<<2000年9月 の日記>>

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2000/9/4

「私は食事が食べる(A)」は間違い。 「私は食事を召しあがる(B)」も間違い。 では「先生、メシを食いますか(C)」はどうだろう?

(C)は「私」と「先生」の関係によっては成り立つ表現だ。 「先生」が初めて会った本当に偉い「先生」だったらこれはかなりまずいけど、 その人が恩師で非常に親しくしていて長いつきあいだったりしたら、 こういう言い方も自然だ。 つまり、日本語では自分と相手の関係を規定しないと、 正確さを判定できない表現が多い。 では、(B)は敬語にかかわる間違いなのに、なぜ文脈なしで×がつけられるのか?

それは主語が「私」だから。 「私」は常に謙譲語で受ける。どういう人間関係の中にあろうがとりあえずオトシめておけば問題ない。 そして、このような対人関係に関するルールは、 (A)のような文法的な間違いと同じレベルで日本語という言語そのものに深く刻みこまれている。

このあたりをネットでどう扱うべきかが、非常に難しい。 特に、メーリングリストのような不特定多数との対話をどうしたらいいのか、まだまだ合意が取れてないと思う。 メーリングリストで他人にものを尋ねるのに、どれくらいケンジョーしてどれくらい回りくどい表現を使うべきか。 メーリングリストのようなメディアは、本来コミュニケーションのスピードを飛躍的にスピードアップできるメディアのはずだが、 日本語を使う限り、この問題がつきまとう。 「俺は*linux*でワープロしたいけど何がいい」なんて、偉そうに書かれているのを見るとどうしてもムっとしてしまう。 かと言って「初心者ですが、もし御存知の方がいらっしゃったら教えていただけるとありがたいのですが」みたいな情報のない前置きもクドい。

2ちゃんねるという掲示板で起きていることは、 このような観点から見ると非常に注目すべきことだと思う。 あそこでは、罵倒、揶揄、茶化し、煽り、など一般社会で不道徳とされている行為があたりまえになっている。 そういうのに腹をたててると「ここはそういう所なんだから、それが嫌ならやめた方がいい」と言われる。 日本人にとって最も基本的な対人関係に対する配慮をいったんゼロクリアした所から、対話が始まっている。

その結果何が起きてるかと言うと、非常にスピードのある日本語が産まれつつあるのだ。 つまり、ネットのスピードに見合った、前置きなしのスピーディなやりとりが可能になっている。 確かに、大半の書きこみは不快感をもよおす意味のないものだ。 「便所の落書き」という有名な表現が最もよくあてはまる所である。 しかし中には非常に鋭い意見や深い学識を感じさせる書きこみが、ごく少数だが存在する。 そういう者同士が議論を戦わせている場合には、非常に密なやりとりが行われている。 もし、その両者が他の場所で出会っていたら短時間であそこまで深い議論はできないだろうと、感じさせる独特のスピード感がある。

つまり、あそこでは全く新しい日本語が産まれているのだ。 そしてその言語で伝えられる情報量は英語より密だ。 英語よりバイト数あたりで伝えられている情報の総量が大きいのだ。 しかも、英語はスピードが高速に固定されているのに対し、 「2ちゃんねる語」はスピードが可変だ。 必要に応じて「日本語」のレベルまでスピードを落として、まったりすることもできる。 論理だけを屹立させたシンプルな表現もできるし、 微妙な情緒をこめた言い方もできるし、 ひとつの文の中にそれを両立することさえ可能だ。 コミュニケーションのためのツールとしては、英語より完成されているのかもしれない。

「日本がITで世界を先導する」ことを本気で夢見るならば、 政府は今すぐ2ちゃんねるに投資しろ! もちろん匿名性をより強化して、あの地獄の釜をもっともっと熱くするんだ。


2000/9/8

たぶん、三菱の社内では「だから言わんこっちゃない。俺はこういうことは駄目だとずっと思ってたんだ」なんて言ってる奴がうようよしてることだろう。 しかし、日本の会社はトップが独断専行でモノを決められない体質だから、 下が嫌がってるのに無理に上がやらせたなんてことは絶対にありえない。 会社全体が一丸となってやっていたに決まってる。

それで、これと同じことがもっと大規模にドラスティックに起きたのが、終戦の時だろう。 軍部が情報操作してたとか、しかたなくやってたというのは真赤な嘘で、 庶民が率先して戦争したがっていたのだ。

(南京陥落のお祝いで)40万人の大提灯行列ですものね。(中略) 僕の記憶でも軍需産業に絡んでいた人の目茶苦茶な好景気ぶりというのがあって、 やっり国民は沸き立っていましたね。 これは丸山真男さんの本に出てくるんですけど、 在郷軍人会とか、消防団とか、坊さん、神主さん、校長先生など、ぼくらの町の人々が、 それ行けって燃えてるんですね。 おそらく軍部よりも燃えてたんじゃないでしょうか。 (講談社文庫「日本史7つの謎」の井上ひさしの発言より)

これで戦争が終わったら、知らん顔して軍部や天皇のせいにしちゃったわけね。 こう欺瞞が根っこにあると、後ろ暗さから人間は極端にヒステリックになる。 空想的平和主義も社会党も朝日新聞も、こういうメカニズムで産まれてきたわけだ。

で、戦争のことだと遠い昔の関係ないことみたいに感じるけど、 バブルの崩壊も一種の敗戦であって価値観が極端に転換している。 30年間当然のようにやってきたことを否定されているのは、三菱だけではないはずだ。 転換しなくちゃ生きていけんが、否定されているのは会社だけでなく会社の一部であった俺自身なんだ。 この痛みを忘れちゃいけんのよね。


2000/9/13

ほんとは、「自分の頭で考えた人」同士が話しあうことを「会議」って言うんだよな。(田口ランディ)

有珠山の噴火を予知した岡田という先生が、 万物創世記に出てしゃべっていたが、 噴火の予知を空振りしたら、そりゃあとんでもない金額がぶっとぶわけで、 ひょっとしてあれはバカだからできたことなんじゃないかと疑っていたが、 風貌に似合わず(失礼!)とても明解でわかりやすい話だった。 きちんとリスクを取れる人は頭の中がクリアだという証拠がまたひとつ。


2000/9/14

うちの奥さんは、およそ政治経済やビジネスには興味のない人で、 俺が居間でサンデープロジェクトを見てると、勝手に「いいとも増刊号」にしちゃう人なんだが、 何故か、日本の財政が壊滅的であることだけはよく理解していて、 口ぐせのように「私たちん時は、年金なんて食いつくされてなくなってんだよね」 などと言う。

「なんでそこだけ妙に詳しいんだ?」と聞いてみたら、 「今は総理大臣の名前も知らない茶髪の若者だってそんなことはわかってる」そうだ。 俺にはそういう自分が首相の名前を言えるかどうかが疑問なのだが、それはともかく、 老人どもにいろんなものを搾取されつつあるのは間違いないらしい。

だから、財政破綻に備えて、搾取され得ないものに投資しておこうと思う。 今の老人の強欲さは凄いもので、外貨預金だろうが投資信託だろうがたいていのものはなくなってしまうそうで、 結局、残るのは自分の「頭」と「こころ」に対する投資。

規制を変えないと将来日本が空洞化するという点について言えば、実は、日本 が規制を変えないのならば、日本人にとっての資本市場が日本の外側に出来て しまうという怖さが市場の本質だと思います。インターネットが出てきてから、 グローバルなコミュニケーションの質が決定的に変化しました。日米のある種 の部分でのリアルタイム性が強くなってきているということです。
こういった状況下で、日本の市場や制度や組織が変わらないのならば、日本人 が日本のシステムの外に出て行ってしまうだけなのです。現実に出て行くこと は可能ですし、実際に多くの人々がシステムの外側に脱出しています。 日本という国境の中にも、日本システムの外側が生まれているということが物 事をより錯綜させてしまうように思います。 (JMM 2000/9/13号における吉田敦男氏の発言より)

まあ、外国へ逃げるのも当然ひとつの手段ではあるが、 俺は内側へ、いわば「内国」へ逃げるという手段も合わせて検討している。


2000/9/16

熱狂的阪神ファンのような*宗教*性ということを考えている。

おそらく昔は「エライ人」というのは、そんなにたくさんいなかった。 例えば、字に書いてあることなら寺子屋の先生に聞いて、 書いてないことなら和尚さんに聞く。 そして、こういう日常レベルのシステムから外れた話として、 行商人のような「異界」からやってくる人のみやげ話を聞く。

これくらいで知的なニーズはほとんどまにあってしまう。 和尚が酋長だったり牧師だったりまじない師だったりする違いがあっても本質的にはこんな構図が何千年も続いてきたわけだ。 人間というものは、こういうシンプルな体系に適応しているんだろう。

だから、今のように「エライ人」が一意に決められない世界というのは、実は我々にとってすごく居心地が悪いはずで、 価値観を単純化しようとするニーズはふんだんにある。 わかりやすいのがオウムのようなカルト、 オタクや阪神ファンのように一種閉ざされた特殊な空間に住もうとする人も こういう視点で理解するとわかりやすい。 そして、何より「科学」というのは、こういう意味で価値観を単純化する役目を背負っていたはずで、 大槻教授などには、そういう古代の名残りのようなものが見える。

この居心地悪さをなんとかしようとすると、 バラバラの価値観をかき集めてきて、それをひとつのシステムにおさめようとすることしかできない。 結局、これは集めてきた価値観を順番に並べる人が一番エライ人になるだけで、 人間の本性にはうまく適合するが、混乱をおさめるだけの力はない。

しかし、阪神ファンは日常全てが阪神を中心に活動しているのに、 この価値観や世界観が世界全体を飲みこまないことをはっきりと認識している。 熱狂的阪神ファンと熱狂的麻原ファンの違いはそこだ。 どちらも日常の大半をシンプルでわかりやすい価値観の中で暮らす、だから毎日楽にすごせるわけだが、 その価値観の絶対性を求めるか求めないかが違っている。

宗教にとって大事なことはこころのおさまりをつけること、一元的な価値観は方便のはずだ。 阪神ファンのような多層的な価値観を持つ宗教が今必要とされているのだ。 同時に、道頓堀に飛びこむ阪神ファンを見るような、 軽蔑がまざりつつもはっきりとした容認のスタンスで宗教を見ることができる社会も必要とされている。

2000/9/17

特許ってのは、発明する人の利益を守るシステムかと思ったら、これがちょっと違うみたいだね。 発明するにはモトデが要る。 例えば、電球を発明しようとしたら電池がいる。 電池がない時代に電池を使っていろんな実験をするんだから、それは金がかかる。 もし、苦労して金かけてやっと発明した電球を後追いでマネされたら、 誰も発明なんかしようとは思わなくなる。 そうすると、技術が停滞して困るのは俺たちだ。 そうならないように、発明者に金が入るようにして、社会の進歩を促すのが特許だ。

で、特許がなかったら、なんで発明しないのかをもう一歩深く分析すると、 電球なんかは、発明にチャレンジすることはリスクがあるが、 できた発明を事業化することにはリスクがない。 電球はガス灯やろうそくより明るいし、火事の心配もない。 発電所や電線などの設備投資は必要だがトータルコストも安い。 これを作れば大ヒットすることは誰だってわかる。

*ビジネスモデル*特許がなぜおかしいかと言うと、このリスクやコストの構造が逆なんだよね。 つまり、ビジネスモデルを発明するには金(設備)はいらん。 パソコンひとつあればいいし、ヘタしたらなくたってできる。 一方、これを事業化することにはリスクがある。 ITはいろんな事業を根本から構造転換するから、何がおこるかわからないからだ。 例えば、コンビニがらみのオンラインショッピングで画期的なビジネスモデルを思いついて他のコンビニをけちらすことができたとしても、 携帯やネットをうまく使ってそれよりずっと便利なお買物のしかたが生まれないとは限らない。

それで、何が起こるかと言うと、サブマリン特許というやつだ。 特許を取っても自分で事業化しないで、そのアイディアをひっそり眠らせておく。 どこかのバカが似たようなことをするのを虎視眈々と待っているのだ。 そして、苦労してやっと事業を軌道にのせて株式公開もして資金を集めた頃をみはからって、 「あー、おたくの事業が我が社の特許を侵害している。ついてはライセンス契約についてご相談・・・」 などと言って、金をまきあげる。

そーゆー連中はとことん性根が腐っとるとしか言えんが、純経済的に考えるとこれは合理的な行動なんだよね。 つまり、ビジネスモデルのアイディアを考え出すことには金がかからない。 たくさん発明して眠らしておくことは全然問題ない。 自分で事業化すると失敗の可能性が大きいから、むしろそうしておいた方がいい。 そうやってアイディアを100個くらい眠らせておいて、1つでも当たるのを待っている方が楽なんだ。 そして、当たった所に寄生して儲けるのが一番いいわけだ。

そして、事業を起こすというのは割に合わなくなる。 起業をするというのは、アイディアの問題じゃなくてそのアイディアをどうやって客にわからせるか、 そっちの方が大変なんだ。 世の中にないものを売り出すことは、とても難しいし金もかかるしエネルギーを使う。 それを乗り切ると今度はサブマリン野郎と裁判するはめになる。 よほど崇高な奉仕精神がなけりゃ誰もそんなしんどいことしないよ。

だから、特許はビジネスモデルについては発明の活性化どころかそれを抑制する方向に作用している。 こんなものは時代遅れなのは明白だ。 俺は思うのだが、ビジネスモデルにも*オープンソース*があったっていいと思う。 つまり、使用(=事業化)は自由だけど、著作権だけは放棄しないというGPLライクな方法で発明を公開する。 そして、これを改変して事業化するのも自由だが、その場合にはモトネタをはっきりすること。 こうすると、問題になりつつあるパクリショップの問題も解決しちゃうんだ。 つまり、「パクリをしてもいいけどトップページから俺んとこへリンクしてちょ」というライセンスで公開するわけだ。 もし、パクリがヒットしてアクセスが増えれば、自動的に発明者のサイトのアクセスが増える。 経済的な補償にもなるし、発明者の名誉も守れる。 それくらいのハンデをつけて、細かいサービスで競争して切磋琢磨してくれれば、ユーザも嬉しい。

2000/9/18

「僕はウナギだ」と言っても、ウナギが口をきいているわけでもなく、 自分がウナギであるという妄想にとらわれているわけでもない。 「僕は天丼にするが君は何にする?」「僕はウナギだ」 こう書けば、人間には正確にこの文の意味を知ることができる。

シャンクと言う人は、これを理解できるAIを作ろうとしていた。 そうすると、文法(「僕」が主語で「ウナギだ」が述語)を理解するだけでは駄目だということがわかった。 つまり、人間は言葉を理解する時に自分の内部に蓄えられたデータベースを参照しているということを発見したのだ。 そして、シャンクはとりあえずレストランで注文できるだけのデータベースを作った。

英語には「僕はウナギだ」みたいな変な表現はないが、それでもこれは思ったより大変な作業だったそうだ。 この研究のことは10年以上前に読んだのだが、その後、これがどうなったかは知らない。 こういうデータベースをたくさん作って蓄積していけば、「一般常識のあるAI」ができるはずだったのだが・・・。

それで、俺は思うのだが、何とかしてこういう文脈データベースの容量を定量的に論じることはできないだろうか? 日常会話の背後にはとんでもない量の「文脈」があって、 この文を理解するためには最低何ギガバイトのデータベースが必要だ、なんてことをつきつめていけば、 日常会話が不可能であることが証明できるのではないか。 つまり、ニューロンの容量と処理速度では追いつかない膨大な情報が会話の背後にあると俺はにらんでいる。

何が言いたいかと言うと、日常会話は言葉(音声)のチャンネルと同時にテレパシーのチャンネルで情報がやりとりされている。 音声チャンネルの回線速度だけでは会話がなりたたない。 別のチャンネルを想定しないと会話というものは不可能だ。 こんな理論構成で、テレパシーの存在を間接的に証明できないかということ。


2000/9/20

俺が自分のことを「おじさん」であるかもと心の中で秘かに認めるようになったのは、そんなに昔のことではない。 何度挑戦してもMAXの個体識別に失敗し続けた時だ。 MAXがMAXであることはわかるのだが、メンバーの名前がひとつも覚えられない。 とは言っても、もともとメンバーの名前をちゃんと覚えているのは亜美と由美の二人組くらいのもので、 それくらいで自分が「おじさん」であることを認めるほど俺はヤワな奴じゃないのだが、 名前じゃなくて顔が覚えらんないんだよね。

そこへいくとモーニング娘。はありがたい。 つんくのあの多様性への異常なこだわりは評価できる。 今回のオリンピックのテーマ曲は、今までより訓練された踊りを見せているように思うが、 その訓練された動きが全て多様性の強調であることがすごいと思う。 とにかくいろんな顔が次から次へとめまぐるしくいれかわる。 あれだと「おじさん」の俺にも、個体識別ができるんだ。


2000/9/21

なぜかゴーマニズム宣言を8冊ほどもらって熟読しまったので、よしりん論をやろうと思う。

この人の一番の武器は、自分をよく知っていること。 自分と麻原を比較した章があって「似てるけど全然違う」と言ってるみたいだが、 「似てる」という部分をよく見ると、この人はいかに自分をほじくりかえしているかがわかる。 凡人がこれをやると「似てる」という部分がおまけで「違う」という所にこだわってしまうが、 よしりんが「違う」というのは一種のギャグと言うかサービス精神。

で、ここまで自分を掘り下げてあると論争はちっとも恐くないんだと思う。 論敵の悪意に満ちた似顔絵をよく書くが、 問題はその念のこもった絵で相手が何を言っているかである。 その絵の中で論敵に言わせる一言が相手の本質を貫いている。 あれをやられた相手はこたえると思う。

ゴーマニズム宣言はエンターテイメントとしても芸術としても政治評論、社会評論としても一流だ。 いろんなものを限られたスペースの中に非常にうまく要約してあり、 自分の独断や狂気もある種の武器としてうまく使っている。 要するにこの人は全然ゴーマンじゃないのだ。

ただ気になるのは、その洞察力みたいなものが自分の読者に向いた時にちゃんと機能しているかどうか。 最近のゴー宣は意識して若者を引っぱろうとしているように思えるが、 この独断や狂気にまとわりついてくる若者は、 彼が言うように本当に常識あるたくましい若者なのか。 自分の頭でちゃんとモノを考えて小林を評価しているのか。

よしりんは知識人には騙されないで、非常に正確にその欺瞞を見ぬき、きっちりやっつけてくれる。 よく読まないとわからないが、それを自分に対して同じようにやってるから偉いのだが、 読者に対してそれをやってないのは、ちょっとまずいんでないかい。 ああいう路線で行くなら、筒井康隆のように自分の読者でさえもちゃんと憎悪し軽蔑し罵倒しなければね。

2000/9/22

*ユーミン*が旦那のやってるテレビに出てきて、 旦那が共演の今田の悪口を家で言ってることを暴露した。 場内爆笑。 今田は「死活問題じゃないですかあ」旦那の松任谷は「せっかく和気合い合いとやってんだから」。 どちらも笑いながらも顔がひきつっている。 司会の藤原紀香はあきれてサジをなげて・・・

で、その悪口と言うのが「今田さんのことをいつも『あいつは暗くておもしろいやつだ』って・・・」なんだが、 これ実は悪口じゃないんだよね。 ひとりユーミン本人だけはキョトンとしていたが、俺もなんでこれが悪口なのかわからんかった。 暗いのがいいのか悪いのかじゃなくて、言葉のニュアンスなんだな。 ユーミンが言ってたのは、松任谷は今田が結構気気にいってるみたい、ということなのに、 松任谷本人も含めて「暗い」という言葉で反応しちゃったみたい。

でも、ユーミンのキョトンとしている顔はなかなかチャーミングであった。 俺はいじきたなくもこういう所にわざわざとりあげて書いてしまう。 こんな所に育ちの違いが出てるなあ。

ところで、ユーミンは27年前の曲と12年前の曲と新曲を歌ったが、 どうみても「やさしさに包まれたなら」が一番よかった。 進歩がないとも言えるが、27年前の曲を27年前よりうまく歌えるってすごいことだと思う。 要するにこの人*17才*で完全体となって、その後は全く変化してないのかもね。

なんだかんだ言って、無邪気に光輝く魂を見て、ちょっとハッピーな気分。


2000/9/25

読売の日曜日の朝刊はなぜか負けたサッカーが一面だ。 なんだこれは?と思って見てみたら、あきれたことに中田の悪口だった。 「中田はPKをはずして笑ってる」とか書いている。

スポーツ面を見ると柱谷の解説が出ているが、 その出だしは「PKで負けるのは誰のせいでもない」。 当然ながら、そこに至る過程を分析していてPKについてはそのひとことだ。 なんで負けたサッカーを一面にのせる? なんで柱谷の解説を一面にのせない? 中田を責めるなら、なんで本質的な所に行かないでPKを問題にするか? どうみても一般大衆を煽動してアンチ中田ムードを醸成してるようにしか見えん。 実に品性のないことだ。

マラソンの高橋尚子は実力は世界レベルなのに、実に謙虚だ。 「みなさんの声援に押されてゴールできました」 「監督とコーチとスタッフのおかげです」 「楽しい42kmでした」 常にこういう優等生的なことを言う。 しかし、俺はよおく話を聞いてたからわかったが、 彼女と中田には非常に大きな共通点がある。 それは言葉に嘘がないことだ。

高橋の言葉は、マスコミや多くの日本人の期待に沿うものだろうが、 彼女は「期待に沿うような」言葉を口にしているわけではない。 正直な言葉を言っているだけだ。 正直に「みなさんのおかげ」「監督やスタッフのおかげ」と言える所に彼女の天賦の才があるのだ。

その問題の一面のコラムには、トルシエの中田をかばう言葉が言いわけのように添えられてて、 それがまた見苦しい。 表面的には両論併記だが、 よおく読むと「トルシエはスターの中田をえこひいきしたから負けた」と読める。 トルシエが嫌いなら「トルシエが嫌いだ」と言えよ。 中田が生意気だと思うなら「中田が生意気だ」と言えばいいだろう。

こんなに正直な言葉を失なったマスコミには、中田のことももちろんだが、高橋のこともあれこれ言ってほしくないね。 そして、世界に通じる二人が揃ってストレートな言葉を持っていることをもっと真剣に考えるべきだ。

2000/9/26

IT受講券って名案だと思うけどなあ。 なんでこんなに評判悪いんだろう。 俺がこんな所で言ってもしょうがないけど、一応、堺屋さんの言い分を書いておきます。

まず、IT受講券は構造改革の勢いをつけようという戦略だ。 そんな余計なことする前に電話代下げろ、と言う奴は多い。 確かに正論だけど、その正論が通らないからこうなってる。 問題は、電話代を下げることがどれだけおいしいことなのか知らない人が多すぎること。 つまり、ネットの面白さをちょっとでも知ったら、回線代がいかにクリティカルな問題か理解できる人が増える。 そういう人をどんどん増やしてNTTにプレッシャーかけましょうということなんだよね。 公共事業ってほとんどが構造改革の邪魔になっちゃうもんだから、 それが逆に働くだけでも充分やる価値がある。

それから、公共事業として見たら乗数効果が非常に大きい。 つまり、7000円の券を配って7000円の講習受けて終わりじゃないんだ。 ネットってものをやる気になれば、パソコンを買いプロバイダに入って参考書の二、三冊も買う。 それから、通販したりオンラインで株に手を出したりいろんなことを始める。 貯金持ってるジジイどもから、いろいろ金を引っぱりだせるだろ。 7000円が10万にも100万にもなる可能性は充分ある。 そういう風に需要をでっちあげるのが公共事業の本来の指名なんだが、 道路をいくら掘りかえしたって需要はふくらまない。 使った金が何倍にもなることに金を使うべきなんだよ。 これも重要なポイント。

それから、ネットやってない人の意識を変える効果。 これだけパソコンが安くなっても手を出さない層の頭の中を想像して見ろよ。 自分から動き出すのが苦手な人たちっているんだよな。 そういう人たちは、上から与えられたら一番素直に受けいれるんだ。 そういう層をネットに引っぱりこんじゃおうとしてるわけだ。 当然、ギクシャクするだろう。 地図がないとか警察がないとか文句をたくさん言うだろう。 でも、それでいいだよ。 ガチャガチャすることで、ネットの中もネットの外もいろんなことが変化する。 今、これをやっておかないと本当のデジタルディバイドが起こる。 デジタルディバイドが金持ちと貧乏人の間で起きるなら話は簡単で、 回線と端末をタダで配ればいい。 だが、意識や考え方が違うふたつの層が「ディバイド」しちゃうとこれは結構ヤバいかも。 そこを堺屋さんは危惧してるんじゃないかと思う。

というようなことは、俺なんかにはすぐピンと来るんだが、 意外にネットのことや経済のことや日本の行きづまりのことがよくわかってる人が、 反対してることがどうもよくわからん。


2000/9/30

今後、面白そうなプログラミング言語は、*java*,python,Rubyだと思うのだが、 この中で日本産のRubyだけがUNICODEに対応していない。 javaは最初からUNICODEだし、pythonも最新バージョンでUNICODE対応になった。 Rubyは、これからUNICODE対応を検討する所である。

だが、早合点してはいけない。 java/pythonのUNICODE対応というのは、UNICODEだけで動くようになること。 つまり、UNICODEの世界にとりこまれてしまえば、外人プログラマが日本語で動くプログラムを書けると思っている。 このお気楽さが毛唐の悲しさで、世の中そんなに甘くはないのだ。 現実的には、シフトJISやらEUCやらいろいろあるコード体系の中に もうひとつUNICODEというもっとややこしいコード体系が割りこんで来たくらいに考えておいた方がいい。 実際、Rubyではこれに近い方向で国際化対応をするらしい。

言葉を変えると、javaやpythonでは「もしこのファイルがEUCだったら」とか「ここでネットから読むのは英語だけとわかってるから」というプログラムは書かなくていい(ことになっている)。 それはプログラマでなく処理系の考えることだ。 プログラマはそれが文字であることさえ知っていれば、何も考えなくてもいい(ことになっている)。 Rubyでは、(国際化される予定の)次のバージョンでもファイルが日本語なのか英語なのかプログラマは少しは考えなくてはいけない。

処理系が本当にやってくれるなら、もちろんそれにこしたことはないのだが、 実際にはいろいろ注文つけてやらんとダメなんだよね。 注文つけなきゃならんのなら、その注文のメニュー(API)をよく整理して便利にしてた方がいいのだが、 javaやpythonではそんな注文はいらないことが建前になってるからどうしても裏口が必要になってくる。 Rubyのように現実的に最初から注文させるつもりでその注文を受けつける方法をちゃんと考えておくほうが、結局ずっと楽になるはずだ。

グローバルスタンダードに全てをあずけるのでなく、 グローバルスタンダードを意固地に拒否するのでもなく、 グローバルスタンダードをone of themとして受けいれるというこの方法は、 プログラムやコンピュータ以外にも通用するやりかたかもしれない。



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