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コラム 「言いたい放題」 NO173 |
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先日、山陰のある都市の教育講座に招かれた。担当は指導主事だったが、この方がりっぱな教師で、今どき、指導主事にもこんなすてきな実践家がいたのかとびっくりした。 しかし、一昔前は、どこの市町村でも、このような、すぐれた実践家が指導主事として現場教師を支援していた。わたしの市の指導主事も名実ともにすぐれた実践家であった。 同学年のH先生が学級活動の時間、合唱の指揮者を選ぶ活動を指導主事に見せたことがあった。 こんなひどいのが指導主事に任命されるようになったのは、指導主事の任務がかわってきたからである。かつての指導主事は教育実践をリードし支援することが、その任務であったが、現在は、文部科学省の指示を現場教師に通達する単なる「伝達屋」にかわってきたからだ。 どこにでも指導主事という大先生がいるが、だいたい元は現場の教師であった。処世術の心得よく、「上を向いて歩こう」と、仲間たちを踏み台にして、立身出世の権化となって、今は、意気揚々と、「やあ、キミ、元気かね」などと旧僚の肩をポンと叩くようになった。 指導主事先生には、五ヶ条の勤務内規があって、次のようなものである。 それを聞いて、我ら同僚一同、「よし。仇を討つべし」と復讐を誓ったのである。かくて半月後、くだんの指導主事先生をお招きして、再び、音楽の授業をみていただいたのである。 我ら一同残念に思っていたところ、あにはからんや。「いうこと! いうこと!」発声が悪い、指導のパターンがよくないなどと、さんざんにケチをつけ、あまつさえ、おん自ら、しめ殺されるような発声をして「発声とはかくのごとし」と模範? をみせたのである。 我ら一同、恐れ入り奉り、かねてからの計画どおり「では、先生、いかがなものでしょうか。ひとつ、合唱の模範授業をしてみせていただけないでしょうか」と申し上げたところ「よろしい」とご快諸されたのである。 さて、模範授業当日、我ら口さがなき一同教室のうしろにズラリと立ち並び、指導主事先生のご授業を恐る恐る拝見させていただいたのである。 ところが、中学校の合唱の授業は、たいへんむずかしいのである。しかし、そこは大先生、おん自ら持参した教材で自信満々授業をはじめたのであるが、大混乱。教案の半分も授業が進まず、しかも、お得意な発声練習をすればするほどダメになり、見るも無惨な授業となり、生徒たちもくちぐちに、「わかんない、わかんない。上手に教えて」といいだしたのである。 さすがに指導主事大先生だけあって、本日の授業は大失敗と自己分析され――こんどは青菜に塩のていたらく。 指導主事先生、もういてもたってもいられずに、そわそわしだしたのである。そこで、やおら進みいで、 じつは、この指導主事先生は、授業は下手くそなうえ、ひどい学力であって、「悲愴」という曲の話になったとき、「べートーベンの『悲愴』なんてあるのかね。『悲愴』といえばチャイコラスキーじゃないのかね」とやって失笑をかった経歴の持ち主である。 しかし、多くの場合、指導主事のお言葉となると、お説ごもっとも、『悲愴』はすべてチャイコラスキーにしてしまうのが、教師根性の情けなさ、かくて指導主事先生は、つけ上がるのである。 さて、それからしばらく後、校長を通して教育委員会の某氏より、例の音楽模範授業の録音テープをひそかに買い戻しにきたのである。そのとき遅く、かのとき早く、録音テープは、たくさんコピーされ、日頃、指導主事先生の酷評に泣く教師たちのあいだを転々と流れ、一同「自信がついた。自信がついた」と感謝して拝聴していたのである。 次の年、かの主事先生、指導主事の権威を失墜せしめた責任を負って教頭に転出することになった。 一. 指導主事ハミダリニ授業ヲ見セルベカラズ |