4. 原野のほとりで


 その日の朝、部屋に置き忘れていたストールを手に、メリルは宿から出て正門へ向かおうとしていた。 と、宿に隣接する酒場の入り口付近に座り込んでいた2人の男が彼女に口笛を吹いた。メリルはふと足を止め、彼等をちらと見た。
「お姉ちゃん、観光かい?」
 その男達はにやにやと笑いながらメリルに声をかけてきた。その服装からこの街の住人とは思えない。 旅人なのか、それとも渡り鳥か。彼等の腰に下げられたホルスターには使い込まれた拳銃が装備されていた。
 メリルは怪訝そうな顔をして、彼等から顔をそむけて再び歩き出したが、彼等は立ち上がってメリルの行く手を遮った。 メリルは一瞬怯えたような表情を見せたが、すぐに険しい視線を彼等に投げかけた。
「そんな怖い顔すんなよ‥美人が台無しだぜ?」
「観光なら、おもしろいとこに連れてってやるよ。どうだい?」
「連れがいますから、結構です」
 きっぱりとメリルは彼等の申し出を断り、ぷい、と顔をそむけて彼等の側を通り抜けようとしたが、1人の男がぐいと彼女の腕を掴んで乱暴に引き戻した。
「何するんですか!」
 怯みながらもメリルは怒鳴った。街の住人達が振り返るが、男達はメリルを離そうとしない。
「つれないこと言わないでさ、俺達と‥うぎゃッ!」
 男は悲鳴を上げてメリルの腕を離した手で自分の足を抱えた。メリルが渾身の力で踏み付けたのだ。
 メリルはその男を押しのけて逃げ出したが、もう1人の男が悪態をついて追いかけてくる。メリルは走りながら僅かに後方を振り返った。 不意にドン!と大きな体にぶつかる。悲鳴を上げてよろけた途端に腕を引っ張られ、メリルは勢いよくその大きな体の持ち主、ビリーの背後に引き込まれた。 追ってきた男はビリーの前で急ブレーキをかけたように止まった。
「‥‥何か用なのか?」
 ビリーは彼を睨み付けた。その男と、後から追ってきた男はその威圧感に絶句した。
 彼の背後からメリルはひょこっと顔を出し、ほっと胸をなで下ろした。彼と一緒なら魔物だって逃げ出してしまうのではないかと思えるくらい心強い。
「おいッ!何やってるんだお前ら!」
 正門からジェイクが叫びながら駆けてきた。2人の男はジェイクを見て舌打ちした。
「何だよ‥解放軍の奴の連れか?ちぇっ‥」
「この街では騒ぎは起こさない約束だろう?問題を起こして困るのはお前達じゃないのか?」
 ビリーよりも前に出て、ジェイクは厳しい口調で彼等に言い放った。男達はおもしろくなさそうに鼻を鳴らし、ジェイクを睨み付けた。
「ああ、わかったよ‥それより、こないだお前の仲間達がまた城の近くをうろちょろしてたぞ」
 男の1人が憎々しげに呟いたので、ジェイクはむっとした。
「彼等は原野を調べてるだけだ‥水脈とか、いろいろとな。迷惑かけてるわけじゃないだろ?」
「城には近付くなって言ってるはずだ!また来たら、今度こそ容赦しないぞ‥」
 吐き捨てるように言い残し、男達はその場から離れていった。ジェイクは憮然として彼等を見送った。
「大丈夫か?」
 ビリーは背後にかばっていたメリルに尋ねた。メリルは頷き、眉をひそめた。
「何なの?あの人達‥」
「あいつら、王族に雇われてる元正規軍の連中なんです‥」
 ジェイクは申し訳なさそうに2人に説明した。
「ここで騒ぎを起こせば街の人達の反感を買うし、そうなると奴らも行き場がなくなりますからね‥ここではいがみ合いは無しってことになってるんですけど‥」
「城が何とか言ってたな‥何か知ってるのか?」
 ビリーはジェイクに尋ねたが、ジェイクは首を振るだけであった。
「あんな人達に王族の人が守られてるの?何だか変な話ね‥」
 メリルはストールを巻きながらビリーに呟いた。ビリーも彼女に同感だった。
「さ、行きましょう。ブラッドさんはバギーで待ってますから‥」
 嫌な気分を振り払うかのように、明るい口調でジェイクは2人を促した。

 2人の男はぶらぶらと街中を歩きながら話していた。
「惜しいことしたなあ、あの娘‥可愛かったのに」
「ま、仕方ない。この街で騒ぎを起こすと困るのは確かだ」
「今でもわりと煙たがられてるしな‥ちぇっ、おもしろくねえ‥」
「マジで国が復活すりゃあ、見る目も変わるんだけどな」
「はは、マジで‥か。やっぱり信じられないのか?お前も‥」
「‥うん‥この塩だけの土地を見てたら、ちょっとなあ‥」
「ん〜〜‥実は俺も半信半疑だけどな‥それにしても城で一体何やってんのかな?」
「そうだよな‥誰も知らないんだよな‥奴らを近付けるなっていうくらいだから、何かすごいこと企んでるんじゃないの?」
「解放軍の奴らみんな逃げ出すような、すごいことが起こるわけ?」
「そうじゃないと意味ないよ。俺はあいつらにひと泡吹かせてやりたいから、手を貸してるんだぜ?」
「ま、そうだな‥解放軍の奴らだけが大きな顔してるのはおもしろくないもんな‥」
 1人の男がふと黙り込み、首を傾げる。
「どうした?」
「いや‥さっきの男さ‥どこかで見たことあるような‥」
「あの黒髪のでかい奴か?」
「うん‥‥確か‥見覚えがあるんだけどな‥」



 クアトリーからジェイクのバギーで30分ほどかけて、ビリー達はジェイクの暮らす集落に来ていた。
 小さな家屋が数件、肩を寄せ合うように並んでいる。外敵の侵入を防ぐために、先の鋭利な丸太を組んだ外壁がその集落を守っていた。 集落から塩の原野までそれほど離れてはいない。もう少し距離を取った方が安全だったかもしれないが、掘り当てた井戸がこの位置だったのだから仕方がない。

「実は、問題は王族の連中だけじゃないんですよ」
 ジェイクは馬に水を飲ませながら、車椅子に腰掛けるブラッドとその側に立つビリーに言った。
「‥なんか変なんですよ、塩の原野が‥」
「アンデッドのせいじゃないのか?」
 ビリーはジェイクに尋ねながら塩の原野へ視線を向けた。ジェイクは首を傾げる。
「‥‥どうなんでしょうね。よくわからないんですけど、時々地震かと思うような地鳴りがするんです。で、女房や他の連中も気味悪がってて‥」
 赤茶色の髪を掻きながら、ジェイクは渋い顔をした。
「ここで武器を扱えるのは僕も含めて2、3人なんですよ。どうも心許ないんで、今渡り鳥の人を用心棒として雇ってるんです」
「渡り鳥?」
 ビリーはジェイクを振り返った。
「ええ、すごい強いですよ、女の人なのに‥。魔物を祓う『凶祓』を専門にしてるっていう‥」
「‥もしかして、カノンか?」
 ビリーがジェイクに確認しようとした時、ブラッドが家から出てくる人影に目を向けていた。
「やっぱりお前か‥聞き覚えのある声がすると思えば‥」
 長いマントと漆黒の長い髪を揺らしながら、薄笑いを浮かべて家から出てきたのはカノンだった。5年前、ファルガイアを救うためにARMSの仲間として共に戦った女渡り鳥である。
 ビリーは久しぶりに再会した友人に笑みを浮かべた。

「こんなとこで会うとはな」
「この辺はまだ魔物が多いからな‥魔物退治の依頼も結構あるぞ。いい稼ぎになる」
 カノンは紫色の右の義眼を細めた。左目はとうの昔に失っており、今は眼帯の下に隠れている。彼女はジェイクに顔を向けた。
「ブラッドの知り合いだとは知らなかったな。報酬は少し負けといてやる」
「え、ほんとですか?うわ〜助かります!」
 ジェイクはカノンの言葉に本気で喜んでいた。あまり生活に余裕があるとは思えない彼に、この申し出は心底嬉しかったのだろう。 優待価格でも設定しているのかとビリーは思ったが、聞かないことにした。
「あたしもずっと気になっていたんだが‥この原野の下、何かいるぞ」
 カノンの言葉に、ビリーは再び塩の原野へ目を向けた。無数の命が散ったこの大地。その地下に一体何が隠されているというのか―。

 車椅子のブラッドにカノンは目を向けた。ブラッドは興味深気に彼女を観察している。
「ビリー‥いや、ブラッドは大分良くなっているように見えるな」
「そうだといいが」
 ビリーはカノンに呟いた。この土地へ来てから、確かにブラッドの反応は少し変わってきている。 いつもと違う景色に興味を持っている程度ではなく、何かを感じ取っているような様子であった。虚ろな目が、そうでなくなっているようにビリーには思えた。
「カノンさん?」
 向いの家から紅茶を運んできたメリルが驚いて声を上げた。カノンもメリルを見て、少し驚いた顔をした。
「メリルも一緒なのか?」
「あ〜、びっくりしちゃった!こんなとこで会うなんて‥お元気でしたか?」
 嬉しそうに笑いながら、メリルはビリー達に紅茶を勧めた。最後の紅茶のカップを、そっとブラッドに手渡してやる。
「ちょっと熱いですよ、気をつけてくださいね」
「メリルさん、ごめんなさい!お茶菓子もあるの。手伝ってくれる?」
 家の中から明るい女性の声がする。ジェイクの妻であった。メリルは、はあいと返事をして、小走りに家へと戻っていった。
「あ〜‥、おいしいな。これメリルさんが入れてくれたのかな?」
 ジェイクはメリルの入れた紅茶を飲みながら微笑んだ。ブラッドも慎重に息を吹きかけながら、満足げに紅茶を飲んでいた。
 メリルの入れてくれるお茶はビリーとブラッドのお気に入りだった。仕事が終わると、彼女はいつも熱いお茶を用意して待ってくれている。 セボックでの平和な時間には、いつもメリルの笑顔と彼女自慢の熱いお茶があった。
「メリルさん、可愛い人ですね‥」
 もう一口紅茶を飲んで、ジェイクはビリーに囁いた。ビリーは答えずにカップを口に運んだ。
「‥婚前旅行か?」
 ぼそりとカノンが言った途端、ビリーは派手に紅茶にむせた。ジェイクがあわてて背中をさすってやる。その様子を見て、カノンはぷっと吹き出した。
「‥‥お前にしちゃ、おもしろい冗談だな‥」
 もう一度ケホン、と咳き込みながら、ビリーはカノンを睨んだ。カノンは肩をすくめ、ほくそ笑んだ。彼女は大真面目で質問したつもりだったのだが。



 塩の原野の北東に、今は主を亡くした巨大な廃墟が無気味な姿で塩に埋もれている。
 アンデッド達のひしめくこの廃城には、今では誰も近づかない。にもかかわらずその城の最深部では、松明の炎がチリチリと音を立て、冷たく闇に沈む城内を弱々しく照らしていた。

「‥‥本当にやるの?」
 少年の声が薄暗い室内に響いた。そこは城の最深部、玉座の間であった。今は腰掛ける者もいない玉座は、薄汚れて埃と蜘蛛の巣にまみれている。その玉座の足下に少年は座っていた。
 歳の頃は12、3歳であろうか。無造作に伸ばした髪は明るい金色で、髪とは対照的に暗い青の瞳を僅かに隠していた。 まだ幼さが残る顔立ちであるにもかかわらず、彼の暗い表情には苦しく辛い半生が深く刻み込まれているように見えた。
「‥今少しの辛抱で、我が祖国は復活するのです」
 低くかすれた声が、少年の目の前の薄暗がりから返答した。声の主の顔は見えない。長いローブに身を包んだ長身の男であることしかこの薄暗がりの中では確認できなかった。
「迷いはお捨てなさい。ヒューイ様」
 男の声に、少年は答えなかった。
 彼しか頼れる者がいない少年は、彼を信じてここまでついてきた。しかし今から彼等がしようとしていることが招く結果を考えると、どうしても迷わずにはいられなかった。
 ヒューイと呼ばれた少年は、黙ったまま自分の後ろの玉座を振り返った。
「‥‥王の無念、この私と共に晴らしましょうぞ‥」
 長いローブの衣擦れの音を立てながら、その男は低く笑って少年、ヒューイに背を向けゆっくりと立ち去っていった。

 薄暗い闇に沈んだ室内の片隅に、まるで動かぬ銅像のように1人の男が立っていた。 松明の弱々しい明かりに照らされて辛うじてわかるのはその男の髪が灰色で、眉間には深い皺を刻んでいることだけであった。
「‥‥ねえ、本当に国が復活するの?」
 その初老の男に向かって、ヒューイ少年は小さな声で尋ねた。しかし男は答えない。
 ヒューイは無言のままの男にすがるような目を向けていた。その目には迷いと恐れが宿っていた。
「ダニエルは僕の味方だよね?‥‥ずっとそうだよね?」
 ヒューイの言葉にその男はわずかに眉を動かしたが、それでも黙ったままであった。

 揺らめく炎を点す松明が、パチンと音を立ててその火の粉を僅かに散らせた。
 重々しい沈黙が流れ、やがてその男は口を開いた。
「‥ダラス様にお任せしておけば、間違いありません。ヒューイ様」

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