<<2000年8月 の日記>>

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2000/8/2

子どもたちに向かって語る言葉がないということをどれほどの日本人の大人が自覚しているだろうか

「希望の国のエクソダス」には、暴力もSEXも壊れた人間も出てこなかった。 そのかわりに、*村上春樹*風の「見る」男が主人公だった。 状況を変えていくとか、状況にのりこんで行くのではないし、 状況に的確な分析を加えるわけでもないし、 まして次に何が起こるか予測もしない、 ただ「見て」いる男。

カウンセリングが本質的にはただ「聞く」行為であるのと同様に、 この主人公は状況を、そのまま自分のこころにおさめようとしている。 それはつらいことで、頭の悪い人間はスケープゴートをなじることで逃げ、 頭の良い人間は分析することで逃げる。 彼のような誠実さこそが、子どもたちに向きあう時に最も必要なものだと思う。


ネガティブでも、正確な情報だったら、安心できる場合だってあるわけだからね

メディアは確かに真実が見えないようにしている気がするし、 多くの国民にとって真実は見たくないものになっているような気がするのよ

そういう表現は、わかりやすく翻訳するとすべて「うるさい、黙れ」ということになる。 ポンちゃんたちはそういうやりとりにうんざりしている

変化というのは基本的に面倒なものですから、 変化はあり得ない、と錯覚したほうが楽なわけです

一番痛快だったのが、老人に「自分の一生とは何だったのか」という作文を書かせるというプラン。 「まったく楽しそうには見えない」老人たちとは暮らしたくないので、 一定の年齢で全ての老人にこのテストを課し、「ぼくらを感動させなかった」人は・・・というUBASUTEなるプロジェクト。 このUBASUTEプロジェクトの中学生たちが、日本で一番老人問題を真剣に考えているそうだが、 その真剣に考えるという中には、当然のようにしっかりとした経済的な分析がある。 介護保険も地方財政も崩壊していることが具体的なデータとしっかりとした分析により語られるのだ。

作家には予言する力はないが「ズレ」を感じる力があると*村上龍*は言っていた。 東海大地震を予知することはできないが、そこの断層が歪んでいることは観測できるのと同じことだろうか。 だから、私はUBASUTE試験の受験勉強を今から始めようと思っている。


彼らは、コミュニケーションが自明ではなく、 わかり合えるよりわかり合えないことのほうがはるかに多いということを知っているんですね

私は「真剣」と言うとどうしても、 何パーセントかは巨人の星のような真剣さを思いうかべてしまうが、 エクソダスの中学生たちは、全く違う方向に真剣だ。 そして、しゃべり場の最終回で、 激怒して途中退場した談志をむかえに行った子どもたちの真剣さも似ている。 彼らもわかり合えないことが多いことを知っていて、話を聞こうとしていた。 つまり、この物語は本質的には既に起こっているのであり私はそれを目撃したのである。


2000/8/9

スランプじゃ。 日記も書けんし仕事もすすまん。


2000/8/11

将棋というゲームはとても不思議な終わり方をする。 投了と言って負けた方が終わりを宣言するのだ。 たいていの場合、勝ってる方には決定権がない。 「もうこのへんでいいだろう」と思っても、相手がウンと言うまでは指し続けなくてはならない。 どこで終わるかに関して、ルール上の制約や審判(立合人)の介在する余地もない。 明確なルールがないだけでなく、慣習的にも標準は存在しない。 棋士の裁量にまかされており、 実際、みんな自分の美意識と将棋観に従って、さまざまな終わり方をする。

プロレスにもギブアップはあるが、それで決着するのは割とレアケースだし、 失神KOとか反則負けとかタオル投入とか、ギブアップしなくてすむ逃げ道がいろいろ用意されている。 将棋にはそんな甘さはなく、負ける場合はほとんど必ず「マイッタ」を自分で宣言しなくてはいけない。

また、このように崩壊した仕事を世間に晒すことを日常的にしなくてはいけない商売も珍しい。 建築家は書き損じた図面は破り捨てるし、小説家は失敗作を発表することはないし、八百屋は腐ったリンゴを売らない。 経営者はたまに会社を倒産させるが、たいてい一度か二度で次がなくなる。 バグのあるソフト日常的にリリースする会社はあるが、あそこのソフトがいかにひどいと言っても一応は動く。 しかし、将棋指しはいくら強くても3回に1回は負けた勝負を新聞に載せなくてはいけないのだ。

別に教訓も結論もない。 40過ぎると、こういうふうに「負け方」についていろいろ考えるようになるというだけの話。

2000/8/18

何故か上下反対にして「ランディ田口」と呼ぶ人をたまに目にするようになったんだけど、 「ランディ田口」ってやめてほしいなあ。 なんか、プロレスラーみたいなんだよね。 それも、中堅の実力派。

それでランディ田口じゃなくて*田口ランディ*の長編「コンセント」読みましたよ。 もう、これ凄いね。 俺、マジ、ブッとんだ。 どのくらいブッとんだかと言うとだね。 まず、みなさんウスウス気がついてるだろうが、この日記の文体、全然変わっちゃった。 何しろ、「俺」だもんね。俺もビックリしてんの。 何で「コンセント」読むと「俺」になるのか、全く俺にもわからないけど、とにかくそーゆーことで、 とてつもなくショックを受けたみたい。

この本の内容はもちろん、自分が受けたショックの内容でさえも、とても俺には書けない。 「たいへんすばらしいごほんでとてもことばではいえません」では凡庸だけど、 ぶっとんで文体変わりました、って、結構、効果的でしょ。 で、もちろんこの技は何度も使えるもんじゃないが、俺、じぇーんじぇーん後悔してないよ。 それくらい凄い本だもん。

それで、この本のオビ(と新聞広告)に*村上龍が「ここ10年で読んだ小説の中で一番面白かった」と書いているんだが、 「ここ10年」って言ったら、「ねじまき鳥クロニクル」がそのスパンの中に入るだよね。 つまり「コンセント」は「クロニクル」よりいいと暗に言ってるわけで、 どーも、龍さんが春樹さんに喧嘩売ってるような気がする。 ひじょーにフオンです。 俺どっちも好きだから、右往左往しちゃうよ。 なんとかならんもんかねえ。

それでこうゆー時は、河合先生にご登場願うことになってて、 河合VS龍、河合VS春樹の対談を読みかえしてみる。 まずVS龍の方だが、これ読むと村上龍の頭の良さが非常によくわかる。 頭の良さだけじゃ小説書けないし、実際、村上龍は小説書く時は頭使わないけど、 とにかくこの人、頭がいいんだねえ。 アタマいいことを普段は隠しているが、*河合隼雄*の前では嘘つけません。 頭の良さがマルミエ。

うん、わかった河合先生、村上龍ってのはそーゆーもんか。じゃ、今度は春樹の方もたのむね。 って、VS春樹の方をよく読んで、さあ春樹の方も招待バラしておくれ、先生、などと読んでいくのだが、 VS春樹の対談では先生の方がベラベラしゃべっちゃって、 それじゃ、春樹の正体はよくわからん、どーすんのよ先生。

あっ、そーか。 あんた、対談の相手をしゃべらすのめちゃ得意だけど、春樹さんの前じゃその技、通じないのね。 逆に自分がしゃべらされてんのか。 ふーん。そーか。*村上春樹*って河合隼雄をしゃべらせちゃう男なんだね。

で、結論でました。 龍は切れる、春樹は深い、どっちも捨てがたい。 でも、「コンセント」も捨てがたい。

2000/8/19

まず「朝倉ユキ」という主人公の名前が変。 妙に通俗的な割にはリアリティーがない。 美しくないセンスがない名前。 サブキャラの書きこみが甘くどいつもこいつも存在感がない。 前半で場面の転換が唐突で不器用な所がたくさんある。 だから、後半のトリップの衝撃が霞んでしまう。 伏線がネタバレしてる。 説明的なセリフがたくさんある。

「コンセント」って悪口を言いたきゃいくらでも言える小説なんだよな。 もちろんほんとは誉めたいんだけど、俺には力不足で誉められませ〜ん。

で、かわりに自分を誉める。 *田口ランディ*がおバカな芸能ネタのエッセイしか書いてない時に、 俺は「ネットがあって一番良かったことは田口ランディを見つけたことです」と明言しました。 俺って天才じゃないかと思う。

2000/8/21

大手の塾関係者が、ひょっとしたら後3、4年で、受験や偏差値 を中心としたヒエラルキーというものがなくなるかもしれないと言うわけです。 つまり受験体制の崩壊を予測しているんです。
(中略)
筑紫さんは、先程、まだ学歴重視の人が多いと仰いましたが、塾関係者が言っ ているわけですからね。彼らは利益がかかっているわけで、その分析は注目す べきだと思いますよ。
(NEWS23の筑紫哲也との対談での村上龍の発言、JMMより引用)

あの人が本当に頭がいいと思うのは、こういう所。 人の頭使ってモノ考えちゃうのよ。 そりゃ、塾やってる人は商売だから必死だよね。 文部省より教育評論家より先生より作家より評論家より、 ず〜と必死になって、その問題に取り組むでしょう。 連中に命がけで考えさしといて、答が出たら結果だけもらっちゃうんだよね。


2000/8/23

ロシアの原潜の事故は、衝突ではなく新型ミサイルの暴発だという説があるWEBサイトに掲載されたそうだ。 ちょっと前まで、テレビでこういう話がでると必ず「インターネットって凄いですねえ」とか 「インターネットには何でもあるんですねえ」とか逆に「インターネットだからあてになりません」 というコメントがついたものだが、 今回は、ネットがどうのこうのという話は一切なく、単にその新説を紹介しているだけだった。 ネットが本格的に生活レベルで普及したということか。

2000/8/28

アメリカのレストランでもう一つ印象に残るのは、料理の出し方に必ず複数 の選択肢があることだ。アメリカにも「定食」のようなものはあるが、付け合 せがフライドポテトかコールスローか、肉の焼き方や味付けの辛さ、サラダの ドレッシングをどうするか、ホットドッグの間にどの野菜をはさむかなど、か なり細かく尋ねられる。ソースをどれにするか尋ねられても、どのソースがど んな味か全く知らないので答えられないが、それでもどれかに決めなければ進 まない。アメリカには「おまかせコース」がない。

これはMSNジャーナルの田中宇さんのエッセイだが、 田中さんの観察によるとこういうさまざまな選択肢に対して、結果もバラつくのかと思うとそうでもないそうだ。 つまり、結果的には多くのアメリカ人が同じものを頼んでいる。 しかし、たとえ結果として大半の人が「おまかせコース」を選ぶことが見えてても、 それをメニューに書かないのがアメリカの文化だ。

このように偏執狂的に「自分の選択」を重視する国で、 windowsのように「おまかせコース」の弊害がいろいろなレベルに表れているOSが天下を取ってしまったのは何故?


2000/8/31

MOTHER3は開発中止でドラクエ7は出るには出たけどバグだらけ。 スーファミ時代の個人が仕切るやり方は、本格的に終焉を向かえた。 集団指導体制に移行したFFは順調と言えば順調だが、顔の見えないソフトになってきている。

しかし、ハリウッド映画はFFよりも多くの金と人がかかるのに、監督個人の作品になっている。 何故かと言うと、スタッフがきちんとスタッフの仕事をしてるからだろう。 例えば、邦画では画面が暗くかったりセリフが聞きとりにくいものがよくある。 洋画では芸術でもドタバタでもセリフが聞こえないものはない。 違いは、音声さんがちゃんと音声さんの仕事をしていること。 たぶん、邦画ではカメラマンの仕事もできないカメラマンが、監督のつもりでカメラを回すからだろう。 余分なプライドはあるが、職人としての誇りがない。

ゲーム屋さんは、映画産業を反面教師にして、「みんな」でモノを作る体制を早くつぶさないとね。 監督は監督の仕事があって監督としての責任を負う。 職人は職人としての仕事があって職人としての責任を負う。 「みんな」は家電や自動車は作れるが、ゲームや映画やWEBサイトは作れない。



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