<<2000年12月 の日記>>

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2000/12/9

エンゼルスの長谷川が言っていたが、 大リーグではオフのスケジュールが一切なくて、 最後の試合が終わったら翌年のキャンプまで一切選手は球団に拘束されないそうだ。 言いつくされたことだが、ドライで合理的である。 例えば、あのファン感謝デーと称して選手が着ぐるみを着るやつ・・・、 あれなどは何のために誰のためにやってんのか俺にはとんとわからん。

しかし、プロスポーツが見せるものである以上は、 ファンとの親睦を重視すべきだという意見も当然あるだろう。 それで、俺はこういうふうに簡単に結論の出ない問題は、 競争で解決すべきだと思う。 つまり、ある球団はこれまでどおりファン感謝デーも納会もゴルフ大会もやって、 「一体感」なるものを強化する。 他の球団はそういうものを一切やめ、大リーグ方式にする。 また別の球団は、ファン感謝デーなどファンサービスにつながるものだけ継続し、 うちわの行事はなるべく減らす。 それぞれが違うやり方を取ってみて、 どこが選手に評判がよくてファンに評判がいいか競争するのだ。 合理的にやってとにかく野球強くすれば結局は人気が出るのか、 日本ではそういうクールやり方より、ファンとの一体感、 球団内部での一体感を重視した方が、野球も強くなるしたとえ強くならなくてもファンは支持するのか。 みんなが違うやり方をすれば、数年後には結論が出るだろう。

ところが、こういう多様性を容認する意見は、日本人は好きではないらしい。 「もしファン感謝デーが無駄だとしたら全球団いっせいにやめるべきだ。そうでなければ、全球団が継続すべきだ」 こういう方向に考えが行く人が意外に多い。 俺がこれを実感したのは、しゃべり場というテレビ番組だ。 10代の少年少女が議論する番組だが、ここで不登校の話が出ると必ず話が紛糾する。 それはある意味当然だが、よく話を聞くと、 「行きたい奴は行けばいい。行きたくない奴は行かなけらばいい」 という考えを、学校に行っている子は容認できないことから対立がはじまる。 学校へ行っている奴に、「お前は学校へ行くな」とか「学校へ行くやつはバカだ」とか言ってるわけではなはい。 ただ「行かないという選択肢がある」ということが容認できないのだ。 言葉としては受けいれられても、現実に人間の顔をした選択肢が目の前にあると感情的に反応してしまう。

日本では競争と言えば、 「どこの球団のファン感謝デーが一番楽しいか」という競争しか受けつけない。 「ファン感謝デーのある球団とない球団の競争」、つまりシステムとシステムの競争は無意識に拒否する。 同一のシステム枠組みの中でなら競争してもいいが、違うシステムと競うのを本能的に拒否する。 だから、変化する時に全員いっせいに違うシステムに移行しようとするが、 どのシステムがいいかは誰にもわからないし、議論しても簡単に結論の出るものではない。 だから、結論が出るまではとりあえず現状維持で行くことになる。

サービス残業のある会社とない会社、 銀行税のある自治体とない自治体、 受験勉強を必死でやる学校とやらない学校。 簡単に結論の出ないものは、全部システム間の競争でケリをつけるしかない。 しかし、これに対する抵抗は10代の少年少女にもすでに植えつけられており、 全員一致を強制する精神性は簡単に覆りそうもないなあ。

2000/12/15

「かってに改蔵」ってすごくおもしろいぞ。

2000/12/16

俺は、片付けということが異常に苦手である。 「異常に」という言葉を気軽に使う奴が多いが、 俺は正しい日本語を使う人間なので、俺が「異常に」という時は本当に異常なのである。 一番の問題は会社の机だ。 なにしろ、役職がついて机がでかくなった時に最初に「ああ、この机は引出しが多い。ゴミがよけいたまってしまう」と思ったくらいだ。 そんな俺にとっては、机がきれいになる機会は引越しの時だけである。

俺がそういう人間だらそう思うのかもしれないが、政権交代はたまにあったほうがいい。 ブッシュが大統領になって、ホワイトハウスでは3000人のスタッフが入れかわるそうだが、 3000人もいれば一人くらい俺みたいな奴がいて、「ああ、これで机がきれいになる」とホットしていることだろう。

あのゴタゴタをアメリカの欠陥みたいに言う奴が多いが、 そもそも民主党と共和党の勢力が伯仲してなければあんなことは起こらない。 常に政権交代が起こり得るということは非常にいいことだ。 昔は、そんなものなかったから信長は3000人の坊主を焼くはめになったが、 ブッシュは同じ3000人でもホワイトハウスから追い出すだけでいいのだ。

だいたいフロリダで300万人の有権者がいて、500票とか300票しか差がつかないってのはどういうわけだ。 そんなことが起こる確率ってどれくらいなんだ。 1万人が投票して1票差もなくちょうど5000対5000になる確率と同じなのかな。 コンピュータ技術者の端くれのくせに、そんなこともちゃんと計算できないのが悲しいが、 ちょっとやそっとで起こることではないだろう。 一種の天災みたいなものでそれが、1〜2ヶ月で騒ぎがおさまっただけよくやったと言えるだろう。

まあ、ここでゴアが素直に引きさがるのも、4年後に次のチャンスが充分あるからだ。 ゴアにはなくても民主党には充分可能性がある。 自民党は、次にコケたら永遠に政権に復帰できないと思ってるから、 どんな手を使っても政権に残ろうとする。 焼いてしまうしかない所まで行かなきゃいいけどね。

それとあの変な投票用紙の件だけど、あれは地方自治が機能している証拠。 日本だったら自治省が口を出して、規格化してしまう。 投票用紙にしろ集計方法にしろ、上の人がちゃんとしたものにしてしまう。 誰が見ても恥ずかしいようなことにはならんからいいのかと思うが、 そういうやり方が結局は機能しないってことは、ソ連と日本を見てるとよくわかるよね。

手作業の集計の様子を見てると、本当にアメリカ人って不器用で馬鹿だと思うが、 それでも州の責任で州のやり方でやる。 そういう仕組みになってるのもタマタマのことで、 連中が賢いからでは決してないのだが、 運のいいことにむこうには機能する政治ができてて、 こっちにはそれがないんだよなあ。

2000/12/28

コンピューターは馬鹿である。 コンピューターのプロを自称したければ、コンピュータが馬鹿であることを知らなくてはいけない。 頭で知ってるだけではだめだ。 骨身にしみてこいつが馬鹿であることを知ってはじめてプロを名乗る資格がある。

どのくらい馬鹿かと言うと、基本的にこいつは足し算と引き算しかできないと思っていた方がいい。 スコールのHPだろうが日本の借金の総額だろうが世界の総人口だろうが足すことと引くことはうまくやる。 だがそれだけだ。 他の仕事ができるように見えるのは錯覚であって、たいていそのうちボロを出す。 コンピュータに足し算と引き算以外のこと期待してはいけない。

しかし、足し算でハッピーになることって結構たくさんあるのだ。 例えば全ての家電に5分後に消費する電力量を予測させる。 これは足し算ではないので、あまりあてにはならない。 しかし、電気炊飯器ならば前日の稼働実績をそのまま送る。 ビデオは録画予約の情報からいつONになるかわかる。 その他は、一日の稼働時間を累計してフラットに期待値にしてしまってもいい。 多少いいかげんでもいいからとにかく5分後の予測というか予定を提出させて、日本中全部足す。 これで5分後の電気代を決めるようにしたらどうだろう。 電気代の計算がずいぶん大変になるだろうが、これは足し算なのでコンピュータにまかせて大丈夫。

そして冷蔵庫とかあったまってからのコタツのように稼働時間をずらせるものは、電気代の安い時間に電気を使うようにする。 5分後の電気代(単価)がいくら以上だったら10分待つとか、単純なロジックでいい。 これをするだけでピークの電力は随分下がるだろう。 ピークに対応するために発電所が増えたりするから、これをすれば原発の1個や2個止められるだろう。

冷蔵庫の中の牛乳の数を足してみれば、正確な需要予測ができて腐った牛乳を再利用する必要もなくなる。 オリコンのチャートは販売された数でなくて、実際にCDプレーヤーの上にのっかって本当に聞かれた数で判定される。 小説家は、自分の本が何ページまでめくられているかわかり、ストーリーの中でどこがうけているかよくわかるようになる。

人工知能なんかは絶対できないが、 これからいろんなものが足し算できるようになるから、21世紀はいろいろ面白くなるぞ。


2000/12/29

織田信長が比叡山の坊主3000人を丸焼きにしようとした時、必死で諌めたのが明智光秀である。 しかし、光秀は信長の基本方針に異議を唱えたのではない。 基本方針をよりスムーズに遂行するために、ちょっとだけまともな坊主を助けようとした。 3000人か2990人かというほんの微妙な違いであるが、 ここに加藤鉱一みたいな優等生タイプの陥りがちな典型的な間違いが見られる。 ソフトランディングでは絶対に改革は成し遂げられないんだよね。

信長の方針とは簡単に言えば政教分離である。 当時の坊主は(もと言うべきか)、生臭い奴が多くて大名同士の喧嘩に妙にからんでくる。 それで金や領地を得るあっせん利得罪野郎なのだ。 問題なのは、負けた大名についても損をしないようにできていたことだ。 失敗した時に限って、*宗教*人であることを隠れみのにして逃げる。 権限と責任が一致してないことが問題なのだ。 シンプルで風通しのよい政治を目指してた信長にはこれが許せなかった。

光秀は心情的には抵抗があったかもしれないが、 基本的にはこの信長の方針に従って仕事をしている。 この前もこの後もそうだ。 だから異議を唱えたのは、皆殺しがこの施政方針の妨げになると読んだからだろう。 つまり、比叡山の中にも改革派がいるからそれを助けようとしたんだろう。 だけどここで正確さを求める所が加藤鉱一的なんだよね。

旧世代の権威である比叡山のような所はいろいろなコネが化物のようにからみついてくるものだ。 だから、いくら改革派を厳選しようが組織としての比叡山を残しておいたら、結局はそのコネが比叡山を動かしてしまう。 信長が改革を進めれば進める程、はじきだされた既得権益を持つ連中がこういうとこに群がってくる。 だから、組織を一旦つぶすしかないんだよ。

江戸時代の日本は文化的にも経済的にも当時の世界では圧倒的に進んでいるし安定したいい国だった。 信長がソフトランディング路線だったら絶対こうはならなかったと思うよ。


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