17才罪法案

先日、*17才の少年が精神病院から一時帰宅した日にバスジャックという大事件を起こしたが、ああいうものを野放しにしておくのは非常に危険である。 だいたい、精神病であるかどうか認定しなくはつかまえておけないというのがまどろっこしい。 17才という危険な年齢であることがすでに罪であると考えたほうがよい。

これくらいでちょうどいいのである。 あるいは、17才であることはすでにひとつの病いであると言ってもいい。

それとも、あれはひとつの災害と呼んだほうが適切かもしれない

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思春期の子どもにロールシャッハテストをやらせると精神分裂病と見まがうような結果がよく出ます。 思春期というのはそのくらい恐ろしい時代なんです。 でも、その時期の心の動きを覚えている大人は少ない。 あまりにも今の自分の心とは違う世界だから、みんな忘れていくわけです(河合隼雄:「いじめと不登校」)

思春期の子供による犯罪が増えており、その多くが動機の手がかりも理解できないような不可思議な状況で発生している。 これは、心の問題だと言うので、テレビに心理学者と名乗る人が出まくっているが、あれは現象に名前をつけているだけである。 つまり、「これはなんとか心理と言います」「あれはなんとか病です」とか言っているだけで、何もメカニズムを解明していない、実に楽な商売である。 心理学というのはいかにいいかげんなものかと思われそうだが、ああいうのはニセモノで、本物は現象の難しさ困難さをわかっているから、なかなかテレビには出てこない。 しかし、この*河合隼雄*氏の言葉は(当然事件より前の言葉だが)ピンポイントで問題の本質をついていると思う。

バグは最初からあったのだが、これまではバグを回避するリカバリルーチンが作動していた。 最近になって、バグが顕在化したのはその時点でバグが発生したのではなく、リカバリルーチンの機能が失われたからだ。 河合氏の主張はそういうことだ。 何ら有効な対策が打てないのは、現状認識が根本的に間違っているからである。 もし、バグ自体が最近になって出てきたものならば、それをつぶせば問題は解決する。 しかし、バグが昔からあったものだったら、それを無くするのは大変なことであり実質不可能である。 そこに力を注ぐより、リカバリルーチンの方に注目すべきである。 なぜリカバリルーチンの機能が失われたのか? そこにこそ問題の鍵がある。

バグとは何か? 人間が成長する時に、不可避的にある種の混乱を通りすぎることである。 思春期とはまさに狂気の時代であり、犯罪、病気、災害と紙一重のものなのだ。 別の言い方をすると、バグとは人間の心の中心部分にある種の狂気がビルトインされていることだ。 そして、このビルトインされた狂気と一番接近するのが思春期なのである。

そして、リカバリールーチンとは、お祭りのような非日常的な空間である。 例えば、スペインの牛追い祭りとかバンジージャンプをしないと大人になれないとかいう風習である。 日本でも江戸時代までは、若衆宿というシステムがあって、ある年齢の若者だけを集めて共同生活をするなかでいろいろ無茶をやるしきたりがあったそうだ。 簡単に言えばガス抜きをする時空間である。 そして、誰でもこういうものに参加することが非常な圧力で強制されていたことだ。 馬鹿さかげんと「強制」があることがポイントである。

そして、これが崩壊するのにも理由がある。 こういうリカバリールーチンは必ず「馬鹿げたもの」になる。 命の危険があるほど気違いじみていなければ、バグの方のパワーに対抗できない。 意味なく危険なことをさせたり、時には暴力が含まれたりする。 そして理屈がない。合理的な理由がない。 これに強制的に参加させるには、相当強力な社会的な合意が必要である。 その合意から来る、ものすごい圧力があってはじめて若者たちはリカバリールーチンに参加するのである。 現代においては、価値観が多様化しそれだけの強制力を発揮するだけの「合意」というものが得られなくなっている。 そのため、こういう昔からあるリカバリールーチンは機能しなくなっているのだ。

そして、このようなリカバリールーチンに合理的、近代的な理由をあてはめようとすると、今度は、バグの方をきちんと認識しなくてはいけない。 バグの存在を説明できれば、リカバリールーチンの必要性も訴えやすくなる。 しかし、これが途方もなく困難なことなのである。

人間の心に隠された「無意識」というものがあることをフロイトが発見し、その「無意識」が一種のエネルギー源、情報源として機能していることをユングが発見した。 相対性理論と量子力学に並ぶ20世紀の偉大な発見だと思うが、物理学と違って、この2つの発見には第三者的にかかわることが難しい。 量子力学のおかげでトランジスタができ、トランジスタが発展して携帯になった。 携帯で話をするくらい気軽にフロイトやユングの発見を利用できればいいと思うのだが、これはなかなかそうはいかないのだ。 人間にとって「無意識」を意識するのは非常にハードな体験になってしまうのである。 ユング自身気が狂いかけたし、最近の例では尾崎豊とかジャコ・パストリアス。

熱いやかんをじっと握っていられないように、「無意識」とずっと接触することは難しいというより、「アチッ!」と言って逃げだすのがある意味健全なのである。 だから、誰もがこういうのとニアミスをするのだが、忘れてしまって大人になる。 だが、個人の本能としては健全なことでも、そこに現代の効率性が付加され極端に走ると害になる。 カロリーの高いものを食いたいという本能が暴走すると成人病が産まれ、 無意識を排除したいという本能が暴走すると青少年の犯罪が産まれる。 「無意識」との適切な距離のとりかたは難しいのだ。

オウム真理教も戸塚ヨットスクールも現代のリカバリールーチンを構築しようという試みだったのかもしれない。 しかし、どちらも本質を回避してお手軽にすませようとして失敗した。 つまり、昔のリカバリールーチンだけに着目してその形式だけ表面的にまねしている。 それを設置する場所を確定するためには、やはり無意識というバグの場所を見つめなくてはいけない。 たくさんの人たちの「狂気」をかかえこむということは、とてつもなく大変なことなのだが、彼らにそれだけの覚悟があったようには見えない。

逆に尾崎豊は、そこに誠実すぎたのだろう。 自分の「17才」をかかえ続けるだけで大変なことなのに、彼は他の人たちの「17才」までかかえようとして破綻したのだ。 *ユーミンとか吉田拓郎などは、一瞬だけ「無意識」との接点を持ったが、ピンポンダッシュみたくギリギリまで行ってから一目散にこちら側に逃げこんでいる。 そして、文学も本来はこういうジャンルを扱うものだったのに、残っているのは筒井康隆と*村上春樹くらいじゃないか。

ということで、現代人はバグの存在もリカバリルーチンの存在も忘れてしまっている。 それで、こういう事件が起きるとビックりして、「なんでこんなバグが」と言って、バグのほうを排除しようとする。 しかし、「無意識」というものはバグであると同時にエネルギー源でもあるので、簡単には排除できない。 もし、真剣に排除することを考えると冒頭の冗談が現実になることだってないとは言えない。 (まあ、本当に「17才罪法案」通したら、これはこれでリカバリールーチンとして機能すると思うけどね)

必要なことはカロリー計算をするように、人生に必要な「狂気」の濃度を計算すること。 そして、その適切な量の「狂気」を社会に人生に家庭に学校に持ち込むことだ。 そして、何より椎名林檎だけにプレッシャーがかからないようにすること。 最後に、椎名林檎よ!死なずに逃げるんだ!

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