<<2000年5月 の日記>>

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2000/5/6

病んでいるのは17才*じゃなくて、大人の方だよ。 特に40代以上。 バスジャックじゃない方の17才だけど、あの子の家庭相当危ないね。 おじいさんとおばあさんがテレビで喋ってる。

喋ってることはどこもおかしくないけど、喋れることがおかしい。 たとえ、レポータがいろんな手段で喋ることを強制していたとしてもあれはおかしい。 あれだけの衝撃で言葉を失なわないってことが。 つまり、世界観がゆるがないわけだ。 そのゆるがない世界観の中で、嘆いたり反省したり被害者の方にもうしわけなく思っている。 その気持ちに嘘はないと思うし、どこにも異常な所はない。 だけど、可愛いがって育てた自分たちの孫があれだけの事件を起したら、そんなまともな言葉、まともな感情が出てくるわけがない。

何ごともこころの中に入ってこない人たちだったんだ。 あの少年はそのこころを揺り動かしたかったんだと思う。

2000/5/7

おしりを2発銃でうたれたヤクザが入院していて、私は病院で迷ってまちがってその部屋のカーテンをあけてしまう。 なまなましいキズアトが見える。 右のおしりの上の方に縫ったあとがあり、下の方に穴がある。 あわてて逃げだすが、後になってその人に呼ばれる。

呼ばれて行ってみると、なぜか子供になっている。 やせた色黒の子供。 この子供はひどい怪我をしている上に精神的にひどく傷ついている。 だっこしたり話を聞いてやるうちに、すこしなごんでくる。 「これだけ精神的に傷ついた子に中途半端にかかわるとかえって傷を深くする」と思っている。 徹底的に面倒みてやるべきだという気持ちと、めんどうくさい(時間がない)という気持が交互にでてきて迷う。

・・・という夢を見ました。

2000/5/8

バスジャック事件について、よくテレビで見る危機管理の専門家が「あれは狙撃で解決すべきだった」と言っていた。 すると司会者が「という提言もあります」とか言ってなんだかアセっている様子だった。 その人はこの手の事件ではよく見る顔なのだが、そういえば、これ以外どの番組にも呼ばれていない。

確信はないけど、あれはテレビでは言っちゃいけない意見で、あの人は無理にそれを言うからホされてしまったような気がする。 私は、17才罪法案で書いたように本人には罪がないという立場だが、それでも、やってしまった瞬間からは危機管理の問題として処理すべきだと思う。 危機管理の問題としてどのような対処が望ましいのかはわからないが、「狙撃」とういう選択肢は当然検討すべきだろう。 議論しちゃいけない、ということになっているとしたら、これは非常におかしい問題だと思う。

2000/5/8

真心ブラザーズの GOOD TIMES が最近おきにいりです。(大事マンブラザーズではないので要注意)

2000/5/9

「法の華」の教祖が逮捕された。 ゴーストライターを使ってたり、金の使い道がめちゃくちゃとか警察や検察当局から見ると、あれはわかりやすい事件のようだ。 *宗教*関係でなく、普通の詐欺事件を扱う部署が担当しているという話を聞いたこともある。

しかし、信者の人がマインドコントロールを解くのはそれほどは簡単ではないのではないか。 ゴーストライターに悪魔がのりうつって嘘を言っているとか、逆にあれは教祖がコントロールして書かせたから問題ないとか、妙な理屈で絶対に教えは間違ってないと言うだろう。 そして、そういう人たちの言うことはだいたい非常に筋が通っている。

ある種のアダルトチルドレン*の人は、「自分がダメな人間だ」と言うことに同様の信念を持っている。 やはり、どういう客観的な証拠を示してもその信念が揺らぐことはない。 そして、その信念の強さには何か共通点があるような気がする。 どちらにせよ、そういう信念が精神の柱になっている場合は、これを取りさるのはハンパなことじゃない。 専門家が最大限の援助をしても時間がかかるし、ヘタに急げば致命的なダメージになったりする。 そう言えば、終身雇用で会社に密着している人にも同じ問題を持つ人がいるかもしれない。 人間が生き方を変えるというのは、どうやっても大変なことだということが、もう少し常識になればいいと思う。

2000/5/11

田口ランディさんの日記(5/4)で素晴しい言葉を見つけました。

「人間は自然に意味を与える存在。 人間は自然に神を見いだす存在。 人間がいなければ、自然のなかに神も存在しない。 だから人間と自然は対等なのだ」(アシリ・レラ)

「人間が与えた意味を、自然は返して来るのだそうだ。 もし奇跡が起ったとしたら、それは奇跡ではなく、そのような意味を人間が世界に与えたのだ。 世界に無言でよき意味を与えること、それが、祈りらしい」(田口ランディ)

2000/5/12

河合隼雄*さんが言っていたのだが、不登校の子供が大人をひっかきまわすケースがあるそうだ。 例えば、保健室登校をしている子を教室へもどすかどうかで、養護の先生と担任の先生が口論になってしまう。 熱心でふだんは穏やかな先生同士が喧嘩になってしまい、なぜだろうとよくよく事情を聞くと子供が相手によって全く違う態度をとっていたりする。 河合さんによると、子供の心の中で非常に大きな背負いきないほどの葛藤があって、それに回りの大人が引きずりこまれてしまう、ということらしい。 そして、問題が深い子供ほど巻きこむ力が強くて、不思議なほど大人が右往左往してしまうそうだ。

実際にあったことだけど非常に稀なことだとも言うし、そもそも、河合隼雄さんの言うことは理論化したりみだりにあちこちにあてはめてはいけないのだが、 私はどうしても、これをバスジャック事件と関連づけてしまう。 つまり、あのバスの中で起きた地獄絵図は彼の心の中にあった何かが現実化したのではないかと。 あの事件に見あうだけの悲惨さを彼はかかえて生きていたのではないかと。

そして、無責任な第三者としては、あれを両親の間違った対応のせいにして安心したいのだが、今日のニュースでは両親は彼の入院を拒否されて、警察や著名な精神科医に相談していたそうだ。 ああいう場合は、自分たちだけでかかえこんでしまうことが最もまずい対応であり、第三者に相談するというのは基本的には正しい対応だと思う。 入院に至る過程はどうなのかわからないが、少くとも最後の所ではやるべきことをやっていたと言わざるを得ない。

先日、確信犯のストーカーが「ここが変だよ日本人」に出てきて「悪いことを悪いっていうのは幼稚園児でもできるんだよ」と言っていた。 印象的なのがあの男は、ゲストや外国の人の非難をちゃんと聞いて答えていたこと。 もちろん、その反論の内容には同意できないが、一方的に自分の言いたいことだけを言うのではなく、相手の論理に対応した反論を展開していた。 しかも、表面的な言葉だけでなく意図というか感情というか、かなり深いレベルで相手の言うことを受けとめて物を言っていたのだ。

どちらのケースも通常以上の正気と強烈な病が同居しているわけで、これはひょっとしたらすごくつらいことをしているのではないだろうか。 たまたま、今日は別の*17才*が「頭の中の声が命じたから」人を殺そうとして捕まったが、ああいうのが本来精神科の領分である。 同じ17才でも、バスジャックの方は正気であってこれとは全く違うケースだ。 ある意味では精神科が入院を拒否したのも理解できる。 「うちのお客さんじゃない」ということじゃないだろうか。

ソフト屋が*linux*を初めて見た時と同じで、人間はこういう自分の理解の枠組みからはずれたものを見ると、「これはあれがこうなってそれでそういう具合になっている」とか簡単に結着をつけたくなる。 まずはヘタな解釈はやめて、起きていることをよくよく見て、矛盾をあるがままに受けとめることが必要なんだよ、きっと。

2000/5/15

ネットによって今起こっていることは、ITと*オープンソース*という2つの言葉に集約される。 ここによくまとめられているが、 ITというのはビジネスの世界に起こる究極の下剋上だ。 しかし、これはあくまでビジネスの中での革命である。 ビジネスの外側で起こることこそが、はるかに大きな意味を持つ。

フィクションとして述べると、こんなイメージかな。

セ・リーグに新しい球団ができて、あっというまに人気実力ともに巨人を上回ってしまった。 金にまかせて、両リーグのベストナインを全部ひっぱってしまい、毎年毎年ぶっちぎりの優勝。 しかも、マスコミも握ってしまい、テレビでも巨人でなくその新球団のカードばかり放送し、スポーツ新聞も勝っても負けてもその球団のことばかり取りあげる。 野球関係者は、このプロ野球はじまって以来の革命に右往左往するが、実は、これ以上に大きな変化が同時に起こっていた。 プロ卓球が発足し、あっというまにプロスポーツの王者の座を野球から奪いとってしまったのだ。

2000/5/16

ある*司馬遼太郎*のファンの人が「峠」がいいと言うので読みかえしている。 一度読んだが、正直言って河井継之助などという超マイナーな人が主人公なので、あまり印象に残っていない作品だった。 しかし、今読むとこれがおもしろくておもしろくて。 幕末の話なのだが、牛肉を必死になって食いながらスイス人と話をしている場面がよかった。 河井継之助は長岡藩出身なのだが、同じ雪国でありながらそれを逆手にとって牧畜や精密工業で稼ぎ、こうして世界の果てのような島国にまで若者を送りだすスイスについて考えている。 友人の通訳がいっしょにいて、この人は外国語を就職のためだけに勉強して、5年後につぶれる幕府に就職して安閑としている。 河井は牛肉を食うのに吐き気をこらえ、友人はレストランで我が家のように悠然とふるまっている。 この対比が見事だ。

今、何の疑問もなくITとか*ビジネスモデル*とか騒ぐ人は、まるでこの友人のようだ。 知識は単にスキルであって、世の中について深く考えることがない。 考えないのは別にいいだけど、この変革の時代に全く疑問がわかないのはどっかおかしいと思うよ。 最新のスキルで稼ぎまくるのもいいけど、沈没船のスイートルームを占有したって滑稽だよ。

何より「志」ということについて考えてしまう。 西洋文明(グローバルスタンダード)を入れなければ日本はつぶれる、しかしこの根本から成り立ちが違うものをうっかり飲みこんで副作用はないのか。 へたにやると体(社会)とこころがバラバラになっちゃうのでは? 日本人の「志」の長期低落傾向は明治以来ずっと続き、 河井継之助が牛肉を噛みながら悩みぬいたこの疑問は、150年後の今日になっても解決されていない。

2000/5/17

昨日は幕末の志士をほめたけど、あれはごく一部の例外であって、大半は何かの流行みたいに右往左往していただけだ。 だから、司馬さんのような人にちゃんと発掘してもらわなければ、知らないままだ。 逆に言えば、現代でもちゃんとものを考えている人はいるもので、 これとか これとか。

「いかにインターフェイスをうまく作って市民にコントロールされながら動くかっていうのがこれからの会社だったり国だったりする」
「ルールを決めるのは彼なんだけども、意志決定はみんながやる。そういう面白いガバナンス(引用者注:支配、統治の方法)も沢山あって、そういう人は実はいちばん長く残れる」

2000/5/17

ラジオで最近の子供のごっこ遊びが変化したという話をしていた。 ままごとに必ずペット役がつきもので、しかも、ペット役をやりたがる子供が多いそうだ。 そして、なんでペットがいいかと言うと「ペットはかわいがってもらえるから」と言う子供のインタビューまでやっていた。 やっぱりこれも何かの徴候?

2000/5/21

子供が問題を起す場合は、子供を見るより親をカウンセリングしたり治療するほうが話が早いと言う専門家が多い。 その説を日本全体に適用するならば、若者の凶悪犯罪多発も、テレビゲームや受験戦争がどうのこうのでなく、大人のあり方を考えたほうがいいのかもしれない。 そう見ると、多くの事例でセットのように警察の怠慢が出てくるのが気になる。

職業と言うのは、金を稼ぐために言われたことをイヤイヤやる面と、自分が面白くてしたいことをしたいようにする面がある。 例えば、プログラマと言っても好き勝手にプログラムをするわけでなく、客が要求する仕様に合わせて、指定されたOSで指定された言語、ツールを使って組む。 採算を見なきゃいけないし、打ち合わせをしなくてはいけないし、大規模なプロジェクトでは政治的な動きもすることもある。 しかしいったんプログラムを作りはじめると、職業であることを忘れて損得抜きで夢中になってしまう瞬間があるものだ。 顧客の要望以上の品質や性能を追求したり、余分な仕掛けをしこんでおいたり、内部構造をキレイにしたくて客とケンカしたりする。 しかし、そういう「のめりこみ」の中から、ある種の職業的な直観が産まれてくるものであり、そういう経験をしてこそプロとして一人前である。

警察官も商売だから、興味のもてる事件とそうでないものがあるのもわかる。 人員には限りがあるのだから、全体としてのコストパフォーマンスを最大化するために、 つまらない事例をフィルタリングして重要な事件に集中しなくてはいけないこともあるだろう。 我々も、客の言うことをダイレクトに全部聞いていてはよいシステムはできないので、適当にあしらったりごまかしたりすることはある。 本当に客のためになる判断がちゃんとできるのが我々プロだという自負があるから、どうでもいい所で手抜きをすることもある。 しかし、警察の怠慢が問題になる事件を見ていると、そういう職業的な直観が非常に深く歪んでいるような気がする。 事前の訴えを無視された事件はどれも他で手抜きしてでも、即対応すべきではなかったのか。 そこにプロとしての直観は働かなかったのだろうか。

プログラマを管理するのも大変な面があり、やれ*JAVA*が使いたいとかLINUXがいいとか言って最新技術を使いたがったり、 難しいシステムばかり組みたがり単純な仕事だけ与えておくと腐ってしまったりやめたりする。 警察だって商売だから、殺人とか暴力団とか派手な物件を扱いたいとか好みがいろいろあってもおかしくはない。 そういう意味で面白くない事件を無視するというのは、プロ意識が強すぎたりちょっと方向が間違っているだけだから、枝葉末節だ。 だが、5000万円の恐喝とかストーカー殺人は、警察官ならば他人の縄張りを奪ってでも担当したいような「おいしい」事件ではないだろうか。 こんなものがむこうから飛び込んできたら、ワクワクしてしまうというのがプロだと思う。

もちろん、職業だけが人生じゃないから別のものがいきがいでもいいのだが、 自分の人生そのに対する誠実さがないから、仕事がおもしろくなく自信がなくてイライラしている人が多い・・・ という日本の深い病根を、明確に照しだしているのは*17才*ではなくて警察なのだ。

2000/5/22

*村上龍*が、ジャズや印象派を例にして、芸術における潮流がある時期が来ると突然終わってしまうのはなぜかという疑問をJMMに書いていた。

  さらに不思議なのは、たとえばバッハにおける対位法など昔の作曲技術が解明されているのに、 バッハを超えるバロック音楽が新しく作られることは絶対にないということです。

言われてみれば、そのとおりで、その表現の可能性をしゃぶりつくしたわけでもないのに、ある時期がくると急激に熱気みたいなものが醒めてしまう。 その後は、同じテーマの繰り返しで徐々に衰退にいたるジャンルは多い。 これはいったいなんなのだろう。

2000/5/24

去年、巨人の上原がベンチから敬遠を指示されて泣いた場面が話題になったが、 いいピッチャーというのはそういうもので、いいバッターと勝負したくてしょうがないのだろう。 さすがに泣いたのは上原が初めてだろうが、敬遠指示であきらかに不満げな顔をしたり無視して勝負してしまう奴はこれまでもいた。 しかし、逆に敬遠したいのに勝負を命ぜられて泣いた者はいない。 逃げの気持ちが先行していては、とてもプロのピッチャーにはなれないということだ。

職人とはそういうもので、仕事に向かってしゃにむに突進したがる。 ピッチャーは勝負したがるし、大工は家をたてたがり、 プログラマはコードを書くのに夢中で、軍隊はやみくもに戦争をしかけようとする。 だからこそ、現場から一歩引いた背広組のシビリアンコントロールというものが必要になる。

これまでの警察の不祥事というのは、こういう意味の現場の突出でありシビリアンコントロールの不足であった。 現場の突進力は危険だし管理しなくてはいけないが、一方、こういう勢いがなければそもそも仕事ができず、組織の目的を達成できない。 やたら敬遠したがるピッチャーは根本に病をかかえているようなもので、どんなに球が速くてもものにならない。 事件から逃げたがる警察もこれまでの管理の枠組みではどうしようもない深い問題をかかえているのではないか。

2000/5/25

運転中、隣の車で少年が4〜5人で何か悪いことをしていたので、窓を空けて注意した。 そして、その少年が捕まったようなので、面会に行くと「テレビを壊したい」と言っていたので、それくらいはいいだろうと考えている・・・

・・・というのは夢です。 本当に少年を注意する勇気なんかありません。 しかし、あれこれ書いているうちに、とうとう少年犯罪を止める夢を見てしまった。 なんでそこまで真剣に考えなきゃいけないんだろ。

2000/5/26

WEBサイトというのは、よく整理されていてアクセスしやすい方がいいに決まっていると思っていたが、 案外、逆なのかもしれない。

今日、HotWiredの古い記事を探していたら、迷子になってしまった。 あそこは、玄関から直接行ける所はカッコよくて見通しがいいのだが、ちょっと奥へ入るととたんにわけがわからなくなる。 (ちっとは「圏外からのお便り」をみならえよ(^^;) で、探しているものがなかなか見つからなくてうろうろしていたら、 こんなすごい言葉を見つけてしまった。

だから、極端にいうと、原理的には一番大事なものがタダになる。 その段階に、資本主義が入ってきた、ということでしょう。 でも、日本には、一番大事なものっていうのは、ないんですよ。 次に大事なものが、お金なんですよ。そういう国です。 だから、日本人に一番大事なものって何ですかって聞いても、わからない、って応えるでしょう。 じゃ、一番欲しいものは何ですかって聞くと、お金、って答える。

立読みのような偶然性と必然のハザマにあるこういう出会いがネットの醍醐味か。

2000/5/28

バンナ凄い! 今日の相手はあまり有名な奴ではないが、2m10cmの巨漢のわりには体もしまっているし動きも速い。 しかし、バンナの敵ではなく、フックがちょっとかすっただけで、眠るように沈んでいった。 忍者が横から吹矢でも使ったみたいだった。

その前の日本グランプリの一回戦はどれも白熱したいい勝負で、それなりに面白かったが、バンナの一撃を見ると興覚めしてしまう。 誰が日本代表になろうが、決勝トーナメントであの化物に勝てるとは思えない。 間違って武蔵以外か出てきたりしたら、もはや決勝トーナメントは勝ち負けの問題でなく生き死にの問題という気がする。

たぶん、金融のプロから見たら、日本の金融機関なんてこんなもんだろうな。 レベルが上ったとか下がったとか、合併したとかしないとか、武蔵の天下が続くのか否かとか、どこが資金量トップとかなそーゆーことは、なああんにも意味がない。 日本オンリーの枠を取りさってしまったら、世界にはバンナのような化物がうじゃうじゃしてて、生き残れる奴はいないのだ。

K1では負けた奴がぶっ倒れるから実力差は一目瞭然だが、政治経済では素人にはそういう所が見えないから、おかしなことがまかりとおってしまうんだよね。

しかし、ピーターアーツだって負けないと本気でトレーニングしないみたいだから今年は違うだろう。 フィリオやベルナルドだってあのまま終わるとは思えないし、毎年毎年凄い新人が出てくるし、K1ではバンナがいくらすごくてもとても絶対的な優勝候補とは言えない。 ルール(勝ち負け)が明確で参入自由の自由競争だから、これだけ凄いのが次から次へと湧いてくるのだということは忘れてはならない。

2000/5/29

昨日の話を要約すれば「『競争力がなんたら』という新聞記事を見たら、K1の日本人選手を思いだせ」ということだが、 同じパターンでもうひとつネタを書くと「『公共投資』という言葉を見たら、長島巨人を思いだせ」となる

4番打者のかわりに大魔人を2〜3人そろえておけば、どれだけ楽に優勝できるだろうか。 おととしの横浜と戦うチームは、相手が9回で野球をやっているのに、8回しか与えられていないようなもので、 8回を終わって1点でも負けていたら、「ピッチャー佐々木」というコールで試合が終わっていた。 これが3人もいてみなさい。 6回までに点をとらなければ、次の回から大魔人がひとり1イニング投げて試合は終わってしまうのだ。

きっと今年は日本中の飲み屋で、これと似たような話が出ていることだと思うが、 長島に金を渡せば渡した分だけまた4番打者を集めてくるだろう。 リリーフエースにすればいいのか足の速い器用なバッターにすればいいのかわからないが、 4番打者を集めるよりよほど効率のいい金の使い道はいくらでもあるだろうし、素人でもそれは一目瞭然。

でも4番打者の続く打線というのは相手ピッチャーを消耗させることは間違いなく、なんだかんだ言ってもいくらかは意味がある。 それに投資効率が悪くても、とりあえず勝ってるから、これは公共投資と言っても80年代のレベルだろう。 今の日本の政府は、長島巨人の4番より、ずっとずっと明らかな死に金を使い続けている。 やはり、これも見える無駄は騒がれるけど、見えない無駄は誰も気にしないことの一例。

そしてちょっと気のきいた人は、その長島を使い続けるナベツネあたりを酒の肴にするのかもしれないが、 わが公共投資の迷監督のオーナーは誰かと言うと、あたりまえだけど我々自身です。

2000/5/30

バスジャック事件の母親は、入院を拒否されて途方にくれていた時に、ある有名な精神科医に相談して口添えをしてもらってやっと入院させた。 この時、親はその精神科医にちゃんとお礼の手紙を書いて、さらにお礼の品として陶器を送ったそうだ。 この人は、事件が起こる前に非常に危機感を持っていたように思えて、それだけ子供のことをよく見ていたように思える。 そこに何か他の事件と違うものがあると思っていたのだが、この話を聞くと共通にくくれちゃうね。 あの親が事件以前に持っていた危機感はすごいもので嘘ではないと思うけど、そう考えるとそれだけにこの「ゆきとどきかげん」はちょっと異常に見える。

子供は親を揺らしたい。 でも親は絶対に揺れない。 その揺れない親を揺らすためには、どんどん過激なことをやるしかない。 事件が不可解でデタラメになっていくのは、それだけ親を揺らすことが困難になっているからだ。 普通の犯罪じゃ揺れない親もいるし、あれだけやってもまだ揺れない親だっているのかもしれない。

こういうことで、簡単に法則を作るのは危険なのは百も承知で言うけど、 この見方でかなりわかってくるし、結構実効性のある法則ではないだろうか。 つまり、親は揺れてしまえばいいのだ。

2000/5/30

日曜日のテレビで桝添要一が 「たいへんお世話になったかかりつけのお医者さんがいて、 その息子が後をついで開業したけどこちらはバカ息子でとんでもない薮だったとします。 あなたは自分の体が本当に悪い時、義理をたててこの息子にかかりますか?」 と言っていた。 日本が本当に危い時うかつに二世三世議員に投票していいのか、という問題提起だったが全く同感である。 私だって、どんなにいい人でも恩人でも、ちゃんとコードの書けない人には、プログラムの仕事を出せない。

そして、政治の世界ではこの「コードを書く」に相当する絶対必要条件が「リアリストである」ことだと思う。 政治家は、人格が高潔である必要はないし頭が悪くてもかまわない、権力欲などは強い方がいいかもしれないワイロだっていくら取ってもかまわないと思っている。 どんなにひどいゆがんだ性格でも、そのゆがみが現状認識をゆがめなければいい。 とにかく、リアルに現実を認識できることが第一である。 こういう問題でもこういう問題でも禁止に実効性があるのか、つまり本当にストップできるのかどうかをまず考えなくては、事態をよりひどくしてしまう。

そういう観点から言うと、石原慎太郎はかなりましな方だと思っていた。 「第三国人発言」についても、背景などをあまり理解しないまま、何らかのそういうリアルさが特殊な方向に発現したことなのだろうと漠然と思っていた。

だが、ここを読むと、残念ながらどうもそうではないようだ。 「第三国人」というのは、単なる差別語ではなく、敗戦コンプレックスの日本人の怨念がこめられた非常に複雑な背景を持つ言葉である。 そういう微妙な言葉をうっかり使って問題になったと言うより、どうも石原慎太郎の中に、敗戦という事実をリアルに受けとめられていない部分があって、 古傷がうずくように、そういう言葉が飛びだしてくるというのが正解みたいだ。 そして、「日本人」であることを心のささえにしている人間はどうしてもこういう発言に吸いよせられる。 アメリカで教会が選挙を動かすのと同じ構図だが、むこうと違って*宗教*の顔を隠しているだけ、こっちの方がずっとたちが悪い。 宗教がないことの空白をこういうかたちで埋めようとするから、現状認識がおかしくなるのだ。

余談を言えば、こういう父性的な人間に評価が甘くなってしまうのが、たぶん私のコンプレックスなのである。 これにも世代的な背景があるのかもしれない。

2000/5/30

今日は、3つめだ。 もういいかげんにしようと思ったのに、*JMM*め、面白すぎるぞ!

JMMで村上龍が、与党3党の選挙公約を全文示して、コメントを求めた。 「実現の手段がない」「契約の概念がない」という当然の意見もおもしろいが、 「サラリーマンがこんな文章書いたらクビ」「どうせ誰も読まないから、こういう公約を書くのは合理的な行動」とか、ひねった意見も面白い。 でも、一番おもしろいのが「断行・不実行の法則」

歯の浮くような言葉がならんでる中でも、「断行」という言葉が目につく。 この特に「断行」という言葉で強調されていることは、絶対に実行されない公約だという仮説。 並べてみると

なるほどね〜。


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