<<2001年3月 の日記>>

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2001/3/6 (eXtream Politics)

「信任だけど信任じゃない」と似たような、聞いてるうちに頭がねじれてくるような理屈を言う奴がどっかにいたなあ、 と思ってよく考えてみたら、それはなんと俺だった。

「工程で言うと遅れは1週間なんですが、完成は正直言って見えないというかなんというか・・・」 「進捗としては先週と同じ60%ではあるんですが、作業ははかどっています・・・」 「テストは100%完了してるんですが、インターフェースに不備があってとても完了とは・・・」 昔はさんざん、こういうわけのわからん理屈を棟梁にわめいていたのだが、 さすがにプログラマーの棟梁ってのはみんなよくわかってて、こういう謎めいた言辞の中から、 本当の遅れ具合と致命的な問題のありかをかぎわけてビシビシ手当をしていったものだ。

こういう不思議な表現を不思議に思わないのは、ダブルスタンダードに適応した人種の特色であるが、 こっちの業界ではこれをなんとかしようという人たちが出現している。 このXP(eXtream Programing)という方法論は、一見仕様書が悪いと言ってるようだが、正確には仕様書が嘘になってる現状を悪いと言っているのであって、 実は本音とタテマエを統合化する方法論なのである。 だとしたら、あっちの業界でも使えるんじゃないか。

例えば、ペアプログラミング。 プログラミングという重要なアクティビティを常に二人で行なう。 レビューをリアルタイムでやろうという主旨だが、 全ての国会議員の活動をペアでレビューしながらやったら、まあ普通ワイロは難しいわな。 念のために言っておくとペアプロではペアはしょっちゅう入れかえるそうだ。

しょっちゅうリリース。 ソフト屋というのは、何年もかけて部屋があるのに入口がない建物をたてたり、 渡るといきなり崩れてしまう橋を作ったりしても金がもらえるというありがたい商売だが、 入口がなかったり崩れるのは勘弁してやるから、とりあえず客の前に早めに提出せい、ということだ。 そうするとありがたいことにお客様が「部屋には入口がある方がいいんですが」「崩れる橋というのはちょっと・・・」などと いちいちアドバイスをしてくれる。 政治も「1000兆ばかりタカってる奴がいる」というバグが直せないのはしょうがないから、 すぐに見える形でこれを提示してくれれば客というのは意外にちゃんと現実的なアドバイスができるものだ。

UnitTest。 バグを作りこんでから退治するのは大変だから、 ソースを修正するたびに、つまり入口でこれを100%なくそうという考え方。 単体テストを自動化するってことなんだけど、 これのポイントは品質保証があれば冒険ができるってことだ。 つまりボロボロでもなんとか動いているシステムを手術するのは度胸がいるけど、 テストが自動化されていれば、いじるたびに検証しながら行えるので大胆な変更が(比較的)安全に行えるわけだ。 政党でも官庁でも能力が高い奴や凄い組織や柔軟な組織はいらないのよ。 品質のモニターさえちゃんとできれば、大胆に改革してもなんともないのさ。

言葉遊びでいいやと思ってはじめたけど、なんか妙にしっくりくるね。 XPの憲法は12条あるけど残りはみなさんにおまかせします。 XPは理想を追求するけど「限られたコストと期間の中で」追求するというのが目新しいとこかもしれない。 「限られたコストと期間の中で」理想を追求するって政治にも通じるよね。 まあ何ごともシンプルであることが大事という面白くもない結論にしておくか。


2001/3/11

「次々と明らかになる操縦室の杜撰な実態」とか大騒ぎしてるけど、 杜撰なことでなくこれが「明らかになる」ことの方がよほど驚くべきことだろ。 機密費と軍事機密とどっちが隠すネタにしやすいか考えてみろよ。 機密費の方は詐欺ということで個人の犯罪になってしまった。 操縦室の方は、テーブルの数が足りないとかどうでもいいことまでわかってきている。 誰か、この違いがどこから出てくるのか、法体系が違うのか理念なのか運用なのか、解説してくれ。 ついでに、我が日本丸の操縦室の杜撰な実態も明らかにしてくれ。

こういうのを見ながら思いだしたけど、 XP(eXtream Politics)の話を書いた時に、 XP(eXtream Programing)がUnitTestに重点を置くことの意味を、今さらながら思いしったのでちょっと補足する。 つまり、「品質保証」とか言うとどうしてもタテマエの世界かと色眼鏡で見てしまうのだが、 XPはコストとのトレードオフを意識しながらテストテストと言う所が根性入ってるんだ。 有限のコストと期間の中でテストルーチンを先に書けと言うのは、 テストにコスト(期間)をかけてプロジェクトがつぶれるならつぶれてしまえと言ってるのと同じことだ。

もうちょっと一般的な例で言えば、工場を建てる時には火災報知器やら漏電遮断機やらいろいろな警報のための機器が必要だと思うが、 XPってのは、骨組みより屋根より何より先にまず火災報知器をつけてから工事に入れってことだ。 つまり、品質をモニタリングするための仕組みをそれがモニタする対象より先に作る。 「先に作る」ってことは、予算が足らない場合モニタする方じゃなくてモニタされる方をけずれってことだ。 中で流れるベルトコンベアは中古のボロにしてもいいから、火災報知器は新品の一番高い奴をつけましょうということ。

だから、XP流に解決策を探るならば、 まず最新でピカピカの機能するマスコミが必要だと言うことだね。 マスコミが100%完璧にモニタしてれば、モニタされる方には積極的に手をかけなくてもいい。 人材ってものが日本にあるなら、モニタされる方じゃなくてモニタする方に回すべきだってことだ。


2001/3/13

*アルジュナ*のテレサさんによると、 この危機の本質は組織の暴走が止まらないことにあるらしい。 使命を終えた組織が運命を受けいれず同じものを生産し続けようとすることが、 最後に地球を壊してしまうそうだ。

諫早湾干拓事業と*Judy and Mary*を比べてみるとよくわかる気がする。 終わったものを正しく終えることは美しく悲しく難しく稀有なことだ。 終わったものを無理に続けることは、醜く滑稽で凡庸だ。 しかし凡庸な俺たちは、稀有なことをあたりまえのように行なうことを求められている。 それは、組織論ではなくて個人が死を自覚しながら生きることからはじめなくてはならない。 ドン・ファンは「死はわしの友だちだ」と言って、 自分の肩に乗っている「死」をトントンとたたいたそうだけど、 そういうリアルで個人的でささいな感じで死を意識することから。

それを踏まえてあえて組織論をやると、 シュンペーターは*資本主義*の本質がイノベーションであると言ったことを思いだす。 イノベーションとは新しいものを産みだすことではなく、 終わったものを終えることなんだろう。 確かに共産主義よりは資本主義の方が多少は風通しがいいのかもしれない。 しかし、終わったものがもっともっと楽に終わるような新しい社会のしくみが必要とされている。

ところでCVS本には、CVSのコマンドの説明だけでなくて半分は*オープンソース*のプロジェクトの進め方が書いてあるのだが、 プロジェクトの閉じ方までちゃんと書いてある。 これもきっとすごく大事なことなんだと思う。 つまり、あれを読めばオープンソースプロジェクトの終わらせ方がよくわかるということではなくて、 オープンソースにかかわっている人の中にしまい方ということにセンシティブな人がいるってことが。

2001/3/17

最後に石井館長が出てきて「このカードは再戦させます」と大見得を切っていたが、 ゴングが聞こえずよくわからない終わり方をしたというトラブルをすぐ商品価値に転化した手際が見事。 ゴングが聞こえない程の熱狂を瞬間的に「このカードは売れる」と見切った判断力も凄い。 ちゃんと生きてない奴はそこまでしか見れないだろうが、 俺は「みなさんも見たいでしょう。私も見たい」と言い切った無邪気さにも注目する。

館長は本当に自分がバンナVSベルを完全決着まで見たいのだ。 その背後にどれだけ冷静な金勘定があるとしても。

不況とか恐慌とか言っても、売れるものは売れるってことだな。 なんでも実況席でもゴングが聞こえなかったらしい。 これまでも満員の観客を集めた試合はK1に限らずたくさんあったんだろうが、 こんな史上初のトラブルが起こるということは、 それだけ見てる人、一人一人がそれだけ大声でわめいたんだろうね。 やっぱり個人が自分の判断でそれだけの声量をはりあげるだけのものが、 あの試合にはあったんだろう。

義理や見栄や虚栄や惰性で金を出したりその場所に行くことはあるだろうが、 義理や見栄や虚栄や惰性では普通、大声は出さないよ。 義理や見栄や虚栄や惰性に頼らないと売れないものを売ろうとするビジネスマンはすぐ猛省して、 館長を見ならえ。 自分の本当に欲しいものしか売るんじゃない。

2001/3/18 (俺がアルジュナ信者になった訳)

バンナとタイソンと小川の誰が一番強いのか厨房どもがさんざん議論しておるようだが、 あれは*宗教*と科学と精神分析のどれが真理に近いのか決めるようなもので、 みんな自分の土俵では一番強い、という面白くない結論しかない。 そこを工夫して、面白いルールを設定して連中を引っ張り出してまともな試合をさせるかどうかが、 プロデューサーの腕の見せどころだ。

これは実は難しい仕事で、 これまでも宗教VS科学の異種格闘技戦をさんざん見てきたが、 猪木VSアリ戦なみのつまらん試合しかなかったと思う。 両方とも壊さないようにするとどうしてもああなってしまうんだろうな。

しかし、例えば環境問題を解決するにはもはや科学と宗教と精神分析に本気で異種格闘技戦をさせないとどうにもならん。 さらに政治経済はもとより芸術とか、時節柄ITなんぞもからめて、バトルロワイヤルやって欲しい所だ。 寝っころがって相手の手の届かない所からローキック連発するようななまぬるいもんではなくて、 血を見てみんなまとめて病院送りにするような消耗戦をさせなきゃならん。

俺が、*アルジュナやもののけ姫を評価するのはそういうことで、 あの中では物質とこころと神様がガチで足を止めて殴りあってるんだよ。 後先のことを考えない本気の喧嘩は痛い。 見てる俺も痛いが作ってる方はもっと痛いだろうな。 誰が勝ったのかという結論なんて、翌日の新聞でK1やPRIDEの結果を見るようなもので意味がない。 みんながスカパーで金払ってでも生で見たいのはそのプロセスであって、 あの痛さを実感してこそ意味があるんだよ。

ところで*宮崎駿*の新作の予告編見たけどやっぱり凄かったぞ。

2001/3/20 (administratorが哲学する)

赤ん坊の頭の中の配線をちょっといじって、目の中の「赤」のセンサーから出てる線を「青」から出てる線とつなぎかえたとしよう。 この子が生きていく上でどんな支障があるだろうか? 我々が「赤」として認識するもの全てをこの子は青として認識する。 彼には血の色も赤信号も青に見えるわけだが、 彼はその色のことを「赤」として教わることになる。 それが青に見えるとしても、その色を疑いもなく「赤」と呼ぶだろうし、 やはり血の色と同じ色の信号が危険を意味することには納得するだろう。 だから、生活上も細い心理的な反応も我々と同じになり、 何の問題もなく成長して行くだろう。

というより、こういうことが起きているかどうかは頭の中を開けて配線をチェックしない限り、外部からは識別不能である。 実際には、脳のしくみは「ここに何の機能がある」と簡単に言えるようなものではなく、 中を見たって(少くとも現時点では)誰も、正しい配線と間違った配線を区別できない。 俺は子供の頃、自分がこのような意味で頭の中の配線が人と違うのではないかと悩んだことがある。 外部の刺激に対する反応の総計としては、特別おかしいことはないのだが、 実は頭の中で起きていることが他人と全く違う人間。 あるいは、同じ世界で同じように生きいていても、内的な経験としては全く異質な経験をしている人間。 俺は、実はそういう人間ではないかという一種の妄想だ。 大人になって、無事この妄想を脱したかと言うと、そうではない。 より妄想が強化され、俺一人が異質なのではなくて、 人間というのは、内的な経験としては各人がそれぞれ個別の全く独自の経験をしているのだ、 という結論に達した。

実は、自分がおもりしているサーバがクラッキングにあうと、これと似たような状況に陥いる。 サーバの設定が不正に書きかえられたのを発見して、あわててそれを直したとする。 そして、他にいじられている所はないかチェックする。 しかし、この「チェックする」という作業が何を意味するかと言うと、 あるコマンドを入力して、その出力を以前のもの、あるいは他の正常なマシンの出力と比較するのだ。 例えば、見なれないプログラムがないかファイルの一覧を表示して調べる。 しかしクラッキングされたマシンでは「ファイルの一覧を表示する」というコマンド自体がクラッカーにいじられてないかを疑わなくてはいけない。 ちょうど、血の色と赤信号を見せて「この2つは同じ色ですか?」と質問するようなものだ。 刺激に対する反応だけでは、問題があるのかないのか判別できないという状態になる。

慎重な管理者は、外部からの刺激に対する反応だけでそのマシンの状態を判断したりはしない。 基本的に一度やられちゃったマシンは全てを疑ってかかる。 ファイル一覧を表示したら、それが嘘の一覧だという可能性をまず考える。 バックドア(クラッカーが再度侵入するための手がかりとなるプログラム)を隠して、 それ以外の一覧を見せているかもしれない。 だから、一度マシンを初期化してインストールしなおさないと安心しないのだ。

科学的あるいは論理的な態度とはこういうものだろう。 人間にある刺激を与えて、その反応が同じだからと言って、中で起こっている反応が同じものだと決めつけちゃまずいだろ。 もちろん人間は再インストールすることができないので、 有能なサーバ管理者のように確信を持って人間を扱うことは一生できない。 コストパフォーマンスを考えると、あなたと私が同じ経験を共有していると仮定する場面があるのはかまわない。 しかし、それが仮定であることを忘れてはいけない。

俺が大人になって強化された妄想の一つに、 俺が経験している時間の流れは正常な方向なのだろうか?という疑問がある。 実は、俺の意識は時間の流れの中を他の人と逆に進んでいるのではないかということだ。 時間を逆に進めば、例えば音は逆になる。 俺が「じかん」と言う時、みんなは「んかじ」という言葉を聞く。 しかし、生まれた時から「んかじ」「んかじ」と言っていれば、それがあたりまえだと思うだろう。 同じように原因の後に結果がくることや、人間が赤ん坊から老人に向かって年をとることや、 重力が物を引きよせる力として働くことは、あたりまえのことだと俺は思っている。 それは何らかの論理的な思考の結果として思っているわけでなく、 ずっとそーだったからそーゆーもんだと思っているだけだ。 これを逆向きに経験していたら気が狂うような気がするが、 実際に最初から目にするものがそうだったら、やはりそーゆーもんだと思うかもしれない。 目の前にいるあなたが、同じ電車に乗っていると俺は思っているが、 実はあなたは対向車の方に乗っていて、一瞬すれ違っているだけかもしれない。 「そんなことは絶対ないよ」とは誰にも言えないのだ。

意識あるいは経験というものは、 *宗教*的に考えるのが科学的(論理的)な態度であると俺は考えているのだが、 それは以上のような理由である。 俺は、administratorをやる時は手抜きすることもあるが、 プライベートなことでは手抜きをしない主義なのだ。


2001/3/22 (北斗債拳?)

土地を担保に金貸して、 土地が値下がりして取りっぱぐれたらそれは不良債権だと思うでしょ? 残念でした。ハズレです。 取りっぱぐれたものは「損失」です。 「あちゃー、しくじった」と言ったら、そう言った瞬間にそれは債権ではなくなります。

そもそも「債権」っていう言葉は「資産」に含める項目なんだよね。 つまり、いざという時に金にできるものが「資産」です。 まず当然だがキャッシュが資産、株とか貯金通帳も資産。 1万円確かに貸したという借用書があれば、それも1万円の資産と見なす、 これを債権と言うわけです。

じゃ、金が戻ってくるみこみのない借用書はどうかというと、 「もうダメだ、こりゃ」と言ったら、それは資産にならない。 その消えた分を「損失」として計上しておしまい。 「いや、あの人は義理がたい人だから、絶対にいつか返してくれるはずだ」と言いはれば「資産」になります。 ただ、あまりに嘘がみえみえだと債権と言ってもあてにならない債権だから「不良」債権になるわけ。 だから、最初の問題の答は「土地を担保に金貸して、土地が値下がりして取りっぱぐれて」に「現実逃避」という条件をつけて、 それではじめて立派な不良債権。

世の中にはなかなか白か黒かでわりきれないもので、 男だか女だかわからん奴は最近特に増えたし、 少年犯罪もやることは大人なみになる一方、成人式クラッカー乱入事件みたいに大人のような子供もいて、これも分類が難しくなってきたし、 やめるんだかやめないんだかよくわからない総理大臣もいるし、 返すんだか返さないんだかわからん借金があってもしょうがないかもしれない。

そういうグレーゾーンを「債権」と言いはるならまだわかる。 しかし、今の不良債権ってのはすでに北斗神拳くらった悪党みたいに「おまえはもう死んでいる」状態なんだけど、 「ひでぶっ」とか言うまでは生きてるって言いはってるようだね。

それで「不良債権を処理する」とは、 「おまえはもう死んでる」奴に「ひでぶっ」と言わせることかと思うと、 これは「直接処理」と言って確かに「処理」ではあるけどこれまでは普通はこうやらなかったみたい。 「おまえはもう死んでる」奴一人につき、スペアの悪党(引当金)を用意してきて人数の帳尻を合わせるのが「間接処理」で、 これまではこのパターンが多かった。 最初に10人悪党をつれてきて、3人ケンシロウにやられたら、 あと3人つれてきて、13人いるけどいつ「ひでぶっ」になるかわからん奴が3人いるから合計で10人、 みたいなよくわからん変な計算をするとこれまではこういうのも「処理」したと言っていいみたい。 ところが、「ひでぶっ」になるまでは見ため普通に話もするし歩きまわるから、 「こいつはまだケンシロウにやられてない」とゴマカす銀行が多すぎて、 ちゃんと「ひでぶっ」しなさいということになったらしい。

俺は当然北斗の拳は「ひでぶっ」を含めて好きで「教育上よろしくない」なんて言う言葉を使ったことがなかった。 今後もそんな言葉とは一生縁がないだろうと思っていたが、 「不良債権」という嘘をつかないと存在しない言葉をテレビや新聞で使いまくるのは、 それこそ教育上よろしくないよなあ。 せめて「半年で『おまえはもう死んでる』奴は銀行の帳簿からいなくなります」って約束だけは嘘にしないでもらいたいものだ。

2001/3/25 (サルでもわかる公開鍵暗号)

ご存知のようにインターネットで行きかうものは全てデジタルデータである。 デジタルデータとは本質的には一群の数字であって、匂いも味も何もなく所有したり強奪できるものではない。 「37は代々わが家に伝わる家宝であって」 「まったりとした結構なお味の189でございますこと」 「この982は確か俺が昔落としたものだ」 こういう類のことを言う奴はいない。

仮に、俺が7346の所有権を主張したとしても、 それをあなたが使うことを差し止めることは難しい。 「あなたは私の大事な7346を無断で使用しています。 すぐにやめないと法的な手段を取る可能性があります」 とメールを出したしよう。 驚くべきことに、これを全文引用して「バーカ」と付け加えるだけで、 さらにもう一度7346を使用されてしまうのだ。 つまり、この数字は自分のものだという言明そのものに、 どうしても問題の数字が含まれてしまい、それがそのままコピー元になってしまうのである。

それでは聞くが、あなたのブラウザの下の方に鍵のマークがあってこの鍵が閉じたり開いたりするのはどういうことだ? 閉じている場合はクレジットカード番号を打ってもいいことになっている、あの鍵だ。 サーバが何らかの数字を送ってきたら、ブラウザが自分の持っている数字と照合して、 合格と判定するのかもしれない。 だが、ブラウザの中に問題の数字が隠されていたとすると、 クラッカーがその数字を取り出して、偽のサーバをでっちあげるのは簡単なはずだ。 つまり、ブラウザはある特定の数字を見ると、 「おおこれはおそれおおくも、ベリサイン社の証明書だ」と恐縮してあの鍵を閉じてしまうのである。 この鍵を閉じるための手続き(SSLプロトコル)も公開されていて、 そういうことをするプログラムも*オープンソース*になっているのに、 なんと危いことだろう。

ところが、ここには魔法のような仕掛けがあり、 鑑定することは簡単だが、偽造することはできない不思議な数字が存在するのである。 これを理解するには、かけ算ができて割り算ができない人々を想像すればよい。 「俺は駅の伝言板に待ち合わせの時間を書いておく。偽物が出るといけないから、 その後に、5を掛けると待ち合わせ時刻になる数字を書いておく。 この数字がついていれば本物だ」 こう友達に言って、610と122を書いておく。 友達は5×122=610で確認をとり、俺が本当に6時10分に来ることがわかる。 偽物がこれを630に書きかえたとしよう。 隣りに正しい数字を書くには630÷5を計算しなければならないが、これはこの世界では不可能なことだ。

注意深い人なら今の説明で、「おい、ちょっと待てよ。どうして『俺』は610÷5が計算できたんだ。 その世界じゃ割り算ができないはずだろ」と言うだろう。 俺は割り算はしていない。 610×0.2を計算したのだ。 つまり、5の逆数である0.2を持っていることが本人の証明になるのだ。 これがSSLで使われている公開鍵暗号系というやつのしくみである。

  1. 掛けて1になる一組の数字を用意する(5と0.2)
  2. 0.2を秘密鍵と呼び大事にしまっておく
  3. 5を公開鍵と呼び、みんなに「これが俺のハンコだ」と知らせておく
  4. ハンコを押したい数字に、0.2をかけた数字を書いておく(デジタル証明書)
  5. 友達はその数字に5をかけてそれが正しいことを確認する

実際には割り算は誰でもできるので、もうちょっと別の計算を使うのだが、 これと同じことをして上の122に相当する数字がついていることを、 610という数字に5というハンコが押してあることと同じに考える。 これで数字にハンコが押せるようになったので、 今度は5という数字にハンコを押すこともできる。 これが印鑑証明と同じ役割を果たす。 ベリサインという会社に自分のハンコにする数字と何がしかのお金を持っていき、 ハンコを押してくれと言うと、別の数字をもらえてこれが印鑑証明になる。 印鑑証明のついたハンコが押してある数字がやってくるとブラウザの鍵が閉まるという仕組みである。

つまり、上記の例で言うと5という数字(公開鍵)は世界中の全てのブラウザの中にあるが、 0.2という数字(秘密鍵)はベリサイン社の金庫にしかない。 これが盗まれると大変なことになるので、このハンコはめったに使わない。 このハンコは別のハンコの印鑑証明を作るためだけに使用し、そのハンコもやはりめったに使わない。 そのハンコも別のハンコの印鑑証明を作るためだけに使用して、そのハンコを使っている。 このハンコで他の会社にハンコに印鑑証明を発行している。 それがベリサインの商売である。

それで、 先日ベリサインがこの印鑑証明を間違って発行してしまったそうだ。 まずいことにその印鑑証明には「マイクロソフト」と書いてある。 クラッカーが「マイクロソフト」の発行した印鑑証明つきのハンコで自由に遊べる事態となったのである。 長年のクラッカーの夢だったら、「WEBページを見るだけで感染するウイルス」がもうちょっとで実現する。 残念ながら、この印鑑証明では一回だけはブラウザに警告が出てしまう。 「マイクロソフトの作ったプログラムをインストールしますか」 と聞かれて、ユーザがキャンセルすれば、ウイルスは感染しない。 だが、これまで大幅な手間を必要としたネットからの感染行為が、オペレーション一回だけになったのである。

オフィシャルな発表では、 被害はこれだけだが、何か裏があるような気もする。 とりあえず、このニセ印鑑証明が発行されたのは1月末で、 既にこのハンコを押したウイルスが出回っている可能性はあるのだが、 2月中にこのハンコを承認してしまった人のことは書いてない。 つまり、この警告を読んだ時点で既にこれを正規のハンコと見なせとブラウザに教えちゃってる人がいるかもしれないのだが、 そのことが書いてないことが怪しい。 たとえ嘘がないとしても(理論的には正確でも)、ウイルスを作る奴は悪知恵が働く。 友達から「例の件だけど」と送られた(フリをする)メールにのっかるワームがあったけど、 こんな印鑑証明があったら、もっと効果的なトリックができそうなものだ。 あるいは別の穴と合わせ技で一本取られるかもな。

だが、これは随分下っぱのハンコだったからまだこれですんでいる。 もうちょっと上のハンコが盗まれたら大変である。 確認なしにインストールできる便利なウイルスを作ることができる。 ハンコと言ってもたかが数字であり、暗記するのは難しくてもフロッピーに楽勝で入る桁数しかない。 まして、現代はナップスターという便利なものがあり、一度盗まれたら世界中に広まり誰にも回収できない。

数字にハンコが押せることは非常にありがたい。 信頼できる印鑑証明を発行してくれる会社も必要だ。 だが、数字は盗まれる可能性があることに改めて気がつかされた。 承認の根っこが複数あってもうちょっと分散された体系が必要だとマーフィーさんも言うだろう。



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