<<2000年7月 の日記>>

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2000/7/1

しゃべり場で聞いた、今日のひとこと。

自分が自分らしくあるって、ものすごく自然なことで、ものすごく大切なことだと思う。

2000/7/1

長い間ソフト業界で仕事をしてきて、実ははずかしく思っていた。 「技術者」と呼ばれる人種の中で、ソフトの技術者だけはちっとも勉強しないし理論を知らないし理論と現場が乖離しているし、 だからやることがいいかげんで確信が持てない。 それでも全員がそれでやってるから、バグを出してもちっとも反省しないし、真剣に対策することもない。 こんな業界は自分の所だけだと思っていた。

しかし、医療ミスのことが明るみに出てくるにつれ、医者というのも随分非論理的なことを平気でやる人たちだということがわかってきて、 ちょっと安心。 どこでもバグだらけで、しかもバグを隠すし、バグを減らすためのシステム的、科学的なアプローチを嫌う。 なんだ、俺たちと一緒じゃないか。 でも、ちょっと待てよ。 ソフトの外注なら他になければしかたなくダメな所にでも発注するけど、 自分の体が悪い時にも同じ感覚で、一かばちかの勝負に出ないといけないというのは、これはちょっとツラいね。

しかも、O157の誤報騒ぎのニュースを聞くと、バイ菌を自分でハムに混ぜて「このハムが悪い」なんていう保健所もあるとかで、 あらゆる所で、技術者の真剣さとスキルとモラルが低下しているみたいだ。

構造設計が素晴しすぎるビルがあって、力が分散するから鉄骨が少々痛んでも全く問題ない。 しかし、そんなビルでも中の鉄骨が腐りまくればいつかつぶれる。 でも、よほど計算がよくできてて、つぶれる瞬間までは立派に建っている。 今の日本がそんなビルと同じ状態でなければよいのだが・・・。

2000/7/3

日本EC業界お笑いの構図というページには笑ってしまった。 日本人って本当に横並びが好きなんだなあ、ということがよくわかる。

2000/7/6

食中毒事件を起こした雪印の社長は、貧相なくせに随分横柄でなかなか人を不愉快にさせてくれる。 どうみても、こいつ本音では「俺のせいじゃない」と思っている。 じゃあ誰のせいなんだと言うと「誰だか知らんがそういう些事はシモジモの者が適当にやればよい」とか言いそうで、 じゃあお前の仕事はなんなんだと言うと、おそらく財界活動やら社内の派閥抗争やひょっとして政治遊びなど、 一切生産性のないことを休みもなくやっている。 トップがそんなことで仕事は進むのかと思うのだが、だいたいこういう会社では機能別に形骸化した組織がきっちりできていて、 エラい人が技術的なことに口を出したりするとかえって嫌われたりするものだ。

食中毒の原因は、毎日洗うべきバルブをほとんど洗わないで、ベッタリ黄色くなってたというおそるべきものだが、 この会社、バルブも放置するが組織も75年間放置して、バイ菌が繁殖しすぎてしまった。 組織も定期的に消毒しないと腐ってくるもので、ああいう人相の悪い男が権力を持ってしまう。

こういうニュースと並行して、私は1000年もの間きちんと機能し続けた組織の話を読んでいる。 *塩野七生*さんの「海の都の物語」だ。 いきなり「ヴェネチア」などと言われても、そもそもそれが何処にあるのか見当もつかない人間でも、 たいへん面白く読める。

この国は、1000年間ずっと政権交代や革命やクーデターなし(未遂が2件)でやってきたという国で、 歴史オンチの私は知らなかったが、ルネッサンス前後ではヨーロッパ随一の経済大国だったそうだ。 50年前に相当おおがかりな消毒作業をしたのに、あちこち腐りはじめたこの国で、 今、これを読むとまるでSFのようだ。 政権交代がないと言うことは、自力でシステムを改変するだけのヴィヴィッドな感性を保ち続けたと言うことだから。

ただ、原則は簡単である。 原則その1。政府はインフラを作る。 ヴェネチアはアジアとの交易が主産業なので、最も必要なインフラは定期的にエジプトなどと往復する船である。 地中海は天候的には多少楽だが、海賊は出るはトルコは攻めてくるはスペインやフランスは張りあってくるはで、 これがなかなか大変なことだったらしい。 ヴェネチアはどれだけのコスト(人的な損失も含め)を払ってでも、必死でこのインフラを守り続けた。

原則その2。インフラは民間が自由競争で使う。 その定期船に荷物を載せて売買するのは、民間の貿易商人である。 これも徹底しており、同じ時代に他の国では、 政府を仕切る貴族がそのまま商売をしたのに(ということはどこかの国と同じように政治力で高コスト低能率を押しとおす)、 ベネチアでは、中小(というかベンチャー)の業者が主体であったので、 非常に市場の受けがよかった。 それだけ大変な思いをして作ったインフラを気前よく民間に渡すというのがポイントだ。

他にもいろいろ現代に通じる知恵がいっぱいつまっているが、それはそのうち書きます。

2000/7/8

TUGUMIをビデオで見た。 予想に反してものすごくよかった。 邦画嫌いのうちの奥さんも感激して「御法度と同じくらいよかった」などと言っている。 おいおい、もう少しまともなホメ方はないのかよ、と思うがとにかくそれくらい(どれくらいだ!)よかった。

驚いたことは、つぐみもまりあも陽子ちゃんも犬も町も海岸も全てが本で読んだイメージのとおりだったこと。 *吉本ばなな*は、読む者の頭の中に強烈なイメージをこしらえる作家なので、これと一致する画を作るというのはたいへんなことだと思うが、 これが不思議なことに、100%一致していた。 私の想像力が異常に貧弱でほぼ枯渇しているに等しいという可能性もなくはないが、こんなことは初めての体験である。 原作どおりの世界であり、それはしかも美しい映像であり、映画として充分なりたっていた。

見ながらもうひとつあきれたことがあって、 私はこの本を読んですごく感激した記憶はあるのだが、筋がどうしても思いだせない。 このビデオを借りる時に、「あれTUGUMIだ。これ一体どういう話だったっけ」としばらく考えたが、思いだせない。 見始めて、これはかなり原作に忠実に作ってるなと思うのだが、どこまで見ても次に何が起こるのか思いだせない。 とうとう見終って、「おかしいな。たしかあいつは穴に落ちたハズだが?」などと首をひねっているが、それでも思いだせない。 結局、あの時は無意識で吸収していて意識をバイパスしていたんだな、という結論に達した。 だから、はっきりとしたイメージがあるのにストーリーというものが出てこないんだ。 文字を読んでそこまで強烈な体験をできる自分が偉いのか、 そういうメッセージを送ってくるばななのほうが偉いのか? どちらかしらんが、どちらにせよたいしたものだと自分で思っている。

もうひとつ余談を言うと、めったに見ない邦画の中からどうやってそんないい映画を探しあてたかと言うと、これにはちょっとした秘密がある。 プロデューサーが奥山和由だったからこれを選んだ。 と言ってもこの人のことは何も知らないのだが、ちょっと前にワイドショーで松竹を追い出された2代目のバカ社長だとかで話題になっていた人ではないかと思う (違ってたらごめん)。 だいたい日本でトラブルを起す人はいいものを作る。 百発百中というわけにはいかないが、これを基準に選んで行くと4割目前のイチローよりずっといい打率になる。 というか、話は逆でいいものを作る人は日本では受けいれられないのだ。 悲しい選択基準と思えなくもないが、とりあえずこれで打率は稼げるし今日のようにホームランも出るので、 ざまあみろと言って喜んで映画を見ている。

2000/7/9

大変なことに気がついた。 豊川の主婦殺人、バスジャック、岡山のバット殴打事件、と3つの事件を並べてみると、 どれにも模倣の後が見られない。 3つとも死人が出ている事件だからこういう言い方は非常に不謹慎だが、 この3人の少年のオリジナリティは本物だ。

殺人の動機、殺人の対象、殺人の凶器、手法、殺人の前後の行動・・・、 全てに独創性が見られる。 私は音楽を選ぶ時に、独創性を第一の選択基準としている。 私の好きなミュージシャンは、みんな世界で唯一のスタイルとメッセージを持っている。 この選択基準を3人の少年にあてはめると、3人とも「本物」と言わざるを得ない。

お互いに似てないだけでなく、過去の事件と比較しても似ているものが無いと思う。 3人ともフラフラした弱い少年ではないということだ。 人を殺してやろうと考えたことがある人はたくさんいるだろうが、 この3人のように独特の手法で殺す瞬間を想像できる人間はそうはいない。 そこには、一般人の鼻歌と本物のミュージシャンが作った本物の音楽の違いと同じ、大きな隔たりがある。

これみたいに、 全然わけがわからないけど強烈に伝わってくるメッセージというものは、 音楽の世界には結構あふれている。 メッセージに意味は必要ないのだ。 こういうものを鑑賞する時と同じ気持ちで彼らの犯罪を鑑賞すれば、 そこには強烈なオリジナリティとメッセージがあることがわかるだろう。

友を殴り
母を殴り
ボクはリュック一杯のポケモンとともに自転車をこいだ
しうがくりょこうでいった
あの北の地をめざして

2000/7/10

*17才*の少年たちのクッキリとしたメッセージと対照的なのが、 雪印の役員たち。 無責任さにもあきれるが、もうひとつ印象的なことが、 みんな「自分の言葉」を持ってないこと。 なんとなく、語る言葉が空虚だと思いませんか?

何か言えば言うだけ叩かれるのだから、 言葉に詰まるのは当然かもしれないが、 不用意かつ無計画に会社に不利になることをタレ流している様子を見ていると、 言葉を飲みこんでいるようにも見えない。 どの言葉にも戦略もなければ誠意もない。 何ひとつメッセージがない。

いろんな役員がテレビに出てきて、性格や芸風はいろいろあるが、この「言葉の無さ」は共通している。 この現象を一番単純に理解するならば、「言葉」を持ってる奴は偉くなれないということだろう。 これを見ているとなぜか、東条英機を思い出してしまう。 東条英機があれくらい品がなかったということではなく、 「言葉」を持っていなかったということでもなく、 「場」のふんいきに流されてしまうこと。

田原総一朗の本に書いてあったが、 東条が開戦にふみきる前に一般の国民から「なぜ戦争をしない、この臆病者がああ!」というノリの手紙がものすごくいっぱい来たそうだ。 田原は東条の娘さんから、直接そういう話を聞いている。 つまり、あの戦争は偉い人だけじゃなくて国民自身も結構その気になってたんですね。 もちろん情報操作されているのだし、そう思わない人は簡単に口を開けない状態だったのだが、 場の雰囲気が開戦に向いていたのだと思う。 彼は軍部出身だから、アメリカと戦争して勝てないことはよくわかっていたのだが、 こういうプレッシャーに押されて戦争にGOサイン出しちゃったのである。

雪印の役員と東条英機の共通点とは、ここのことだ。 つまり、両者とも「場の雰囲気」を感じとりそこに身を潜める能力に長けていて、それがズバ抜けていたから出世したのだと思う。 これを長年続けていたら、「言葉がない」というのは職業病みたいなもので、当然のことかもしれない。

もっと言うと、両者とも道義的責任はあるとしても、職務権限として責任はないとも言える。 どちらも、「場の雰囲気」を決裁する権限はあっても、それをねじ曲げる権限は与えられていなかったのだ。 「それをねじ曲げる権限」は形式上あるのだが、これを行使しようとすると大抵の人間が失脚するように組織ができているのだから、 これは職務権限としては実質的にないと解釈する方が無理がないと思う。

つまり問題は、この「場の雰囲気」という怪物が日本で暴れまわっていることで、 これが若者たちを押しつぶし、企業を破滅させているのだ。 50年前には、こいつのおかげで随分ひどいめにあったのだが、今回はそうならないという保証はどこにもない。

2000/7/11

今日から、自分のための備忘録とブックマークもかねて、気になったURLを日記の最後につけるようにしました。 とりあえず、今日は在庫一掃なのでたくさんあります。


2000/7/12

ちょっと前に、超整理法のおじさんの悪口を書いたけど、 結構面白いことも書いてます。


2000/7/13

zebedeeのマニュアルの翻訳、配布の了承をお願いするメールを、 作者のNeil Wintonさんに書いたら、ちゃんと返事が来た。 ちょっとうれしかった。(今日は珍しくいかにも日記風だ)


2000/7/17

「銀行にはタンス預金はできない」

私の名言?です。 不良債券をなんとか引っぺがして何割かでも持ち帰ってきたら、 今度は、それをどっかに預けなくちゃいけないんですね。 これはこれで、結構大変かもしれませんよ。


2000/7/18

名言その2。

「愛があれば母性愛なんていらない」

テレビで「最近の母親には母性愛がない」なんてこと言ってるのをよく耳にするが、 そういうことを言う奴にひとこと言いたい。 愛のない母性愛ほどこわいものはないんだよ。 愛がないことが問題なのであって、愛がないことについては私もあなたも同等の関係者なのだ。 母性なんて都合のいい言葉をもちだして、問題を他人事にするな。 どうしても言いたけりゃ「愛がない」と言いなさい。 自分もその問題に直面しなさい。


2000/7/22

これはまだまとまってない漠然とした考えなのだけど、 公立の小中学校に通うというのは、大人が考えるよりすごくハードなことかもしれない。

会社っていうのは、みんなが別々の仕事をしている。 例えば営業ならば、自分がA社の担当ならば隣はB社の担当であり、 それぞれ条件が微妙に違う所で競争している。 自分がA社をしくじって、隣の奴がB社の受注をとったって、 すぐに能力の差とにはならない。 たとえ上司がそう見たって、 心の中では「B社なんてのはライバルのX社が競合してないから楽なもんだよ」 とか思える。 さらに、役職やら年次やら学閥やらいろいろな関係性に囲まれていて、 そのからみ具合はみんな違うのだ。

しかも、会社では差位を出すために評価しているのであって、 上も下も能力や適性で色わけしようと目の色を変えている。 よかれ悪しかれ黙っていても、いろいろな形で「ポジション」というものが与えられるのだ。

学校では、こういう「ポジション」を与えてもらえない。 「ポケモン博士」「サッカー少年」「ガリ勉ひとすじ」というようなキャラクター でも設定して、自分で獲得しなくてはいけない。 教室の中には役職もないし「年次」も学歴もみんな同じだ。 入社直後の新人研修よりずっとのっぺらとした状況が、 何年も続くわけだ。

そして、会社は常に「差位」を見つけて「ポジション」を与えようとしているが、 学校では、平等が第一でこういうものを無くそう無くそうとしている。

人間には「差位」を見つけて自分の「ポジション」を獲得しようとする本能があって、 これを与えられないというのは、実は健康によくないってことはないだろうか。 学校で机を並べて勉強するというのは、もともとすごく辛いことなのだけど、 これまでは、それを補ってあまりある楽しいことがいろいろあったからなんとかなっていた。 そういうクッションのようなものが一枚一枚はがれおちて、 本来あった「均質性の持つプレッシャー」が発掘されてしまった。 そんな仮説を考えている。

よくわからん人は、 自分の職場で、同期入社の奴全員が5年も10年も同じ仕事ばっかりやっている状況を想像してください。 現実にはそんなことは絶対ありえないけど、 営業だったら同じ顧客に同期全員が別々に営業するという状況。 ソフト開発だった、同じ仕様書から同じシステムを同期全員が別々に開発しているという状況。 しかも、その成果の如何にかかわらず、給料もボーナスもずっと同じ。 なんかすごく嫌な感じしませんか? みんなバラバラに配属されて、別の仕事をしているから仲良くできるけど、 そんな変な状況だと同期の連帯感なんて生まれないような気がしませんか?


2000/7/23

今日のサンデープロジェクトである人(名前忘れた)が「系列取引はB2Bの敵」と いう鋭い意見を言っていた。 「B2B市場の日米格差は約2倍だが、日本側の数字には系列取引の数字が含まれている。 本当はこれを除外して考えなくてはいけない」とか、 「本当の規制緩和をするには、民間の規制も撤廃しなくてはいけない。 民間が系列取引を強制している」など。

つまり、フリーハンドで世界中から安い所を選べるのがB2Bの本当の意味だから、 系列やブランド指向に流れる日本のやり方ではB2Bのメリットがない、ということだ。 日本では、受発注や決裁が電子化されればそれでOKと思いがちだが、 選択肢を増やすことがB2Bの真髄なのだ。

確かに日本人には「選択肢」って奴が嫌いな奴が多いんだよなあ。


2000/7/25

今日はちょっとスランプ気味・・・。


2000/7/26

“躾”という言葉には、順化というか、大人の言うことに従うというようなニュ アンスがあります。あれは有害じゃないでしょうか。必要なのはもっとシンプル で、社会的ルールを守ることのコスト&ベネフィットだと思うんですが。

今日のJMMでの*村上龍*の発言だけど、 私は今、「順化」している自分と「コスト」で思考する自分の分裂に苦しんでいるような気がする。


2000/7/28

今日は、ネットの世界ではちょっと名を知られた人に会った。 仕事がらみなので、その相手の名前も会見の内容もここでは書けないが、 ちょっとしたヒントだけ書いておく。

帰ってから、息子に「今日○○さんに会ったぞ」と言ったら、 「え、何、ホント、リアルで?ネットで?」などと生意気な口を聞いたが、 「リアルだよ」と言ったら、「へえ、すげー」と言って、 多少は父のことを尊敬したのであった。

ちなみに、中学生が名前を知っていると言ってもゲーム関係者ではありません。

2000/7/28

「国が金を無駄使いすると雲散霧消して何も残らない。 民間に金を渡すと、ほとんど無駄使いしないし、したらしたでそこには文化が残る」 なんていう話を渡部昇一さんが言っていて、 なるほどと思っていたら、 「番頭に10億円くらい平気で渡すくらいの金持ち」の話だったので、 あまりのスケールの大きさにのけぞった。


2000/7/29

「おまえに金を使わせようとする奴は大統領だって敵と思え」

僕の父は無銭飲食の常習犯だった。 いや、正確に言うと父はひとつの信念をかかえて生きていて、 その信念にできるだけ忠実に生きていたと言うべきかもしれない。 幸いなことに、その信念は間欠的に発動するものだった。 しかし、それは金を払わないでものを食うことを許さないこの社会との妥協の産物ではなく、 彼が、その信念を熟成しより効果的かつ長期的にそれを発動するためのひとつの戦略であったようにも見える。 彼の信念が姿を現わす瞬間はいつも突発的で予測不可能だ。 だが、私はいつでもすぐにそれを認識することができた。 その瞬間、彼はただ静かに、僕に向かって「おい」とだけ言う。 いつもは気の弱い平凡な人間である彼の目が、 その時だけは深く自信をたたえているように見える。 そして、僕はあわててハンバーガーの切れはしをできるだけ多くほおばり、 父とともに静かに立ちあがりそっと店を出る。 核戦争後の、人類が死にたえた世界に冷凍睡眠からただひとり目ざめた女のように、 ウエイトレスが狂乱の叫び声をあげる。 その叫び声が号砲であるかのように、僕たちは駆け出す。 何人もの男たちが追いかけてくる。 フライドポテトの残りを口に突っこみつつ、父は駆けながらも顔だけを僕に向け て言うのだ。

「いいか、金を使うな。金を使えば使うほど人間は汚れていく。 おまえに金を使わせようとする奴は大統領だって敵と思え」

それは異教徒に包囲され全滅を覚悟した部族の最後の夜、 大事な教えを守るためにひとりで落ちのびて行く若者への、 長老からの最後の言葉のようだった。

「おまえに金を使わせようとする奴は大統領だって敵と思え」

しかし、僕はこの言葉に従わず、どちらかと言うと平凡に成長した。 平凡ではあるが、人より若干うまく金を稼ぎ、若干多く金を使う人間になった。 そのことに僕は何の痛みも後悔も感じていない。 父の言葉を忘れてしまったり、ことさら否定して逆らったわけでもない。 むしろ、その反対だ。 父の言葉は、あまりにも純粋な真理であり、 その言葉がこの世で生きる我々にとって何らかの指針となったり、 毎日の生活に制限を与えるようなものではないと、僕には感じられた。 父の言葉はアインシュタインの相対性理論のように純粋だった。

「おまえに金を使わせようとする奴は大統領だって敵と思え」

このコマーシャルがあんまり気にいったので、 ヘタなノベライズを試みてみました。

2000/7/29

しゃべり場第1期終了。 最後に全員がひとことづつ感想を言う中に 「言いたいことを言わないと追いてかれる」 という表現があって、う〜んと唸ったらその次の人が 「これに出たいと言う人はもう一度考え直したほうがいいですよ」 としみじみ言っていた。

「言いたいことを言わないと追いてかれる」場にいることのしんどさ。

ドラマでお話がうまく進みすぎると「ご都合主義」と言われるが、 我々は「ご都合主義」の世界に住んでいるんであって、 ひょっとしたら「ご都合主義」を必要としているのかもしれない。 予定調和の用意されてない所で、しかも15人が対等に「ご都合主義」抜きで話すということは・・・

いや、彼らに敬意を表して「ご都合主義」な結論を言うのはやめておこう。

2000/7/31

最近、ある人から「ホームページは尖ってなければ意味がない」というような主旨の話を聞いた。 個性を殺して公平で幅広い情報を提供しようとするのは無意味だ。 ネットにはたくさんのページがあり、同じテーマを扱っていてもアプローチはさまざま。 そして、ユーザがそういう多種多様の情報ソースから自分で選択する(できる)ことが、 ネットの公平性と言うものを生みだす、という話だった。

確かに、人気のある個人のホームページは独特の感性で運営されているものが多い。 総花的、八方美人的な全てにおいてバランスのいいページなどというものは淘汰されているようだ。 そうすると、ネットはサイトをバラバラにしていく力を内在していることになる。

一方で、一人勝ちの法則というものもある。 例えば、本を買うならアマゾン、mp3するならナップスターみたいに、 ある程度の比較優位が成立すると、 その差以上にシェアが拡大していく傾向だ。 No1に行くにのとNo2行くのと、地理的な違いは全くない。 ブックマーク上でマウスを5mm余計に動かせばどっちだって好きに行ける。 ならば、誰だってわずかでも品揃えが多い所に行くわけだ。 小選挙区制にみたいなもので、50.001%取った者が全てを取る。

根本的に違うふたつの流れが、ネットの中でせめぎあっているということだ。 世界を一色にする力と世界を思いきりカラフルにする力。 相反するふたつの力がぶつかる時、そこには「複雑系」が生まれる。 ネットがこれほどまでにダイナミックなのはそういうわけなのか、と私はひとり納得するのであった。



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