<<1999年6月 の日記>>

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1999/6/18

文部省の研究開発校に公募型 という記事によると、来年度から公立の小中学校でも、学区外の学校に通えることになるそうだ。 研究なんとか校という本題より、例外的とはいえ学区外からの通学を許可するというのは画期的だ。

住所により通う学校が自動的に決まるという今の制度は、もちろん子供(親)の側に選択の権利がないことが大問題なのだけど、一方で、学校側、先生の側としても自分の教えたい生徒を集められないという制限がある。 先生が生徒を選ぶというと、成績や素行で問題がある者を排除するという風に思われるかもしれないが、そうではなくて、生徒にも個性があるように先生にも個性があって当然であり、ランダムに振り分けるのでなくて、お互いがお互いを選ぶ方が自然だしうまくいくのではないか。

1999/6/19

大幅リニューアル完了。 長年の懸案だった、用語集を作った。 私の頭の中で、いろいろなテーマがこんがらかった様子をリンクで表現したいと思っている。 まだまだ混線具合が不十分なので、これから暇を見てリンクを増やしていくつもり。

1999/6/20

ほぼ日刊イトイ新聞というところで、糸井さんとマリオを作った宮本さんとポケモンスナップを作った岩田さんという豪華な座談会があった。 「学級会民主主義批判」とでも言うべき話題で盛り上がっているところが面白い。 リーダーがものを決めないのはうまくいかないという理由や状況が経験を踏まえて語られている。

あと何より重要なのは、学級会で学んだことって、コストがないんですよ。コストとリスクが。 つまり、自分のところに被ってくる責任と、自分への、自分の意見への投資がないから、罪の意識もないから、なに言ってもいいんですよね。

これは糸井さんの発言だが、他の人も同じようなことを言っている。 やっぱり現場でモノを作る人の発言は重みがあるし信頼できるし勉強になる。

1999/6/22

HotWiredにエリック・レイモンドのインタビューが出ていた。 いろいろ面白いところはあるが、ストールマンとの考え方の違いについて述べている所で、彼の*オープンソース*についての考え方がよくわかる。 乱暴に要約しちゃうと、ストールマン:「フリーな社会が目標であり、オープンソースは手段」レイモンド:「オープンソース自身に価値があり、フリーな社会はオマケでついてくる」 もちろん、フリーな社会も悪くないけど、オープンソースの価値はそれと別にオープンソース自体の中に存在しているということだ。

そして彼は、オープンソースそのものに価値があることの例として、一般的には失敗と思われているネットスケープのソース公開をあげていた。 ネットスケープはブラウザのソースを公開したが、外部の開発者は集まらず、次期バージョン(5.0)の開発は一向に進まず、IEにシェアを取られて、会社自体がAOLに買収されてしまった。 最近は、重要な開発者がネットスケープをやめてしまい、敗北宣言ともとれるような文書を公開している。 誰が見ても失敗なのだが、レイモンドは成功例だと言う。 インタビュアーの山形さんも?!?という感じの突っ込みを思わず入れている。 なぜあれが成功なのか?

「ネットスケープのブラウザがこれからも残るんだというのを、信用できる形で世界にアナウンスできた」からだそうだ。 そりゃそうだ。 IEが市場を制覇しても、ネットスケープがつぶれても、AOLがボランティアをやめても、ソースは残る。 ハルマゲドンが来ようが愛が芽生えようが喧嘩別れしようが牛丼食おうがソースは残る。 いったん世界中にばらまいたものはもう元には戻らない。 絶対にソースは残る。

ソースがあるということは、OSやプロトコルやHTML、その他もろもろの環境の変化に対応していけるわけであり、ネットスケープ社という一企業の運命や戦略とは関係なくあのブラウザを使っていけるわけだ。 最初からそれが目的だったのか!

1999/6/23

日本でも無料パソコンが登場したが、アメリカでは199ドルパソコンが出るそうだ。 これは199ドルと言っても、無料パソコンよりもっとラディカルで「ハードウエアのみで収益を上げる」そうだ。 これまでの無料パソコンは、日米ともパソコン本体はタダでも、広告を見せられたり指定したプロバイダーに(有料で)加入したり、という付帯条件があった。 こちらの199ドルパソコン(アイトースターという)は、そういうオマケが一切ない。 本当に2万円強出せば、後は何をしても自由だ。 この記事に書いてあるとおり、これが事業として継続できるとしたら、パソコンというものは新たな段階に入ったと言えるのではないか。

そして、なぜそれが可能かと言うとOSがWindowsでなくLinuxだからだそうだ。 OSが何であっても、とりあえずWEBとメールが出来ればよいという人には、関係ない。 最初からGUIのわかりやすいアプリが付属している。 トースターという名前が示すように、家電の感覚で使えるマシンだそうだ。

予言してみよう。今年中にアメリカで来年中に日本で以下のことが起こる。

  1. こういうLinux家電パソコンに追随する企業が多く現れ一大市場が出現する
  2. 価格競争が激しくなり、カーネルに手を入れて、必要メモリを少なくしてコスト削減を図る所が出てくる(あるいはハードディスクが不用な製品)
  3. Linux向けのアプリの市場が一気に立ち上がる(特にゲーム)

そして、マイクロソフトはこういうことに対する反応は早いので、何か対応策を打ち出してくるだろう。 Windowsの*オープンソース*化と、OfficeのLinux版までは予想できるけど、何かもっと驚くようなこともやると思う。

1999/6/27

サンデーモーニングに大江健三郎が出ていた。 私は随分前は「サンデーモーニング」と「知ってるつもり」を毎週欠かさず見ていたが、いつの頃からかどちらもほとんど見なくなった。 裏番組を見るようになったこともあるが、何となく関口宏に漠然とした不信感のようなものを抱いたからでもある。 自分でもいまひとつはっきりしていなかったが、大江健三郎という鏡に照らし出されて、そのいかがわしさがはっきり見えてきたような気がする。

大江健三郎は、最近新作を発表したそうでそれにからめて「家庭とは魂のことををする場所」とかいう話をしていた。 彼の小説と同じように具体的でありながら、難解な話である。 聞いていて疲れる話でもあり、テレビには向いていない素材であるのは間違いない。 司会者というのは、こういう時いろいろな芸を使って、見ている人が飽きないようにする。 関口がそれをしていることは当然だと思うのだが、そういうつっこみやら要約やらが「タメ口」なのが見ていて不快だった。 「タメ口」と言っても、言葉はもちろん丁寧なのだが、彼の内面的な態度のようなものが「タメ口」なのだ。 敬意がないし、大江健三郎の真意を汲み取ろうとしているようには思えない。 そのくせいろいろ口を出して余計なあいずちをうつ。 変に要約したりして、表面的にはわかりやすく解説しているようで、実は話の流れの腰を折りまくっていた。

そして、大江健三郎という人はさすがに大人物で、そういう共感のない聞き手にも微動だにしない。 ニコニコとして真摯に話を続けていた。 途中でスタジオにいた学生で彼の新作を読んだという人が一生懸命感想を述べると、心底嬉しそうにしていた。 プラスの波動はしっかり受け止め、マイナスの波動は存在しないように振る舞う。 別にガードして心を閉ざしているわけではなく、オープンなのだが全く影響を受けない。 良質の鈍感さ。

彼の小説のような祈りにも似た壮大な無邪気さをかいまみたような気がした。 おそらく*村上春樹*はあのように無邪気にはなれないだろう。 村上春樹の小説は、一切時事問題や政治経済を扱わないのに、社会と密接なインタラクションを持っている。 彼がアンダーグランドというモロに時事問題を扱ったノンフィクションを手がけたから言うのではない。 逆に、ノンフィクションが彼の作品群の系列の中にすっぽり、何の違和感もなく収まるほど、彼の小説は外に対して開いている。 大江健三郎のそれが彼の純粋な魂の独奏会であるのと違い、村上春樹は常にセッション、インタラクションを基本として創作している。

サンデーモーニングの前には、8チャンネルでソフトバンクの孫さんと堺屋長官、それから竹村健一という豪華メンバーでナスダックジャパンの話をしていた。

孫:
「ナスダックジャパンの構想を発表したところ、800社以上からぜひ上場したいと熱心な問い合わせを受けました。このような若い有望な事業者に世界中から資金が提供されます。そういうチャンスを・・・
堺屋(割り込み):
「若い人だけじゃありません。年取った人の中にもいますよ」
孫:
「そうです。マクドナルドは65才からあの事業は始めたんです。」

という強烈なインタラクションがあった。 つまり、活力のある自由競争を歓迎するのは若者だけかという堺屋の問いかけに、孫は瞬間で反応したのだ。 話の流れで「若い人」といったけどそれは年齢ではない、チャレンジ精神のある人のことだ、と。 このやりとりは、一瞬のことだがすごく重要なテーマであり、意味する所は深い。 表面的には、日本に自由競争が合うのかという形で司会者が繰り返し、孫に聞いていたがうまく話を引き出していない。 堺屋は、珍しく人の話に割り込む形で発言して、そこを突っ込み孫はちゃんと受け止め切り返した。

この人たちは、金のことしか見えてないかもしれないが、非常にセンシティブで外に向かって開いた魂を持っている。 自分の仕事が本当に好きな人は結局そうなるのだと思う。 関口宏に欠けているものはそれだろう。

1999/6/28

今更ながらFF8をはじめる。 バトルシステムの複雑さに驚いた。 ジャンクションやらアビリティやら何がなんやらわからない。 300万本だか売れたそうだが、みんなこれを理解したのだろうか。 1万円近いものをこの本数売ったことももちろんすごいが、 これだけの複雑な論理体系を大勢の人に教えたということも凄いのではないだろうか。

300万人のうち3分の2が脱落したとしても100万人。 このうちの何割かにとっては、生涯で最も頭を使った経験になったのではないか。 その中にはビデオの予約や銀行のキャッシュディスペンサーに手が出ない人もいるかもしれない。

FF8はゲームとしては否定的な評価が多いようだ。 ビジネスとして見ても、数字的には相当なものだけど、バグの対応など問題点もいろいろある。 しかし、これをひとつの「教育」の成果としてみると、留保なしに評価すべきものになるかもしれない。 FF8に限らず、最近のゲームの導入部は、複雑なシステムをいかに簡単に飽きさせないように覚えてもらうか相当に工夫されている。 チュートリアルや操作方法も工夫されているし、段々と複雑な要素を付け加えていくマップの構成などゲーム本体にそういう努力の跡が見られる。 もちろん、この面でもFF8を凌駕するゲームはたくさんあるだろう。 しかし、(教えなければいけない複雑さ)と(それをマスターした人数)を掛け合わせて評価した場合、これは歴史上に残る画期的なものではないだろうか。

ところでラグナって何者?(まだほんの序盤です)

1999/6/30

ホットワイアードに業界人の交換日記というコーナーがあって、田口ランディ*さんの名前に引っ張られて読んでみたら、他の2人のも面白かった。 特に、松山大河という人が面白いことを言っていた。 「Linuxを作ったリナス・トーバルズのように『利潤の最大化』に興味の無い人が増えてきたら、資本主義*はどうなるか?」 この問題提起自体は私もしているし、他にも口にする人は多いけど、彼はこの問題に資本主義V2.0という絶妙のキャッチフレーズをあてていた。

これには深いものがあると思う。 反資本主義というと、かっての共産主義がそうだったように、お金というものを徹底的に敵対視する立場と思われがちだ。 しかし、リナスは(そしておそらくこの松山さんという人も)そうではない。 ある程度の利潤は追求するけど、「利潤の最大化」を追求しない。 ボランティアで無償の貢献をするというと、聞こえはいいけど継続しないことが多い。 会社に限らず、ある程度の事業を回していくには、適切な利潤を得ることは必要だ。 問題は、「利潤を最大化」しようとすることで、マイクロソフトのように利潤を求める指向性が一定の限度を超えた時に初めて、個人あるいは私企業と社会全体の利益が相反することになる。 共産主義は、度合いを無視して全ての「利潤の追求」を否定した所に無理があった。 しかし、資本主義V2.0は「利潤の最大化」を否定するけど、利潤の追求そのものは否定しない。 「適切な利潤」と「利潤の最大化」の間に線を引くのだ。

資本主義V2.0仕様の会社や人は増えている。 個人にとっては、V1.0(利潤最大化)との違いは少なく移行のコストは小さいから、これから加速度的に増え続けるだろう。 しかし、マクロな経済や社会の仕組みは相当大きく変わる。 社会にとってはV2.0のインパクトは大きい。


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