
| かつて世界3大タイトルといわれたNWA・AWA・WWFの歴代チャンピオンをみることができます。
その他、現在の三冠統一タイトルとその源流であるUN・PWF・インターの王者からアジアタッグ、世界最強タッグ優勝チーム等の全日本プロレスの歴史がみれます。 新日本プロレスはIWGPのヘビー・ジュニアの両タイトル王者やG1グランプリ歴代優勝者等がみれます。 |
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「世界ヘビー級王者」という響きに胸躍る往年のファンは多いのではないでしょうか。ここでいう世界王者とは世界3大タイトル(NWA・AWA・WWF)という統一世界王者が存在し、この3人の王者が世界最強であると認識されていたのです。(旧WWAを入れれば4大タイトルですが・・・) ボクシングのタイトルにWBA・WBCという揺るぎない団体が君臨しているようにプロレスの世界にもNWA・AWA・WWFという自他ともに認知された団体があったのです。 中でもNWAは3タイトルの中でも上位に君臨していました。NWAが世界最高峰の王者認定団体と認められたのはルー・テーズの功績もありますが、その歴史の長さや歴代王者の質の高さにあります。初期の歴代王者はビッグネームばかりで最強という「信頼」を植え付けファンを魅了し、中期〜後期にかけては反則裁定等ではタイトル移動しない等、単に強いだけでは奪取できないというもどかしさは逆にタイトルの価値観を向上し観客を魅きつけました。 このNWA(National Wrestling Alliance)という団体はもともとは1949年アメリカ中西部で数人のプロモーターによって設立された同盟(プロモーター組合)のようなものが前身です。第2次世界大戦後のプロレス再興のため片田舎のプロモーター達は「世界タイトルの認定」をし世界王者を抱えることによって興業的に大都市プロモーターに対抗しようとしたのです。初代王者決定戦にはMWA(カンザス州)王者のブラウンとルー・テーズの一戦が組まれました。しかし、直前に交通事故でブラウンが引退。テーズが事実上の初代王者に認定されたのです。(ブラウンにも敬意をはらい初代王者はブラウン、2代目王者テーズと記録されています)(また同名のNWA(National Wrestling Association)は1929年にボクシングのNBA(WBAの前身)のプロレス部門として設立された団体でここでいうNWAとは別団体で「旧NWA」といわれる。旧NWAの初代王者ディック・シカットこそ真のNWA初代王者との説もある。また1908年にジョージ・ハッケンシュミットを破ったフランク・ゴッチこそが初代王者との諸説もある) NWAは瞬く間に会員数を増やし1956年には35地区を越えるまでになり全米はもとより海外までもその手中に最盛期を迎えます。レスラーなら誰もが真の世界王者「NWA世界チャンピオン」に憧れたのです。まさに団体の黄金時代の到来でした。しかし、テーズの衰えとともにプロレス人気に陰りがでてきたこと、当時の世界王者は各州をサーキットし各地区のローカルレスラーの挑戦を受けていたが次第に各地区でそれぞれ地区王者を選出する動きが活発になったこと、加えてプロレスのスポーツとしての信頼失墜など、暗雲がかげり始めてきたのです。この暗雲はNWAの分裂、つまりAWA・WWFといった新団体の発足・独立を招くきっかけとなったのです。 1984年にはWWFに押される形で興業不振から行き詰まる地区がでてくるといった状況で、ついにNWAは当時TV放映権を持つWCW(もともとはNWA系列ジョージア州の団体)に身売りを余儀なくされます。しかし、NWAとWCWの二人三脚は軌道に乗らず結局1993年にWCWがNWAから脱退したのをきっかけに、NWAは単なるローカル組合になり、ベルトも単なるマイナータイトルの1つとしてかつての輝きなく現在に至っています。かつてレスラーなら誰しもが憧れたタイトルも今では王者自ら受け取り拒否する程だといいます。 同じくNWAから枝分けした3大タイトルの1つAWA(1960年設立。ミネソタ・ネブラスカ・イリノイ・米北部・カナダが主なテリトリー)も1991年に消滅。WWF(1963年WWWFとして設立。1979年WWFに改名)にしてもタイトルを持っているから世界最強とは認められないのが現状です。この現実に少なくともかつて黄金時代を築いたレスラー達が腰に巻いていた華やかなメジャータイトルにときめいた往年のファンは切なさを隠せないのでは・・・ (詳しくは上記から各タイトル一覧を参照ください)
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