旧1999年 最新版


「8月7日、晴れ」
1998年のkaz8のつれづれなるままの日記ダイジェスト

1998年7月24日未明

 ついに重い腰を立ち上げ、ホームページ作成ソフト「HOTALL5」のパッケージを開ける。
 今まで、かっこいいホームページを作ろうと気負い過ぎていたようで遅々として作業が進まなかったものの、やっぱり専用ソフトは楽ちん(^^)v
 ただ、このままだと何のかざりっけのない味気ないページになりそうだが…まあ、仕方あるまい。 
 何とか開業目標日の8月7日までには仮立ち上げができそうだ。
 でも、こんな簡単なことならもっとさっさとやっておけば良かったぞ

1998年7月26日早朝

 ホームページ作りは思っていた以上におもしろいが、思っていたよりもはるかに時間を消費する。このサイトを見た知人は「これだけのコンテンツを常に更新できるならすごいページになる」といっていたが、その言外にある「それは困難ではないのか?」という意味がよくわかるような気がする。
 誰がいっていたのかはわからないが「ホームページは作ることよりも維持することの方がはるかに大変だ」といっていた。どこまで続けられるかは想像ができないが、少なくとも今の部署にいる間だけでもがんばろうと思う。
 それにしても、明日には札幌に向けて出発するというのに、旅支度はおろか、その前段の「洗濯」(←しないことには着替えがないのだ(^_^;;;)すら手をつけていない。
 現在、朝6時。明日(というか)の夕方の勤務のことを考えるとそろそろ寝なくては…
でもあと30分たったら洗濯機を回しても大丈夫かな(本当は9時まで待てばいいんだけど。たまごっちだって9時まで寝てるんだし…)

1998年8月5日

 竿灯祭りとは、秋田の(旧)七夕を飾る夏祭の一つで、ねぶた祭り(青森市)、七夕祭り(仙台市)と並び、東北3大祭りの一つにあげられるまつりである。まあ、「3大祭り」とうたわれると、ついつい忘れ去られてしまう3番目に有名な祭りであることは間違いなく、ほかの2つの祭りと比べると影が薄いのではあるが・・・
 ねぶたや仙台七夕のような芸術性はあまりない。使用するのは、竹のさおに提灯46個をくくりつけたもの。バランス感覚などの職人技は必要とされるが、別にそれ自体はそんなにそんなに綺麗なものとは思えない。外国の日本を紹介するパンフレットなどに、ねぶたや仙台七夕が登場することがあっても、竿灯はまず登場しない。
 また、御柱祭りのように、死人がでるほどの「奇祭」でもない。
 とはいうものの、重さ50s超と言われる竿灯、持ち上げるだけでも容易ではないことであり、ましてや、それを額の上や腰にのせてポーズを決めるというのは熟練の技が必要とされる。当然、観客の目の前で失敗して倒してしまうことも少なくなく、死人がでなくてもケガ人はでる。

 この竿灯祭りに、会社の「竿灯会」も参加している。今年、とある事情から私もその会に入ることになり、ちょっとだけ竿灯を持つ練習をしてみたのではあるが・・・はっきり言って練習があまりにも足りなかった。練習に参加したのが4回。都合2時間。持った回数10回足らず・・・これで本番に参加しようとするのが甘すぎることくらいはわかっていた。会の上層部の方には「これで腐って竿灯会を辞めるなんて言わないでくれよな」という懇願まじりで、丁寧に持つことを断られていた。
 結局私が今年できることは、ほかの人が竿をあげているときに「どっこいしょー、どっこいしょ」と掛け声をかけること、ぐらいである。あとは、ほかの客よりも近い所で妙技を観察し、来年以降の糧とすることだけである。

 この竿灯、
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大ざっぱにかくと(本当に大ざっぱだなあ(^_^;;; )このような形をしていて(は提灯)竿の下の部分を掌の上や肩、額、腰の上に置いてバランスを取るわけである。
 とはいえ、最初っからそんなに竿が長いわけではなく、基本的には、黄色の部分にパイプを継ぎ足すようにどんどん竹竿を追加していくわけである。基本演技、と言われるものは、竿を2本、本体から追加したものであり、妙技会(竿灯の技術を競う大会。この後見に行く予定)の規定では、この状態で技(見たことがないのでわからないが、一定の範囲内でバランスをとらなければならず、エリアから外れたら失格、もしくは大減点のはずだった)を競うものらしい。
 また、夜の観光客を入れての竿灯演技でも、2本以下という短さでの演技は行わないという不文律が出来ている(正確には、開始から5分以内は2本でやること、と定められているだけなので、その後1本でやっていけない、などとは誰も言ってはいない。まあ、5分を過ぎると普通は3本、4本・・・と竿を追加していくものだけれど(^_^;;; )
 実は、会社でやっていた練習では、竿は1本しか追加していなかったのだけれど、私は、その状態ですら演技はおろかバランスを取ることもかなわなかったわけで、本番で演技をさせてもらえないのは致し方ないのである。
 ところが、町内竿灯(昔の○○町、という単位で出している竿灯)で長年やっている人何人かを助っ人として呼んでいる)以外には、2本以上竿を継ぎ足してやったことがある人はごくわずか、なのであるが、みんな2本だろうが3本だろうが平気で(いや、本人にとっては平気ではないし、演技に納得がいかないらしいのだが、はた目には平気に見えた)演技をこなしていくのには少々驚いた。いつのまにそんなにうまくなったの?!・・・
 プロ野球のキャンプのノックのことが思い出される。
 別に私がやってもとれる、とまでは言わないが、ノックの打球と言うのはわりとイージーな(相対的な話ですよ(^_^;;; )ものが多いが、そういう練習しかして無い人でも、いざ本番になると物凄く難しい打球を華麗に裁く姿が見られる。これを「簡単な球を簡単に裁いているのでは練習にはならない。簡単な球を確実に裁く練習をしておけば、難しい球も処理できるんだ」と話していた解説者がいたような気がする。
 まずは基本をしっかりとしなくてはいけない・・・竿灯「どっこいしょ隊」1日目のkaz8には、その当たり前でいて、でも奥の深い竿灯の演技の難しさがひしひしと伝わってきた。
 面白いかどうか・・・といえば、現時点では「つまらん」としか言いようがない。ただし、このお祭り自体がつまらないものかどうか、ということは、少なくとももっと練習を積んでからでないとコメントすることなどできるはずもないし、きっと自分で竿を持ち上げられるようになれば、おもしろみがわかってくるだろうと信じて、きょうも「どっこいしょ隊」に参加することにする・・・。

1998年8月7日未明
 
 私のホームページの正式運営開始をあざ笑うかのように降り続ける雨、雨、雨。
でも、もうタイトルをいまさら「8月7日、時雨」とかに変えるわけにもいくまい(だいたい、時雨どころかちょっと前まではどしゃ降りだった(^_^;;; )
 5日に行われた竿灯の妙技会。行ってはじめてわかったことだが、やたらと部門が多い。個人戦、団体規定(とりあえず、この2つは、竿2本で演技していた)、団体自由、囃子などなど。
 私の会社では、もともと町内から助っ人を呼んで竿を上げているくらいだから、まともな部門で妙技会に出られるはずもなく、指し手もいないのに、囃子だけやって帰ってくるという妙な形になっている。
 この日は囃子部門には21組が参加。上位4組が決勝進出となる。で、私の会社は、というと・・・惜しくも5位。本当に惜しくも5位。得点は100.5点。トップが102.5点。予選ぎりぎり通過の四位はというと101点。0.5及ばず涙を飲んだわけである。
 私はど素人なので、採点基準など全く分からないのではあるが、この点差、(一応上位4チームの囃子も一通り聞いていた)、運が有ったか無かったか、との差としか思えない。それにしても本当に惜しい。ほかの団体が軒並み90点台前半だということを考えると、この惜しさは何とも言い難い。
 竿灯3日目の6日だが、私はもともと夜勤なので参加しないこととなっていた。
それはそれでいいのだが、どうも昨夜(正確には1日目夜から)体調がすぐれない。精神的なもの(やっぱりねえ、ただ「ドッコイショー」っていってるだけって、辛いしつまらないよ。覚悟していたこととはいえ・・・)もあるのだろうが、それ以上に、寒暖差で(家:暑い→会社:寒い→外:暑い→タクシー:寒い)風邪がぶり返してきたようである。
 1日目は不覚にも酒盛りをしてしまったために、6日未明まで風邪薬が飲めず(飲んだらトリップするって(^_^; )6日は酒も断ち、打ち上げもそこそこで帰って来て寝ていた。
 とりあえず、最終日の今日はまた「ドッコイショ隊」として参加できそうな体調にまでは持ってきたが、その後の飲み会(最終日は大荒れになるらしい)まで体力が持つ保証はなく・・・それ以前に、この雨が夕方まで続くと竿灯は中止である。
 このページが・・・というだけじゃないけれどねえ、旧とはいえ、七夕なんだから、夜くらいは晴れて天の川を出してあげなさいって。本当に・・・
 そうそう、竿灯の妙技会で竿を6本継ぎ足したものすごい団体がいて、感動して写真を取ろうとした・・・のだけれど、何分長すぎて、フレームに入り切らない、と来たもんだ(^_^;;;  でも、せっかく写真撮ったんだし、そのうち、「kaz8の竿灯日記」というコンテンツでも作ってそこで公開しちゃいましょう。今日はちょっとそんな時間ないけれどね(6日:夜中の1時まで勤務 7日:朝8時からの勤務。その間で睡眠とホームページの更新をしなければならない。辛い辛い・・・)

1998年8月11日未明

 我らがコンサドーレ札幌の至宝、吉原宏太が、オールスターに選出された。
もっとも、ただ選出されるだけなら、監督推薦(によって、J18チームから必ず一人ずつは選出されるように調整されている)という手もあるので驚くほどではないが、宏太は激戦となったJ-EASTのファン投票で、カズ、武田につづいて堂々3位で選出されたわけで、これは価値あるオールスターですね(^^)//ハクシュ。呂比須でさえようやっと監督推薦での出場。見かけ倒しの日本の元似非エース(←看板に偽りありすぎ(^_^;;; )、は、さておき(失笑)2002年のエース候補No.1の柳沢ですから、これは本当に価値がでかい!!!
 しっかり活躍して、2002年は柳沢との2トップで日本を勝利に導いてくれい(^^)v

1998年9月19日

 最低でも週1回は更新しようと目標を立ててホームページを立ち上げたのだが、今回はかなり更新作業が遅れてしまった。時間的な問題よりも体力的な問題の方が大きかったのだが・・・

 ついに'98東北道の駅スタンプラリーは17日午後2時25分、無事に完走を果たした\(^o^)/
 今回は期限までぎりぎりともいえる8月中旬からの参加。過去2年とはまた違った過酷なものであった。なかでも、9月13、14日の第10クールはkaz8史上まれに見る死のドライブと化してしまった。
 もともと、車中泊を前提とした強行旅程。地獄を見るのは見えてはいたものの、途中で体調を大幅に崩し、卒倒寸前。こりゃ一体どうなるんだろう・・・と、死を覚悟した、とまで言うと言い過ぎだけど、病院送りくらいは覚悟をしたくらいの惨状だった。
 体調不良のピークは14日未明。すでに道の駅のだに辿り着いた段階で体調はすぐれず、2時間と決めて仮眠をとったものの、2時間たっても体調がまるで良くならない。それでも無理矢理走り始めたのだが、これがいけなかった。10分くらいたって、頭痛と眠気で車の運転がきわめて困難な状況まで追い込まれた。「このままじゃ・・・」とそこらへんにあった仮眠用駐車場で一休み。
 そしてその仮眠前のうかつな行動で私は地獄に落ちた。頭痛が止まらない(すでに夜9時、夜中の1時と頭痛薬を服用。でもまるで効果無し)ことに業を煮やし、おでこにアンメルツヨコヨコを塗りたくる私・・・すると、液体が目の中に入ってきたのだ(←冷静に考えればこれがどれほどの愚挙なのかは明白(^_^;;;)。近くには水道もなく(三陸海岸の海水ならありそうだが、かえって状況がわるくなるだけだ。おまけにそれは数十メートルの崖の下の話である)手持ちの水もなく(大抵はミネラルウォーターをもっているのだが、このときは切らしていた)自分のだ液で必死に目をぬぐう・・・それでも一向に痛みはおさまらない。のたうち回りながら「このまま俺はどうなってしまうんだろう・・・」と思っているうちに、いつの間にか眠りについてしまったらしい。
 ふと目が覚めると午前4時。目指す次の駅、みやもりまでは3時間以上はかかりそう。もはや猶予の時間はなかった。ただ、幸いなことに体調はかなりよくなっていた。・・・一時はこのまま秋田に帰ろうかとおもったほどの体調も無事小康状態を保ち、2日目の日程も無事(道中いろいろあって無事とは言い難いのではあったが(^_^;;;)終了した。

 現在9月19日未明。あのときの後遺症でまだまだ慢性的な寝不足状態である。だが、これからはホームページの更新ももう少しスピードが上げられると思う。書きたいことはもう山ほどある。ただ、このホームページ作成ソフト、長文になるとかなり動作が重い。やっぱり冬のボーナスでCPU交換しなくてはいけないなあ・・・ただ、この道の駅ツアーで浪費した分、冬のボーナスのうち、自由に使える分がいくら残っているか、かなり厳しい状況であることは間違いなさそうだ。

1998年9月27日

 私は映画というものにそれほど興味があるわけではない。「タイタニック」も「もののけ姫」も見に行ってない。伊丹十三作品も、興味がないわけではないのだが、一度も見に行ったことはない。黒澤明作品に至ってはテレビのロードショーを含めて全く見たことがない。E・Tは見に行ったが、覚えているのはS&B〓(8分の5)チップの味だけ(^_^;;;。レンタルビデオ&CD店の会員証は複数持っているが、借りるのはもっぱらCD。ビデオはHビデオを1本借りたことがあるだけ。最後に映画館で見たのは、デートの口実に見に行った「愛が壊れる時」(本当のタイトルは忘れた。洋画)。あれからもう7年の歳月が過ぎた。
 彼女もいないのにデートをしたことがあるの? と疑問をお持ちの方もいるだろうが、見に行った相手は、当時私が好きだった、でも相手は私を含めてn股をかけていた(n>5(^_^;;;)人。バブリーな言い方をすれば私はキープ君だった、というところなのだろうか・・・。
 本題に戻ろう。そんなかなり特異体質の私でも、1つだけもう病みつきになっている映画があるのだ。とはいえ、これも映画館で見たのではなく、ロードショーで見てからはまりまくっているのであるのだが・・・
 それは「天空の城ラピュタ」である。最近、「魔女の宅急便」やら「となりのトトロ」やらの宮崎駿作品を安価で提供してくれる「ジブリがいっぱい」シリーズが発売になっているが、その第6弾としてついに今月19日に発売になったわけだ。いやー、このシリーズができてから、この日がくるのを一日千秋の思いで待ちに待っていたのだ(その割には、予約したビデオを受け取りにいったのは24日だし、見たのは昨夜がはじめてだったのだが(^_^;;;)。で、20数回目(ロードショーの時に録画したビデオをすり切れるまで見ている)に見た、そしてはじめてみた完全版(いつも録画の時に最初の部分がきれているのだ。もっとも、完全版を見てわかったことだが、切れていたのはたかだか5、6秒だった)・・・いやー、最高ですね。もう「ラピュタ好き好き」とかいうページをつくってその魅力を語り倒してやろうかとさえ思うくらいだが・・・そんなことをしたら文章が完成するまで何年かかるかわからないのでそれはやめておく(^_^;;;
 「ラピュタ」の中で私が一番好きな言葉は、海賊の女ボス・ドーラの「海賊が財宝を狙ってどこが悪い!」という台詞。おもわず「んだす、んだす」と秋田弁で返事してしまうほど説得力がある。たまりませんねえ(^_^;;;。まあ他にも「40秒で支度しな」などいろいろあるけどね・・・。
 それにしてもなあ、予約特典の「飛行石」。俺が持っていても力を発揮しない石なんかもらってもしょうがないんですけど・・・どっちかといえば、ある日突然空から降ってくる(こなくてもいいけど)「この娘を俺が一生守ってやる」という覚悟をさせてくれるような女の子(といってもできれば20代の娘がいいです(^_^;;; )の方がうれしいですぅ・・・なーんて、そんな予約特典、つくわけないよな(失笑)

1998年9月30日

 BBSで知り合いになった方がいたこともあり、最近自動車保険を日産火災に切り替えた。別に保険料は同じだし、日産火災がサービスがよいという保証はないのだが(自動車保険会社の良し悪しは事故を起こした後の示談でよくわかる。できればそんなものはわかりたくない(^_^;;;)まあ、知り合いがいればいざという時に何かと事がスムーズに運ぶであろうということ、ダイヤルをしなくても、日産火災の事故処理窓口につながるテレカの兄妹みたいなカードが貰えたこと、そして、もう一つ、以前契約していた某損保会社の秋田支店が非常に感じの悪い会社だという理由から、切り替えに至ったわけである。
 私の高校時代のクラスメートには、その会社に勤めていたので、あんまりどうこう言うのも何ではあるが、彼は第2の赴任先の支店があんまりにもひどい状態だったことを理由に転勤後すぐに会社を辞めていた。果たして、この会社はどのようなものなのであろう。

 この件については長くなりそうなので、緊急特集「くたばれ!▲×火災」のコーナー で紹介しよう。ただ、どうも日本の金融機関というものは多かれ少なかれ顧客無視、大蔵重視という体質を持っているらしい。横田濱夫の「はみだし銀行マンの〜」シリーズを読むとやはりこの手の話も出てくる。ただし、この本は、それ以外の話の方がおもしろいので、ぜひ長銀に公的資金を注入して助けようとしている自民党の方針に疑問をお持ちの方は読んでみよう。無能な銀行をそこまでして助ける必要があるのかどうかがよーくわかる。そのうち、「くたばれ!日本のダメ金融機関」というコンテンツに発展させようと思っている。

 ちなみに、私が知っている範囲では、自動車保険の示談交渉力が強い良い保険会社といえば「安田火災」がダントツの一位。親戚がお世話になったし、私が事故の時も、加入していなかったものの、父親の会社の後輩に父親が安田火災に勤めている関係でずいぶんアドバイスをもらったからよくわかりますよ。(その直後、実家では安田火災に乗りかえた)
 そうそう、当時私が乗り回していた父の車は、JA自動車共済に加入していたのだが、これはまさに「安かろう悪かろう」の典型例。20歳の人が新規加入すると損保会社より万の単位で安い(オデッセイクラスだと7万円差が出る、との話だ)ので、貧乏学生にとっては垂涎ものの魅惑的な商品なのだが、いかんせん示談交渉力が弱過ぎ。おかげで、赤信号になってから10秒後くらいに突っ込んできた車にぶつけられた私(本来相手が信号無視なら100%相手が悪い)が悪者扱いされてしまう始末。結局60:40の補償比率になったのだが、なぜこちらに40%も落ち度があるとされてしまったのかは納得がいかないところではある。まあ、おかげでJAに見切りを付けることができたこと、こういう交渉の場では絶対に弱気になったりしてはいけない。悪い連中につけ込まれかねない、という教訓を得たと考えれば、いい授業料だったとは思いますがね・・・。

※後日談
 1999年2月4日、くだんの件について、当損保会社の営業課長、営業推進課長様より丁重な謝罪をいただきました。当時は私も感情にまかせて言いたい放題に書き倒してしまい(別に事実をでっちあげて書いたわけではないのですが・・・)いささか行き過ぎた点もあったかと反省しております。というわけで、この損保会社につきましては、以後は匿名とさせていただきます。なお、緊急特集についても、コンテンツを削除させていただきました。
 私が受けた屈辱はまぎれもない事実ですが、それが、その会社の全てではないということは、(以前もそう書いておいたつもりですが)言うまでもないことです。今後はこのような目にあう人がいないことを祈りたいと思うところであります。

 さらにもう一言おまけを。JA共済は、その後、保険料の引き上げとともに、示談交渉サービスの強化に乗り出した、という噂を聞いています。ただし、損保との交渉力の差が縮んだか否かについては、私が把握しているところではありません。

1998年10月2日

 ♪HAPPY BIRTHDAY DEAR ゆーこ と、のっけからこのホームページを見ているはずもない人の誕生日を唐突にお祝いしてしまいますが(^_^;;; 今日は彼女の27回目の誕生日です。彼女は私の幼稚園、小学校、中学校、高校の同期。(小学校と高校で通算4年間クラスメートだった)
 その人がどういう人か、というのはおいおい話をしますが、皆さん、なぜこのページの「誕生日」が8月7日になったのか、疑問を持ったことはないでしょうか? 「8月7日、晴れ」というタイトルは、確かにドリカムの「7月7日、晴れ」からとったものですが、別にこのタイトルがつけたいから8月7日を正式開局日にしたというわけではありません。タイトルは直前に思いつきでつけただけ(^_^;;;
 これもそのうちお話する機会ができるかと思いますが、簡単に言うと、今となっては「♪あいーたくて、あいーたくて、あえーなくて」、という関係(違うか(^_^;;;)になってしまった「みえろん」ちゃん(もうかれこれ10年はお話もしてません。手紙を書いても返事も来ませんし、年齢と美貌と性格の良さから想像するに、とっくに嫁に行ってしまっているでしょう)と、せめて、ホームページの誕生日だけでも一緒にしたい、ということでこの日が選ばれたわけなのです。
 でもまあ、「みえろん」ちゃんと今日の「ゆーこ」ちゃんの誕生日はきちーんと覚えているというのに、ついでに言うと初恋の女の子(6月27日)と大学に入って直後に好きになった人(1月5日)のもちゃんと覚えているというのに、あと残り2人の誕生日が全然思い出せないんですよね。2人とも大学で一緒のサークルだったので家に帰ればヒントくらい残されているかもしれないけど、結構ショックでした。未練がましいようにも思えますけど、いくらフラれたからといって(ただし初恋の子には告白せずじまいだったので振られるも何もない)別に彼女たちの素晴らしい所を否定する気はないし、一生大事な思い出としてとっておきたいと思っている私にとっては、何とも悲しい忘却ですよ。
 もっとも、彼女の誕生日を未だに忘れずに済んでいる理由は実は他にもありまして・・・5日は妹の誕生日なんですよ(爆)。妹からは「コンサドーレを見に札幌にちょくちょく帰ってくる金があるなら何かくれ」という要求がでていて・・・胃が痛い。いくら何でも現ナマはちょっといやだしなあ(一番喜ぶ、という話もあるが・・・ボーナスの時に寸志をあげているんだから今回は勘弁してくれや、ど忘れしたことにしよう(^_^;;;)
 最近はついに何もあげなくなってしまってまずいなあ、と思うのではあるが、金の問題がどうこうでなく、家族の誕生日に何をあげたらいいのか、という選択って本当に難しくて(というか、そもそも誰かに贈り物をする、ってすんごくエネルギーいりますよ。相手に喜ばれないものなんて絶対に贈りたくないし)どないしよう・・・この際、妹の誕生日はさておき、いつも誕生日に何か贈ってくれる両親にだけでも来年こそはちゃんとプレゼントを贈りたいと思っているのだが、年明けそうそう、品物の選択で頭を悩ませる日々が続きそうだ。トホホ。

1998年12月28日夜

 最近、年賀状の重みをひしひしと感じている。

 子どものころは、結構適当に書いていたが、大学生になったころにはすっかり面倒になってしまい、「前回に私に年賀状を書いてくれた人」にしか返事を出さない、と決めていた。おかげで、毎年、元旦に年賀状をもらってからあわてて書き出す、ということが少なくないのではあるが・・・。

 最近、それが非常にまずいことだった、もったいなかったといまさらながら後悔している。小、中、高、大の友人(全部で8通りのクラスがあった。それに加えて、大学のゼミの仲間も)のほとんどと音信不通になってしまった。

現在、年賀状で交流があるのが

 小学校の恩師         3人(←よく続いているなあ。でも級友は全滅)
 中学校の吹奏楽部時代の友人  1人(クラスメート、恩師とも全滅(;_;) )
 高校1年時のクラスメート   4人(うち、高2、高3の時と重複の人各1人)
 高校3年時の担任  (もちろん1人)
 大学のサークルで一緒だった人 5人(これが一番多い。でも部員は前後あわせて
                   150人はいるのですからかなり少ない方)
 大学のゼミで一緒だった人   1人(恩師は郵政省メールを書かない人なので
                   出してません。大1の時のクラスメートは
                   サークルでも一緒だった人1人のみ)

 とたったこれだけ。いかに私が友人を粗末にしてきたか、という証拠だ。友人がいないとか少ないとか嘆く前に、もっと努力をしないといけなかった。
 そんな友人たちも札幌を離れ(全員が、というわけではないが)私も秋田に来てしまったおかげで、この中には、もう何年もあってなくて、年に一度の年賀状だけでしか交流がなくなってしまった人が何人もいたりする。(一番会ってないのは小学校3、4年の担任の先生。小6の時の学校創立20周年記念研究授業に見にきてくれたのが最後ですから、もう15年も会っていない。この先生に教わっていなければ、私は大学に進む学力、特に数学の力、は身につけられなかった)
 そんなわけで、文面はシンプル(というか、何年もコンビニ印刷年賀状で済ませているんですけど(^_^;;)でも、その一枚に込める思いは年々強くなっていっている。せめてこの人たちだけでも、一生交流を続けていきたいと思う今日この頃。

 社会人になってからも、「前年に年賀状をもらった人」以外の会社の上司や同僚には年賀状をかかない悪い会社員な私ではあるが、それでも「お世話になった人で、支局、支社勤めの人」には、自主的に年賀状を出すことに決め、去年から実践している。それでも、こんな調子なので、出す年賀状の合計は親戚を合わせても34枚(ただし、喪中で出したくても出せなかった人が3人いた)。おそらく同世代の中ではきわめて少ない方だと思う。本当は仕事でお世話になった人にくらいは、お礼を込めて出すべきものなのだろうが・・・(来年以降の課題)
年賀状といえば、パソコン通信をはじめてから、E-mailで年賀状を出すようにもなった。おそらく今年はこっちの年賀状は100通近くに達するのではないかと思うが、まだ全く手をつけていない。おそらく大みそかの夜にあわてて書くことになるであろう。
 ただ、今回は、せっかくホームページができたことなので、私がよく友人に書いている
「私の○年の十大ニュース」をここででも公開しようと思っている。ただし、ベスト10の中には私の素性がばれてしまうものや、私の会社の中で知られては困ることもあるので、こちらで公開する時はそれらはタイトルだけで、中身は割愛させてもらうが・・・。
 というわけで、年内には、まともな更新は行えない予定です。日記だけはできる限り更新しますが、中身の方は年明けからになります。「一歩」ファンの方、コンササポーターの方、「いいひと。」フリークの方、道の駅めぐりに命をかけている方、その他みなさん。ご期待にそえずに申し訳ありません。来年はがんばりますのでどうか長い目で見てやって下さいm(_ _)m

1998年12月31日未明

 とうとう今年最後の更新となった。とはいえ、今回も日記のみで中身の更新は来年に持ち越しになりそうだが・・・

 年末ぎりぎりまでうちの部署は忙しい。スケジュールの上では私を含む若手にはこの時期に冬休みと称した連休が与えられて入る。ただし、臨時の仕事などで会社に出向くので休みは無いに等しい。じゃあ、なんでそんな時期に連休が与えられるかって。それは先輩、後輩の力関係のせいだ。
 誰だって年始は仕事を忘れてのんびりしたいものだろう。一方、年末はどうせ仕事も忙しいのだし、家では粗大ごみ扱いされるのだから働いていた方がましだ、という人が少なくない。というわけで、年末はだれもが休みたがらず、しわよせを若手が食う形となる。休みの日数は平等にすることが原則だからだ。
 まあ、それはそれで仕方がない。私だって、今はいいが、10年後、20年後には、年末ごとに妻子を連れて実家に帰省をしなくてはならない日が来る。後輩を犠牲にしてでも、年始を札幌で過ごさなければならない。その日のためにも、今は年末年始に働き通し、すきま風が吹き抜ける狭いボロアパートで一人寂しく年越しをすることを我慢しなければなるまい。そう思いながらこのわびしい思いをまぎらせている。もっとも、今年は、帰省する金がなかったので、そうしてくれ、と私から頼んだので文句をいう筋合いなどないのだが・・・。

 悔しいことに、テレビ番組というのは、年末の総決算! というものがなかなかおもしろい。でも忙しいせいもあり、今日も見たかった、とある元おニャン子(私もそれが誰だったのかは知る由もない)が復帰して歌う、という番組を見損ねてしまった。WINK生出演のレコード大賞を振り返る特別番組も見ることはかなわなかった(秋田ではTBS系列局がないので、レコード大賞そのものがはなから見られないのではあるが・・・この番組だけでも、弘前まで車を走らせてでも見たかった(;_;) 誰か、ビデオ撮ってない?)
 さらに悔しいことに、いくら忙しいとはいえ、絶対に休みが貰える元日のテレビ番組が、これがまたつまらない。7、8時間ダラダラやっているわけのわからないごった煮番組の中にも、数カ所くらいはおもしろいシーンがあることは否定しないが、それを待ちながら、残りのくだらないシーンにつきあってられるほど私は我慢強くない。
 毎年思うことなのだが、元旦だからといって気張らずに、普通に淡々と番組を流す(普段の金曜日のレギュラー番組を流すということ。8時からミュージックステーション。10時からニュースステーション、といった感じで)局が一つでもあると、案外ウケるんではないのかなあ。正月の特別番組にアキアキしている人って決して私だけではないと思うのだけどなあ。いかがなものでしょうか?
 今年の8月に歩みはじめた当ページも、累計1500人以上の訪問者に支えられ、無事あしかけ2年目に入ることができました。応援してくださったみなさん、本当にありがとうございました。来るべき1999年は、私の仕事の都合(たぶん、転勤になるでしょう。社内異動でも、忙しい部署に変わることは間違いないと思われます)もあり、ページ更新はますます困難になることも予想されます。下手をすると日記だけの更新で終わってしまうかもしれません。それでも、来てくださった皆さんに少しでも「こんな変な奴が世の中にはいるんかいな」と、楽しませることができればと思いながら、ページ作りをすすめていく所存でございます。来年も、当ページをよろしくお願いいたします

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