○●。[Soapmakerのひとりごと]。●○![]() |
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2001年の終わりに 一頃、私soapmakerは自分以外の人間に対して、「がんばれ!がんばれ!」というのが好きではなかった。当時のモットーは「人にがんばれとか言って傍観していないで、自分ががんばれよ!」というものであった。きっと「自己中心的でがむしゃらで何より自分がかわいいんだ」と批判されたであろう。若かったので、まあ仕方ないかな。でも根本の思いは今でも「自分がやれよ、がんばれよ!」なのである。ひどく感激屋のくせに実はどこかで冷めている・・・我ながら困ったひねくれ者である。ホントやなやつぅ。 しかしながらこんな憎らしい私でも、心底共感し声援を送りたくなる人がたくさんたくさんいる。あまりにも多くて、羅列するとこのページが埋まってしまうのでまとめたり、あえて名指ししたりして、今年最後のひとりごとに書かせて頂く。★このHPを通して巡り会う事ができた大勢の方々★様々な事件事故でみぢかな大切な人を失ってしまったあまりにも大勢の方々★タイ国子どもの村学園の子供たちと世界中の子供たち★国際社会において無視されてしまっていた紛争地の人々(特にアフガニスタン暫定機構の方たちには未来を信じて頑張ってほしい)−−−このことについて、日本のテレビ番組で影響力のあるキャスターが簡単に「難しいでしょうね!」と言い切ったりしないでほしい★ガチンコファイトクラブで見事ボクシングプロテストに合格した山中選手 いよいよ限りなくなっていきそうなので、ここら辺でストップします。 やはり年の瀬には自分自身に活を入れなくては・・・先日「人間の本性は堕落を免れない」というイェーツ(おそらくアイルランドの詩人ウィリアム・バトラー・イェーツのことだと思う)の言葉を抜粋している本を最近読んだ。強烈な言葉だ。本性のまま本能のまま生きていくことはすなわち堕落だということである。しかし抑止力を誰もが持っているはずだ。人間だからこそだ。2002年も希望を失わず、ちっぽけだけど自分のアンテナをまっすぐに張り続けていけたらと思う。 優しいおとな(?)その1 思えば私soapmakerが子どもの頃、(ちなみに皇太子妃雅子様と同じ年です)とにかく周りにいる大人はみんなおっかない大人ばっかりだった。なんだか懐古録みたいだけど、昔の大人はホントに怖かった。なんと言ってもダントツは、小学校3,4,6年生時の担任だった○○ゴラスだ。(○○にしないと誰だかわかってしまうので−ちなみに女先生です) 彼女は毎日毎日とにかくすごい量の算数ドリル宿題を出した。本人は算数を教えるのが一番得意だったのだ。平気で10ページぐらいのドリルを一夜でやって来るように生徒に科した。算数だけではなくて漢字ドリルやら、星の観察記録やら、面倒なリスト作りのようなものもいっしょだった。 宿題の内容は帰りの会が行われるときに、うしろの黒板にづらづらと掲示されるので、みんな必死にノートに書き写す。とにかく盛りだくさんの内容なので、大変なんてもんじゃなかった。隣のクラスはとっくに帰っているなんてことも、しょっちゅうあった。 すごい量の宿題を出すから、おっかない先生というわけではない。宿題をしてこなかったことに対しての罰がすさまじかったからだ。もちろん体罰である。「宿題をやってこなかった者は前に出てこい!」と今から思えばあきれるほどすごい言葉使いだが、(当時はみんな恐怖で固まっていた・・・)大声で命令して、一列に前に並ばせ、1メートル物差しで太股を思い切りバシッと殴りつけたり、両手で両方の頬を同時ビンタした。それは凍り付くという言葉以外見当たらない、すさまじい光景であった。 当時は体罰にクレームをつける親など皆無であった。とにかくこいつは怒らせてはいけない相手だと、子どもなりに理解したのを記憶している。 しかしながら、あのような「宿題忘れ」というのが最大の罪になって悲惨な光景が繰り返されたことによって、決して「凶暴な女教師」だけではなかった○○ゴラスの小さな優しさも、かえって鮮明に思い出されたりはしている。きっと彼女は約束を守ることや、勉強が子どもにとっては仕事と同じであること、何かを期間内にやり抜く粘り強さの大切さなど、いろいろ教えたかったのだろうが、不器用な(ということにしておく)彼女はてっとりばやく原始的な方法で、子どもをしつけてしまいたかったのだろう。まあとにかく、子どもに舐められるという事などはもちろん皆無であった。決定的にこれでもか!というほどおっかなかったからだ。 よく(良く)生きることとは? 先日、与謝野晶子さんの詩『君死にたもふことなかれ』をぜひ落ち着いてじっくり読んで頂きたい人が浮かんだ。名指しだがもしかしたら交渉の可能性がある人とも言えるかも。この詩は反戦論者によるただのきれいごとではない。人間の正直な本音であり、しかも正しい考え方の詩だ。 ブッシュ大統領。この人は先日「アメリカ軍人の死も覚悟しておいてほしい!」と言っていた。あんたに言われたくないよ!!とほとんどの自国民が本当はそう思っているのを、大統領こそ覚悟、いや自覚してほしい。せめて「私は世界中の犠牲者を代表して、逮捕されるべきテロ首謀犯と向かい合って問いただしたいから、みなさん命を大事に任務を遂行して、犯人は逮捕し、ぜったい無事に帰国してくださいな!」と言ってほしかった。 そんなきれいごと!と非難されようと、一連の事件がまるでショーのように進んでしまっているのを、一般人はもはやお見通しなんだから、今度はいい人になりきってしまったらどう?・・・と皮肉を言ってる場合ではないんだが。 究極の理想的人間社会とはどんな社会だろう?きっと人間に属する生きもの全員が、同じ人間が考えたことについて、ひとりひとりがさらに深く考えることができる環境を持ち合わせている社会とも言えるのではないだろうか?。一般群衆の心理こそがどんな独裁者の権力より恐ろしいという事実を、識字率100%の先進国と言われている国に属する人間のほとんどは、少女アンネ・フランクから学んだはず。すべての人間が群衆心理の怖さや戦争の愚かさを認識できればいいが、現実は難しい。 故マスード司令官を追い続けたフォトジャーナリスト長倉洋海さんのルポによると、『ある時、制圧した敵の基地から物を奪おうとした兵士を殴りつけるマスードを見た。』(地を這うように−新潮社フォト・ミュゼ)そうだ。限られた時間と自由の中で、ひとりひとりがその瞬間をどう生きるか?が最大の問題なのだ。出来る限り、よりよく(良く)生きていきたい・・・ 失敗は成功のもと? 美しいグリセリン石けんを見るたびに、ああーっいいなーっ!とため息をついていた私soapmaker。 ![]() ![]() とうとう作るときが来た!やってみるしかないのだ!と気合いを入れてタワーレコード洋書売り場で「Transparent Soapmaking」の立ち読みをした。ふむふむ、そうそう、なーんだ簡単。でも余計な手間がかかるもんだなあ。エタノール臭くないのかなあ。とりあえずグリセリン、アルコール、砂糖の分量と混ぜるタイミングとコツ、そして冷凍庫ね。と、とんでもなく迷惑な客なのであった。(わかっているのにやるなー!)そもそもこういうだらしない姿勢が失敗のはじまりであった。 みぢかな材料で試さなくちゃ、私soapmakerらしくないよな、などとつぶやきつつ、サラダ油、白砂糖、グリセリン、そしてかれこれ8年ぐらい前にカメラマンの卵さんたちがわが家にてお好み焼き大会を催した際飲み残していったままのウオッカを取り出して、机に列べていった。 いつもの初めてさんレシピの要領で石けんのたねを作る。しばらくしてじわじわとボールの周りにお湯をはり、温めなおしながら、グリセリンを投入。続いて石けんのたねの総量の40%強ぐらいのウオッカを入れた。さらさらに溶けてどんどん透明になっていく石けんのたねを見つめてほーっ!と感心しつつ、最後に砂糖水を投入した。ちょっとかき混ぜ方が乱暴すぎて泡がたってはいるものの、そうかだから網でこせばいいんじゃない、と余裕のよっちゃんだったのだが・・・ (と、ここから急に謙虚な態度に?)結局このサラダ油透明せっけんは、まる10日が過ぎても型から取り出す事ができないのでした。そしてその液体はべとべとしていて、分離状態に近く、きちんとケン化が進んでいなかったのでした。後に残された汚れた用具を見た時の脱力感と押し寄せる空しさはなかなかうまくここで表現できません。どうしようもなく、パソコンに向かうと、3冊目の本を発表されたTaoさんからHPアドレス変更のメールが来ていたので、早速HPに伺うとあたらしくてきれいな掲示板ができていました。トホホの気持ちを掲示板に書かせて頂き「よい勉強をしました!」とそれでも強きのリベンジを誓ったのでした。たおさんのページをはじめ、グリセリン石けんについて記入されているまじめなソーパーさんたちのHPを改めて真剣に読み直したのは言うまでもありません。この失敗を成功のもとにしなくては!こうして私soapmakerは、透明石けんへの挑戦を通して、当初の自堕落な態度を深く反省したのでした。自分にとって必要なリファレンス本は、ケチらないでちゃんと購入して勉強しましょう。(あんただけでしょ?)
ヒキガエルくん、戻ってきて! かれこれ30年以上前、春江工房一帯はのっぱらであった。空き地と相模原カントリークラブというゴルフ場に挟まれた春江工房では、ミミズ、モグラ、ヤマカガシ、イシガメ(緑ガメではない!)との出会いが可能であった。極めつけは、でっかいヒキガエルの集団。たいていの夕方、お風呂場に出没し、まるで真剣に会議をしているように丸く円どって並んでいたのであった。あの光景は結構怖くて、一人でお風呂に入るのは非常に勇気が必要だった。車座集団がいないときでも、必ずお一人もしくはカップルで排水口近くで何やらじっとしていたり、仲良くしていたりするものだから、一日一回は姉、もしくは私soapmarの「ぎゃあああ!おかあーさーん!」という耳をつんざくような叫び声がお風呂場のエコー効果でご近所に響き渡っていた。 しかしあれから30年。まったくヒキガエルがいなくなってしまった。そう言えば鳴き声とか最後に聞いたのはいつであったろう?確かにこの年月が過ぎる間、あたりの環境は激変している。ゴルフ場では確か小池があってカエルのタマゴが産み付けられていて、オタマジャクシもいた。(なんで知っているのか?というと、私soapmakerは幼少時代、ゴルフ場の金網をよじ登り、中で遊んでいた=不法侵入常習犯であったからだ)そのゴルフ場の池が無くなった。近所は家々がじゃかじゃか建ち並んだ。空き地はもはや皆無。ゴルフ場では除草剤やら何やらをやたらと撒いている。ご近所の家は敷地いっぱいギリギリに建物を作っている。道路は舗装されて水たまりなどはできないコンクリートジャングルだ。 こうして懐かしのヒキガエル集団はもちろん、ミミズやモグラ、蛇、亀はまったくいなくなってしまった。全滅したのか、もしくはどこか遠くの、自然がかろうじて残されている公園などへ移動しているのか?なぜこんなに心配になったかというと、小さな畑の野菜をねらうナメクジ=ヌラリひょんがすごい数でやってくるようになったからだ。ヒキガエルが大好物のはずのヌラリひょんは、今や天敵がいないのをいいことにやりたい放題だ。父の観察によると、ヌラリひょんは動きが鈍いようで実はすばしこく、大変な食欲旺盛という。ううーむ。ヒキガエル親分!えさはたくさんございます。どうかどうか戻ってくだされー。にらみを利かせてくだされー。 チャトウチャック市場の石けん使用ルポ 運命の出会いと言っても過言ではないくらい、世界一の出店数を誇るチャトウチャック市場で、バンコクsoapmakerの女性とめぐり会い、彼女のイチオシおすすめ石けんを2つ購入した。 ![]() ![]() 左はアーモンド&サンダルウッド石けんそして右が黒ごま石けん。香りにフレグランスオイルは使用していない。ビタミンEとハーブのみでココナツオイル、オリーブオイル本来の香りがして少し甘い感じ。アーモンド色にところどころ変色していて自然な模様になっている。 また黒ごまの方は写真で解りづらくて申し訳ないが、よーく観察すると小さいごま粉の黒いツブツブが確かに入っている。とてもなめらかな石けんの結晶で、ナイフでカットすると表面がツルツルして光っている。カットは簡単にできとても柔らかい。しかし、ひまわり油の程良い配合でしっかりしている。 この石けんはムーバーンデック子どもの村学園で作った洗濯石けんもこのようななめらかさを持っていた。おんなじだ。泡立ちが美しくて素早い。持続性もあってとても良かった。柔らかい結晶ながら、溶けにくい。ココナツ油がオリーブ油とココナツ油を程良く結びつけている感じがした。 タイの伝統である自然の植物を生活に取り入れるという、彼女のコンセプトがずばり反映されていた。つまりは良いハーブと優れた自然の材料を利用し、さらに良質の油脂をあわせて素朴にコールドプロセスで手作りするというものだ。商標名はVanaハーバルトリートメント。皆さんも何処かで見つけたら、ぜひぜひお試しください。私soapmakerにとっては贅沢な材料でできた手作り石けんだが、今度挑戦してみたいと強く思った。笑顔がとても印象的だったチャトウチャック市場のsoapmakerにまたいつか再会できるといいなあ・・・メールを出してみよう。 博物館で見た一枚の写真 ご存じの方も多いと思うが、カンチャナブリのクウィ川に旧日本軍が建設した「戦場にかける橋」は現在再建されて観光名所となっている。 橋の上は電車が来ない間に自由に歩ける。両脇にはおみやげ屋さんが「こんにちはーさよならーニッポン、ニッポンね」と声をかけてくる。高所恐怖症の人にはできない商売だ。 この橋の近所には2つ博物館があって、大きくてりっぱな方は戦争歴史博物館といい、さまざまな武器がたくさん展示されているらしい。かなり昔からの紛争から世界大戦の戦いに使われた武器の展示がメインのようであった。外からも鎧を着た兵士の像が見えていた。 私soapmakerは今回こちらの博物館には入らず、橋の記録博物館に入った。そのちいさな博物館はたとえて表現するなら、中学校における文化祭の展示発表会といった規模である。モノクロ写真とスケッチ、手紙、遺品などが列べられているのだが、その素朴さがかえって当時の様子を生々しく伝えていた。 ![]() 右の写真は一連の日本軍が捕虜に行った残虐シーンを記録したカットの一つなのだが、キャプションに石けんに関する記述があったので、思わず撮影させてもらった。キャプションには「石けんなしで着る物を洗うように命令され、川の水で洗濯をする当時の連合軍捕虜」というような内容が書かれていた。しかし石けんなどあるわけがないと思った。日本国内でも石けんなんてほとんど使わずにいたのだから。ヨーロッパから石けんが日本に伝わって当時はまだ50年弱しかたっていなかった。だから庶民にとって石けんはとても貴重な高級品であったはずだ。物資も何もかもが不足していた末期の旧日本軍に余分な石けんなどあるはずもない。庶民は当時植物を利用したり、藁の灰汁からアルカリ溶液を工夫して作ったり、米ぬかなどを利用して汚れを落として、石けんの使用は必要最低限に押さえていたにちがいない。だから当然「戦場にかける橋」の工事に無理矢理従事させられた捕虜に石けんの使用など許されるはずがない。とにかくこの写真はキャプションも含めてとても複雑な事情を秘めている。平和な時代で好きなだけ自分の石けんを手作りして喜んでいる私soapmakerにとって、まさに戦争のむなしさと悲惨さを考えさせられる、忘れられない一枚の写真となった。絶対に2度とこんな悲惨でばかげた戦争はしてはいけない!たとえどんな理由があろうとも戦争という行為を認めてはいけない! チャトウチャック市場のsoapmakerの石けん映像と使用感レポは次回となります。ご了解ください。 チャトウチャック市場のsoapmaker 私soapmakerは皆さんと同じく、なにかに打ち込み、挑戦しようとがんばっている人が大好きである。この種の人の特徴は、目がキラキラしていること。なんとあの世界最大の市場でその種の人に巡り会えるなんて、想像だにしていなかった。 私soapmaker熱気ムンムンの市場の通路をあかみちゃんと歩いていた。あかみちゃんはまさに値下げ交渉の達人であった。驚くべき才能である。感心しきりの私soapmakerは相変わらず購買意欲は湧かないまま、ふらふらボケーッと歩いていたのであった。そんな時だった。あたりに気配を感じたのである。もしかして、あったらいいなあ。いたらいいなあ。と思ってはいたのであるが、まさかすぐ左斜め前の市場中心側にその種の人がいるとは! 元気にずんずん前に進むあかみちゃんを呼び止めた。見つけたよ!いたよ!手作り石けんを売ってるよー!あの人!一人の小綺麗なおじさまがひとつ白い石けんを購入したらしく、ビニールに丁寧にいれてもらいながら、何か会話も交わしていた。何だろう?「この前のもすごく肌にマイルド。もう病みつき!また来ちゃった♪」とか言っていたのかもしれない。そして肝心のその種の人は、きれいでスタイルのいい、女性と書いてヒトだった。彼女はすぐに口をぽかんと開けて近づいてくる汗まみれの私soapmakerに気づいてくれた。目はもちろんその種の人のキラキラ目だ。「貴方は、そそそsoapmaker?」 彼女の手作り石けんは、全てタイ伝統の自然素材を使っていた。人工香料、人工着色料をいっさい使わず、油の匂いそのものはビタミンEとサンダルウッドでカバーされていて、とても懐かしい、石けんそのものの香りがした。コンセプトはタイ独自の昔から受け継がれている自然治癒療法であった。コーヒー、黒ごま、ターメリック、蜂蜜に麦、ショウガにシナモン、そしてサンダルウッド、ナツメグとビタミンE。これらの補助材料をベースのココナツ油にオリーブ油とひまわり油を加えて作っているとの事であった。タイはココナツ油は安いのであるが、逆に日本で普通の混合サラダ油はとても貴重だと言う。大豆油もすごく気に入っているけれど、とても高くて困ると言っていた。こちらは逆だから、持ち合って作れれば良いのにねえ。などと夢のような会話をずいぶんと楽しんだ。洗濯石けんを作りに来たと説明すると、大賛成!良い仕事をしましたね。とも言ってくれた。 私soapmakerは彼女が特にお奨めという、黒ごまとコーヒー豆の石けんを購入。すると彼女はまるでキャンデーのようなかわいいグリセリン石けんを2つプレゼントしてくれた。こうなると使用感レポも書かなくては。えっ画像も!?ダイダイダイッ!(ハイを3回) 世界最大の市場へ バンコクでのお話の続きです。 我々のアパートメントホテルは、バンコク1便利な電車路線として名高い、シーロム線はチットロム駅のすぐ近くにあった。とにかく便利なシーロム線。週末、チットロム駅から約20分のモーチット駅はものすごくごった返す。それこそ世界中のプロ・アマバイヤーが、ウィークエンドマーケットとも言われるチャトウチャック市場に繰り出すからだ。この市場は当初タイ国王の王宮前広場で開かれていたそう。1980年代に現在のチャトウチャックに移った。何しろ8000件以上と言われる出店の数々。タイに行ったら絶対絶対行かないといけないのです!とあかみちゃんがいつになく真剣に私soapmakerに言った。実は私soapmakerは買い物が苦手だ。特に海外での買い物はなんだか億劫で、本やら石けんに関するものならすぐに飛びつくのだが、この年になって、物に対しての興味がなくなってしまっていた。要するに買う意欲がわかない。しかしあかみちゃんのガイドブックを読ませてもらうと、へエーと唸るぐらい世界最大との呼び声が高いらしい。 元気いっぱいのあかみちゃんの後についてよろよろとシーロム線に乗り込む。そしてまたおそろしく寒い車内できょろきょろしているうちにモーチットに到着。駅を出て驚きました。パホンヨティン通りは人人人の波であった。お正月の明治神宮とまではいかないが、歩道橋からバス通りに降り、市場の入り口にたどり着くまで、人が多すぎる。イスラム巡礼のシーンを頭に描いてしまった。さらに凄かったのは市場の中。とにかく1メートルもなさそうな通路の脇にありとあらゆる品物が並んでいる。とにかく何もかもがあった。民芸品からアクセサリー、洋服、怪しい薬にお菓子、屋台料理、動物、植物、金銀銅鉄アルミ紙。この市場に来るまで、常に極寒に対する文句を言っていたら、今度は灼熱熱帯地獄を味あうこととなってしまった。人と動物の熱気と料理の熱気、そしてバンコク本来の熱気がこれでもかーと熱を発していた。汗だくになりながら進むこと30分ぐらい、なんとこの世界最大の市場で、自らの手作り石けんを販売しているタイ女性にめぐり会う事ができた。つづく 森林公園から大都市へ 再びバンコクでのお話です。 カンチャナブリでの生活はいわば森林公園の中で生きているのと等しかった。ところがバンコクは違う。ご存じの方も多いと思うが、大都市なので空気はとてつもなく悪い。排気ガスをとにかくまき散らして、ぶんぶんふかしながら、バスもバイクもタクシーもとにかく飛ばす。最新のスカイトレインの駅、チットロム駅周辺は日本で言うと有楽町みたいなところで、そごうをはじめ、高級デパートの数々、そして極めつけの「萬谷世界貿易中心」があるところなのだ。世界貿易センタービルのことを中国語で書くとこうなるそうなのだが、全て漢字で書かれているとちょっと大げさで、世界の貿易の中心はバンコクだったっけ?なんて笑ってしまったりもした。ごめんなさい。 とにかく、のどかな大自然界からいきなりの大都会への移動は体にどんな影響が出るのか楽しみでさえあった。まず、ふつうの呼吸はできなかった。ゆっくりと呼吸なんてしようものなら、肺に排気ガスがそのまま体中を駆けめぐりそうで怖かった。だからなるべく外気を吸わないように、小刻みに息を吐き出すようにした。そうは言っても、出す量を多くしていると頭が痛くなる。でもあの排気ガスの中で生息するにはこうするしかないと考えた。大げさなようだが、とにかく森林公園から戻ったばかりですぐに肺が順応しないのだ。徐々に慣らしていくより方法はなかった。 それから排気ガスより何よりも困ったのは、強烈な冷房であった。こんなに冷やしてどうするのだろうか?と言いたくなるぐらい、これでもかー!とがんがん冷房が効きまくっていた。外気との差は10度どころではない。きっと15度以上あったはずだ。バンコクの皆様は平気なのだろうか?フロントのお兄さんもレストランのお姉さんも全然平気そうだ。デパートでは袖無しを着て平気な顔をしている若者だらけだった。みんなおかしいよー。こんな寒さの中でどうして冷たいジュースを飲んだりしているのー?私たちのアパートメントの中もそうであった。イタリアンのレストランがあったのだが、ここがまた寒さの極限まで冷房が効いていた。運ばれてきたピザがどんどん冷たくなり、パスタは冷凍麺に変化しそうであった。かじかんだ手がピザもうまく掴めない。あかみちゃんと私soapmakerは凍死寸前だった。大げさかもしれないけど、それくらい寒かったのです。つづく 果物王国 いつものように、いつものスーパーオオゼキに行った。夜ご飯のおかずのことはそっちのけでトウモロコシとマクビティダイジェスティブビスケット、それにトロピカーナシーズンズベスト−ベリーテイスト(長い品名だ)をカゴに入れ、レジに並んだ。すると入り口付近から「バナナ100円です!さあさあさあ!」と売り子のお兄さんの叫び声が!前の奥様が大量のショッピングをされていたので、すかさずカゴはそのままにして、バナナを受け取りにいった。すごいぞ!2キロ以上もある大房だあ! あんまりの感動に頭の中は全てバナナとなり、レジを終えるとバナナの袋だけを大事そうに抱えて出口へ向かってしまった。「お客さまぁ〜!お荷物ぅ〜!」と今度はレジのお姉さんの叫び声。「あーっ!」と自分も叫んでしまった。そしてレジに並んでいる人全員に笑われてしまった。何でこんなところで目立たなくてはならないのか?しかし、レジに並んでいる皆さんもカゴは下に置いて、大事そうにバナナの大房を抱えていたので、事情をよく理解して下さり(どうして解る?)かくして私soapmakerは、皆様に優しくかつ同情的な笑いの腹筋運動を提供したのだった そんなどうでもよい馬鹿話より、バナナをはじめとする果物のことだった! カンチャナブリでは、よくバナナを食べさせて頂いた。食後にほとんど毎日食べたバナナは、小さいモンキーバナナのようで、タマゴバナナ(タイ語は不明)と呼ばれていた。濃厚な味でしっかりとした歯ごたえ。台湾バナナの若いのをもっと甘くさせたような味。まさにリッチなティストであった。 バナナの木は宿泊しているロッジのすぐそばにあり、大きな花がついていた。花が日に日にバナナの姿に変わっていくので、大変興味が湧いて、毎日あかみちゃんと上を見上げて歩いた。思えば野生のバナナを見るのは初めてだった。結構早いスピードで変化を遂げる。 バナナの他にも果物はとにかくうーんと食べさせてもらった。マンゴー、スイカ、ランプータン、グレープフルーツみたいなミカン、マンゴスチンなどなど。マンゴスチンの身と皮の間は天然の洗浄剤となるので、石けんやシャンプーにも入れたりしているらしい。 ランプータンはとにかく大量に毎日あった。子供たちも大好きらしく、とげとげの皮を上手に剥いて、白い実を食べ、大きな種をこれまた上手に出していた。食堂の周りの地面は捨てられたランプータンのとげとげ皮でいっぱいであった。どうせ土にかえるからいいんだけど、結構凄い光景だったりした。 また感動的なおいしさだったのが、マンゴーの漬け物であった。マンゴーのピクルスと言うべきか。甘酸っぱくて塩加減もちょうど良くて瓜の浅漬けみたいな味である。酸味が蒸し暑さを和らげ、しょっぱさが口をさわやかにして、とにかくあの味は忘れられない。 スーパーオオゼキのバナナはフィリピンからのバナナであった。ボリュームがすごい。しかし100円というのはなあ。安すぎて申し訳ない気がする。もちろん安いのは有り難いんだが、バナナが日々成長していく様子を見てきたばかりなので、ちょっと複雑である。 ありがとう。バナナ。明日は必殺バナナケーキのレシピを引っ張り出すかな?余談もいいところなんだけど、私soapmakerは、「超簡単!ウレウレバナナのパウンドケーキ」というレシピで、かのMikuriyaさん主催のケーキコンテストにエントリーした。昨年のことなんだけど、とんでもなく無謀なことしたのが、つい昨日のように思い出される。あー、まったく中身が成長してないなあ。 バナナみたいに早く成長し、早く実を結びたいと思っているのにぃー。 ハプニング−異国の病院のつづき 実際、最上階の個室に至るまでの道のりは結構険しかったのである。 隣のスペインバックパッカーチームの盛り上がりは、お昼を過ぎてさらなる絶好調となった。一方の私soapmakerはひからびたカエル状態である。そこで、ひからびガエルはある作戦にでた。バックパッカーチームが病室から出たり入ったりを繰り返す病室のドア側のカーテンをわざと少し開き気味にした。案の定出いりするたび、こちらをちらほらと伺い観ている。そこでここぞとばかりに、私soapmakerは大げさに「もうダメダメぐったり状態」を決め込んだのだ。時々「ううーん。うええーっ。」などとわざと唸っちゃったりもした。 この作戦のおかげで(?)しばらくすると、ちょっと盛り上がるたびに、「しっーっ!!」と誰かが仲間の暴走を制止してくれるようになったのである。 そうこうして、ようやく例の「レッツゴーマイベンライ」看護士さんによる搬送で個室へ。更に贅沢な部屋で更に丁寧な至れり尽くせりを受けた。2人かがりでカラダを拭き拭き、シッカロールぱたぱた。2時間ごとの検温、血圧測定はずっと続いた。入れ替わりの看護婦さん総出演。中にはかわいい妊婦さんナースもいて、こっちが申し訳ないくらいだが、この際だから甘えちゃったりした。 おかげさまでちょっと元気になってきて、トイレにも起き、何とか最大目標の「うんちィー」を限りなく液状に近いものながら、とうとう採取に成功!もう大いばりでナースコールしちゃったもんね。例の茶色い容器が目の前から消えてスッキリ気分。 そうなると誠に勝手ながら、一刻も早くこの病室から出たい。美穂さんが夜はもうホテルに返してくれないか交渉にいってくれた。今度はうってかわって、「私マイベンライ!サバーイサバーイ!状態」を決め込む。 がしかし、一本目の点滴があと少しで終わり、これで自由の身になれると期待していたところ、あのセクシーダイナマイト系看護婦さんが2本の点滴薬を持って現れ、にっこりとすばやく2本目を取り付けて「サワディ、カー!」と立ち去ってしまった。計3本の点滴が終わるまで退院しちゃダメ!ということだった。 かくしてサバーイ作戦はあえなく失敗に終わり、バンコク満喫計画は、病院のテレビでのムエタイ中継、インド歌謡曲特集、タイ産トレンディードラマ鑑賞三昧となってしまった。これが結構笑えて楽しかったのだが。 翌昼過ぎ、最後にまたまた「How many うんちィー?」と確認され、「Only once! Very soft.」と答え、ようやく自由の身となった。「食べ物にはいろいろ菌も入っているのもあるから十分気を付けて旅を続けるように。サワディカー!」と女医先生。丁寧に合掌して「コープクゥンカー」とお礼を申し上げた。女医先生は颯爽と看護婦さんたちを引き連れ、「カー!」と言い残し病室を出ていった。 ロビーに降りるとバックパッカーのリュックが山づみに置いてある。宿無しバックパッカーの、「保険で病院に泊まろう計画」を目の当たりにした気がした。ふーん。なかなかやるじゃないの!とへんな感心をしつつ、そうか私soapmakerもバックパッカーと観られていただろうなあ。と思った。とにかくバンコク1のお医者様、看護婦、看護士さんに感謝しちょっとよろめきながらも、美穂さん、赤見ちゃんと日本料理屋に向かった。 ハプニング−異国の病院 「How many うんちィー?」これで5回目。同じ質問である。看護婦さんはすっごいかわいい顔して「うんちィ?うんちィー?」の連発だ。茶色いプラスティックでできた小さいコップ型の検便入れを片手に取り、「うんちィー?」とにっこり笑いかけてくれるのであるが、私soapmakerは点滴につながれぐったりと首を振るばかり。 何とかうんちをしないと、ずっとここにいなければならないかも・・・と不安になった。 ここはバンコク1の総合病院の病室。私soapmakerは、すこぶる元気でカンチャナブリにある子供の村学園ムーバンデックからバンコク入りしたのだった。石けん作りは大満足の大成功で、きらきらの目の子供たちとの別れを惜しんで、さあバンコクだ!というところであった。チットロム駅から電車で15分ほどの世界最大の市場にも行き、排気ガスとさながら巡礼のような大混雑の中、迷路のような市場でショッピングも大いに楽しんだ。現地のソープメーカーさんとも奇跡的に巡り会って、熱く石けんについて語ったりもでき、大満足でホテルに戻り、あかみちゃんとイタリアンを久々に食べたのだった。 その後美穂さんと再会し、カンボジアの石けん作り計画のお話を聞き、部屋に戻り、泡風呂なんて贅沢をして、寝る前のトイレへ。ところが、もはやバスルームから出られなくなってしまった。心配するあかみちゃん。結局朝まで便器とお友達状態であった。ううっーっ! 美穂さんが飛んできた。「病院に行きましょう!バンコク1の。話のタネにもなるから。心配しないで!」 さらに、100万カ所くらいダニの攻撃にあったあかみちゃんの「足も看てもらいましょう」とおっしゃる。 かくして異国の病院で点滴を受けつつ、一日入院することになった。初めての体験である。 しかし、何だか病院全体の様子が異様に明るく、楽しげである。何で? 車いすを押してくれたタイ人の看護士さんは「レッツゴー!!」なんて言いながらぐんぐん車いすを押し、マイベンライ!を連発。(めまいと吐き気を催しつつも励まされたけど)点滴係りの看護婦さんはニコニコの満面の笑みで、ええっー?と驚くような場所に点滴の針をブスッと刺し、またまたニッコリと笑いかけてくれた。(この看護婦さんはセクシーダイナマイト系)はじめの共同部屋では、スペイン学生グループが大盛り上がりであった。途中お菓子なんかを持ち込んできてバリバリ食べ始めるわ、シャギーのYour my angel!を歌い出すわ、一体どいつのどこが悪いんだか最後まで解らなかった。向かいのベッドでは、顔色も様子も元気そうな少女がなぜか輸血を受けつつ、運ばれてきたお昼をがつがつと元気に平らげている。 そして何だか美穂さんもあかみちゃんも楽しそうだ。私soapmakerが次々にされる処置を結構楽しんでいる様子。「そのオリジナルデザインパジャマ姿スゴッ!あっ!検温中も。写真写真!」とか言っていた。 何でこんな事に!と当初は悲観しがちであったが、さらに夕方には最上階の個室に移り、私soapmakerはこの異国病院で、日本では経験できないような、至れり尽くせりの女王様型超贅沢入院生活を経験してしまったのである。 とうとう入院初日は「うんちィー」は出なかった。起きあがるのもやっとの、ひどい脱水状態であった。つづく・・・ |
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