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コラム 「言いたい放題」 NO.0319 |
| 皇室が揺れている。世継ぎ問題である。皇太子に男の子が産まれないことが事件の発端になっている。 しかし、皇太子妃は一人女子を産んでいるのだから、それで十分だとは思うが、皇位継承問題が絡んでいるので、そう簡単にはいかないようである。「男子を産め」と皇太子妃に圧力がかかっている。 皇太子妃の雅子さんは、もともと外務省に勤めていて、将来は外交官になるのが希望だった。その矢先の皇太子と結婚話がもちあがり、ずいぶんと迷いもあったろう。 しかし、そのとき、「皇太子妃になれば、その地位を利用して、皇室外交ができるのだから、結婚しなさい」というような、密約とはいわないが、口約束があったのだろう。 本人も皇太子妃になったあかつきには、皇室外交を手がけ、そこに、美智子さんとはちがう、キャリアを生かした自己証明をしようと考えていた。 しかし、宮内庁はじめ皇室一族は、「外交するひまがあったら子どもをつくれ。子づくりに励め。外交は外務省に任せておけ。よけいなことをするな」 そういう考えがあって 皇太子妃の希望をことごとく拒否してしまった。 そうなって、皇太子妃は二重の障害に直面することになった。1つは皇太子妃として外交をしようとした自己の使命観の喪失、2つは男子を出産できないこと。そのふたつのことが重なって心身症にかかった。 しかも、皇室一族は保守的である。かつて、昭和天皇の妃は美智子さんが皇太子の妃になるとき「平民から 選ばなくてもいいのに」と怒ったと言う。今も平民出の雅子さんへの風当たりは強いのだろう。その上の障害で、雅子さんは孤立無援、かくて、みかねての、皇太子の発言となった。 と……この話は、近隣の人々の話を総合したものである。わたしはあまり天皇家には興味ないので、聞いているだけだが、近隣諸氏の話題で一番多いのは天皇家の話である。 どこから仕入れてくるのかわからないが、じつに詳しい。それは情報網があるわけで、もともと情報は「知りたい」量に比例してつくられるから、需要があれば供給もあるのは、いたし方のないことだろう。 近隣諸氏に限らず、多くの国民は、皇室の内部情報を知りたがっている。寄るとさわると、茶飲み話に「雲の上の話だけど」と、楽しそうに、天皇家のうわさ話に興じている。 たわいもないが、じつは、そこに皇室の存在価値がある。 英国で労働党が政権をとったとき、王制を廃止しようという話になったことがある。そのとき、王制派から「毒にも薬にもならないのだから、王制にしておけばいいじゃないか」という意見が出た。 英国では、日本のように、皇室が政治に口を出したりして、皇室を担ぎ出して悪いことをするものはいなかったから、たしかに、毒にも薬にもならなかった。 「しかし、王様たちを養うのに金がかかるじゃないか」 と共和派が反対すると王制派がこう言った。 「国民は王室の話が好きだ。だから、話題提供のために、王室をおいておけばいいじゃないか。国民の日常生活に、楽しく、しかも、少しく秘密めいた話題を提供するんだから、安いものだ」 王室の人間がどんな洋服を着ているか。だれと恋をしたか。だれが浮気したか。だれとだれがけんかしたかというような話題を国民に提供してくれるんだから王室の費用なんて安いものだ。こういう理屈である。実際、英国皇太子妃をめぐる国民の関心はすさまじく、その関心の強さに、ついに彼女は押しつぶされてしまったほどである。 この理屈に共和派も「そういえばそうだな」と納得したという。 こういう王様・天皇のとらえ方を「社交君主論」という。 日本の皇室も社交君主ととらえればいい。せいぜい皇后と皇太子妃と仲がよいとか、悪いとか、皇太子に男子が産まれなければ、次の天皇はどうなるんだとか、宮内庁には 悪人がいる、その悪人とはだれだ……あれこれと茶飲み話に興じればいいのである。実際、週刊誌などの報道を読めば、芸能人扱いである。つまり、多くの国民のとらえ方は社交君主論なのである。 ところが、皇室はそうは思っていないようだ。先日、天皇はイラクへの自衛隊派遣に言及して、こう述べている。 「自衛隊は給水、学校の復旧、医療など地元の人々のための作業を通じて復興を支援するために派遣されたものです。無事にイラクの人々の幸せに貢献することを願っています」 あれ、この言葉って自民党・公明党の主張と同じではないか。似たようなことを皇太子も発言している。 こういう政治的発言はもってのほかである。1歩譲って、この発言は「自衛隊の戦力行使を制限しようとする詔だ」の意味ともとれるが、この発言の論理は政府の使い古しでしかない。 自衛隊の派遣について、国民にはいろいろな考えのものがいる。自衛隊の派遣に賛成する人もいれば反対する人もいる。派遣には賛成だが、「無事に帰ってきてほしい」という意見もあれば、「生きて帰るな、天皇陛下のために命を捨ててこい」こんな意見もある。 天皇とは、そういう賛否の世論の上の「象徴」であって、自民党政治の応援団ではないのである。「象徴」がしゃしゃり出て政治的発言をするなど、わたしに言わせれば言語道断で、もし、政治的発言をしたいというなら、自ら「象徴」たる地位を捨ててからにしてほしい。 じつは、天皇がときの政府の応援団になって大失敗した例は多いが、近年では昭和天皇が好例である。昭和天皇は、先頭に立って軍部の言いなりになり、軍部を引っ張り、日本国を戦争に引き込み、何百万人の国民を死に追いやり、ついには、原爆の洗礼を受けさせた。 ところが、敗戦後、占領軍の大将マッカーサーに「じつはわたしは、ときの政府の東条首相にだまされました」と言いわけして、憤慨と失笑を買った。そういう「だまされました」という前例を、今、まさに踏襲しているではないか。 数年の後「自民党の小泉首相にだまされました」と言うはめになっても知らないぞ。 自民党・公明党の応援団はやめ、今後、一切の政治的発言を中止し、もっぱら社交君主としての役どころに徹すべきだろう。このことを強く忠告しておく。 |