3. 再会
小さな酒場は旅人や仕事を終えた男達で賑わっていた。ビリーは薄暗い店内をぐるりと見回し、カウンターの端へ腰を落ち着けた。
「よう、英雄さん!ひさしぶりじゃないか!」
口ひげをたくわえた、ひょろりと痩せた男がカウンターの奥からビリーに笑顔を見せた。彼はこの店のマスターで、5年前ARMSの仲間達とこの土地へ訪れてからの顔馴染みだった。
「元気そうだな」
ビリーは笑みをマスターに返した。
「そろそろ来るんじゃないかなと思ってたんだよ。あんたならこの状況を無視できそうにないからね」
マスターはビリーの前にグラスを差し出しながら言った。ビリーは水割りを頼み、マスターの方へ身を乗り出した。
「‥そんなに状況は悪いのか」
「正確にはクアトリーじゃなく、ここよりもう少し北の集落がね」
マスターはビリーのグラスに氷をカランと放り込み、ウイスキーを注いだ。
「塩の原野の近くに、今はまだ数世帯だが小さい集落を作ってるんだよ。井戸を掘り当てたんだ‥この星の裏側に抜けそうなほど深く掘ったらしいけどね」
水割りをビリーに勧め、マスターは声を上げて笑った。
「こんな大地にもう住めないって誰もが思ってたんだろうが、水は命の源だな。みんないっぺんにやる気を出して、そこへ移っていったよ。
まあクアトリーはそんなに大きな街じゃないから、この土地に戻ってきた人間全部が住むには手狭だったこともあるけどな」
「王族の人間が集まってると聞いたんだが」
「それなんだよ、問題は‥」
2人の会話は、自然と小声になった。酒場の客に、その問題の彼等が混ざっていても不思議ではない。
「まだ正規軍だの解放軍だのこだわってる奴がいるのさ‥その集落は殆どが元解放軍の連中とその家族なんだけど、それが気に入らんってわけだ。」
マスターの言葉に、ビリーは眉をひそめた。
「奴らはスレイハイム城に潜んでるらしいが、物好きだな。あんな気味悪いとこに‥。城の付近に誰も近付かせないようにずっと集落の人間を牽制してるんだ。何か城に隠してるんじゃないのかな?」
「彼等の人数は?」
「よくわからんが、それほど多くないはずだ。噂じゃスレイハイム王の近親者がいるって話だが‥元正規軍の連中を雇って守りを固めてるらしい」
ビリーは水割りを口に運びながら、古い記憶をたぐり寄せた。
確かあの戦争当時、スレイハイム王には息子がいたはずだ。しかしその頃はまだ幼い子供で、内戦が勃発してすぐ王妃と共に国外へ連れ出された、と聞いている。
「未だにお山の大将でいたいんだろうな。馬鹿げた話だろ?まるで狂信者集団だ。もしも奴らだけで国を再建できるって言うなら、是非拝ませてもらいたいもんだ」
その時、ビリーの背後から1人の男が近づいてきた。
「邪魔するよマスター、いつものワインを1本もらいたいんだ‥女房に頼まれてね」
「はいよ、またおつかいか‥」
マスターはビリーとの会話を一旦終え、酒ビンが所狭しと並ぶ棚へ向かった。
ビリーはちらりとその青年を振り返った。肩より少し短い程度の、ぱさついた赤茶色の髪が薄暗い店内でもわかった。
それほど大きな男ではないが、かっちりとした鍛えられた体をしている。ビリーは彼の顔を見て一瞬目を見開いた。ほぼ同時に、その青年もビリーに気がついていた。
「‥ジェイクか‥?」
ビリーはかつての戦友に、確かめるように尋ねた。
「ビリーさん??」
ジェイクと呼ばれ、その青年は目をぱちくりさせてビリーに向き直った。みるみるうちに彼の顔に笑みが、しかし今にも泣き出しそうな、複雑な表情が広がった。
ジェイク―かつてビリーの部下だった青年―は、言葉が見つからないといったような感じで何度か首を振り、涙を浮かべながら震える声でビリーに語り掛けた。
「ああ、夢みたいだ‥また生きて会えるなんて信じられない‥ビリーさん、嬉しいです‥」
「全くだ‥」
ビリーは言葉少なく答えたが、その表情には懐かしさと再会の喜びを静かに宿していた。

10年ぶりの戦友との再会であった。
あの内戦の後、解放軍の生き残りは執拗な正規軍の追撃を受け、数多くの者が無念の死を遂げた。逃げ延びた者達も帰るべき祖国を失い、言葉にできない程の苦労を重ねその命を繋いだ。
その惨状は『英雄』として獄中に捕らえられていたビリーにも伝わっていた。それでも生き延びたジェイクを始めとするかつての戦友達は、今間違いなく勝者と呼べる。ビリーはそう感じていた。
「何だい、知り合いか?」
ワインを手に戻ってきたマスターがジェイクに尋ねた。ジェイクは嬉しそうに何度もマスターに頷いた。
「ちょうどよかった。英雄さん、ジェイクはさっき話した集落に暮らしてるんだよ。時々こうやって奥さんのおつかいに来てるんだ。詳しい話は彼に聞けばいい」
「『英雄さん』‥?」
ジェイクはマスターに聞き返した。このマスターは未だにビリーのことを『ブラッド.エヴァンス』だと信じている。5年前の戦いの後、各地で訂正して回ったわけではないのだから当然なのだが。
「場所を変えよう。マスター、ありがとう」
ここでマスターを交えて話すと混乱してしまう。ビリーは飲代をテーブルに置き、ジェイクを手招きした。ジェイクはマスターにワイン代を払うと急いでビリーを追いかけた。
闇に沈む峡谷は、冷たい夜風を架け橋の街に運んでくる。
ビリーとジェイクは街の大きな正門近くの壁際に腰を落ち着けていた。門は夜間魔物の侵入を防ぐために閉ざされている。それでも高い外壁を越えて、夜風に乗って魔物の無気味な気配が伝わってくる。
そのせいか、夜も更けると正門の周囲には人影はなかった。
ジェイクは泣いていた。10年前スレイハイム城での最終決戦の中、途中本隊から離れたジェイクは今初めてビリーの口から『ブラッド』と『ビリー』のその後を聞かされたのだ。その数奇な運命に彼は涙をこらえきれなかった。
「‥あの残党狩りで、正規軍の追撃を引き付けてくれていたのはあなただったんですね‥。あのARMSの隊員だったのも‥。僕は、ビリーさんはもういないんだと‥ずっとそう思ってたんですよ‥」
ジェイクは涙を拭いながら呟いた。
彼は10年前、あの天使兵器の光爆から命からがら逃げおおせたものの、間もなく始まった解放軍の残党狩りに地獄のような逃亡生活を余儀無くされた。共に行動していた仲間達は次々に力尽き、倒れていった。
武器弾薬が底をつきいよいよ体力の限界となった時、ジェイクは死を覚悟した。そんな時、彼と同じように逃げ延びていた仲間達が彼を救ってくれたのだ。
その彼等から、『ブラッド.エヴァンス』がたった1人で正規軍の追撃を引き付けていること、そのおかげで彼等が助かったことを聞かされたのだった。
ジェイクはブラッドがたった1人という言葉によって、常にブラッドと共に行動していたビリーは死んだのだとずっと思い込んできたのだった。
ビリーは黙って夜空を見上げていた。ジェイクは彼の長い黒髪と上着の襟に隠された、鈍く光る拘束爆弾『ギアス』を恨めしそうに見つめた。
「それ‥取ることはできないんですか?」
「こいつを埋め込んだ技術者が今、生きているとは思えん」
ビリーはさらりと言ってのけた。彼にとっては『ギアス』はもう完全に体の一部になっている。10年も経ってしまった今、皮肉なことにその違和感は全くなくなっていた。
「‥‥ブラッドさん、きっと良くなりますよね?」
ジェイクはビリーの横顔を見ながら力強く言った。ビリーは「ああ」と返事をした。ジェイクは少しだけ笑ったが、ふと真顔に戻った。
「あの‥ブラッドさんの正体は、隠しておいた方がいいです」
「そのつもりだ‥」
王族や元正規軍の人間にとってのブラッド.エヴァンスは『英雄』などではないはずだ。
彼を『英雄』と呼んだのは、正規軍を擁する国の弾圧に苦しめられていた民衆であり、解放戦争を対岸の火事のように見ていた国外の多くの人間である。
民衆の未来のために戦った男といえば、この解放戦争を文献でしか読んだことのない人間でも彼を『英雄』だと簡単に思い込むだろう。
しかし王族を始めとする権力者達にとってはブラッド.エヴァンスはただの戦犯である。
王室に反旗を翻し、国を混乱に陥れ、あげくにこの大地を死の焦土と化した戦争の重罪人として未だ恨んでいるとしても不思議ではない。
「きっと奴ら『英雄』を憎んでます。もしブラッドさんのことを嗅ぎ付けたら、何を考えるか―」
「―その時はまた俺が『ブラッド』になる」
「だめですよ、そんなのッ!」
壁から体を起こし、ジェイクはビリーに一喝した。ビリーはジェイクに目を向け、苦笑した。
「『もしも』の時だ‥それに、俺がそう簡単にやられるような人間に見えるか?」
ジェイクは口をつぐみ、首を振った。そしてすぐに笑顔を見せた。
「大丈夫です。もし奴らが何か仕掛けてきても、集落にはちゃんとそれ相応の準備ができてますよ。売られた喧嘩は買わないとね」
解放軍に志願したての頃の、ひ弱だった彼とは別人のようなジェイクの言葉にビリーは向き直った。
「あまり無茶をするなよ。1人の体じゃないんだろ?」
「え?」
「‥奥さんのおつかいでここに来てるんだろう」
ビリーの言葉にジェイクは顔を赤らめて、ははは、と笑った。
ジェイクは10年前とはまるで違う本当に逞しい、凛々しい顔立ちになっていた。
単に歳を重ねただけではなく、苦境の時代を生き抜き自分の居場所を見つけ、大切な守るべき者を得た立派な青年の顔になっていた。
彼はあの忌々しい戦争から抜け出し幸せな新しい生活を勝ち取ろうとしている。その自信に満ち溢れた彼の姿がビリーには頼もしく思えた。
「何かあれば手伝わせてくれ」
ビリーは立ち上がり、ジェイクに手を差し出した。2人は固く握手を交わした。
「明日帰ります。よかったら一緒に来て下さい。何もないけど‥ブラッドさんと、その連れの女の子も是非!」
ビリーは宿の部屋のドアをそっと開けた。もう2人とも眠っているだろうと思ったのに、開けたドアの隙間から弱々しい明かりが漏れた。ビリーは足音を忍ばせて部屋へ入った。
窓際のソファにブラッドが座ったままだった。ずっと窓の外―今はただ暗闇が広がるだけの大地―を見ていたのだろうか。ビリーは彼に近づいた。ブラッドはまだ眠ってはいなかった。
壁際のベッドでは、メリルが横になって眠りこんでいた。着替えだけは済ませていたが、明かりをつけたままであることとブラッドをそのままにしているところを見ると、まだ眠るつもりはなかったのだろう。
ビリーを待っていたのかもしれないが、長旅の疲れから来る睡魔には勝てなかったらしい。
せっかく衝立てを立てたのに意味がないなと思いながら、ビリーはメリルに毛布をそっとかけてやった。
静かな寝息を立てる彼女の肩まで毛布をかけて、ビリーは2つのベッドの間の衝立てを広げ、彼女のベッドを囲むように、明かりを遮るように立ててやった。
「ブラッド、もう眠るんだ」
ビリーはソファに腰掛けたままのブラッドに小さな声で囁き、彼を抱えて立ち上がらせてベッドに移した。彼の不自由な足をベッドの上に乗せ、毛布をかけてやる。
「シンシア‥」
不意に呟いたブラッドのその言葉に、ビリーは一瞬ギクリとした。
ブラッドは自分のベッドの隣の、衝立ての向こうのメリルの影を見ていた。しばらく動きを止めていたビリーはブラッドをじっと見つめ、衝立ての影にちらりと視線を移した。
「違うよ、ブラッド」
ビリーは低い声でブラッドに言った。
「あれはメリルだ。‥シンシアじゃない」
彼に毛布をかけながら、ビリーはブラッドの体をベッドに横たえた 。
「‥‥シンシア」
再びブラッドは呟いた。まるで呪文を唱えるかのように。
「もう寝るんだ、ブラッド」
ビリーはまるで子供に言い聞かせるようにブラッドに諭した。
「‥シンシアは、もういないんだ‥」
暗闇の中、ビリーはソファに横たわって薄暗い天井を眺めていた。
静かだ。メリルとブラッドの寝息と、時折荒野を渡る風の音しか聞こえない。
ビリーは目を閉じた。しかしなかなか眠りは訪れない。久しぶりの長旅で彼も疲労しているはずなのに。
ブラッドが妹の『シンシア』の名を呼んだのは、今日が初めてではない。
彼は時折断片的な『話』をする。それは人の名前だったり、自分の名前だったり、目の前の光景をそのまま口にしてみたり―と、こんな具合だ。しかし今日はいつもと少し違った。
彼はメリルのことをちゃんとわかっている。自分の世話を焼いてくれる心優しい彼女のことを、周りの人間と区別できている。ビリーとメリルは、彼にとって特別な人間だとわかっている。
それなのに、何故彼女の影に『シンシア』と言ったのか。
このスレイハイムの大地を渡る乾いた風が、すでにブラッドの心に何か変化を与えたのだろうか。ぼんやりと考えるビリーの瞼の裏にはシンシアの姿が映っていた。
以前ブラッドに話していたシンシアのことを、メリルが偶然聞いてしまったことがあった。メリルは無礼を詫びたが、ビリーにとっては聞いてくれていた方がよかった。
彼女に面と向かっては話しにくい話題であったし、改めて話す必要もなくなったからだ。
シンシアを亡くして10年の月日が流れた。
忘れられるはずもない過去。しかし長い歳月が静かに、確実にその悲しみを浄化し、彼女を愛した事実だけが心を大きく占めるようになっていくのを彼は感じていた。
『傷痕』が『思い出』に変わりつつある―。平和な日々の中のゆったりとした時の流れが、シンシアの存在の意味を少しずつ変えていた。
そしてそれは時の流れだけでなく、メリルの存在も影響していることにビリーは気付き始めていた。
メリルはいつも木漏れ日のような優しいぬくもりと安らぎを彼に与えてくれる。5年間を共に過ごしてきた彼女の存在は明らかに以前とは違う意味を持ち始めている。
彼女をいつまでも子供扱いするわけにはいかないことはビリーも十分承知していた。
しかしメリルを1人の『女性』として意識する時、いつも心に浮かぶのは不運な最期を遂げたシンシアの姿だった。
シンシアを守ることができなかったという自責の念を抱いたままメリルの想いに応えることはできない。そしてメリルにとっても、そうすることがどれほど残酷なことか彼にはわかっていた。
今夜かつての戦友ジェイクに出会い、彼の輝かしい表情を目の当たりにして、ビリーは未だに自分が過去に捕われたままであることを苦々しく思った。
過去に捕われているという点では、自分も王族にこだわる連中とさして変わりはないのかもしれない―。
思いを巡らせるうちに、彼はいつしか深い眠りに落ちていた。
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