しさや残念と感じる。
私はいつも言っているけど剣道の稽古はそれほど好きではない。
だから稽古をする時は楽しむことより『自分への課題を出来るか出来ないか』を確認する。
地稽古でまぐれ当たりをしたからと言って自分の力や成長でもない。
『相手から打たれまい』と思うことより『自分の思うような打ちをしたい』と稽古するから、相手の攻めに対してもあまり反応しない。
いちいち反応したら疲れてしまうのでそれでは自分のやりたいことに力が行かない。
だから相手にもたくさん打たれる。
そんな時相手は『打たせてくれたんですね』というけど私は決して打たせるなんて、せっかくかかってくれた相手に失礼なことは絶対にしない。
ただ、攻めの気持ちが遅れ先を取られたり、応じ・返し技が間に合わないと思うときは『避けない』『本能で打たない』を心がけているだけなんです。
だから打たれるし『まいった』と思います。
だからこそ相手の少々な動きに惑わされることなどなく、自分の課題を試みその結果イメージしているような打ちと残心までいけるかだと思っている。
打ちをしっかりするために筋力トレーニングをしたり、重い木刀を何百回もしたりは意味がない。
学生時代や30歳前までならそれはとても必要だとは思うけど、40歳を越えたら『足で打つ』と考えると自然と打ちがしっかりしてくる。
この足で打つとは若い時のように遠くに飛んで打つのではなく、自分の中心・重心を移動させるために足を使って打つ。
一足で打つ距離は歳を重ねれば遠くに行くはずがない、まして打とうとする動作を闇雲にすれば相手はもっと下がる。
だったらどうするか?
それについては今は長くなるので別な時に書きます。
相手の動きに反応することはかえって『相手の心の動きに合わせていない』
自分を信じて動じないことを思ってすると『相手の心に向き合っている』
動じないことはわがままな自分勝手てはなく、心の際の一瞬を合わせる修行だと感じている。
稽古で打たれても良いじゃないですか。
そうすると振り出す一本に心が乗っかり『どすん』と言うような感じてありながら外傷的には痛くはないけど、打たれた相手や見ている人は『あああ』っという心の重さを感じる。
その『君は打ちが軽いね』の言葉の深さは、竹刀の重さや打ちの衝撃度合いを言っているんじゃなく、堂々と『自分ということを持っていますか?』と言われていることなのだと思ってる。
剣道は相手とやる前にいっぱい自分と話し合わないとなかなか難しい。
よく私は稽古をビデオにとって見る。
それも同じビデオも何回も見る。
そうですね、自分の稽古のビデオは最低でも10回以上は見ます。
自分が打った、打たれたの所だけではなくその状況の時に今の自分は『どうだったんだろう?』と考える。
最近のビデオで私とではないけど源流舘での他の人の稽古を見ていてしびれた。
それはお互い良い感じの攻め合い、そして打ち合いの心の合わせがあり、その場面で『舞台はそろった』これこそ切羽の気位でどっちが面に載るのかとビデオを見ていると上席の人が、じりっじりっと気攻めで勝ったと思った瞬間、相手が気後れすることなく面に出た。
どちらかの面が決まる!と思った。
この場面でどちらが決まっても私はすごいと思った。これこそ一本に託す心だから。
その瞬間上席の方が返し胴に行った。
それも見事に決まったすごい胴だった。
私はこれもありだ!と思った直後その人は大きな声で『失礼しました』と言葉にした。
『うううう』っと私はビデオを見て言葉が出た。
打ちもしっかりしているし完璧な返し胴だった。
先・先をかけてからの後だし、苦し紛れではない。
でもどうして綺麗な胴なのに『失礼しました』と言葉にしたか。
まして自分より格下な相手に言ったか。
そしてすぐに構えなおして間の攻防に入った時、私は感じた。
その人は当たった事を目的としていない、この二人の気あたりに対して一番自分がしたいこと、今の自分がしなくてはいけないと思うことが出来なかったんだと。
胴を打たれた人は打たれてしまった!なんて雰囲気はない。
よく自分と相手を信じて面に出られたことにホッとしているというか、満足感さえ体からにじみ出ていた。
これが稽古の一番良いところではないかと思った。
当たる結果より、そのプロセスが良かった。
少しでも早く相手を打つことより、自分の芯を揺るがさない重みだと思った。
今は七段でも100人に7人程度の合格者。
八段は100人に1人も合格しないからこそ『重さ』を感じてやりたいと思った。

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大学稽古
久しぶりに駒澤大学剣道部の稽古に参加してきた。
道場が二子多摩川校舎に移ってとっても綺麗になったのは良いのですが、交通の便が少し悪くなったのとOB稽古会が土曜日の昼間となり、土曜日が忙しい私はなかなか参加できず、良い機会があれば稽古したいと思っていた。
源流館も夏休みとなり二週間お休み。
体がにぶらない程度に子供と二人道場で稽古はするものの二人では基本打ちと形をやり大汗をかくほどではないし、そしていつもはこの休みを利用して出稽古にも行っている。
だからどこかで稽古したいと思っていたとき後輩の大学のコーチが日曜は大学で稽古ありますとの事を聞き私も参加することにした。
小学生から教えている子もいるしちょっと嬉しい気分になって稽古に行った。
家が近いので車で一緒に行き、色々な話も出来たし、とっても会話も立派になった教え子になんかとっても嬉しい成長も感じられた。
剣道はずっと一緒の感じで出来るから本当に良いと思った。
夏休みなのかわからないけど日曜の道は空いていてとっても早く着いて、時間があるので朝の散歩と思い近くの多摩川に行ってみた。

校舎のとなりには多摩川が流れているんですよ。
もう少し行くと巨人軍の二軍練習場が昔あって授業の合間をぬっては見に行ったり、釣りをしたりとこの校舎には少し思い出がある。
勉強の合間に釣りをする大学生なんていないですね。
稽古が始まり、良い気合の大学生の熱気が伝わる。
切り返し、基本打ち、応じ技、打ち込みと激しい動きを見ているだけで何もやっていない私はもう疲れてしまう。
そして休憩をはさみ地稽古となる。
すかさず私は『稽古はどのくらいやるんですか?』と先輩に聞きに行く、『40分か50分にしとこ』との言葉に『40分・50分どっちですか?』と返す。
先輩のコーチは『え、だいたいで良いだろ?』私は困るんです。
この暑さの中10分の違いはペース配分があるんです。
そして大学生に半分聞こえるように『私は女性と上段とたくさんやりたい』と希望を伝える。
そうしたらなんと一人目は女性の上段が来た。
お、これは良い感じだと思っていたら、なんとかなり強い!
私はとても上段と稽古するのが好きだし、自分でも上手いと思っている。
でもなかなか強いのでかなり手こずるというより、なんか打たれてしまった。
最初から希望通りなのに全力でやってしまった。
一人終わって『ふ〜〜〜〜』って感じ。
そこからは男子が続く、試合を控えているだけにとっても気合が入っている。
私も久しぶりに本能の剣道をしてみた。
どこまで大学生と出来るかと張り合ってみた。
本能で剣道するとやはり打たれたくない、瞬間瞬間に対応すると、やはり右腕に力が入る。
10人以上の学生と稽古して体ももうすでに限界、でも久しぶりに参加したし先輩もいらしていたので稽古をお願いをさせてもらった。
先ほどまでの学生との稽古も楽しかったけど、やっぱり八段を目指す先輩との稽古は打ちに秘める気合のやり取りがまた面白い。
そこで終了と思いきや後輩のOBから稽古をお願いされ、振り絞るように稽古となり、とても生き生きとした剣道に嬉しく感じた。
本当にこれで地稽古は終了。
もう立っているのが精一杯な私に先輩がニャリと笑顔で『掛り稽古の元立ちお願いします』と腕を捕まれ、『もう勘弁してください』との言葉など完全に無視。
そして掛り稽古。
怒涛の如く大学生が掛ってくる。
もうどうにでもしてくれと立っていると、薄笑いを浮かべた大学生が壁まで押し込むような体当たり。
そこでようやく女子大生も掛ってくるが、もうなすすべがない。
『ただ早く終わってくれ』と願うばかり。
終わった後は言葉も出なかった。
なんとか着替えて午後からの仕事に向かうが体のあちこちが筋肉痛。
そして本能の稽古はやはり右腕が右ひじの内側が悲鳴を上げていた。
でもこの筋肉痛はなんかとっても懐かしく、そして達成感もあった。
久しぶりの母校の稽古は本当に良いと感じた。
それにしても暑い!
でも今日は涼しいのでこんなもんですんだと後輩のコーチに言われ本当に君たちはご苦労なことをやっているとつくづく思った。
夏の稽古は暑さとの戦いでもあるし、気力と言う面では本当にすごい良い稽古だと思った。
また一年に一回くらい参加しようと思った。
あんまりやりすぎると私の体では壊れてしまう。
本当にお疲れ様でした。

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前期納会
源流館も平成20年の前期を納めることが出来ました。
今年に入り稽古人も少し増え活気ある稽古が毎週行われられる事は本当に見守っていただける皆様のおかげとお礼申し上げます。
14人の稽古人の内七段が七人と六段が二人と五段が三人という稽古は本当に気合が入ります。
そして八段を本気で目指し、たくさんの仕事や稽古の中からも搾り出すように稽古に来ていただける宮坂先生や林田先生は源流館にとってありがたい目標となっています。
私も負けずと八段への階段を上っています。
剣道は他の競技と少し違うのは、『勝つことだけが目標ではなく、本当の心の芯の強さ、そして正しく剣道を行えるか、そしてなにより剣道を仲間を愛しているか』だと思っている。
今オリンピックが行われていて、どの競技を見ても私は感動・感動で興奮しています。
試合の競技内容には時間にして10秒以内のものから4時間以上のものまであり、個人から多数の団体競技があり、その全てに意味深いルールや礼法などさまざまで面白いと思う。
剣道がなんでオリンピック競技にならないかと私が思うに。
1.日本だけが強すぎる(最近はそうでもなくなってきましたね)
2.試合のルールや所作が難しい。
3.審判が公式審判員制度がない。
4.応援や技が決まった後の行動によって技の取り消しがある。
5.剣道をオリンピック競技にしたいと思っている剣道関係者が少ない。
6.見ている人がわかりづらいし、興味が薄い。
7.オリンピック競技になったら本来の剣道がなくなると感じる。
8.企業の資金的援助の期待が不安。
9.他国への剣道的協力がまだまだ行き届いていない。
10.剣道理論が試合のための全てではなく、また本当に選手時代だけ強くても一生のヒーローになれない。
でもそんな剣道だから良いんですよね。
剣道自体意味不明なことばかりだし、子供たち 『真っ直ぐ打ちなさい』というっている先生がとっても右から打っている。
剣道は基本打ちや素振りが大切、そして相手を思いやる心が何より、と言いながら稽古をお願いすると突きしか打たない先生もいる。
そうかといって打たせてばかりいる先生は真剣に稽古してくれないといわれたり、だから剣道自体というか剣道を好きな人は自己中心的で理不尽極まりない。
私もそうです。
でもその理不尽さが剣道の一番良いところなんです。
剣道で見える姿、剣道をしている心、私生活、お酒を飲んでいるところ、仕事の姿他にもありますが、その時々にあわせる力、そう臨機応変というとっさの振る舞いこそ剣道で養われていると思っています。
本当に駄目なら弟子はつかないと思います。
私の思う師弟関係は『誰よりも弟子には我ままでいる。それが本当の俺だから。そして誰よりも弟子のことが心配』
そして一番の私への褒め言葉は『師匠とは違って良いお弟子さんですね』この言葉が私は大好き。
弟子を褒められると言うことは自分のことより嬉しい。
私も朝内先生と宮坂先生の弟子でありますので『良いお弟子さんですね』と言われるよう頑張らないとですね。
本当に前期終了お疲れ様でした。
そして感謝です。

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素振りと基本打ち
剣道を稽古する上で『素振り』と『基本打ち』は切り離せないものだし、とっても大切な稽古だと思う。
特に素振りは一人で出来る重要な稽古だ。
私も少し前に子供たちを指導する機会があり、改めて素振りというものを考えながら振ってみた。
なんと難しいと感じる。
ただ振るなら100本位振ってもどうということもないけど、これから子供達の少しでも見本となれるように一本一本心を込めて、色々なことを考えながら振ると人間の体というものは色々な関節があったり、筋や筋肉というものがたくさんあるもんなんだなぁと感じる。
そして毎回300本位素振りしてたら、肩の関節に痛みが走った。
『げ、この痛みはやばい!』と感じた。
長年剣道をしていると痛みの度合いで、どの程度の症状かわかるようになっている。
一年前に事故で左肩を痛め二ヶ月間はまったく腕が上げられず、病院で注射を打ったり、マッサージをしたりしてなんとか半年後にやっと竹刀を振りかぶってお尻まで着くようになった。
この位痛めてしまうと約一年は違和感が残る。
そして今回の右肩の痛み、軽症ではあるけど力を入れると痛い。
素振りを少々多目にしたからと言って肩を痛めているなんて情けない話だと思ったれど、ある人が素振りほど上半身に負担がかかるものはないし、力の入れ所を間違えたり、急激に回数を増やすことは好ましくないどころか体を壊す元といわれた。
よくよく考えると素振り100回と言われても驚かないけど、面打ち100本と言われると『そんなに出来ないよ!』って言いたくなる。
100回の面打ちは防具をつけて体全部を使って打ち込んでいく、だからとても疲れる。
もちろん腕も疲れる。
その疲れの理論から考えると、打ち込まないから足はそれほどでもない、打ち抜くわけではないから心拍数もわりと穏やかに上がってくる。
だから素振りはたくさん出来るけど、その出来る負担は肩や関節に集中する。
学生時代はそれこそ毎日稽古を3時間くらいして素振りだって200回以上重い木刀でした。
若さと毎日のことだから体がなれていたから出来たのかもしれないし、それ以上に他の稽古も辛かった。
まぁその当時は今より痛い所だらけでしたけどね。
今右肩の痛みのご機嫌を伺いながら稽古しているけど、何事も今の状況を把握しながら稽古をしなくてはいけないと感じる歳になったんだと思った。
だから力を抜くと言うことの大切さもこんなことなのかもしれない。
また最近は基本打ちをする時は『その場所を良く見て打つ』と言っている。
剣道は相手の目を見て、目を外さず稽古、試合をしなさいと言われたことがあるけど、基本打ちだけは私はしっかりその場所を見て打つことを皆に言っている。
それはどうしてか?
まだしっかり打てない人に相手の目だけを見て面を打っても本当に正しく当たっているかわからないと思うし、『ここを打つんだ』と自分に言い聞かせてその場所をしっかり見て打つ!
そうすることによって今自分は何をしている、どこを打っていると言う意識が高まると思うから。
見ると言っても視線を送るだけだから前かがみになることもないし、大切な体の線は崩れない。
見て打つことにより外れることも少なくなるから相手に対しても痛みが和らぐ。
特に胴など『だいたいこんな感じ』的に打つから外れて相手は痛くなるし、その感覚でやりつづけても上手く当たらないから好きじゃなくなり、どんどん苦手となってくる。
力の配分も見てやるから出来るんだと思う。
それが出来るようになったら、その場所も見なくても正しく打てるのだと思うから、初めのうちは『基本うちは見て打つ』と言っている。
本当にやりすぎ、飲みすぎは今の私には気をつけないとですね。

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剣道はなぞ・・・
『剣道はなぞ』なんて書くと今さら何言ってんだと思うけど時々そんなことを考える。
よく聞く言葉に『剣道の理論はわかりずらい』『親切に教えてくれない』『指導者が怖い』などよく耳にする。
それは私のことだけかもしれないけど、墓穴を掘ってしまったかもしれないけど、意外と剣道とは指導者も教わる方もまた見ている方も本当はわかっていないと思う。
でも、その『なぞ』みたいなものが何なんだろう?って考えるのって意外と大切。
これだけ勉強したから成績が良くなった。
剣道も『稽古は嘘をつかない』という言葉があるようにたくさん稽古をすれば良くなる。
でも駄目なことを考えながら稽古することはマイナスの方に進んでいく。
『なぞ』なら良いけど『なぞなぞ』となると、方向が変わる。
私は『理不尽が普通に感じられるから剣道はやりがいがある』と思っている。
だいたい街中を剣道の姿で歩いていたら可笑しいでしょ。
稽古行くならまったく可笑しくないという気持ちなんだけど、コンビニにおでん買いに行くのにこんな姿にはならない。
でも、稽古後皆で反省会で食べたいから買いに行こうと思えば全然普通な気持ちで買いにいける。
それは最近思うのだけど見た目を気にしているというより、自分自身の心の置き所なんではないかと。
知らない子供たちが連なって稽古に行く剣道姿を見ているとなんか『お、なんか良いね』とおもう。
それは私が剣道しているからではなく、知り合いで剣道していない人が言った。
その子たちはコスプレで着ているんじゃなくて、稽古に行くからちっちゃくてもどこか凛としている。
もっと言ってしまうと、正座をして礼をしている低学年の小学生を見ると『やっぱり剣道しているから』なんて言葉は本当に嬉しい。
でもオリンピック種目にならないし、もっと言えば目標となる九段がなくなったり、興味を減らしながら剣道人口が少なくなって、経費が足りないといったりしている。
実にこのことだけでも剣道はなぞかもしれない。
これは否定や皮肉ではなく、だから剣道なんですよね。
少し前に子供を剣道に入れた親に何で剣道に入れたのですか?と聞いたら。
『この理不尽さこそ今の時代を乗り切る子供になってほしいと思って』と言われた。
実にあなたも面白い考えの親だと思ったけど、その子や剣道に対してはとっても協力的で良い親なんです。
言葉に言いあらわせられない事が剣道。
源流館はもっとも訳のわからない道場かもしれないから七段も多く出るのかも知れませんね。
『この道場に来ると昇段できる』と言う噂も『なぞ』かもしれませんね。
源流舘は八月は第一週で前期のお休みに入り、二週間休み四週目から後半に入ります。
源流館の『なぞ』はもしかしたら参加したらわかるかもしれませんね。
* これは勧誘的になぞめいて言っているのではなく、源流館の私でもわからないことなんです。

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今思うこと
剣道を楽しみ的な感覚だけでなく、技術も精神も向上し、昇段を目標としたり、少年剣道の指導という事を真剣に取り組もうとすると色々なことを考える。
また色々なことをその時々で考え方の角度も変えなければいけないと思うし、そんな時真剣に取り組めば取り組むほど心と体が合わなかったりして、稽古しててもしっくり来ないとか、また構えを少し変えただけで心が収まらないとか・・・・。
そんな時いつも『本当に構えや気持ちを変えて良かったのだろうか?』など悩まれることもあるのではないでしょうか?
私にも弟子がいますが、その人たちを本物にしたいと思う時、細かい所まで注意する。
そして私にも師匠がいる。
この歳になると頭ごなしに怒られたり、注意される事はなくなったけど、師匠と稽古すると言葉なく質問することを、言葉ではなく答えてくれる。
また難しい話になってしまったけど、八段と七段が目標を持って稽古するときは速く打てばいいとか、面をどういい形で打ちたいとかよりも、構えている時の心がどうなっているか、打つための攻めなのか、相手の心を崩す攻めなのか、間合いは思いっきり捨てきれる所なのか?
今の状態は勝っているのか?それとも負けているのか?
この一本を出すことに自分の目標に近づける意味が備わっているか?
こんなことが頭の中全体に漠然と浮かんだり消えたりする。
考えすぎるとその事だけにとらわれ過ぎ、体全体に無駄な力が入る。
だから稽古のときはなるべく、注意することを考えながら、そしてそれを忘れようとする。
矛盾が自然となれば全てが楽になる。
打たれて誰だって悔しいと思うけど、そんなことはどうでもいいと思えるように『打たれまいという』本能を『今何をする』事に切り替えるとそれ全て己の血となる。
みんなの前で恥ずかしくない剣道をする。
とっても難しい。
見ている人は色々な思いを持ってみている。
だからその人たちに素晴らしい剣道を見せようとすることがまだ邪念となる。
言葉無いほどどう受け止められているのか?
そのことより、自分に嘘をつかない、自分を信じること、そしてどんなことになっても『今思うこと』を忘れずに一本、一振りに気持ちを乗せられるか。
稽古嫌いの私が今もっと稽古を嫌いと思いながら、願った目標の思いに身をゆだねている時、何か楽しい。
自分自身に理不尽さを感じ、もし私が八段を合格したら私は九段を目指す。
今はなくてもそのうち九段はまた復活する。
そして私が九段になったら・・・・
剣道をやる人は最後まで、そう今日より、明日、そしていつまでも今より成長しないとね。
だから素直になれる。

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いつも反省
剣道は格闘技の前に礼法と感謝と思っている。
でもその時には、どのくらいの速さと信頼関係で物事を教えなければそれは独りよがりになってしまっうと感じている。
指導というとその人のレベルに合わせてこそ本物だと感じる。
今日は、と言うより今日もですが、熱過ぎたかもと反省している。
一瞬見ただけでこの子は良いと感じれる時がある。
でももったいないほど何もわかってないし、当たり前だけど習っていないこと、特に礼法には矛盾を感じる。
以前高校生が稽古に来た時嬉しいと思ってわかりやすく、そして強く打ってあげた。
そうしたらその子は少し感動してくれたのか、私に質問して良いですかといった。
『はい、何でも良いよ』と私。
その彼は目を輝かせながら『先生はヤバ強いですよ。まじどうしたらなれるの?』と聞いてきた。
『そうだね、その前に日本語はちゃんと使おう』
君の質問はわかるし、本当はうれしいけど。
だから伝えたい事はわかるけど途中で伝える伝達の言葉に問題があると思う。
そしてその子に私は『とっても強いです。どうしたらこんなに打てるんでしょうか?』
と言った。
内容は同じなのに当てはめる言葉でイメージが変わってくる。
今日も姿を見ただけでこの子は強くなる。
と思った、現に強いと思う、でもなにか引っかかる。
それは剣道というイメージがないんだと思った。
だから初めてなのに『ちゃんと挨拶しなさい』と言った。
私が考えるに他の道場に稽古をさせて頂く時は、他人の家に食事に行く気分と思っている。
食事は大変楽しい空間ですし、そこには独自のマナーがある。
だから最低限のマナーをもっていかないと失礼にあたると思っている。
レストランのバイキングなら好き勝手に食事をしても良い、でも他人の家に来て最低限のルールは『いただきます』そして食べ終わったら『ごちそうさま』だと思う。
でもこれは私の感性でしかない。
その子にはもっと時間をかけて教えても良いのかとも思った。
私も何回も無礼をして怒られ、悔しくて涙もした。
でもそれは昔の話かもしれないし、今の間には合わないのかもしれない。
良い子だけに強く言ってしまった。
とってもその子は傷ついてしまったと思う。
そう、私の独りよがりなのかもしれない。
熱く教える前に信頼させる時間がなさ過ぎた。
とっても地獄の閻魔大王みたいな親父に会ったこと、自分だって本当に子供の頃まじめに剣道してなかったのによく言ってると思う。
まだまだ私は未熟すぎる。
良い気分の時ほど空回りする我が身を知っているのにまた同じ事をしてしまう。
今日はいっぱい考えさせられてしまった。
厳しくか?本当は我が身を守りたいだけなのかもしれないのかも。
まだまだ修行たりません。
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ジャズとクラシック
私は配達の車の中で色々なことを考えたり、色々な音楽や落語を聴いている。
とっても快適な時間がそこにある。
もちろん剣道のことは半分以上かもしれない。
そんな時知り合いがくれたジャズのCDを聴いているととっても柔らかい気分になったり、この流れるようなピアノって心がスイングしてくる。私はジャズはまったくわかりもしないのに心が踊ってくるし眠っていた微かな音楽心が頭をもたげる。
そんな時ある言葉を思い出した。
クラシックは『重箱の隅をつつくように、完全に決められたことをどのくらい正確に演奏できるか』
ジャズは『少しくらい音を外してもその場の雰囲気や、セッションの具合で流れを大切にし、本能のおもむくまま柔らかさの中に本当は勝負がある』
この話しを思い出した時、その時は意味がわからなかったと言うかまったく音楽には無縁なのでこの先の話はまったく違うかもしれませんが私の感性で話を進めていきます。
クラシックピアノは右手と左手のパートがしっかりしていて、左手はしっかりベースとなるような動きを忠実とし右手は攻撃的だったり時には柔らかさりだったとかという感じで、意識が明確だと聞いた。
ジャズは左手も右手同様に自在にそして語りかけるように動く、本能のおもむくままが全て自然の流れを大切にしてる。
剣道も試合と審査とは違うとよく言われる。
たくさん剣道に関われる人なら試合も審査剣道も時間を取れる。
でもなかなかそんな人はいない。
剣道は本来格闘技だと思っているから打たれたら負けだし、試合に強い人は反射神経や負けたくない本能が他の人より優れている。
少年剣道なんて最たるものだし、そのセンスを私もとってもいいと思う。
でもその本能は六段・七段の審査というより最近の四段試験からとっても難関になり、正しい剣道を評価の対象に置かれる。
それは私も良いことだと思う。
ジャズのようにその場の雰囲気に合わせ自在的に奏でるピアノは本能のおもむくままの『試合』
クラシックの指揮者は誰でもなれるかもしれない、適当にタクトを振れば音は動いてくれる。
つい最近まで私は指揮者は良い楽団なら良い音楽になると思っていたけど、あるテレビドラマで見ていたら指揮者は全ての音を確認して理解でき、現況のパートの力を把握し、そしてどのくらいなレベルまで引き上げ、カバーできるところは別なところでおぎない、音の完成度を上げていく、限られた時間の中でどのくらいな自分のイメージに近寄せられるかとその楽団の『もう無理』との気持ちと狭間をしのぎ合い、発表の当日を迎える。
剣道なら指揮者は自分であり、自分の感性や技の完成度。
置き換えて言えば、音の確認は自分の全体の技量、現況のパートは面だったり返し技や、応じ技。
面が得意だけど、胴はあまり上手くない。
でも出来ないからといってほっぽらかしでは、その得意な面でさえ冴えもなくなる。
でも稽古する時間は限られているからどんな時間配分にするか、そしてやりすぎると体に無理がかかり故障する。でもそのぎりぎりはどうする。
と剣道の審査ならこんな感じではないかと思う。
剣道の試合なら多少どんなかたちでさえ当たれば勝ちになり、それが結果的にその勝負の価値となるけど、審査は例え一本すごい技が当たったとしても、後の振る舞いや二本目の技がその評価の対象外なら審査は合格できない。
格闘技なんだから本能で良いじゃないかといえば、私もその通りだと思う。
でも剣道には正しくそして美しくということもある。
だから自分的にはどっちの道を選ぶかと決め行った方が、その目標に到達できる近道ではないかと思う。
そしてその重箱の隅をつつくような指導をしてくれる人こそ師匠なんだと思う。
例えでジャズとクラシックを出しましたが、ジャズ演奏者が努力していないなんて言っているのではなく、本能の素晴らしさはとっても感じていますし、私はどちらかといえばジャズ剣道的な試合をいつもしています。
まさに本能そのままです。
私の目指す八段は『ジャズのようにしなやかでスイングしながら、相手も快くセッションできて、そして細かい所作やゆるぎない芯の強さと後世まで伝えられるような伝統的な素晴らしさを心も体も伝えたい』
そんな理想論の八段は無理じゃなく、そんな人じゃないと八段にはなれないと思う。
到達できない悔しさや愚痴より、到達して目標の階段を一つ上がったらその次の人につながりをもって引き上げて生きたい。
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涙
剣道は竹刀を持って打った打たれたそして勝つと嬉しい、負けると悔しい。
また別な道と言うわけではないけど本来の剣道心は昇段だとおもう。
その二つは真逆と言って良いほど難しい。
強くて、綺麗な剣道で、指導者としても立派で、その教え子たちものびのびと剣道をし次の世代の子供たちに正しい剣道を教えてほしいと願いながら日々の剣道を出来る人が理想の剣道家ではないかと思う。
そんな人はまずいない。
だから剣道は人の道なりと言う言葉になる。
不可能や矛盾が最大の目標だから努力をしてもなかなか到達できないけど、でもだからこそ頑張れる。
勝ち方に意味があると言ったり、打った後にガッツポーズや飛び回ったら勝ちが取り消される。
こんなことは他のスポーツで考えられない。
でも剣道はそれで良いと思う。
今日も子供たちと稽古してきた。
ワクワクしている気分。
剣道をしたいんじゃなく剣道を通して心を一緒に出来る機会がそこにあるから。
稽古好きな人は土曜日や日曜日に剣道するために日々の仕事を頑張り指導と言うより、自分も面をつけて稽古して打った打たれたの感じに汗を流す。
これは皮肉や悪いことと言っているんじゃなくてとってもいいことだと思う。
でも子供たちの指導や初心者の指導はとっても根気が入るというか『どうしてこんなことわかんないのか?』がじれったくなって若手の人たちはやりたくないし、上手くなったらどんなことでも教えたいと思う。
私も本当はそんな感じだった。
今初心者の人や幼稚園生の子供たちに礼法や竹刀の持ち方から始めると以前なら『俺のやるべきポジションじゃない』と感じただろう。
でも今はまったくそんな感じではなく。
幼稚園生に火が出る勢いで指導する。
決して声は大きいけど、イラついているわけでもないし、早く強くなってほしいから焦っているわけでもない。
今は剣道の下地というか剣道をやっていて良かったと感じてほしいと思うから今を熱く指導できる。
それが町道場の一番良いところではないかと思う。
体操からいちいち指導するし、竹刀を持って剣道すると言うことの危険性や、竹刀を持たなくても剣道しているとわかる意味的なことを話しながら一時間の稽古。
私は一時間の少年指導のうち喋らなかったなかった時間は5分無かったくらいずっと喋ってた。
子供を指導しながら大人の方もずっと同じメニューをこなし私の大きな声に緊張し、最後は私との稽古で壁にぶつけられ心底疲れたと思う。
でもそれが良い。だって剣道だから。
剣道が楽しいと思えるのは40年くらい厳しい修行をして自然な力の抜けがわかったくらいの人しかわからないと思う。だからまだ私は楽しく稽古は出来ていないのかもしれない。
私は剣道してて楽しいかと聞かれれば、即答する。
『稽古は楽しくない』『でも剣道している仲間が大好きだし、こんな男が自信を持って生きていけるのは剣道のおかげと感謝している』だから剣道は感謝なんです。
どうして剣道は楽しくないかって?
だって疲れるし、暑いし、面倒くさいし、痛いし、いくらやっても思い通り打てない。
まるで初心者と同じだ。
でも八段を目指している。本気です。
今日も子供たちの座礼の時、頭のてっぺんにありがとうと書いてあるからゆっくり剣道の神様に見せなさいと先週は言ったけど、今週はそれでは感謝の気持ちはあるけど、自分の誓いが無いから、私は先週皆を見て私の心は固まった。それはね皆を日本一の剣道家にしたいと思った。
だから座礼をする時に『お願いします』や『ありがとうございます』という心の言葉の次に『日本一になる』と心で言いなさいと伝えた。
二週間前稽古が始まっても、竹刀を持って道場で遊びまわっていた子供が今心の中に『日本一の剣道家になる』と誓っている。
だから私はなお真剣になる。
嘘をつきたくないし、それだけの熱意で君たちに接しているんだとわかってほしいから。
そして自分の中では6月は仮指導者と思っている。
だからなお厳しく自分の全てを出し、妥協しないように指導する。
そこに残りたいならやりやすい先生や優しい丁寧な先生と思わせた方が良いのかもしれないけど、私の売りは『熱い剣道』だからごまかしたくない。
遅れて入ってきた幼稚園生に『ふざけるな、ちゃんと礼をして道場に入って来い!』と大声。
そこまで幼稚園生に言わなくてもと本心は思う。
そして蹲踞や素振りをする『気合が入ってない!』とまた大声。
生活に不満があってこの場でストレス解消しているんじゃないか?と思われるんじゃないくらい大声だ。
もちろん素面だから脳みそは冷静。
そして仕事も忙しく頑張っているし、水曜日は稽古に行きたいから朝6時におきてやるべき仕事をしているけど、なんか活き活きしている。
ちゃんとやろうと思っていても幼稚園生には本能が落ち着きが無い。
そんなことは我が身が一番しっている。だって小学校の成績表にたくさんの2が並んでいる最後に『権田君は落ち着きが無い』と六年間書かれたんだから。
でもここが一番大切と思うから、その子を見ながらやる気が無いなら剣道辞めろ!周りの子に迷惑になる。
でも私は思ったこの子は絶対にやめないと思ってる。
それは今は集中していないけど何気なく竹刀を持った姿がさまになってる。
目を見て10倍くらいでかい私がその子の顔の近く20cmに視線を合わせ、100M先まで聞こえるような大声で『どうすんだ!』と詰め寄る。
その子は泣きながら『やりたい』と答える。
これが『お金返します』と答えたら消費者金融の取立屋だ。
そして彼に言った『君の涙を見ていると俺はその何倍も今心で涙を流しているんだよ』そして『泣いてものごとがすむなら俺は泣きたいことばかりだよ、だから泣いてもどうにもならないんだから無駄なことはするな』といった。
そして君はなかなか良いセンスしているから将来強くなるぞ、と言ったら。
今度は満面の笑みに変わった。
おいおい、その変わり身の早さ、ホッとするけど俺にもついていけないぞ。
そして稽古が終わりお母さんのところでその子と話した、私がその子に『今日は泣いちゃったね、何回泣いちゃった?』と聞いたら笑顔で明るくお母さんに『三回!』と答えた。
お前は『世界のなべあつ』か?と突っ込みたくなった。
でもこの涙はまた私の宝物として大切にしまっておくからねと思った。
今辛い思いをして、この親父がにくいと思っても、絶対このことがあったから日本一になれたと思い出にしたい。
今風呂に入ってビールを飲む手が震えてる。
え、こんな程度で腕が筋肉痛?
あ、そうだ昨日も今全力で関わっている子供たちと300本一緒に素振りしたんだと思い出した。
こんな調子なら一ヶ月で1万本位素振りするかもしれない。
その子たちも思い返すとはじめは同じだったかもしれないことを思い返した。
来年の三月で切り替わるまで私は出来るだけ今の子供たちに剣道を選んで良かったと思える指導をして行きたいと思う。
いっぱいの出会いが本物だから剣道は素晴らしい。
そしてこの子達のためにも八段を強く思った。
『初心忘するべからず』ではなくではなく、
『「いつでも初心』この言葉を改めてこの子達や仲間と稽古して感じた。
稽古は本当に色々なことを教えてくれる。
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初心者指導
先日剣道の指導担当を任され初心者の指導をしてきました。
大人の人が三人、子供は小学生三人、幼稚園三人と全員級の資格も持っていない人たち。
今まで少しは竹刀を振ったことがあるみたいですが、一番大切なことが身についていないと感じた。
剣道の時間なのに約一時間の稽古で一度も竹刀を持たずに剣道の稽古をした。
剣道の指導なのだからと普通の指導者は体操して竹刀の持ち方を教えるんじゃないかと思いますが、私は竹刀を持たせる前にいっぱいやらなくてはならないことや、剣道と言う特殊なことをする心構えなど話した。
大切な正座の仕方や大きな声を何で出すかとか、道場に入る時なんで挨拶をするかなど、剣道をしている人には当たり前なことだけど、初心者には当たり前ではないから権田流に伝えた。
ただ礼をしてから道場に入りなさいと言ったら忘れてしまうし、なんの説明も無ければやらなくても良いだろうと思う。
だから子供たちには『道場には剣道の神様がいるんだよ、剣道の神様は道場全てが体みたいなものなんだ。』と言葉にする。
道場の床は道場の神様のお腹の上なんだよ、皆に元気良く頑張って稽古してもらいたいから神様は皆怪我しないようにねって見守っているんだよ。
だから僕たちはいっぱい神様のお腹の上で稽古するんだから『よろしくお願いします。お腹の上で稽古しますが見守ってくださいね』という感謝の気持ちが無いと失礼だし、剣道をやる意味が無いんだよ。
剣道は裸足でやるから怪我も多いし、豆も出来やすいからなおさら床はとってもお世話になる。
そしてね頭の天辺のつむじのところには『ありがとう』『よろしくお願いします』という感謝の言葉が書いてあるんだよ。その言葉は人間には見れないけど神様にはちゃんと見える。でもね、神様は少しお歳を重ねているから良く見えないから、早く頭を下げても読めないんだよ。
だから心の中で『ありがとうございます』って言う時間がちょうど良いんだよね。
そして道場を出る時も礼をして頭に書いてある感謝の言葉の『ありがとうございました』を見せて道場を出るんだけど、背中には『疲れた本音』が書いてあるんだよ。
『あ〜〜〜 、疲れた』『やっと終わった』なんて少し道場の神様ががっかりするような言葉が書いてあるんだよ。道場の神様は皆に元気で怪我無く稽古してもらいたいと願っているんだから最後まで皆を見て喜んで見守っているんだ。その神様に『疲れた』『なんとか終わった』なんて背中の字を見せたら神様悲しくなっちゃうんじゃないかな?
一生懸命しているから稽古は疲れるけどその姿と心は道場出た時まで、もっと言えば家に帰るまでおみあげとしてもって帰ろうよ。
お父さんやお母さんに稽古のおみあげは頑張ってやったから疲れたよ!って言葉と雰囲気なんだよね。
厳しい稽古だから親はね心配なんだけど、君たちが本当に頑張って剣道すると心は辛いけど良く頑張っているんだと嬉しくなるから、その疲れた顔は大切に家まで持って帰って一番最初に一番好きなお母さんに見せてあげようよ、だから道場には背中を見せないで挨拶をして出ようねと言った。
以前まではなにも言うことも聞かずにふざけていた子供たちがこの言葉に反応したのか、ずっと静かに正座して聞いている。
そして挨拶する声は大きく元気だった。
剣道は竹刀を持つ前にいっぱい心構えや、所作、礼儀を真剣に教えると、その情熱に子供たちはわかってくれる。
そして教えようとして言うんじゃなく一緒に頑張ろうって心で伝えると響く。
一時間の稽古終了した時、以前教えていた先生が『子供たちの感じが変わりました』と言ってくれた。
この子達は私の新しい第一歩を歩んでくれたから絶対剣道して良かったと感じさせるように私も頑張りたい。
何事もわがままを言えばきりが無いし、愚痴は言う前にそのことを心底愛している人が言うと周りは聞くかもしれないけどそんな人は愚痴を言うどころか一生懸命前だけを見てる。
仕事も忙しく嬉しいほど頑張っている。
剣道も源流館も七段も増え次の目標の人たちも頑張っている。
今関わっている剣道の道場も少しづつ良い形となりつつありし、新しい第一歩の道場も熱い思いで関わっている。
八段を目指しそのための稽古を思っていたら、色々なことが増えてきた。
なんという言葉に洗わせられない幸せがいっぱい来た。
忙しいからお酒も軽く飲んで、な、な、なんと三週間二日酔いしていない。
これが一番驚きかもしれない。
頑張れる健康な体に生んでくれた親に感謝しています。
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剣道と人生
剣道は今でもわかんない。そして人生と言うより、生きて行くことはもっとわかんない。 でも、俺はそんな事わかんないなんて卑屈に思ってなくこの今を嬉しいと思う。結果を求めたら誰かが勝てば誰かが負ける。プロの道は勝ち続けないといけないし、それがプロなんだと思う。 仕事はプロだから妥協はできない。 そうじゃないとお金は集まらない。好きなときに好きなことをできるとき、幸せを感じる。 それって最高な人生かもしれない。剣道を大嫌いと言う人ほど燃えていた時期があると思う、俺の中で燃えていた時期、やっぱり剣道を辛くて逃げまくっていたけれど、今は心から触れ合える人たちがそこにいるから剣道が好きと言える。打算的や名誉ではなく、痛みを感じたら俺がその何倍でも返してやるくらいの仲間との連帯感。『生きるて?』時にふと考える。いずれ死ぬんだから、懸命に生きようとしなくても。そうじゃなく人としてやるだけのことをやってこそ命を受けた感謝だと思う。私には辛く必死でやってきた剣道だから、今でも少し真面目にかかわると何か別な扉が開き、新しい道が見えて来る。 休みたい時は休めばいい、でもそれで良いことなんてない。 少し頑張る勇気がないと休むとか遊ぶとかの喜びがない。断る簡単なことより、受け入れる難しさを感じられることこそ剣道と人生なのかもしれない。
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渋谷区剣道大会
私は小学校六年から剣道をはじめ中学から試合に出るようになった。
中学時代は本当に試合は弱くて、まったく試合で勝った思い出なんてまったく無く、仲間が強かったので団体戦では優勝させてもらったけど、個人戦なんて渋谷区でベスト8とが最高。
それでも中学3年の時皆受験勉強で5人しか出てない大会で優勝した。これは公式戦とは言いがたい人数ですよね。
その後高校に入り強くなって東京都で優勝、関東大会準優勝しても自分自身は試合は弱いと感じている。
今の私を知っている人にこの中学時代の三年間の剣道実力を話すと誰も信じてくれない。
剣道の強い人はだいたい子供の時から強くてセンスもあった人の方が多い。
私は肥満児だったし運動センスも無い、剣道的に唯一良かったのは頭が悪かったこと。
それはなぜかって?
そのため勉強では高校に入れなかったから、剣道推薦で入学。
もし自分の力で高校に入ったとしたら私は強くなる前に、一日で辞めていたと思う。
だから私にとって剣道上達した最大要因は中学校時代の成績が悪かったこと。
推薦とはご存知のとおりそのスポーツを辞めてしまう事イコール学校を辞めなければならない。
だから頑張れたのだと思う。
でもそんな時代を乗り越えてきたから今の剣道があると思っている。
そしていっぱい仲間も知り合いも出来たことそして今回息子と初めて渋谷区の大会に出ることになった。

高校になってからはじめた息子はまた面をつけての稽古は20回もしていない。
もちろん試合練習もしたこともないし、ルールはその場で『いいか、この四角い枠から二回出たら負けだぞ、鍔ぜりでわかれと言われたらその場で下がれ、礼は相手と合わせて礼をしなさい』本当にこんな感じで伝えた。
結果はもちろん個人団体とも負けたけどなんか嬉しかった。
剣道はやることすべて難しいけど、試合方法も知らない人には難しいと思う。
なぜ負けても少し嬉しかったか?
それは息子と言う以前に同じ道場で稽古している初心者の子供が皆の教えを、疑わず信じてやってくれたこと。
日頃の稽古で『下がるな、自分から大きく打て、元気よく』この言葉を守ってくれた。
今は負けることの悔しさより、『今の言葉を信じる心』の方がより近道と思った。
どこまで続けてくれるかわからないけどやっているときは真剣でいてほしいとだけ願っている。
おやじは学生時代はどうやったらサボれるかとばかり考えていたから。
早く本番の試合であたってみたいものです。
亡くなった剣道大好き親父が見たらどっちを応援するんだろうな?
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合同稽古会の気分
たまにある合同稽古会や大きな道場の稽古会に参加する時私は『潮干狩り』の気分に似ていると感じる。
稽古会に行くと大勢の先生方が元立ちに並んでいる。
つねに参加しているなら先生たちの技量もわかるし、気持ちの面でもどんな先生かを知っていれば稽古の掛り方もわかる。
でもたまにしか行かない稽古会や初めてだとその場も雰囲気も新鮮で良いけど、どのくらいの感じなのかと少し手探り状態になる。
先生のことや相手のことがわからないからそんな緊張感も良いことは良いし、試合の気分も味わえる。
やりやすい先生や良い先生だけが自分のためになるとは限らないし、時には気が合わない相手とやる方がとってもいいこともあるから稽古に無駄はないと思っている。
またもたもたしていると稽古は終了してしまうからなるべく面を早くつけるものの、どの先生にかかることが自分にとって良いのかと考える。
有名な先生には長蛇の列となり並んで稽古を拝見することも稽古のうちだから良いのだけれど、その先生の稽古がわかるならもうその段位になっている。
だから今の自分にとって良い先生にかかることを見極めるのも稽古のうちだと思う。
だから潮干狩りに似ていると私は感じる。
人もいない所は動きやすく掘りやすいけどなかなか目当ての貝が出てこない、そうかといってたくさん人のいる所には良い貝もいるけど掘り辛いしもたもたしていると貝もなくなってしまう。
またこんなもんかなと少ししか掘らないで駄目だと思って移動すると、その後に来た人がもう少し掘り下げたら素晴らしい貝が出たとか。
気持ちばかり焦っていては結局のところ良い成果は期待できないし、そうかといってじっくりしすぎると潮が満ちてきて掘ることも出来ない。
まれに運良くたくさん貝が取れたとしても持って帰れないことや、食べきれないで腐らせてしまってはなんだかもったいない。
程よく自分に合った内容で楽しむことを心がけると合同稽古会は良いと感じている。
でもそのことが意外と難しい。
だからその場に合うことを出来るようになることは日頃の稽古や心を鍛えておくから本番の稽古会で発揮できると思う。
『運も実力のうち』と言うのは意外といっぱい努力すれば何気ない行動にも意味が乗っかるから他人には『運が良い』と思われるのかもしれませんね。
大きな海を見てここには自分に合った貝があるとわかるように、剣道も目に見えない物を瞬間に察知できることが剣道上達の近道なんですね。
子供の頃潮干狩りで掘っていたら100円を拾ったことがあり、帰りにお菓子を買った。
それからは大人になって子供を連れて潮干狩りに行っても妙にお金が出てくるんじゃないかと期待してしまう。
こんな運をずっとずっと期待している性格は今の剣道にプラスかマイナスかはわからないけど、期待することは何でも良いことだと思っている。
今日はアサリの酒蒸しで飲むとしましょうか。
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渋谷区剣道連盟稽古会
渋谷区剣道連盟の稽古会のビデオです。
一番にかかってきた弟子との稽古はやっぱり楽しいし、気合も入るし、お互いの成長を感じる。
同じ日ですが前回のとは別のです。
稽古ビデオ@
稽古ビデオA
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弟子の結婚式
『剣道時代』という剣道月刊誌があるのですがずいぶん前に剣道を通してちょっと良い話があったら書いてくださいと言われたので投稿したのですがこのたび今月号に載りました。
表紙はこんな感じです。

『剣道ちょっと良い話』に本名で載っています。
良かったらご覧ください。
知り合いの人と一緒に載れたので喜びも何倍もあります。
剣道の雑誌なので剣道していない人には無縁な雑誌なので私の書いた物を載せさせていただきます。
ただ原文なので多少読み辛い所や誤字脱字はお許し下さい。
やっぱり活字になり雑誌に載ると嬉しいものですね。
これで私の書いたものが本に載せて頂けたのは6冊目となりました。
ちっょと自慢ですみません。
『弟子の結婚式』
私は日比谷公園の中にあるチャペルの前で少し大きめなため息をついた。
感慨無量という言葉はこんな時に使うのかと思った。
私のような者にも剣道を通して弟子という心通じる男がいる。
人は人にめぐり会って変わると私はいつも思っている。
良きにつけ、悪しきにつけ人間関係というものの大切さや素晴らしさを感じ、そしていっぱい感動もする。
その出会いが計算ではなく真実の証がそこにあるから、師弟関係という形になったり、仲間という関係になったりして共に生きていけると信じている。
彼との出会いは15年前に私達の道場に来た高校生だった。
間違いなく少し生意気で、ちょっとばかり剣道できますがどうでしょうか?
なんていう香りをかもし出し、稽古となる。
実際に少しは出来るけど、彼の仕草になにか寂しさも感じられた
稽古では名刺代わりに少し本気で合わせてみた。
打ったけど時には厳しい剣道も思い出の一ページとなればなんて、今だから言えるけどその時の彼には辛かったかもしれない。
そしてその後近くの行きつけの居酒屋で色々と話し合った。
彼は時間が経つにつれ、はじめの目とは違いすごく素直に色々なことを話してきた。そして『良かったらまた来週も稽古に来たら』と私は言葉にしたが、もう来ないかな?とも思っていた。彼にとっては決して楽な稽古ではなかっただろうし。
ところが彼は次の週は私より早く道場に来て掃除をしていた。
私も学生時代は掃除から、そして家業を継ぐ前の秘書時代も、まず初めは掃除から始まる、『習いたい』『認めてもらいたい』という心の現われはまずできる掃除からだと今でも思っている。
やらされていると感じるなら意味がない、近づきたいとき自分がまずできることからと思うなら掃除や挨拶だと信じている。
何事も黙々とする彼は迷わず私に純粋にずっとついてきてくれた。
『剣道は人の道なり』の言葉は本当にそのままだと彼を見て強く思った。
強くなりたいのならもっといい師匠がいるし、また肩書きなどない私をなんで選ぶのかとも思った。彼はただ直向に、打算的でもなく、強く望むものといえば人の愛のように感じられた。
剣道を通してこんなにも爽やかで清らかに付き合える信頼関係、我侭な師匠の私にずっと信じてついてくることの難しさ。彼は愚痴一つ言わずついてきてくれた。大学に進みそして社会人となってもこの関係は揺るがないどころか、強い信頼という絆になったと思っている。
そして『先生、自分も結婚します』と言われた。
以前に『俺はあなたのためなら結婚式でなんでもしてやる』と言ったことがふと頭に浮かんだ。
彼からの報告は嬉しかったけど俺になにをしろというのか?正直不安もあった。
何でもすると言っても『俺になにをしてほしいんだ?』と少し手探りに聞く。
彼は『先生には結婚式に出て欲しい』とだけ言葉にする。
なんだ、ちょっとホッとしたというより俺はあなたの結婚式には絶対出たいと思っていた。
でも、その後詳しく聞いて私はためらった。
結婚式は身内だけでするというのだ。それだったら俺は場違いだと思った。
以前から『おまえの結婚式には出たい』なんて言っていたから儀礼的に言わせてしまったのかもと思い、『そんな場所に俺は良いよ。気持ちだけで嬉しいよ』と返した。後日彼から電話で『先生お話しがあります』というので行ったら彼のお父さんが同席していて『是非出席をして欲しい』との言葉。
その言葉を聞いてもはじめは丁重にお断りをしたが、頑として譲らない。
お祝い事を断る失礼を知りつつも、ご身内同志の中に一人他人ではいくらなんでも相手側にも失礼と感じたからである。
やがて彼は意を決したかのように私の瞳を見て『先生はなんでもしてくれると言ったじゃないですか』と言葉にした。その心を感じ私は出席を選んだ。
彼のそんな強い目を今思い出したから、結婚式の始まる前のなんともいえない嬉しさや喜びや信頼みたいなことが『深いため息』となった。
彼に剣道を伝えただけではなく、人としてかけがえのない温もりが伝わったんだと嬉しくなった。
結婚式はとても立派になった弟子の姿に熱いものを感じ、過ぎてきた時間の楽しかったことや厳しく鍛えたことが蘇った。
もちろん昇段や試合の好成績は彼の形として残り師匠としても嬉しい限りではあるけれど、彼は私を身内としてずっと思ってくれていたんだと感じることが出来たこの場面は言葉にはならなかった。
式典が終わり地元に帰り彼の家族と飲んだときお父さんが彼を指差し『こいつがどうしても先生を結婚式によびたいんだと強く言ってたんです』と笑顔で言ってくれました。
またお父さんが『学生時代って揺れ動く時だし、その時代を正しい(?)方向にしてくれてありがたく思っています』とも言ってくれた。剣道は生涯できるものだからこそ、上辺だけで付き合いたくないとお互いに感じたからこそ今があると実感した。
彼に私はたいしたお祝いはしてあげられないけど『子供が出来たら俺がまたおまえの子供の師匠になる』と言った。厳しく、辛い稽古を共にしてきた我侭な師匠だからこそ誰よりもその弟子が可愛い。
そして『ずっといつまでも一緒にいたいね』と思った。
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渋谷区剣道連盟稽古会
渋谷区剣道連盟の稽古会のビデオです。
置きビデオで撮ったのでブレは無いのですが技を追っていけないのですが見て頂ければ幸いです。
とっても盛り上がって他の区や色々な団体の人も大歓迎で行っています。
良かったら参加してみませんか?
段位の制限も無く、参加費も無料です。
場所は渋谷区幡ヶ谷にあります西原スポーツセンターです。
稽古ビデオ
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仲間の昇段
昇段審査があり仕事の合間に見に行った。
源流館の仲間や、渋谷区の仲間、そして教え子が受けてる。
実に緊張感の漂う会場は空気が重い。
知り合いや先生もいるし、我身も審査途中だしこの空気は肌身に感じる。
いつも思うのは四段以上から急に難しくなるけど受かる根元は熱意しかない。
自分のこと以上にみんなの立会いを見ていると、『俺に出来ることは祈ることだけ』それはいつも一緒にやっているから心から祈れる。
よく稽古で『打たれても良いから下がらないで頑張れ』というけど本人は稽古で打たれると悔しいし、その人の心には打たれても良いなんて本当か?と思うかもしれない。
でも仲間に嘘をついて何の意味もない。
そんなことはわかっていても、本能が下がる、避ける。
だから段が受からないと思う。
合格をしてる人は剣道を楽しくもありながら何かを直そう、本能を変えようと考えて稽古するからつまらない時もある。だから直せるんだと思う。
もっと言ってしまうと正しくない剣道ほどやっている人には、いつもやっている稽古はそれなりに楽しい。
それは自己満足なんですよ。
気持ちのおき場所を変えるまで大変なことなんです。
人に会わない人や生まれたばかりの人が朝起きて歯を磨かない習慣がついて何年も過ごしていたら、歯なんて磨かなくても良いじゃないか?と思う。これが本能なんです。
でもそんなことを理論で説明するより、どうでも良いから『歯を磨く』と毎回、毎日言うから『しょうがねーな』と良いつつもするとある時から誰も言わなくても、誰に合わなくても、虫歯になるとかなんで考えていなくても、ただ自然と習慣がかわり、逆にそのことをすることが本能に変わる。
正しい剣道は誰にとって正しいのではなく、教えていただいてくれる仲間の習慣なんだと思う。
だから強い道場って強い人たちがいっぱいいるし、正しい剣道昇段をしている道場ってそのような道場の稽古や姿になっていると思う。
もちろん昇段だけが剣道じゃないから、ストレス解消に剣道やっても良いと思います。
だからやたらめったら正しい剣道や昇段できるようなヒントは言わない。
そんなこといっても嫌われたり、五月蝿さがれたりするだけですしね。
でも仲間が昇段したいなら心なら、嫌われても良い、嫌がられても良い、正しい習慣の剣道。
最初はぎこちなくてもこれが将来10年後に実を結ぶからと信じて教えている。
今日その花が咲いた気分です。
子供の頃から見ていた子が三人目の五段かと嬉しくなった。
源流からも稽古をしている女性の仲間が五段になったかと、嬉しくなった。
すべてが終わり会場を出る少し前、『よ、権田』と声をかけてきた。
歳は同じくらいだし、気軽に私の名前を呼ぶけど私にはわからなかった。
ほとんどの場合曖昧な笑顔で『はい、お元気ですか』と意味不明な言葉でつなげて、なんとか誰だかと思い浮かべるんだけど、まったく剣道関係には思いつかない。
失礼とは知りつつも『ごめん、だれ?』と本当に初めてといって良いくらい聞き返した。
『俺だよ、俺』
なに?こんな審査会場で俺俺詐欺?
『え?』と聞き返したら『マイティーだよ』といった。
それでわかった。
私が彼につけたあだ名だった。
高校時代同じクラスの野球部の友達だった。
もっと言ってしまえば、だからわかんなかった。
彼は防具を背負っていたからだ。
40歳過ぎてから剣道をはじめ本日四段を受けに来ていた。
なんとも妙な出会いだ。
『剣道は難しいな、駄目だったよ』と笑顔だったけど楽しそうだった。
私も嬉しくなった。
一緒にふざけていた友達が剣道を40歳からはじめて段を目指している。
今度剣道しようよと言ったら『負けねーよ』だって。
なんかまた嬉しくなった。
彼にとって今剣道は楽しいんだと四段落ちたのに、今八段を目指している俺なんてどうでも良い、高校時代の友達として『お前なんかに負けねーよ』という感じがとっても新鮮だった。
これも審査を見に行ったことの剣道神様のちょっとしたおみあげだったのかもしれない。
今楽しそうにしている三段の彼と稽古して『お前たいしたことねーな』といわれる稽古が出来たら私は八段になれると思った。
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師の背中
師弟関係というものは今は無くなりつつあるけど、昔は何かを習おうとする時は仕事であれ趣味であれ『先生』という響きではなく『師匠』と呼び、どんなことも受け入れそのすべてが修行と感じ努力する。
そして良い師匠ほど弟子にそのことを教えない。
え?教えないことがなぜ良い師匠なのか?
演歌歌手や落語家さんのお弟子さんがこんなことをよく言う。
『弟子になって何を教えてくれるのかと思ったら、住み込みで掃除・洗濯・運転手・ペットの世話など三年もやり何も稽古をつけてくれなかった』こんなこと聞いたことは無いでしょうか?
でもそのお弟子さんが一人前になったときそんな話しを恨みで話しているんじゃなく、懐かしい笑い話のように話している。
私の人生の師匠であります粕谷先生(元国会議員)は私に挨拶の仕方や政治の仕組みなんて教えてもらったことは無い。
それこそ朝は掃除・風呂を沸かし・靴磨き・朝食作りが毎日の日課。
そんなことばかりやっているならお手伝いさんじゃないかと思うけど、秘書としてはほとんど毎日の用に代議士の替わりに挨拶をしたり、色々な陳情をこなしていかなくてはならない。
先輩秘書だって忙しいから親切になって教えてくれない。
大学出たばかりのど素人の秘書に何も教えてくれないのに、挨拶やお客様の対応を少しでもミスると『馬鹿やろー、お前は能力無い』と罵声の嵐。(今でも私の剣道の先輩は酔っ払うと『ばかやろー』と言っている)
だから何人もの秘書希望者が一週間ももたないで辞めていった。
その時思ったのは『何にも教えてくれないのに、なんでこんなに少しの事を怒るんだ?』理不尽極まりないと思ったことも数え切れない。
でもこの師匠は誰にも負けないものが一つある。
それは政治に対しての愛情は誰にも負けないということ。
そして教えてくれないなら、盗むしかないと思った。
その時は秘書として一流になろうとかではなく、ただただ『おやじ』(代議士のこと)に怒られたくないから。
一緒にいる時は代議士が挨拶する時は必ず会場の隅っこやそでにいて聞いている。
会合・会議などもお茶出しや雑用を手伝いながら進め方を見ていた。
剣道もまさに同じだと思った。
高校、大学時代は先生と生徒の関係だが、社会人になり剣道を続けているとやらされているという感じから、自分からやる剣道に変り先生は『師匠』に生徒は『弟子』となる。
そしてやはり歳が重ねていけば頭ごなしに怒られることも少なくなってくる。
それは上達したというよりもう言葉で教えること出来ないことを感じ取ってほしいと感じるんではないかと思う。
先日剣道の師匠が稽古に来てくれた。
その剣道は堂々としていながら繊細な気攻め、柔らかい剣先でありながら面が決まる時はあたかも切られたと思うような鋭さ。
弟子としてはわかっていても打たれっぱなしの案山子状態。
当たり前だ、師匠は八段だから。
でも先日は少し様子が違った。
いつもの間より少し遠い所から技に出る。
ということは技の起こりが少しだけ先に見えるようになる。
もちろんただ遠間から打っているんじゃなく全力で打ち込んでくる。
まるで剣道をはじめた子供が一生懸命面打ちが正しく出来るように打ち込んでいるみたいだ。
60歳の師匠が強くなろうとしている。
弟子たちや他の稽古の人たちに小手を打たれても胴を打たれても迷わず機会を見つけては面に出る。
ただやっているんじゃなく完全に『上達する意気込み』を感じる。
その姿は心に響いた。
スポーツはある程度の年齢に行ったら成長は止まり後は以下に落ちないかを維持すると行った人がいる。
剣道は死ぬまで修行ということを言葉ではなく我が身を持って剣道仲間に伝えている。
弟子だけが可愛いんじゃなく剣道を一緒にいるすべての人に『一緒に頑張りましょうね』と言っているみたいだ。
ニュースで北京五輪馬場馬術団体代表の法華津(ほけつ)寛選手のコメントも私には感動的だった。
年齢は67歳。
そして『五輪への出場は、64年の東京大会障害飛越(個人40位)以来、44年ぶり。「馬が検疫に引っかかって出られなかったソウル五輪(88年)以来20年ぶりという感覚の方がしっくりくる。ずっと競技を続けてきて五輪も競技会の一つなので、格別に『20年たった』『44年たった』は考えていない」と感想を述べた。』
また付け加えるように『まだ上手くなっています』と冗談や照れではなく、本心からまだ成長段階と感じている言葉にすごいと思った。
その姿が本当の教えなんだと思った。
目標を持ち、しっかりぶれない考えを持ち、迷わず信じて前に進む。
例えその結果がどうであれそんなことを考えるんじゃなく目標に向かって信じていく心の大切さ。
私にも可愛い弟子たちがいるのだからその師匠を見習って自分の出来る全部の力を注ぎ頑張りたい。
何事も簡単なことが一番難しい。
『初心に帰る』ではなく『初心のままでいる』のかもしれない。
もらった言葉は忘れるけど、盗んだ教えは忘れない。
お金もそうですよね、もらったお金より自分で働いて稼いだお金は大切にしますよね。
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竹刀の先は指先A
>指先で何が出来るかと聞かれたら何が出来るでしょうか?
私はこの問いかけに『相手を嫌な気分にさせることも、良い気持ちにさせることも出来るし、何よりも一番細かいことが出来るところが指先』と答えます。
当たり前な答えかもしれませんが、この意味の説明を出来るか出来ないかということが剣道の理論をどう自分のものとしているかだと思うのです。
何かを言う時指をさすと相手はドキッとしますよね。
それはすべての不満や怒りの心を指先に伝えるからだと思います。
だから、『人に指を刺すな』と子供のときにいわれたと思います。
良いときには手の平を下にして全部の指を柔らかくして相手に向けると思います。
嫌なときや攻撃的な気持ちのときは人差し指一本を出し、手の甲を上にして相手をさします。
ここまで聞いて何を言いたいのかがわかる方は七段以上だと思います。
これは竹刀の握りと同じだと。
その心の握り方が竹刀の先に伝わり、竹刀の先に思いがこもるのです。
そして地図を見て出発点から目的地まで見ていると複雑だと指でなぞるようにしたことはないでしょうか?
この指のイメージは最短距離や安全な道をたどっているんです。
車に乗っているとでも良いし、歩いているときでも良いし、すでにその状態をイメージして地図を追っていると思うのです。
ですから剣道の構えているときに竹刀の先はそれをイメージして行きたい所(打ちたい所)をイメージしてその動作を頭の中で描くことが大切だと思うのです。
もちろん相手はその竹刀の先に反応するから避ける、だからその避けることまでイメージする。
だから相手の心は動くのです。
でもこっちは指先だからどんな反応にも対応できる感覚。
そして竹刀の先が指先なら『面』を打つときに、だいたいこの辺と思って打つんではなく、この指先(竹刀の先)が面の真ん中の面布団のど真ん中に乗せるという感覚を持って運ぶんです。
だから『打つでもなく、当てるでもなく』『乗せる』的な感覚で面を打つと激しく面を打ちながらも、『びしっと竹刀を面に吸い付かせる』吸盤のようになると打った後に竹刀の先は上に向かないのです。
そうするとなんか力が入り、振りが小さくなるように頭で浮かぶならまだまだ本当に竹刀が振れていないと思います。
力を入れるのと吸い付かれるように相手に乗ることはまるで正反対なんです。
だから前回述べたことになるんです。
>>日本で一番良い先生に近いほど矛盾と理不尽の塊だと思っています。
これは馬鹿にしているとか皮肉を言っているとか、どうでも良いとかという意味ではなく、そのつかみきれない様な剣道理論を少しでも有言実行に変えている人が言葉にすると一般の剣道人には矛盾と理不尽に思えてしまうのだと思うのです。
これを言葉だけで理解できるわけがないのです。
でも理解しようじゃなく、いつか理解できるまでそのイメージを持って稽古すること、例えばそれを理解できるまでに何年かかりますかと聞く人に『いつかわかるよ』というとやっぱりこの人はいいかげんな事、適当なことを言っていると思うから目先の当たる感覚の物に流されてしまうのです。
手話など見ていても手の動きということよりやはり指先に言いたい思いがあると思うし、シンクロや体操やバレーなど演技の素晴らしさは指先の神経で点数が変わるし、大胆といわれる相撲でも追いこめられても最後の俵にかかった足の指先で逆転勝ちをしたりしますよね。
だから指先に思いの全部を乗せる。
だから竹刀の先は指先なんです。
私は子供の前で竹刀の先に竹刀を立たせてバランスをとりその竹刀をかなり長く立たせられます。
子供たちはそれを見てこんなこと剣道じゃなくて曲芸で遊びと思うのですが、それくらいいつも竹刀の先に感覚を思っている証だよというのです。
お暇なときにやってみてください。
竹刀の先に竹刀を載せてバランスを保てるかどうか。
そうすればその意味が少しわかると感じます。
もっと言ってしまえば上手な人の竹刀の先に踊らされていることや、上段の人を苦手とするのは竹刀の先が目の前にないからどうして良いのかがわからなくなってしまうのです。
『竹刀の先で相手を威圧し、自分は相手の竹刀の先を感じないで全体を見据える』これが『遠山の目付け』に近いと思っています。
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竹刀の先は指先
子供たちに最近は剣道は矛盾の中でやっていくものだといいます。
日本で一番良い先生に近いほど矛盾と理不尽の塊だと思っています。
これは馬鹿にしているとか皮肉を言っているとか、どうでも良いとかという意味ではなく、そのつかみきれない様な剣道理論を少しでも有言実行に変えている人が言葉にすると一般の剣道人には矛盾と理不尽に思えてしまうのだと思うのです。
例えば右手と左手の長さは一緒なのに竹刀を握って面を打ったら『左肘』が曲がった。
そしたら先生から『肘を伸ばせ』といわれたから今度は肘を伸ばしたら、竹刀の先がはるか上を向いて面の位置なんてとうてい届かない。
素振りも、振りかぶるとき竹刀が頭上に来るとき右足を出し、竹刀が面を打つときに左足をひきつける。
これを防具をつけて面打ちをやると右足が床についているときは竹刀は頭上、そして竹刀が面に当たるときに左足が引っ張られて勢いもなくなる。
この先生たちは剣道始めた頃から全て出来たのかといえばそんなのだれもいないに決まってる。
じゃ、なんでそんなことをいい、またそんな風にまっすぐ打っているように見えるのか?
それはすごい稽古をしてきたからなんです。
そして自然の肉体改造をしてきたんです。
私であれば右手と左手の長さが2センチ近く違います。
生まれたときから怪物じゃないからその2センチは20年の稽古の厳しさの賜物なんです。
ワイシャツを買いに言ったとき『お客さんずいぶん手の長さが違いますね、テニスやっているんですか?』と言われた。もちろん私の答えは『ハイ』です。
だって剣道なんて言ったら話がふくらんじゃうし、忙しいときは何でも『ハイ』で済ませる。
防具を持っていても冬は『スキーですか?』、春先は竹刀を肩にかけていると『釣り』ですか、すべて『ハイ』説明するのも面倒だしね。
そんなことはどうでも良いですね。
そしてなにより自然の肉体改造は他の所に故障を引き起こします。
私の場合は右足の人差し指の付け根は複雑骨折、両肘、肩とも何回も腱鞘炎、腰痛、そして何よりの精神障害???わからないことだらけがストレスになる。
でもある時わからないから剣道だし自分が上の立場になったらもっとわからない哲学を作ろうと思うことと、
誰も今まで言わなかったわかりやすい剣道説明をしたいと思った。
そして子供たちに竹刀は体の一部だと言うことの説明とそれが本当なら竹刀の先は一番敏感で物事を表し、自分の心を伝える場所だから指先だと言った。
指先で何が出来るかと聞かれたら何が出来るでしょうか?
一週間考えてみてください。
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力の具合
剣道の力の入れ具合とは難しい。とよく言われる。
もちろん難しいというレベルではなく、それがわかれば十段になれると思うくらいだ。
以前書いたこともあるけどプロ野球の選手が素人とプロの投げ方の違いは、プロは振り上げるときは力を抜いて投げる瞬間に力を入れる。
素人はその逆で肩や握りに力が入り振りかぶる時に力が入りすぎ大きく振れない。
そのためにも考えなくてはいけないのは『何で力が入るんだろう?』
それは意識しすぎ、緊張、早く打ちたい、本能などと色々あるかもしれないけどこれ全て良くないことの例えみたいなもの。
よく、力を抜いて堂々と構えなさい、そうすると大きく良い構えになるって言われる。
どうして力を抜くと良い構えになるか?
剣道の微妙な感覚を言葉にすることは不可能に近いからどうしても一般的な言葉で表すと『力を抜きなさい』となると思う。
そしてその力を抜く前に大切なのは体の重心が自分でどこにあるかということの確認だと思う。
二枚の写真をロールオーバーで表示してありますので画面にポイントを載せると入れ替わります。
足の位置を変えずに体の重心移動をしています。
私は審査後に構えを前傾にしました。
なぜかというとどうしても大きく構えようとしてやっていた構えが少し後ろにかかりすぎて腰に力が入りすぎ腰を痛めてしまったから審査が終わったら構え(重心を真ん中に戻したい)を変えようと考えていた。
二ヶ月間前傾をしてかまえて結果真ん中に重心が戻った感じになった。
治すならその逆を毎回の稽古で大げさにやらないと直らない。
二ヶ月間よそ行きの構えの感じでしっくり来なかった。
でもそれでいいと信じてやってきた。
前傾といっても背中を曲げてするのではなく重心の移動で構える。
背中を曲げずに姿勢を悪くしなくても前傾になるでもその場で構えても辛くない。
足幅も変えていないけど袴の位置が動くから足を動かしているように見えるけど動かしていないんですよ。
この稽古で自分の重心の位置がわかる。 そうすることで今攻めている状態だけど、その時の重心の位置で技の選択が出来る。 少し後ろにかかっているときは面を狙い、前傾の時は相手を引き出して応じ技。
一瞬この言葉を聞くと逆だと思うかもしれないけど、相手のことに考えるとこの理論でいいと思う。
前傾ということは相手に感じる面の位置が前(でも足位置は変わらない)その位置だと相手には面が近く感じるからどうしても面が当たるような気分になりそれが気になる。
動物は近くに見えるものから反応する本能がある。 優先順位としては『近いもの』『動くもの』『音のするもの』『大きいもの』のように視覚・聴覚というものは自分の意識とは関係なく体が反応する。
これは歩いている人の後ろから車に乗ってクラクションを鳴らすと飛び上がるほど驚く人もいれば、あまり驚かない人もいる。 これがその人の持っている『過敏の度合い』なんだと思う。
人それぞれ顔も違えば、体も、神経も違う、だから竹刀を通しての攻め合いで相手の『敏感度』探り、その相手の弱い所、自分の得意とする攻め方や技に組み合わせて答えを出す。
また一度弱い所をとっさに見せると次の場面ではそれを必死で隠そうとする行動も多い。
でもだいたいの人はその動きが考えてしているのではなく本能だから無意識に動く。
剣道の稽古の場合、はじめは対等にやっていたけど最後ははめ込まれてやられてしまったという感覚になるのもこの敏感度のリアクションを見抜かれてしまったからであると思う。
だから力を抜くこと、そしてその前にどこに重心があるかと確認できることの重要性。
それにはやはり頭で考えるより良い先生に正しく稽古をし、たくさんやってる人は色々な稽古人のページを持っているから『こんなタイプの人はこんな攻め方』という風に自分の中の剣道コンピューターが計算をしてはじき出してくれる。
だから色々な人と稽古をすることがいいといわれるのもこんなことからだと思う。
自分の得意なタイプならかなり強くても良い剣道になるけど、タイプが違うと段位が下な人でも負けてしまうというのもこんなことなんだと思う。
重心やバランスがよく手の無駄な力の抜けた構えなら例え稽古で打たれたとしても見ている人はそのバランスの良い構えの人を評価すると思う。
またこの重心移動だけでも、前と後ろの二通りあるわけだから、自分の少々自信がある技が二倍になったと思っても過言ではないんだと思う。
打つ種類を増やすことよりも『攻め』『入り』を通して『相手を錯覚させる』ことの重要性。
これがしいては『相手をいつかせる』という最大の武器になるとおもう。
そして竹刀の先がより早く相手の打ち間(相手にとっての危険ゾーン)に入ることは、相手に防御の気持ちを遅らせることで早くなくても竹刀の先が近くに置ける。
『攻め合いは自分の心を竹刀で伝えるものであって、竹刀でするものではない』
これは今までの剣道人生の中で気がついたんだけど、竹刀で中心を主張し合うと足元は動かず、そしてとらわれ過ぎると虎が獲物を狙うように草むらの中で段々背中が曲がってくるような感じがする。
速さで何とかしようとするからです。
竹刀の触れ合う所がお互いの中結が重なり合うと『近間』といわれるけど、本当にそうなのだろうか? それは目に見えている交わった点が近いだけで、本来の有効打突となる部分がどこにあるのかの方が問題だと思う。 子供の試合など打たれまいとして両腕を伸ばし腰を引いて構える。 これは一時的には相手から打たれることを回避できるけど、自分からは絶対に打てない。
団体戦の引き分けのみ有効かもしれないけど、それでも技量が上の人が相手ならかえってそんな構えの人は簡単に負ける。
私は竹刀の攻防の時は心を伝えるものであるからその前の感覚を察知したい。
私が稽古しているときに見ている場所は顔の位置と肩の動きに重点を置いておく。
竹刀の先は一番相手に近いところにあるけど、それは伝えるものだから勝手には動かない。 その竹刀を動かすには脳から命令があり、重心の移動が起こり、肩に力が入り、腕、手の握り、そして竹刀との連動になる。
だから構えているときに竹刀を強く握るということは脳からの伝達命令を入り辛くする。
より早く反応させたかったらいつでも動けるように柔らかく構える。
初心者の人ほど『早く打ちたいから、強く握っている』とおもう。
たとえば石のブロックに釘刺そうとしても入らないし、入らないからといって強くたたき過ぎると刺さるどころかかえって割れてしまう。 形が似ているこんにゃくだったらどうでしょう。
先の少しとがっているものなら形はどうであれスーッと入る。
この滑らかさが剣道には大切なんだと思う。
それを見た目が頼りないと感じ『弱さ』と感じるか、自由自在に対応できる『しなやかさ』と感じるかは自分しだい。
力を抜くということは『まずは重心の位置の確認』そしてその前には『剣道にかかわる気持ち』を変える事から入ること意外と近道かもしれない。
姿勢がいいというのも体全部に力を入れて真っ直ぐ立っているんじゃなく、見た目の素敵な力の抜け具合があるから動作まで良くなると思う。
変なまとめになるけど『無駄な力を抜く』ことで一番いいのは打ち込みや掛り稽古をいっぱいやり腕に力をつけ、そしてそれでもたくさん稽古をすると疲れ果てて腕に力が入らなくなる。
その時の感覚を覚えておくと一番近い気がする。
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源流舘稽古
久しぶりに全員集合みたいな稽古会になった。
お忙しいのにもかかわらず二人の先生も参加を頂き気合、熱気ある稽古会になった。
この道場で18人の稽古人だと少し狭い感じになるし、総段位も100段を超えると一本一本がすごい勢いとなる。
狭いから後ろにも横にも逃げられない。 相手に対し真正面の勝負となる。
これが実に審査にとってはいいのかもしれない。
下がりたくても、避けたくても間を取ってその状況から逃れることより、逃げられない切羽詰った間の環境でどうすればいいのか?
そうかといって辛いからといって攻められると打ちに出ると、応じや合わせや返しの技にはまって打たれてしまう。
完全に今の本当の剣道の力を調べるのには狭い道場で稽古するとわかる気がする。
狭いといっても思いっきり打たないのではなく、打つときは自分の最大の気合で打ち込む。
もっといいのは剣道は相手がいるものだし、相手に集中して稽古しなくてはならないのだが、稽古人がたくさんいると隣の稽古している人との間を計算しながら自分の技を組み立てる。
良い意味で神経が一点になるのではなく、全体を眺めるような気持ちの余裕が出る。
狭く、たくさん人がいる中の稽古に『遠山の目付け』を感じる。
ただ竹刀を振り回せば隣の人に当たる。
でも上手な人同士で稽古していると思い切って打ちに出たり、応じ返しの技が出ても他の稽古人を打つことが少ない。 まれに当たったとしてもその瞬間スッと力をすぐに抜くから痛くない。
剣道は面白いことの一つに上手な人ほど打突は痛くない。
横で見ていると『バクッ』ていう感じのすごい面なんかが決まるとさぞ痛いのではと思うけど、意外とそうでもない。
その逆に初心者や子供たちの稽古を見ているとしっかり打っていないように見えるけど、一見軽るそうに見える技がとっても痛く、あざも残る。
歳を重ねると筋肉痛もあざも翌日痛くなる。
私の外されて痛いベスト3は『わきの下』『小手の肘の部分』『のど』
また意外と剣道家には難聴が多い。
特に右側避けた時に首を左に倒して避ける場合が多く、本来あるべき位置の面の位置が耳に当たる。
私も電話は左耳の方が聞きやすい。
まぁ、私の場合打たれすぎて脳神経が切れているのかもしれませんが。
源流館は昇段する人が多いいのも意外とこんな環境だからかもしれない。
不便や不自由や望みもあることがかえってそれを補ったり、また嘆くのではなくそれだから出来ること、その逆転の発想が成長させてくれると感じる。

稽古後の写真だけに汗をいっぱいかいているけど、爽やかで清清しいと感じる。
満足感の稽古の証だと思う。
最近剣道をはじめた息子も張り詰めた空気を感じいるだけで疲れたといってた。
私もどんどんとかかってきてくれる若い人に30分間で息も絶え絶えとなるが、やっぱり最後は気合だけで稽古しているという感じになった。
元立ちなんだから最後まで息の続く稽古をしなくてはいけないのかもしれませんが、まだまだ気分はかかる気持ちで稽古をし疲れるまで全力で頑張る。
持たす稽古より疲れて力が抜ける稽古をしていきたいと思っている。
三脚の関係で写真が少し右上がりになってしまいましたが、何事も右上がりは良いことなので治さず載せました。
良い写真だと自画自賛。
腕がいいんじゃなく被写体の皆の心が良いんですよね。
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見るのも稽古
見取り稽古という言葉があるように見ることも良い稽古になると思うのです。
そしてそれは剣道を見て剣道を感じるだけではなく、別なことを見たときに今までわからなかった剣道理論みたいなことが『あ、もしかしたらこんなことなのか?』と気づくこともあると思うのです。
先日幼稚園の女の子とお母さんが商店街を歩いている姿を見たとき、お母さんはゆっくりだけど子供の動きを止めてはいけないと思い手はつながず、でもやはりいつ車や自転車が来るかもしれないからお母さんは道路の中央側にいてその子を見守りながら家路へと向かう、当たり前のような気がするけど見ているとそれが自然なんです。剣道なら信頼の師弟関係みたいと感じた。
それとは逆に子供の手をしっかりつなぎ安全確保はしているけど、知り合いのお母さんと長い立ち話をしているお母さん。子供は飽きていて早く帰りたい気持ちでいっぱい。
重要な話しなのかもしれないけど子供がいるなら適切な要点のまとまった話で切り上げる心。
自由を束縛している強制の稽古をしているようにも感じた。
また子供がお店屋さんの中で騒いでいる子供に『そんなことしたらおじさん(店主)に怒られるよ』と子供に言っているお母さん。
そうしたらお店の人が『おじさんは怒んないよ』って言った。
この店主なかなか素晴らしい皮肉の持ち主だ。
でもそうなんですよね。
礼儀は親がまず教えるものなんですよね。
剣道の礼法も誰かのためにしているんじゃなく、自分が剣道をする上でまたこの道場にあった所作、礼法を身につけること、それが普段の生活にも反映してくると思うのです。
子供にとって勉強することも大切だと思うけどそれ以上に大切なことは、挨拶やお礼の言葉、相手を思いやる心。
電車にあるシルバーシート的場所を見るといつもあれはいらないと思うのです。
全席が年配の人や体の不自由な人や弱い女性からの礼儀の優先順位が身についてほしいと心から思います。
剣道なら段位が上だからと言ってえらそうにするんじゃなく、力も技量もあるんだから優しくなれる。
それは稽古で相手を打たせるということではなく、いっぱい正しく打ってあげるという事も優しさだと思います。
先日大好きな居合の先生の居合を見ていたらこんなことが私の心に響いた。
『居合はそこにはいない人がいるかのごとく見ている方が感じられるような仮想空間でありながら本当は実空間であり、そして人を切るという動作はやはり生々しくもあり時には怖さを感じてしまう、でも居合いの素敵さはその動作が肉を切るための『鉈切り』のような力任せではなく、『心の邪念切り』というように相手の悪いところを切り、少しでも正しい心でこれから生活しましょうという清清しさ、潔さ、を相手に感じてもらえるような所作だと思っています。相手を切り殺す動作ではないと思います。 そしてそれがしいては自分の姿、心に映し出されていくと感じています。
お人柄がでる最たるものが居合ですね。』
こんなコメントを言いました。
その先生は本当にさわやかな居合だし、静かな性格なのにひとたび居合になると力みのない振る舞いなのに剣先は『スパッと斬る』って輝いているのです。
居合もできない人間が先生にこんなコメントを書いても、とても良いところを見ていますねと褒めて頂いた。
やはり先生は居合の達人だけではなく人としての懐の広さを感じる。
稽古は防具をつけなくても出来る。
と先生に言われた言葉はこんなことの観察力なのかもしれない。
相手の起こりを見極める。
試合者の動作を予測して審判はする。
一生懸命は力を入れることではない。
やっと少しづつわかる気がしてきた。
電車で年配の人を見て席を譲れるような八段になりたい。
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OB稽古会
恒例の新年稽古会とOB選手権が高校の道場で行われた。
今回は優勝チームにはディズニーランドぺァーチケットという素晴らしい賞品があり、白熱の試合が予想された。
私はこのところ試合をしていないので勝ち負けよりアキレス腱を切らないことを考えつつもやっぱり試合だから勝ちたい気持ちもあるけど、やっぱり勝つことは出来ず、結果は一回戦敗退。
それも私の負けが大きかった。チームの人には申し訳ない気持ちでしたが、相手チームが優勝してくれたので負けはしましたがちょっと救われました。
一年に一回のOB同士の試合は本当に楽しく感じます。
また今年も元気でここで試合できるねって感じが一番いいものです。
写真も撮りましたので良かったらご覧ください。

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感謝感激
今年も一年私の剣道の心を書かせて頂き、またご覧頂きありがとうございました。
色々な人との良い出会いが出来たことや、八段審査に望めたこと、また仲間が昇段できたこと、教え子が大学の試合で活躍してくれたことなど剣道を通して感じられた喜びは一つ一つがすべて私の宝物になったと思っています。
心から感謝感激しています。
私的には八段審査も感動的でしたが、子供が剣道を始めたことも感慨深い出来事でした。
喜びは待っているんじゃなく、自分から探しに行く喜びもいいものだと聞いたことがあります。
でもその喜びに行くまではその何倍もの努力や工夫や辛抱もなくては意味がないと思っています。
初心者との稽古は我身にとっても勉強にもなり、基本の大切さを改めて感じました。
一振り一振りに早く上手になりたいと心が見える。
先日テレビでプロゴルファーの中島常幸さんがこんなコメントを語っていた。
『アマチュアとプロの違いは最初の一打目が違う。アマの人たちは一打目を出来るだけ遠くに飛ばしたいと思って打ち、その球の位置を見てから次の攻め方を考える。プロはこのコースをこのホールをどういう感じで攻め、攻略するかをイメージしてから第一打を打つ。』この言葉を聞いた時心が締まった。
プロはすべてを考え完成度の高い攻め方をどうするか?
ダイガーウッズは18ホールのうち一打目をドライバーで打つのは時には2ホール位しかないと聞いたこともある。
そうなんです、ただ飛ばして喜んでいるのはアマチュアなんですよね。
プロは次に打ちやすい距離をどう残すかの違い!
18ホール上がってどうなっているか?
これが大切なんですよね。
剣道も同じですね。
一本だけ決まって喜んで全体の流れを読みきれないとか、良いものを早く打ちたいと思うがあまり大切な気攻め、気合、相手との関係などを焦って見忘れて自分勝手や、まぐれ当たりを期待する打ちをする。
まさに『仕事をしてから打つ』ですね。
仲間が昇段審査を控えた仲間に『審査に受かりたいと思ったら、体を動かして汗をかく稽古でなく、構えているだけで汗の出る稽古をしたほうがいい。』と言った。
なんと素晴らしい言葉なんだろう。
色々な所に活躍をする人がいるけど、その人たちは本当に努力をいっぱいするからいい言葉を自分のものに出来るんですよね。
ただ我武者羅に稽古してもそれは体の疲労だけであって次回の稽古への襷にはならないと思うし、昔八段の福永先生が私に『少ない稽古だから八段が受からないんじゃないよ、今しか出来ないんだから一本一本を無駄にしない』ありがたい言葉ですが、とってもきつい言葉でもありますね。
稽古はただやれば良いってもんじゃなく、正しく目標の意識を持ち、そして出来るだけ多く稽古するですね。
私も仲間がいたからづっと続けてこれたと思っているし、仲間がいいから剣道が嫌にならなかったと思っている。
改めて今年一年の自分の剣道を振り返ると審査に対しては初太刀の心が一番足りなかったと思う。
『打ってから次を考えるんじゃなく、合格するための流れを作る初太刀を打つ』ですね。
それには日頃の稽古をどうするか、そしてその一つ一つの行動の意味を考えると感じた。
来年もまたまた難しいけどやりがいのある楽しい剣道の一年になりそうです。
私の八段審査のビデオをYouTubeに載せました。
容量の関係で一人しか載せられませんが良かったらご覧ください。
左から出てくるのが私です。
下からお入りください。
審査ビデオ
本当に今年一年ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
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変える
剣道はその歳や環境や色々な状況で変わってくると思う。
良い意味の変化であって、そして変えると言う事は冒険でもあり、修行でもあると思う。
私は以前から飽きっぽい性格でもあるし、もしかしたら何かあるかもしれないと好奇心も多い。
でも、剣道や人生を変えるという度胸はない。
剣道の技もなかなか変えられないというか、面以外はほとんど自信なんてないし、もちろん面だってたいしたこともないけど潔く打たれることはできるかもしれない。
返し胴なんでほとんど素人の域。
以前からどうしたら打てるかとずいぶん練習もした。
でもどうしても打てない。
審査を受ける前から審査が終わったら少し構えを変えようと思っていた。
それが良いのか、悪いのかはわからない。
でも少し構えを変えることにした。
自分では変えたと思っても他人には意外とわからと思っていたのに、仲間にはすぐにわかられてしまった。
だから源流館という稽古場所はすごいんだと思った。
半年間は相手に打たれても良いからこの構えを続けていこうと思っている。
今は自分の構えというより、違う防具を借りて今までの体重のかけるポイントをまるで変え、攻めの入りまで変えている気分。
ようするにすべてのイメージを変えているみたい。
八段に落ちたからじたばたしている気分ではなく、自分の感じられない自分を感じたいからやっているのかもしれない。
その構えをして一ヶ月間で感じたこと。
出来なかった返し胴が打てるようになった。
相手との顔の位置が近く感じられるようになった。
右手の力の微妙な感覚がわかった。
その逆にマイナスイメージとしては
大好きな二刀流や上段との稽古が苦手になった。
(まるで相手の打ちに対して反応が遅くなった)
稽古が疲れる。
今剣道している気分ではない感じ
相手も違うから私ではない感じみたいだけど、それに付き合ってくれるのも仲間なんですよね。
本当に不思議なくらい、すべての展開まで逆なんです。
今まで強いと思う相手に返し胴が決まったり、そうでもないと思っていた相手にかなり打たれたりと不思議な日々です。
ただ変えないことは打つ前に攻め合い、そこの感じが納得できたら打ちに出る。
それが当たる当たらないじゃなく、潔く全力で打つことは変えない。
せっかくここまでやってきたことだしね。
変えていいこと、絶対変えないことを考えて今は頑張っています。
教え子の構えを見ていると『いい構えだな』って感じることも今はいいのかもしれない。
盗むってこんな気持ちのときなんでしょうね。
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審査の意味
審査を終えて落ちた時一番困ると思う事は師匠に報告をすることといつも思う。
お世話になっている、そしていつも真剣な師匠だから落ちたなんて言いたくないし、師匠も聞きたくないだろうと思う。 でもいつも心配なんです。
もちろん落ちた時の方が得るものがいっぱいあるから落ちることが全ての否定ではないんです。
私の弟子にはこんな風に言っている。
『審査に向かうなら私の許可をもらってから行きなさい、そして結果はすぐに知らせて下さい。それは合格だけではなく、不合格の時も同じ。』この言葉には偉ぶっているんじゃなく、すごく意味があるんです。
師匠という立場ならその人を導いてあげるのが使命だし、私は弟子が昇段を目指したくたってその技量に達してなかったら無駄に受けない方が良いと思うし、ただ受けても落ちることが目に見えているなら愛情ある弟子にショックを与えたくない。
だから普段の稽古見ていれば今その技量に達しているかどうか見極めなければいけないと思う。
そのためにいつも稽古して色々なことを伝えている。
合格を目指しているあなた自身より私の方が心配しているんだよと思って稽古をする。
だからたくさんの弟子は私の技量では取れないんです。
でもやっぱり合格ばかりではなく、時には不合格の知らせをもうらと私は『そうか。すみませんでした。落ちたのは私の責任だからまた一緒に頑張ろう』と言います。
なんでこんな言葉になるか。
それは私が審査を受けることを許可したから。
そしてなによりその言葉をお守りにして審査を受けに行ってくれた弟子たちの信頼に対して申し訳ないと感じるからです。
時期が来たから何でもかんでも受けさせて、落ちたらおまえは稽古してないからだ!なんて言いたくないしそれでは自分(師匠としての立場)自身にダメだといっていると同じだと思っている。
ある弟子が『自分が審査に落ちたら先生はとっても悲しい顔をしてたから、私はその顔を見たくないから今度は絶対に受かります』といってくれた言葉を思い出す。
今の昇段審査の合格率は極めて厳しいし私が通ってきた時とは桁違いだから可愛そうだと思うけど、だからなおさら自分にも置き換える。
私も今回の審査で久しぶりに不合格の知らせを師匠に伝えたときに、申し訳ございませんと思いました。
もちろん剣道で生活をしているわけではないから、八段を落ちたことでそこまでと思うかもしれないけど、そのくらいな気持ちを忘れたくないと思っている。
だから剣道を続けていると。
今回はとっても嬉しかったのは同じ道場で七段を受けた後輩が見事合格をさせて頂いた。
ずっと一緒に稽古してきただけにこの合格はたまらなく嬉しい。
彼もお礼の挨拶を仲間の前でした時『この合格は皆様から頂いた七段と感じています』とすごく自然にその言葉を伝えた。
その心が本当だから合格できたんだと思う。
夢をあきらめるのは後悔が残る、夢はなかなか到達できなくてもそれに頑張っているなら仲間は最後まで付き合ってくれるし、本音でいてくれる。
到達できた人が素晴らしいんじゃなく、その仲間達が許してくれなかったから持続できたんだと。
仲間じゃなければ良い結果のときだけ近くにいる。
その時は良い結果じゃなくても信じているなら本当の仲間や師匠は一番身近にいる。
源流舘も登録稽古人で七段が七人目となりました。
もちろん全員六段の時から(もっと前から)いる人ですし、どうしてこんな状態になったのかは本物を求めなさいといわれた師匠がわざわざ稽古に来てくれたからだと思います。
楽しい稽古より正しい稽古。
楽しみにして来る稽古より苦しみを普通に感じる稽古。
源流館に稽古しに来る人はウキウキな気分では来てないと思う。
副館長の私でさえそうなんです。
少しでも体調が悪いと我道場が一番つらい。
それは一緒にいる仲間に悪いから。
そして何よりも皆真剣に剣道をしているからなんです。
心の隙間を読み取られるような気もしてる。
ストレス解消や趣味で稽古してもかまわないんですが、自分が何かを求めてここにいるから七段が七人になれたんだと思います。
稽古人も順調に昇段を目指しているし幸せを感じています。
八段審査で良い経験をさせてもらい、受験前と後では気持ちも意識も変ってきた。
『なすがまま』から『こだわって稽古する』に変った。
そして自分の剣道を素直に表せるような力が抜けたら結果はついて来るのだと思う。
剣道を正しくやってます!
いっぱい頑張って気合出してます!
これは『剣道をやっているふり』なのかもしれません。
この審査でまた改めて剣道が何が言いたいかわからず難しいなぁと感じています。
これは迷っているとかではなく、次の難しい問いかけに出会えたと感じています。
ゴールのない剣道だから前を見て、仲間を信じて、元気よく剣道出来る体と精神を保たなくてはいけないと思いました。
この審査の不合格でなにより自分に欠けているものもわかったことに感謝しています。
スタートをゴールのように考えている甘さがわかった自分が知れただけでも本当に良かった。
もし八段合格するなら日本武道館でしたいな。
場所が『九段下』だけに。
駄洒落だけは相変わらずだ。
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八段審査
お酒を少しにしたせいかすぐに寝たものの夜中に起きてしまった。
ちっょと緊張しているせいもあるのかそこからすぐには寝れない。
そんな時猫の武蔵がやってきた。
『ニャ〜〜〜』と鳴きながら私の顎のあたりをザラザラした舌で舐める。
おいおい止めてくれないか、ますます寝られないよ!と思っていたけど我慢していたら武蔵はなんと噛んで来た。
『痛い!』私は飛び起きた。
顎には噛まれたせいで少し血がにじむ。
げ、こんな時に噛むなよ。
夜中の遊び相手をしてあげないから寂しがったんだね。
まぁ、いいっか。
そして朝6時に目を覚ます。
ちょっぴり痛いけどお風呂に入って髭を剃る。
気合が入って良いのかなと思いつつ7時には完璧におきて軽い食事を取り、家を出るまで少しゆったりとしている。
いよいよ八段審査なんだと感じた。
剣道をしてきてこの日が来たんだと思った。
審査会場は日本武道館だ。
私は原付バイクで行こうと思っていたから時間にして30分で着く。
たぶん審査会場にバイクで行くのは私くらいではないかと思いつつバイクを走らせる。
少し肌寒い風を感じながら日本武道館につくともうすでに私の弟子がそこにいた。
『おはようございます』と挨拶にとてつもない喜びと感謝の気持ちが湧き上がった。
こんな俺の為に朝早くから来てくれたことがたまらなく嬉しかった。
審査上で受付を済ませる。
こんなカードをもらいちっよと嬉しい番号だ。

24番中畑清の背番号だ。駒大野球部だし好きなんです。
まぁ関係ないといえばそれまでですが。
そして第一会場なんて五段から初めてかもしれない。
四段から審査というと必ず落ちていたから第一会場には縁がないと思っていた。
そして着替えをはじめると緊張というより、『よくここまで続けてこれたな』との思いの方が強く頭に浮かんだ。
そしてなによりこんな私の為に応援してくれている人がいると感じられる喜びに涙が出そうだった。
初太刀はなにを打つか?
私は『面』を決めていた。
返されたり、応じられてもかまわない、そして打たれたら落ちることもかまわないと思っていた。
こんな俺を心配してくれている人に見てもらいたかったし、愛情を形に表したかった。
1%の合格率に身を投じているんだし、守ったところで受かるなんてことも私の考えにはなかった。
そして何より一番でかい気合を出そうと思った。
やっぱり小手を打たれた。
それで良い、打たれたってそんな事はどうでも良かった。
躊躇なく面にいけたことだけでも、私はなにか仲間に胸を張れられるような気分になれた。
審査内容からすればそれでは絶対に受からない事は知っている。
一回目で受かりたいならもっと本当は別な道でよかったと思うかもしれないし、こんな事は頭の良い人のすることではない。
でも、私は私らしくこの一本にかけた。
わざわざ打たれに行く意味があるとかより、弟子達に見せたかった。
『この一本はあなたへの感謝』
そして今まで剣道を教えて頂いた先生達にこれが私の今の剣道です。
と形にしたかった。
結果は不合格でしたが、なにかそれで良かったと思えた。
剣道の神様が『これからももっと稽古しなさいね』といってくれたような気がした。
落ちるからもっともっと真剣になれる。
そしてもっと仲間のありがたさを感じられると思った。
受ける前から心配してくれ、落ちたらそれ以上に心配をかけてしまったけど、仲間は声をかけてくれる。
審査後地元に帰り弟子とお酒を飲んだ。
落ちたのにがっかりのお酒じゃなくまた頑張るからねと言った。
意識がなくなるほど酔ってしまいまたまた弟子には迷惑をかけてしまった。
涙も流したと思う。
良い経験をしたという気持ちと、良い人たちに私は守られていると感じられた。
今日別な弟子がお酒を持って家に来た。
『お疲れ様でした』
その言葉にまた胸が熱くなった。
出来の悪い師匠には良い弟子がつくもんですね。
子供達からも『また頑張ってね』と言われた。
一つ一つが全て私の宝物に感じる。
真剣だからダメだってそれは悪いことではない。
来年に向けて目標も出来たし頑張れる力も沸いた。
またこの書き込みを見ていただけている方々にも感謝の心でいっぱいです。
本当にありがとうございました。
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八段審査一日前
いよいよ八段審査が明日になりました。
一ヶ月前から色々なことに感謝をして稽古をさせて頂いた。
子供の頃にあんなにも辛く嫌々稽古に行った私が今八段審査を向かえる。
年月を越し、歳を重ねていくうちに色々な人と出会い、人並みに苦労や辛いこともあったけど、今まで元気で楽しくこうしていられることも出来たのも剣道のおかげだと思う。
剣道が楽しいことだけだったら、別な辛いことで心が折れてしまってどんな人生を送ってしまったんだろうとも思える。
辛いことに身を置いていたから本当の親友や友達やたくさんの仲間が出来た。
先日も大学の剣道場の道場開きの式典と稽古に参加をしてきた。
新しい道場での稽古は初めてだし、たくさんの先輩や後輩や学生達に会うことができとっても気持ちも爽やかになった。
そんな時師匠と階段で会う。
すぐに師匠から『今日はありがとう、どうだい調子は?』と声をかけてもらった。
師匠には道場に行ってから挨拶しようと思っていたけど、ちょっと早めな所で会い、そして先に声をかけられとっさに私は『こちらこそありがとうございます。はい、良い調子です。審査はなすがままに頑張ってやってきます。』と答えた。
あまりの突然だったのでこんな言葉になった。
『なすがまま』なんでこんな言葉が出たんだろう。
師匠に会ったら『審査は気合を入れて思い切って頑張ってやってきます』と言おうと思っていたのに『なすがままだなんて』いいかげんにも取られてしまうかもしけないのに結局口から出た本当の今の心の言葉はそれだった。
七段を合格してから10年後の明日。
剣道の10年間の宿題を提出する気分だからかもしれない。
子供が夏休みの最後に慌てて宿題をやってもやっぱり土壇場でやったんだという感じはわかるから今のまま、そして自分なりにここまでやってきましたと審査に向かいたいと思っている。
力みやよそいきなことをやっても結果は良いわけではない。
そんなことが心にあるから『なすがまま』と言ったと思った。
審査はお世話になった人たちと仲間と家族に感謝をいっぱい思って望んで行きたい。
ここまで剣道を続けさせてくれた健康な体を生んでくれた親に感謝しています。
最後の〆の稽古を師匠と出来たのも良いお守りだと感じています。
いってきます。
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恵比寿の稽古
源流館の道場が二週間内装工事のため使えない。
審査前に自分の道場が使えないのはちょっと困るなぁと思ったけど、でもこれは色々な人と剣道をしなさい、そして色々な人に出会って感謝を伝えてきなさいと剣道の神様が言っているように感じた。
土壇場で稽古を増やすとろくなことはないと昔から聞いている。
週に2回稽古している人が審査前だから一ヶ月間5回に増やしたらかえって疲れがたまり、少ないから一本一本に思いを込めて打っていたのに、稽古が多くなったからその気持ちが分散されてしまいかえってよくないと聞いた事がある。
年間100回の稽古が私のベースだから急に稽古をたくさんやったら体がびっくりしちゃう。
でも道場が使えない今以前からお伺いしたいと思っていた道場にお許しを頂き稽古に参加させてもらった。
土曜日という日は私の仕事上はたくさんのお客さんが来るので忙しい。
優先順位は間違いなく剣道より仕事だから終わらなければ稽古に行けない。
自分の道場なら後れても良いのだが、お願いをして行かせてもらう道場なのに遅刻は良くないと思っている。
当日はなんとか仕事を早く終えてと思っていたら、雨が降ってきた。
本来営業的にはクリーニング屋さんにとって雨は一番困る。
お客様が仕上がったものを引き取るとしても急ぎではない限り雨の日は避けたいと思うし、まして出すのも傘をさしてではたくさんはもてない。
配達も雨の日は気を使うから事前にお伺いをしてから行くので少し手間はかかる。
だから雨の日は暇になる方程式がある。
でも今日は少しこの雨もそれほど嫌ではなかった。
自分の仕事を終え、防具を持って家を出る。
なにしろ乗り物が苦手な私は前日から少し緊張しながら頭の中でシュミレーションを繰り返す。
たかだか中野から恵比寿に行くのに小学生じゃないのに緊張もない。
私も地下鉄じゃないから自信はあった。
まずはバスに乗って新宿駅。まるで問題なし。
そして新宿駅の改札へと向かう。
人ごみの中私は一直線に進む。
以前子供と新宿を歩いたいたら『お父さんと歩くとすごく歩きやすい、こんなに新宿の街を真っ直ぐ歩いたことがない』といわれた。
そうなんです体も大きいし、迷いたくないから狙ったところの場所に一直線に行く、そうすると周りの人の方が少し避けてくれるみたい。
でも、人は気を使ってくれても改札の機械は事務的だ。
俺はなれているよ的雰囲気で改札を通るときカードを入れた。
(本当はその時点で挙動不審)
そしたらなんとこのカードは使えませんと表示があった。
『え、まだ充分に金額的にも大丈夫なのに・・・』と思ったけど、一応人のいるところに言って『このカードダメなんですか?』と聞いたらこのカードは切符を買うのに使うカードといわれてしまった。
そうなんです、いくつものカードを持っていても使い方がわからず、今まで適当に使っていたんですね。
それも解消して電車に乗り恵比寿に着いた。
恵比寿の町はとってもお洒落。
恵比寿ガーデンプレースに向かっていく道筋は素敵な女性も多い。
そんな目の保養もしつつ道場につく。
先生に挨拶をすると『早く終わって飲みに行こう』なんという素晴らしい言葉。
その言葉とは裏腹に基本打ちをしっかり、回り稽古で短めに気合の入った稽古。
そして自由に地稽古とたっぷり2時間の内容に私は疲れきった。
でもとっても新鮮で良い稽古だったし、何しろ稽古をしている人たちの気持ちが良い。
剣道は人を表すというくらい隠された本心が出る。
気持ちの良い道場は終わったあとの爽快感が格別だ。
そして恵比寿の焼き鳥屋さんで皆と剣道談義に花が咲き最高なひと時を堪能した。
剣道は一人では出来ない、だから人とのつながりを何より大切にと思う。
そして良い道場は剣道だけが強いんじゃなく、そこの空気が良い。
参加をさせて頂き本当にありがとうございましたと言いたいと思っています。
いつもの事ながら酔っ払って後半の記憶が薄くなってしまっているのがダメですね。
皆様の恩を感じつつ審査を受けたい。
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全日本学生剣道優勝大会
先日全日本学生選手権を日本武道館に見に行った。
母校の駒澤大学も出場すると共に私が子供の頃教えた子ももしかしたら出るかもしれないと思い、また八段審査も日本武道館で行うので雰囲気を味わってこようと思ったり、色々な意味を感じながらの応援は嬉しさや、緊張感が入り混じっていた。
今まで色々な試合や審査を通ってきていつも感じる事は、試合と審査ではこんなにも空気の重さが違うのかと感じる。
試合はやはり華やかで激しい気合や拍手などで空気も高揚している感じだけど、審査は激しさというより神妙な思い空気がある。
特に学生の試合は若いから動きも良いし、思いっきりも良いし、見ていても興奮してくる。
たくさんの試合会場の中で我校の場所を探し近くに行くとやはり懐かしい顔に出会える。
これも全日本に出場できたおかげかもしれない。
気合の入った学生達にOBも力強い応援を送る。
私の教え子の応援ということで弟子二人と応援に行った。
自分のこと以上に心配だし期待もしている。
こんな私にも何人かの可愛い弟子がいる。
その中でも今年六月から剣道をはじめたまだ防具をつけていない初心者の弟子にこの試合を見せたかった。
それはなんでもそうだと思うけど初めてのものというのは強い印象が残るし、そのことが見本となるからだ。
私は学校関係もあるのでちょこちょこ動くから『あなたはここに居て試合を見ていなさいね』と言った。そしてなにやら自分で考えてビデオとメモ帳をもって試合観戦していた。
白熱した試合の末、我校は二回戦で負けてしまったものの素晴らしい試合に満足した。
久しぶりに熱い血が蘇った。
その後弟子たちと焼肉屋さんに行き試合のことをおつまに良い気分でお酒を飲んだ。
そして弟子から初めて見た試合の感想を書いたものを見せてもらった。
そこにはこんなことが書いてあった。
『全日本学生剣道優勝大会』
日曜日に全日本学生選手権の選手達の戦いを見て共通点があった。
それはためらわず相手に向かって打ち込んでいく姿が多かった。
その勢いがあるからか竹刀を落としたり、選手が倒れたりという場面もあった。
また竹刀の振り方の違いを感じた。
ためている時は体は動いても右手は動かさず、そして斬る時には竹刀と同時に腰も出していき、それにより竹刀の先を最大限に活かしていた。
やはり体で竹刀を振っているから活きているんだと思った。
上段の人の場合、攻撃の主体が諸手であった。
片手で打つ場合は相手から遠い間で斬り出していた。
片手で打つと攻め、そこから諸手に変えるという手段があるのに気がついた。
上段の構えはまずは遠い間で構え、そして前に前に攻め込んで行く。
しかしその攻めに力がなかったりスピードが遅いと逆に斬られてしまう。
さらに近い間では上段は不利に思えた。
また試合を見てて一番感じた事は、常に相手の状態や周りの空気を読んでいなくてはならないと思った。
上段にしても中段にしても、技を出すときにはためらわないこと。
試合は力や技でなく気持ちで勝負していかなくてはならないと思った。
その気持ちが出来てから技に発展させて行くのが良いと思った。
これを読ませてもらって、まだ防具をつけていなく形しか教えていない弟子にしては、まずまずいい所を見ていると思った。
これも良い試合を見たおかげですね。
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剣道
このところ自分の審査もあるけど試合シーズンやスポーツの秋ということで出会いの場面が多く、そんなときにそこにいる自分と別な人格の自分がいる。
どこでその動作を見ているんだろ。
先日も師匠と稽古をお願いをしたときもう一人の自分がいた。
間を楽しんでいるなんて余裕なんてない、でも打たれて当たり前とも思ってない。
打つのか!打たないのか? それとも違う。
空気が生きるという言葉をわかると人は『なすがまま』に身を置ける。
一所懸命している人は個人的な欲得だけで動いていない。
まして私が八段審査前だからなんて思ってみていられるなら、その人には『さすがわかりますか』といって本当にわかってないと心で言う。
それはなぜかって?
普段から、いつもの稽古がこんな稽古の気持ちだから。
打つだの打ちたいだのそんなことを考えて稽古している人は私と師匠の稽古はわからない。
あわせらる技量ならその人を師匠と思わない。
必死で挨拶に行くこと全てそれこそ禅なり。
師はわかってほしいからあえて簡単で真っ直ぐな一番近い道しか打たない。
嫌いなら、まずは真剣に打たない。
もっと言えば稽古会で良い先生は八段の『弱い』先生。
ここの弱いは本当は我が身はすごく強いけど、かかってきてくれた相手に、好きだなそんな剣道、もっと頑張ってね、僕より強くなってね、という気持ちになって稽古できること。
私なら稽古後、以外とやりやすかったしそんなに強くなかったといわれたい。
でも真剣にあわせてくれた。
なんていわれたい、その気持ちと現実の隙間がまだまだなんですよね。私には。
でもまずは自分がその道や、その方程式を通る道筋の際を感じなければおぼろげの道もないと思っている。 ギリギリに最高な喜びのありがたさを知る。
もちろんぎりぎりなんです、終わってしまったり(死んだり人を心の底から恨んだりが終わりです)は自分が情けない証です。
だからぎりぎりセーフは自分にとってのぎりぎりセーフであって他の人には当てはまらないんですよね。
私は色々と書いているけど、読むのは苦手でほとんど本は読まないというか題名だけで妄想で終わる。だからこんな時はこんな感じで幕を下ろしたら良いと結果を感じてしまう。
だから試合や応援や物事に参加するときには気をつける。
絶対にその結果が自分の思うとおりに行ってほしいと思うなら、祈る。
そのどちらでもない時はその間際を確認したいと。
『触らぬ神にたたりなし』の意味だと思う。
『打ちたいなら力を抜け、打たれたくないなら気合だけ。』
これがわかればきっと強くなくても七段になれます。
それが今の私だから。
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府中刑務所に稽古
府中刑務所に稽古に行ってきました。
あまりよく知らない人が『え、刑務所に稽古に行ったら殺されちゃうんじゃない?』といった人がいた。刑務所といっても懲役の受刑者と稽古するんじゃなく刑務官の人たちやその道場に通ってくる人たちと稽古するんです。と説明してあげた。まぁ私も私の後輩も真剣な顔をすると『本物より本物らしい』と言われるだけにその人が勘違いしたのもうなずける。
仕事を少し早く上がり笹塚から府中へ向かう。
駅に着いたらすぐに急行が来て、調布で特急に乗り換え、私が予想していた時間の半分もかからずついてしまった。
いつもはそこからタクシーに乗っていくんだけど、一人だし時間もいっぱいあるし散歩がてら歩いてみた。
いつもバイクや車で移動ばかりだからたまに散歩も良い。
まして防具をかついで20分以上歩くというのも防具のありがたさを実感できる時間でもある。
足腰のトレーニングにも良いかもしれないと思った。
府中は駅の周りはすごく開発、発展しているけど少し歩くだけで緑も多く環境も良い。
そしてなにより一人で歩いていると色々なことを考える時間もあった。
剣道のこと仕事のこと仲間のことなど色々なことを考えて歩いていると、おおらかな気分になってきた。 小さなことを大げさに考えるより、なすがままにしかならない事なら『まぁ良いじゃないか』と思って明るく生きた方が良いと思った。
これも大きな木があったり、素敵な花や広々とした広場を見ているうちにそんな気分になってきたのかと思った。
その途中に府中第一中学校と書かれた校門の前に大きな垂れ幕があった。
そこには『関東大会・全国大会出場!府中第一中学校剣道部』と書いてあった。
私はその中学校の事は知らないけど歩いている時にそんな大きな大会に出られる中学校に出会えただけで嬉しくなった。
なんか縁起が良いと思った。是非この中学校の選手には頑張ってもらいたいと思った。
そうこうしていると府中刑務所の道場についた。
後輩も早めに来てくれていて稽古前に色々と話しも出来た。
その彼は一年前にフランスに剣道指導のスタッフとして参加しその話を聞いていると、フランスはとても剣道は盛んだし剣道人の熱意も素晴らしいと思った。
驚いたのは日系人ばかりがやっているのかと思ったら、そうではなく純粋なフランス人がとても多く剣道をしていることや、六段以上の受験はわざわざ日本に受けに来るという。
簡単には上手にはならない剣道だからこそはまると限りなく好きになってしまうと思った。
久しぶりに来た道場に『色々お世話になりました。八段審査に挑戦させて頂きます』とお礼を言って稽古に参加させてもらいました。
私の我ままで同年代のやはり八段審査を受験する先生に一番に稽古をお願いさせてもらった。
一番だけに皆の視線が私たち二人に集中していることを感じた。
素晴らしい剣道をする事は前から知っていたので、少しでもいい感じで稽古が出来たら嬉しいと思って私は初めの一振りに全部の気持ちを入れて打ち込んだ。
当たりはしなかったけど、その気持ちで打ち込めたことに私は自分に嬉しかった。
久しぶりに同年代の同じ審査を受けに行く相手だけに気合が重なり合う。
体の神経がピリッとなっている感じがした。
竹刀の先の攻め合いが楽しい。
源流館にいる後輩の言った言葉を思い出す『剣先3cmの間のやり取りが剣道の一番面白いところ』本当にそれを感じる。
打ち負かすために攻めあってない、どちらかと言うと二人で気持ちを合わしあっている感じだ。
それは遠慮しているんじゃなく、合気になる一瞬がありそこを感じられたとき何倍もの良い打ちができると知っている同志だから、バタバタ打たないし、攻めに対しても下がらない。
でもジリジリッと攻めあえる感覚がたまらなく良い。
構えの大きさや攻め勝ちから相手を使って打つ出小手など打たれはしたもののすごく勉強になった。なにより大きさを感じる風格に違いを感じた。
次に後輩との稽古では、打たれっぱなしだったけど中心を取って潔く打つことが出来たこと、返し胴が素晴らしい事は知っているだけに少しでも詰まれば普通の相手なら『いける』と思うから試しながら稽古をさせてもらった。
ほとんど返し胴は決められてしまったけどそれもまたよしって感じでした。
若い刑務官の人には打たれっぱなしで手も足も出ないけど心を動かさないことをテーマに置き稽古ができた。
最後に仲の良い人と稽古が稽古に来てくれた。
私のことを察してくれたのか、最後に良い感じの面を打たせてくれた。
せっかく来たのに打たれてばかりの私におみあげを持たせてくれたみたいだ。
こんな一本があるから打たれても打たれてもイメージを求めて面を打ちにいけると思った。
その後は皆とお酒を飲みながら剣道の話をして盛り上がり最高な一日の稽古が終了した。
久しぶりに後輩二人に会って飲む酒は最高。
いつでもこんなに心から感じられ仲良くできるのも剣道のおかげだと思う。
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渋谷区剣道大会
10月7日に渋谷区剣道大会の小中学生の試合が行われた。
私は審判として参加をし、今一緒に剣道している子供達の応援をしてきました。
試合は勝つことが一番だけど相手によっては一回戦で負けてしまうこともあるし、くじ運によっては実力以上のメダルを取れることもある。
だから子供たちの試合の場合、私は試合までその子が今まで稽古やってきたことが出るかどうかを見ている。
いつも稽古をしているからその子の実力はわかっているる
もちろんくじ運で良い成績も『運も実力のうち』だからすごく嬉しい。
考えなくてはいけないと思うのは試合で自分の力を出せない子供のことです。
せっかく頑張って稽古をして力も技量もつけてきたのに試合に出せないというのは、精神的面に問題があるし、そこの部分まで含めて剣道指導だと思う。
稽古をたくさんやるというのは外見の強さもあるけど、精神的な面で『こんなに稽古しているんだから負けるわけがない』という暗示効果もある。
子供達は本当にちょっとのことで試合の神様は別な方に微笑んでしまうこともある。
渋谷区の試合はほとんどが知り合いや仲間の人が教えているから皆に勝って欲しいと思うし、子供達の成長も楽しみなんです。
試合を真剣に向かっている子供の瞳はとっても素敵で私は大好きなんです。
負けて悔しくて泣いている子には『次回は頑張って勝とうね』と言いたいし、勝って喜んでいる子供には『上の大会を目指してより頑張ってね』と言いたい。
試合は子供達だけではなく、その子の親や先生や応援してくれる人たち全ての心が重なり合っているだけに試合の審判も真剣だ。
私も審査を控えているだけに一回一回の剣道が勉強になる。
子供達の純真な心で審査を迎えられたらとってもいいだろうと感じた。
今の剣道の状態はあまりよくないけど、肩の痛みはほとんど取れ体も酒を控えめにしているから二日酔いもないので元気だ。
あと一ヶ月半、今絶好調より少し悩んでいる方が良いのかもしれない。
私の場合絶好調なんて僅かな期間しかないんだから今は70点位が丁度良い。
子供達の正しい試合態度に感動した。
やはり決勝戦を戦うようなチームの子供達は本当に礼法も素晴らしい。
一事が万事とはこんなことなんだと思った。
礼からすでに始まっているし、そこが悪ければ終わりなのかもしれない。
21日は一般の試合だから源流舘と同志会の混合チームの我チームには悔いのない試合をしてほしいと願っている。
その後の懇親会は私が司会なので頑張らないと。
最近私は宴会の司会が多く緊張しますが、仲間と楽しいことは良いことですね。
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目標到達までに
剣道に限らず仕事でも、学問でも、スポーツでも目標を持たずにそのことをすればそれはただのストレス解消にしかならないし、上達しないどころか周りにも迷惑が掛る。
楽しそうに思えるほど影で努力をしているし、その努力は苦労でもない。
テレビを見たいたらこんな言葉が私の心を留めた。
『苦労は買ってでもしろ!という言葉はあるがそんな苦労はしないほうが良い』とあった。
その後その人は、苦労を自慢する人や失敗は成功の元のように話す人は本当は違うと思う。
だいたいの人が言う『苦労』は『身から出たサビ』のようなもので本当の意味の苦労ではなく我が身の至らなさから招いたもの、だからその前にちゃんとしていればそんな苦労はしなくてすむ。
良い意味の苦労(本来は努力)ほどしている人は苦労だとは思っていない、次の成長の段階だから今を頑張る。
だから人の苦労まで替ってすることなんかいらないし、そんな余裕もないはず。
借金の保証人になって責任を迫られ結局家族が苦労する。
こんな苦労をして何の意味になるのと一緒なのかもしれない。
他人からみればいっぱい色々な苦労をしてきたからあの人は今の地位や姿があるからという言葉を耳にすることがある。
もしかするとその人は『楽して目標を到達したい』と思っている人なのかもしれないと感じた。
誰しも何かを得たいなら、なるべく楽をして良い結果がほしいと思うのは当たり前なのかもしれないけど、本当にすごく高い目標を持った人は知っている。
『楽して到達できるものなんて何もない』
子育ても大変だという時期が過ぎてしまうと一番活き活きして色々なことも考え、だから生きていると心から思え、振り返る余裕もないくらい明日のことしか考えていない、だから若々しい。
これは苦労ではない、成長の階段だと思う。
近年の昇段審査の合格率がとっても厳しくなって福岡の七段審査など合格率5%代なんて昔の八段並の厳しさだ。
でもその八段の合格率は1%にも満たない。
そのレベルの合格率は少し問題はあるとは思うけど、私は4段から6段くらいまでの審査を受ける人に聞く『合格したらなにをしたいですか?』そうすると『とにかく取りたい』『取ったら休みたい』などの言葉をする人には真剣になれない。
ただ段がほしいとか、区切りで取ったら止めてしまう言葉を聞いて本気で教えられないし、そんな気持ちが剣道に表れるから合格しないんだと思いますよと言います。
目標も大切だけど、それ以上にその目標が達成できたことの周りの人の心をありがたいと思える心を強く持った人が合格できると思う。
私は昔子供達を教えている時に、『大きな目標と小さな目標を言いましょう』といったことを思い出した。
私にとっての大きな目標は八段だと思っている。
でも最後の目標ではない。
その目標に向かっていけた今の健康な体や心にしてくれた親、信頼してくれて仲良く稽古を共にしてくれる仲間、自由に剣道させてくれた家族など他にもいっぱいあるからその人たちの目標を達成してあげたいと思うから共に歩んで行きたい。
感謝の心がなくして、物事をしてもなにもない。
私も先日八段審査の申し込みを済ませ、改めて仲間に感謝する。
やっと本当にここまで来たんだと。
何より渋谷区剣道連盟と源流舘の仲間には言い尽くせない感謝の気持ちでいっぱいです。
審査まで二ヶ月間今までお世話になった道場にお礼の御挨拶をして受けさせてもらおうと思っています。
そして楽しく努力して頑張りたいと思っています。
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へそを出す
先生からも、また本の中でも書いてあったのを見たことがある『へそを出す・へそで攻めろ』の言葉を先日ふと思い出した。
それは最近子供達と稽古する機会がまた増えてきて、その子供達に少しでも強くなってほしい、少しでも正しい剣道を身につけ、やる気を持ってもらいたいと考えて、自分なりに子供達にどう理解してもらえるだろうか?と考えていた時『あ、これだ!これがへそで攻めるなんだと』気がついた。
本当にそうなのかはわからないけど自分なりに、また自分のスタイル合う『へそ攻め』がわかった。
子供達が準備体操をしている時私は何も言わずにしばらく見ていた。
順番通り肩を回したり、屈伸、アキレス腱伸ばしなど行ってはいるが、その動作の先に心がない。
気合を入れて準備体操をしろというんじゃなく、何の為に準備体操をしていると頭で思ってほしい。
そして私は子供達に『準備体操はただその動作をすれば良いんじゃなく、その動作にはその次への意味があるし、心の準備体操もしなければ意味が薄れる』と言った。
肩を回すときは肩がスムーズに回るようにとか、アキレス腱を切らないようにとか意味があるから、それに合った動きをしないと意味がない。
子供の体はまだ柔らかいから真剣にやらなくても怪我はしないとかではなく、何の為に今それをしなければならないのかをわかってほしかった。
激しい剣道だからこそその時々にあった色々なことの意味を考えずにしてしまう癖をつけてしまうとただの竹刀を振り回す暴力になってしまうし、物事を理解しながら稽古すれば少ない稽古でも成長できると思っている。
剣道は面をつけてから切り返しをしたり面打ちをしたりしながら体も心もならせていけば良いと思うなら、準備体操からしっかり心を入れてやれば時間が無駄ではなくなる。
子供達にはお正月に自分の目標を持って一年間頑張ろう!
その目標に向かう為に辛いことも頑張れるんだという。
目標が明確でないと気持ちもそぞろになる。だから成長できない。
だから今やっている一つ一つに意味がある、その心があるから稽古は嘘をつかない。
たくさんやったとしても気晴らしやストレス解消のためだけに剣道をしても正しくも強くもならない。
剣道は自由だからそんな気持ちでやってもかまわないけど、目標を持った人の中での稽古をそんな考えでは周りにも迷惑になる。
子供達には剣道は辛いからやる気を持ってやることが一番難しい。
こちらが強く正しくなってもらいたいと思ってもまず本人がこっちを向いてくれないとはじまらない。
指導する時はいつもまずは心を向かせようと考える。
これも私にとっては子供達が成長してもらいたいから大切な一ページだと思っている。
そんなことを思いつつ子供達が竹刀を持って足捌きを見ていると、すり足がぬるい!と思った。
皆右足はスッと出すけど左足の引付が遅い!
剣道の足の動きは普段生活しているような歩くような感じではないから子供たちには難しいとは思うけどそれが出来ないと剣道にならない。
左足の引きつけを早くすると言う事は技を出す体勢を早く作ると言う意味だよと教えた。
引きつけの遅い子供にその場で右足を出させないで、左足の親指を右足の親指の所まで早く出す練習をさせた。
何回かやらせると左足の動きがよくなってきた。
攻めは右足を出すことが最後の目標ではなく、その左足の位置に早く行かせることが目標で、その次にある技を出させるためのことだよ。
だから右足を出す速さじゃなく、左足をその位置まで行くことが足捌きのワンセットだと言った。
その時もやっとしていた頭の中にあった霧がスッと晴れた『あ、これだ!これがへそで攻めるなんだと』私もへそを出せと言われてもなかなかイメージがわかなかった。
そう左足を引き込むんではなく、意識を持って左足を出して堂々と間を攻める。
技を出す時は左足に体重がのっかる。
だから左足を正しい位置にないと良い技は出ない。
へそは人間の体の中心だからその中心を前に出すこと、それが良い姿に写る。
その気持ちで大人の稽古をしてみるとすごく打たれる。
でもなんか違う感じがした。
でもそんな打たれることより今の感覚を大切に続けて稽古していこうと思った。
ただへそを前に出すんじゃなく、左足を心に決めた位置まで出す勇気があるからへそが前に出る。
こんなことを気づかせてくれたのは子供と剣道したからでと思った。
身につくことや気がつく事は聞いているだけより、その次の子達に正しく教えようと真剣になればなるほど自分に気がつかせてくれるんだと思った。
限られた時間しか稽古できないんだからその時に色々なことを考えるですね。
そのことが正しいかそうでないかは、師匠が注意してくれるから、剣道や武道など『道』のつくことには師匠が大切だと感じる。
『気合を入れて、力を抜く、打ち気を見せず、ゆるりとへそを出す』
これで打てたら八段になれる。
今私はその最後の『これで打てない』からまだまだですね。
剣道は、思わせぶりな素敵な女性みたいですね。
こんな例えだけ上達しないで剣道上達しなければ。
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思いを込めて
私もそうですが夏は審査を控え稽古も色々と気合いがが入る。
私も含め審査は緊張するし、合格したいという気持ちと共にその緊張をどう取り除くか?
それはやっぱり稽古をしているときに忘れられるというか、竹刀を握っていると安心感が出るというか、とりあえずいても立ってもいられないときは稽古をするしかないんですよね。
でも、それは稽古で技量を上げるんじゃなく心を落ち着かせる意味あいの方が強い。
先日も審査前だから稽古に参加したいと行って来てくれた仲間がいました。
とっても嬉しいけど一回の稽古で強くなんかならないし、でも来てくれたんだからなにか良い気持ちで審査に望んでほしいと思った。
私の体験談を話したりもしたけどそんなことより、見ていないようで見ているところってあるんですよね。と話した。
六段、七段とも厳しい合格率だけにマイナスポイントを作らないようにというわけではないけど、他の人が重要と思っていないところに本当は意味があるんじゃないかと思う。
だから歩く姿、竹刀を持つ角度(礼をする前に歩いて行く時)、そして試合が終わって戻る歩く姿。
これを稽古しています。
本当に自分の防具をつけて歩く姿をビデオに撮るとよくわかります。
私も審査まであと二ヶ月思いを込めて正しい歩き方と、剣道形の一本目にどう気持ちを乗せて行えるかと修行です。
そしてこの二ヶ月間にどのくらい皆に打たれ弱さを感じられるかで、審査の良し悪しが出ると思います。
弱いんだから素直に出せばいい。
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合 宿
久しぶりに子供達の合宿に参加して来ました。
今年の夏は異常といっても良いくらい暑さ満載だから子供達もさぞかし大変だろうと思うし、怪我や病気にならず無事に帰ってくることを祈りつつ合宿に参加してきた。
合宿はなにを成長させる為に行うんだろう?
子供の頃から何回も剣道合宿をしてきて私なりの合宿の意味みたいなものを感じている。
また合宿もそのやる時期やタイミングによっても内容も心も違うと思う。
夏合宿は試合に勝つための細かい技術面より精神的なことや基礎体力の頑張り、そして辛いことを乗り越えた仲間との信頼関係を養うことが大きいと思っている。
試合前の合宿や遠征合宿のように試合のためと言うより『秘めた力』を作ると思っている。
だからこんな暑い時にやる意味があり、食事や皆と寝ることで絆も強くなる。
子供の合宿は2泊3日だから稽古も3回程度だけど小学生や中学生にとっては初めてなだけに不安もいっぱいだろう。
どこまで頑張ってくれるかとこちらも緊張と楽しみに一回目の稽古が始まった。
私は補助的立場なので号令は掛けずじっくり見ていようと思ったけど、体操の時点でまるで気が乗っていない子供達、合同合宿だから不安もあるだろうけど空気もしまっていない、それでも素振りになれば気合も入ってくると思ったけど、『・・・・・』このまま防具を着けたら気が入らないどころか怪我をしてしまうんじゃないかと思い。
ちょっとでしゃばって号令をかけていた子供に代わり私が素振りや礼の意味を前に出てやらせてもらった。
以前読んだ本の中に『第一印象は最初の5秒から10秒で見抜かれる。』とあった。
学校でも仕事でも人間関係でも第一印象はとっても大切だと思う、その大切な第一印象は10秒以内でわかられるなら、その10秒をなんで大切にしないんだと思う。
剣道の段審査でも六段以上になれば合格率も10%前後の今の状況なら、第一印象で弱いとかたいしたことないかな?と思われたらそれだけで審査にはならない。
また試合など審判をしてていつも思うけど、防具の着装や礼の仕方もっと言ってしまえば、その会場に入るまでの歩き姿で50%は見抜かれるというか、それを審査したり審判したりする人は判断の基盤とする。
剣道は『礼にはじまって礼に終わる』とか『剣道に人柄が出る』とか『感謝の心を忘れるな』とか色々と竹刀を振る以前に心清らかにしなくてはいけないことが多いと思っている。
だから歩く姿、礼をする時の姿勢や心、蹲踞の姿勢が大切だと思っている。
私も子供のときから今でもその辺のことを師匠に指摘をされる。
私自身もまだまだだけど、子供達やその周りにいる大人の人もすごく軽くとらえているように感じたし礼法や姿勢に芯が通っていなく、清楚な感じがなかった。
だから10本だけ素振りをさせてもらった。
まず礼がバラバラというか気持ちを合わせるという事をしていない。
素振りだから相手は前に居ないからしょうがないんじゃなく、いつも前には人がいると思って礼も素振りもこの子達はしていないんだと思った。
子供の審判をしているといつも注意したくなってしまうのは、お互いにバラバラな礼をして中に入ってくる人がいる。そんな人ほど試合も勝てない。
普段の稽古からそこに気を入れていないから本番になってもいい加減な礼になってしまう。
ただ見せるだけじゃなく、礼を正しくするとどんなに良い事が多いいかを説明しながら蹲踞えと移る。
時間にして1分位蹲踞の姿勢をさせてみた。
当たり前だがこんなに長い蹲踞をすることなんてないから意味がないと思われるかもしれないけど、それが出来るから一瞬の蹲踞でも揺れ動かない腰が出来る。
お相撲さんが強い相手に対して『腰が重くて全然動かない』と言うコメントを聞く。
その時なにを思いますか?
腰が重いという事は体重が重いと思うからいつまでも体当たりをされると崩されてしまうのです。
腰が重いと相手に感じさせるのは体の芯の体重移動が瞬時に出来るかということで相手に重いと感じさせるのです。
前から体当たりをしてくる人にそのままだったら飛ばされる。
だから当たる瞬間に少し前に体重をかける。
いなされて横から力を加えられたらその方向に体重をかけるとなかなか動かない。
切り返しの元立ちの姿を見ているとよくわかる。
この人は腰の意味をわかっていない。とわかる。
だから蹲踞をしていると足も痛くなり、支えきれなくなってグラグラする。
それを倒れまいとするから体重移動を無意識にする。
出来るところまで頑張りなさいというけど、できるところまでが自分の限界じゃない。
その何倍か先というより、限界だと思うことが負けの証なんです。
試合でも審査でも仕事でも『勝つことより簡単なのは負けること、そしてそれより惨めなのはあきらめること。』こんな言葉の意味を子供達にわかってもらいたい。
全ての時間についてそんな気持ちでいなさいなんて私自身が出来ないけど、せめて剣道している時はその気持ちを持ってもらいたい。
その逆説なら『負けないと思う心でいればいつかは勝てる。あきらめなければ夢は現実になる』ですね。
指導者もあきらめない心を持ち、まず自分が一番きついことをして子供達に見せる。
そうかといって一足飛びに子供達に思いをぶつけても信頼関係がなければかえってマイナスになる。
だから今最低限できる『正しい礼』からやりたい。
以外と動いていることより、静かに動かない方が難しい。
その動かない時でも相手がこの人強そうと感じたり、周りも綺麗な姿と思ってくれたらそれだけで何歩も先の剣道になっているんじゃないかといつも思っている。
掛り稽古も辛くて止めたいと思って、、もうダメだから面を取って休みたいと思う。
それでも頑張るけど、もうダメだと思うから、先生にもう限界ですと言う。
その時点で全てが崩れ落ちるように負ける。
試合に負けたんでも稽古の辛さに負けたのでもない、自分自身に負けた情けない自分しかそこにはない。
それが教え子ならもう殴りたくなる気分になる、けど期待もしてなければそのまま面を外させる。
その時点で全てが終わる。
だからあきらめることの意味がないことを知る。
そうするとどうにでもなれ!という心境になる。
辛い限界と感じている自分の中で、あきらめるという選択肢が消える。
このとき強くなる。技だけじゃなく心が強くなる。
これが合宿の意味だと思う。
普段の気持ちがこんな場面に表れる。
そしてそれが試合に生活に表れる。
10本しか素振りをしなかったけど辛いと感じていたのは子供達より大人の人だったのかもしれない。
子供達を強くさせたいとか勝たせたいとか、子供達に目標を持って頑張れというのなら、まず正しく素振りをしてからだと感じた。
その後の夜の反省会ではたくさん飲みすぎて翌日の朝稽古は私が一番先にあきらめたい気分だったけど、しっかり稽古をして無事に帰ってきました。
大好きな子供達だから強くなって欲しいから、今をきつくして何かを感じて欲しい。
楽に乗り越えても、それは記憶にはならない。
辛い思い出ほど後になっていい思い出となる。
一人の女の子の目が変ったことに私は今回の合宿に参加して本当に良かったと感じた。
『吹っ切れた』と思った。
この子は強くなる。
試合が楽しみになってきた。
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強くなって欲しいから
夏になり本当に毎日暑い!ですね。
学生時代はこんな暑い時必ず思ったのは『誰が剣道考えたんだ、暑くてたまらない』と文句行ってやろうと思ってた。
もう考えた人はその当時でさえ死んでいないんですけどね。
そして夏というと合宿ですね。
久しぶりに子供達の合宿に参加しようと決意した。
私の場合今でも夏剣道すること全て決意が必要なんです。
源流館は冷暖房完備だから快適なんですが他はそうはいかないですよね。
でも合宿ってやっぱり色々な意味で強くなれるときなんですよね。
それは技や体だけではなく精神面ということの方が大きいと思う。
普段なら稽古がきつくても家に帰れば親が色々してくれたり、愚痴も聞いてくれるから疲れも取れるし、まして他人といるという緊張感も和らぐ。
でも合宿って自分の我ままだけではなく、他の人にも気を使わなくてはいけないし、でもその気使いが良い意味で信頼や仲間という愛情にもなる。
限られた人だけが強くなるんじゃなく合宿を通して心の絆を作ることで全体が強くなっていく。
私が子供を教えていた時はかなり厳しかったと思う。
でも1時間30分位の稽古で半分は私の会話だから体的には動かしてなかったのかもしれないかな?
100本間違った素振りをするくらいなら10本正しい素振りをすればより身になると私は思っていたから、早く・たくさんするんじゃなく、正しくゆっくり考えながら稽古をした方がより上達への近道と思っていた。
いまでもそれは間違っていないと思っている。
どうしても限られた時間しかないから子供達にたくさん動かせて身につけさせようと思っているから悪い癖もそのままになってしまう。
角度を変えて考えてみたらドキッとします。
正しくない稽古やいい加減な心をたくさん子供達に教えているんだと思ったらやらない方がましだと思いませんか?
だから私が教えていた時はまず何の為に今辛い稽古をしているのか?
どうしてこれ以上子供達が強くならないのか?
これを自分なりに考えることが指導者としての第一歩だと思う。
子供達に怒れば強くなる!
いっぱい試合をやらせれば強くなる。
私はその考えより指導者が一番汗をかく!
このことが一番の近道だと思っている。
だから稽古では指導をしていても真剣に話すし、誰より動くし、正しい剣道を知ろうと他の先生や道場や稽古場所に行って感じてくる。
教えてた子達が強くなってきた時あることを考えた。
もうこの子達は私の心もわかってくれたし、現状では渋谷区では何回も優勝してる。
これではこの子たちの為にならない。
もうだいぶ昔になるけど試合の時、昼間の稽古の時私は防具をつけた。
最初は何人かの大人の人もつけてくれたのですが少したつと結局私一人になった。
それには二つの意味があった。
その当時私は連盟の選手選考と監督の責任者だったので、より良い人を選手に選びたかった。
私も今までにたくさんの試合を出てどんな剣道が大きな試合で通用するか、また連盟の代表としてふさわしいか、それはまず自分が合い対して稽古して判ると思ってやってきた。
大人同志は試合であたったり、稽古で出来るけど子供達はなかなかできないし、子供達は『今が旬』だからそれを感じるのは今やらないとわからないと思ったからです。
そしてもう一つは自分の教え子だけ強くなったと錯覚してもらっては困ると思ったから。
だから私は昼に防具をつけ色々な道場の子達と稽古して、その子にあわせて今勝てるきっかけになればと思って稽古した。
何人かの子はその場で少し変ったと思ってくれたのか、団体戦で勝てましたと言ってくれた子もいたし、たくさんの子供達と稽古したから知り合いにもなれて試合の監督として選んでも心が通じ合えた。
そして稽古に来てくれた子に『君は団体戦どのポジション?』と聞く。
その時代私の関わっていた子は個人戦でもだいたい入賞していたし、団体戦は連続で優勝していたから、勝ち進めば我子(教え子)とあたることになる。
だから私はその子たちにポジション的に当たる私の教え子の弱点やこうしたら当たるよ!と丁寧に教えてあげた。
これは作戦ではなく本当に勝てるように教えた。
だから個人戦ではあっさり負けた子も一本取れた子もいた。
たぶんこんな指導者いないと思う。
試合で危なげなく勝って欲しいと願うのが指導者なのに私は相手に(敵)秘策を教える。
どの監督よりも勝たせるのは上手い!
それはその教え子達の癖や弱い所を私は日頃から知っているから。
そして本番の試合のとき私は教え子には『恥ずかしくない正しい試合をして勝ってきなさい』とだけしかいわない。
そうすると勝てると思っていた相手が一番弱いところを次から次に打ってくるから試合が混戦になる。
何回か前の試合は楽に勝てたし、個人戦では少し楽に勝てたのにと思っている、小中学生には頭の中で『?????』と困惑したと思う。
でもそこを乗り切って勝ち進み優勝してくれた。
負けはしたものの相手の子も絶対勝てないんじゃないんだ!
一本は取れた!し頑張れた!と喜んでくれた。
これは偉そうにや自慢話ではなく『渋谷区の子供達皆に強くなってほしいから』そして少しでも勝てて楽しいとか、辛いけど頑張ればなんとかなると思って、長く続けて欲しいから渋谷区のため剣道の為になると思ったから私はやってきた。
現にその当時はそれで選抜して大会に臨んだときは良い成績を残してくれた。
その子たちが成長して大人になって剣道を続けて今でも会話する時この上ない喜びと感じる。
森を育てたければまず一本一本の木を正しく成長させなくては良い森にはならない。
逆に木を見ればその森全体の姿や行き先がわかる。
こんな言葉が私の頭にある。
先日の稽古会で20年以上ぶりに他の道場先輩と渋谷区の合同稽古会で稽古をお願いさせてもらった。感動的だった。
数年前に剣道を再開したからとは知っていてもやっぱり昔すごく強かったからそれは衰えてはいなく、素晴らしかった。
その人たちに鍛えてもらったから今の私もあるし、その時ちゃんとした剣道を身につけていた道場があったから仕事で出来ない空白があっても戻れたんだと思った。
少子化という今だからこそ皆に強くなって欲しい。
強くなったから偉いんじゃなく、強くならせてもらったから優しさを持ち、後輩達に伝えて欲しい。
自分が満足するようなだけの指導ではなく、自分の剣道が何十年先まで足跡となると思って教えると良いと思っている。
『足跡は先への願いであり愛である。その場しのぎな即席な教えは信頼がない。』
またまた〆が駄洒落ですみません。
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気づく事は宝物
剣道は一生出来る武道だから教えも、指導も、書物もなかなか難しいといわれる。
他のスポーツはどうしても早く強くさせないと体力の限界が致命的となるから、わかりやすく説明したり別な事をさせて早く体力強化や技術向上に重点を置いたりする。
剣道の指導者が努力をしてないのではなく、理論では説明できないことが多いと思うし、結局は稽古をたくさんして体と心で感じ取ることが身になると思う。
ある程度の所になると『いくら稽古しても強くならない』とか『たくさん稽古しているのに面が正しく打てない』とか『段が受からない』という言葉を耳にする。
人はそれぞれ体系も力も考え方も違うのだから一種類の剣道ではなく、いくら正しい教えでも、微妙な修正が必要だし、それは師匠がいる人なら言いづらい指摘をしてくれるけど、仕事や家族がいれば限られた時間を探して稽古しなければいけないから思うようにも指導を受けられない。
だから剣道では『気づく』という言葉がある。
今までどうしても出来なかったことが、ある日突然出来たりすることがある。
なにも努力をしていない人にはないことだけど、日々何かを考えながら稽古をしていると、ある一瞬のきっかけで『あ、これだ!』と気づくことがある。
私は子供の頃から中段で、大人になってから足や肩を痛めたことや構えの研究で上段を取っていた。 私は上段と対戦することが好きだから上段の心を知ることも大切だと思っている。
私は誰から習ったこともなくただかぶっている冗談のような上段なのだけど、この頃子供に上段を教えはじめていることで少し上段のことを考えていたら、あることに気がついた。
上段からの技は、構えた右手で勢いをつけるように押し出し面や小手を片手で打ちにいくと思って稽古していた。
それは間違いではないと思っているけど、ある時ふと『弓道』が頭に浮かんだ。
上段の構えは堂々と大きく、肘は弓を引くように構える。
と聞いた事があり、その例えは良い構えとおもっている。
でも、弓の右手は矢を打ち出すとき押し出しなんかしていない、かえってひっぱっり張り詰めた弦を外すだけ。
『これだ!』と思って小手打ちの時試した。
上段の時左手で打ち出す気持ちで手首に力を込める。
そして右手はその今にも飛び出していきそうな竹刀を抑えている感じにしておく。
そして心と攻めが充実したらその右手を離すと止まっていた竹刀が走り出す。
それが何で良いか?
打とうとすればその前に肩や手元や細かい動作が表れ、相手に悟られる。
これを『おこり』を見抜かれるという形になり応じられてしまう。
以前にも話したけど、肩を壊して力が入らないし、打つ気が表に表れないからゆっくりなのに相手は避けることもしないで打たれる。
自然のズレがど真ん中に道を作るですね。
この上段の打ち方も間違っているのかもしれないし、もしかしたら上段の人が片手で小手を打つ時はすでにこんな気持ちでいるのかもしれないけど、剣道をして初めてこんなことに気がついた。
稽古後嬉しくなってこのことを飲みながら熱弁していると『先輩何やっているんですか?11月に八段受けるのに上段の研究してる時間あるんですか?』その言葉にまたまた気がついた。
そうだ俺は上段で審査を受けるわけではない!
でも、中段に生かせることも見つけたからこれは又別な日に書き込みますね。
もう一つ気がついたことがあった。
合格率1%未満の審査で合格するという事はどんなことなんだろうと思うと私はトイレットペーパーだと思った。
それはどうしてかって言うと、トイレットペーパーを見ると素材とか香りとかでとっても良いものがあるし外見では皆よく見える。
じゃどこが違うかというとある時最後まで使い終わったとき芯に巻きつけられてある一巻きを見たとき『これか!』と感じた、外見ではどれもこれも同じように見えても最後の芯にある一巻きが違う。
ぐちゃぐちゃに巻きつけられてある物や斜めに巻き付いている物、その場所は使わないところだし本来のトイレットペーパーにはまるで関係ない捨てるところ、でも時にすごく綺麗に巻かれているものを見たときこの心が八段なのかも、審査員はその見えない芯を見抜いて合格をつけていると思った。
剣道も関係ないと思っている所のところに差がでると思った。
普段の稽古の心の芯をどうしっかり巻きはじめていくかどうかで一番大切なところに表れてしまうと感じた。
剣道が好きな人は八段は合格できない。
八段になれる人は好きなんじゃなく『剣道が命』なんですよね。
これも気がついた。
私は『剣道している仲間が一番好きだ』
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渋谷区合同稽古会
7月15日に渋谷区剣道連盟の級審査会及び合同稽古会が行われた。
その日は大型の台風が九州からやってきているし、朝から雨と風が強い。
審査を受ける人たちもずいぶん大変な日になってしまったし、まして級は子供達もたくさん受けに来ている。それでなくても防具は重いしかさばるのにその上傘をささなくてはいけないなんて体の小さい子供達にはそれだけで大変だろうなと思った。
でもやっぱり望みや目標がある人は違う。
天気の大変さより真剣なものに向かう緊張感の瞳が素晴らしい。
私も秋に審査だけに『その気持ちわかるよ』って言いたい気分です。
三級だろうが八段だろうがその場に臨む緊張感は同じだと思う。
人生は楽しいことにこしたことはないけれど、その楽しさを何倍も嬉しいと感じたいなら厳しいことや緊張感に身を投じた方がより大きく深く感じられると思う。
辛いことが良いんじゃなく、自分があきらめない際を感じることも人に対して優しくなれると思う。
審査後の稽古でまた私は感動した。
近くまで台風が来ているし、すでに大雨、稽古は休んでもかまわないし、まして自分の道場じゃないから一回くらい休んでも良いと思う。
もちろん色々な用事もあるしいきたくてもいけない時もある。
今回みたいな日に稽古に来てくれる人は渋谷区にいっぱい愛情があるんだなぁとおもった。
でもやっぱり少ないんだろうと思っていたら、なんと40人以上の人が集まり感動と感謝の気持ちでいっぱいになりました。
また稽古の中でも感動した。
元立ちに立っていると生意気ですがこの人が何か気がついたとか、強くなったとか、剣道を別な角度から取り組んでいるとか感じるときがあるんです。
打たれることより真っ直ぐを大切に、下がらないことを一番におき稽古する姿を感じたとき、すごく嬉しい気分になる。
私は打ちたいんじゃなく堂々としている姿の人が好きなんです。
ある人はいくら打っても下がらず、面に意識を持って打ち込んでくる。
だからこっちも本気になる。
強い心ですねと言いたくなるほど頑張っている。
打っている私の方が格が下みたいな気分になる。
それはその人が最後まで下がらず真っ直ぐに打つ信念があるから。
こんなことも感じられるってやっぱり合同稽古ならではですね。
懇親会では相変わらず酔っ払ってしまいましたが幸せな一日を過ごせました。
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今日は特にすごい
剣道してて今日ほどすごいと思ったことはないかもしれない。
ここで私はいつも師匠には面で勝負!
そこで教えがあるという気持ちなのに、あまりのど真ん中の圧力になにもてきず返し胴
剣道人生の中で初めてだと思う。師匠に胴から入るなんて。
そしてすでに意気込みの違いを感じる。
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大きく打つ心
大人になると先生から『ちょこんちょこんて打つんじゃなく大きく打ちなさい』って言われるけどそれってどんなことですか?と質問を受けたことがあります。
試合や地稽古でも早く打つ人の方が結果を残せるし若い時はそれで良いといわれる。
でもその技には深みがないと思うのです。
そうかといって何でもかんでも振りかぶって打つ人はもっと成長がないと思います。
野球少年がプロ野球選手の独特の構え(イチローの振り子打法など)を真似したからってすごく打てるわけではないですよね。
剣道の教えって複雑だし迷わせることばかり、でも気がついた人にはわかるんだと思う。
他国の言葉に比べて日本語が難しいという感覚とにているのかもしれませんね。
学生の時は早く打て!勝て!たくさん動け!
それが5段あたりから大きく打て!避けまわるな!相手との関係を大切にしろ!
まさに逆説の指導になる。
でもその言葉ってわかるときがあるんです。
私なりに考えると食べ物に賞味期限があるように、一定期間までは素材本来の味が一番良いけどあるときを境にその状態では無理、でも加工したら生より美味しくなる。
え、それは活き活きさをなくしたから負け惜しみなんじゃないの?
という人がいるかもしれませんが、干し椎茸や天ぷらやハンバーグなど生以上に美味しいですよね。
ここで考えて欲しいのは生をほっぽらかしではないということです。
干すのでも季節や空気など緻密に計算していたり、天ぷらなら衣のつけ方油の素材揚げる時間など考えているから美味しいんですよね。
剣道も良い師匠や仲間に会えるとその際になるとその大切なことを皆で教えてくれる。
ある先生が『審判が立った試合なら大学生に負けるかもしれないけど地稽古なら負けない』といった言葉に納得。
その先生の歳は60歳ですけど、その通り一流の大学生が相手にならない。
これが大きく打つ剣道。
ただ闇雲に振り回すんじゃなく、正しく間に入り中心を勝って振りかぶると以外と何も相手はできないんです。
私もすっと振りかぶった瞬間『あ、なんかぬけた』と感じたことがあったんです。
これが理にかなった正しい外しというか相手が居つくという状態になるんですね。
剣道イリュウジョンかもしれませんね。
大きく打つは動作だけではなく、心の大きさと、そこまでちゃんと稽古信頼できる師匠と仲間の大きな愛情が形に出る。
基本打ちが出来て、試合に勝てる早い打ちが出来てから大きく打つと一番良いでかも。
技に賞味期限があるって言い方は私だけかもしれませんね。
だって技は生ものですしね。
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師匠との稽古
稽古は行くぞと思っていくときは心の構えもあるけど、今この状態で稽古?
と感じるときに師匠との稽古は色々なことを感じる。
現在左肩と左足アキレス腱を痛めている私にとって師匠との稽古はサイコロの目で『7』を出すより難しいかもしれない。
サイコロに『7』はないことくらい小学生でもわかるくらい不可能なんです。
それはなんで?
良い感じなら、良い間の攻防で師の愛気(相気)で味わえる。
そして辛くてもあきらめない心でいて思いっきり打たれる。
でも、どこかが痛くなったり自分の中で逃げたくなると10分近くの稽古の中で『もういっぱい』と技に変化を作ってしまう。
八段の師匠に本能で変化した時点で『化けの皮がはがれる』
師匠を本番の試合で勝てば『恩返し』でも稽古で当てるようでは『とんちんかん』だと思っている。
師匠の方が面に行くのにその小手を押さえてなんの意味がある?
見えたところを打つなら誰でも出来る。
見えたところは『心の確認』で良い。
それより大切なこと『どうど真ん中でデカイ壁の前で動かないか』
私にも弟子がいるけど動いた瞬間『今日は体調が悪いのかな?』と心配になる。
でもその打ちが本物に近ければ『全然なってない』と言葉にする。
どうしてかって?だってその技は素晴らしいし。
そこで褒めたら全てが一致する!
でもそんな時有頂天になったら次の機会まで遠くなる。
だから私は弟子に本物に近い技を打たれたら『いいね』少し間をおき『俺は別なことを考えてた』と言い、その技のミクロに近いあら捜しをして『まだ芯をくってないな』と言う。
これは負け惜しみではない、良い弟子だから伸ばしたいから『ここで満足するなよ』という。
逆に今日は体調万全と思っていくとまるで相手にならず『ボコボコ状態』そんな時の師匠のコメント今日は『今まで一番良いかもね』となんだ?含むようなコメント。
『打ってまだまだ、打たれて良し』との稽古。
師匠は見抜いてるのかもしれない。
いい時はこれで良いと思ったらおまえは努力を止める。
でもダメな時は何かちゃんとしようと迷わずに取り組んでるけど少し不安もある。
そこで『ダメな剣道だ』といわれたら私の場合全てが崩れて、だったら結果だけの剣道に戻りかねないぎりぎりを知っている。
動きの一瞬の小手を打った自分が情けない。
もし私が同じ技を弟子に打たれたら、狙って打ったらマイナス200点、本能で打つならマイナス100点。
心の中で『すみません今辛い』と念じて打ったら0点。
じゃ師匠に打って良い小手は・・・?
今は教えない。すみませんそんなに簡単には教えたくないな。
これはここだけの話しですがというか私が他の先生と稽古して感じたことなんですが、稽古後御挨拶をしに行って言葉をかけられる段階で今の自分をどう思われているか?
稽古に来てくれるんだから元立ちは嬉しいに決まっている。
だって稽古に来てくれないのはダイレクトにあなたの剣道は参考にならないといわれていると同じだから、元立ちは強いだけではダメだし、人気取りの稽古は深みがない。
だから稽古に来てくれた人に一人一人に言葉をかけたくなる。
最初に言われて嬉しいかもしれないけどこれはほとんどごめんなさい!
『いゃ〜〜僕の技全然当たらないね』
これはまったく褒めてない。元立ちまるでやる気なし。
この言葉をかけられたときこの先生に稽古に行かない方がいいと思う。
もう気を合わせたいとも思っていない。
『あなたは強いね』
これは試合をそのまま地稽古にもってきて僕を打ち負かして他の人に言いたい人だからそれで言いし、現に強い。
『あなたは良い剣道するね』
これはだいたい他人から見てると元立ちに打たれている人に多い。
でもその人は決して下手ではない。
心を合わせる努力をしている。そしてなになより剣道会話が出来てる。
見ている人にはわかる。
ここまでは誰しも薄々感じているコメントかもしれない。
じゃ、そのつぎの言葉。
八段が完全に認めたようなコメント!
焼肉で言う『特上カルビ』の言葉!
教えたいけど私もまだかけられたことがない。
でも、あるらしいんですよ、この言葉を一流の八段にかけられると『もうあなたは八段になっている』とね。
一緒にその言葉を探しに稽古に励みましょうね。
やればやるほど剣道はわからなくなってしまうし、難しい!
勝手に作った知恵の輪を悩むのも剣道の良いことなんですよね。
今日の痛い所
久しぶりに子供達の稽古の代役で指導したら、稽古前に二人の子供が私の顔を見て『すみませんお腹痛くなりました』と言われました。
今度から私の垂ネームに『太田胃散』と書いておこうと思いました。
『子供に好かれているけど、稽古はきつい』と自分に言い聞かせておやすみなさい。
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渋谷区合同稽古会
渋谷区剣道連盟の合同稽古会&審判講習会担当の私たちは最高に幸せを感じてる。
渋谷区合同稽古会も皆様の御協力によって大勢の稽古人が集まり活気ある盛り上がりに担当役員の一人としてこの場をかりて深く深く感謝を申し上げたい。
剣道は相手がいなくては出来ない。
特に大人の人が稽古をしようとすれば、仕事や用事で思うように出来ない、だからこのような合同稽古会は時間をやりくりして意識を持って日程を合わせないと参加できない。
特に季節のいい時期だけに観光・娯楽にはもってこいでもある。
その色々なことがあるのにも関わらず合同稽古会に60人を越す稽古は涙が出るほど嬉しさに耐えられません。
いつも思うけど稽古に来る時の心構えは皆違う。
試合の気分でしたいと思っている人、審査の気分でしたいと思って来る人、楽しい仲間に会いたいと思ってくる人、稽古後の美味しいビールを飲みたいから暑くても頑張ってくる私!
テーマがあるから剣道に冴えがある。
学生時代とは違う『やらされている』ではなく『やりたくて来る』の香りはとってもいい。
元立ちをしていると色々なことを感じる。
私のようなものにも並んで稽古をお願いしてくれるから、私は絶対初太刀は全力で行く。
せっかく並んでくれたんだから権田とやって少しでも、一瞬でもいいから何かを感じて欲しいと願っている。
すごい感動できるような技なんて打てないけど、気持ちだけはかかってくれた人より上でいたいと思っている。
でも体力・持続力のない私がそれを一時間やると立てなくなってしまうので、せめて初太刀だけでも一番の気持ちで行こうと決めている。
全部出来たら八段になれるのかもしれませんね。
昨日感じたことを少し書きます。
まずもったいないと感じたこと。
せっかく20分も並んでくれて私と稽古したときその人の稽古を感じたときもったいないと感じた。
蹲踞して中段となり気合を出し間の攻防へと進み剣先三cmの緊張感の竹刀を通しての話し合いをしたいとジリッジリッと間をつめる。
そうすると相手はそれ以上に下がり始めてしまった。
距離感に緊張感がなくなるのでまた私はゆっくり間をつめるとまた下がる。
そんな状態が続くと一本も打たないのに並んでいる人のところまで行ってしまう。
これでは『友好打突』(本来は有効)じゃないし、せっかく並んでいるのにもったいなくないかな?と私は感じた。
「今二人で剣道している』って思って欲しい。と思った。
七段とはなに?
そんなことを感じた。
打ち負かすから元たちでいることも大切かもしれないけど、相手がどうするかによって自分の引き出しを持ち出し合わせる。
自分が楽しいより、まず相手がどう考えていることを少しでも形に表せそして至らないところをこっちも一緒に考えて伸ばしてあげられればと修行する。
そんな難しいことを悩む。
面を打つっていい。
難しいから一番基本的な打ち形に全てが出る。
段は取って少し楽になれるんだから取る前はいっぱい悩むといい段になれる。
と思う今日この頃。
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結果より先の心
剣道は『気剣体の一致』があって一本となるというようにまぐれ当たりは、よほど綺麗に当たったとしても一本にはならないし、見ている人も感動はしない。
結果オーライ的な打ち方、勝ち方では我が身には残らないと感じる。
私も試合を一番と思ってやってきた学生の時にはそんなことより、まず勝つことが全てだと思ってきた。
年齢を重ね最近は当てることより、打ちぬく心をもてるようになりたいと稽古している。
昔聞いた話しですが、高校生の試合の決勝戦である選手が良い形で攻め間を詰め、『ここだ!』と感じ面に出た。
そしてその追い詰められた相手は必死に逃げてはいたけど、完全に面の所に竹刀がきた時とっさに首を曲げて避けた。避けられたと思った。
でもその一瞬主審の先生は面に上げた。そして副審も上げて勝負は決まった。
試合後審判の反省会でその主審の先生に別の先生が『最後の面は面には当たっていなく首に当たったんではないでしょうか』と質問した。
そしてその主審の先生は一言『首ならなお良し』と言葉にしたらしい。
本来の有効打突の観点から言えば面に当たっていないのだから一本ではないとの方が正しいと思われるけど、私はこれこそ一本だと思った。
自分の技、気持ち、気合を信じて満ち溢れたところで技に出た。
もしかすると攻めたと思っても相手の罠で出小手や返し胴を狙っているかもしれない、でもそんなことにとらわれず正しい気持ちで攻め間の攻防で勝ちを確信し、自分の技を信じたから面に行ったと思う、その勇気が素晴らしいと思うし、それが人の心を動かしたのだと思う。
自分のチームが負けたのだったらそんな事はその場所では思わないけど、きっとよくこの場面で打ったなっと相手をすごいなって思ったと思う。
その主審の先生も当てっこや逃げ切りで勝つ高校生にこうして堂々と試合をしたら旗は上がる、と思ったのかどうかはわからないが最後までその上げた旗のことにゆるぎない自信を持っている。いさぎの良い心、スポーツにない剣道心だと感じる。
私はこの話しが好きで時々思い出すんです。
審査の時こそその潔さを試される時だと思っている。
先日の稽古では先週出来なかった相手と必ず稽古をして自分の潔さを自分の納得できる気持ちで打ちに行き捨てきれるか試したかった。
今私は左肩とアキレス腱が腫れて満足な体調ではないだからなおさら当てるにこだわらず、打つまでの気持ちを相手との間で話したかった。
足は痛いのでほとんど足幅は狭い。
まして下がって打ちに行くようなことをしたら切れるかもしれない。
だから気持ちで負けた瞬間その全てが終わる。
スッと立ち力を無理なく自然の流れのように全身に回す。
その代わり気合はその何倍も入れ相手の動き、心の置き所、気攻めなど緻密に感じる。
正にその一本に八段をかける気持ちで構える。
迫力を持ち、勢いで打ちに行く、それでは相手はそれを察し避けられてしまう。
気で勝ち、それでいて自在な対応ができるゆとり、そのじりっじりっとした間の攻防の一瞬『ぽかっと』空白のような感じがある。
それが『いつく」という時ではないかと思う。
いつかされた事は何回もあるけどいつかせた事はないので私には定かではないし一生わからないと思う。
結果的に相手が無反応で打ちに行った事はあるけど『これ、どうして?どうなんてこんな現象になったんだろう?』と思った事はある。
私がやりたいと思っている相手はその心の使い方が絶妙なんです。
いつも彼の稽古を見ていると参考になる。
私はその感じを盗む事は無理としても、打ちたい面があるなら『まず我身が勇気を持って攻め勝ち自分のイメージの技が出せるか』と勝負したかった。
もしその心に嘘がなく出来打ちに行けたら、面に当たらないとか、避けられたとか、応じられようがかまわないと思った。
まずは『その勝って捨てきる』その逆説みたいなことがしたかった。
やはり相手もそれを感じるかの如く竹刀の先が交わった3cm辺りで話し合ってる。
今行くところなのか?いやまだ勝っていない、相手も中心を外さない。
ただ捨てきって打つなら目をつぶって打てば良い。
勝ってから、その一瞬の間の時に見えるものを見ず、相手のど真ん中の心の門が少し開き僅かにこぼれる光を信じて捨てきって打てるか?
打ては出来なかったけど何度かその気持ちで行けた。
満足に近い手ごたえにちっょと笑み。
相手もそんな時はちっょと笑み。これが心合い(剣道愛)がある仲間と感じる。
でも途中で『行ける』そんな気持ちで行こうとした動きを出しかけ瞬間小手を切られた。
『ポコン』というなんと響きの良い音だ。
『まいった痛い』と言葉にする。
すぐに付け加えるように『小手が痛いんじゃないよ、心が痛い』と言った。
彼も満足の笑顔。
良い意味で心に釘を刺してくれたんだと思った。
奥が深くて楽しい、ずっとやってても良いかとも思ったくらいだ。
今源流館の始まる前に新しい弟子と早く来た仲間と素振りと剣道形をしているのでかなり汗もかいているし、疲れているのに疲れて止めたいと感じなかった。
その後弟子が稽古にかかってきた。
今度は気合を前面に出して『突き』を中心に真ん中を崩す稽古をした。
構えた瞬間に心得ているのか、さっきまでの感じとは違う雰囲気を察して彼もまた『突き』を打つ。
5分くらいの稽古時間だけど私は20本位突いたかもしれない。
彼も5本以上は突いたから、技のほとんど突きだらけだった。
上手かったら私も5本位で決められるのに決まったのは1本位、後は大ハズレ。
子供のときにやったお祭りの夜店のくじ引きみたいにいくらやってもハズレばかりで大当たりのモデルガン欲しさにまた100円を出す。
心の中で『当たりあるのか?』と恐いおやじに言いたい気分ににている。
彼が夜店のおやじなら『当たりいっぱいあるのにわざとハズレ引いているのか?』と返したい心境かもしれない。
でもその弟子は高校時代の先生が突きの名手だから慣れているので我慢してくれたんだと思う。
私の喉と胸にも赤い色気のないキスマークがあった。
彼には喉と胴の周りに赤紫のキスマークがバラの花束のように並んでいたと想像できる。
何しろこの巨体が勢いを前面に出して突くんだから恐いと感じ怯んだら壁まで持っていかれる。
それを体で受けとめるんだから素晴らしい、ちなみに私より二周りくらい小さい。
剣道は『気剣体の一致』があって一本となるだけど、これは『危険体の不一致』かな?
でもこんなことを出来る信頼関係も師弟ならではです。感謝しています。
本日の痛い所『肩・アキレス腱・小手を打たれた心・キスマーク』
他の仲間もよく付き合ってくれるけどこれ以上書ききれないのでこの辺で終わります。
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痛い
午前中は心地の良い晴れで夕方から雨との予想は本当かよと思っていた。
でも夕方と夜のさかえ目に雨がポツリポツリとはじまり、稽古の終わりにはどしゃ降りの今日、気象予想士が外れるとだめだ〜〜〜と思うのに、当たるとその予報を当てて当たり前というかそれを信じた自分が素晴らしいと思う。
予期せぬ自信が満足となりなにかやったという感じ。
剣道も信じてこうした方がいいよと言う言葉の後ろに『君は信じられるかい、今の言葉を?』でも外れるときだってあるけど『さぁ、どうする』と竹刀を通して探り合う。
師弟関係は探りあった瞬間終わる。
師は今日はなにをしたいのか?
なんて自分でも思っていない、いつも思う事は『いつも一生懸命』
だから気が合わないときは機嫌が悪い。
我侭こそ『師の教え』なんです。
肩の痛みを今日は稽古前に整骨院に行って何とかしてもらいたいとと言うより少しでも楽にしてもらえればと行ってきた。
整骨院の先生は私の体を揉みながら『なんて硬い体なんですかね、一つの方向しか筋肉が出来てないですよ、これではいたいところだらけでしょ』と言われた。
心の中で『だからここにきているんだよ』とつぶやく。
でも言葉は『ハイ』とっても素直なふり。
揉みながら先生は『体が柔らかくなるなんて無理だと思っているでしょ?』
私心のつぶやき『生まれ持って遺伝的な堅さってあるんじゃない?』と無言。
『どうせ無理だと思った時点で物事は終わります』
『どうにかしたいと思ったらどうにでもなりますよ』
『でも強情な人こそ心を開かないけど、開いた瞬間素直な人より純粋になれるんですよね』
堅い体は怪我が多いと言われるとおりやはり心も同じなんですよね。
そして痛いところは他人にはわからないくらい本人はいたいんです。
でもそれは本当に痛いことなのか?
それともその次の言葉や展開を求めて痛いふりをしているのか?
それは本人さえわからないときがあります。
今日の稽古で『柔らかく打ちたい、痛いところを負担をかけずに、気持ちだけは前に行く』と思っての稽古。
今月に入って新しい弟子が出来たので礼法、掃除、稽古着の着方、素振り、と初心に返り一緒にやっていると、自分自身今の体の動かさぬもどかしさを感じる。
今日はその弟子は都合によりこれないから自分一人でその子とやりたいと思っていたことをしてみた。
むむむむ、一人だと肩の痛さに負けている。
人がそこにいると少しでも悟られまいと頑張る。
弟子こそ視線の奥は我師匠より恐い。
師匠は気が抜けていたら怒ってくれるけど、弟子は怒りはしないけど『今日の師匠はダメだ』とバツをつける。
もちろんそうじゃないお弟子さんもいます。
でも僕は弟子の時分『今日の師匠の感じ』的な日誌をつけていました。
言っておきますがだから師匠がダメなんじゃなく、人間なんだからそれもよしと思っています。
痛いところがあるときって本当に無心に自然に動けない。
もっと言ってしまうとそんなときに打った技を好きになれない、でも見ているほうからは無駄な力みが消えてただその場面に身を置き、技が決まるから『ドカン〜〜〜』という面じゃないけど、ポコンという爽やかな音がする。
力むのと勢いがあるのと我武者羅は微妙に違う。
一人鏡に向かって一番いい構えと思って、右足の親指のところに目印のテープを貼り、前進後退面を10本やってみた。
ほとんど完璧と終わった時見たら5cm左斜め下にずれていた。
自分的には逆で右前にずれていると思っていただけにその差は10cm以上。
こんな幅どうでもいいといえばそれまでなんですが、その足捌きを見ている人がいるかもしれない。もしかして自分ではそれが正しいと伝えてきたのかもしれないと思う。
30歳過ぎたら痛いと思う時は休むに限る。
無理をして痛さを気合が無いから痛さを感じるんだなんて思わず、痛いときは休む。
そしてその痛みが動かしたら治りますといわれたら痛みと勝負する。
でも痛いものは痛いし、見えない痛みほどどうしょうもない。
稽古は強い人の為に、また弱い人がどうにかなれる証、そうかもしれないけど『今自分はどうなの?』と感じられることも稽古なんですよね。
剣道は逃げないのにこっちが勝手に難しいだの、嫌いだの辛いだの、最高だ!といってみたりしている。
剣道は言っているんでしょうね、本当に嫌いになったら見向きもしないのに、勝手に剣道を見方にしたり、敵にしたりしていると。
おおお、だから剣道という厄介なものにはまっているんだとね。
今日の痛いところ『左肩・左アキレス腱・あの人にど真ん中に打たれた突き・やりたかった人を体の痛みで出来なかったこと』
来週も痛い自慢でもしますかね。
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八段挑戦
七段を合格してから10年たちました。
今年の11月に八段を受験する資格を頂き考えている気持ちを少し書きます。
合格率が1%に満たない試験だから自分は合格できないと思うなら受けない方がいいし、時期が来たから一応受けようかだったらお金の無駄(記念的という気持ちは違いますので批判ではありません)でも私はやっとここまで来れたという気持ちで試験に臨みたい。
運良くか、自分の馬鹿さというか自転車に乗ってて転んでしまい三ヶ月前に左肩を打撲して満足に手が上げられない状況になり、剣道の大切な左手が全くというほど使えなくなったのですが、そのおかげで手で打つことより、早く打つことより下半身とその前の攻めで技の起こりを消し、ゆっくり打っても当たる、打てるということを感じました。
速さではない、相手が打たれないという時に打てば以外と当たる。
そんな感覚を三ヶ月してきました。
でも本来剣道は格闘技ですし相手の有効打突を打たなくてはやはり評価されないと思います。
『打たずして八段、打って八段』
でなければ八段ではないと思います。
色々な仲間や弟子達を生意気なようですが昇段させてきましたし(これは私一人の力ではなく源流舘の皆の絆です)でもいま私はその仲間に我侭を言ってます。
八段に向かうから皆の力が欲しい。
『俺は人が好きだから剣道している』剣道のトップに立ちたいわけではない、でもそこに目標があるならその目標に向かって真剣に歩んで行きたい(生きたい)結果と共に道のりを信じあえる人と歩んで生きたい今私は我侭を仲間に言う。
少し前まで先ほど言った肩を壊したから自然な打ちも出来たけど本当の勢いは薄れてしまったのかもしれない。
そんな雰囲気で望んでいいのか?
今までの10年間の思いをその審査にかけていいのかと考える。
勢いがあってそれをわかっていながら、奥に忍ばせるから勢いよく回っている独楽の如く遠くから見れば静かで動かず置物のように見えるけど、近くによって見ると風を切るような気合、そしてそれに触れると手が弾き飛ばされる勢い。
昨日悩んだ末肩に注射をして痛みを回避させてもらってきた。
去年暮れに痛めた右ひじを半年たっても治らないので地元の子供の頃からお世話になっている医師に見てもらって『注射するよ』と一言。
もちろんこの注射がどんな注射だか知っている。
周りからも出来るならしないほうがいいと言われているけど、私はしてもらいその右ひじは今は完治している。
私の描いている『八段への道』の中に今の痛みのままでは進めない。
今思うことをしてダメならしょうがないし、誰かに遠慮してそのことを落ちた言い訳にもしたくない。
だったら今私は仲間に弟子達に我侭をいい、稽古に付き合ってもらい、そして今だから本音の自分を見せられるチャンスとも思っている。
揺れ動く男心ですね。
自分から剣道したいと思ったときは今までに一度だけ。
母親が入院した瞬間。
このままならもう剣道できないのかと思って、いてもたってもいられなくなり教え子に時間を作ってもらって仕事の合間に稽古してもらった。
自分から勝ちたいと思って稽古をしたのも一度だけ。
警察にお願いをしてやった。
そのくらい自分から進んで稽古はしない私です。
稽古は嫌いだけど剣道に関わっている人と付き合うのは大好きです。
だから今回は自分から進んで審査の為に考えていることをしていこうと考えています。
それには自然と動く、流れる水の如く引っ掛かりのない体になり、健康の大切さを感じ、亡くなったけどもう一度剣道大好きなおやじの為に息子の俺も頑張っていると伝えたい。
それは結果より過程を見て欲しいから。
酔ったおやじが『おまえが全日本学生選手権にに出たら10万円』やるよというかけを思い出した。
嘘かと思いつつも運良く出られた時おやじは笑顔で『はい、おめでとう』と10万くれた。
もうおれに御褒美をくれるおやじはいないけど、八段合格したら夢に出て『おめでとう』といってくれ。
この場所は少し書き込んでいませんでしたが、ここから動き出します。
これもまた私の我侭ですね。
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駒大剣道部
私の母校でもあります駒澤大学剣道部の道場が移転することになりました。
もう卒業して20年以上たつけどいまでもここでの稽古は色々なことが蘇る。
高校時代少し試合で成績を残したから大学に入ってもそのままなんとかなるだろうと思っていた私に大学の試合は全てにおいて教えてくれた。
まるで勝てない、どうやっても空回りしている。
試合は勝つことより、参加することにかわり、そして応援をするようになったとき、『本当にこれでいいのか?』と自分に問いかけた道場。
意識を持って稽古を取り組み又試合へと向かう気持ちにさせてくれた。
道場は練習場所ではなく心の道を修行するところだと思っている。
今、辛いことがあってもへこたれないで楽しくいられるのもこの場所で頑張れたからだと感じている。
そしてそこにはたくさんの仲間がいる。
だから頑張れたのかもしれない。
平成19年3月31日を最後にこの道場での稽古が納まる。
たくさんの卒業生が集まり稽古となった。
剣道の素晴らしいところは年齢を重ねても出来ること、そして懐かしい相手と稽古するとすぐに昔が蘇る。
新しい道場は二子多摩川になる。
学生達はそこで新しい希望に向かって稽古に頑張ってもらいたい。
そして私達が出来なかった全日本優勝を目指し稽古に励んで、良い足跡を残していただければ何よりの道場の良い形となると思う。
皆も忙しいのに集まる心は剣道部への愛情、そして道場の思い出は幸せを感じた。
そんな稽古や久しぶりの剣道部の写真を撮りました。
良かったらご覧下さい。
剣道アルバムにて載せてありますので、右の方にありますスライドショーをクリックいたしますと自動的に流れて行きますので御利用頂ければ幸いです。
新しい道場もそのうちのさせて頂きます。
本当に良い道場の最後に参加できたタイミングに感謝です。
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力の意味
少し前に自転車に乗っていてちょっとした段差にハンドルを取られて転んでしまった。
転んだ時はたいしたことないと思ったのだが私の体はでかいので、ダメージも大きい。
怪我は右手の甲の部分三箇所すり傷、小指の付け根を打撲でまるで力が入らず、また傷口もいまだにかさぶたにはならず少し柔らかい感じで触れると飛び上がるほど痛い。
そして左肩の付け根と首の付け根の部分の筋を痛めてしまったみたいで、一週間は手も上げられない状態。 今(事故後12日)はやっと普段の生活には支障がないくらいまで回復した。
寝返りはいまだに少し痛い。
あまりに痛いので病院にいってレントゲンを撮って見たら今回は骨折していないけど昔鎖骨を骨折していますねと医師から言われ、『痛かったでしょうね』と言われたけど私はその場所を骨折した記憶がない。
痛みに鈍感なのか、記憶力が悪いのか定かではないけど記憶がない。
それ以外に自分では六箇所の骨折があるので、これで七箇所目が増えた。
剣道関係での骨折は4箇所、あとはちょっとしたことです。
別に骨折好きではないし、骨が弱いわけでもないのだがなにしろ衝撃の度合いが普通の人とは違うのだと改めて感じる。
そしてその時思った、一度全身のレントゲンとって骨折の全てを知りたいとも思った。
いったい私は何箇所骨折しているのかな?と知りたくなった。
まぁ、骨折だけではなく靭帯は一本切れているし、肉離れ、腱鞘炎、突き指、足に木を刺したたまま2ヶ月稽古していたし・・・・・、なんか自分で書いてて痛くなってきた。
今回は打撲とのことだがかなり痛く、こんな時は休む、安静が体を治す近道と経験上知っているので1週間は無駄に動かず、お酒を控えてじっとしていた。
おかげさまで肝臓は調子良くなりました。
10日間過ぎたところで軽い素振りをしてみたが、なんと腕が頭の上ではなく顔の前くらいしか上がらないのです!無理してやっとこ左手が頭の上に上がった時本当に大丈夫かな?と心配。
こんなもんだと頭でわかっていてもやはりショック!だった。
これはまいったなぁと思ったけど医師は『権田さんが自分で動けるようになったら動かしていいですよ、まぁたくさん休みなさいといっても聞かないでしょうしね』と読まれている。
そして先日源流館で稽古を軽くしてみた。
前週は休んで皆のビデオ撮り係になり仲間の稽古やその時いらしてくれた師匠の稽古もじっくり拝見でき、できないときに見る稽古はすごくためになった。
ましてビデオを撮っているので色々なことを感じることも出来た。
試合の剣道なら避ける事から考え間に入るからどうしても力が入る。
そのくらいの気持ちでいなければ一本打たれたら勝負は決まってしまうし、一瞬の隙が致命傷になる。
でも稽古は出小手や当てるような返し胴を打たれても、ごまかして間に入り打たれたとしても心の一本にはならない。
私は剣道をしていく上で、生涯の目標として『気合を入れて、力を抜く』を目指している。
でもどこまで力を抜くことがいいのか?
逆に入れる事は(気合)自分が今の最高と感じれればそれが今の力なのだからそれなりな満足感的でいられるけど、加減があるだけに『抜くこと』の方が難しく、やっかいだ。
そうだ今なら力を抜くを感じられる!と思った。
打撲をして永遠の課題でもある『気合を入れて、力を抜く』の感じがなにか少し感じられた。
力を入れたくても入らないし、弟子と少し稽古をしたとき今の力なら70歳の先生より力が入らないので間と攻めと気当たりを考え、以前医師会の稽古でお願いをした時90歳の大祢先生に打たれた小手を思い出し、力を入れず横に変らず(痛みがあるので体さばきもままならないので)相手を気で攻め、相手が苦しくなって面の起こりを小手に行ってた。
本当に最小限の力しか入っていなかったのに良い音の小手が決まった。
むむむむ、これなら無駄な力を入れなくてもこんなに良い音の小手が当たるのかと感じた。
でも今からこの稽古は早いので味わっただけだが、こんな時くらい別な稽古を感じるのも良いものだと思った。
また、私の悪い癖でもある打った後竹刀が高く上がりすぎる。
でも腕に力が入らないから面の位置以上竹刀が上がらないし、腕の力はないけど下半身は元気なので出足は悪く無いから打った後、腕力で体を引っ張りこまないから体勢が前傾で突っ込まず、勢いはないけど腰の平行移動の意味も感じられた。
健康であれば気がつかなかったことを今感じられた。
また面を打つときの『捨てきる心』もいつもと違う角度で感じられた。
痛いとか、辛いとか、出来ないとかの時、心を腐らせるのではなく、『今チャンス!』と考える。
出来ないから、辛いから何もしないんじゃなく、今できることをさがす!
力は腕力・体力だけではなく心力の大切さを感じられた。
また一つ『力を抜く』の上の『力が抜ける』の入り口の光が見えた。
そしてこんな川柳が頭に浮かんだ。
『手の豆が、知らずに消えて、七段合格』
その意味は。
無駄な力が一箇所に入るから手にまめが出来ていた、気がついて手のひらを見たら硬い豆がなかった。
竹刀を全部の手のひらで握ることができてきたんだと感じた。
だからスムーズな打ちが出来ると思った。
一足飛びには何事もならないけど、続けていくうちに正しければそのようになっていくんですね。
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剣道時代
先日月刊誌『剣道時代』取材の要請が源流舘の仲間の石丸君にあり、私もついでに付き添い&最後の地稽古の参加と言うことで行ってきました。
講師は千葉仁先生でテーマは『崩し』という内容。
他に三人の人がいて先生一人と講習者四人と言う中身の濃い取材でした。
場所は石神井公園の近くにある東松舘という歴史ある道場で私も子供達と剣道をしている時に何度も耳にしていた道場で、なによりも子供達が素晴らしく強いし礼儀も正しく、この道場を一度見てみたいと思っていただけにとても楽しみにして道場に向かいました。
道場に着き中に入ったとき『この空気はなんだ?』と思えるほど重い感じがした。
それは空気が淀んでいるとかではなく、色々な人が作り上げた空気が重なり合っている。
その空間にドラマがいっぱい詰まっているような、床、柱、壁そして何より流れいく『間』に鳥肌が立った。
どんな稽古をして子供達を強くさせたのかという問題ではなく、ここにいると強くなれる!もっと言えば正しく強くなっていかなければこの道場にはいられないと感じた。
子供達をやらせて強くさせたのではなく、自分から強く(心も体も技も)なりたいと思わせるような空気がある、だから東松舘は強い子供達が多いんだと感じた。
試合に勝つことだけが強いんじゃなく、強い芯を持って剣道に取り組んでいるということこそ本当の剣道の強さなんだと感じさせてくれた。
何事もすぐには上手にはならない、まして剣道は一生かかっても納得できる形になれる人なんて極僅かだと思う。
剣道の意味深さを強く感じた道場でした。
この取材のことは2月発売の剣道時代に載る予定です。
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新しい防具
去年の暮れにいつも仲良くしている防具屋さんによった時防具の入れ替えで限定品だけど半額セールというコーナーが目に入った。
そういえば今年八段受験だし心新たに新しい防具ではじまるというのも・・・、なんて言うこともないけど以前からそろそろ面と胴が限界かな?と思っていた。
なにしろ剣道をはじめて36年秘書時代に3年ほど休んでいたから33年のうち自分で買ったことがあるのは小手と垂くらいで後はもらったものや親が買ってくれたもの。
でも胴は三つ面は二つあるしそう壊れるほど稽古もしていないしね。
もちろん竹刀や小物や修理はあるので防具屋さんはかなり行っています。
私は色々なことに興味もあるし新しいものや変った物も大好きだから買い物も好きですし、見るのも大好きなんですが、防具だけは浮気をしないんです。
(おっと違う事は浮気はするみたいですが、それはノーコメントと言うことにします。)
身を守ってくれるのですから信じていないといけないといつも思っています。
知り合いや後輩の防具屋さんからプレゼントで買うときはありますが、私自身のものは買いません。
そんな思いがあるくせしてまして一番大切な面と胴をセールだから買うのか?
といわれてしまいそうですが、まぁタイミングというやつですね。
そしてこの面と胴を買いました。
値段的には本当に安くそんなに気合を入れて買ったど〜〜〜〜!というほどではないので恥ずかしいのですが。 (ちなみに高校の娘の防具の方が高かった)
でもなんか嬉しい。
まして軽いんです。
売ってくれた防具屋さんの大好きな店員さんが、『七段の権田さんがつけるのには・・・、打たれると痛いかもしれません』と心配してくれたのですけど、私は体全部が防具みたいになっているので大丈夫といったら、納得された。
最近疲れやすいので重い物は苦手なんです。
源流館で稽古していると打たれても痛くないからかもしれませんね。
子供達や初心者と稽古しているとそれは痛いのですが、やっぱり力の入れ方の違いですね。
二刀流は痛いので秘密兵器を使っています。
この面と胴値段的なことより自分で買ったんだという意識の方が嬉しくなりました。
去年は一眼レフのデジカメ(5万円)を買うために競馬を控え、今度は面と胴を買ったのでまた競馬を2ヶ月控えないとです。
お酒を止めたら一ヶ月で買えるのかもしれませんがそれは北沢のお父さんと同じで無理ですので別な止められるものからにします。
稽古用ですがおろしの初打ちは源流館でお願い致します。
館長にはやっぱり面を打ってもらいたい。
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明けましておめでとうございます
明けましておめでとうございます。
源流舘も昨年は記念すべき20周年記念式典と舘長七段昇段祝いをさせて頂き本当にいい年を過ごさせて頂き感謝の気持ちでいっぱいです。
人の縁というものや絆は剣道の稽古と同じですぐに形に表れるものではなく、目に見えない信頼と言う心や温かみや恩が培っていくのだとつくづく感じさせて頂きました。
お金でつながった縁ならお金がなくなれば離れていく、地位名誉もその場を去れば誰も気にもされない。
でも、源流舘・剣道を通して知り合った仲間達はお金や地位や名誉なんか関係なく今までの心のつながり絆を大切と感じ、そしてこれからもこんな関係を大切に考えていると改めて思いました。
式典には多くの時間や金額や気使いもあるのにもかかわらず、成功させようと舘員全員が動いてくれた。
また参加して頂いたお客様も御祝辞や笑顔や御厚情を賜り最高に幸せを感じました。
節目の年を過ぎ新しい気持ちで源流舘もスタートして行きたいと思っています。
新しい舘員も増え個々の目標に向かって頑張り、仲間も協力をして共に歩んでいければと強く考えています。
私自身も今年は八段を受験する機会がありますので納得の行くように、仲間と共に日々努力して行きたいと思っています。
オーケストラの指揮者が『クラシックはたくさんの楽譜から成り立っているけど、どの一音も無駄なものはない!』この言葉に私は心が動いた。
剣道にとっても、人生においても同じだと。
辛いから今日の稽古は休む、こんなことやっても何の意味もない、今日は思ったとおり出来たから良い日だ・・・・・、いい事だけをすれば良いし、ダメな時はやらなければ良かった!そうではなく、それ全て『我が身』。
そして私はその全てが稽古でもあり、自分自身になると思った。
生きることに無駄なんてない、休む事だって悪いことでもない、なかなか前に進んでいないと感じるときほど力になっている。
でもそんな時が一番辛い!
だから仲間が支えてくれると思う。
もし無駄なことがあるとすれば『何もしないで相手を妬む』ことかもしれない。
私も中学校のときは試合に出ても勝てず、『俺は試合はずっと勝てない』と思っていた。
高校に入り勝てるようになった時『稽古を10倍すれば勝てる』と感じたけど、辛すぎる!
だから辞めようと何度も思った、そして衆議院議員の秘書をしていた時も人の心の難しさを感じ毎日のように辞めようと思っていたが、区切りまでやりとげた。
その時に辛抱・我慢と言うことが私の中に出来たと思った。
その時自分に向いていないから、辛いから、と都合よく逃げ道を考えたら今の仲間もいないと思った。 今思うとその修行時代は剣道や政治を習ったのではなく我が身の『心棒』を教えてもらったんだと今は感じている。 その時にわからないからまた意味が深い。
仕事も剣道も人生も何事も『一日にして成らず』だと感じています。
私は新年の言葉としていつも考えているのですが、今年は『一撃』にしてみました。
これは攻撃で相手を負かすと言う意味ではなく、『その時々のことを後悔をせずその一瞬のことに集中し正面で立ち向かう』という自分自身に『一撃』の心で過ごして行こうと決めました。
なかなか難しいけど頑張って歩んで生きたいですね。
今年もよろしくお願い致します。
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切り返し
剣道で『切り返し』という言葉を聞くと稽古の前の準備体操的と思い浮かべる人が大半をしめると思う。決してそれは間違いでもないし私もそう思ってる。そしてそれだけでもないとも私は思っている。
初心者の時などその切り返しを何度も稽古し手の内や勢いや腰など鍛える。そして切り返しの種類・やり方も多く、各道場や学校や団体でも色々ある。また指導者の考えでやり方がもっと違ってくる。
近年昇段審査も難しくなり源流館にも昇段目指しているので稽古をお願いしますと稽古人が来るので、そんな時私は最初に切返しをやってもらう、そして私も切り返しをして相手に受けてもらう。
これでだいたいのその人の心がわかる。(勝つ技量ではなく今までの稽古心)今源流館に昇段目的で稽古に来る人は五段以上ですがお願いします。
切り返しは試合に勝ちたいという人にはさほど重要ではないのかもしれないと思っている人がやはり多いし、試合ならそんなことよりいかに早く打ち、相手の技を避ける。だから切り返しを丁寧に大きくやることより、一息で早く激しく打つ!になる。
特に社会人になってから剣道をはじめられた人は年齢的も重ねているので指導する方も激しい言葉の指導ではなく『切り返しはこんな感じで・・・』的に通りすぎでしまう。
もちろん全ての指導者がそうではありません。
剣道をやる人はなんで剣道したいか?
やはり竹刀を持ち相手を打ち、試合に勝ち、勝つ満足感を達成感を望む。私も学生時代試合ばかりやり勝つ喜びや負ける悔しさの中で時を過ごしてきた。その頃は下がって避けること、相手の気を外し隙を狙って打ち込むことばかり考え稽古して来た。
だからその勝ちたい気持ちは誰よりもわかる。
そして私は昇段審査も何回か落ちた。
私は子供達を教えている時に今切返しを正しく教えておかないとこの子達が成長し色々な試合や稽古で迷った時『心を静かにゆっくり初めに戻るように切り返しをしてほしい』と願うから。
ボタンの掛け間違いをしてしまった時、どこから?と思って適当な所から掛け直してまた間違えて、悩みの迷路に入り込むくらいなら一度全部心をすっきりしてゆっくり一番最初のボタンから掛ければ、遠回りのような気がするけど意外とそれが近道になることもある。
私は自分自身も弟子にも稽古の最初に行う切り返しは大きく振りかぶるようにと大きくとは最初の面から振り上げた竹刀はお尻までつける。
前に述べたように切り返しには色々な種類・やり方・指導があるのでこのお尻まで振りかぶることが完璧で絶対正しいものではありませんが、私はこの素振りを心通う人たちには続けている。
もちろん合同稽古や他の道場に行った時はしない時もあります。
その場所のあった切り返しを感じてするのも大切です。
この大きく振りかぶる切り返しの意味として説明する時に言う事を書きます。
1.お尻まで大きく振ると思うのだから、構えた時に無駄な力が入り過ぎては大きく振りかぶれない。また大きく振りかぶるのだから通常よりゆっくりになる。
その時間の中で考えること、心穏やかにして力を抜く、攻め入り振りかぶる時上体を突っ込まない、左手小指から左肩に通る裏筋の感覚の確認・振り下ろしてから面を打つ瞬間の両手の切りつかむような握り。心静かにと言っても気合はみなぎらせる(気を入れて力を抜く)だから面を打つ時に冴えが出る。
2.体あたりは左腰に気持ちを入れ腕で押し出すのではなく体と心を一つにする。腕にたよると上体が倒れ中心がぶれる。
3.そして適切な距離になる打ち間を察し大きくお尻まで振りかぶる。初めの面と同様な気持ちで右の面(相手の左面)を打つ時は相手が受けている竹刀を打つというより紐の部分をめがけて打つ。受けている竹刀を打つと言う気持ちでは竹刀が『だいたいこのへん』的な感覚で鋭さも安定感もない。
4.元立ちの間に合わせて前後移動しながら行う。自分勝手に行えば深くなったり空振りをしたりでは気持ちを合わせる事にはならない。打たせてもらっている感謝の気持ちがあれば自然に合う。
5.最後の面一本までお尻まで振りかぶる。最初と最後の面は同じ気持ち。そして打ち抜いた後振り返り相手と竹刀を合わせるまでの(残心)気を抜かない。
こんな気持ちで切返しをお互いにしようと言う。
もちろん私も完璧なんてほど遠いから少しでも近づけるように稽古しています。
また、この切り返しをなんで昇段審査の人にするのか?
打ち気が早まれば知らないうちに上体が突っ込む、突っ込むと早く打てるかもしれないけど冴えや重みや潔さが構えからにじみ出てこないから。
審査員はまず受験者を真横から見ている。
その姿が『当てるのは上手いけど、打ち切ろうとする姿には感じられない』から。
相手に対して下がらず、良い姿勢で稽古をすれば相手に打たれる。
それでは面白くない!と思うしかえって下手になってるんじゃないかと錯覚に陥るかもしれないけど、打たれてもその気持ちを続けているといつかはそれが実を結びやがて花が咲く。
切り返しは打ちも構えも勢いも作ってくれる。
いざこの切返しをしようとするとなかなかお尻まで竹刀は届かないし、面垂が邪魔になりスムーズには行えないしゆっくり過ぎて気持ちの激しさが持続できない。
仕事を持って限られた時間の中で稽古をするのだから、激しく早くたくさん稽古をした方が効果があると感じるけど、視点の角度を変えてみると少ない時間だからこそ正しくゆったり一つのことに取り組むことの大切さが味わえる。
打ち方に自信があるからゆっくり振りかぶれる。
何事も自信が無いときほど早く済ませようとするのかもしれないですよね。
その大きな打ち方が出来てから徐々に鋭くしていけば良いと思う。
受ける方も相手に正しく打たせたいと思えば適当に竹刀だけで受けるのではなく、心を合わせて受けてあげる。
よく言う初心に返りなさいというのは清清しく行うことかもしれませんね。
落ち着いた構えは衰えた構えではなく、その次に燃え盛る前の静けさであり、秘めたる心が構えるとなる。
ある先生がおっしゃった構えは『早く回っている独楽の如く』
早く回っている独楽は遠くから見ると一箇所に留まって動いていないようにも見えるけど、近くによって触ろうとすると手が弾き飛ばされる。
勢いが満ちている自信があるからその場にいられるのだと思う。
簡単のように思える事ほど難しいものはない。
また難しいことを簡単なように出来るのは、信じる心で稽古続けられるからだとも感じている。
私は正しい切り返しは一生かかっても出来ないかもしれないからこそ、あきらめずに信頼できる仲間と一緒に続けて行ける宝だと思っています。
出来ないからやらないより、
一生懸命な心を忘れない為にも切り返しにかけてみる。
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祝賀会
源流館二十周年記念・山田館長七段昇段祝賀会を11月11日に開催させて頂きました。 雨の降る中60名ものお客様が集まって頂き感謝と感動と嬉しさで言葉になりませんでした。 私は館長とずっと一緒でいままでこの源流館を最初から続けてきた二人なだけにこの日はたまらく嬉しい日になりました。
館長が合格してから日程や会場・予算・引出物など色々と行って行くうちに心の底からよくここまで続けてこれたなぁとしみじみ感じました。
その間に高校の剣道部のOB会や渋谷区剣道大会後の懇親会の段取り司会と平行して行って来ただけに本業のことより剣道関係に一生懸命だったような気がしています。 でも元気で仕事できるのも剣道の仲間が色々なストレス解消や稽古などで付き合ってくれるからだと思っています。
こんな日くらい全力で向かわないと剣道に仲間に失礼だし、こんなことしている時私自身楽しいと感じています。 なによりも掛替えのない仲間の集まりですしね。 私は別に剣道がすごく強くなりたい訳でもなく、何よりも剣道大好きでもなく、どちらかと言えば動かずじっとしていたいぐうたら男です。
じゃなんで?と言われれば剣道している仲間が大好きなんです。
だから稽古していても打たれることはそんなに嫌だと感じないから一つの信じたことだけの稽古ができるのだと思っています。
いつも私は言っているんですが、何よりも素晴らしいのは人として心の底から付き合える人間関係、困った時に真剣に助け合ったり、嬉しい時に自分のこと以上に喜び合ったり、少し間違えた時はお互いに訂正し合える仲間の絆。
今回の式典も忙しい時期だし、土曜日の4時という早い時間、皆さん仕事や色々な都合で忙しい人たちなのに『なにがあっても行きますよ』『楽しみにしていました』などお声をかけていただきました。
私も色々な式典や会合や集まりには声をかけていただきますが、できる限り出席をしていますが、もちろん欠席もありますから欠席する事は悪いことではないとも思っています。
ただこの式典に参加して頂けた皆様には本当に感謝していますし、この『ご恩』私は一生忘れないと思っています。
人の心の暖かさやしなやかさや強さと信頼関係をこんなにもしっかり感じた事は今までもあったかもしれませんが、こんなにも強く感じたのは初めてです。
こんな気持ちにさせてもらえたのもやっぱり剣道を続けてこられたからだと思っています。
剣道は竹刀を持たなくても剣道ができる
と言う言葉の中にこんなことも含まれているんだと感じました。
二十年は人間で言えば成人でもあり、やっと大人になれたと思っています。
来年から大人としての第一歩ですから自信を持って歩んで行きたいと思っています。またこれから何年こんな楽しい状況で出来るかわかりませんが出来ますなら三十年・四十年と続けて行けたら幸せです。
今の私の気持ちは『現状維持』が一番です。
本当に皆さんのおかげでここまでこれました。
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源流館館長の七段心
おかげさまで館長が七段合格を頂きその心を館長が文章に致しました。
とっても心に響いたのでそのままここに載せて頂きます。
45歳以上の受験者には本当に参考になると思います。
お読み頂ければ幸いです。
本来は少し図解もあるので原文ご覧頂きたい方は私にメールにて『昇段審査に思う(そのときの心境)』の原文希望と送っていただければ、添付ファイルにてお送りいたします。
昇段審査に思う(そのときの心境)
平成18年8月福島の審査において、私は七段に昇段することができた。平成14年11月に初めて東京で審査を受けてから数えて12回目のことであった。なぜ今回合格できたのだろうか。今回の審査での立ち会いは、過去11回の中で一番いい出来だった。だから合格できたのだ。それは確かなことである。それではなぜ、いい立会いが出来たのだろう。
昨年の秋、東京での審査を受ける前に、受審者講習会があった。そこで行った模擬の立会いでは、自分なりに満足するものだった、講師の加藤先生からもいい評価をしていただいた。そして11月の東京での審査に臨んだ。午前に受審できる最後の審査でもあり、今度こそはと思っていた。立会いの内容は自分では悪くなかったと思ったのだが不合格であった。ショックであった。
しばらくは落ち込んでいたが、その後、思いなおして考えてみた。審査というのは禅における一種の公案なのではないかと。公案とは悟りに到らせるために師匠が修行者に与える「問題」のことである。修行者は師匠から与えられた問題を一生懸命考え、師匠に自分の見解を述べる。師匠は弟子のその見解が正しいかどうかを示す。審査もそんなものではないかと思った。私には昇段審査という公案を与えられているのだ。だから、もっともっと剣道について考え、自分の見解をださなければなければならない。それからは少し稽古量を増やした。権田君の協力で、基本稽古により面をナナメに打ってしまうクセや、打つとき身体が突っ込むクセの矯正に取り組んだ。そして5月の京都での審査に臨んだ。しかし、自分の剣道がぜんぜんできなかった。落ちたことよりも、自分の剣道ができなかったことがショックであった。このまま行ったらもう受からないのではないか。すっきりしないモヤモヤした状態になった。
その後しばらくして今年6月に社会体育指導員の中級を受講した。剣道について再勉強できたし、静岡の塚本さんとも会えた。岡村先生に稽古をお願いしたとき、先生から「呼吸が下腹に降りていない。呼吸が下腹に降りればもっと良くなる。」とアドバイスをいただいた。なるほどと思った。そんなことがあってから、徐々にモヤモヤが消えてきた。
審査2週間ぐらい前、源流館での稽古のあと権田君に言った。
「権さん、剣道は二人で行うということが身体でわかりかけてきたよ」
「先輩なに言っているんですか。そんなこと当たり前じゃないですか。」
確かに当たり前のことである。しかし、頭でわかることと身体でわかることは違う。達磨大師は壁に向かって九年間も座禅をしたあと、「にらんでいるだけでは壁に穴はあかない」と言った。当たり前である。しかし、当たり前だから何もしないのではなく、当たり前のことを自分の頭で真剣に考え、身体で実践することが大事なのだ。そうすることによって見えないものが見えてくるようになるのだ。いつ何でそんな気持ちになったのか自分でもよく分からないが、中級が終わったあたりから徐々にそう思うようになってきた。そうだ、「剣道は二人で行う」のだ。これが私の審査という公案の見解である。
ところで、人生には「原因と結果の法則」というものがある。植物にたとえれば、植物の種(原因)だけでは、種のままである。土や水や太陽の光などという縁によって芽が出て花が咲き、実が成る。縁がなければ結果は生まれない。
これを剣道に当てはめてみた。自分という原因が相手を攻め、相手がそれに応じるという縁によって、打突の機会が生まれ、素晴らしい一本という結果が生まれる。相手との縁を求めなければ、自分ひとりだけでは結果は出ないのだ。そうだ、打突の機会は相手との関係性の中にあるのだ。相手に隙がなければ、打突の機会がなければ打たないということとはこういうことなのかと思った。
平成18年6月1日の剣窓で、京都の七段審査実技寸評の中で角先生が、「有効打突の歩合」を競うのではなく、「気争いの歩合」に勝つことが大切であり、相手の心を読むことが大切であるというようなことを書いている。「有効打突」にとらわれると相手を忘れ、自分勝手になりがちとなってしまうのだろうと思う。
8月の福島での審査の直前に思ったことは、「今回も受からないかもしれない。しかし受からなくてもいいではないか。実が熟せば自然に木から落ちるように、昇段する時期がくれば自然に昇段できる。だから今は、自分ができることを精一杯すればいではないか。」ということである。合格するかしないかは審査員が決めることだ。自分がどうこうしようと思っても、審査員が合格点をくれなければどうしようもない。「結果は他人が決める」これも人生の法則である。開き直ることができ、迷いがなくなった。
自分は、稽古を積んできているのだから、立会いでは相手の気持ちを考え、相手と気持ちを合わせて打突の機会を作りあえれば、身体が反応してくれる。相手と気持ちが通じればいいなと思うのみで、自然な気持ちで臨めた。審査のとき、自分の番になると、いつも、「いくぞ、やるぞ」と気合を入れて出て行ったものだが、今回は深呼吸をして自分の気持ちを落ち着け、淡々と出て行けた。
審査に受かるには剣道について自分の頭で考え、自分の身体で実践することが大切である。松本先輩は「どうぞいらっしゃい」という気持ちになったことで去年の秋の東京の審査で七段に合格した。私は「剣道は二人で行う」ということに気付いたことで昇段できた。それぞれ言葉は違うが、剣道について自分なりの見解が出せたところに共通点があるのだと思った。
最後に、私は不器用でなまけものである。そんな私が七段になれたのは、いい先生やいい仲間たちのおかげであると思い、みんなに感謝している。
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渋谷区審判講習会&合同稽古会
9月17日今年度二度目の渋谷区剣道連盟審判講習会及び合同稽古会が西原スポーツセンターにて行われた。
私も審判講習会の講師をするのは二度目なので一度目よりは少しは緊張も和らいだものの、やはり人前で話すというのは苦手で緊張する。 他の人にはそんな緊張しているようには見えてはないらしく、ちゃんとやってましたよと言って頂いたのですが、かなり動揺、緊張の波が私自身の中では幾重にも重なり合っていました。
講師としての一度目は『緊張と動揺のミルフィーユ状態』でしたから、二度目は緊張も少し和らいだので『夜店の綿菓子』くらいかな。
その心は、『夜店の綿菓子』は夜だしはっきりとはわからないけど見た目はふあふあして綺麗、でも時間が経つとべとっとして、やっぱり堅くなり円やかさがなくなる。やはり緊張してるんです。
緊張はあって当たり前だし、それが良い方向に出ればいいとも思っている。
決勝の審判をする時もそんな感じかもしれないですね。
講習会にも合同稽古会にもたくさんの人が最近は集まってくれるだけに嬉しい反面、参加して頂いた人には身になるように、来て良かったと思ってもらえるように講師の私達も頑張ろう!と反省会で誓いました。
稽古会も次回は違った形を取り入れようと考えていますので、是非皆様方もご参加頂ければ幸いです。
合同稽古会は剣道がお好きな方なら渋谷区でなくても参加は自由ですのでお気軽にどうぞ。
今回参加した人たちには前回の私が感じたことを宿題としたり、試合で耳に入ったことを書き記した資料をお渡し致しました。
参加できなかった人にも見てもらって次回のお役に立てればと思ってここに載せました。
これからも頑張りますのでよろしくお願い致します。
平成18年度春季剣道大会
恒例の春に行われます春季剣道大会において審判をしていて気がついたことや他の審判員の言葉やコート主任等からの注意点など、また前回の講習会で質問されたこと自分なりに考えて書きました。
これからの審判技術向上のお役に立てれば幸いです。
1.鍔ぜりあいの時の別れ
長い鍔ぜりあいの多くは試合が緊迫したり、同じようなタイプの選手同志の場合に多く見られることがあります。鍔ぜりあいも大切な試合の流れですし、間は竹刀の触れ合う遠間だけではありません。竹刀(鍔元)は密着していても引き技にて充分有効打突につながる良い機会でもありますが、やはりなかなか近間だけに動き辛いと思われますし、不用意に引き技を出すと追い込まれて打たれる危険性もあるためなかなか技に移れません。そんな時はお互いの意思の疎通にて間を切り遠間に戻るのですが、お互いに警戒しあい戻れない時に審判は『わかれ』の号令をかけ試合者をその場からお互い均等に分かれさせる。
質問で、その『わかれ』タイミングや時間は?と聞かれました。
私は『わかれ』のタイミングは試合者が『打つ気がなくなった時』『動きが停止した時』要するに『膠着状態』が続いた時と思っています。時間に対しての設定は無くその状態が早く来れば『わかれ』をかけますが、その見極めはとても難しいと思います。私は試合者が鍔ぜりがはじまってから、だいたい5秒ほどでわかれない場合、両者の足と鍔元を見てまた5秒ほど動きが無ければ『わかれ』をかけます。引き技を出そうと機を狙えば足の動きに緊張感があります。そして鍔元を見ていると気が充実している時はお互いにプレッシャーをかけているので静かであってもそこに力がある時は技を仕掛けようとしていると考えられます。また頻繁に『わかれ』をかけてしまうと試合の気持の流れが切れてしまい、また長すぎる鍔ぜりは緊張感がなくなってしまいます。
試合の流れに合った『わかれ』を心がけましょう。
2.合議
合議は主審だけがかける動作ではなく、副審も試合中に不思議だとか、確認したいことがある時は一度試合を止め(動作としては両旗を上げる)主審にアピールし試合者を立ったまま竹刀を納めさせ、礼の位置まで戻らせてから審判三人は中心に集まり合議をする。合議は会議ではなく試合の流れの妨げにならぬよう俊敏に的確な用件を提示し、他の審判に確認を求める。多い例としては試合中『小手』が当たったと思い主審が旗を上げる。副審の一人が『見えない』の動作をした。そしてもう一人の副審は何の動作もしていない。有効なのか?見えなかったのか?有効ではなかったのか?この場合無反応の副審の動作で有効打突にもなるし無効となるので、主審は『止め』をかけ審判が集まり無反応の審判に『今技の動作がありましたが、判定はいかがでしょうか?』と聞くその審判が『無効』と思えばそのまま『はじめ』の号令で試合を始める。また『見えない』と『有効』と確認を取れたなら定位置に戻り改めてその動作を三人が行い『小手あり』と号令をかけ、つぎの展開へと移る。合議は確認なので『短めで的確に』を心がけましょう。
3.審判同士の心
試合者に対しての集中は言うまでもありませんが、そればかりにとらわれすぎず、常に主審の動きを感じ、そして副審はお互いの距離感を適切に保ちながら心を一つに審判を行う。でも間違えてはいけないのは『あの人が旗を上げたから上げる』というのは一緒の気持ちとは言わず、今置かれた場所で自分として正しいと感じる判定をすることが審判同士の心が強く感じあえるのだと思います。
4.自信
試合のとき主審になるとすごく緊張してしまうという言葉がありました。
審判全員が自信を持って堂々としているのではなく、間違えたらどうしょうとか、有効打突を見逃したらどうしよう、などと意外と心の中は揺れ動いているものです。だから言うのですが完璧な人なんかいないのですから自分なりな『自信』を持つ勇気を持ちましょう。見えない自分の勇気が形となるとき堂々となります。
5.礼法
試合者の試合前後の礼法だけでなく、審判の礼法はとても大切です。しっかりした姿勢ときりっとした礼法だけでも審判は上手く見えます。
6.弦の向き
一般の試合でもありますが子供の試合では手の内(握力)が締まっていなく時々弦が上に向いていない試合者を見受けられますが、それを気がついたとしても副審は注意できず、注意できるのは主審でしか権限がありません。主審になった時は時々試合者の弦の向きを気にかけることを考えましょう。
7.指し違い(旗の上げ間違い)
とっても間違ってはならないことですが、本当にまれですがあります。同時に打つような相面や出小手と面のような場合は見ようによってはしょうがないと思えることもありますが、明らかに旗を間違えている!場合があります。試合者が右から打つとどうしても本能で審判員は右の旗を上げたくなってしまいます。 特に子供の試合に多いのですが、体も小さいし打ったあとも正しい残心というよりごちゃごちゃになる時があり、審判員は当たったことを判定して自分の低位置に戻りその試合者が打った方向と別な開始線に立っていても気がつかず進行してしまう。その技が明らかに一方的な技だったとしても間違えた判定には異議申し立ては出来ないのです。間違えの無い人はこの世の中にいませんが審判となった時は旗を上げても最後まで見据えて確認をする感覚を忘れずに行いましょう。
8.判定
これは一言につきます。自分の信じた心で優勢な試合者に対して旗を上げましょう。判定は3対0ではなくても良いのです。だから主審の『判定』の号令と共に迷わず旗を上げましょう。それが試合者に対しての正しく判定している証だと思います。
9.腕の上げ方
審判をしていると試合者の有効打突の見極めや他の審判との距離感や正しい所作を気にしながら動作をしています。そして技が決まった時、即座に旗を上げる、その時心の中で『正しく見極められた』と思いホッとする。それは決して終わったわけではなく周りの人は意外と審判の旗の上げ方を見ているものです。
旗を斜め45度に上げていなく、真っ直ぐ上げていたり、肘が曲がっていたりなど意外と細かいところを周りは見ているものです。審判の正しい所作はその旗上げの腕の位置まで含まれていると心がけると、とても綺麗な形になります。
10.反則
反則は色々ありますが、代表的な反則は場外反則があります。ライン際の攻防の時どうしても有効打突の見極めに気を取られてしまいますが、足元にも注意をしましょう。また鍔ぜりあいの時など一本とっている試合者は時間をかせぎのためにわかれようとしなかったり、正しい鍔ぜりあいをしなかったり、見極めは非常に微妙で難しいのですが、その微妙な感覚はやっぱりたくさん審判をしたり、他の審判を見て勉強したり、そんな場面を見ていて感じたら審判の上手な人に質問をしてみて感覚を身につけましょう。
11.技の表と裏
技はどうしても、勢いや見る角度で審判は旗を上げてしまう傾向があります。審判は常に試合者の有効打突を見極めるために見やすい所に移動しているのですが見やすい角度や死角があります。一番良い例は面に対しての小手があります。小手の見える方に審判が二人、面を見える方には一人しか審判はいません。ですので早い技のときなどどうしても見えているほうの技に対して反応してしまいます。これは審判のミスというより私はどうしようもない判定と思います。そんなときも自分の判断に自信を持って旗を上げましょう。もっと言ってしまえばその位置で技を出した試合者の巧みな作戦と言うべきと思います。審判をしながらそんな心理や技の表と裏を感じ取ることも自分の試合の向上につながると思います。審判は試合者の判定をするだけというのではなく自分にとっても得るものがたくさんあると思います。余談ですが、審判の心になって試合をすると良い成績を残せると思います。
12.声の大きさ
子供たちの審判をしていると応援者の声援はかなり大きくなります。本来は応援は拍手をもって行うのが正当な応援です。もちろん相手に対してのヤジや審判に対しての罵声は厳しく注意をしなくてはいけませんが、区大会の時など『頑張れ』など応援者はどうしても興奮して声が大きくなってしまいます。そんな状態の中で審判をしている時、やはり審判は号令をはっきり大きな声で行うよう心がけましよう。行き過ぎの応援はいけませんがその試合の状態にあった応援は少々は考慮しても良いと私は思います。
<あとがき>
これは春季渋谷区剣道大会においての質問やコメントを私なりに考えて書きましたので、全てに当てはまるものではありません。
また不思議なことやまぎらわしく分からないことなどありましたら、私や審判長、コート主任の先生にお聞き下さい。一番身になるのは自分が質問をした事がとても心に残ります。また審判を行っている時他の先生から注意をしてもらったことは心に残ります。注意を受けるというのはただ審判技術が劣っているからだけではなく、そこを直せば『あなたはもっと良い審判になれる』と言う感覚で先生は注意をしてくれていると思います。本当に下手でセンスの無い審判には注意はしません。審判上達は剣道の上達と同じです。
ありがとうございました。
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特別稽古会
残暑お見舞申し上げます。
残暑厳しい9月を向かへ源流館も新しい気持ちで後半スタートをさせて頂きました。
皆様方も稽古に仕事に頑張っていることとお喜び申し上げます。
それにしてもまだまだ暑い日が続きますね。
源流館の道場は少し狭く、また真ん中に大きな柱が二本あり使い勝手はもう一つなのですが
そのかわり冷暖房完備と駅から近いという最大な利点もあります。
なにしろこの時期はクーラー無しで私は稽古が辛いです。 軟弱なものですみません。
でもやっぱり稽古に集中するならまず環境の良い所でと今の時代は考えても良いかも知れま
せんね。 そして稽古に集中して頑張り目標を実現にですね。
九月の特別稽古会も皆様の源流館愛のお力で多数の参加者を頂きました。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
そして今回は館長の七段合格のお祝い稽古も兼ねていましたので、参加者も道場で館長に
挨拶は『七段おめでとうございます』としていただき嬉しいです。
今月の稽古会は本当に素晴らしい心の絆の人たちで盛り上がり参加者も21人、総段位は
105段と最高記録更新ですね。 若手の七段も6人集まり元たちをして頂きました。
今の源流館は20年の歴史と共に剣道内容も稽古内容も速さや勝負ということだけではなく
『心触れ合う稽古』を先に行っています。
もちろん試合も真剣に取り組んでいますので皆なかなか強いですよ。
目標をもって何事も進むという事は楽しいだけではなく、辛いこともたくさんありますが、それが
剣道だと源流館は考えています。 ストレス解消や運動不足解消で剣道するのも決して悪い事
ではありませんが、源流館は仲間と心素直になって一緒に目標を持って歩むために汗を流す。
そんなことを考えるからちょっと辛いのかもしれませんね。
新しく入会希望者も見学や稽古に来ますが、心が共合わないと続かないみたいですね。
とはいうものの今の源流館の半分以上の稽古参加者はHPを見て参加し続けている人たちです。
特に剣道は『昇段』があります。
剣道の昇段することが最大の目的ではなくその道のりが真剣に取り組まなくてはならないし、
一人では決して到達できない! なによりあきらめたくなる心を皆で支える絆ですね。
信頼関係や友情が強いから源流館で稽古を続けると昇段できると思われるのかもしれません。
変った稽古はしていませんし地稽古だけですが、上位段の者がその人を見て感じた指導をし
親身になるから良い結果になると改めて思いました。
後期も頑張り、厳しく、楽しき目標に皆で共に歩いていこうと思っています。
月初めの稽古は連絡を頂ければ参加は自由ですが、道場の広さにも限界があり先にご連絡
頂けます事をお願い致します。
また入会希望者はいつでも結構ですので私にご連絡頂ければ幸いです。
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合格感謝
源流館の館長がこのたび福島にて七段合格をさせて頂きました。
源流館スタートから一緒で20年を経て二人共七段になれたことは本当に嬉しいというより、言葉には出来ないくらいの感動をしています。 気楽に汗を流す程度の気持ちではじめ、そして今は色々な仲間も増えより真剣にまた楽しく正しい剣道を目指し頑張った結果が今回の館長の七段合格と先生方や仲間や全ての人に感謝しています。 今の剣道昇段審査は四段からとても難しくなり特に六段以上は合格率も10%前後という難関となっています。不合格といっても珍しくなく、何回かの不合格がかえって本当の『力』になれるよう共に努力できたと思っています。 私も合格した時は一人の力ではここまでこられなかったと思いました。 館長の言葉に『剣道は二人でやっているとわかった』といった言葉に深さを感じました。 もちろん相手がいなければ剣道にならないのですが、打ち負かすだけが剣道でもないし、打たれないから強いわけでもない、試合は相手がもし全員欠席したとか、反則をして負けても優勝できますけど、それは剣道ではなく単なる試合結果だと思います。審査は普段の稽古をどんな気持ちでしているか、相手とどう時間を共有して竹刀を通して心を合わせられるかを普段からちゃんとしているかの積み重ねが昇段への近道だと思います。 よくいう『剣道に早道は無い。でも近道はある』私は運動神経も悪く、体も太っているから素早く遠くに飛べない、ましてもくもくと一人で防具を持って出稽古に行くような努力家でもない。 でも七段を頂いた時までの六段から七段までの七年間で色々なことを勉強させてもらえたから合格させてもらえたと感じました。 それは竹刀を振ることより前に剣道に対する考え方を変えるということ。 そしてそれが近道だと思った時は目標に達成できた時でしたね。 早道だと思ってやっていた事は気がつくと意外と遠回りしているのかもしれませんね。 また師匠について信じて稽古はしているけど今はあまり進んでいないのでは?もしかしたら上達していないんじゃないか?と考える時は意外と良い時なんですと言いたいです。 源流館は今試合を勝つことが何でも一番より、心を合わせ稽古し、そして試合も審査も共に良い道を皆と歩めたらと思っています。 でも、何かを求めてただ直向に歩むって剣道の稽古はちっとも楽しくないんですよね。 稽古しててもつまらないかもしれません。 それは普段の気持ちと違う気持ちで稽古に向かうからでしょうね。 本当に楽しくないはずです。 そんな源流館ですが五段以上の昇段は近道かもしれませんね。 苦労をして合格すると本当に感動も何倍も味わえますね。
本当に合格させていただける事は色々な人に素直に感謝ですね。
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仕事して打つ
久しぶりに日曜の朝剣道の子供たちと稽古をしてきた。
とっても朝から暑くて立っているだけでも汗が出る。
まして寝起きの体と心にはこの暑さの中防具をつけて剣道をするということは辛い。
私が子供の頃にお世話になり、少し前まで10年以上教えていた所だからこの子達の
だいたいの性格もわかっているし、技量もわかるから個々の辛さがまたわかる。
汗いっぱいかいた顔には辛いからやめたいと書いてある子やもっと試合的な稽古が
したいと書いてある子もいる。 大人だって色々な心をもって稽古に行くんだから
この幼い子供たちを見ていると色々なことを感じる。
それもまたこっちの稽古かもしれない。 体や技を見るだけでなく心を見るですね。
この道場は素振りや基本動作をとっても重要に行う。 だから防具を着けるように
なるとある子供たちは早く基本動作を止めて防具を着けて試合稽古をしたくなる
のかもしれない。 でも何もいわず信じるように素振りをしている姿は良いねと
心で思う。 大人でも基本打ち稽古は大切とわかっていてもなかなかいざやるとなる
と疲れるし、上手くいかず飽きてくるのが本音かもしれない。
そしてこの暑さの中よく頑張って稽古は終わった。
私はそんな子供たちと稽古をして最後に挨拶をした。 (ここでは少し短く書きます)
今の日本人は仕事をしていない人が多いという言葉を聞いたことがある。
皆はそれを聞いて『え、お父さんは仕事してるよ』と思うかもしれない。
私の言う『仕事』とは『事を仕込む』という意味なんだ。 生活のためだけにお金を
稼ぐのは『なりわい』という言い方に近い。人は生きなくてはいけないし、家族を養う
こともあるからそれは決して悪いことではないんだけど、本当の自分の地力みたいな
強さや真実の喜びを感じるならやっぱり『仕事』をしたほうが良い。 作物を作っている
お百姓さんがすぐに収穫をして収入を得たいから、種をまいて水をかけて出来た作物
を収穫し、またすぐに種をまく。こんなことをしていると土にも栄養は戻らないし、細くて
味の薄い外見だけの物しか取れない。 だからお百姓さんは一生懸命畑を耕し肥料を
心を込めて与え、じっくり休ませることもする。 そんな動作はすぐにはお金にはなら
ないし誰も見てないんだから適当にすれば良いという考えでは良いものが育たないこと
を知っているんだ。だから愛情込めて今を焦らず自分を信じて『仕事』をするんだよね。
君たちにとっての剣道も勉強も一緒のような気がする。 試合に勝ちたいから勝つ稽古
だけをすれば良い、自分の得意なことだけしたほうが強くなる。また今日は暑いから
休んで涼しい時にたくさんやれば良いとかでは心の辛抱が養われない。
すぐ強くなることは必ずしも間違ってはいないけど先生達と信頼し合って辛いことを共に
乗り越えていくことを味わうのもほんのわずかだけど地力になると思う。
試合にだけ強くなっても、必ずそれ以上強い人が出てくる。その時試合だけの剣道なら
『負けたから辞めた』という気になる。 剣道は道場という所で稽古するんだから、負け
てもまたそれを乗り越えて頑張る勇気と仲間を大切と感じる事の方が大切なんだよね。
だからそんな心を持てるよう今暑くて辛い基本動作でもきっといつかは太い幹となり、
立派な花が咲くことを信じて頑張ることだね。 もちろん試合に負けて良いということで
はなく基本打ちがしっかり出来れば試合には勝てる。 それは早道ではないけど近道
なんだよね。 勘違いして欲しくないのは無理をして稽古しなさいといっているんじゃなく
体調が悪くなったら暑いんだから早めにいった方が良い。 体は自分が一番知っている
のだからいい加減な気持ちでないなら休むことも稽古のうちです。
私も上の先生の技を見ていると簡単に打っている技がなんで決まるんだろう?と考える
先生は早く打っていないのに避けられない。 これもまた『仕事』なんだよね。
目先の速さに頼っても早さには限界がある。だから相手の気を感じその気を攻め勝ち、
中心を取り心の攻めをする。そして完全に相手がまいった状態になった所を打つ。
『勝って打つ』または『仕事をして打つ』となるから簡単そうに見える技も相対した時は
言葉に表せない気の厚い壁がそこにある。
と挨拶した。
少し小学生には難しい話でしたかもしれないけど最後まで目を見て聞いていた子供達
に伝わったと信じています。
簡単ではない剣道だから続けて面白いし、自分の考えが到達なんて出来ない。
それにしても暑い日の剣道は辛いです。
私は稽古後に皆で飲むビールが楽しみで稽古してるとも付け加えました。
あんまり良い先生ではないかな?
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渋谷区合同稽古会
渋谷区剣道連盟合同稽古会も最近では各道場のご協力や他区からも参加を頂き
とってもいい感じの稽古会になりました。
今年度より花房先生・松本先生・権田(私)が審判講習会・合同稽古会の担当役員
になり手探りながら一生懸命やっているという感じです。
まだまだ稽古に来ていただいている人にはご満足頂けないかもしれませんが、色々
と稽古内容を考えたり、元立ちの活性化やこなん剣道人とやりたいという元立ちに
来て頂けたり、相互の切磋琢磨的な周り稽古や基本打ちなど考えています。
6月の合同稽古会も雨で蒸し暑い中たくさんの稽古人が来て頂き感謝の心でいっぱい
です。 一番嬉しいのは稽古人が稽古に対して真剣だから稽古終了後の懇親会など
良いだけの感想ではなく稽古会の反省点や稽古内容の希望など言葉にしてくれる。
私はいつも思うのですが、何事も真剣だったらその行動についで色々なコメントや
評価があると思う。 決して悪い評価はダメではなく次に繋げられる希望をもてるから
提示してくれると私は思っています。
『失敗は成功の元』と言う言葉がありますが『注意は成功への序曲』と私は思っている。
だから色々な人が言葉をいつもかけてくれる時、『ありがとうございます』と言います。
言葉は体温のように温もりの暖かさがある。 人肌の言葉は愛があります。
今の合同稽古会は、はじめの30分は六段・七段が元立ちとなり稽古、15分は
自由稽古、のこり15分は希望者で六段以上と五段以下に分かれて回り稽古を
三回行うような感じで行っていますが、季節や人数によって多少かわります。
稽古会は色々な思いでやるから面白い。
試合に勝ちたい、昇段審査に合格したい、剣道の深みを知りたい、稽古で汗をかいて
懇親会で楽しく飲みたいなど色々あって、そのどれもすごく良いと思う。
私もこの人とは今日は試合モードでやりたいと思ったり、審査を控えている人とは
1分30秒の緊張のドラマを味わったり楽しいです。
先日の合同稽古会も六段以上の回り稽古でNTTのK君とやろうと決めていた。
別道場だから稽古はこんな時にしかできないし、とっても気持ちの合う人なので
早く昇段して欲しいとも思ったり、今の感じも触れてみたかった。
そして運良く空いていたのではじめにお願いをした。
稽古時間は3分だけど、七段審査は1分30秒だから充分な時間だ。
お互いに気合の満ちた礼で気を合わせる。
お互い何を一本目に打つか?ではなくどっちが先に中心をとり気持ちのまとまりを
相手にぶつけられるかだと感じた。
技の決まりは結果論であるからその前にどんな気当たりで勝てるかの方に全力が
注ぎ込まれる。 当てたいとか、表面だけの打ちなら当たっても(技が決まっても)
それはお互いに納得ではなく、ましては審査員(稽古ではいなくてもいると想定)
には何も響かない。
だから心一つにして迷わず真ん中を取り合い、そして道が見えた時それを信じて
潔く技に移る。 その切羽の位に味と深みと厚みを感じる。
でもお互いに今までやってきた剣道の自分の自信の壁があるからそんな簡単には
勝ちきれない。
そんな気持ちで構え攻めあっていると心地よい時間が流れていく。
美味しい料理を作りたいなら下ごしらえをしっかりすると言う料理人の言葉が納得
出来る気持ちになる。
そしてK君は気持ちがマックスに達した。
私も怯むことなくその攻めに攻め返す。
気が満ちているのにも関わらず無駄な力のない柔らかい剣先が一寸間に入る。
この攻めの方が早い技につながると先を取られて入るものの見切れた。
速さだけなら充分対応できる。
私はその剣先が通る面までの道を想定できたと思った。
でもそこで彼は差し面のような速さに頼らず、左拳を自分のあごの近くまで上げる
ように振り上げ(もちろん右手は自分の面の高さ以上にあがる)私はその大きさに
『しまった!』と思ったけどすでに遅かった。
そこから当てることより、切るという気持ちの面は私の気当たりを抑えようとしている
剣先が勝手に外れる。 表を攻めて表を打ちながら相手の裏の道に真っ直ぐ通る。
これは裏を想定しての外しではなく理想的な表の面である。
そしてその面技は私の面にしっかり乗っかった。
つくづく『先』の大切さを感じた一瞬でもあった。
剣道は簡単と思われることが一番難しく、技的に難しいとも思われるような事が意外
と簡単だったりする。
簡単な技というのは基本打ちなんだと思う。
初心者の頃から稽古でいっぱい真っ直ぐ面はしているのに試合や、審査では決まら
ない。 でも高段者の先生の稽古を拝見しているといとも簡単なようにスーッと入って
なにも無いように面を捉える。
見ているとどうしてあんな面が決まるのかと思うけど、いざ自分がお願いするとやはり
簡単に打たれてしまう。
これが剣道の計り知れない魔力なんだと思う。
勝って打つ!出来そうで出来ない。
打たれて気持ちの良い面と言うのは剣道だけではなく、良い味わいな決まりは真剣
な心の共有と思う。
勝てば良いんではなく、勝つ(技が決まる) その過程に意味があると思う。
剣道で実に清清しい気分とはこんな一瞬なのかもしれない。
これは私が七段だから余裕があるのではなく意味深い下ごしらえが心にビーーンと
感じたからだと思う。
そして縁を切らず終わった。
懇親会で彼と話した。
『良い面だったね、当てに来るのかと思ったら打ち切られてしまった』と言葉にする。
彼も納得していたけど恐縮しながら『初太刀にかけてました』と照れ笑い。
何十年も稽古してこの一本にかける思いで打たれたならこれまた嬉しい。
目先の結果重視の剣道も大切だし、道を歩むように『今を感じる』ことを出来るのも
剣道の素晴らしいことだと思った。
打ったから偉く、打たれたから弱いわけではない。
今を合わせられる心が剣道と信じている。
こんなことを感じられるのも合同稽古会の良いところと私は思っている。
渋谷区剣道連盟の合同稽古会は参加は自由ですので良かったら参加して下さい。
参加者にあえて制限をつけさせていただけるのなら、楽しんで剣道していただける
心のある剣道人とお願いを致します。
次回は7月16日日曜日1時30分より西原スポーツセンターで行います。
詳しくお聞きになりたい剣人の方は私にメールして頂ければ幸いです。
渋谷区剣道連盟合同稽古会は大勢の人に支えられ良い形となりつつあります。
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構えと心
構えをいじくると全てが変わってしまいいつも思うことは『やらなければ良かった』
と途中で少しへこむ。でもなんで少し変えようかと思うのか?
向上心という事も無いわけではないのですが、『より楽に真っ直ぐに相手に立ちたい』
と頭に浮かんだり、決まったことの無い『小手面』を打ちたいとか、『返し胴』を斜め
上から前で切るにはどうすればイメージどおりに出来るのかとか、いままで出来な
かったことを考えると自分がどこがそれを今まで出来なかったことは・・・、と考えると
やっぱり構えかな?と感じていじくってしまうのです。
他の人にはまるで変わっていないと思えるかもしれないのですが、自分ではかなり
気をつけてというより、変えようとしているがために心のバランス乱れてしまいます。
ま、飽きっぽい性格と何かしていないと稽古に身が入らないのかもしれませんね。
少し前まで『突き』にこだわって構えを考えていた時はポイントが前においていた
のでわりと充実感を感じながら進んでいたのですが、小手面は小手の時突っ込み
すぎると面打ちのとき『渡り』になってしまい、本来の小手で一本、面で一本という
感じにはならず、そうかといって私の過去の必殺技『小手から死んだ面』では心が
相手も自分でも納得の域にはならない。
ちなみに小手から死んだ面というのは、本気で下からもぐって小手を打ちに行く!
(これは唯一試合で計算できる小手) そして決まらなかったときに少し気を外し、
打ちに行くごまかしの面なんです。これは意外と旗は上がるんです。
でもこれはちゃんとした小手面ではなく体勢が死んだ状態から面に出るので、
気持ちの良い小手面ではないのです。似たような技に『突き面』が私にはあります。
これは私の出世技と言っても良いくらい試合で使いました。
ここで自分の得意技を披露するのは試合ではマイナスなので言わないのが良いと
思うのですが、もう試合も勝てなくなったというより、試合は今の自分を試すために
出るので勝ち負けというより、『今の自分は?』的感覚になったからでしょうね。
もっと言ってしまえばこれだけ試合に出ていると自分より相手の方が知っている!
ですね。いまでも初めてや知らない人には『突き面』は当たります。
内緒にしてくださいね。
色々なことを感じてやりたい技に出会うと構えを変えてしまうことはいけないこと
かも知れませんが、そんな時はあまり好きではない稽古が待ちどうしくなるのです。
生涯稽古しても行く道の見えない未知の『返し胴』を打ちたいとか、『タン、タン』と
音を外さない小手面を考え独自に考え構えを試行錯誤してみる。
そうして全体のバランスを一回悪くする。もちろん構えを変えると体の痛みの箇所が
変わってくるのです。数年前に何回も肉離れで痛めていた左足の脹脛を世田谷の
ダンディーT先生に足の幅の置き位置を教わり、それから見事痛みもなくなったのに
また構えを変え始めたら『痛い』と感じ、今やっていることは左足に負担をかけすぎ
ていると感じかえってへこむの心になる。
その微調整をしながら進めていく二ヶ月でようやくこんな感じかなと光が差してきた。
思い返すと『し』の構え(ここでも書きました)で考え、そして今また少し何かをつかみ、
自分のマイナスを感じ他の剣士を素晴らしいと感じながらできる剣道は限りがない
ですね。打ちにいく心を静め正しく構え気合は奥底に秘め、上体は突っ込まず、
打ちにいくと気は腰を出し右肘を引き込んで曲げるのではなく、左手首の入りで
押し上げる感覚で自然に押し出す振りかぶりの支点、力点、作用点の流れを
どう体で無理なく楽に行うかは、やっぱり構えの立ち姿だと思います。
ある先生の言葉に竹刀を持っている姿は『構え』ではなく『構える』です。
激しく打つ前、動きのある前なんだから形にとらわれて構えては『後』になる。
でも左手が動いてしまうのは心も動いているという。
実に難しすぎる。
日本語は難しい、まして剣道用語その何倍も難しい。
『避ける』はいけないけど、『さばく』は位を感じる。
構えをいじくるとその境目みたいなことが少し感じた。
私なりに思うと『避ける』はもうすでに『死んでいる』、『さばく』はその技を見据えて
次へのつながりの技への縁が切れていない。
それは言葉でわかってもやるのは難しい。
色々試してみることは絶対に良いことだと思うし、これからも私は他人にはわからず
構えをいじくってしまうけど、それを見据えてくれるのは師であり仲間だと思う。
技も心も、『縁』は切るものではなく『円』(お金ではく丸)のように角を作らず繋がって
いくもという心で構えを探して生きたい。
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上段と二刀は大好き!
私は上段や二刀と稽古や試合するのが大好きなんです。
負けても勝ってもなんか楽しいと感じるのです。
もっと言ってしまうと中段は嫌いです。
だいたいの稽古は中段ばかりなので私は稽古が嫌いなのです。
素晴らしい言いい訳だ!
なぜ私は上段や二刀の人たちと稽古や試合をすることが好きかと言えば、
相手は大きく構えているから下がらない(下がったらその時点でこっちの
勝ちと思うのです)、そして打ち込むときは打ち間から一拍子で下ろし
潔いいと感じるのです。
上段は『火の位』と誰しも思うのかも知れませんが、自分がやってみると
『なんかとても不安定で無防備な構え』と感じたのです。
だから上段や二刀の人は『どうだ!恐いだろ!』と思う前に、本心は
『間が恐い』とかぶっている方も思うのです。
一般的上段の攻略法は『足を止めず動き、右に回り、竹刀は中心に入れず、
常に上段を落ち着かせず下げさせようと攻める』と聞いたことがあります。
私はそれだから皆上段や二刀が嫌になっていくと感じるのです。
なぜかと言えば、そんなワンパターンな攻略法は相手は百も承知だし、
それって防御でもうすでに『自分は負けている証』だと思うのです。
だから私は右にも回りませんし、多少は動きますがちょこちょこと動きません。
打つ瞬間こそ隙が出来るのにその隙を動いては見極められないと感じるのです。
『打つなら打ってみろ』の感覚は中段が上段の人に対してめったにいないから、
相手はどうして『この人は動かない?』と思い自信安危になると思うのです。
(いつもと違う所にいると落ち着かないのと同じですね)以前千葉の安房高校
で合宿をした時、とても素晴らしい上段の先生がいたのですがその先生と
稽古をお願いしましたら、稽古後私に『こんな人と初めて稽古しました』
『全然打てません』(もちろんかなり私は打たれました)その人は安房高校の
コーチをしているほどの人で全日本も出たことある人でした。
そしてその先生は『私は上段を教えることは出来ますが、上段に対しての
攻めや勝ち方はわからないので、明日の稽古で高校生に教えてもらえませんか』
と言われましたが、私は宴会でたくさん飲むので二日酔いは間違いないので
『教えるなんておくがましいし、まともに朝は起きられません』と
丁重にお断りをしました。
その先生と呑みながら話したのですが、『私は上段を目で捉えるとその場所には
その打つ場所がなく、見えない、見えていない所に宝がある』と言ったのです。
源流館にも最近二刀の剣人が来て稽古してくれるのですが一回目で打ちました。
私にその人は今までのない攻め方でなかなか打ち切れないといわれました。
上段に対しての小手打ちは前にある左小手を攻め、遠い右の小手で決める。
前に出ている小手は打てそう!それは釣りで言う『こませ』に過ぎずそれを
本気で打ったら透かされて抜き面を打たれるのが関の山です。
ちっょと聞いたことがある『猫の手』の抜きですね。
左手の小手を打つ時はその小手の引いた所を想定して打つ!
打つ機会としては上段に上げた瞬間が大チャンスです。
応じ技の狙い目としては片手で下ろした面に対して竹刀で受けるまでは
体制は正面でいて、応じて打つ時に体を左に開き面を打つ!
左片手で打つのですから右手は無いので裏筋に道があります。普通は面を
応じて体を右に移動しつつ表からすり上げ、切り落とすのが定番です。
だからそっちの空間は上段にとってはとっても注意をしています。
そんな所を打っても当たる訳がありません。
その裏筋を応じて打つ時はすぐには打たず、半呼吸置いて打つ!
(0.3秒位の間かな)
その技を打つ時は待っているのではなく、その機会を作るまで切羽の間で
動かず、気遅れせず気で攻める。
生意気ですが形で真似をすると完全に打たれます。
目で見えぬ間の攻防ですね。
二刀なら前にある小太刀の小手を攻める、攻めきった時に上にある小手を打つ
気で突きに行く、入りから下の小手を攻め、竹刀を動かす瞬間まで
自分自身にも嘘をつくかのごとく上の小手を狙い、その起動から上から喉に
突き刺す感じで『下に突く!』(打つ)です。
また二刀は打つとき小太刀でこちらの竹刀を押さえ、面に出る!
中段との稽古ではないから大体の人は下がって避けるしか考えないと
思うのです。
もう少しできる人はそれを待ち構え、来た面に対して、竹刀で避け『面返し面』
技に行く!でもその時は小太刀で面は避けている。
それは二刀は完璧に読んでます。
だから私は構えている時はしっかり構えているようですが、右手の手首は
柔らかくしておき、相手が小太刀で押さえた時、相手の力を利用しすり抜ける
ように同時に面に行く。やはりすぐ打つのではなく三分の一拍おき
(何ですぐに行かないかと言えば、それでは相手は面を打たないから、その気
にさせるために三分の一拍が良いのです。半拍では遅すぎて面に乗られます)
そして怯まず面に行きます。
それでは良くてもお互いの竹刀がぶつかり決まらないと思うかもしれませんが、
それは目で見えているものを考えるからです。
意外とど真ん中って開いているものです。
サッカーでシュートを蹴る時、マークを抜いてゴールキーパーと一対一の時
最後は意外とそのキーパーの股の下を抜くのです。
目で見てしまえばそんな体の真下なんて通る訳がないと思うのです。
それは避けられる方もまさかここは狙ってこず、横に蹴ると言うセオリーが
邪魔をするのです。
誰もしない隙間にいっぱい宝は落ちているのですね。
まぁ、私の場合性格がひねくれているから、いつも物を見るとき別な角度から
見ようとしているからかもしれませんね。
また上段に対して中段に打つような『小手面』を打つと意外と面に当たります。
相手は上段ですから中段の位置に小手はないのにどうして無い小手を打つか?
心理の応用です。
上段はすぐに上げているわけではなく、はじめは中段だったのです、
だから上に構えても心のどこかに中段の小手があり、その無い小手なのに
打たれると本能が一瞬ぶれるのです。そして心の片隅で『あ』と感じる一瞬
『居つく』の形になり、そしてかぶっている上段だから面は自然体でも
打たれないと思っているのに、上段は怯んだ心が尾を引き一瞬左小手を
狙っているのか?と勝手に思うから構えが引く(竹刀が避けるため上にあがる)
その時今まで隠れていた面がノーマークのように現れる。これほど上段に対して
屈辱的な技はありません。
心が座っていれば、構えを変えずにしたら面を打たれることもないし、
そんな『小手面』の小手の時面を打てば大当たりになります。
でも『まさか』こんな『小手面』を打つやつはいないし、
あまりに堂々としている変な自信に少し考えてしまって反応できないのです。
人生には三つの坂がある『上り坂』『下り坂』そして想定外な『まさか』!
これが一番厄介なんですね。
なんか少し方向が違ってきましたが、機会があれば一度試してみて下さい。
試合の大切な場面では危険すぎるのでまずは稽古のときに試してみて下さい。
上段に対しての突きは片手、二刀に対しての突きは諸手と私は考えています。
突きは突くのではなく、上から下に打つ!これは体の大きさから出るのではなく
身長関係なく面の位置から喉に向け打ち抜く感覚ですね。
またまた自慢になりますが上段、二刀が好きだから色々と考えると面白いのです。
『好きこそものの上手なり』なんでしょうね。
嫌なものを嫌うと相手の上段や二刀の思う壺!上手く付き合う感覚と変わった
問題がきたな!自分なりな方程式を作って解く!
これが嫌いにならない秘訣だと思います。
とは言うものの上段からの小手はしびれるほど痛いですね。
上段も二刀も特別な構えではなく立派な構えですし、
心の当たるところは同じですね。
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渋谷区審判講習会
4月2日に行われました渋谷区審判講習会の初講師をしてきました。
審判規則や所作など完璧に把握しているわけではない私が講師をするのは
本来申し訳ないと思ったのですが、自分にとっても勉強だし、参加している人たちと
ともに作り上げていくことも渋谷区の仲間という感じらしくやらせてもらいました。
楽しく話すことは好きなのですが、人の前で講師としてや進行役として話すことは
本来苦手と思っていましたので、ミスをしないようにとか、聞いている人に飽きられ
ないようにとか、少しでも参加して良かったと思ってもらえるよう一生懸命頑張りました。
初めてだから参加者は少なくてもかまわないと思っていたので他の道場の先生方に
負担をかけては申し訳ないと思い強くは声をかけなかったのですが、私のことを
心配して頂き、色々な道場から参加をしていただきました。
お礼を言葉では表せないほど感謝の気持ちでいっぱいです。
人の愛情と繋がりの大切さをしっかり感じました。
所々間違えながらも一生懸命やった実感は私自身が最後まで自信を持って出来た
ことで満足しています。
『審判は自信を持って行いましょう』といっている私だから自信をなくしてはダメだと
何回も自分に言いかせ頑張れたような気がします。
皆の前で話していると緊張で何度か胃の辺りが『キュッ』と痛くなりかけたとき昔の
秘書時代のことが浮かびました。
先輩秘書が『人の前で挨拶をする時は誰でも緊張するんだから、上手くやろうと思う前
に呼吸を大きくして一生懸命やる心だけあれば人は聞いてくれる。』
『内容で感動させるなんてなかなかできるものではないから、やる気で感動させなさい』
渋谷区の仲間に支えられて講習会を無事に終了できた時、一番この中で勉強させて
もらえたのは私なんだと思いました。
心配をして来てくれた渋谷区剣道連盟の新会長をはじめ七段の先生方が色々と
補助のように(細々とした裏方のような事をしてくれました)愛情てんこ盛りな講習会に
なれたことは皆さんのおかげと思っています。
限られた時間の中で初段から六段の先生までが一緒の気持ちで出来ることを考え
『審判同志の試合』形式をとりました。
今回の講習会の私の狙いの中に『連盟の中の親睦』『自信』『姿の美しさ』を一番に
考えていました。
初めて会う人たちがこの講習会に来て、最後は少し気軽に話せられるようになれば
嬉しいと考えたからです。
審判ですので有効打突を的確に判定することは最重要ですが、その前に仲間として
同じ時間を共有して楽しく語り合い勉強して、またこの会に参加したいと思える心を
持っていただければ初めの一歩としては成功じゃないかと思いました。
他の道場の人たちが顔を合わせる機会はどうしても区大会みたいな試合の時になり
どちらかといえば『敵』なようなイメージになりかねなくなるので、時には笑顔で話す
場面も大切と思いました。
そんなことを察して皆様の協力で終わり頃はとっても和やかな雰囲気に慣れたと
思いました。
『有効打突』よりこの場は『友好打突』になれました。
合同稽古会もたくさんの人が集まり盛大に出来たことも嬉しいです。
そして反省会&懇親会もいつも以上に参加者も多く、色々とお話しや質問も頂き
心から最高に美味しいお酒を飲ませてもらえ幸せでした。
次回も色々と考え皆様と共に楽しく、ためになれるような審判講習会を行いたいです。
本当にありがとうございました。
勉強不足で間違えてしまったことや言い足りなかったことを自分の宿題として
次回までには調べて頑張ろうと思います。
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| 新年源流館稽古
昨年中は大変皆様にはお世話になりました。
元気で楽しく厳しく盛り上がりながら年越しを出来ましたのも暖かい心の
皆様のおかげと心より御礼申し上げます。
今年も今までどおり源流館に愛情を注いで頂けたら幸いです。
今年もHPにて色々なことを書いて皆様と心をつなげていけたら嬉しいと
思っています。
先日の稽古会に参加いただいた稽古人との記念撮影をしました。
今年もよろしくお願い致します。
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題字の源流館
道場の顔とも言えるHPの題字『源流館』をインターネット上で書いて頂ける
ことを知り、一般には使えない個人的な文字なので無理かな?
と思ったのですが頼んでみましたら快く書いて頂けました。
本当に嬉しく感謝の気持ちでいっぱいです。
メールで見ず知らずの人のお願いを快く受け止めて、またこんなにも良い字を
書いて送っていただき本当に暖かい心に触れた思いになりました。
剣道を通して人の優しさやありがたさや感動を感じてきましたが、また別な角度から
と言うよりも同じ道(書道も道)からまた感動を頂きました。
プロの書く筆字はやっぱり違いますね。
『仲間でやっている剣道の道場なのでよろしくお願い致します』とだけしか書いて
いないのに、この『源流館』の字を見ていると何か今の源流館を知っているかの
ような、全体に安定感がありながら動きのある激しさを含めたような躍動感もある。
本当に満足のいく字で嬉しいです。
皆様もこのサイトに行かれて字を見ていると興味がわいてきますよ。
書いて頂いた大熊肇先生に感謝しています。
http://www.tonan.jp/wowhaus/free/
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審判講習会を今度することになり自分なりに
今まで思ったことを考えつつ講習会の皆様に伝えて
行きたいと思いこんなことを書きました。
色々とあるのですが自分なりに気付いたことを
10個にまとめました。
権田流剣道審判の心構え
1.姿勢を正しくする。
試合場に入る前から背筋を伸ばし、歩いて移動する時から心がける。
審判は試合者の有効打突の判定をするのはもちろんですが、試合の
中でも大変重要なポジションでもあり、他の人からも見られていると
いう意識を持ち、振舞うことがより試合が盛り上がると思います。
特に試合者の応援者は判定にも過敏に反応するので、毅然としている。
審判はまず姿勢が正しくないと正しい審判も出来ない。
2.足を使う。
審判はだいたい三人で行うので、試合者を囲むように三角形の形を
イメージして行う。 試合者は動いている状態が多くその動きに
対して適切かつ見やすい位置への俊敏な移動を心がける。 その時の
足はすり足で移動し、その場に着いた時はかかとを揃え背筋を伸ばす。
3.空気を読む。
試合は一回戦から決勝まであり、また子供・女性・一般など色々あり
その場面に合った有効打突があると思う。 一回戦からあまり厳しい
判定では旗が上がらず試合が長くなる。 また決勝戦で軽い技を上げて
しまっては試合者の技術向上にもならず、見ている人たちも納得しない。
その場面に合った空気を読み取れることも大切です。
また子供の試合などで、相手の技を抜いたり、応じるような技を評価
することは悪いことではないのですが、それ以上に前に出て打った
技を評価してあげた方が、子供達の伸び伸びした技にもつながるし、
勢いも出るし何より子供達の成長にもいいと思います。
また鍔ぜり合いからの引き技も積極的に評価してあげたい。
4.大きな声を出す。
試合場は同時に何試合も行うので主審になった時は『はじめ』『やめ』
または決まった技『面あり』など試合者にはもちろんのことですが、
見ている人にも聞こえるような大きな声を出す。
大きな声は姿勢が良くないと出ません。
5.試合は良くも悪くも審判で決まる。
試合者がいくら良い技を打っても旗が上がらなかったり、あきらかに
反則をしているのに取らなかったり、鍔ぜり合いが長いのをそのまま
にしたりなど試合の流れがスムーズでないことは審判の責任と感じる。
試合をただ見据えるのではなく試合を作るような責任的心があって
良いと思う。
6.他の審判員を見る。
正式な試合の時の審判員は真剣に行うから参考になる。
審判の動き旗の上げるタイミング、声の出し方などとても勉強になる。
自分が審判でない時ほど見ていると色々なことがわかる。
7.判定を間違えたとしてもくよくよしない。
試合中片方の人の技を上げそこねたから、相手側の良い技も旗を上げないで
バランスを取ろうとはしない。 それは意味が試合者ではなく自分だけの
処理になってしまうから。 ようするに試合続行中なのに自分のミスを
心で引きずってしまうと試合者本人の適切な対応が出来ず、審判本来の
動きも悪くなる。 間違いや、勘違いは誰しもあるし、審判は三人で
行っていることなので自分のミスを過剰に感じすぎない。
素直に反省することは大切だし、審判終了後そのミスを治すよう勉強・
稽古することは次回への審判技術の向上につながり大変良い事だと思います。
そして日々の剣道でも審判的感覚を持って稽古することは絶対に大切だと思います。
失敗したからといって自分は審判に向いていないだとか、試合者に悪いことを
してしまったと暗くマイナス思考にならず、そのようなことをしないために
審判稽古をすれば必ず上達します。 これは間違えてもいいというのではなく
凛とした姿、同じような間違えはしないという研究心でいれば正しい姿に表れる。
えこひいきでなければ間違いを恐れることは無い。
8.鏡などで自分の旗上げ姿を見る。
道場などにある大きな鏡で旗を持って声を出しながら旗を上げてみる。
手の上げる角度や、肘がちゃんと伸びているか、声と同時に旗が上がってい
るかなど自分の目で感じる。 声を出して旗を上げてほしいのは本番の気分
になってほしいからです。 もっといいのはビデオに撮って自分で見たり、
信頼できる先生と一緒に見てもらい解説して頂く。
ビデオはとってもいい先生です。
9.審判講習会では質問してみよう。
何事においてもそうですが質問をするって躊躇するのが当たり前ですまた
『いまさら聞けない』『こんなこと聞いたら恥ずかしい』とかではなく
渋谷区主催の講習会というのは仲間で行っているのですから、遠慮なく
質問をしてみましょう。 もっと言ってしまえば質問はその会に参加
している自分の興味の強さを表します。 わからないこと、知らない
ことは恥ずかしいことではありません。 それを聞くことのために
講習会を開いているのです。 聞く勇気、手を上げる度胸、そして
真剣だから自分の質問のことは一生忘れません。
私の講習会の時は質問大歓迎です。私もわからないこともあります
がそれは必ず次回の講習会までには調べておきます。 お互いに勉強。
10.自分の審判に自信を持つ。
はじめから自信を持って審判など出来ませんが、やはり審判をするという
ことは試合者への公平な結果を見極めるのですから、毅然とした姿、
前に述べたようなことを頭に置き講習会や自分の道場内の試合審判や
区大会などに積極的に参加して自信の裏付け養いましょう。
<あとがき>
私が今まで剣道を通し、審判をして感じたことを書きましたが、当たり前な
内容ですし、今更ながらと思われたかもしれませんが、改めて確認をしながら
初心にかえり審判している時、とっても爽やかで体の線が綺麗になります。
道場にお戻りになりましたら、小、中学生に審判をさせて教えてあげて下さい。
教わるより、教える時の方が自分の向上につながります。
人に教えるということは不思議ですが緊張感の度合いが違い、知らず知らずに口に出して言った事が自分の脳の中に入ります。 本当に身になります。
真剣に書きましたが、これは権田流審判の心構えのコメントですので全てが正しく、どんな状況にも当てはまるものではございません。
自分なりにご理解をして頂き、正しい審判法を身につけ、そして次の人たちにへのやる気と成長の手助けのために審判をしていきましょう。
ありがとうございました。
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久しぶりの稽古
久しぶりの剣道とはいっても三週間ぶりなのですが、やはり新鮮に感じる。
そして体は思うように動かない。心と体、打とうとする心、打たれまいと
する心、避けようとする本能が一番初めに現れる。おかしな言い方かも
知れないけど、試合ならそんなことは最大な問題ではなく、自分が打って、
相手に打たれなければ少々手と足が合わなくても結果が良ければマイナス点
も隠れる。優先順位の差ですね。でも、今は私の稽古の目標は打つことより、
打たれ方にとても興味を持って取り組んでいる。それは相手に打たせるとは
まるで違う感じで、ただ打たせるなら誰でも出来る。でも、実際にやって
みると本当にそれさえも出来ない。それは防御本能が考えと違うところで
動くからです。もし良かったら日頃の稽古でやってみて下さい。地稽古で
相手の攻めに対して一回も下がらず、相手の打ってきた技を避けない。
一時間の稽古なら10人くらいできると思いますが、自分より段が下の人や、
子供たちから、上は師匠のような人全てに下がらず避けない心でいられるか。
もちろん自分は何もしないのではなく気合を満ち溢れ、良い機会があれば
先をかけて打ち込み。また避けないということは何も反応しないということ
ではなく、応じ返し技は素晴らしい技なのでどんどん打つ!要するに相手の
技を避けっぱなしにしない。相手のフェイント技みたいなかつぎ小手に心を
動かさないですね。その気持ちを持って一時間というより、例えば一人だけ
でもやっている姿をビデオにとって見るといかに無意識のうちに下がり、
相手の技を避けているのにごまかそうとしている姿がわかる。この稽古は
本当につまらないので、やりたくないと感じます。だって相手を打って喜びを
少しでも感じたいから。稽古で打ったら上の人からも上手くなったね、
強くなったねと言ってもらえるのではと思うから。昔の私はそれでした。
師匠から『権田の剣道は見ている人を意識しすぎている』試合中心だった
から稽古でも相手を打たないと自分が弱いと思われると感じていました。
そしてまた違う先生が『権田君は強いね。でもあなたの剣道は今『殺人剣』
になっている。そのうちわかる時が来るかもしれないけど『活人剣』になる時
にまた修行だね』と言葉を頂いた。その時は打つ技全部が当たった記憶がある。
でもその先生を弱いとは思っていなかったから、真剣にその言葉を今でも
覚えているのかもしれない。私は若い時はそれでいいと思うし、そのくらいな
心でいないければ剣道の激しさも勢いもなく、格闘技的な心も剣道には大切だ
と感じている。そうはいっても速さだけで勝てないのが剣道なんですよね。
だから今は相手に打つことより、勝つことより、相手と心を合わせること
から始まった。
また、そんな気持ちになったのは六段を目指している時に師匠から
『そんな当てっこ剣道していたらいつまでたっても合格しない』と言われた
からかも知れない。ある意味自分では大改造に取り組んだ。と言うより
取り組まされたと言った方が正解ですね。まず心を試合の心から直した。
本能のおもむくままに剣道をしない。全て師匠の言葉にしか心を動かさず、
出稽古に行って色々な言葉を頂いても心を動かさず今はこれで良い、と信じて
打たれても良いからその道を進んでいく。これは強情やかたくなにと言う
のではなく、感謝の気持ちで稽古は頂きでも求めるものは揺るがないですね。
また試合もあまり出ないようにした。試合に行けばやはり本能が前面に出る。
そんなことが七年も毎週続いた。
剣道を楽しむなんてものではなく、週一回の稽古が近づくにつれ心まで
暗くなり、何か都合をつけて休みたいと思っていた。気晴らしで再開した
剣道なのにどこでこんなことになってしまったのか?本気で悩んだ。
でもそのおかげで37歳の時に七段合格という目標も達成できた。
もちろん七段は夢見たいに嬉しかったけど、それ以上に今は心を合わせる事の
大切さを感じられたことのほうが素晴らしい宝に思える。今は稽古では元立ち
の場面が多くなったけど、まず相手と心を合わせようとする。でも、
どうしても合わせると思えば相手は外そうとする。
かかる人に聞いたことがある。『何で私と稽古するとそんなに下がるの?』
そうすると皆同じように『間が合うと打たれそうで怖いんです』当たり前
なんですよね、私は打つために気を張って、じりっじりっと間の攻防を楽しみ
ながら間を詰めているんだから怖いのかもしれません。でもそこで下がったら
何もなくなってしまう。頑張る勇気と力を試せる時なのに。ある時テレビの
収録でスマップの木村拓哉君と稽古をした時も、スタッフから
『木村君からやりたいと言っていますので、お願いします』とふくむように
言われた。そのスタッフは良い感じで打たせて下さいという目線でした。
私も何かを察知し気合は入れても、打つことはしないで打たせようと思った。
そして攻めの間に入った。1分くらい何も打たずじりっじりっと間をつめる。
心の中では『もう打ってきて良いんですよ』と思っていた。でもやっぱり距離を
感じ下がるんです。でもその下がり方がただ逃げているんじゃなく、自分の
気の高ぶりを投げかけようとしている。それがわかるから気では負けないと
また気を乗せる。打たれても良いと思えば思うほど気は充実していくのに
体の力は抜けていくのがわかった。完全に私は出来上がってしまった。
本能が喜んでいるのです。そして木村君が機会をとらえて面に出た瞬間、
私も面に出た。『バコーーン』と良い響きと共に私の面が当たってしまった。
と言うより『打った!』と満足の実感さえ感じてしまった。
そばで見ていた娘が『お父さん本気で打ったね』とあとから言葉にする。
これは私が強いとかではなく、木村君が最後に私に合わせたんです。3秒後
『やっちゃった』と思ったけど、木村君は『もう一本お願いします』と
言ってきた。100人近いスタッフは収録の準備で待っているのに二人だけは
心が合ったことに満足してた。そしてもう一本はじまった。
今度は木村君下がらない。そして木村君は私が動こうとしたところを面に出た。
そして見事に打たれた。気持ちよかった。面越しに目が満足そうだった。
私は打たせたんじゃなく打たれた。そんな一本が今は好きなんですね。
だから、何でも良いから打つことが嬉しいならどうぞ打ってくださいと思う。
剣先の3cmにドラマと気合の勝ちと価値を感じ楽しみたい。でも下がらず、
動かず、打たれる稽古は楽しい稽古ではありません。勝つ剣道なら一年間で
出来るかもしれませんが、合わせる剣道は十年かかっても形になるかどうか
ですね、完成に近いと思えることは一生かかっても私には無理かもしれません。
だから続けているんでしょうね。
『剣道は一日にして成らず』
でもその一日をしないとなにも進まない。
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特別稽古会
恒例の月初め特別稽古会が行われ源流の仲間や世田谷区の剣友が
参加してくれとっても楽しく稽古をすることが出来ました。
仕事を持ちながらの稽古だから本当に時間を探して来てくれる皆様に
本当に感謝しています
私は自営業だから何とかやりくりも出来ますが、勤務体系の方々は
稽古内容より稽古に行くことだけでもかなりな力を使いますね。
源流館の仲間も色々と昇段審査を控え、稽古もより熱くなっているように
感じています。
剣道には段というものがあるからより真剣にまっすぐな心で稽古できると
思っています。
私は段が上だからなんでもかんでも素晴らしいとは思っていません。
その目標に向かって正しく歩む姿がいいと思います。
なんでもですが一人では何も出来ず、助けられたり、励ましあったり
しながらやるから楽しいんですよね。
仲間って何よりもいいものですね。
皆様も遠慮なく稽古に来て下さいね。
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打たれてみろ
こんな言葉をどう感じますか
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イメージの剣
剣道は言葉で言い尽くせないことがいっぱいあり師匠の姿や上手な人の
剣道をお手本にしたり、イメージトレーニングは大切なことだと思う。
一回一回の稽古でもなかなか同じような面を相手に打ち込むことはなかなか難しいですね。
だから剣道には限りがなく大変だけど辞められないものかもしれない。
私も稽古では色々なイメージを頭に浮かべ取り組んでいるがなかなか上手くはいきませんね。
今稽古の時構えと一足一刀にこだわった稽古を心がけています。
構えで私なりにイメージしたのは、カタカナの『レ』の構えではなく、ひらがなの『し』の構えと描きました。
何のイメージと思われるかもしれませんが、字の形が横から見た構えと見えたんです。
カタカナの『レ』を構えの横姿にたとえると、背筋はピンとして竹刀もしっかり握り、きりっとした感じで悪くはないのですが、打ったあとの余韻や残心などより、有効打突を点で決めるように感じるのです。試合では適していると思うのですが稽古や先の長い剣道人生には全体的な柔らかさやしなやかにかけ、応じ技とかまた構えのゆとりを考えると、ひらがなの『し』のように背筋はしっかりしているけど腰の辺りに少し丸み(これはどっしりという感じの方が適切かも)がありそれは姿勢が悪いとかではなくゆとりのように感じる。
そして竹刀を一度下までいった所で柔らかく丸みを持った感じに見えるのだけどじっと見ていると、下から手首を利かせ喉に向かって流れ突き込むようにも感じてくる。柔らかさの中に隙を許さない日本人としての魂とも感じてくる
先日の源流舘の稽古のことを書きます。
朝起きたときからストレッチなんかして剣道に備えて、今週から子供達は来なくなったので少し稽古前に時間があり重い木刀の素振りを300回をし少し重めな39の竹刀を使いこなそうと準備しました。
特に久しぶりに後輩の七段のK氏とやろうと思ってた。
長い付き合いだけに何かをしようとする時には剣道でも他の事でも、良きアドバイザーにもなってくれる。
その前に教え子のY君との稽古は不思議なくらい良い感じでできたと言うか、良い弟子は私に合わせた稽古をいつもしてくれている。
いつもはそれでもなかなか打てない。
打たしてくれているのに打てないものです。
飲み会で師匠にそのY君との稽古のことを言われ少し嬉しかった。
打ったことを褒められたことではなく良い感じの稽古の雰囲気みたいなことを言われたことが嬉しかった。
次に私は師匠に稽古をお願いした。
私は師匠の面にちょっとかすったのがありはしたものの師匠からは何回も頭の芯を打たれた。
でも、下がること避けることはしなかったし、少し考えていた心で出来たことだけでも私的には良い点数をつけてあげたい。
K君との稽古は三つに分けて感じた。
何かを察したかのごとく私に対しK君は真っ直ぐ面に出る、とっても返し胴を打ちやすいような面にまず感謝。なかなかできる芸当ではない。
次に私をうならしたのは、今日の私の課題は二足一刀ではなくなるべく少しでも多く一足一刀で打とうと思った。
それをするには竹刀の握りを強く持ち過ぎて構えると上体に力が入り伸びのある面にはならない、だから打つ心の構えが出来た時、僅かに手元を少し軽くした。
でも相手にはわからないように、またわかったとしても対応する瞬時の心も持っている。
でもそんな一瞬の中の一瞬を読まれ、心の中で行こうか!と思った時、K君に裏からまかれ竹刀が手から離れた。
それは決して決して力ずくで巻いたのではない。
心の出鼻を巻き込まれた感じだった。
そしてこの稽古の『最後の一振り』にかけた。
稽古は何分やるなんて決まっていない、そう納得の一本をどっちが打つかで幕が下りる。
同じ段位だったり又はかけ離れたり段位だったり、それは年齢・性別・体格も全てばらばらだけど一つだけ一緒になれる所がある。
それは心だと思う。
試合はどうその心を外すか、もっと言えば合ったふりをどうするかだと思う。
稽古で潔く心をどう合わすか、そしてその切羽詰った空間をどう感じるかで満足度の高い幕を下ろすかだと思う。
それは打った方が良くて打たれた方がダメではなくその共有の時間が良い。
私は『最後の一振り』に思いを込めて今日できる、今日したかったことの思いで構え気合を出した。
そして攻めも満足に近いような思いでそこにいた。
そしてじりじりっと間に身を投じ、相気を楽しむ。
動の前の静。外観からは『動かざるは山の如し』と化し、少し大げさだけど呼吸が止まっているのかと思うほどだ。
K君の剣先は全てを見透かしたかのごとく中心を取ろうとする私の剣先を添えるように、時には抑えるように力を入れず気持ちの置き所を一定にさせてくれない。
これがいつも彼が言う、剣先から一寸入るまでの間の攻防の味わいなのかもしれない。 試合はそこは一番感じてはいけない所だ。 そこにとらわれるから試合では『居つく』と言う現象になる。 でも、稽古はそこが一番大切『勝って、打つ!』の勝つところだから。
練りあえば練りあうほど竹刀を握る手に力が入る。 前半のやり取りの中にお互いに良い所、そうではなかった所が頭に浮かぶ。 良い打ちの時は『何かをしてから打とう』とか『相手の動きや攻めを勝手な予測したり』と余計なことを考えていなかった。
だから一足で打つ面だけに集中し構えも自分なりに考えた、カタカナの『レ』の構えじゃなく、ひらがなの『し』の構えに心をまとめた。
そしてその形に入ったと感じた。
そしてもうあと心の距離が2mm位攻めたら打てる!と感じたその一瞬、K君は迷わず面に来た。
私もその切羽の位に身をゆだねているのだからいつでも打つ状態でもある。 その同時にも見えるけど微かに遅れた面を私も打ちに行く。 竹刀が真ん中でぶつかると思いきやお互いの面に竹刀が乗っている。 それもかすったのではなくお互いの面は芯を食った良い響きとなり、余韻、残心とも湖面の波紋のように広がった。
私は『やられた』と思ったけど、先に構えの主導権は私にあったからそれで良いとも思った。
でも、K君は『今のは先輩の面です』とも言ってくれた。さすが先輩思いだ。大学時代に『タンスにゴン』と俺に言って追い掛け回されていた後輩とは思えない気配りだ。
でももうその時はどっちの打ちが良いかという次元より、よくこの形になりお互いに面に行けたかの方が意味深く『相気』になれたことに少し良い意味の潔さを感じた。
年に何回かしか出来ない面だと思った。
イメージを現実に出来るほどの技量は持ち合わせていないけど、近づこうとする心はこれからも持ち続けて行こうと思った稽古だった。
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見る角度
剣道とかかわり34年、そして少年剣道と係わり16年が過ぎた。
まだまだ顧みるほど剣道暦は無いけどふと気がつくとなんで剣道している
んだろうなぁと頭に思い浮かぶ時がある。
今日初心者の女の子を指導していてそのことがまた頭の中に現れた。
この子達はまだ剣道のことなどわかっていないけど、なにか興味があった
のか、または親が導いたのかわからないけどちょこんと私の前に座ってる。
小学校低学年の女の子が見ず知らずのこんなデカイ親父を目の前にして
キラキラした目をしている。私は聞いてみた『剣道は好き?』一人の子は
『わからないけど、なんか面白そうだし、本当は朝が早いから日曜は寝て
いたいんだけど、起きていく事も良いことかもしれないと思って来てます』
その言葉を聞いて体に少し電気が走った。最近感じたぎっくり腰のような
痛みが体に走る電流とは違う。
誰しも持っている言葉かも知れないし、子供だけではなく大人もこんなこと
を思っている時もあると感じた。
この低学年の女の子の一言は素直で嬉しかった。
国語の先生や剣道大好き先生なら少しがっかりするのかもしれないけど、
私は妙に共感をしてしまった。その子は決して剣道自体は大好きではない
みたいだけど何か剣道というものに隠された意味をこの歳で少し感じたの
かもしれない。
3月の朝は寒い、まして裸足で床の上に立ってる。
家では絶対しない正座や座礼や背筋を伸ばす姿、どれ一つとっても
この子たちには苦痛の材料しか感じられないし、まして竹刀を持って蹲踞
なんて日常ではまるで無い形だ。
トイレが洋式になり日本人も膝の関節の使い方や筋が固くなったといわれ
ているだけにこの蹲踞という動作がかなりの難問だと思う。
それがどの位辛いことかを証明するのは剣道をやらない父兄にしてもらうと
大半の人はグラグラするか手をついてしまう。剣道はこの蹲踞ができないと
まず話にならない。
この子達はそれなりに頑張ろうとしてやっている。
こんな時『けなげ』と言う言葉を使うと思った。
私の言葉にも幼いながら一生懸命聞き入れようと頑張っている。
30分間教えて感じたことはこの子達は剣道を少しは好きになろうとしている
真剣に教えている私の心をわかってくれているみたいに、ずっと私の目を
見てくれている。初対面の私なのにこの子達は素直な心でそこにいる。
親が良い育て方をしてきたんだとも感じた。
今の心を忘れてほしくない、でもきっと本気で剣道を嫌いになることもある
と思うし、最高に幸せと感じる時もあると思う。
まだ防具をつけていないから打たれた痛みが体に残ると
一度目の『剣道大嫌い!』の波が来る。
剣道に限らず求めていけば必ずスランプや辞めたくなる壁にぶち当たる。
好きなものだったのに見ることさえも嫌いになることもある。
私は富士山がとっても良い山だと思う。
好きだからどの角度から見ても、またどんな天候でも色々な味わいもあるし、
素敵だと思う。でもそんなに好きだと思っていても登ろうと思えば、
石はゴロゴロだし斜面はきついし、空気は薄いし決して
楽しいものではない。
好きだから登り始めたけど辛くなってこの富士山自体が嫌いになってしまう。
その辛さを感じ、それでも頑張り頂上に登った時の達成感や景色も本当は
富士山なんだけど、辛い!辛すぎて山を降りてしまおうかと本気で悩む。
剣道で言えばその時は高校時代の剣道のような気がする。
厳しい登山と言う勝つこと優先の試合の為の稽古を選ばなくても富士山と
言う剣道が好きなら自分にあった角度で触れ合っていた方が幸せと思う。
それでも剣道はその人にとっては辛く厳しいものだ。そのものが好きなら
どんな角度から見ても好きでいられる。
でも、嫌いになればその山から流れる水さえも嫌になる。
剣道に早道は無い。
だから最後まで好きの心を持ちかかわっていた人が一番な気がする。
子供も色々な瞳でこっちも見られている。富士山が好きなら、
辛く厳しいこともあるけどそこに生えている植物や動物、そして流れる
水も好きでありたい。
またもし体調、心、環境がそろえばいつでも辛く厳しい登山を試みるのも
素敵だと思う。
人それぞれ、かかわる角度にダメは無い。
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構え
構えについて語れるほど剣道は分かっていないけど、子供に『剣道の構えってなに?』と聞かれた時に自分なりに考えたことを書きます。
構えか?
『難しいな……』これがすぐに頭に浮かんだ。
専門誌でも特集を組んだり、左手の位置や握りや心構えを書かれているし先生方のコメントにはうなずくことばかりだけど出来ないし難しいと思う。
剣道する上にとって永遠の課題かもしれない。
そして少しして思いついたことは構えは『顔』かな?と思った。
顔って目・鼻・口などあるけどちょっとした配置で良い顔だったり、そうでなかったりすると思う。
苦労をしたり、努力をしたり、楽しかったり、真剣の時など一瞬にして同じ人なのに別人のように感じるときがある。
構えって考えて作るものかもしれないけど、考えて作るにはただの真似だけに過ぎないと感じる。
もちろん真似は悪いことではなくどちらかといえば良い事だと思う。
よく耳にするし、私も言うのだけど『師匠の構えに似てきたね』と言われる。
これは褒め言葉と思うし、その師匠に正しい気持ちで接している証ともいえると思う。
一つ一つ確認すると体系も握りや剣筋も違うのに形というより目で確認できない、言いようの無い雰囲気がそこにある。
審査や試合では構える前の所作や雰囲気でこの人は素晴らしいと感じる。
竹刀は持っていなくても、これも本当は構えなのかもしれない。
そしてなぜ私は構えは『顔』と思うのは木村拓哉と私が並んで比べたら100対0で負けるけど、中にはそんな顔に愛着を感じてくれる人がいるかもしれないし、少しは人生を努力しているのかな?と思ってくれる人がいるかもしれないし、馬鹿な顔してるなと言われるかもしれない。
それってその人の味なのかもね。
そしてもしただ表面だけで張り合おうとしたら、何かをつけたりして誤魔化してもそれはかえって滑稽と言うかかえってマイナスになりかねない。
じゃ、良い構えは?
と言われれば、自分に正直になれるかだと思う。
試合の時・審査の時・稽古の時の構えは変わって当たり前だし、自分ではそれほど感じて無い人でも他の人にはわかる。
そして構えは背中にもあると思う。
長く剣道をまじめに取り組んでいれば後輩や教え子ができ、そしてその人たちはどこを一番見ているかは背中だと思う。
自分では絶対肉眼では見れないけど真剣に取り組んでいる人ほど、その師匠や先輩の背中をいっぱい見ている。
だから似てくるんだと思う。
理想的な構えはあっても万人に対してとは言い切れないと思う。
だからと言って何もせず適当な『構え』を俺の味だと主張するのは少し賛成はしかねる。
自分の構えに満足している人は果たして何人いるのだろうか?
やっぱり顔と同じでいくら他人は良い顔(構え)と言われても自分ではここが嫌いと思っている。
知らず知らずに、人は真剣に取り組んでいる事柄や仕事の顔になっている。
みんな良い顔している。
構えも真剣なら良い構えになっている。
私も日々考えて悩んで、鏡があるとついつい構えている。
まるで電車を待っているホームで傘を逆に持ってゴルフのスイングする前の構えをしているサラリーマンと同じかもしれない。
具体的に語れるほど知識も稽古もしていないけど今感じたことはこんな感じかな。
そして『打ち』は『心の言葉』と思う。
笑わせたくて面白いこと言うとしても、場面と機会が悪ければその話しは(打ち)は実を結ばない。
駄洒落ばっかり言っても人は笑わない、自己満足なんですよね。
(やばい自己嫌悪に陥った)
プロ野球でこんなに速い球を投げるんだから一流になれるかって言えばそうでもないことがあると同じように、その球をどこで使うか、遅い球しかなくても三振が取れると言う言葉を聞いた時、何か剣道にも通じるなと感じた。
どうしてこの先生には気持ちよく打てないんだろう?
自分が捨てて打てば当たるかもしれないのに……。
それが打てれば苦労は無い。
相手は打ち込み台ではないことを今更になって感じることもある。
どこかで気取った会話をしようとしているのかもしれない。
自分の話しを聞いてほしければ、まず相手の話を聞け。
という言葉を思い出す。
自分が打ちたいなら、まず相手の技を真正面から打たれろ。
これかな?
それができないから打てないのかもしれませんね。
言葉や頭では分かっていても、この体が言うことを聞いてくれない。
なんて剣道って難しいんだろう。
だから死ぬまで続けられるのかもしれない。
死ぬまでに納得の構えなんてできないし、打ちなんてましてたどり着かない。
それでも剣道は未熟な私のことを嫌わずに見守ってくれている。
望みが限りなくある剣道、やっかいな女に惚れてしまったみたいだな。
あれ?構えから女にすり替わっちゃった。
あれあれ、明日も素振りからはじめるとしよう。
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納会
今年も無事にと言うより盛大にて源流館を納める事が出来たことは
嬉しいという気持ちでいっぱいです。すべての人に感謝申し上げます。
源流館も館長を中心とし和気藹々の中にも厳しさを忘れず、
稽古に参加して頂く人たちの信頼の絆がより多く重なり合い
かけがえの無い友情という形になったからこそ
こんなにも素晴らしい一年になれたと強く感じています。
剣道だけではなく何事においても一人で出来ることなんてないと思います。
人数だけが多いいのが良い訳でもないし、偏った剣風だけが
良い訳でもなく、厳しく楽しくそして和やかな空気の中で真剣に
目標に向かって共に歩む心こそ今の最高な気持ちで稽古できる
源流館だと感じています。
源流館という名のとおり『源流』源を流れる純粋な水のように
心清らかにこれからもこんな良い形で続けていけたらと思っています。
また各方面からお忙しいのにもかかわらず時間を作り稽古に
いらっしゃっていただけた先生方や稽古人の方々には
御礼の気持ちでいっぱいです。
当初は施設開放の場を利用し健康の為にと思って数人で始めた会が
こんなにも意味深い稽古場所になるとは想像もなく、
今は自覚を持ちながら昇段、試合と活躍させて頂いております。
12月の月初め稽古会も多数の人たちに参加を頂き行うことが出来、
また忘年会もあわせて行いました。
新年稽古始めは1月13日(木)を予定しています。
お時間の都合のつく剣人の方はいらっしゃって頂ければ幸いです。
本当に今年一年良い年になりました。
ありがとうございます。
また皆様方におかれましてもご健勝にて新年を
お迎えになられますことを祈念致しております。
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特別稽古会
恒例の11月源流特別稽古会が行われた。
参加人数20人と大変盛り上がって行われた。
一つの目標でもありました特別稽古会の稽古人の総段位が100段!
この大きさの道場でこの100段は無理とは思いつつも目標としてました。
別に段位が何が何でも一番とは思ってもいなく、また是可否でも
集めたいとも思っていない。
自然の形がそうなった時なにか良いな、と少し力を抜きつつも
今を大切に考え、より真剣に、より純粋に剣道を歩いていけばそれが
源流館の一つの結果になると思っていた。
これは自慢じゃなく源流館を愛して心配して今まで関わってくれた人達に
感謝の意を込めて言わせて頂きました。
今回の稽古に参加できなかったもしっかりお心は参加を頂いていると
感じました。
それは心配してくれるメールを頂いたり、
今回は欠席ですが行きたかったとか本当に感謝の気持ちです。
数年前の5人くらいで稽古していた時期があるから今があるとも
思っています。
来月もまたこれからも続けて行きますので皆様よろしくお願い致します。
そして良い心の結晶が稽古に出れば最高です。
ありがとうございました。
そして狭い道場で皆様にご迷惑おかけしましたことを深くお詫び致します。
『袖すり合うも稽古の縁』
こんな言葉でお許し下さい。
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駒大高OB会
『だから出来る!』
この言葉を耳にして何を感じるだろう?
何もないときなら『なに?』と思うかもしれないけど何かに立ち止まった時
少し辛いと感じた時、行き詰まった時、ため息の色を感じた時。
『俺も何か乗り越えてきたよな』と自分に問い掛ける。
そう、逃げ出したくて毎日過ごした日々。
そんな時逃げなかった!
いや、『逃げる勇気がなかった!』その方が正しいかもしれない。
でもそれってやっぱり今の自分の中の自慢の勲章なんだと思う。
誰かに評価してほしいなんていうのではなく俺は俺だから。
剣道に限らず人として人生の方向を決める分岐点は高校時代に
多くあると感じる。
子供から大人になる狭間だからなのかもしれないと思うから。
辛いから逃げたい!
脱皮の時期は無理やムラが出て当たり前。
だから思い出もひとしおだと思う。
先日駒大高校剣道部OB会の発会式が行われた。
とっても感動的な一瞬だった。
思い思いに持ち寄った高校時代の宝物(秘密やごまかし)
どんな素晴らしいダイヤモンドやルビーより輝いていた。
あの高校時代の三年間は語りつくせない素晴らしい苦しい自慢。
試合で勝ってもらったメダルより価値がある。
今だから言える『稽古のごまかし』
先生も今だから言える『そんなことばれてるよ』と優しさ。
教え子達がいくらごまかしても見通しだったのか?
そうなのかもしれない。
『やばい!俺もか?』と今更書きながら思ってしまった。
でもそんなことも今にして思えば最高な宝物だ。
それは真剣に毎日を過ごしてきたし、毎日が『いっぱい、いっぱい』
この言葉にすべてがあると思う。
OB会はそんな色々な思いの話しを笑顔で語り合う。
いまだに先生は怖い。
それで良い。
『感謝している心、素晴らしい仲間達』それより『良く俺は頑張った』
それが本心だから今乗り越えているのかもしれない。
あの時の気持ちを思い出せば
『だから出来る!』
いつまでもこの心を持ち続けたい。
参加を頂いた来賓またOB各位に感謝の気持ちで一杯です。
剣道は生涯続けられる。
竹刀を持っても、持たなくても心は『一振りにかける』
感謝です。
OB会写真はここからどうぞ
写真をクリックすると大きく見れます
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道場開き
先日私達の師匠の道場開きに参加してきました。
とっても素晴らしい道場で感動した。
新しい檜の良い香りが来客者の方々を包むようで、爽やかで、
そして気品があり、師匠のこの道場の思いや皆様への感謝気持ちを
素直に感じた。
館員の少年剣士や一般の方や父兄の方々がすごく活き活きして
皆の心の絆みたいな物も感じられた。
これだけの立派な道場を立ち上げるにあたり師匠はどんなに苦労
されたかは言葉には表せないと思うし、それを盛り上げようと仲間の
協力や応援や友情がそこにある。
なんでも物事をするということは一人では出来ない、そのことに対する
真剣さと愛情の結晶だと思う。
いくら外見は素晴らしくても中身が伴わないようでは
本物という感じてはない。
この道場は違うと感じた。
より強く感じる人と人との愛情か気合へと変わり輝いていると
参加した誰もが感じたと思った。
夢はいつかはかなう!
その努力はとてつもなく大変だけどその過程もこれからも素晴らしく
輝きのある道と思った。
何枚かの写真をPCアルバムにしました。
関係のある方でご覧になりたい方がいらっしゃいましたら
アルバムから入って下さい。
写真に写っている全ての方ではございませんが何人かのご了解を
得ましたのでパスワードを外しましたが、不都合がございましたら
ご連絡を頂ければ幸いです。
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熱い稽古
熱い稽古!?と言うだけじゃなく暑い稽古という感じもです。
以前から交流のある府中刑務所に源流館の仲間六人で出稽古に
行かせて頂きました。
今年の猛暑は剣道をする環境としてはあまり適していないと思う。
源流館は狭い道場だけど空調設備は完璧でこの夏でも涼しく稽古が
出来るし、仲間も楽しい。
出稽古は色々な意味で修行になるといつも思う。
どんな道場で、どんな作法で、どんなメンバーで?と緊張感の大盛り。
初めては何よりもその場所まで防具を持っていく時から稽古モードに
入っていると言っても過言ではない。
その緊張感が終わったとき達成感に変わる。
私は何度かお邪魔をしているので最初の緊張感は無いけども、
新鮮な気分はあまり変わらない。
少し基本打ちをして、地稽古に入り約1時間の稽古と聞いたけど
どこまでもつかな?と自分では思ってた。
いけるところまで行ってどうしても駄目になったら面を外そうと思った。
私の年齢的・体格・体力ではこの暑さの中で最後まではかえって危険だ。
と勝手に言い聞かせ面をつける。
どんどん若い力の剣士が力いっぱいかかってくれる。
距離も遠いところから飛んでくるし、こちらが打ちに行っても当たらない。
その時私は思い出した。
今月号の剣道時代の師匠や色々な先生方の『引き出して打つ』を!
そして見事『引き出して打たれた』かえってボコボコになった感じだ。
でも、二、三本自分でもここか!と感じるうちが出来たことは何よりの
収穫というか、心から嬉しいと思った。
そんなときは狙った技じゃなく、どちらかというと入りの時に考えていた
展開とは違う結果となり、本能というか体が勝手に動いたみたいだ。
それにしても暑いのに職員の剣人達は素晴らしく元気だ。
私はもう駄目だ!面を外そうと何回思ったことか。
でも、誰も面を外していないしまだまだ気合は満ち溢れている。
最後の方は打つとか、打たれるとか、私の頭から消えていた。
もう、立っている事だけでも俺は偉いでしょ!と自分に言っていた。
最後の力を振り絞り後輩の加藤君と稽古をした。
さすがにどっしりした構えで打ち出しに風格も感じる。
私も力が入らない体を振り絞り振りかぶって面に出た。
うまく相手の竹刀が抜け面に届いた。
でも、その前の展開の方が私には面白かった。
形に表れない心の攻防みたいなことが何かニャッとお互いに響いた。
私は途中二度ほど突きにでた。
少しやり取りがあり、すっかり突きの警戒が薄れた時『突き!』と
返された、喉のど真ん中に突き刺さり気持ちよくやられた。
打っても打たれても感触のいい稽古だった。
何とか無事に稽古を終了したかと思われ、私だけが一番疲れたと
思いきや皆も必死だったみたいだ。
それが口だけじゃないことは小さな箇所に現れていた。
その後は府中の町でとっても美味い焼き鳥屋さんで乾杯!
あの焼き鳥屋さんもう一度行きたい。
稽古は行かずに焼き物とキャベツのニンニク漬けとポッピー
ホッピーのイメージが変わるほとんど焼酎だらけ。
あんなの見たのもこの稽古のおかげと思った。
稽古の写真がないのはその余裕さえなかったからです。
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笑顔の表彰状
少し休んでいた子ども達の指導に最近また関わるようになった。
別に辞めたくなって辞めてたわけじゃないからまた関わるれることが
心から嬉しいと感じ、ついてきてくれた子ども達に感謝してる。
私が少年剣道にかかわるのは10年以上前からだけど、
だれから本格的に習ったわけでもなく子どもと関わっていくうちに
一緒に感じながら勉強したり、自分なりな言葉を考えたり、教えていると
いうより共に歩んでいく感じがする。
必死でこの子達を教え、心から剣道を気づいて欲しいと思った時
こっちも何かに気がつく。
私は物を見るとき真正面だけではなく角度を変えてみる性格だから
何事においても、まして真剣に関わる子どもだからどうしたら
心を開いて、興味を持ってくれ、親や周りの人も剣道に関わって
よかったと思えるだろうか?と考えた。
剣道は厳しくなければ剣道じゃないと思っている。
そして、その倍楽しいとか絆とか優しさを感じて欲しい。
センスのある子や運動神経の良い子が勝つだけなら指導者なんて
必要ないし、熱い心もいらない。
よく聞く言葉に子ども達は『やれば出来る』とか当たり前すぎる、
『磨かれていないダイヤモンド』ならあきらめず磨きつくせ。
それを稽古量だけで超えていこうとすると無理が出る。
私は親父が私の剣道の姿が好きだったことをあるとき思い出した。
もう他界して7年になるけど死ぬ間際まで私の剣道を大好きだった。
七段の賞状をベッドの横に置き見舞いに来た人に自慢げに
声も出ないのに力を振り絞ってその賞状を自分のこと以上に
喜んで見せてた。
最後の力をこのことに振り絞って感激して使っている。
そして静かに目を閉じた時、賞状やメダルは俺のためじゃない、
心から応援してくれている人の為に持ってくるもんだと。
区大会や東京都大会や関東大会のメダルの大きさや違いじゃない
その時必死でやっている俺が取ったメダルだから嬉しいんだと感じた。
私なら区大会は小さくて関東大会はでかいから価値の違いを感じる
でも親父や先生は違うと思った。
どんな試合だって応援する心は変わらないからだ。
段位が上がったり試合に勝つと親父は内緒で俺におこずかいをくれた。
不器用な親父は上手く言葉に出来ない代わりにおこずかいに形を
変えたんだけど、俺にはお金で釣って勝たせようとなんて思わなかった。
毎日稽古が辛い!辞めたい!と言う子どもが必死に試合して頑張って
学校や団体や仲間に迷惑かけなかったと、親は喜びより安心感の方が
強かったと思った。だから子どもに『ありがとう』の形と感じた。
その心を私は今でも大切にしている。
だから子ども達に『試合は誰の為にするの?』と聞く。
そうするとほとんどの子どもは『自分のためです』と正解と思って答える。
私は『だから君は試合に勝てないんだよ』と返す。
子ども達は『え?』と顔をする。
『試合が自分のためだったら試合中苦しい辛いと思ったらあきらめよう
かな?と思う、そう試合は自分の為だから負けて一番悔しいのは自分
だから、自分が泣いて悔しいと責任を取れば言いと思うでしょ、
だから最後の技があきらめたような技や一か八かの技になる。
そんな時思い出す、辛くなった試合は応援してくれている親や
先生の方がもっと辛いんだと、ここであきらめたら試合を駄目にする。
だから、負けられない、愛する人たちのためにも負けられない!
そうすれば勝てる。そしてもらった表彰状は親や先生にあげなさい。
そして初めて君達には親の『心からの笑顔の表彰状』をもらえばいい。
以下同文なんていうありきたりのじゃない、君だけの表彰状だ!
試合では親や先生は君達の変わりにはなれない、祈ることや
応援することしか出来ないから、悲しみも感動も何倍も感じて
いるんだよ。それは血が通っているからだよ。
そして稽古は『自分の為にする』んだよ
稽古をサボったり、適当にやって先生や親を誤魔化しても知っている
人がいる。それは『自分』だから。だから稽古は自分と勝負する。
何事も勝ち続けることなんで出来ないし、負け続けては情けない。
だから少しは自分に自分で勝とうじゃないか。』
こんな言葉を子ども達に言います。
剣道は辛いから逃げたくなったり、辞めたくなる。
そんな最後のカードは本当の最後に取っておけば良い。
いつ辞めても良い、でもその関わった時間にできる限りの心のこもった
『笑顔の表彰状』
を一枚でもたくさんもらえる努力をしたい。
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城西五区大会
城西五区大会世田谷区優勝おめでとう\(^o^)/
仲間のK君の素晴らしい活躍を拝見して尊敬しました。
試合は堂々として本当にかっこよかったです。 勝つ試合って度胸を決めて行くことと見てて感じました。
K君が予選二試合目の時、相手の技、剣先を怖がらず面に出た。
相手は中心を譲らず、向え突きでその勢いの良い面を
何とかしのぐが、それ以上にK君はなおそこの突きをものともせず、
その竹刀、相手の気、体を真っ二つするかのごとく、まるで怒涛のごとく
斜面から転がり落ちるよ大岩にも似た気迫で打ちぬく面。
その突きがどうした!と響きをたてて行く
振り上げた時点で勝負あり!という感じでした。
これが勝負に勝って、試合に勝つ!と思いました。
内容も打ちもすべて今出きる限りの完璧に近い技と思いました。
見習いたい。 尊敬と感激です。
ちなみに渋谷区は惜しくも予選で負けてしまいました。
私はお酒も控えて体調絶好調!でも試合は最低。
(最近勝つシナリオを忘れてしまったみたいです)
私の場合二日酔いの方が試合は良いのかもしれません。
なにも考えず無心になれるのかもしれませんね。 『酔剣』
そして今日は女子も源流から二人選ばれました。
城西大会の女子は各区代表はレベルは半端ではなく
男子以上に試合モード全開と言う感じだし、過去の経歴、
現在の稽古量、剣道の取り組み方、試合に絶対勝ちたいと言う執念、
どれをとってもすごいです。
そんな中において二人は頑張りました。
決して大満足ではないけど、拝見してて
『負けるもんか!』の気迫を感じました。
試合は競馬の馬券を買う時と似ていると感じます。
試合に出ることは、馬券を買うことはにてて、買ったから当たる
保障はありません。
それは必ずしも大本命でも当たらないし、そうかといって買わなきゃ、
出なきゃ、当たること勝つこともできません。
出ること買うことはその時点で見返りの結果より、
関わる喜びだと思いました。
競馬を教えてくれた親父が『馬券を買った時点で金を捨てたと思え
後悔するならするならやるな!』と言われたことを思い出しました。
本音は当たってほしいから買うんですけどね。
(学生時代の試合とは今は少し違うので)
私は見てて女子の試合の方がその辺を吹っ切れて
楽しんでいるみたいと感じました。
お二人は試合後も反省点をしっかり提示し次には
同じ技を打たれないと誓い、貪欲に目指そうとしています。
良い展開が何箇所もあり『打った!』と声を上げることもありましたが、
旗は上がらず審議の青ランプは点滅しても自分の技には
確定の赤ランプはつかなかったですね。
良い調教師が監督・先生なら、私達源流の仲間は厩務員ですね。
共に稽古し、励まし合い、頑張る。
ハルウララじゃないけど負け続ける馬じゃ無く、勝って当たり前
と言う重い斤量を少し軽くして走ることを心がけたいですね。
私の場合は心のブリンカー(斜眼帯)をつけて
真っ直ぐゴールを目指したいです。
変なところばっかり見すぎているもので。
私はコメントだけならこんなに上手く書けるのに体が動かない、
やっぱり竹刀を持たない格闘技に鞍替えした方が良いかも。
悔しさはいっぱいあるけど楽しみもありました。
応援、元気なら私はG1クラスなんだけどな
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特別稽古
恒例の特別稽古会が行われ色々な稽古人が来てくれ
感謝の気持ちでいっぱいです。
『心の雪だるま』
こんな言葉を今感じた。
雪だるまを作るように最初はソフトボールくらいの雪の玉を
ゴロゴロしていくうちに大きくなり二つ重ねて雪だるまにしますよね。
今そんな気分です。
良い心の爽やかな雪がゴロゴロ話しながら良い形でくっつき
丸い大きな雪だるまになっていく感じがしました。
心からありがとうと言いたいです。
今回の参加人数は19人と盛大で稽古人の総段位は93段
記録更新です。
あと一息で100段ですね。
あの狭い道場にこれだけの段位はミラクルとしか言いようもなく。
感謝の言葉だけです。
来月もよろしくお願いします。
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剣道と人生
剣道は今でもよくわからない。
そして人生と言うより、生きていくということはもっとわかんない。
俺は『そんな何もわからないからどうでも良いや』
なんて風に卑屈に思ってなくこの今を嬉しいと思ってる。
結果だけを求めたら、誰かが勝ったら誰かが負ける。
何事においても誰かが笑えばその裏で泣いている人がいる
と思っている。
試合など最たるものだと感じている。
プロは勝ち続けないといけないし、それがプロだと思う。
仕事だってプロ集団で社内、社会と競い合ってる。
だから妥協はできない。 そうじゃないとお金も人も集まらない。
いくら剣道が強くてもそのプロの道に行かなかったり、
料理が上手でも料理人にならない人もいる。
それは、結果がほしいのではなく、好きなときに好きなことを
できる幸せを感じたいから仕事より熱い趣味、生きがいとして
残したいと思っているのだと思う。 それって贅沢な人生かもね。
剣道を大嫌いと言う人ほど燃えていた時期があると思う、
俺の中で燃えていた時期、やっぱり剣道を辛くて逃げたい
といつも思っていた。 それなのに今は大好きになっている。
竹刀を持って相手を打つだけではないから、今は心から触れ
合える人たちがそこにいるからだと思っている。
打算的ではなく、演技でもなく、仲間が痛みを感じたら俺が
その何倍でも返してやるくらいの連帯感。
『生きているんだ』とふと考える時、いずれ死ぬんだから、
一生懸命生きようとしなくても良いじゃないか。
それは命をもらった親や神様に失礼すぎる。
私には辛かった剣道だから、少し真面目にかかわると
底が抜けて、新しい道が見えて来る。
休みたい時は休めばいい、でもそれで良いことなんてない。
そこを少し頑張る心を感じたい。
断れる簡単なことより、受け入れる難しさを感じられる
ことこそ剣道なのかもしれない。
そしてなにより一人じゃないと感じられる喜びを感じられる
ことが剣道でもあり人生と感じている。
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明けましておめでとう
今年も元気で剣道して楽しく皆といたいと思うのがいつものこと
ながら最大の私の新年の願いです。
元気でいるってことは簡単そうで、当たり前そうだけど
いざ病気になったり、怪我をすると改めて健康の大切さと
有難みを感じます。 私の場合二日酔いの時にはそのことを
常に感じどうしてこんなになるまで飲んだんだと後悔ばっかり。
今年こそ二日酔いを減らし、稽古に力を向けたいと思っています。
思うだけなら誰だもできると言われそうです。
健康とか怪我というと忘れられないことがある。
記憶力の悪い私でも忘れられないことがある。
そのことを少し書きます。
少し前にアメリカに留学した剣道の教え子からメールが来た。
小学生のとき剣道を通じて知り合い、一緒に稽古したり、試合に
行ったり、ある時期を一緒に熱く過ごしたと思ってる。
なかなか剣道センスも良く、体格も立派だったので将来有望と
思ってた。 試合も好成績を残していたからお世辞ではない。
そんな皆が期待していた元気印の彼がある時事故にあい剣道が
できなくなってしまったというか、命まで危ぶまれる事故だった。
本当に考えられない一瞬の出来事としかいえないけど。
それを聞いたとき皆も私もショックというより、悲しくなってしまった。
剣道とかより、『生きてくれ!』とただそれだけを願った。
その状態が想像を遥かに超えていたのは言うまでもない。
剣道関係での事故でも、何か過失という訳でもないだけに辛い。
でも奇跡的といっても言い過ぎではなく、彼は一命を取り留めた。
剣道で培ってきた精神力なのか、彼自身の中の生きるという光か、
彼は命を離さなかった。
その彼が数年前に車椅子に乗って皆の前に笑顔で来てくれた。
嬉しいのに涙がでる。
ここの剣道の場所をそこまで心にとめていてくれたんだと。
皆はその力と勇気と根性とここへの愛情の表われと思った。
人はどうしてもマイナスポイントは他人には見せたくない。
そんなの当たり前だ。
変なプライドが本心を隠そうとしたり良い所だけ見せたいと
見栄を張る。 それも別に悪いことでもない。
でも、弱くなったときは人に会いたくないと私は思ってしまう。
情けない、でも彼は今の自分をちゃんと胸を張っている。
その彼からのメールに心が『しゃきっと』する。
一説だけ書きます。お許しを頂ください。
剣道をはじめた当初はすべてがつらくて、正直大嫌いでした。
剣道が面白いと思い出したのは、やっぱり、試合を経験してからだった
気がします。今でも忘れることのできないデビュー戦・・・・。
そして、中学の時の個人戦優勝。
剣道をやっていたときは、まだ試合に勝つということに
こだわっていた気がします・・・。
でも、怪我をしたあとは、なんだか、やっていたとき以上の
面白みを感じることが多いです。
きっと、客観的にものを見ることができているからだと思います。
これが、本当に見取り稽古なんだなって気がしました。
失って初めて得られるものも、あるもんだなって最近深く感じる、
(権田なりに文章を途中を抜き心すべてではないことをお詫びします)
この最後の二行に彼の芯の強さを見た気がする。
彼は一人で普通の生活をできるまで回復した。
そして一人アメリカに行って勉強をしている。
どうして助けがあるとまで言わないけど日本のほうが、・・・
まして何もそこまで遠くに行かなくてもと保守的私は思う。
それが彼の自分へのメッセージかも知れない。
自分と同じ苦しみをしている人に少しでも勇気をそして希望を
持ってもらえるために、少しでも前に進もうと考えての
決断だったと思う。
薄っぺらな同情とかではなく、関わってくれた人への感謝と
いま自分ができる仲間への思いがそこにあると思う。
勝ち抜くことじゃなく、生きき続ける素晴らしさ。
そして何より、皆への愛があると感じた。
彼のもっと奥深いところは計り知れず、私の感じたままの
コメントなのでお許しください。
ただいえることは彼は明るい。
こんな良い空の下で頑張ってるんだね。
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渋谷区創立五十周年式典
渋谷区剣道連盟も会員の皆様の力により五十周年を迎えることが できました。 連盟役員として感謝の心でいっぱいです。 試合と式典と会員相互の絆で盛大にまた盛会にでき、 無事に終了することができたことに大きな喜びを感じています。
改めて思うと私の生まれる前から渋谷区剣道連盟があり、今こうして みんなと仲良くこの場所で剣道できることの意味深さに『剣道』 と言う『道』のつく武道の芯の強さを感じました。
源流館からも山田館長と山口君が功労者として表彰され、 私も役員ということで表彰をして頂き(当日名前を言われ驚きました) 大変な驚きと、嬉しさで『ありがとうございます』と心感謝です。
節目でもある記念式典で教え子と共に表彰を頂ける事の喜び。 この源流館もここまで楽しく厳しく稽古を続けこれたのは 館員の皆の暖かい心は一番ですが、山口の細かい気の使い 第二道場・BBQ・私の話し相手?(これが大変かも)そんなことも 大切なことと思っています。
なにも見返りを求めず、地位や立場の欲も考えずただ直向に 皆のために尽くしてくれて、ダメ師匠の悪いところを隠し 良い所を強調して写す良い鏡の教え子に心が熱くなります。
今回は表彰の候補に名を出せずにいた館員の皆様には 深くお詫びを申し上げ、次回の功労者として推薦をさせて 頂きたいと思っています。
一人一人の力でこの源流館が支えられていることは 胸を張っていえるほど、仲良く仲間としてしっかりと意識を持ち 妥協のない稽古の厳しさも信頼という太い契りとなっていると 実感しています。
これからも渋谷区剣道連盟・源流館共々良い形で 歩んでいければ幸いと思っています。
先日の式典の写真を一部ですが載せたので良ければ ご覧ください。 また、公の式典なので個々に承諾せずに掲載していますので お気になる方はメールにてお申し出ください。
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特別稽古
残暑と言うよりまだ夏の九月の稽古 八月が涼しかったから九月に入り暑さが身にしみます。 剣道の心はもっと熱い源流の特別稽古 この日を楽しみと言うか、今は毎週が楽しみのような稽古 早行く、強く打つ、その前に楽しく真剣に打つが今はいい。
個々に考えている剣道、目標を掲げて皆で一丸となった稽古。
息が上がりっぱなしで辛かったけど、終わったあとはすっきり でも、体がパンパンに張っている。 動きを中心に昨日は稽古をしたからだと思う。 試合も近いしどのくらい動けるかを今からチェックするのも 大切なことと感じた。
来月も仲間と一緒に盛り上がりたいですね。 ありがとうございました。
参加人総段位 86段 |
特別稽古
夏真っ盛りの八月の稽古 暑いけど源流はクーラーが完備しているので快適 体が動くし最高だけど、やっぱり疲れる。 疲れなきゃ剣道している実感はないからこれもまたよしですね。 一本と言う事に、初太刀にこだわって誰とでも稽古をする。
白い稽古着が多いいのは夏だし見た目だけでも涼しく、 それとまっさらな心で竹刀を握りたいと思ったから。
たまには良いものですね。
来月も仲間と一緒に盛り上がりたいですね。 ありがとうございました。
参加人総段位 82段
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特別稽古
感謝の心とは限りがない。
いつもの事なから源流館の特別稽古会をする毎に思う。 人と人とが真剣に剣を交せ心から向き合う姿に隔たりの心や 打算的な心がそこにはない。 師弟関係や習う・かかると言う心はあるが意味のない見せかけ だけの上下関係など存在しない。 いつも一番素晴らしいと思うことは、その自分の段位の地位では なくこの道場、この時間に一番剣道を愛している人が一番だと 強く感じることだ。
皆を見ていると『剣道がすきなんてもんじゃない』と言う顔をしている 剣道中毒患者の大集合みたいだ。 自分自身も最近その事を強く感じる時がある。 自分の目標の一つでもある七段を頂いてから妙な気負いみたいな ものがなくなり心から剣道を楽しんでいるし、そしてゆかいな仲間達 (ムツゴロウさんじゃないけどちょっと近いものもある)と共有する時間 が楽しみでもあり、できる限り元気で続けて行きたいと思っている。
皆と今はとっても爽やかに剣道しているとも感じている。 毎回素晴らしい剣人の方々がいらっして頂き心からの感謝は変わら ないのですが、今回はお二人の先生が忙しいのにわざわざ参加 して頂き、特別をもう一つつけたくなる程の気持ちです。
剣道はどんな言葉より心に響く。
本当に皆さんありがとうございます。
参加人総段位 84段
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感謝
久しぶりに稽古に来てくれて感謝でいっぱい。 府中から後輩でもあるK君が仲間を連れて稽古に来てくれた。 とっても気合の入る良い仲間達で剣道も人格も惚れ惚れする くらい良い男達だ。 特に稽古は妥協を許さない心と剣がしなやかにそして力強く 向かってくる。 少しの気持ちの緩みでもあると怒涛の如く攻め込まれる。 切羽詰ったと言う言葉がぴったり合うような剣道だ。 それでいてしっかりした練りあいもある。 当てるんじゃなく、打ち切るを目指す一本をどっちが打てるか。
なにしろ当てただけでは納得はしない。 まさに昇段審査と試合をどっぷり混ぜたような稽古になる。
久しぶりの剣友に会うのもとっても良いものだ。 形にこだわらず、相手との心にこだわる稽古。 緊張と言う空気が皆の中にも入り込む。
飲み会も楽しかったね。
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特別稽古
恒例の特別説稽古会が楽しく良くできました。 いつも盛大に稽古できることにとっても喜びを感じ 稽古人のこの源流館の暖かい思いを感じ感謝です。
このところ『突き』について皆で取り組んでいます。 特に女性にとって突きは大切だと思う。
激しい技と言うことではなく、中心を外さないという事と、 手首の入れ方がとっても意味があると思う。 また、手を出して打つんじゃなく腰を出すというのも ごましがきかない。
源流の男子は皆体がしっかりしているから少々外しても 大丈夫! なんだか良い突きを決められるとお互い 気持ちが良い。
参加人総段位 70段
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良い記念
少し前にテレビの収録で審判をしに行って来て、 それが先日放映されとっても嬉しく感じました。
やっぱりどんな感じで映っているかなぁって思うよりもしかしたら 放映されずに終わっちゃうのかなぁ? なんても思っていましたけどすみっこでも映ってると『あ、俺だ』 と思ってしまった。 試合は5分間もしたんだけどやっぱり映るのってこんなもんだと 思ったけど、皆やる前に真剣で一緒に稽古したりして 色々な質問も来るし番組より、剣道に気持が入っている。
防具って人のを借りてすることはめったにないけど、新しい防具 を買ったときなど思ったように動かない。 年中稽古している私たちでさえ思うのだから久しぶり、まして 借り物で動けというのは酷だとも思う。 でもそれなりと言うより、着装は『さすが』と言う感じさえしてしまう。
動きだってK君は久しぶりと言うより、かなりやるなぁーと さえ感じた。 本当に良い経験が出来た。 k君は本当に隔たりなく気さくに話しかけてくれる。 これも一緒に剣道をしたからなんだなぁと思った。 本当にカッコ良いの一言。 人間的にと言う外見だけではなく、中から出てくるオーラみたいな ものを感じさせ、この人はこの人でしかないと実感した。
剣道は今まで辛い事も、逃げ出したい事もいっぱいあったし 良かった事や、感動した事もいっぱいあった。 でも今回のことは剣道してて別な意味で『良かった続けてて』 としみじみ思った。
周りも喜んでくれた事も何か妙に嬉しかった。
別に特別に何かを期待して剣道続けている訳ではないけど こんなこともたまには良いですね。 それより、なにより皆と楽しく出来る事が一番ですね。 そして何より真剣に頑張り続けていたいです。
K君がわざわざ書いてくれたサインです。
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特別稽古
恒例の特別説稽古会が楽しく良くできました。 天候の悪い中、熱い心の稽古人が集まった。 今回は館長が京都大会でなかなかの良い試合ができ その感覚を少しでも肌で感じたく一段と気合がみなぎった。
今の源流館は当てることより打つことに思いをかける。 その前に相手と心を合わせることを考えている。 K氏が言う大切な剣が触れ合う所から打ち間に入る所までの 空間と時間と攻めあいみたいな事をどう相手と味わえるか そして自分の納得できる入りで打ちにいけるかが 面白く、たまたま入れたとか、当たったとかは試合では 大ラッキーだけど、今はそこの所を感じて稽古したいと言った 言葉にまさに同感した。
私は未熟だから試合は内容より、結果が良いと喜んでしまい、 内容は喉もと過ぎれば・・・的感覚だから最近はなおさら 大切なところで勝てない。 自信喪失、自暴自棄、自己嫌悪、満身創痍の詰め合わせ。 でも、稽古は打たれても良いと思うと、心なしか少し構えも爽やか 打たれた時も打った時も何かとっても気持ち良い。
やっぱり面なんですよね。 小手を打たれても、胴を返えされても良い。 自分にあきらめがなかったらそれで良いと思う それは自己満足だけではなく相手との心の会話とも思える。
ただ良い汗をかけることが最大の意味なのかもしれない。 また来月もいっぱい良い汗かきましょう。
参加人総段位 78段 今回は計算しやすかった。
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良いものです
剣道をしていると厳しいことや、辛い事もあるけど 楽しいこともいっぱいある。
人生だってそれの繰り返しみたいなものだと思う。 剣道の教えの中に『剣道は人の道なり』と言う言葉がある。 剣道是すなわち己の人生、生き様、そして考え方だと感じる。 私も人に自慢できるような剣道はしていないし、 至らぬ所ばかりだから剣を人間的を正しい方向に向かえるよう 共に皆さんと楽しく、厳しく、いい加減にならぬよう 稽古を生活をしていきたいと思っています。
また私はとても大切と感じている、人との出会いや触れ合いと 言うのもは剣道が一番ではないかとも感じている。 (勿論他のスポーツや集まりも素晴らしいと思っています)
外側だけ見れば、剣道は竹刀を持って相手と打ち合うもので 肉体的痛みもいっぱいあり、まして子供から年配者・男女問わず 同じ目線で行なうから体力的に恵まれていない人には酷なものと 映ってもしょうがないとも感じる。 でも、それはあまり剣道を知らない人が思うことで、 かえってその少し感じるハンデキャップをどう自分の中に感じて ましてやそれをプラスと思い道を歩んでいく事の方が大切で、 まさにそれが『This
is
剣道』だと感じています。 (別に英語にすることはなかったですね)
だから初めてでも剣を交わせるとお互いの心を感じられ、尊重し 剣風と言う目に見えない名刺交換ですぐに親しくなれる。 一回の稽古で一瞬にして大親友な関係になることだって 剣道では不思議なことではないと思っています。
まして続けるという事は仲間としても絆が強くなり、相手のことが 自分のこと以上に心配になってくる。 妬んだり、卑屈に羨ましがったり、自分勝手な意地を通すこと などなくお互いが我身と感じていると今の源流館は信じています。
先日行なわれた高校生の関東大会東京都予選に大勢のOBが 見に行った。 何かを感じたのかと思わせるほど来ていた。 私も20年ぶりに見に行ったようなきがした。 見事母校もギリギリで出場する事が出来とっても嬉しかった。 こんな事も仲間と皆が思うから心からの応援に足を運ぶのだと思う。
源流の稽古もHPを通して色々な人とめぐり合いとても良い関係で楽しく 稽古を続けさせてもらっているし、懐かしい後輩も稽古に来てくれる。 今までやってなかったから・・・、昔のように出来ない・・・、などあるけど 剣を交わせるとそんなことはどうでも良い、この位置で相手を感じる 事が出来ればそれで良いと思っている。
楽しければ一緒に笑い、悔しければ一緒に涙する。 そしてそれを次ぎに繋げる。
試合や昇段審査で色々な結果で色々な思いをするけど、 今のその仲間の気持ちになっていたい。
近くのお寺の門前にこんな言葉があった。 『人が辛いと思った時は共に考えそして頑張り、 人が楽しいと思った時は心から喜べるような人になりたい。 その逆だったら簡単なのに。』
なにか終わりの一文が心を見透かされているようです。
源流館も館長を中心として爽やかで楽しく厳しい剣道を 皆で続けて行きたいですね。
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結果より
なにか物事をする時、必ず結果と言う事がついてまわる。 けどだからこそ、その事に向かっていけるのだと私は思っている。 試合や審査や試験やまた他にも色々とあるが、だから辛いし また励みにもなる。 私は逃げ出したいなんて年中だ。 だから、それを避けて通り過ごしている人を見ても別にだらしないとか 劣っているとも思わない。 誰だって嫌な事はある。
私も色々な事経験してきたから、大喜びしたり、悔しくて涙したり もう二度とこんな気持ちにはなりたくないと思ったこともある。 審査や試合を通り過ぎたあといつもこんな事を思う。 まして剣道で言えば教え子や仲間の時は自分以上に感じる。
誰だって結果は笑って迎えたい。
笑顔とお腹具合は似ているとふと思った。
お腹が空いていれば何か食べたいと思うのは当たり前である。 でも何でも良い時とこれが食べたいと強く思うときがある。 お金がなくて時間がなければ選択肢も限られあきらめる。 でも、そればっかりでは情けなくなるから時には自分の思った 食事を取りたくて、仕事やお金を溜めて、何かを我慢して頑張り そしてそれを口にした時美味しさと同時に喜びが来る。 達成感と満足感なんだと思う。
笑顔も喜びも似ている。 少しの気晴らしの笑顔なら、雑誌やテレビや手軽な娯楽で 得られるかもしれないが、深みも記憶もない。 本当の喜びや笑顔って一生忘れられない大切なものだと思う。 一番大切でその一つ一つが思い出で自分の宝だと思う。
でも、そうそうそんな喜びや笑顔に遭遇する事はめったにない。 その前にどんなに辛い思いをしたり、投げ出したくなったり 自信安危に何度も陥る。
このところ源流館も色々な人が稽古に来てくれるようになり、 心から一生懸命に皆が取り組み、そして皆がその目標に向かって 自分の事以上に真剣に関わっている。 単なる結果だけ、まぐれ当たり的なものではなくその前の過程を 共有できる喜びや、仲間意識がどんどん良い形になっていく。
優勝や昇段が目標だけど、それ以上心合った仲間との絆が 喜びと悔しさに変わると思う。
何よりも皆はあきらめない。 そしてこれだけで満足もしていない。
剣道の一番良いところはいつでも出来る事と、生涯現役で いられるところだと思う。
本当に今回もいっぱい良い笑顔が皆に振りまかれたと思う。 それは剣友みんなの表彰状かもしれない。
汗をいっぱいかいたからちょっと汗臭い賞状だけど、 何よりも替えがたい宝物が皆にも一つ増えましたね。
どんどん増やしていきましょうね。
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特別稽古
恒例の特別説稽古会が元気良く出来ました。 もうすでに特別をつけなくても日頃の稽古自体たくさんの 人達が稽古に来て頂いてくれている。
つくづく剣道はいつやっても良い。と言う言葉を感じる。 あんなに辛くもう二度とやるもんかと思って竹刀を置き でも、心のどこかでやりたいなぁと思う気持ちもある。
一回やめたからもうやれない。ではなくいつそんな気持ちに 自分がなれるかだと思う。 そしてきっかけとその場の雰囲気が合うかだと思う。 源流館が素晴らしいのではなく、今集まった人達の気持ちが 合っているだけだと思う。 でもそれってすごい素晴らしい事だと思う。 合わない事の方が多いし各自の趣味や考えが違うように 剣風も求めるものも違うから合わなくて当たり前。
そんなことは長く剣道していると感じることがある。 当てようと思うことから打とうという気持ちが変わってきてる。 掛かり稽古も5人くらいではやりたくても盛り上がらない。 でも、20人近くいると活気があり盛り上がる。 気が上がると言う効果で別な力も出て来る。
今回よりも来週こそはと盛り上がる。 昔のきつい事が今は美味しいのかもしれないし色々と乗り越えて きたし、また無欲で必死と言うのも剣道ならでわだ。
きついけど笑顔が一番多い道場だと自信がある。
今月は試合があるので皆で笑顔と言う賞状をもらいに行きましょう。
今回の参加人数16名。総段位70.5段(惜しいピッタリ賞) |
城西五区大会
第11回城西五区大会が新宿で行なわれた。 17人制年齢別というと面白い試合で、勝負と親睦両面から 興味深い試合である。 源流館からも三人代表として選ばれ参加してきた。
各区とも真剣にメンバー選考しているだけにその年代には そうそうたる人が出場しているだけに勝つのも厄介である。
渋谷区も過去何度か優勝しているだけに本気勝負と気合が入る。 予選は中野区・新宿区Bチームと対戦をし、中野区には勝ってた ものの新宿区には負けて惜しくも勝ち数が足らず決勝に 行けなかった。 本当に気合も入り良かっただけに残念だ。
私は審判をさせててもらい良い勉強になりました。 旗を上げやすい技、当たっているけど上げられない技の微妙な 所も感じることが出来、自分の試合にも参考になった。
結果は新宿区の初優勝と言う事素晴らしい結果になった。 懇親会ではとても楽しく世田谷や新宿の先生達と話せて 楽しかったです。 剣道はすぐ仲良くなれるね。
最初は親睦が前に出ていても最後は皆必死だ。 それがとってもいい。 また、年齢別というのもその年代の意地が弾き合い興奮する。
試合は良いですね、自分が素直になれて。 体全部で燃えられる。 負けたら嫌だけど勝ったら最高。
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特別稽古
このところ皆さんの気合がひしひしと感じ嬉しいです。 源流館に心地よい気合がこだまする。 人が多ければそれで良いなんて思っていない。 一人一人の意識がしっかりしている事がたまらなく良い。 格闘技の様相もある剣道だからムキになることもあるけど、 それは稽古という中の事。 ムキになり、もがき、必死に打ち込み、大汗かいて疲れきる。 余裕を持っている人などどこにもいない。
周りの気合が余計自分の心に火をつける。 打った、打たれた、勝った、負けたその実在する結果より、 言葉になららない心が通じ合う。
かなり剣道中毒にかかってしまった仲間達だが、 こんな中毒なら、病気でもないし犯罪でもない。 しいて言えばその時間を欲しいと思っている相手には申し訳 ないが時間の窃盗罪になるかもしれない。
心地よい汗、第二道場での心の底からの大笑い。 源流館はみんなの心の安らぎと、『頑張るぞ』と言う力を 再確認させてもらえる場所になってきた。
今回の参加人数17名・総合段位78.5段。(深く考えない)
本当に源流舘って今とっても最高。
来月も(勿論毎週やってますので来て下さい。)活気ある 稽古会になれば最高です。
写真を取りましたので
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昔の写真
ちょっと笑えて、ちっょと懐かしい。 さてあなたは何人知っていますでしょうか?
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審査って
先日久しぶりに審査を見に行って来ました。
先日東京武道館で四段五段の審査が行なわれた。 源流舘からも受験する人がいたので見に行き色々な事を感じた。 私は審査は何回受けただろう。
とふと思う。 七段に行き着くまでに、今数えたら15回だった! という事は8回は不合格を味わった事になる。 特に思い出に残るのは4段挑戦だった。 5回目でやっと合格。 大学時代で一番体が動き自分では強いと勘違いしていた時かも しれない。
今思うと剣道というものを軽く見ていたのかもしれない。 試合では少々結果も残し、周りからも合格するよと言われていた 何の保証もない言葉と、未熟な自分の都合のいい考えに 酔いしれていたのかもしれない。 今にして思えば恥ずかしい限りだ。
今思うと審査は強ければ受かるし、カッコや所作なんて少々 悪くても関係ないくらいに思っていたかもしれない。
(私なりな見解なので聞き流してください) 今は審査をするような立場になり(三段まで)感じることは、 強い弱いとかではなく、また逆に高額な防具を身にまとえば 良いとかなどではなく、その受験に際する気持ちみたいなものが 審査の時にどう出るかだと感じます。
私のように打てば、良いなんていうようだと良い結果にはつながらず そんなのは当たり前なのですが、そこに行き着くまでに どんな心で日々稽古をしてきたか、着装は正しく行なわれているか 礼法は自然の流れで正しく出来ているだろうか? 竹刀を振る前にもう審査が始まっているような気がします。
勿論それだけで合否が決まるとは考えていませんが その段にあった剣道人らしい振る舞いが出来なくては たとえ合格しても次の人に伝えられないと思います。
私も何度か落ちたとき、辛かったし、ひょっとしたらこの段位は 私には無理な世界なのではと思ったこともありました。 でも、教えてくれる先生は決してあきらめず、稽古をつけてくれ 励ましてくれ、私以上に心配もしてくれました。
審査は落とすものが目的ではなく、なるべく合格をさせたいと 審査の先生方も思っていると思います。
ただ今の実力でこの段位になっても恥をかくのはあなた自身だよ とでも言っているような気がしました。
誰だって、何回も落ちたいなんて思っていないし、この緊張感は あまり味わいたくないと思っている。
審査会場に入るとそんな見えない重く張り詰めた空気を感じる。 私も通ってきた道だから。
じゃ、なんでそんな思いをしてまで受験をするのかと自分に 問いかけると、私個人の考えは何か目標を持って稽古をしたり、 先生をはじめ、周りの皆と真剣に取り組み汗を流し、そのゴールへ 一緒に向かっているという連帯感みたいなもの、そして良い結果が 出た時心から喜び合える達成感。
辛いからやめるはいつでも出来るからなるべく頑張っていく。 私など仕事がクリーニング業だから剣道段位が上がっても なんら仕事上メリットなんかないのに、仕事を早上がりしても 向かっていく。 今だから偉そうに言えるとお叱りを頂きそうだが、 はっきり言ってしまえば、そうなのかもしれない。
ただ今回の審査を拝見して一番良かったと感じたのは 心配する心、その人にとって何にもならないのかもしれないけど いたたまれなくなって応援に来た人達の姿に感動した。
仲間の中には忙しいのに仕事の合間に来た人もいた。 どっちが審査を受けに来たのかわからないほど緊張している 人もいた。 それもみんな心のつながりなんだなぁと感じた。
段位というのも他のスポーツを下げるわけではないのですが、 剣道という名の通り『道』なんだなぁと改めて感じた。
頑張るって良いことですね。
必死とか、もがくとか、ムキになるとかが、良い言葉のようにも 思えてくるような剣道を生涯続けて行きたい。
審査って、いつになっても緊張しますね。
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特別稽古
本当に最近の源流館の参加人員は夢のようです。 そして皆一生懸命で気合だけはどこの道場にも負けない位 すごいと感じます。
また今回は初めての人が多く参加をして頂き感謝の気持ちで いっぱいです。 剣道って一回の稽古で友達になっちゃうんですね。
来月は3月6日ですのでご参加を頂けたら幸いです。 諸事情の都合により変更・中止もありますのでご確認ください。
勿論源流館は毎週稽古していますので、ご自由にご見学して 頂いても結構ですので、またご連絡さえ頂ければ稽古も 自由参加ですのでお気軽に。 少しですが写真載せました。
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明けましておめでとう
源流館もいよいよ始まりました。 源流舘にとっては去年はとっても良い年とだったと思います。 今年も皆元気で厳しく、楽しく剣道をしていきたいと思います。 よく年頭にはその年の目標みたいな事を思いますが。 源流館としては第二道場で会議の結果。(ほとんど微かな記憶)
渋谷区大会アベック優勝!・段位審査全員合格。
と、まとまったような感じです。 とっても人数も増えて活気ある稽古が出来る事に嬉しいと感じ、 人と人の出会いや真剣さを感じられるのも剣道のおかげと 今更ながら思っています。 今年も源流館をよろしくお願い致します。
なかなか皆良い顔で新年から逢えて嬉しいです。
また母校の駒大高校のOB稽古会も高校の道場であり、 参加をしてきました。
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今年も感謝
毎年思っていることですが源流館のことを思ってくれた方々、 稽古に参加していただいた人はもちろんのことですが違う形で 心配したくれたり、応援してくれた人達に本当に感謝の心で いっぱいです。 今年も無事に納める事が出来ありがとうございます。
今年も色々ありましたが、無事に源流館も終わることができ 何よりの喜びです。特に記念すべき女子部団体戦が発足でき、 なおかつ渋谷区大会において初出場&初優勝ができたことは山田館長 をはじめ男子館員にはこの上もない喜びとアベック優勝と言うまた 新たな大きな目標もでき、逆に男子が気合をいれらそうな勢いがまた たまらなく良い感じと思います。
思い起こすと十数年前に故青山師範にご指導を頂き、 笹塚中学校の卒業生の体ならしという軽い気持ちでスタートし、 稽古人も仕事をもっている関係からなかなか参加できず、 最初のうちは少ない時には一人、二人しかこないときもありましたが、 駒大高校の関係者や新しい人も入ってきてくれ、今ではHPのおかげで 一段と盛り上がり感謝の気持ちでいっぱいです。 おくがましく昇段なんて思いもよらなかったのですが、恩師朝内先生が稽古 に参加して頂けるようになってからは、皆別な力を頂いたかのごとく結果を 残すことができました。
現在七段五人・六段三人・五段二人他にもいらっしゃいますが、皆若手 での合格は我が道場ながらすごいと感じています。特に今年はお忙しい のにもかかわらず東京医科歯科大宮坂副院長や女性剣士の最高峰の 保科さんや姫野先生と言う素晴らしい先生がおいでを頂き感謝以上の 言葉があったら使いたい!そんな気持ちでいっぱいです。 剣道時代様に書かせて頂いた一説の中にある「勝つための有効打突より、 今は心通じ合う友好打突を目指していきたい」その言葉のような源流館に なって来たような気がします。源流館始まって以来の今年の盛り上がりと 楽しく皆と稽古したり、お酒を飲んだり、恒例のバーベキューや試合後の カラオケ等も参加してくれ、家族ぐるみでも楽しくお付き合いができたこと に感謝と大満足です。
皆さんのおかげで気合の入った、楽しく良い形の稽古場となり、 そのことをおごり高ぶらず今までどおりの心でずっと続けていければと 願い皆と努力をしていきたいと思っています。またこの源流館の HPをご覧頂いている方にも心よりお礼申し上げます。 稽古の見学や初めての参加はご連絡さえ頂ければ誰でも自由ですので お気軽にどうぞ。
今年は連盟の忘年会と重なり11月をもって終了させて頂きました。 記載した稽古日に変更がありましたことをお詫び申し上げます。 年明け2003年は1月16日(木)7時30分より稽古を始めたいと思って いますので皆様方のご参加をお待ち申し上げています。 本当に今年は皆様方の暖かい御心に深く深く感謝致しております。 ありがとうございました。
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形披露&女子団体優勝
11月3日渋谷区剣道大会が行われた。 今回の試合は色々な事が重なり緊張感や、期待感で膨らみ 楽しみだった。まずその一つは久しぶりに山田館長と試合前に 日本剣道形を披露しなくてはならないことだ。事前の理事会で剣道連盟 の山下会長からの指名で決まったのだ。 今までたくさんやってきた剣道の試合だって緊張するし、いまだに 自分が納得できた試合なんて数えるほどしかなく反省ばっかり。 まして形なんて審査前の時意外稽古もしない。 いつもやっつけ仕事みたいな形なのだから人前で披露するなんて おくがましいの極みである。 (本当はそれじゃいけないと思い 最近は昇段審査を受ける人の相手をしている) けど選ばれた以上はぐちゃぐちゃ言わず真正面に取り組んでみた。 約二ヶ月間前からどこの稽古でも居合刀を持って行き、 一人で鏡に向かってやってきた。 山田館長は居合もしており形は苦手ではない。 まず私は刀の抜き差しが一番の問題である。 普段は木刀なのでまるで気にすることのない作業がそこにある。 抜くのはまだ良い、問題は収める時なのだ。 せっかく間違えずに終了したとしても、刀がさやに収まらなかったり、 落としたりしたらそれこそ恥ずかしい。 私は今まで試合など向かう時「これだけ稽古したのだから負けない」 とか「この真剣さは自分にしかわからないくらい頑張った」とだから 大丈夫的発想で緊張を乗り越えてきた。 だから今回も「逃げられないのなら向かっていく」「辛い事を目標に 頑張り楽しむ」なんてね。要するに暗く日を送りたくないから。 友人の僧侶が「日日是好日」と言った言葉を何か妙に今でも ちょっと困ると思い出す。 そうは言っても何十回やっても上手く行った事はなかった。 結局当日しか館長とは刀を合わせられなかった。 そして本番を迎える。
緊張なんてもんじゃなく、二日前には形を 間違えてしまった夢までみた。 でもガタガタ震える足を滑り込ませるように前に進み礼が終わり、 立ち位置にいき山田館長の目が合った時何かほっと力が抜けた。 もし体操着だったら足の震えがばれてしまいそうだ。 その前に体操着で形を披露するやつはいないか。 (高校時代K木S一後輩は先生がいないと体操着で稽古していた。) 日頃から見慣れ色々な事を心から話してきた館長だけに呼吸がそろう。 私は打ち太刀をやらせてもらった。 この形が何とかなるにはこの一本目が勝負だと思った。 自分で言うのもおかしいが何か吹っ切れたと言うか、 一本目を思い切り打ち(切り)にいけた。 気持ち良かった。 風のように綺麗に抜かれ、押し返す波のようでまた鋭い剣が 私の頭上でぴたりと止まった時、体の中に良い空気が入って きたようだった。
心の中で「先輩かっこいいよ」と呟いた。 何本か進みもうそこには動揺や苦痛はなく、爽やかな緊張感で 二人の心と剣が行き交う。七本目で体が入れ替わり、 元に戻すとき見ている人がいること
に気がついた。 演武しているのだから当たり前なのに、何か改めて皆の姿が視界に 入ったとき、その視線が暖かく感じた。 粗探しではなく、応援してくれていると感じた。 お世辞にも上手な形ではないけど、間違えなくできたし源流館として 恥をかかず、久しぶりに山田館長とも形を打てた。 それだけで大満足だ。 後で見ていた人が「良くあっていたね、何回も練習したの?」 と聞くので今日だけと答えたが、やっぱり中学から先輩後輩で 今までいると言うことは計り知れない信頼関係があり心が 合うんだなぁと感じた。
形を打つ前に一つ呼吸をしながら 「親父見てくれ今から形やるから。間違えないように助けてくれよな」 と心で伝えた。今は剣道が大好きだった親父にできる唯一の親孝行 だと思っている。
女子団体初優勝 そしてもう一つは源流館始まって以来初めての女子団体戦に 参加できる事である。 HPを開き色々な人が稽古に来てくれるようになった。 特に女性が入館してくれた事は山田館長を筆頭に男達はこの上もない 喜びと感じている。 皆初心者ではないけど何年もやっていなかったり、仕事で常に参加 というのも難しいから一回一回を真剣そのもので取り組んでいる。 いつ出来るかわからないから今を熱く竹刀を振っている心が伝わってくる。 試合に対してもやる気満々だ!
午前中は個人戦が行なわれた。 個人戦の結果は小林さんが準優勝!安藤さんが3位になりなか なかの滑り出しだ。他の人達も頑張ってはいたものの久しぶりの試合 で緊張感や試合勘が戻らず自分の剣道が出来なかったみたいだ。 でも、当たり前だしそんなに試合が簡単だったら勝った時に喜びがない。 昼に合同練習を行い皆の体も慣れてきてこれで団体戦に 向かう気も出来た感じだ。
一回戦は高校生チーム。 動き中心の高校生に惑わされる事なく堂々と大人の剣道で5−0と圧勝。 何か急にすごく強く見えてきた。 一試合終わっただけなのに何年も前から一緒に剣道していたか のようなまとまりも出来ている。不思議な現象だが一つの事に真剣に 取り組むと言う事は言葉では表せない、信頼と言う心の絆がしっかりと 出来上がってきたのだと感じた。 二回戦、三回戦と楽勝とは言えないが、かなり安心してみていられる 試合展開に試合するごとに女子達確実に強くなっている。 誰かだけが勝つのではなく、誰かが負ければ誰かが勝ち、負けた人は 次ぎに勝つ。小さな雪を皆でコロコロ転がして大きくしていくように、 勇気や自信や信頼感や助け合う心で優勝と言う大きな雪だるまを 作り上げていくようだ。
いよいよここまで来たかと思える決勝戦! 相手は連続優勝するほどの実績・技量共にそろったチームで とても強い。まとまって一つの形を作り上げてきた源流舘 女子チームも侮れない。お互いの力がぶつかり合い見ていて 本当に良い試合だった。 結果は源流館に勝負の女神が微笑んでくれた。見ていて感動を超え女性 は底知れない力があるなぁと感心してしまった。
男子は私のふがいない大将戦で負けてしまい。 賞にからむ事は出来なかった。 まぁ、一日にそんなにいっぱい良い事があるのもおかしいから、 これで最高です。
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中学団体優勝
先日行なわれた渋谷区剣道大会で関わっている同志会の 中学生達が団体戦で五回連続の優勝をしてくれた。 小学生の時から関わり教え子達と言うよりは我子供のように 思ってきた。 剣道だけではなく一緒に合宿に行ったり、家でゲームをしたり 色々な話しもいっぱいしてきた。 彼達にいっぱい剣道や人としての事を教えたけど、私自身も 彼達にいっぱい教わる事もあり、七段昇段のときもずいぶん 私の心に勇気と自信を与えてくれた。 ある子がきらきらした目で「先生七段受かったらいいね」と 言ってくれた。 山ほど厳しい指導をしているんだから 嫌われたり、怖がられてもしょうがないと思っていたのに、近くに 来て「先生頑張って」と言う瞳は私の心に響いた。 この時ほど小学生だって真剣に教えてれば心が伝わるんだと 機嫌を取るように優しく教えなくて良かったと思った。 剣道は武道だし形より心が通じ合える人を大切にと思う。
ある言葉に「教え子は自分の鏡」だと聞いた事があるが その言葉は正しいと思う時もあるが、この子達は違うね。 こんなに私は立派ではないし、熱心でもないし、ましてかっこいい。 だから合わせ鏡ではないけどその映った鏡の子供達の姿を 手本にして私は剣道を生涯続けて行きたい。
子供達と関わり私は自分の言葉で教えたいといつも思ってきた。 「剣道の試合は誰のためにするの?」と初めての子に聞く。 ほとんどと言っていいくらい「自分の為にします」と返って来る。
私はその子に言います。 「だから試合に勝てないんだよ」
試合は相手だって勝ちたいと思っている。 試合が自分の為だけなら辛くなって負けても自分だけ悲しくなれば 良いけど、直接試合に参加できないけど君達よりもっと真剣に 自分の事以上に思っている人が居る。 お父さんやお母さんや家族、そして先生達がいるんだよ。 君達が勝てば何倍も嬉しくなり、負ければ何倍も悔しいと思ったり かわいそうだなぁとも思う。 だから大切な人を悲しませたくないと思うから「負けない」 「負けられない」と頑張れる。 だから「試合は周りの人達のためにする」そして 「稽古は自分の為にする」自分に出す結果は一番最後に出るから。
そして勝つという難しい事をした時、応援者は大喜びだ。 優勝した子供達に私は心から、「ありがとう。君達は親孝行・先生 孝行をしてくれたんだよ。最高にかっこいいぞ」言う。
これから高校生になっても剣道を続けて行ってくれると信じている。
この子達が剣道を続けて指導をするようになった時 この最高の気持ちを感じてほしいです。
勝った事がすごいんじゃなくこの子達の日頃の稽古に対する心 優勝だけがほしくて剣道してきた訳ではない。 自分に皆に、そして大切な人への証です。
「勝ちは価値がなくては意味がない」
また笑点風にまとめてしまった。
こんな笑顔が最高です。
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渋谷区の将来
9月29日明治神宮で少年剣道の試合が行なわれた。 東京だけではなく近県からも選ばれた小学生と中学生の 混合チームで競い合うとてもレベルの高い試合だ。 以前は一つの団体や道場で出ていたのだが、あまりに 周りのレベルも高く、また個人個人の力量を考え、色々な意味で 切磋琢磨と言うことも考慮し選抜チームをここ数年とっている。
そのおかげかいい成績を収めるようになり、また子供達も 各道場の横のつながりが出来たと思う。 今回も今の渋谷区の中でも剣道的に強いと言うだけではなく、 剣道を誰よりも真剣で一生懸命取り組んでいる子供達だ。
稽古をせず強いだけなら私は選ばないし、連盟としての 代表として出るのにはいけないと思う。 彼達はまだ幼い面もあるのに大人以上に剣道を真剣に 考えている。 私が知っている肩書き名誉だけが大好きで、ろくに稽古をしない 剣道家よりとっても立派で素晴らしい。
予選リーグの試合も強い相手に何とか勝ち抜かせてもらった。 一試合一試合進む毎に皆の心もまとまって来た。 当たり前なのだが打ち進めば相手は強くなり勝つ事が難しく なってくる。 けど気合は充実してくる。
こんな時気おくれした子供(試合者)は良い結果どころか 自分の思ったことや、いつもの力も出せず終わってしまう。 大人だってと言うか大人の方が結果を考え過ぎて試合に 取り組もうとしなくなる。 この代表選手達は違う。
本来嫌な事や辛い事は出来る事なら避けて通りたいと思う。 私でも避けて通りたい事はたくさんある。 でも、避けて通れないなら楽しむとまでは行かなくても 真正面から向かっていこうと思うようにしている。
渋谷区は年々少年剣道人口も減りつつあり厳しさより 剣道に携わってくれたら大切にしようとさえ言う指導者もいる。 それも当たり前の考えかもしれない。
けどやっぱり剣道は武道だから、少々の事は向かって解決 してこそやっている意味があると思う。
彼達の負けた試合は素晴らしかった。 試合に望む前も終わった後も同じ目を輝かせていた。 強い相手に後ろの三人は最初に一本とる。 まして逃げることなく打ちに行くから相手に拾われ負けることも あるが、その気持ちが見ていて感動した。
「今俺は剣道を真剣にしている」
と言っているようだ。
結果は惜しくも負けたが皆の顔には「すみません」なんて 卑屈な言い訳やごまかしがない。 見ている父母からも「負けてすみません」となんてコメントが ないのも一番嬉しかった。 我子が一生懸命やったことを一番知っているのは親だから! この試合を見て「よくここまでやったね」とさえ言いたかった と思う。 私も負けたのに「こいつらなかなかやるなぁ」と思う。
私も改めてこの選手達を見てまだまだ自分は甘いと感じた。 監督なのに負けていられないとも思った。
渋谷区剣道連盟の将来もこんな子達がいる限り安心です。
いっぱい子供達から教えてもらえる。 お時間がありましたら子供達の試合見に来ては!
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巣鴨大会
伝統の巣鴨大会が行なわれた。 レベル的には東京都の小学・中学生の大会より上かもしれない。
団体戦は皆自分のもてる力を出したけど両チームとも 一回戦負けと言う結果だったけど、小学生の個人戦に出た 高田君がなんとベスト8になった。 暑い体育館だったけど最後まで必死で頑張った。
小学生がこんなに頑張るなんて心が熱くなった。
負けたけどなかなか良いメンバーでした。
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広島の中西君
八月の源流館の稽古は本来休みだったのですが 後輩の中西君が全日本七段選抜大会に広島代表として 選ばれ、東京によってくれたので皆に連絡したら 快く参加してくれた。 皆も久しぶりの剣道だったので稽古したかったのか活き活きと 稽古が出来た。
写真は飲み会後なので、本来稽古にはもう少し稽古人は 多く、中西君は移動疲れもあると言うのに全員と稽古して くれ、皆全日本レベルの人と稽古出来た事に感動していた。
さすが全日本と言う攻めと打ち。 特に皆が絶賛したのはどんな相手にも真剣で一本一本 あきらめないで打ち込む姿だ。 勉強になる。
参加してくれた小学生や中学生も良い見本となったと思う。
また今回は何年ぶりか久世君も偶然参加と最高である。 剣道は続けていると色々いい事にめぐり合うなぁと つくづく感じ、一瞬にして皆が仲良くなれるのも剣道ならでは だと思った。
また皆で楽しく剣道がしたいと終わった後心から感じた。
美味い酒は良い仲間が居るからだ。
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剣道時代
このたび剣道時代のご配慮により九月号(今月号)に 私のコラムが載っています。(平成14年7月26日)
未熟な文章ですが、剣道時代の伊藤様のお力も借り それなりに読めるようになったと思います。 自分の考えている事を文章にしたり、読んでくれる人に 少しでも何か響いてもらえたらと思うととても難しいのですが 完成した時にはなにか嬉しかったです。 何より今は源流館も剣人が増えてくれ本当に充実した 稽古が毎週のように出来る喜びは言葉にならないくらい 嬉しく、また来ていただける皆に感謝でいっぱいです。
今でも試合に出ていますし、これからも出られるような 試合は、がつがつではなくライフワークとして出たいと思って いますし、もちろん真剣に勝ちたいと思っていますが、 それと同じくらいまたそれ以上にこんな素晴らしい 皆と知り合える事が出来たのも剣道のおかげだと心から 思っています。
剣道はやればやるほど難しく思えるときもあるけど 皆と厳しく笑顔で稽古できることが一番です。
私のこともありますが良かったら剣道時代 ご覧いただければ幸いです。
剣道時代はこちらから
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突きは好き
先日の源流舘の稽古で久しぶりにすごく気持ちの良い 突きを打たれた。 突きを打たれて気持ち良いなんて 変な趣味があるわけではないけど目がさめたというか 心と体が一瞬居ついた所を突かれたので、よけるとか 捌くとかではなく、まるで反応さえ出来なかった。
気づいた時には剣先が喉に突き刺さっていたという感じだ。
突きはお互いにとっても危険な技だし中学生までは打っては いけないほど色々な意味で難しいとされている。
高段者の試合や稽古にになればなるほど突きが多くなり 効果的に使われる。 私も打つし試合の組み立て上必要だと思う。 私の試合の中で、下からもぐって小手を打つ次ぎに 突き面は計算できる、たよれる技だ。
でもやっぱり危険だと感じるのは、突きは構えたまま手を 伸ばせば相手との関係なしに突ける。 私の試合は暴力剣道またはプロレスと言われていますが (本人は悪意はないけど結果的にはそうなってしまう) やってはいけないと心に決めているのは相手が面を打って 来るのを見越して下から突く技。 通称スコップ突きとも言われている技だ。
でも先日の先生から打たれた突きは、竹刀の先が突きに 当たった瞬間この巨体が壁まで飛んでいった。 片手突きなので力一杯ではなく「トン」と音がなるような 突きなのだ。 突きも良いタイミングと腰が入っていると 音が鳴るんだなぁと打たれながら思った。
こんな突きは打つことは出来ないけどめったに打たれる こともない、なんか珍しい感覚だった。
突きは難しいけど決まった時にお互いこんな感じだったら 最高な素晴らしい技だと思う。
それにはやっぱりちゃんと指導してもらい、稽古を積んで 喉を突くんじゃなく、相手の心を突きたいと思った。
とりあえず素晴らしい私の自慢な最愛なる教え子の山口君に 練習相手になってもらおう。 このコメントを見たら稽古休まれちゃうかなぁ。
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兄妹の剣道
先日の源流館はとっても中身の濃い稽古になった。 小さな体育館に16人がすごい気合で剣道している。 中学生がいるのにもかかわらず総取得段位83段 この人数でこの段位はすご過ぎる。 段位もさることながら剣道に対する心は計り知れない。 気温の暑さより剣の熱気の方が勝り、そこにいるだけで 見ているだけでも疲れてしまいそうだ。 いつも稽古している人が「今日はここに居るだけで疲れた」 と口にするがわかるような気がする。
忙しい先生方がわざわざ集まって頂き感謝の気持ちで いっぱいです。 特に先生方の地稽古は気迫というか、構えているだけで 息苦しささえ感じてしまう。 試合なら相手の技を抑えたり、出頭を狙ったりと勝敗を 一番におき、なかなか思い切った技が少ないのだが、 皆ほとんど面だけで勝負している。 当たる当たらないとかではない、自分に納得をし相手との 関係を大切にして汗が飛び散るような一本を打つ。
だからこそ技が決まる時の音は小気味好い音が ピーんと張り詰めた体育館に響き渡る。 目を閉じていてもその技がどんな心の面なのかわかる。
特に今回は久しぶりに柏木君の妹さんの保科さんが来てくれた おかげで良い稽古を見ることが出来た。 女性剣士として東京を代表するような保科さんは 爽やかでありながら、ぶれる事のない中心の決まった構え。 見事の一言に尽きる。
最後の方になって柏木兄妹が稽古をする。
私は一人っ子だから兄弟という感覚も味わった事もないし、 身内でというのも娘が始めてくれたから少しは感じる所は あるが、このレベルでの位置ではない。
私はその稽古を見て感じた。なんと良いもんなんだろうと。 同じ血が流れている二人が清清しく精一杯の気迫で攻め 合っている。 その先にあるものは当てたいとか、勝ちたい とかではなく、何かを確認するかの如く時が流れていく。 大袈裟かもしれないが剣も血も超越した言い知りない何かだ。 お互いの技を尊重してるというか、鬩ぎ合いすら爽やかだ。 意地になって力を見せ付けるなんてそこにはない。
剣道を愛する心のぶつかり合いすら感じる。 次々に繰り出す気合と技が見ている人たちを巻き込み 何倍にもなって膨らみ、剣道の別な形の醍醐味にもなっている。 数年前にお父さんは他界し今はそこにはいないけど、 こんな姿を、この稽古を私はお父さんに見せたかった。
稽古が終わったあと私は「この稽古ビデオにとってお父さんの お墓に持っていってあげたいなぁ」と言う。 「お墓にはデッキがないから見れないか」と軽い笑いを入れると 恩師である朝内先生が「権田心配しなくてもこんな時はお父さんは 降りてきてしっかり見ているよ」と言葉にする。
さすが仏教の道を歩んでいる先生ならではの言葉に深く感動。 そうだ、そうに決まっている。と私も思った。
剣道を真剣に続けているからこそこんなに素晴らしい稽古になる。 歩む道が同じだから辛い時もあれば、逃げたくなる時も あると思うけど、続けていたからこそ今の剣道がある。
本当に良いもんだなぁとつくづく感じてしまった。
ある意味私は同じ道場の稽古人は兄弟と思っている。 だから私も皆とこんな肩の力が抜けた澄み渡るような剣道が 出来るよう頑張って剣道したいと思った。 またいつか拝見したいものです。
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東京都民剣道大会& 中野区50周年剣道大会
前年度初めて渋谷区が都民剣道大会で3位入賞を果たし 今年もその気持ちを持続するが如くチームを作った。 チームを作るうえでこの試合は色々と制約制限がある。 渋谷区に在住か在勤でまた都民である事と同職場から 二人は出来ない。 今の渋谷区はあまり居住という面では難しいのかなかなか 選手を選ぶ上で大変な部分はあるのですが、 前回、今回とも良い感じで選手をお願いできた。 私は生まれた時から渋谷で今も家業で渋谷で仕事している。 渋谷って住んでもいい所ですよ。
少し土地の値段や家賃は高いし、ごちゃごちゃしている所も あるけれど意外と緑も多いし、住んでいる人たちはあたたかい。 だから私はとっても好きなんだなぁ。
そんな渋谷区剣道連盟が今とっても強いんです。 技量というよりも連盟の中のムードが良いからだと思う。 だから、試合も頑張ろうと気合も入る。
試合は終始接戦でしたが何とかベスト8に入ることが出来た。 どこの区や市も素晴らしい選手ばかりなので二年続けての結果に 私は嬉しかった。 良く皆あきらめずに試合に気持ちを繋げて行った事の方が 価値があると思った。 誰だって勝ちたいと思うけど相手だって勝ちたい。 勝ちたいけど、試合をしていると辛くなるから一か八の技を打ち 早く結果を出して楽になりたい。 そこが勝負の分かれ目なんだと思う。 そんな気持ちを皆で盛り上げ、個人がしっかり感じたチームが 勝てると思う。
渋谷区は決して強いわけではない。 ただ応援し合う選手同志や皆の為に頑張る心は誰にも負けない と確信を持って言える。
中野区50周年記念大会に渋谷区も招待を頂き皆で 行ってきました。 私は足も具合も完璧ではないので、二週連続の試合は避けた かったのですが住まいが中野でもあり、娘も試合に出るしお世話に なっている先生も友達もいるし、まして今回は変則的チーム編成で 先鋒は小学生(広尾剣養会 高田君) 次鋒は中学生(笹塚同志会 高橋君) 中堅は女性(金王道場 ベッキーさん) 副将は一般男子(渋谷区役所 佐藤君) 大将はプロレスラーじゃなくって同じく一般男子(私)
何しろこのチームは前3人がとても強い。 特に高橋君は私の教え子みたいな関係だから彼の成長は 自分の事以上に嬉しい。 また、アメリカから来たベッキーさんの勝負根性はこの試合 の選手の中では一番じゃないのだろうか。 最近私は英語がとっても興味ありPCの力を借りてずいぶん 英文も作れるようになったけど。 会話は完璧な日本人。 ベッキーさんは半分くらいわかってくれるから良いけど やっぱり今の時代は英語の一つくらい喋れないとだめですね。
高田君は小学生なんだけどしっかりした挨拶も出来、なにしろ 剣道が気持ち良い、迷わず終始面で勝負だ。
そんな前だから私は少々足が痛くても出てみたかった。
皆良い活躍してくれたけど試合は負けてしまった。 招待試合だけど皆熱かったなぁ。
試合は負けて悔しくて、満足できる事なんて少ないけど その少なくまた逃げ出したいほど嫌なんだけど、 何か皆で一つになれたことがやっぱり良いんだなぁ。
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渋谷区剣道大会
小中学生の部
5月20日(日)少し暖かい日差しを感じながら、子供たちの 試合が始まった。 大人の試合とはまた別物の雰囲気がそこにある。 一般はそれぞれ自分の責任において試合をしているから 負けた時の悔しさも枠が小さくそれなりだ。 また人によっては和気藹々な部分もあるし、子供よりもっと 真剣な部分もある。 全日本までの道のりだってあるから。
でも、やっぱり子供たちの試合は本人達、親心、道場の 指導者等、応援団がいっぱいいるし一つ一つに思いの方が 強く出ていると思う。 まして日頃から稽古を見ていると自分の事以上に真剣になる。 何をおいてもその試合が気になってしょうがない。 私の場合は笹塚同志会と久しくしているので、毎回熱い心。
今回は特に思いがあった。 勝って当たり前という訳ではないが、中学生の四連覇があり 彼達は一年生の秋からのタイトルだけに順当でいけば問題ない。 稽古もちゃんとしているし私も心から関わっている。 ありきたりな言葉で、だから気を引き締めてではない。 今回は布石がある。
一年前に顔見知りの助教がある警察署に移ってきた。 私の同年代だけに、まして高校、大学と試合をしているから 彼の強さと剣道に対する熱意を知っている。 その前から、色々な人から聞いてみたし、指導の心も酒を 飲みながら話し合いかなり手ごわいと感じる。 でも、何か良いんだ。 やる気が出てきた。 また、一年間でどのくらい強くしてくるかも楽しみだった。
私はそれでも負けない自信はあった。 説明は出来ないが絶対な自信はあった。 だからいつもの如く私は一人で防具を持って行き昼に稽古を 子供達とした。 もし負けるかもなんて思ったら私はしない。 私がかっこ悪いからじゃない。 私にかかってくれた子供達に申し訳ない。 不安な気持ちを持って試合会場に指導者が防具をつけて 皆と稽古する意味がない。 一点の心の曇りを見逃すほど私の教え子達はぬけてない。 だから、私は間違いないと自信を持って竹刀を振る。 この子達といっぱい稽古した発表会だから感じたい。 いつもに増して厳しい稽古をした。
彼達も気合を入れ勝つだけではなく良い態度で勝ち進む。 目標としているチームも、こんなに強くなったかと思うほどの 勢いで勝ち進み、いよいよ決勝で顔を合わせる。 なにか緊張感が体の中を冷たい汗に変わって流れる。
私は先鋒に熱く願いを伝える。 この子が勝てば波に乗れるし、落とせば偉い事になると思った。 試合者は元より、それ以上に見ている方に気合が入る。
勝った。 勝ってくれた。 本来ならこれで大丈夫と確信するのだが、今日は違う。 やっぱり相手は想像以上に仕上がっていた。 中堅で振り出しに戻される。 副将が一本とられた時、私は思わず大将に言葉をかけた。 「試合がもつれてきたから、いつもの心と今の状況を考えて 大将としてやるべき事をやってきなさい」と声をかけた。
その後その副将は打ち合いの中から痺れる様な技で取り 返し、大将につなげた。 たまらなかった。 良い試合だ。 そして大将はその勢いで、そして立派な大将として勝った。 相手もとっても凛々しく引かずに前に出るから勝てたと思う。
勝って結果が残せたから嬉しかっただけではない。 このチームの気迫をを感じた。 中学生なのにやけに大きく見えたし「かっこ良いじゃねぇか」 なんて思ってしまった。
試合が終わり、ふと思うと怖さを覚えた。 この短期間でここまで強くさせるかと。
秋はこの子達が優勝旗を手にすることが出来るのだろうか? 勝って良かったと思うことと、また新たに良い目標が出来た事に 何か嬉しくなってきた。 剣道は勝つことがすべててはないけど、勝ちたいと思う心で 日頃の稽古に向かい真剣に竹刀を振る。
剣道を今でも続けていけるのは、こんな事もあるからだと思う。
小学生も渋谷を代表する子に勝つことが出来個人優勝できた。 良い顔してた。
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渋谷区剣道大会
平成14年度渋谷区春季剣道大会が行なわれた。 源流館もHPのおかげで色々な人が入ってきてくれた おかげで2チーム出せる事が出来た。 この所ずっと1チームだったので何かとっても盛り上がる 感じで試合に臨んだ。
私は左足が完全とは言えない状態だし見送ろうかなとも 思ったのだが、やっぱり皆が出て熱く試合をするのに 見学と言うのも何か物足りなさを感じ、悪いとは思いつつ 団体戦に参加をさせてもらった。 段位順なので私はAチームの大将をやらせてもらう。
| A |
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|
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|
| 先 鋒 |
次 鋒 |
中 堅 |
副 将 |
大 将 |
| 馬 庭 |
小野塚 |
山 田 |
伊 藤 |
権 田 |
| B |
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|
| 先 鋒 |
次 鋒 |
中 堅 |
副 将 |
大 将 |
| 澤 口 |
江 口 |
安 藤 |
小 林 |
山 口 |
こんなメンバーで試合を申し込んだ。 題してAチームはアダルト・Bチームはヤングと分かれた。 個人戦は五段以下の人達が参加をした。
最近は渋谷区もとってもレベルが高くなって層の厚さを感じ そう簡単には上位入賞と言うのは難しい。 そんな中最近入ってくれた安藤さんが女子個人戦で準優勝! すごい強かったし、気合も一番だったと思った。 稽古していた時からかなり強いと思ってたけど、やっぱり 一回目から結果を出してくるなんて素晴らしいの一言。
団体戦のBチームは惜しくも一回戦で力及ばず負けてしまったが その代わりと言うわけではないけどAチームは良い感じで 勝ち進み、気がつくと決勝戦に駒を進める事が出来た。 昔は良く決勝戦に関わる事が出来たけど、ここ数年3位までは 行くのだが決勝と言うのは久しぶりの響きだ。
私は左足を引きずりながら剣道だか、プロレスだかわからない 技を繰り出し、お茶を濁していた。 かなり私の相手は色々な所にあざを作っていたのは申し訳ないと このHPをお借りしてお詫び申し上げます。
チームの出来がとっても良く、決勝まで大将戦なしと言う 素晴らしい内容。 それって大将は誰でも良かったみたい。
でも、やっぱり最後だし剣道らしい事をしないといけないなと 思っていたし、相手は私の大好きな上段。 前回2対1で負けはしているもののそれでも大好き。 だいたいの人は上段とするのは苦手という人が多い。 私は高校時代から上段との試合が好きだった。 先輩にもすごく強い人がいたり、同期にもいた。 朝内先生からも色々教えてもらい、なにかやっていて楽しい。 最近では自分でもかぶるくらい好きだ。 ちなみに東京都剣道祭でも5秒ほどかぶってみたが、 ぼろが出ないうちにすぐ下ろした。
立花君はNTTの選手でもあるが渋谷区のオールメンバーの大将 でもある。 このところずっと5段の個人戦では優勝続きだ。 でも、やっぱり好きなんだなぁ。 今までじたばたした試合と言うか、チャボの喧嘩と言うか 悪役レスラーと言うか、ようするに剣道には限りなく遠かった。 アキレス腱が切れたらどうしょうなんて最初はあったけど、 この決勝戦では飛んでいた。
いよいよ、立花君の上段と竹刀を合わせる。 すごい気合に呑まれそうな大きな上段だけど、何かわかんない けど落ち着いて相手の動きが見えるような感じがした。 さっきまでとは違う感じで構えている。 一番強い相手なのに、今日やっている試合の中で一番心が はまっている感じがするのがわかる。
打ち合いの中から相手の右の小手に竹刀が当たった。 「小手あり」と声が聞こえた時、何かとっても嬉しかった。 試合を楽しんでいると久しぶりに感じた。
相手が強いからなおさら気持ちが入っていけるんだと思った。 まぐれで二本目も同じような小手で勝つことが出来た。 勝ったからいえるのだけど、ホッとした。 源流館の大将として少しは皆さんに対して恥ずかしくなく 終わることが出来、私は嬉しかった。 立花君の器の大きさを感じた。
次回もこんな形で試合が出来るよう足を治して稽古ちゃんとして 頑張りたいものです。 優勝は金王道場Aチームで幕を閉じた。
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源流舘特別稽古
皆の心と協力で源流舘の四月の特別稽古会が無事に行われた。 今回は世田谷剣道連盟から佐久間氏が稽古に来てくれた。 国士舘の流れを汲む剣風は中心を求め、当てる事より打つことを 一番におき、さばかれても気にせず面を打ち込む。 それでいて決して単調ではなく機会を探しやり取りも勉強になる。 剣道はいつもの人達と稽古を練りあう事も大切だが、色々な人と 竹刀を交える事も素晴らしい事だと思うし、剣道の良い所だと思う。
最近源流館のHPを見てくれて稽古に参加してくれる人も増えてきた そのうち源流舘新メンバーをご紹介したいです。 皆熱心で真剣で素晴らしく、今回の渋谷区大会にも楽しく出場する ことが決まり、2チームなので決勝で会う可能性も出てきた。 ちっょとそれは難しいとは思うのですが、そのくらいな勢いは 試合に対しての真剣さだと感じる。
やっぱり剣道は良いなぁとつくづく思う。 普通でちょっと知り合っただけなら、なかなかすぐに心から付き合える 事は難しいとは思うのですが、剣道は竹刀を交わした後は すぐに心が通じ合い、楽しく会話も弾む。
色々な事がある時代に無心になって剣道に打ち込める幸せを いまさらな感じて、お酒を口にする。
新しく入ってくれた若い子が自主的に道場を一人で掃除していたり、 教え子が飲み会で皆に気を使って水割りを作ってくれたり、 先輩たちもそんな後輩を見て、言葉にするのではなく稽古で表す。 お互いやれる事を自然にやっている感じだ。
気が抜けないきつい稽古だけど達成感は最高です。 稽古をしている人達が終わった後、爽やかに、にこやかに 会話が出来る道場であり続けたいものです。
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城西五区剣道大会
3月24日(日)に渋谷区主催で城西五区剣道大会が行われた。 今回は10回目の節目の記念大会となり、会場は我渋谷区立 西原スポーツセンター。 城西五区とは、世田谷・杉並・中野・新宿・渋谷であり、レベル的にも 非常に高く親睦大会とは言うものの皆真剣に取り組んでいる。 どのチームも優勝を目指し選手選考から気合が入る。 渋谷区は過去三回優勝を果たしており、今回はまして担当区でも あり、思いっきり優勝を目指してている。 2コートに別れリーグ戦が行われ、(渋谷区は担当区なので 2チーム出す事ができた)、熱戦が繰り広げられた。 渋谷区も頑張り良い試合もいっぱいしたのだが、惜しくも決勝進出は 出来ず、決勝戦は中野と杉並でおこなわれた。 本当にすごい盛り上がった試合で、見ていても最高に興奮した。 結果的には杉並が優勝した。 17人制なのに大将戦までもつれ込み本数勝負と言うのも素晴らしい。 終わった後は和気藹々と懇親会も同センターで行い無事何の問題も なかった事が何よりと連盟もほっとして幕を閉じた。 来年は新宿が主催なので私も足を治し頑張りたいと思った。
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渋谷区剣道連盟合同稽古会
3月14日に金王道場で渋谷区剣道連盟の合同稽古会が行われた 忙しい平日にもかかわらず皆時間をさいては稽古に来てくれた。 剣道とは直接関係ないけど今仕事は大変だと思う。 休みたいとかは、うかつには言えない。 「休みたい?良いよずっとでもいいんだから」なんて冗談とも取れない 返しが上司の口からこぼれ出る。 ここはあえて色々考えてるより、小さな機嫌とりよりでかい声出して 竹刀振って色々なことを吹き飛ばし、お酒飲んで馬鹿話して大笑いで リフレッシュ! 剣道は良い、大きな声を出し相手を打ったら素晴らしいと言われる。 一般社会では大きな声を出せば五月蝿いと言われ、叩いたら暴力で 訴えられる。 剣道は打てば打つほど評価される。 打ち方にも色々あるから一概に全部とも言い切れないけど。
また今回は城西五区剣道大会が渋谷で行われるので、顔合わせ 稽古会も含んでいる。 過去に二度優勝はしているのだが、やっぱり担当区の時は一段と 力が入る。 Aチーム大将の山口先生をはじめ皆も同じだ。
たくさんの人が稽古に来て私は足があんまり思わしくないけど お邪魔をさせてもらった。 熱気ある稽古は知らず知らず気合が入り、良い汗が飛び散る。 この気持ちで試合に望めたら最高に良い試合が出来ると思う。 本当に今剣道していて私は楽しいと感じる。 足のことを考えれば休んだほうが良いとは思うのだが、 アキレス腱が切れないことだけを願っています。
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駒大高OB選手権大会
3月3日に駒大高校剣道部の送別会&OB会が学校で 行われた。 私も出たのだけど何しろ今左足のアキレス腱が痛くて普段の日 でも足を引きずるほどで本来休んで治す方が良いとは思うのだが 懐かしい顔もあるのでお邪魔した。 一回戦はなんと普段から大変お世話になっている松本先輩だ。 少し打ち合った後私は面に出た。 胴が上手な先輩だけになかなか面は打てないのだが、ここだと 思って打ちにいったが、それは先輩にとってなんとも簡単な 技だったなのかあっさり返し胴を返された。 見事に打たれてしまった。
二本目は足が悪化してきたので上段をかぶった。 このままではどうしようもないのでもがいた形だ。 でも、私は生まれて初めての事が起こった。 本当はそんなに大そうな事ではないのだが、上段から下ろした 小手が松本先輩に決まったのだ。 まるでジャンケンみたいなまぐれ当たりだ。 小手に下ろした時、先輩は面を打つべく前に出たところで 出会い頭の交通事故の小手が決まった。 それも終了3秒前だけに先輩もがっかり。 私はラッキー。 延長に入り打ち合いの中から身長だけを利用して面を決めた。
二回戦はあっさり負けてしまい、それだったら松本先輩の方が 勝った方が良かったと思ってしまった。 でも、試合をしているときはやっぱり負けたくない本能が我慢 しきれず顔を覗かせる。 OB大会とは言え大学生から七段まで本気勝負で必死だから とっても白熱して面白い。 試合も進み準決勝では若い者が占めるのかと思いきや、四人中 三人は33歳以上で試合のうまさが光る。 まして決勝戦は源流館に稽古に来ている。 K木氏とO野塚氏なのだ。 K氏は年明けからしっかり稽古を重ね痛風で足は少し痛いものの 優勝候補だから不思議ではないけど、O氏は今年三回目で 体も絞りきれていないし、競馬で言えば放牧休養明けでいきなり 重賞レースに出るようなもの。 唯一のプラスは三日前に今年初めて源流館に稽古に来たとき 朝内先生に面打ちをさせてもらったことぐらいだ。
でも、試合はやってみなくてはわからない。 すごい面をK氏に決め初優勝を達成した。 彼にとって稽古をやりすぎないほうが良いのかも知れないと思った。 本当におめでとうございます。
第50回東京都剣道大会
平成14年2月24日 東京都武道館
朝まだ寒さが残る2月後半に東京都剣道大会団体戦が 東京武道館で行なわれた。 渋谷区も考えに考え抜き、色々な人からも力を頂き、 今渋谷区で一番力が発揮出来る選手達を集めた。
金王道場・立花選手・谷選手・三代選手・梅山選手
東急建設・中條選手
広尾剣養会・菊地選手
笹塚同志会・高橋選手
一般の東京都の試合と言うのは各道場や団体からの選抜。 歳も違えば、職業・環境も違う。 同じ渋谷区内で時々試合を していながら会話と言うのもあまり交わさない方が多い。 そんな間柄で大切な試合に臨んで勝てるのだろうか?
私は監督として参加をさせてもらい、子供達の監督もするが 子供の場合は色々と細かい所まで声をかけてあげるが、 一般の試合は大将を中心に皆に任せる。 その方が自然と会話もするし心も通じ合う。 だからこそ別な意味の緊張感や、負けたら申し訳ないと言う 気持ちがより良い方向に行くと信じている。
ベタベタしたチームワークではなく自分の出来る事、しなくては いけない事を力の限り出して、次の人に渡す。 それで負けたとしても結果よりその心が皆を熱くさせる。 そして責任感が強くなり本当の負けず嫌いなチームワークが でき、一つ一つ良い試合になっていくと思う。
1回戦は試合は開会式後ニ試合目 足立区は地元でもありなかなか実績もあり手強いし、 私には個人的にとても良く知っている仲の良い監督なので 別な意味で渋谷区の選手には頑張ってもらいたかった。
先鋒の梅山選手がムードを作ってくれて皆が波にのれたと 思います。 終始攻めの気持ちを忘れず素晴らしいです。 結果は下記にあります。
| . |
先鋒 |
次鋒 |
5将 |
中堅 |
3将 |
副将 |
大将 |
| 選手名 |
梅山 |
高橋 |
三代 |
谷 |
菊地 |
中條 |
立花 |
渋 谷 |
メ メ |
. |
コ メ |
コ コ |
メ コ |
. |
コ コ |
足 立 |
. |
メ
|
. |
. |
. |
メ コ |
. |
| 選手名 |
山崎 |
山下 |
篠原 |
富井 |
高森 |
市原 |
高橋 |
2回戦は皆の体も動き、特に立花選手が大将として安定した 試合運びで皆をまとめて行く。 練馬区も強いチームで結果ほどの差はなく一試合一試合皆 心も体も気合いも乗ってきたからこの結果になったのだと 思った。 まして次は警視庁と言う事が頭にある。 結果はこの通りです。
| . |
先鋒 |
次鋒 |
5将 |
中堅 |
3将 |
副将 |
大将 |
| 選手名 |
梅山 |
高橋 |
三代 |
谷 |
菊地 |
中條 |
立花 |
渋 谷 |
メ |
メ メ |
コ メ |
コ メ |
. |
メ コ |
コ メ |
練 馬 |
. |
. |
. |
. |
メ |
. |
. |
| 選手名 |
新原 |
加藤 |
前泊 |
齋藤 |
榎戸 |
吉原 |
塙 |
3回戦は警視庁Aチーム 先鋒の梅山選手がだいぶ激しく打ち込んでくれ警視庁は たまらず足をかけて反則をとられどのくらい本気で必死 だったかわかる。 技的にも良い技があったが旗は上がらない。 唯一谷選手が引分だが、他の選手も接戦で良い試合だった。 中條君は互角以上の試合展開だったと思う。
結果は下記です。
| . |
先鋒 |
次鋒 |
5将 |
中堅 |
3将 |
副将 |
大将 |
| 選手名 |
梅山 |
高橋 |
三代 |
谷 |
菊地 |
中條 |
立花 |
渋 谷 |
. |
. |
. |
引 き |
. |
. |
. |
警 視 庁 |
メ |
メ コ |
コ メ |
分 け |
メ コ |
ツ |
コ |
| 選手名 |
松脇 |
小関 |
中田 |
原田 |
岩佐 |
石丸 |
平尾 |
本当に強いメンバーでした。 剣道も若々しく心も顔も良いです。 皆が一つになれ自分の未熟な所とやればこんなに出来る と各々が感じ、意味深いとっても良い試合だと思いました。 監督として大満足な一日でした。 おまけに競馬も当り言う事無しですが、これも皆のおかげです。 剣道の一番良い所を感じられて嬉しいです。
優勝したのは警視庁Aチームでした。
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今とても快く一緒に剣道させて頂いている宮坂先生が少し私を思い 浮かべて剣道時代に書いて頂いた文章です。 とてもわかりやすく為になるので載せて見ました。 参考になれば幸いです。
健康づくりで大切なこと
東京医科歯科大学内科 宮坂 信之
はじめに
剣道をする上において、健康でなければ楽しい稽古はできません。また、健康でなければ、剣道は上達をすることはできないばかりか、むしろ無理をして稽古をすることでパフォーマンスが落ちてしまう、ということは選手ならずとも日常経験するところです。 それでは健康とは何でしょうか?健康とは、「ただ単に病気がないだけではなく、身も心も社会的にも調和のとれた良い状態」を指します。すなわち、健康とは心身ともに健やかな状態を意味しています。「健全な精神は健全な身体に宿る」といいますが、同時に「健全な身体に健全な精神が宿る」のです。心とからだは健康を作る上での両輪です。両者のバランスが取れていてこそ、健康な状態を作り上げ、そして保つことができるのです。
1.
健康な状態を作り上げるためには 健康は守ることも大切ですが、それより前にまず健康な状態を作り上げなくてはなりません。そのために大切なことは「快食・快眠・快便」、それに「適度の運動」です。栄養のバランスが良い食事を適量取り、睡眠時間を十分に確保し、そして生活のリズムに乗って過ごすことができれば便通もさわやかになります。そして、適度の運動をすることで精神的なストレスからも解放され、しかも新陳代謝が活発になることで、内臓の働きも活発となり、高血圧、糖尿病、動脈硬化などの生活習慣病を防ぐこともできます。 からだの抵抗力を防衛体力ともいいます。防衛体力の基礎となるのはからだの免疫の力です。免疫とは、「病気(疫)から免れるためのしくみ」です。からだは免疫というしくみを持っているために、簡単には病気になりません。たとえ病原体が体内に侵入しても、免疫のしくみが作動することにより、病原体は体内から排除されてしまいます。この防衛体力は、適度の運動で増強することがすでにわかっています。適度の運動は、白血球などの免疫をつかさどる細胞を活性化するために防衛体力は増強されます。しかし、過度の運動の場合は逆です。過度の運動はからだにとってストレスとなり、アドレナリンをはじめとするいわゆるストレスホルモンと呼ばれる物質が大量に産生されます。その結果、免疫の力は落ちてしまい、防衛体力は低下することになるのです。具体的な例を挙げてみましょう。某大学剣道部で10日間の激しい寒稽古を行ったところ、他の運動部員に比較してカゼ症状の出現頻度も持続日数も多かったという結果があります。寒稽古や朝稽古も根性を鍛えるうえでは効果がありますが、やり方によっては健康を害することもあるのです。また、オーバートレーニング症候群ということばがあります。過度の運動を毎日くり返すことによって疲労が慢性的に蓄積してしまい、かえって試合や稽古に支障を来してしまう状態です。優れたスポーツ選手がある日を境にして突然思うようなパフォーマンスができなくなってしまう、という原因としてこのオーバートレーニング症候群があります。 健康に影響を与えるストレスは肉体的なものだけではありません。精神的なストレスも免疫の力を落として防衛体力を低下させます。毎日、精神的に張り詰めたギリギリの生活をしていると、やはりストレスホルモンは大量に作られ続け、そのうちにはからだは限界を超えてしまいます。
すなわち、「過ぎたるは及ばざるがごとし」なのです。からだは過度のストレスには耐えられません。適切な練習メニューのもとに適度の運動(稽古)を行い、あとは十分な休養を取ることが大切です。ただひたすら根性でやり続けても、決して健康なからだを作ることはできません。真面目で不器用な指導者や選手ほど、この落とし穴にはまり込む傾向があります。 ときには勇気を持って休養を取ることも大切です。 それでは、適度のめやすとはなんでしょうか?それは一言で言えば、朝起きたときに、「ああよく寝た!」と感じられることです。逆に、朝起きたときに、「ああ疲れた!」と感じるようでは稽古のやり過ぎなのです。また、「夜よく寝つけない」、あるいは「眠りが浅くて夢ばかりみる」ような状態も稽古のやり過ぎです。 もう少し医学的にお話しましょう。「生命徴候(バイタルサイン)」ということばがあります。これは、体温・脈拍・血圧・呼吸数のことです。できることなら、普段から自分の体温・脈拍・血圧を知っておくことが大切です。特に中高年の方々は脈拍や血圧を自分で計る習慣をつけると良いでしょう。過度の稽古が続くと、微熱が出たり、脈拍が早くなったり、血圧が上がったりします。これらの「生命徴候」をモニターすることで、からだに過剰なストレスがかかっているかを簡単に推し量ることができます。
2.
飲酒と喫煙-第二道場での過ごし方 第二道場ということばがあります。稽古の後、場所を換えて飲食をしながら交流を深め、剣道を語り学ぶということなのでしょう。「酒は百薬の長」という言葉のように適度の飲酒は健康に良い影響を及ぼします。このことばを免罪符のようにして痛飲する方がよく見られますが、 過度の飲酒は逆に健康に悪影響を及ぼします。 アルコールを日本酒で毎日3合以上飲む方には肝臓の病気が起こりやすいことはよく知られています。その代表例は脂肪肝です。これは、肝臓に脂肪が大量に蓄積した結果です。しかし、自覚症状はないために、健康診断で血液検査や腹部超音波検査をやらない限り見過されてしまいます。この状態が続くと、アルコール性肝障害、さらには肝硬変へと進行します。こうなると、「体がだるい」、「疲れやすい」、「顔や足がむくむ」などの症状が出始めます。こうなってから飲酒を制限するのでは遅いのです。 剣道家に痛風が多いのも有名な事実です。痛風とは、尿酸が血液の中で増え過ぎ、関節の中で結晶となることによって関節炎を起こします。いわゆる痛風発作です。足の親指が好発部位ですが、足の甲や足首の関節にも発作が起こることもあります。これは、アルコール自体に尿酸を作らせる作用があること、飲酒と共に食べる食品の中に尿酸のもとになるプリン体が入っていること、アルコールが利尿作用を持つことによって体が脱水状態になり、血液が濃縮されること、などの理由によります。また、掛かり稽古のような無酸素運動自体も尿酸を上げる原因となります。このように、剣道は第一道場においても第二道場においても痛風を起こしやすい要素が多々あるのです。
それでは、どうすれば良いのでしょうか?答えは簡単です。まず大切なことは、「飲み過ぎないこと」、次は「十分に水分補給をすること」です。ただし、水分補給はビールでするのではありません。ビールはアルコールの中ではもっともプリン体が多く含まれていますし、利尿作用によってさらに血液の中の尿酸は上がってしまいます。激しい稽古をする前にはコップ一杯の水を飲み、稽古後には十分にお茶や水、あるいはスポーツドリンクなどで水分補給をして下さい。ただし、コーラやジュースなどをペットボトルでたくさん飲み過ぎると、ペットボトル症候群といって糖尿病が出ることがあるから要注意です。 次は喫煙です。世界保健機構(WHO)によれば、喫煙が原因で死亡する人数はなんと年間400万人だそうです。たばこの中には約4、000種類の化学物質が含まれており、それが健康障害を起こすのです。喫煙が原因で起こる病気としては、慢性気管支炎、肺気腫、肺がんなどの肺の病気や、狭心症、心筋梗塞などの心臓の病気、胃炎や胃潰瘍などの消化器の病気があります。また、病気にならないまでも喫煙は心肺機能を低下させるため、運動能力には悪影響を及ぼします。よく、「稽古の後の一服がたまらない!」という方もおられますが、医学的にはあまり好ましいものではありません。健康の面からみると、喫煙は「百害あって一利なし」といえましょう。
3.
年代別に心掛ける点
少年期は発達期であるために、大人よりずっとデリケートです。ある県のスポーツ少年団に入っている小学高学年を対象にして行った調査では、週5日以上スポーツを行っている群ではそれ以下の群に比べてカゼにかかりやすく、しかもカゼの症状が長く続くという驚くべき結果が出ています。指導者は子供達にカゼを引かせないような注意が必要です。 少年剣道で多発する症状は、「踵の痛み」です。医学的にはしょうこつこったんしょう踵骨骨端症(シーバー病)と呼ばれる状態で、踵の後方にある軟骨(骨端軟骨)の障害です。右足を踏み込むことで、骨端軟骨がアキレス腱によって引っ張られるために軟骨に力がかかり過ぎるために痛みが出ます。また、中学生では、膝のお皿の下の脛前面に痛みが出て腫れる病気(オスグッド病)が起こることもあります。太ももの筋肉に靱帯が引っ張られて骨の付着部からはがれるのが原因です。 このような痛みが出るようでは稽古のやり過ぎです。子供達に脛や踵の痛みが出ないように稽古の量を調節すべきですし、万が一痛みが出た場合には、痛みが完全になくなるまで稽古は中止です。このように、成長期にある少年に対しては慎重な配慮が必要です。 青年期になると、稽古のし過ぎによって腱鞘炎や椎間板ヘルニア、疲労骨折などが起こります。対策としては、適切な指導メニューの作成、障害の早期発見と治療です。 中高年になると、肩、肘、腰、膝の痛みが出るようになります。これらの原因は、慢性的な小さな外傷、筋肉と骨の弱体化とからだの柔軟性の衰えなどがあります。また、高血圧、糖尿病、動脈硬化、痛風などの生活習慣病が始まるために、無理がきかなくなります。これを防ぐためには、準備体操と整理体操の励行、基本稽古の実施、筋力トレーニングによる筋力補強などが大切です。
おわりに このように、健康を作り上げ、守るためには自らの工夫と努力が必要です。そして、先人の諺にあるように、何ごとも「過ぎたるは及ばざるがごとし」なのです。ともすると、剣道家ほど健康に無頓着な方はいません。つい熱中するあまり、また若さを過信するあまり、健康の大切さを忘れてしまいがちです。健康であってこそ、剣道の稽古は初めて楽しくできることを忘れないで下さい。 以上、書いてきたことは、全日本剣道連盟で発行している「剣道医学Q&A」にくわしく書かれています。また、紙面の関係から触れることができなかった各年令層の病気についても本書には書かれていますので、さらに興味のある方は参照していただければ幸いです。
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剣道は楽しい
今年は新年から足の事を気にしながらも稽古を重ね 色々な人とも稽古が出来、満足なスタートが切れたと思う。 色々な人と稽古をして改めて感じたこと。 人は顔や性格が皆違うように、剣道も色々あるんだなぁ、と つくづく感じた。 攻め技が強い人。 返し技が得意な人。 それもそうなのですが、心から楽しんで稽古している人に 私は素晴らしいと思った。
新年早々、また寒いのにそんなことより剣道が楽しいと 感じ竹刀を振る。 そんな人と剣道をしているとこっちまで楽しくなってくる。 試合はやっぱり打たれずして、相手を打ち勝利を得る。 それも素晴らしい事だが、やっぱり勝負は負けて終ると 悔しさが一番に残る。 だから負けまいと努力するからそれも大切なんだけどね。
でも稽古は何本打たれたとしても、その何本よりも自分が納得
するような技が心が打てるかと生意気にも私は思う。 けど剣道は二人でするのだから、自己満足だけで好き勝手で 自分だけの思いを通しでは相手は誰でも良くなってしまう。 その人じゃなくっちゃいけない剣道をしたい。
自分が楽しい剣道を感じたいのだから、まず剣をあわせて くれている相手が楽しく思っているだろうかなぁと 自分に思いかえしたい。 またこの人が私と剣道したいと思ってくれるのだろうか、 目に見えることより見えない心がその人とあっている のだろうか・・・・と思う。 わかって頂けるとは思いますが、相手に打たせたり 打たれようなんて言う事ではなく、最高の気合いで打ちこむ。
何か難しく書いてしまいましたが、剣道を好きな人なら わかって頂けると思います。
ある時稽古会で後輩の稽古を見ていてとっても楽しそうで、 また相手も必死でむきになって竹刀を振っているのになぜか にこやかに爽やかに剣道している姿に感動してしまった。
見ていても楽しそうに感じ、私もあんな稽古がしたいと 思ってしまう。 私は不器用だから細かい技とかは出来ないけど、気あたりを 大切にして自分なりにもがいて剣道して行こうと思いました。
色々な人と剣道していると、「あれ」と思う事もあるけど そんな時自分も同じ稽古をしているのかと思い返してしまう。 今だに剣道に自信なんか持てないけど、楽しくしたいし 今は色々な先生方や、初めての人や、仲間や、後輩たちと 稽古するのがとっても楽しいです。
生意気なことを書き、また何が言いたいのかわからないような ことを書き、それによって嫌な思いされた方がいらっしゃい ましたらお詫び致します。 悪意などありません。
剣道を通して知り合えた人達は私の宝です。 今年もその宝が少しでも多くなれば良いな。
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1月14日(日)駒大校OB会
平成14年の剣道もいよいよ始まった。 昨年は稽古初めから左足脹脛肉離れをしてしまい、約3ヶ月 まともに剣道できず体も辛かったけど、心も辛かった。 だから今年はとっても気をつけて剣道を始めた。 教え子達に付き合ってもらって8日から稽古開始。 約3週間竹刀を握っていなかったので、とっても妙な感じで 剣道と言う代物ではなかった。 けど良い汗が出た。
13日は同志会の鏡開きも参加して段々体ももどって来た。 翌日は宮坂先生と気合いに満ち溢れた稽古ができた。 新年からめいいっぱい打ち合いができ、最高でした。
その後国士舘で世田谷の中学の試合を見に行って、 駒大校でOB稽古会に参加した。
ふぅ〜〜〜。 新年から2回稽古なんて体の筋肉が震えてる。 けど、朝内先生をはじめ久しぶりに色々OBや高校生 と稽古できた。 今でも道場に入る時は身が引き締まる。
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12月6日(木)源流舘稽古
源流舘の稽古も無事終わることができ、何よりも色々な 人が参加して頂いた事が個人的にも源流舘としても 大変嬉しい事だと感じました。
最後の締めくくりに朝内先生も全剣連の稽古会の後 わざわざかけつけて頂いた。
朝内先生との稽古はもう何回したんだろう思うけど いつになっても相手にならないと言うか、手も足も出ない。 何年たっても師弟関係は超える事は出来ないし、 稽古量が問題にならない位違うのだから当たり前だ。
先日も宮坂先生に連れて行って頂いた歯科医師会の稽古会 で年間稽古回数の話しになり、忙しい医師の方々の稽古数を 耳にした時自分の稽古回数が100回そこそこなのに、 皆さん150回だの170回と口にする。 また、なんでこんなに稽古するかと言うと、椅子に座って いることが多くまた細かい事で神経を使っていて、 脳みそが頭の中でくっちゃうから、剣道をするとスカッとする。 それにしても、医師だけに言う事が違う。 私は脳みそが口の周りにあるから、くっつかない。
皆稽古していると感じてしまう。 内容も大切だが、稽古回数も大切だと思う。 重い防具を持って行くと思うだけでも考えてしまう。 来年は何回するか稽古数をつけてみよう。
私の教え子にも年間稽古回数を軽く200回を越す子がいる。 見習って、稽古しようと。
お酒を飲む回数なら誰にも負けないんだけどなぁ。 そんな事言ってるとまた、顔がアンパンマンになってしまう。
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11月4日(日)渋谷区剣道大会
楽しみにしていた渋谷区剣道大会子供の部が行なわれた
日頃から一緒に稽古している笹塚同志会の子供達が 力一杯頑張って試合してくれると信じているからだ。
教えている子供達はまだ中学2年生だけど私は信じている すでに春の大会で結果を残しているだけに周りの期待も あるけど、それに答えなくてはいけないと言うプレッシャー も大きくのしかかる。
中学生は伸び盛りも良い所で、自分で気づいた瞬間に 急に強くなったり、しっかりした剣道になる。
センスも重要だけどやっぱり、やる気だね。 教え子ながらこの気持ちは、すげーと思ってしまう。
稽古に来る時も一点の心の迷いもなく当たり前のような 心で来る。 誰だって辛いと思う時や、休もうかなぁと思う時がある。 それでも稽古して終ると行って良かった思う。 それでも凄い事なんだけど、彼の場合はそんなのではない まして最後の地稽古など争って私のところに来なくても 一番にかかれるのに、走って一番に来る。
それによって気に入られようとかなんてじやない。 何かの目的にかかるのでもない。 もう何年もやってきたから自然と心がこっちに来ている。
中学2年生なのに私が攻めても下がる事もなく、 ひるむ事もなく、攻め返しまでして来る。 すでにやっていることは五段レベルである。
私に打つ技は8割は面、2割は小手ですべて前で打つ。 不器用で面しか打たないのではない、稽古は面と決めて 当てる事より、打つ事を考えている。
そんな剣道を不思議と思わず出来るからこそ、渋谷区で 個人優勝を何度も出来ると思った。 今彼の敵は自分自身でしかない。 そんな心を同期の子達も感じるのか、一緒に一生懸命 稽古に励む。 心の大きい男もいる。
すでに人間的に面白さも出来てきた。 おかげさまで団体戦もぎりぎりでしたが良い試合の末 優勝する事が出来、すごく嬉しかった。
その後のお祝い会では嬉しくて飲み過ぎてしまった。
このまま一緒に剣道で来たら嬉しいな。
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10月28日(日)稽古したなぁ。
久しぶりにこんなに稽古してしまった。 別にやらされている訳ではないから、出来るんだなぁ、 とつくづく思った。 その時々に色々な出会いや喜びや 発見があり、とっても体は疲れているけど、何か良く動く。
面を打つ時も疲れている時の方が実に良い感じだ。 たぶん当てたいとか、上手く打とうとか、打たれまいとか が疲れているから頭の中から無くなって、機会を逃したく ないとだけしかなく、打ち出したらよけるような力も残って いなく、それがかえって良いのかもしれない。
夏はそんな疲れより暑さにまいってしまい気持ちが落ちる。 今はやっぱり気候が良いし、疲れても涼しい空気が気を つなげてくれる。 なんとも理想的な季節だ。
今回の稽古は量と言うよりは、色々な人とできた事が なによりの自分にとって良かった。 四日間で四回なのだが、木曜は我道場の源流舘で稽古、 金曜は駒大剣道部でOB稽古会。 土曜は休み。 日曜は朝同志会、昼過ぎに医師連盟の稽古会。
幼稚園(四歳)から始まり、小・中・高校・大学生の男性は もとより女性の方とも出来た。 特に考え深かったのは日曜日に同志会で4歳の子と剣を 構え、その後の医師会で90歳以上の先生に言葉を頂き 握手までしてもらった。 私は驚いた。 90歳と御高齢にもかかわらず、手がしっかりしていて 鍛えた若々しい手で、握力も強い。 私でさえこの先生の大きさを感じる。 お言葉の中で、手首を柔らかく使うと良い打ちになる と言いながら振る竹刀を握る手首が実に柔らかい。 90歳以上の手首のしなやかさではない。
今回は少し体調を崩されたのか、見取り稽古! と口にするのだが、一番最初に来て胴までつけて 竹刀を持ち最後まで道場にいる。 勿論お住まいは 東京ではなくこの稽古の為に電車に乗って足を運ぶ。 ここまで剣道が好きなのだ。 いや、そんな物ではないと思った。 生きる事すべてが、剣道なんだ。 後輩達に楽しそうにお言葉をかける。 決して、注意と言う感じではなく、気づかせてくれるよう な暖かさがそこにある。
お坊さんの卵(駒大の学生(一部ですが))と未来の お医者さん(東京医大生)と同時期に剣を合すのも 何か面白いと感じてしまう。
涼しい時は稽古が美味い。
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10月21日(日)源流舘BBQ大会。
恒例の源流舘バーベキュー大会を秋にやってみた。 いつもは一年に一回春に行なっていた。 今回はこじんまりと秋にやろうと話しが盛りあがり行なった。 こじんまりと言っても約20人とそれなりに盛大に なったけど、やっぱり皆と一緒にするのは楽しい。
特に今回は後輩の小澤君が参加してくれ、焼き物は勿論 の事、里芋の芋煮汁を持ってきてくれた。 最高に美味いんだなぁ、これが。 具たくさんの中でも里芋とこぼうとイカのバランスが絶妙で みりんの甘さで逃げずに素材の味をいかすと言うよりは、 おぎないながら相手の旨みををより引き出してあげている。 決して主張過ぎないのに、存在は認めたくなる。 素人の料理は入れたもの全部勝たせようとしたり、 一色の味にしてしまう。 人間もにていると感じる。 強さとか、才能とか、肩書きなどをひけらかし過ぎて 本当の心より見える所だけを勝負したがる。
私も勝負で生きてきた時期もあり、負けた相手を可哀想と 思うより、勝った自分が素晴らしいと思っていた。 決してそれは悪い事ではない。 今でも負けたくはない。 けど、相手に対してお互いに頑張ったね、と思える心も 出来てきた、格闘技は相手と争う為の物のではなく 争わずして穏やかにおさまる物だと思う。
料理もいくら良い素材を並べても作る人の心意気や愛情 今の空気のような物がより美味さを倍にすると思うし、 口にする前から、この料理は美味しいだろと思えるのも にじみ出る食の色気ではないかと思う。
河原でするバーベキュー大変だけど色々な人が自分の 持てる力を出し、協力し合い皆で語り合いながら事を進める 肉が食べたいだけなら、焼肉屋さんに行けば良い。
私も含め今は皆仕事で大変な時期に来ている。 心から笑えない日々が多くなっている。 だからこんな時だからこそ剣道やったり、BBQしたりして 笑顔をいっぱい思いだし、次の仕事へのプラスにしたい。
笑顔はいくらしても、人に迷惑もかからなければ、お金も かからない。 眉間にしわを寄せるんだったら、目じりにしわを寄せたい。 最高に楽しかったといつも思う。 子供達が仲良く遊んだり、大人も参加したりと癒される。 帰ってきて私の子供が『楽しかったぁ、楽しい事はすぐ 終っちゃう。 早くまたいきてぇ』と言ってくれた。 私も今から春がまちどうしい。
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10月7日(日)渋谷区剣道大会。
渋谷区秋季剣道大会が西原スポーツセンターで行われた。 源流舘も万全で区民大会を目指す。
午前中が個人戦で、午後から団体戦ありがちなパターンで 試合が始まる。 個人戦は五段までしか出場できないので私は団体戦と 審判とHPの取材。(写真撮って、頑張ってねと良いながら 皆のペースを乱しているおじさんかもしれない)
個人戦で子供の頃から教えている高橋昌君が三段の部で 優勝してくれた。 とっても嬉しい。 午後の試合前に、昼休みを使って軽い稽古会をする。 色々な人と稽古が出来これもなかなか楽しみの一つた。
わざわざ稽古会と言うのは行きずらい人もいるからこそ こんな時だから稽古出来る人もいる。
勝ち負けを一番最初に置かなくては行けない試合の日に 友好の心はかえっていらないのかもしれないけど、 こんな事を出来るのも渋谷区剣道連盟の良い所だと思う。
そして午後の団体戦。 源流舘はなんといつも一緒に稽古している同志会となのだ。 まして私の相手は本人自身今一番気持ちの入っている 高橋重君なのだ。 お互いに数日前からその事を知っていて、稽古もどこか ぎこちないと言うか、気にしている。
試合前日はお酒も控えめにした。 勝ちたいとか、負けたくないとかではなく、彼とは言い訳なして 今の力を感じて見たかったし、剣道を真剣に取り組みたかった。
今は自分の勝利より皆の成長とかの方が感じていて楽しい。 勿論負けず嫌いの権田も健在だ。
師弟対決は緊張した。 お互い知りすぎているから、何回も聞いている漫才のネタでは 笑えないのと一緒で、次の展開まで読めてしまう。 落語のような伝統的なネタならわかっていても心から笑える のだが、私の技はそんじょそこらにいる、おせっかいなお喋り好き 親父だから、薄っぺらなギャグじゃ見透かされる。
でも、久しぶりに良い感じで試合が出来た。 結果は引分だったけど、彼の方が伸び伸びと試合をしていた。 内容的には負けた感じだけど、師匠として嬉しかった。 やっとここまで来たか。 これが今の実感で考え深い。
チームとしては勝つことが出来、2回戦は金王道場だ 私の相手は大好きな上段なのだ。
最初に一本を取り行けると感じたけど逆転負けをしてしまった。 でも、とってもお互い気合いが入り必死に出来た。
2回しか試合できなかったけど、すごく満足でした。
試合もし審判もして忙しかったけど、試合を楽しめた。 来月は子供達の試合なので、今から楽しみです。
試合前の日本剣道形は素晴らしいの一言だった。 金王道場の、吉村先生と大塚先生は見ごたえ充分です。
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9月23日(日)世田谷区剣道大会。
世田谷区砧にある世田谷総合体育館で世田谷区 剣道大会が行なわれた。 私は渋谷区剣道連盟から審判のお手伝いとして参加 させて頂き、身近にこの試合を感じてきた。
世田谷区は私も駒大高校だったもので学生時代は、よく 参加させてもらっていたので久しぶりだし、また知り合いも多く、 とっても楽しみにしていた。 特に今回は、いつも一緒に稽古している伸ちゃんも出場する また、となりの道場(代々木署少年剣道)から駒大高校に
入学した浅野さんも出場する、また先日七段に合格した西君 が剣道形を披露し、あってお話しも出来る。 なんと盛り沢山で、楽しい試合だ。 まして、私は審判なので試合をしなくて良いからアラも出ない。
試合は高校生以上で個人戦と団体戦が行なわれた。
一般男子の個人戦は大学生以上で段位制限無し、なんと 総勢228名という区大会のレベルの人数ではない。 優勝まで行くのに、7試合もしなくてはならないなんて、すごい やっぱり世田谷はこうして真の世田谷チャンピオンを選び、 試合に真正面から皆で取り組んでいる。 感動です
高校生の部では我母校の駒大高校が男女アベック優勝を させてもらい、見ていて興奮してしまいました。 皆立派な試合態度で臨み、応援する態度も一つにまとまり 良かったと感じました。
何事においても真剣にする姿は、爽やかで心に響く。 私も来週は渋谷区の大会なので、頑張ろうと!
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9月21日(金)娘の学校で稽古
小雨降る少し寒い中、初めて娘の通っている中学校に 防具を持って、稽古に行って来た。
先日の段審査で顧問の先生とお会いした時「今度稽古 しに中学校まで来て頂けないでしょうか」と言われ 私は行ってお世話になっている先生はじめ皆と一度剣を 交えてみたい気持ちもあり、YESの返事をしたものの すぐにではなく、また社交事例なのかなぁ、と思っていた。
その翌日、子供がもじもじしながら口にした言葉は 「先生がね、お父さんに金曜稽古来てくださいだって」と 少し困惑ぎみで私に伝えてきた。 やけに第三者的内容の伝え方で、まるで欠席した人の家に 給食の食パンをとどけに来て「はい」とだけ残して 帰って行く、ただ家が近いだけの同級生みたいだ。
私は娘の気持ちはどうなのか、皆はどう感じているのか? 聞いてみた。 こんな所で娘を誉めようで恐縮ですが、こんな時心を素直に 言ってくれる娘が良いと思う。 言いずらいことを何かに例えられなくて、口を開かなく ハッキリした言葉を言ってくれないと次の行動が出来ない。 でも、やっぱり友達には一つ口ごもることもあるみたいだ。
そこには三つのポイントがあった。 一つは私の体が大きいので皆からは怖く見えるらしい。 二つ目は剣道七段だから厳しい稽古をつけられるのではと 思って皆緊張しているらしい。 現に自分の道場では火が出るほど熱く怒ったこともあり 中に教え子もいるので、その事は情報として入っている。
三つ目はこの私の口が黙っていられるのか?と不安らしい。 権田口太郎と言われるくらい、口の周りに脳みそがついて いるのかなと錯覚するような、相手の心を傷つけるトーク。
これを娘から聞き、行く事を躊躇した私がいた。
稽古に行ってもしゃべる事はしなくても平気。 今取り組んでいる構えのチェックをしたく、竹刀さえ持って いればいくらでも時間は過ぎてしまう。
けど、皆が緊張しすぎてしまうのは良い稽古と言えるの だろうか。 少しの緊張は良いと思うけど、 若い子達に しすぎはマイナスだと思うし、それでは意味が無い。 大切な稽古時間がもったいない。
まして娘がそれによって嫌なイメージを持ったら最悪。
だから、私は前の日に娘と話した。 「お父さんは先生から直接言われ、皆とも少し知り合いにも なってきたし、稽古してみたいと思っている。 別に自分の 剣道の力を見せ付けに行くのではないし、偉そうな事を 言うためでもない。 ただ一緒に皆と稽古してみたい だけだし、少しでも皆の力になれたら・・・」そんな事を 娘に伝えた。 でも娘は私の心はわかってくれたけど、やっぱり皆が どう思うか、そっちの方が気にかかっているみたいだった。
でも、私は稽古に出かけた。
前日の源流舘の稽古後の飲み会も押さえて飲んでいる。 大切な試合でもないのにセーブして飲んでいる。 初めての中学生に対して酒臭い気合いでは最低親父と 思われ、それこそ娘に会わす顔が無い。 中学生相手の稽古でこんなに緊張している私も変だ。
いっぱい色々な稽古にお邪魔をしてきたけど、 なかなか言葉にしがたい緊張感が私を取り巻く。
皆との地稽古が始まった。 やっぱり面をかぶり竹刀を握ってしまうと、権田は真剣に なってしまう。 いつも思うのだが、剣道でどうぞ打って 下さい、なんてやっても何の意味も無いと感じている。 だから一生懸命打ち込んで行く。
けど中学生も真剣に打ち込んでくる、だから面白くなって もっと遠くから、もっと強く真剣に打ち込む。 良い感じの汗が飛び散る。
少し寒いどころではなくなっていた。 暑い。 最後に顧問の先生が稽古をお願いしてきた。
より一層の気合いで剣を合わせる。 私がじりっと攻めても下がらない気合いで攻め返す。 この先生とっても剣道好きなんだ、と感じた。 お互い気持ちよく打ち合い稽古終了。
最後に皆から挨拶をされ、嫌がられなかったと感じた。
家に帰り娘がやっと視線を合わせてくれた。 笑顔で話した。
私は娘が嫌なイメージを持たなくて稽古を終えられ ホッとしたと言ったら、娘は皆がお父さんに対して嫌な イメージを持たなかったから、ホッとしたと言った。
何かとってもわかるような気がした。
落ち着いたのか「剣道やっているお父さんかっこ良いって 言ってたよ」とおまけみたいなヨイショも頂いた。
また皆と楽しく稽古できたら良いなぁとつくづく思った。
今日は変わった緊張感に包まれ、とっても良い稽古だった。
やっぱり剣道してて良かった。
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9月9日(日)東京都八段剣道大会
東京都に所属している60歳以下の選抜された 八段16人が東京武道館において試合を行なった。
東京都剣道祭は拝見という事で、勝ち負をこだわらない から小さな技にとらわれず、自分の持てる力を伸び伸びと 出せ、見ている人達もそれに感動する。
試合はどうしても形や内容より、結果が出てしまう分、 八段の細かな所にこだわらないと言う心も揺れ動く。 と思う私がまだまだ剣道が未熟なのだろう。 本当の気持ちは第一回大会に出場される八段の 先生本人のみぞ知ることなのであろう。
それにしても16人私でさえ、ほとんど知っている位 有名な人達と言うか、全国に名の知れた先生方だ。
私の剣道の師匠である朝内先生も出場をしている。 なんとも言えない良い気持ちだ。 また今年は東西対抗(八段東京ニ名)にも選ばれ、先生自信も 思い出に残る剣道の記念年になったと思う。
一回戦は警視庁の浅野先生だ。 体格の良い先生なのだが、柔らかい攻めと応じ技が自在に 組み込まれ、それでいて打ちは瞬間に力強い。
朝内先生も無駄な力が入らない腰の決まった構えから、 面打ちを最大の目標と感じるような中心を譲らない攻めで、 相手に真正面から立ち向かう。 攻め合いでは、下がる事を嫌い少しでも前を目指す。 私達と稽古をしていても常に前に心を置き、面に出る。
一回戦からきつい攻めの攻防が見ている人達をうならせる。 朝内先生も気迫のこもる姿に近寄りがたいと感じてしまう。 満ち溢れた気合いと剣先が見ていても、自然と背骨に力が 入ってしまう。
浅野先生に対しても変わらずの前に心を置き、攻め込むが なかな有効打突につながらない。 そんな時朝内先生は、勝負をかけるような攻めから面に 出た。 その一瞬「やったー」と声が出た。 が、浅野先生もその攻めに対し攻め返していた。 そして返し胴へと応じる。 微妙だったが、その胴に旗が三本上がり「うーーー」としか 見ている私は言葉が出ない。
そのまま試合時間となり先生の試合は終わってしまった。 その時は今みたいに浅野先生の胴を感じきれなかった のだが、家に戻り撮って来たビデオを何回も見ているうちに、 攻め返しの浅野先生の事が少しわかった。 あそこを一瞬でもひるんで攻め返さずその場で胴に行ったら、 間違いなく朝内先生の面だったと思う。
試合は常に紙一重だったり、切羽詰った所だったりする物だが それを目の前で感じた。 それにしても、我先生ながら良い構えだと思う。
結果は思い届かずでしたが、終始面を打ち込む朝内先生に 身をもって剣道は面打ちを大切にと言われているみたいだった。
先週は教え子に感動を覚え、今週は師匠に大切な物を改めて 気づかせて頂き、我剣道にとって意味深い日が続いた。
優勝した千葉仁先生もすごい上段でしたが、決勝戦の相手 豊村先生の試合内容の素晴らしさを皆で語り合い杯を口にした。
私も生涯剣道を目標に頑張って楽しく剣道出来るよう、 心・体調を調え竹刀を握って行こうと思います。
ビールジョッキなら上手く持てるんだけどなぁ
9月2日(日)巣鴨少年剣道大会
第34回巣鴨少年剣道大会(個人戦・団体戦)が
巣鴨学園にて行なわれた。
23区・多摩地区また近県の代表の小中学生が集まり 熱戦を繰り広げる。 伝統ある大会だけに、出場する選手は素晴らしいの一言だ。 渋谷区の選手たちも代表として自覚をし、熱い心で望んでいる。 小学生は広尾剣養会が渋谷区チャンピオンチームとして頑張る。 中学生は2年生中心だか渋谷区の名に恥じぬよう精一杯稽古を 積み重ねた笹塚同志会が試合に臨む。
両チーム共渋谷区では優勝出来たものの都大会レベルでどのくらい 通用するか、選手も監督も未知の世界だけど、妥協の心は無い。
個人戦が先に行なわれた。 小学生は丹羽君が押しぎみに試合を進め、延長戦に縺れ込むが、 惜しくも敗れてしまう。 勝てた試合だけに見ている方が悔しい。 でも、終始元気良く気合いも出て、前に前に出て技を出していく、 力や技以上に気迫は素晴らしかった。 彼の剣道にカッコ良くやろうとか、ずるさは無く、気合いと集中の 姿しか私には見えなかった。
中学生は笹塚同志会の高橋君。 彼は体は小さめだし、まだ2年生なのだが、私は彼を幼稚園の 頃から知っているし、今でも中学生一人で源流館に稽古に来る。 源流館は大人でもキツイ道場で、続けて来れるほどぬるくは無い。 ましてや、週に6回は剣道している。 それでいて、偉らぶることなく純粋に心を繋げてきている。 教え子は先生の鏡だと言うが、彼の場合「先生も頑張って剣道 した方が良いぞ」と言われているみたいで、彼の心が響く。 彼もまた、私を信頼してついてきてくれるからこそ、信用している。
彼が巣鴨大会でどこまでやってくれるかなんて私は思っていない。 そんな漠然と稽古もしていないし、目標を3位と思ってやってきた。 なんで3位なのか今は2年生だし、本当の喜びは来年の為に とっておいた方がより稽古に身が入ると思ったから。
ご存知の通りこの大会がそんなに思い通り勝てる試合でない事は 私も知っている。 けど彼なら出来ると疑わなかった。
試合前の彼に私は先生と教え子としてではなく男同志として言った、 「あきらめるなよ、相手だって辛いし、試合や今をあきらめた方が 負けるから、勝ちたいと思う前に負けられないと思って行ってこい」と 「俺を含め皆が君を応援をして、勝ちを願っている。 自分の為じゃ ない皆の笑顔の為に頑張ってくれ」とも付け加えた。
彼はやってくれた。
全力で試合に臨む彼以上に私、兄、家族、チームの皆が盛り上がる。 1回戦から強い相手(当たり前)なのだが、彼は自分の剣道をする。 監督として、何も言う事が無い。 一ファンとして彼を見ている私がいる。
生意気な言い方で申し訳無いのですが、勝つことだけなら誰でも 出来るけど、見ている人に感動を与えるのは本人の今の心をどう 出して試合をするかを日頃の稽古で共に考え取り組んで行くか ではないのかと思っている。 だから、あきらめない心と、相手の心になる事を考える。 どんな子だって最初は初心者だけど、せっかく自分の所に来てくれ たんだら、この子の為に自分も頑張ると思うし稽古も手を抜かない。
高橋君はそれを身をもって私に答えるように、勝ちを繋げてくれる。 4回戦に進み、目標の3位に手がかかった。 この試合に勝てば3位だと考えると、色々な事や今まで一緒に 歩いてきた稽古や苦しかった事が頭に浮かぶ。 ついにここまで来たか。 すでに目頭に複雑な汗が出る。
相手は強いなんてもんじゃない、本当に中学生かよと、 突っ込みたくなるような選手だ。 試合を知っている。 彼を今すぐ渋谷区のオールメンバーに入れても良いと思うぐらいだ。
結果、高橋君は負けてしまったけど、私も彼も悔し涙が無い。 相手が強くて負けてもしょうがないなんて見きったんじゃない、 今を満足した嘘の無い全力に満足したんだ。
負けた慰めの言葉なんて無い、二人の笑顔がそこにある。 剣道やってて良かった、信じ合えて良かった。 ただそれだけ。
直ぐに団体戦が始まり、小学生も気持ちいっぱいの気合いで 頑張る。 結果は思いとどかずでしたが、応援に来てくれた お父さんお母さんに感謝の礼をしようと言ったら、 「ありがとうございました」と大きな声で言ったのだ。 私は驚いた。
私が言いなさいなんて言わなかったのに、自然と言葉に出た。 広尾剣養会の日頃の稽古の中にこの心を持って稽古している と感じ、指導に当たっている先生方の本物を感じ、 改めてこれが剣道なんだと思った。
挨拶もしない家庭がある中において、まして照れる年頃なのに 親に対して「ありがとうございました」は感動した。 当たり前だけど、心はあるけど声に出して言う勇気。 感動です。
中学生は1回戦はなんとか勝ち進み気持ちも落ち着いてきた。 2回戦の壁は厚く負けはしたものの3対2と接戦でした。
本当に良い試合だった。
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8月26日(日)関東医師連盟稽古会
新宿厚生年金会館の近くにある、東京医大の道場で
関東医師連盟稽古会が行なわれ、久しぶりに参加させてもらった。 忙しい毎日の医師の皆さんがこの日に備え仕事をやりくりして この稽古会に向かう。 だから、なおさらなのだと思うのだが、皆さん剣道が好きで 稽古する事が何より大好きなんだなぁと感じる。
宮坂先生の忙しさは身近で知っているのだが、他の先生方の お話しを聞いていても、半端じゃなく忙しい毎日を過ごしている。 特に今の時代の流れなのか都立病院や、公立の医療機関も 補助金の削減や、民営化に移行する動きもあり、大変みたいだ。
稽古あと、防具をかたずけながらこんな話しが出るのも 医師連盟稽古会ならではだと思うし、また興味深く聞いてしまう。
昼2時からの稽古会に合わせ、宮坂先生が車で迎えに来てくれる。 私くらいでしょう、剣道の稽古に行くのに医大の教授に車で送り迎え してもらえるなんて、なにか良いのかなぁと思いつつ甘えてしまう。 本当にすみませんと言う気持ちと、微かな優越感が入り混じった 心もまた良いものです。 車の中で宮坂先生と色々な話しをしながら稽古場所に向かう この時間も、この稽古会に参加する楽しみの一つなのだ。
何回か参加させてもらっているおかげで、顔も覚えてもらえ段々 緊張感も和らぐ。 (こう見えても以外と小心者なのです) お医者さんに知り合いが多くなるのってとっても心強い気がする。
この稽古会は宮坂先生と剣を交える事が一番の楽しみなのだが、 その他にも、90歳を過ぎた大祢先生(八段)に稽古をお願い できたり、伊藤先生(東京都剣道連盟会長)にも剣を合わせて 頂ける事なのです。
特に前回大祢先生に稽古をお願いをした時 自分の未熟さを痛感でき、剣道の素晴らしさ、凄さを改めて 感じさせて頂き、今日こそは少しでも自分に納得の出来る面が 打てたらと良いなぁと思って稽古をお願いした。
小柄な大祢先生の構えに私は戸惑う。 無駄な力が関わらない構えなのに、なにかとっても大きく感じ、 近寄りがたいと言うか、迫力さえ感じる。 当てる事は簡単かもしれないが、心の底から納得して 打ちきれない自分が腹立たしく、剣道の格の違いを感じる。
いくら打っても、打った感じがしない。 何もよける事も無く、威圧す剣先がある訳でもなく、 「はい、真直ぐ打ってきなさい」とでも言って頂いているよう なのに、まるで納得の面が打てない。 地稽古なのに、徐々に打ち込みのような気分になってくる。
そして、先生との稽古が終る。 やっぱり、今日もだるまさんになってしまった。(手も足も出ない)
よくよく考えれば、剣道はそんなに簡単じゃなかったんだと 思い出した。
簡単じゃないから、剣道はおもしろいとも思う。
いつかきっと、自分に自分が納得出来るような面が 打てるように、頑張って行こう。
それにしても夏の稽古は私はちょいと苦手だ。 でも、その後のビールは最高なのです。
また参加させてもらえる事を心待ちにして稽古しょう。
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8月9日(木)プチ源流館
源流館は8月はお休みなのですが、同志会の子供達を集め 九月に行なわれる、巣鴨大会に向け試合練習をした。 そんなに意気込んだ物ではないのですが、とりあえず自分の ポジションの確認と仲間意識の連帯感を強めるために行なった。
試合は中学生チームに大人の混成チームで、中学生が 勝つまでやめられないルールで始まった。
そのルールを知った子供達は何時間試合するんだろうと不安顔。 勝負にこだわる私も入っている。 勿論勝てない事は無い、力だってついてきている。
やっぱり一、二試合はつけ入る隙が無い。 大人チームも余裕無く必死の気持ちでやっている。 変な負け方したら後の反省会で、私にぶちぶち言われるので 大学生も必死だ。 感じる物がある。 勿論私も言うつもりだ。
内心、この試合いつまで続くのだろうと思ってしまった。 そんな時私は女子中学生に面を打った。 当たりは軽いが返し胴を打たれてしまった。 『しまった』と思ったのだが審判は私に気づかた訳でもないのだが 難しい判定に旗を上げなかった。 一般の試合だったら、『良かった良かった』なのだが、相手が 教え子でまして女子、何か後味が悪い。 そんな事を打ち消そうとかなり真面目に大人気無く打ちに行く、 お互いに一本づつとった後、鍔ぜりから彼女は下がり小手を 打ってきた、読んでいたつもりなのだが、反応が出来ず打たれ てしまった。 かなり真剣だったのでガクッときたが、教え子に 打たれると悔しさの上に、嬉しさが来る。 『こんな、こしゃくな技を打てるようになったんだ』と笑みさえ こぼれる。 そのおかげで混成チーム負けてしまった。 三試合目は皆良い所を打てるようになってきた。 最初の気持ちとは大違いな、心になってきた。
自信と言う心は計り知れない力が出る。 強い人が必ず勝つなら、競馬だって万馬券なんて起こらない。 まして中学生なんて、少しの心の変化でこんなにも外見に 表れる。 自分で自分の力や相手との力の差を勘違いして 読んで、ましてその場の雰囲気に飲まれてしまう。 私も今でも試合をするのですが、やっぱり緊張する。 今は、その緊張感を少し楽しんでいるのかもしれない。
でも、子供達が徐々に力をつけてきていると実感した時、 妙に良い気分になれた。 勝った時の笑顔は最高だ。
体調を崩しやすい時期なので、試合まで調えて行って欲しい。
監督の方こそ、しっかりな!と声が聞こえた。
その後の反省会で井口のハンバーガーの食べっぷりには 驚かされたけど、やっぱり美味しそうに食べる子供は 見ていて気持ちが良い。さすがにこのチームの大将だと思った。
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7月15日(日)渋谷区剣道級審査会
西原スポーツセンターで渋谷区剣道級審査会が行なわれた。 源流館担当(他ニ道場)だったので、朝から出かけて行った。 源流館の仲間は都合がなかなかつかず、同志会の人に 助けてもらい何とか助かった。
一生懸命受験する子供達の熱気と、今一つの空調の良くない 体育館、体感気温は40℃を超えたと思うほどだ。 まして私は立会いと言う試合で言えば審判みたいに、 『はじめ』『やめ』『それまで』を連呼する。 自分のタイミングではなく、主任審判の合図だけに、緊張もする。 同志会の子供も受けに来て合格できた。 本当に皆不安げな顔で受験する。 とっても、良い顔だ! 私も受験する時はあんな顔したんだなぁっと、思ってしまう。
今だから、言えるけど七段受験時は緊張していて、たぶん食事は 喉に入らないだろうから、紙パックの日本酒を防具袋に忍ばせ 実技合格した後、形試験までの間にすみこでそれを口にした。
大した量でもないのに、半分も飲めずお腹一杯になった。 (*これは良い事ではないのでやめましょう)
普段、偉そうな顔をしていてもその時は別な顔になる。 本当に皆、ドキドキの顔になり不安一杯な転校生みたいだ。 さしずめ私だったら、経営不振で閉園した動物園の熊が 行く所がなくって、でも何とか動物園があり、すいません でかくって、となるべく身を小さくしている感じかなぁ。
それにしても、今年の夏は、まいっています。
今好きな言葉『クーラー』『ビール』『横になる』です。
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7月5日(木)源流館月例稽古会
恒例の源流館の月例稽古会が、この蒸暑い中行なわれた。 昼間は暑いなんてもんじゃないくらい、溶けてしまいそうな 日差しを浴びて仕事に精を出す。 普通なら家に帰るなりビール、ビールと一心不乱に冷蔵庫に 抱きつくのだが、木曜日だけはちょいと違う。
待ち焦がれた恋人(ビール)をぐっと我慢をして、剣道の防具 を肩に背負いバイクを飛ばし、道場に向かう。
今木曜日は月例稽古会で、色々な人も来てくれるので 楽しみにしていた。
特に今回は足立区の小林君が世界大会カナダ代表の 剣道留学の人を連れて来てくれると連絡が入った。 源流館も今大流行の携帯メール(私は最近出来るように なり楽しんでいる)でこのカナダ情報が飛び交う。
その人の剣道の力よりも、どんな人なのか男?女?、金髪等 別な方に源流館の人達は胸を躍らせる。 とっても、源流館らしい。
彼の稽古はとっても真面目で、良い心を持って剣道している。 礼儀正しいし、剣道を好きだし、なにしろとってもやってて楽しい 勿論私は頑張ったけど、良い所を打たれて気持ち良く終了。
本当に剣道は素直に剣に表れる。 だから、剣を会わせると友達になれる。
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7月1日(日)世田谷区和の会
後輩でいつも源流館で一緒に稽古している柏木君に誘いを 頂き、世田谷剣道連盟『和の会』の稽古に参加させてもらった。 『和の会』の詳しい事はわからないのですが、少し聞いたことを 自分なりにまとめると、世田谷区の若手の剣人達が集まり 基本打ちや指導心得などを皆で稽古する。
稽古場所は新しくなった国士館大学の体育館を使用し、 矢野先生を講師にむかえ、約2時間の稽古をした。
稽古の前に矢野先生が色々な話しをして頂いた。 『一源三流』と『三磨の位』など言葉はどこかで耳にした事は あるのですが、深い意味などわかりませんでした。 とても分かりやすく、聞きやすいお話で、飽きると言うよりは 引きこまれて行くようで、とても興味が湧いてきた。 とっても良い話しでした。
話しの後『さぁ、面つけて』の声で、そうだお話しだけじゃな かったんだと変な汗が噴出した。 お願い事かあるので、その前に同志会にも顔を出し 少し稽古してきただけに、午前中二回目は辛い。
まして体操、素振りから始まり、切り返し打ち込み、応じ技 を丁寧に矢野先生が指導してくれる。 私の相手をしてくれたのは構えのしっかりした女性で 応じ技など、私の方がミスが多く恥ずかしかった。
でも、技の練習はとても勉強になった。 その後地稽古があり、七段は元に立って下さいと言われ、 この時ほど七段じゃなくても良いんだけど、思った。
立て続けに素晴らしい皆さんが打ち込んでくる。 別に打たれる事は良いのですが、矢野先生が『三本勝負 をしてから地稽古に入って下さい』と言われるものだから、 あまり、打たれるのも相手に失礼かと思い頑張る。
もうすでに、打つとか打たれるとかではなく、終りたい。 そんな脱水症状の権田は矢野先生に一本お願いしたいと 思っていた最初の気持ちを、見取り稽古に変えるべく、 身につけている面を取る。 もう限界。
水分を補給し見取り稽古に入るのだが、頭がくらくらする。 それでも、最後の方にまた面をつけ少し稽古に戻る。
稽古が終り皆さんと話しをして体は疲れたけど、清々しく 世田谷剣道連盟の皆さんとも親し接しられ、国士舘の河野先生 からも声をかけて頂き楽しく稽古が出来た。 他区の皆さんも歓迎していますとの事ですので、 参加されて見てはいかがでしょうか。 九月にまた行なうそうです。
家に帰って、シャワーを浴びてビール飲んでダウンも良いかも。
本当に世田谷剣道連盟の和の会の皆様お世話になりました。 また、お会い出来る事を楽しみにしています。
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6月28日(木)渋谷区合同稽古
先日行なわれた都民大会3位と谷君が東京都の 代表として出場した都道府県大会3位になった祝勝会 を兼ねた合同練習が金王道場をお借りして行なわれた。
選手はもちろんの事、稽古に参加して頂いた人たちも、 心から喜んでくれた。 山下会長をはじめ、東急の山口先生も参加を頂き、心からの お祝いの言葉を頂き、選手及び関係者にはたまらなく嬉しかった と思う。 私も監督&大将だったので、感動しました。
渋谷区剣道連盟のご配慮と、松本先輩のご苦労で、 選手一人一人に『都知事石原慎太郎』の名前が入った 3位の賞状を頂いた。 選手もこんなものをもらえると思っても いなく、会長から頂いた時は勝って良かった改めて思えたと思う。
真剣に真面目に剣道に取り組み、結果を出し,それを剣道連盟 がたたえてくれる。 今渋谷区剣道連盟は若手も先生方も
隔たりのない心で剣道をしていると思う。
今の時代、上下関係や尊敬や感謝の心が薄れているのに、 剣道を志す人は、礼儀正しく、でたらめではなく、意味のある 行動を正しくとれ、だから剣道している人はまわりから良い人が 多いと言われるのだと思う。
そうじゃない人もいるけどね。(私もそんなに正しくないけどね)
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6月17日(日)中野区剣道大会
中野区立体育館で小学生から一般までの団体戦が行われた。 私の娘も中野一中で剣道を始め約1年が経ち試合の怖さや喜びを 感じながら、この試合に臨んだ。 私は皆の足になり車を出した。 今出来るのはこれだけだから。 緊張しているのは娘より、私の方かもしれない。 剣道を少しわかっている親父は子供にとってやっかいだと思う。 試合前にどんな事を言っても、まるで聞いていない。
どんな言葉より、準備体操代わりで振った竹刀で、日頃の 稽古と、今日の調子がわかってしまう。 だから、勝ってほいし心をこめ、今日の適した技と心を伝える。
でもそれで勝てたら苦労は無いのだが、子供が真剣な目で 聞いている姿に、熱いものを感じる。 その心がスポーツをする人間の良い所かもしれない。
我子は教え子と違い、自分と同じ血が通っているから、 時に冷たく、また時に誰よりも熱くなってしまう。
子供が不安げな顔をしている時『今の心なら勝てるから、自信を 持って頑張りなさい』さらに付け加えて行った言葉に娘は答えた。 『そんなのは嫌だ』と口にした。 その付け加えた言葉は『お父さんの知り合いも多いから、名前で 旗上げてくれるよ』と言葉にしたのです。 気を楽にと言う意味です
長年試合をしていると、本来の最も正しい事より、勝ちあがって いく、見えない力みたいなものを口にしてしまっていた。 純粋に剣道を始めたばかりの娘には、申し訳無かったと反省。
そんな言葉に少しは剣道の『なにくそ根性』がついてきたのかなぁ と感じてしまい、嬉しかった。
結果は心とは裏腹な結果に終わってしまいましたが、彼女の 真剣さは痛い程わかった。
今慌てて強くならなくて良い、そのうち負けられないと 思える時がくる。 勝つ喜びより、負けなくって良かったと思える時がきっとくる。 そんな時が本当の勝負師になれる。
本当に試合は見ている人に感動をあたえる。 試合は自分の為にやるのではなく、親や先生や応援する人の 為にやっると実感できたら、試合は勝てる。
それにしても、自分の試合以上に悔しく思えてしまう。
負けても良いから、明るくガンバレ!
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6月7日(木)源流館
恒例となりつつ源流館の特別稽古会。 皆さんのご協力により、本当に良い形の稽古会になってきた。 皆さん、仕事をやりくりしたり、用事を上手にずらしたりと、本当に 稽古より、そっちの方の事が大変ですね、と言いたいくらい、 参加して頂ける皆さんに感謝しつつ、改めて心を感じます。
特に他の道場や団体から、おいで頂ける剣道人の心を聞きますと 何かとっても、自分の剣道に対する心がまだまだ甘い!と 喝を入れたくなってしまいます。
仕事より剣道ではなく、仕事をいかに能率よくかたずけ、 勿論いい加減ではなく、より良い内容で(早くて手を抜くのだったら 誰でも出来る)、剣道の稽古に間に合うようになんとかと、 心をつなげる。 簡単な事ではないと思っている。
だからこそ、剣道の稽古がより一層熱く良い形になる。
中学生や、高校生もそんな姿を、まぢかで感じ、そこで同じ 空気も感じられる。 その子達も普通の子達ではい。 だから、この稽古の厳しさ、重さ、良さがわかり、私語など 一切口にせず剣道の空間に一緒に入っている。
私の子供時代なんて、こんなに素直に剣道や人のふれあい を感じていただろうか?
昔の事だけど良く覚えている。 勿論、剣道嫌いでしたから、そんな気持ちになっていなかったです。
そんな私も、今では剣道とは切り離せない人間になった。
ある人は今日の稽古を楽しみにしてくれ、仕事で行けないかも 知れないけど、とりあえず防具は車に積んで出かけた。
そして、間に合いそうなので笑顔を持って道場に来てくれる。
どんなに立派な高段者の先生に掛かるより、私は今のような 本音で言える皆が素晴らしく、本当に恵まれていると思う。
来月も、また第一木曜日7月5日に行ないますので、 皆様方のお力をお借りしたいものです。
昔は好きではなかった剣道(やらされていた時代)が 今はとっても好きだ。 剣道でふれあえる 剣人が私の中では大切でかけがえの無い人達です。
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5月27日(日)都民剣道大会
久しぶりに試合をしていて心が熱くなった。 渋谷の代表として久しぶりに試合に出場した。 今は選手と言うよりは、監督として東京都大会に臨んでいる。 この試合は段位別で団体戦を作り、また剣道だけではなく色々な 競技で点数を競い合い区・市単位で最後には総合で争う。 国体みたいな内容なのです。 それだけに選手選考も各地域とも真剣なのである。
渋谷区剣道連盟も、真剣に選手選考をおこなった。 メンバーは、先鋒渡辺君・次鋒高平君・中堅中村君(金王道場) 副将永島君(みちのこ道場)・大将兼監督権田(源流館)で チームを作った。
良い男大会だったら良い成績を残せるとは思うのだが(私を抜かし)
剣道の試合となると一試合目から強敵で、どんな成績を残せるなんて おくがましく、とりあえず一つ勝つことができればそれで良し、 と思っていた。 ここ数年すべて一回戦敗退なので辛い。
私の体調も近年になく、最悪の状態。 ここ何年試合の前はお酒を控えめにしていたのだが、前日 お世話になった先生の昇段お祝いがあり、ガップリ飲んでしまった。 気をつけている時ほど意外とこんなものなのかもしれない。
少し遅刻気味で試合会場に入る。 まだ二日酔いではない、酔っていると自分でわかるくらい酔っている。
監督者会議をなんとか間に合い、皆に『ごめん二日酔いかも』と 言ったとたん『匂いでわかります』と、まず返し胴みたいな会話。
『・・・・・』返答も出来ぬまま静かに着替える。 体調は良いのだが、精神状態は成り行き任せの状態は 自分が良く知っている。
一回戦だけでも勝てればと思っていたことが良かったのか、 あれよあれよと言う間に勝ち進む。 不思議な勝ちだ。
大将戦も2回あり、試合内容はたいしたことは無いけど、 誰にも負けたくない気持ちと、もう疲れたよ〜〜〜と自分の中でも 試合をしている。 ふぅぅぅぅぅ・・・・、どっちを選べば良いのかわからない。 二日酔いじゃなかったら、疲れた〜〜〜の、あきらめる方を 選んだと思う。 二日酔いだからこそ、こんな状態で負けたら 皆に申し訳無いと言う気持ちと、昔の本能が蘇ったのかもしれない。 本当に負けたくなかった、どうしても負けたくなかった。 そんな気持ちになった。
そんな気持ちでやりつづけた大将戦で良い結果が残せた時、 久しぶりに剣道で涙が出た。 面の中で私は一人で大泣きした。 『試合って良いなぁ』っ呟きながら、涙があふれ出た。
まだ私を信じて応援してくれる皆に、また涙が出る。
この先の事を書き綴ると内容的に長くなるので省略しますが、 本当はこの内容が感動するくらい、良いんだけど。 それよりもこの文章を見て頂いた人の剣道人生を思い出して、 私の試合をあわせて思い浮かべて頂けたら、 もっと良いかもしれません。
結果は東京都民大会第三位になれた。
大満足だ!
熱い心を思い出させてくれた、皆に感謝の気持ちです。
警視庁の選手に打った突きはどうして一本にならなかったんだろう。
手応えは良かったんだけとなぁ。
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5月20日(日)渋谷区剣道大会
西原スポーツセンターで中学生以下の剣道大会が行なわれた。 私も関わっている笹塚同志会の子供達も参加させてもらった。 小学生は入会者は増えてきたものの、団体戦を組めるほどではなく 個人戦のみ出場したが、中学生は2年生を中心としたメンバーで 個人・団体に望んだ。
団体戦は3年生を中心にして組み立てるのだが、同志会の男子には 3年生がいなく、2年生しかいなのだが、日頃の稽古から 考えると充分勝ちにいけると思った。
子供達も必死に頑張ってくれた。 父兄の方も、先生方も、選手の頑張りに感動しながら応援する。 同志会が一つにまとまり勢いも最高になる。
個人・団体とも優勝出来た。 選手以上に見ている方が感動していた。 勿論、私も興奮した。
皆、とってもかっこ良かったし、責任感を持ち試合をする姿は 凛々しく中学生とは思えないほどだった。
勝つ事が最大の目標じゃないのだが、そこにたどり着くまでの 過程を共有してきただけに、心の底から嬉しかった。
他の道場の選手も本当に頑張り、すべての試合が ぎりぎりでいつ負けてもおかしくない力の接近に、より気の抜けない 試合の為に稽古をなお一層熱い心でしなくてはと思った。
子供が本気になれる楽しい試合を考えるのも 大人の役目かも
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5月17日(木)源流館
先週が特別稽古会だったので、今週は軽めな稽古になると 思っていたのですが、佐藤君の先輩の方が参加して頂いた。
なかなか勝負強い打ち込みに源流館の皆も気合いが入る。
色々な人と真剣に剣道が出来る。 はじめて知り合ったのに竹刀で相手の頭や手をたたく。 それなのに、心が通じ合え話しに花が咲く。
こんな風に剣道を続けて行きたい。
ふれあいを大切に剣道が出来たらいいなぁ。
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5月10日(木)源流館
月初めの源流館の特別稽古会が行なわれた。 朝内先生をはじめ宮坂先生また色々な先生方が 参加をしてくれた。
良い稽古と言うよりは、久しぶりに芯から疲れた。 勿論心地よい疲れなのだが、それにしても疲れた。
新年早々痛めていた左足の肉離れもすっかり良くなり、 腰と背中が少しつった感じで痛いけど、良い感じになってきた。 疲れたけど健康で痛みを感じないで稽古出来ることに嬉しくなった。
同志会の朝の稽古では宮坂先生にまるで良いところなしでしたが 少しは稽古の相手ができたみたいだった。
女性の方もこんなに厳しい稽古会なのに最後まで頑張る姿に 感心してしまった。
剣道の素晴らしさは強いとか、段が上だとかでは無い気がする。 自分の力を、自分に正直に出せる事が目標なのではないかと。
とても二人の女性の真剣さに何か教えられたような気がした。
気がきく山口君も本当にすごいものだ。
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4月29日(日)渋谷区剣道大会
恒例の春季渋谷区剣道大会一般の部が 西原スポーツセンターで行なわれた。
源流館も参加させてもらい、力の限り頑張ってきた。 連続優勝の金王道場に少しでも近づければと頑張った。
オーダーは、先鋒山口君・次鋒伊藤君・中堅小野塚君 副将山田館長・大将権田で望んだ。
一回戦は前三人で勝負が決まり、楽勝なのに私は負けだった。
二回戦は高校生チームで、私は逆胴二本を決め勝ったものの 何か、自分自身大人気無いと反省モードに入る。
三回戦は大将戦となり、二本勝ちしないとチームは勝ち進めない。 私の相手は身長差20cm以上あり(私がでかい)苦手なタイプだ。
一本目はもぐって小手を打ちに行った。 見事に相手の肘を打ってしまい悪いことをしてしまったと思ったが 「小手」と大声で言ったら、旗が上がってまず一本先取。
後一本で勝てると気合いいっぱいで前に出ると、相手は下がり 場外反則1回となり、また再会するが迫る巨体に恐怖を感じ 後ずさりするので、体当たりをかまして見た。
見事相手は場外に吹っ飛んで、反則2回で私の勝ちになった。 私の方が反則のような試合だったが、審判もここで暴れられたら 迷惑なので、穏便に旗を上げてくれた。
後輩には「先輩すごいですね、竹刀1回しか振らないで二本とった」と 馬鹿にしてくる。 自分でも納得なので返す言葉が無い。
準決勝は皆力を尽くしたものの負けてしまった。
結果的には三位と言う結果を残せまずまずといった所かもしれない.
私の個人的成績はニ勝一敗一分け 小手一本・胴二本(逆胴)・反則一本(押出し) 他に、対戦相手4回倒れる。
なんか剣道の結果報告ではないみたいだ。
剣道も格闘技だから、良しとして下さい。
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