6. 接触


 馬を走らせながら、ビリーは視界の端でこちらへ向かってくるバギーを捉えていた。少し遅れてメリルもそれに気がついた。 集落の人間かと思ったが、近づいてきたその人影は明らかに彼等とは異なっていた。
 埃にまみれた長いマントを身にまとい、バギーの手綱を握るのは眼光鋭い初老の男であった。 風になびくマントの下から、彼の肩にかけられたホルスターの拳銃が見え隠れしている。

「君は何を聞かれても答えるな」
 ビリーは馬の速度を落としながらメリルに小声で囁いた。メリルは小さく頷き、側まで近づいてきたバギーを不安げに見つめた。
 バギーの後方に乗り込んでいたのは小柄な女性だった。 御者の男と同じようなマントを身にまとっているが身なりには気をつかっているらしく、短く切った銀色の髪にはきっちりとバンダナを巻いていた。
「こんなとこでデート?色気のないことね」
 その女性はバギーから身を乗り出して、からかうようにビリー達に声をかけた。 その問いにビリーは答えず、注意深く彼等を観察した。 女性は丸い目をきょろきょろさせて静かな笑みを浮かべているが、御者の男はビリー達に苛烈な視線を投げかけていた。 その視線にメリルは身を固くした。
「見かけない顔ね。あんた達、あの集落の新入り?」
 銀髪の女性は黙ったままのビリーに再び尋ね、メリルにも視線を向けるとにっこり微笑んだ。メリルは表情を変えない。
「‥‥あの集落の人間の知り合いだ」
 ビリーは低い声でその女性に答えた。女性はそう、と短く答え、ビリーに笑いかけた。
「じゃあ、頼まれてくれる?伝言があるの。そろそろ出ていかないと、ほんとにヤバいって」
 その笑顔とは裏腹な、穏やかでない言葉にビリーは目を細めた。かまわずに女性は続ける。
「親切で言ってるのよ‥そのへんわかってほしいって伝えてくれる?そうじゃないと、みんな死ぬわよ」
 冷ややかな言葉に、メリルは無意識にビリーの腕を強く握っていた。ビリーはしばらく無言だったが、やがて口を開いた。
「何者なんだ‥?」
「あたしトーニャよ。こっちのおじさんはダニエルっていうの」
 沈黙を守ったままビリー達を睨んでいる御者の肩を叩き、トーニャと名乗った女性はふふ、と笑った。
「じゃね、確かに伝えたわよ。あんた達も早くここから逃げた方がいいわよ」
 それだけ告げてトーニャは軽く手を振り、バギーの座席へ戻った。 それが合図だったかのように、ダニエルと呼ばれた初老の男は馬に鞭を入れた。 バギーは車輪を軋ませながらビリー達に背を向け、塩の結晶を蹴散らせながら来た道を戻っていった。


「ビリーさん‥」
 小さな声で、メリルはビリーに呼び掛けた。ビリーは去っていく彼等を凝視していた。 トーニャと名乗った女性が言ったことは、はったりには聞こえなかった。 あの奇妙とも思える程の自信の裏に、彼等は一体何を隠しているのか。
「‥‥痛いぞ、メリル」
 出し抜けにビリーがメリルに呟いた。そう言われて、初めてメリルは自分がずっとビリーの腕を力一杯握りしめたままだったことに気がついた。
「ごっ、ごめんなさい!」
 メリルがあわてて手を離して詫びるのを聞きながら、ビリーは手綱を引いて再び集落への帰路へついた。

「あんな忠告など、してやらんでもよかったんだ」
 バギーをのろのろと走らせながら、険しい表情の初老の男―ダニエルは、トーニャに背を向けたままぶつぶつと呟いた。
「解放軍の残党など、どうにでもなればいい‥」
 ダニエルの言葉に、トーニャはおもしろくなさそうにふん、と鼻をならした。
「あたしの仕事はあいつらを追い出すことだけよ。忠告くらいしてやったっていいじゃない」
「どのみち奴らは消え去る運命だ」
 ダニエルは冷ややかに言い放った。眉間に刻まれた深い皺が、彼の表情をさらに険しくしていた。
「‥‥あとはダラス様に任せておけばいい」
 乾いた風からマントで身を覆いながら、トーニャはダニエルの背中を睨んだ。
「ダラス‥あいつ、一体何考えてるんだか‥」
 トーニャは吐き捨てるように言い、それきり黙って塩の原野を眺めていた。


 同じ頃、廃墟となったスレイハイム城の奥深く、狭い地下室でローブ姿の長身の男が佇んでいた。
 彼の手に握られた燭台の小さな炎が、その痩せた青白い顔を弱々しく照らしている。 その口元には悪魔のような冷ややかな笑みをたたえていた。
 彼は今、彼にしか聞くことのできない『声』と無言のまま対話している。 冷たい空気の淀んでいるその空間には、燭台の蝋燭の炎が立てる微かな音しか聞こえない。
 突然かん高い笑い声が、闇に沈む淀んだ空気を切り裂いた。
「新たなる国の誕生‥さぞ素晴らしいでしょうな‥」
 彼のかすれた声に答える者は誰もいない。いたとしてもその『声』が聞こえるのは、青白い顔に狂気の笑みを浮かべた、血のように赤い目のその男だけである。
 冷たい闇の中、彼の無気味な笑い声がいつまでも尾を引いていた。



「その女がそう言ってたんですか?」
 ジェイクはビリーに尋ねた。ビリーは風に目を細めているブラッドの側にしゃがみこんで、ジェイクに先程の出来事を話していた。
「‥彼女とは話したことがあるのか?」
「いえ、話したことはないです‥僕はクアトリーの街で、その女が雇われの正規軍の奴らと一緒にいるとこを何度か見たんです」
 ジェイクはビリーの目の前に、彼と同じようにしゃがみこんだ。
「あいつらの親玉かもしれないな。でも彼女は王族とか正規軍には見えないんだけど‥」
「雇われの渡り鳥ってとこか‥。そんな連中が、何故あんな気味悪いだけの所へ雇われているのか不思議だな。 スレイハイム城にまだ財宝でも残ってるのかな」
 そこまで言って、ビリーはふとクアトリーの酒場のマスターの話を思い出した。

 『まるで狂信者集団だ』

 『ほんとにヤバい』とトーニャと名乗った女は言っていた。それは宣戦布告とは少し意味合いが違う。 ビリーは視線を地に落とし、黙り込んだ。
「例の地鳴りと、無関係ではないのかもしれないな」
 家の壁にもたれかかり、2人の話を聞いていたカノンが口を開いた。彼女の言葉に、ビリーとジェイクは無言のまま顔を見合わせた。
 不穏な空気を感じ取ったのか、車椅子のブラッドも少し不安げな表情を浮かべていた。
「‥‥また戦わないといけないのかな‥」
 ぽつりとジェイクが呟いた。ビリーは無言のままであった。
「‥あの戦争で、僕は正規軍に両親を殺された‥奴らをもう恨んでないと言えば嘘になる‥アネットのおかげで、随分気持ちの整理はできたつもりなんですけど‥」
 アネット、というのはジェイクの妻の名前である。
「‥気持ちはわかる」
 ビリーは静かに答えた。
「しかし、このままじゃ前に進まんだろう‥」
「そう‥ですね‥」
 2人は再び黙り込んだ。
 生きるべき土地を失ったこの戦争の傷痕が癒されるには、10年という歳月はあまりにも短い。 10年間苦しみ抜いて生きてきた人々の心は、この死んでしまった大地よりも深く傷ついているのだ。


 ジェイクの妻のアネットは上品で清楚な感じの女性だった。澄んだ瞳が優し気で、肩まで伸ばした黒髪を大きな髪飾りでひとまとめにしている。
 彼女とメリルは井戸の側で洗い物をしていた。彼等の血の滲むような努力の賜物であるこの井戸は、セボック村のそれに比べると相当な深さである。
「怖くはないですか?ここの生活は‥」
 メリルは洗い終わった食器を拭きながら、アネットに尋ねた。
「そりゃあ、得体のしれない音がするし、乱暴な人達も来るし、安全な場所とはいえないわね」
 アネットはかちゃかちゃと音を立てて食器を洗いながら、メリルに微笑んだ。
「もっと住みやすい所はあるんだけどね‥でも、やっぱりこの土地が私達の故郷なの」
「ジェイクさんも一緒ですもんね‥」
 微笑みながら、メリルはアネットに囁いた。アネットは肩をすくめた。

「実はね、私は貴族出身者なの‥下級貴族だけど」
「え?」
 メリルは彼女に聞き返した。アネットは手を休め、遠い目をした。
「‥‥解放軍を恨んだこともあったのよ‥彼等が決起しなければ、この大地はこんな風にはならなかったかもしれないのにってね」
 ふとメリルは食器を拭いていた手を止めた。 アネットは静かに息をつく。
「でもね、もうそんなことはどうでもいいの。今さらお互いを憎んでも何も始まらないわ‥いつまでもいがみ合ってる場合じゃないのにね」
 アネットはメリルに顔を向け、静かに微笑んだ。
「ジェイクに出会って、初めてスレイハイムという国にこだわる必要なんかないんだってわかったの。 私と彼が望んでいたのはこの大地に帰ることだった。国なんか関係ない、王族も解放軍も関係ない。ただ純粋に、私達が生まれ育った大地に帰りたかっただけなのよ‥」
 静かに、穏やかに語るアネットに、メリルは返す言葉が見つからなかった。

 誰もが自分の故郷を守りたかったはずなのに、たった1人の愚かな人間の手でその大地は焦土と化した。
 信じていた未来は儚く消え去り、生き残った民は変わり果てた祖国を離れるしかなかった。
 多くの者が命を落としていく中、彼等は血の滲むような努力をして生き延びた。 その苦渋を舐めたのは民衆や戦犯として狩られた解放軍の生き残りだけではなかったのだと、メリルは初めて気付いた。
 天使兵器の地獄のような光爆に全てを失い、未知なる大地へ赴かなければいけなかったのは王族や貴族の人間も同じだったのだ。

「アネットさん‥」
 メリルが目を潤ませているのを見て、アネットは笑った。
「あなたのように、外から来てくれる人がいると嬉しいわ。私達のやろうとしていることを、世界中に知らせたいものね」
「やろうとしてること?」
 メリルは涙をしゃくりあげ、アネットに尋ねた。
「些細なことに思えるでしょうけど‥この大地に、また花を咲かせたいの」
 アネットはにこやかにメリルに囁いた。その言葉に、メリルはパッと顔を輝かせた。
「あ、あたし実は持って来たんです!」
「え?」
「花ですよ!白い花の種‥もしかしたら、ここに根付くかも知れないって思って‥」
 メリルはセボックに咲く小さな白い花の種を採取していた。幸運を呼ぶという可憐な花だ。 セボックを出発する朝に急に思い付いて、荷物に放り込んできたのだ。
 メリルの申し出に、アネットは顔をほころばせた。
「ね、きっといつか咲きますよ!今度、畑を作って種を蒔きましょう!」
 2人は顔を見合わせて、実に楽しそうな笑い声を上げた。

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