枡野浩一著『君の鳥は歌を歌える』マガジンハウス 定価1300円(税別)
漫画の短歌化。映画の短歌化。小説の、詩の、川柳の、短歌の(特殊な)短歌化。
そんな無謀な試みに枡野浩一が挑戦したエッセイ集。
短歌化サービスつきの文学&サブカルチャーガイドでもある。これを読んで初めて銀色夏生を読んでみようかと思った。
別ジャンルのものをわざわざ短歌にするのはむずかしい。わたしは偶然知っている。枡野氏が「鳩よ!」誌上でこの連載をしているとは知らず、同じころ“短歌化”をしたことがあるからだ。それは南Q太の漫画である。「ばったり会った友達の手に『電話してねえ』と番号を書いちゃう女の子」が頭に焼きついて、どうしても歌にしてみたかったのだ。(ちなみに短編「ともだち」)
ピアスした笑いかわせみいえマリコここに書いてと手を出すマリコ
結局「手に書く」をモチーフとして借りただけ。ともかく何かを再生産しようとしたのだが、原作の無邪気な女の子はわたしの歌には出てきてくれなかった。
そして本家枡野氏による(南Q太の大ファンだという)同じ南Q太作品の短歌化。原作は男運の悪い健気なチカちゃんの物語。
男運悪いだなんて思えない
目は覚めたけどいい夢だった (原作 南Q太「丘をこえて」)
短歌化ってむずかしい。これは成功してない例。成功している例はいっぱいあるのだ。
○原作 村上龍(『ラブ&ポップ』のセリフ)
名前も知らないような男の前で、裸になったりしちゃだめだ、
それを知ったらすごくいやがる人がいるんだ、誰にだって、必ずいる
○短歌化
神様というのは君のしたことを
悲しんでいる誰かのことだ
○原作 326(ナカムラミツル)
人生は、かけ算だ
どんなにチャンスが
あっても、
君が
「ゼロ」なら、
意味がない。
○短歌化
人生はかけ算 君がゼロならば
チャンスが来ても答えはゼロだ
短歌というより格言とか警句を思わせる。村上龍の小説からは、「君の神様を悲しませるな」というメッセージを独自に読み取っての短歌化。たった今それに気づいた思春期の少年のように、その悟りはナイーブである。
「(短歌は)目からウロコが落ちた瞬間に生まれたもの」、「だれもが日々の暮らしの中で何度も味わうであろう平凡な気持ちをだれにも書けないくらい一見自然な言いまわしで」、「匿名性のある短歌をつくりたい」、「もっと長持ちする言葉はないものか」等、文中に何度も短歌・言葉に関する持論が現れる。作者が格言やことわざのように平易にと心がけ、星新一のショートショートのようにきびしく制限を課し(星新一へのオマージュ短歌も掲載)、万人に理解されるものを志向しているのがわかる。
だがわたしが魅力を感じたのは逆の傾向のものだ。
○原作 甲野茜(『転入生』)
○短歌化
「い……岩内子資子【いわないしもとこ】といいます……
ふっ福岡から来ました…
その前は東京にいました」
○原作 北野武『コマネチ! ビートたけし全記録』
この間、テレ朝の番組で、いい年して夜中じゅうパンツ一丁で走ったんだよ。
ガラスのショーウインドウに映った自分の姿を見たとき、やめようかな、これはと思ったもの。
でも、お金もらうんだしと思ってね
○短歌化
「でもお金もらうんだしと思ってね、
パンツ一丁で走ったんだよ」
これは前者は甲野茜の原作「そのまま」(なので原文引用なし)、後者は「ひねらずに短歌化」しただけあって未成型の現実の新鮮さがある。個人的なセリフのまま放り出された言葉にかえって理屈を越えた何かを感じる。
格言タイプの作品だと批評することも拒否されたような壁を感じてしまうがこちらだとそれがない。
『転入生』は、あまりに整えられていなくて「短歌じゃないかも……」と気弱な作者だが、変てこな名前といい「東京にいました」と言う微妙な「自意識」といい、これは想像力を刺激する立派な詩だ。
特殊歌人と名乗る枡野氏とふつうの歌詠みのスタンスの差はこういうところにあるのだろう。
わたしは自分の詠み方を変えることはできないけど、枡野氏の歌人批判のいくつか、「古語をつかった難解な歌を有り難がる短歌界」(本書)、「短歌の人って短歌しか眼中にないんですよ」(週刊「SPA!」でのインタビュー)の発言は的を射ているので素直に受けとめている。いつか反論できたらと思っている。 |