電影少女の魅力とは

 表紙でも明記しておりますが、この作品に出会う前まで、私は桂正和という漫画家はあまり好きではありませんでした。
 今、なぜそう思っていたのか、を振りかえってみると、結局は「食わず嫌いでした」という身も蓋も無いオチで終わってしまうのですが(^^;;;
 ただ、何というのでしょうか。何となくさらさらっとデビューし、さらさらっと売れっ子になり、あっさりとテレビアニメ化され、さくさくとサクセスストーリーを進んでいく。事実とは違うかもしれませんが、少なくとも、私の目にはそう見えていた彼の姿と、あのキャラクターのタッチに生理的な嫌悪感を抱いていた、というところなのでしょうか。今となっては、あのころ、なぜそこまでこの漫画家のことを毛嫌いしていたのかが、ちょっと思い出せません。ただの嫉妬だったのかもしれませんね

 とはいえ、「ウイングマン」の成功後、実は桂正和という作者はかなり伸び悩んでいたことは事実。人気の出ない漫画は即刻打ちきられるという「週刊少年ジャンプ」において、彼は、連載作品を2本立て続けに失敗しています。「超機動員ヴァンダー」と「プレゼント・フロムLEMON」という2作品。私はこの作品を一度も読んでおりませんし、どこがどうダメな作品なのか、ということを言う権利は何もないのですが、2作とも「全2巻」という極端な短さを考えれば、「人気が出ずに途中で打ちきられたちきられた失敗作でしょ」と考えざるを得ません。逆に、人気が出てきた作品は、いくら短くまとめたい、と作者が思っても2巻でなんか終わらせてくれません。引き伸ばしを強要されます(^^;;;

 連載を2つ立て続けに失敗したことで、作者も何か期するものがあったのでしょう。
 普段は立ち読みで済ませるジャンプ本誌をついうっかり買ってしまった平成2年のある日。どうせ買ったんだから一通り読んでみようと、ぱらぱらとめくって出てきたのが、Chapter29「ひとつ屋根の下」(第4巻収録)でした。内容は途中からなのでわかるようなわからないような微妙なところでしたが、まずその絵に見違えました。そこには、私が何となく生理的嫌悪感を感じていた、彼の画風が微塵もなく、すごく丁寧に描かれた人物。とりわけ女の子の表情がとても魅力的に感じました。ストーリーに関してはいかんせん何だか中途半端なところから読み始めたので、何が何やらさっぱりだったのですが、「この漫画なら、ちゃんと読んでみたい」と、単行本を買いに走るのには十分過ぎるほどのインパクトがありました。

 さらに、たまたま立ち寄った本屋には第1巻がなく、最初に手にしたのが第2巻だった、というところが、この漫画にのめり込む決定打となりました。いや、やっぱり2巻から読み始めると内容はどうも理解しにくいのは変わりなかったんですけどね(^^;;;
 決定打となった理由というのは、その2巻のカバーについている、作者の一言に胸を打たれたからに他なりません

読切のビデオガールの頃から、絵を壊す事を、始めました。自分のキャラクターのルックスにあきたからです。
マンガの女の子より実際の女の子の方がカワイイと感じてるボクは、できるだけ人間の顔に近づけたくなったんです。
壊したばかりでぜんぜん満足いく顔が描けず四苦八苦です。
それ以上にストーリーを前以上にいい物をと思うんですが、これも、なかなか………うーーーーーむ………。

 漫画家になろうと思う人間は、大抵小さいころから漫画を描くのが大好きで、デビュー前からの長年にわたる絵描きのキャリアの中で、「自分なりの作風」というものを模索し、確立してきているものでしょう。ましてや、「ウイングマン」という成功作もあり、そのタッチに対する固定ファンも多かったはず。
 でも、自分なりに伸び悩み、行き詰まりを感じ取っていたのでしょう。まあ、連載を2度立て続けに失敗すれば、「次に失敗した時点で、もう週刊少年ジャンプでは二度とチャンスはもらえないだろう」という覚悟は当然あったと思います。あえて、長年培ってきた自分のキャラクターであり、技術を壊し、新しいものを生み出そうとする覚悟。場合によっては、そのことによって古くからのファンを失うかもしれないという危険性を顧みず、前に進もうというその意欲。それは、これまで桂正和という男に対して偏見を持ち、食わず嫌いでろくに作品を読んでも来なかった私を引きつけるに十二分なものでした。そして、私はこの作品にどんどんはまり込み、のめり込んでいったわけです。

 第2巻の巻頭言では、「自分の絵を壊す」ということに言及していますが、実は彼が壊したのはそれだけではありません。

 まず、この作品。漫画にしては台詞やト書き。特にモノローグの部分が非常に多いです。
 「目は口ほどに物を言う」ということわざがある通り、全てを語らずしても、説得力のある目を描くことで、相手に、そして読者にその気持ちのニュアンスを伝えることは可能です。だからこそ、台詞は必要最低限、というのが、漫画のある意味鉄則でもあります。台詞の多い漫画は見ずらいばかりでなく、あえて文字に、言葉にしてしまうことで、読者の想像力をそぎ、場合によっては、的外れな台詞を並べることで読者を興ざめさせてしまうことだってあり得るわけで、多弁というのは、基本的に漫画にとっては良くないこと、と言われているようです。
 でも、敢えて、この漫画は、その常識をぶち破り、微妙な心の揺れを全部描こうと努力しています。これは非常に勇気のいる、そして手間隙のかかる大変な作業ですが、こうやって、こと細かくモノローグを明示してくれたことで、私自身の中にある「モテなくて日々苦しい、つらい思いをしている」という部分が激しく揺り動かされたことは間違いありません。少なくとも、洋太が発する台詞やモノローグは、どれもが共感できるものばかり。あと、女性側の気持ちについては、私は女性ではないのではっきりと分かりませんが、説得力は非常に感じましたし、女性の読者からも概ね評判だったようです。「桂先生は男なのに、何で女性の気持ちがこんなに理解できるんですか?」という驚きの声もありましたから。まあ、あの作者って結構中性的な感じの人っぽいですけどね(笑)

 あと、少年誌としてはかなり危険な域に踏みこんでいたと思いますが、性描写がかなりきっちりしています。実際にHに至ってしまうシーンは結局一度もありませんでしたが、その寸前に至るシーンは1度や2度ではなく、所謂「おかず」になるシーンも結構あり、私も【以下、都合により省略】
 …ま、それともかく(^^;;;、そういう部分を含めて、「今時の高校生カップルが、キスだけで満足するはずがない」という信念のもと、あえて少年誌ながらも踏みこんだ性描写に至ったという勇気は見事なものです。ただし、最近青年誌で氾濫しているような、いたずらに性欲を煽るだけの品の無い性描写(私も巨乳は大好きですけど、最近はちょっと人間離れし過ぎた描き方が目立ちすぎてちょっと興ざめです。いや、人間離れした巨乳の持ち主も増えてますけど(^^;;; )ではなく、あくまでも、真剣な恋愛をしていれば、そういうシチュエーションになるだろう、という必然性の枠の中での描写であり、ムダな部分は全くない、というところが大きなポイントだと思います。単に性欲をあおるという目的だけで、少年誌であそこまで描いてしまうと、色々やっかいな問題になっていたかもしれません。いや、実際にはやっぱり問題になっていたんだとは思いますがね

 あと、作品全体のクオリティーにそれほど反映する話ではありませんが、私が感心しているのが、単行本のタイトルのつけ方です
 ジャンプコミックスには、各巻ごとに、その巻のタイトル、というものがつけられていますが、(マガジンやサンデーにはない。ビッグコミックスピリッツにはあるかな?)単行本のタイトルと言えば、大抵は、その巻の中で一番の見せ場、と思われる回のタイトルをそのまま使いまわすことが多く、ひどい場合だと、第1巻のタイトルは、第1話。第2巻以降は、収録作品中、一番最後の回のタイトルをそれぞれ使いまわすという、何も考えていない、というパターンさえ散見します。「幽★遊★白書」でブレークした富樫義博の初連載作品「てんで性悪キューピッド」がその何も考えてないタイトルのつけ方の典型例。作品自体は割と好きなんですが、このタイトル、特に第2巻のそれを見ると、いつも虫唾が走ります。どうしてこう、見出しに無頓着でいられるのかなぁ? ガサツな人間だなぁ…とね

 でも、この電影少女に関しては、各回のタイトルの使いまわしは第3巻の「再生」以外、全くありません。結果的に使いまわしになったと推測される第3巻を含め、全15巻すべて、巻の話の流れを考えた上で、それにふさわしいタイトルが付けられています。それも、第14巻(「恋」シリーズの前半)こそ「心の傷」となっているものの、ほかは全て二字熟語で統一。(第1巻は「失恋」、第2巻は「消滅」…)
 そんなところにも、この作品を丁寧に作り、良いものにしようという意気込みが感じられます。この作業は、連載を終え、単行本を発行するまでの事後処理に過ぎないわけで、それで作品の価値が大きく上がるというわけではありませんが、私はこういう努力は非常に高く評価します。何より、楽しみにしていた単行本を手に取った瞬間に感激度が2割はアップしますね。こういう丁寧な作業を見せられますと…

 さて、ほかにもこの作品の魅力をこと細かく取り上げていけばいくらでもありますが、まあ、あとは、「kaz8の一言コラム」などで徐々に取り上げていこうと思います

2003年11月20日執筆

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