コラム 「言いたい放題」 NO,60
企業の文化支配
2000.12.9


★企業とE音楽★

 以前より「行政改革は軍事、企業国家へと人々を動員するものだ」との警告が発せられていたが、企業は、経済・政治・教育の領域のみならず、文化政策をとおして、その支配を強めている。
 すでにスポーツ界は、ほとんどがその影響下に入り、体協は、すでに、アマチュアの広告出演、プロ選手の登録、金銭授受などを認めるスポーツ憲章を承認している。
 スポーツ界の企業支配は今や公然となっているが、あまり知られていないのは文化界への企業進出支配である。とくに、E音楽界(Ernste,Musik、クラシック音楽)への進出支配が強まっている。そのはしりは、サントリーが、日本で初のコンサート専用ホールを赤坂にオープンしたことである。アリーナ形式によるホールで、舞台を中心に客席がそれを取り囲むようになっている。
 世界ではそう珍しい形式ではない。しかし、この形式をとると、ホールが多目的に使用できず、採算があわないことから、これまで日本ではつくられなかった。だが、さすが企業である。
 今でも語り草になっているのは、このサントリーホールのオープニングコンサートに、ウィーン・フィルをはじめ内外の一流の音楽家たちが目白押しにステージに立ったことだ。とりわけ、カラヤン、ベルリン・フィルの初日の入場料は、パーティーつき正装とはいえ、一人7万5千円の高値である。それでも、発売とともに売り切れた。
 サントリーのように自前のホールをつくって、E音楽会でそのテリトリーを広げるのは別格にしても、このことに象徴されるように、企業のE音楽界への進出は、かなり露骨な形ですすめられている。サントリーを真似て、多くの企業がE音楽専用のホールを開設した。王子・朝日・紀尾井(新日鉄)などある。
 それは、世界的名声を獲得した演奏には、どんな高値をつけてもすぐに売り切れるという、E音楽愛好者が増加してきたことによる。
 それを裏づけるのは、毎年、来日する世界のオーケストラの多さである。今年だけでも20団体は来日している。さらに、オペラが10団体、室内楽、独奏者、指揮者などをあわせると数え切れないほどである。それに、日本の演奏団体の公演やリサイタルなど含めたら、すさまじい公演数になる。
 世界でも日本は第一等のE音楽市場になっている。同じ日に、同じ東京で、世界一流のオペラとオーケストラと合唱団の公演がぶつかるといったことは、世界の都市ではまずあり得ない例だが、日本ではそう珍しいことではなくなってきている。

★広がる愛好者層★

 音楽教育の成果、マスコミの影響、技術革新による享受形態の多様化、楽器の普及、習熟度の上昇もあってか、愛好者の底辺層も広がってきている。
 フランスのパリギャルドでは観客の半数が中高生、中村紘子などが出演する公演には、中流意識をまとったピアノママに付き添われた、かなり熱心な小学生の姿もみられる。
 また、E音楽家もアイドル歌手なみになって、美貌を売り物にするステージもあり、ミーハー的なファンがついて盛況を呈するといった現象もおこっている。
 しかし、E音楽の大衆化の典型的現象は、なんといっても「第九」フィーバーである。年末には紅白歌合戦につぐ国民的行事になりつつある。11月下旬から年末にかけて、毎日どこかの都市で公演され、昨年の12月某日には、一日だけで、札幌から鹿児島まで、日本列島20カ所で同時公演された。
 第九は、ご存知のようにベートーベンの第九交響曲のことで、第四楽章に合唱が入る。合唱は、かつてはプロの合唱団が歌ったものだが、今では、ほとんどが市民からの一般公募で、歌いたい人が集まって練習を重ねて当日を迎えるというようになった。だから、オーケストラ・合唱団・観客をあわせると、何十万人の人々が第九の演奏会に参加していることになる。
 その頂点となったのは、数年前になるが、東京墨田でのフィーバーぶりである。新国技館のコケラ落としの企画として「すみだ第九を歌う会」が発足し、当日、区民5千人がそれに参加し、歓喜の大合唱を成功させた。
 新国技館のコケラ落としの行事となれば、三波春夫の歌謡ショウがなんとなくイメージされるが、ベートーベンの第九、しかも5千人の区民の大合唱団による演奏会とは驚きである。E音楽がそれほど身近になったといえよう。
 今でも笑い話が残っている。
 「ダイク? どんな家を建てるんだい」
 そんな人も含めて、4歳から84歳までの5千人の幅広い区民が、企画に賛成し、自発的に集まって、一年前から練習したという。 
 シラーの歓喜の歌を、下町ふうに意訳すれば、「お前っちよ! こんな、しゃっちょこばったやつじゃなくってさ。もっとこう、何ちゅーか、楽しくって、みんなで歌えてよ、おもしれえやつを、いっちょう、やろうじゃねーか」ってなぐあいに歌ったのではないかと、当時、大家順平氏が音楽雑誌のなかで紹介していた。
 ドイツ語で歌うのだが、なかには「台寝る津会ウベル、ビン出る、微出る」と音訳して歌った芸者さんもいたという。
 今や、E音楽も大衆音楽も、音楽というカテゴリーで一つにくくられるようになってきたといえる。そのせいか、第九のカラオケも一万本近く売れているという。
 「ベートーベンは草葉の陰で泣いている」と純粋E音楽ファンは嘆くが、これからますますE音楽の大衆化路線は進むにちがいない。


★E音楽の経済効率の上昇★

 こういうE音楽愛好家層の増大は、企業にとって「経済的利用価値あり」と映ったのは当然である。音楽生産に関係する企業はもとより、音楽にまったく関係のない企業にとっても、注目すべき投資・支配の対象となってきた。
 かつてE音楽は、ヨーロッパではずっと王候貴族と教会の管理下にあり、そうしたものの自己賞賛に奉仕してきた。教会音楽は神学的イデオロギーによって管理され、楽器はキリスト教的価値観によって分類され(トロンボーンは地獄の描写にのみ使用されるというように)音型までもがこまかく規定されていた。
 天衣無縫とみえるモーツアルトの音楽でさえ、「封建的な注文主や芸術保護者が美的に有意味なものの規範を部分的に固定し、かれらの恵みのまなざしに触れたものだけを狭い公共性の光のもとに置いた」(「管理社会の音楽」ウルリヒ編・渡辺健也訳・音楽之友社)のである。
 しかし、現代はそういうことはない、自由であると考えられている。が、とんでもない話で、E音楽は資本との新しい依存関係を結びながら、企業の強い支配をうけるようになってきたのだ。王候・教会にかわる支配者として、企業が登場してきたのである。
 企業が文化事業にお金をだすのは、税制の優遇を求めるためだけではない。音楽の付加的価値の経済的効率の系数が上昇してきたからである。かつてそれは、デパートで、E音楽をB・Gとして流すと売れゆきが増加するといった程度のことだったが、今日ではもっと大きな利潤をうみだすからである。
 第一は、ラジオ・テレビのCMにE音楽の断片を用いることで、強い宣伝効果をうむといったことである。とくに、特定商品に「いつわりの高級品のイメージ」を与え、それを購入するものをエリート化するのに役立つからである。
 「今や音楽は特別の適性のおかげで、大量消費用に設けられた情報媒体であるラジオとテレビによって利用され、消費者の正しい欲求を偽りの形でみたす」「偽りの貴族的雰囲気に消費者を包みこむとともに、その雰囲気の助けを借りて、消費者に市民的エリート意識をそそぎこむ」(前掲書)ということである。
 たとえば、ある商品のCMは、そのCMに使用される上質のE音楽の助けを借りて、消費者を階層化し、かつ、その上層の階層内にのみ通用するコミュニケーションとして、当該E音楽を利用しようというのである。
 サントリーのマーラーの大地の歌のCMなど、その好例であろう。サントリーが大地の歌をとりあげたのは、酒に関係しているからと思われている。たしかに「大地の歌」は、李白の「悲歌行」を「現世の寂寥を詠える酒宴の歌」としてマーラー自身がテキスト化し、曲をつけたものだが、酒宴=ウイスキーという単純な発想からではない。
 大地の歌は、E音楽でも上級むきの曲であるから、サントリーのそのウイスキーを高級化し、かつ、大地の歌の世紀末的耽美的アウラを、そのウイスキーの酩酊感に物象化しようとしたのである。大地の歌を知るものにとって、なるほどと感嘆させるしかけになっている。
 一方、E音楽のなかでも、初心者むきの大衆的オペレッタ作曲家オッヘンバッハの曲は、文明堂のカステラのCMに利用されている。E音楽を使用している分だけ、駄菓子より上品であるというのである。
 こうしたE音楽のCMへの断片的利用は、販売戦略に基づいて綿密に計算され、大きな利益をうみだしている。

★経済的援助の末は★


 二つめは、E音楽のマネージメントである。日本列島第九フィーバーに目をつけた企業は、たとえば、大阪城ホールに一万人の合唱団による大演奏会を開いている。松下興産推奨の大阪21世紀計画の文化イベントとして、サントリーの協賛で「サントリーオールド一万人の第九コンサート」(観客は6千人)を山本直純を指揮者に起用して開いたこともある。同じく、岩手盛岡の8千人の合唱団による第九演奏会は、「トヨタコミニュティ・コンサート・8千人<第九>歓喜の大合唱」であった。
 トヨタ自動車は各県トヨタの販売店グループを動かし、各地のアマチュア・オーケストラとタイアップし、コミニュティ・コンサートを開いてきた。盛岡に東北一の大きさを誇る岩手県産業文化センターが落成したので、その記念行事としておこなったという。
 ベートーベンの意図した平和と愛の歓喜の8千人の大合唱も、トヨタコミュニティつくりの歓喜の合唱に化けたのである。
 こうした企業のE音楽の支配は、演奏会への経済的援助の協賛の形でもおこなわれている。
 新聞社、放送テレビ局、音楽生産企業はもとより、伊藤園(日本フィル)、鹿島建設・第一生命(新日フィル)さくら(都響)光藍社(レニングラード)、東芝(ハンガリー放送管)、とみん銀行(ウイーン・リンク)フリップ・モリス(フィラデルフィア管)ローム(小沢音楽塾オペラ)富士通(読響)キリン(プラハ放送響)といったように、数えればきりがない。国内のオーケストラ活動にも、読売響の日立名曲コンサートをはじめ、東芝オーレックスコンサート、グンゼミュージックスペシャルといった冠つきコンサートもめだってきた。
 テレビでは、出光興産が「題名のない音楽会」のスポンサーになって、ホストに右翼の黛敏郎を起用していたこともある。
 こうした企業のE音楽への援助はおおいにけっこうではないか、行革で補助金カットにあえぐ音楽活動にとって、干天の慈雨ではないか、悪どくもうけた金をせめて罪ほろぼしにと文化事業にそそぐのだから、ここは黙っていただいておこうじゃないかと、そんな声もある。
 しかし、企業への依存度が強まれば、「金もだすが口もだす」となり、企業の「恵みのまなざしにふれたものだけ」にしぼりこまれることになる。
 今日の政策は、軍事大国・企業国家へと、それが一セットになってすすめられている。やがて、E音楽が企業の完全支配下に組みこまれるようになったら、かつて、ナチスドイツがワーグナーやR・シュトラウスやベートーベンをファッシズムの称揚に奉仕させたように、E音楽をして軍事大国への行進曲として利用することはまちがいないだろう。
 年末、「第九」のフィーバーはけっこうだが、その裏でひそかに進行する事態にたいして、ここに一E音楽フアンの憂慮を述べた。


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