モーツァルトの子守唄の作曲家は医師
最近のお母さんはあまり子守歌を歌わなくなってきているように思う。
しかし何も歌わないわけではなく身の回りにある自分の好きな曲をあるいはカラオケなどで歌うお得意の曲を、子守唄
がわりに歌っていることも多いのだろう。
仕事が忙しいお母さんはもしかするとCDやテープを流して、子守歌にしているかも知れない。
「子守歌」という枠に入った曲でなければ、子守歌にならないわけではないのは当然であって、最近のお母さん達は
何かと枠の中に入っていないと不安に思う反面、枠に入ることを嫌う傾向もあるので、子守唄という名のつく歌を
歌わないのかも知れない。
いずれにせよ母親の歌声は、曲の種類をこえ、歌の上手下手を問わず、子ども達の安らかな眠りを誘うものに
違いないと思う。
どんな民族や国家にも、それぞれ子守歌は数多く存在する。 
当然、我が国でも各地で子守歌が歌い継がれてきた。
私の子供時代に祖母がおりに触れて歌っていたのはまさしく「撫養の子守歌」であった。
日本の各地の子守歌はヨーロッパのものと比べて、生活の厳しさとか子守の辛さなどを歌った暗く悲しいものが
多いがそれは子守歌本来の目的のほかに、一種の労働歌として歌われたからだといわれている。
個々の名をあげるまでもないが、古今の多くの著名な作曲家達も、それぞれに独自の子守歌を書いている。
その中で3つ有名な「子守歌」といえば、「モーツァルト」「シューベルト」と「ブラームス」のものであることは、
周知のとおりである。
モーツァルトのものものは有名な 堀内 敬三 の訳では
「眠れ よい子よ 庭や牧場に 鳥も羊も みんな眠れば …」
と歌われるものである。
ところで、実際にはモーツァルトは子守歌は作曲していない。
従来「ケッヘル番号350」がつけらけてモーツァルトの曲として分類された子守歌は、ケッヘルの第3版では
「Anh.284f」 として付属番号がつけられ、さらに第6版 改訂版では「偽作、疑わしい曲、同時代の作品」である
ことを示すC8.48の分類番号がついてモーツァルトの作品から除外された。
わが国では、最近といっても20年ほど前からになるであろうか、子守歌のCDを買った方は 
「モーツァルトの子守歌 (B.フリースの作品)」という書き方になってるいることに気づかれたことと思う。
現在、この曲はフリードリッヒ・ヴィルヘルム・ゴッターの詞にベルンハルト・フリースが作曲したものであると認められ
手許にあるケッヘル作品番号の中にも、そのことは明記されている。
ドイツの歌曲研究か モックス・フリートレンダーが、ハンブルクの図書館で1795年頃の曲集の中にゴッターの
詞フリースの曲と記載してあるのを発見したことが、決め手となったと言われている。
では何故、長い間 「モーツァルトの子守歌」 として歌い継がれてきたのであろうか。 
別の拙文 「モーツァルトの妻 コンスタンツェは1809年に外交官ニッセンと再婚した。
ニッセンは1828年に「モーツァルト伝」を出版しとたが、その本の付録部に子守歌をモーツァルトの作品として
記載し、コンスタンツェもモーツァルトの作品のようだと認めたことが誤りの原因だといわれている。
子守歌の作曲者ベルンハルト・フリースの妻はモーツァルトのピアノの弟子であった。
とすれば、病気がちでウィーン郊外のバーデンによく療養に出かけていったコンスタンツェも 間接的にでも
わが夫の弟子の亭主であるフリースのことは知っていたに違いないと思える。
フリース作曲の子守歌を夫の作品と認めてしまった彼女の失敗も、善意に解釈するばフリースを知ってるがための
単純なミスであろうと言えなくもない。
多分、譜面を深く追求しなかったのであろう。 今、実際に この子守歌を聴いてみたり譜面をよくみると、
誰もがモーツァルトの作品とは少し違うと思われることであろう。
フリースは、この1曲のために 永遠にその名を残すことになったが、彼についての詳細なことは分っていない。
ただ、アマチュアの趣味の上での作曲者であって、その本業は医師であったと伝えられている。
宮廷所属の医師のひとりであったという説も見たが、真実かどうかの判断もできない。
ここで、少し興味本位の芸能週刊誌的な内容であることをお断りした文章を付記することをお許しいただきたい。
あくまで「噂話」といて受け取っていただくと有り難いと思う。
モーツァルトが死亡した翌日に、子守歌の作曲者フリースは服毒自殺したと言われている。
その享年は25歳であったという。
カトリック教徒の自殺はただ事ではない。
当時、フリースの妻は妊娠していたが、それは師匠モーツァルトとの不倫の結果だという噂があったという。
当時、彼の自殺はそれと関係あると推定する人がいる。
事実だとすれば、自分が作った曲が後世、「モーツァルトの子守歌」 として伝えられたフリースとモーツァルトとの関係は
子守歌と子供の問題という関連した二重の問題で、あまりにも どろどろとした、ややこしいものになってしまうことになる。
さらに、ついでながら、作詞家のフリードリヒ・ヴィルヘルム・ゴッターはモーツァルトやフリースと同時期にウィーンに
住んでいたが、彼らの死後、国外に出て1797年に故郷のルチェルンで死亡したと言われているが、フリースとゴッターとの
関連についてや、フリースが、どうしてこの歌詞に出会ったか、についてなどの記載については見たことがない。
フリースが作曲した子守歌は 「フリースの子守歌」 ではなくて、 「モーツァルトの子守歌・作曲フリース」という形で
今後も呼ばれることであろう。
ところで、、子守歌を作曲しなかったモーツァルトの妻 コンスタンツェは、生まれた当日に死亡した第5子のアンナは
別としても、他のカール、トーマスやフランツ、クサバー等5人の子供たちに一体どんな歌を歌って聞かせたのであろうか。

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