<<2001年9月 の日記>>

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2001/9/14

「世界はひとつだ」と考えることはなぜ困難だと思う? そう、それはとてつもなく非現実的だ。 それはそうなんだけど、それが困難である最も大きな理由は、 その考えを持つことはとても息苦しいことだからだ。

そう、「世界はひとつだ」という考えを抱き続けることは、 とても息苦しいことなんだ。

ある人は、その息苦しさに耐えかねて、それを笑い飛ばす。 それはとても健全なことだ。 それはとても自然なことだ。 だけど、その考えを笑い飛ばす理由が、 その考えが非現実的だからではなく息苦しいからだということを ちゃんと自覚していれば健全だ。

「世界はひとつだ」という考えを保つために、 何かの支えを必要とする人もいる。 民主主義、憲法9条、*オープンソース*、グローバルスタンダード、そしてもちろん*宗教*。 世の中にはたくさん支えとなるものがある 支えを必要とすることも健全で自然なことだ。 健全で自然ではあるけど、 その支えを必要とするのは、 自分が息苦しさに耐えられないからだ、 ということを忘れてはいけない。 それを忘れなければ、 「世界はひとつだ」という考えや、 そのことの支えとなっている何かを無理矢理人に押し付けたりはしないだろう。

じゃあ、なんでそれが息苦しいのかと言うと、 心の中がひとつじゃないからだ。

例えば僕の親父は、 人間には「強欲な人間」と「バカ正直な人間」の二種類があると思っていた。 強欲な自分とバカ正直な自分の分裂に苦しんでいたからだ。 僕は強欲にもバカ正直にもなりたくなかったが、 それは彼に非常に大きなストレスを与え、 どうしてもどちらかの箱に僕を入れようとした。 僕がどちらの箱に入ることも拒否したので、 僕と親父の間には、深刻な葛藤があった。 僕は強欲でもバカ正直でもない自分を親父に見せつけようとした。 その試みは僕が成長するにつれ成功しつつあったが、 なぜかそのことで親父は苦しんでいた。 彼の分裂した世界観を矯正することを僕は強制してしまった。 僕が生きのびるためには、それが必要だったのだが、 それが彼を苦しめたことは否定できない。

親父が生きていたら、 この戦争を「強欲な国」と「バカ正直な国」の戦いととらえただろう。 僕はその観点に非常に不快感を抱き、傷ついただろう。 そしてその観点に逆らう僕に、親父は不快感を抱き傷ついただろう。 彼にその世界観を捨てさせるためには、 彼自身の心の中に深くしまわれている分裂に直面させなくてはならない。 それが息苦しいことなんだ。

誰だって、心の中にはひとつやふたつ分裂をかかえている。 それに直面することはとても苦しいことだ。

逆に、分裂した世界は人を安定させる。 ブッシュが何かいさましいことを言うのを聞くと、 僕も気分が昂揚してくる。 つい二日前、戦う相手が見えなかった時は、 僕は今月の家計が赤字になったことに頭を悩ましていて、 煙草とネット代と食費のどれを削減すべきか真剣に考えていた。 それは実に陰鬱な日々だった。 でも、今はなぜかずっとはればれとした気分で、 報復攻撃の行方を見守っている。

あのテロ行為もとてもエキサイティングだった。 必要最小限の飛行機で二棟の高層ビルを見事に崩壊させたあの手際は見事だった。 僕には、最小限のシステムコールでたくさんの複雑な仕事をこなす、 UNIXの設計を彷彿とさせた。 あの崩壊の美しさのおかげで、 僕の中の何かは崩壊をまぬがれた。

そう、確かにあのテロは僕のストレスを軽減した。 そして、これから始まる報復攻撃も僕をハッピーにするだろう。 僕は今回のことで、なぜ日本の国民が太平洋戦争を望んだのか、 体感的に理解した。 戦争は確実に脳内麻薬を分泌させる。 アメリカが正義であるという情報操作は、 彼らがメディアを握っているから可能なんじゃない。 僕らがそれを望むから可能なんだ。

でも情報操作を拒否し、「世界はひとつだ」と思ったら、 忘れていた家計の赤字にまた直面しなくてはならない。 そして、それにともなって、 ここには書けないような深い内面的な分裂がボコボコ湧き出してくる。 僕のこころはひとつではないからだ。

「世界はひとつだ」と心の底から真剣に言うことは簡単なことではない。 それを実現することが非現実的なのではなくて、 単にそれを心から言うことがすでに非現実的なんだ。

その困難さを自覚しつつ、その苦しさを抱えながら、 それを笑う人を受けいれて、 それでも僕はそれを自分ひとりで発する言葉として言い続けたい。

「世界はひとつだ。殺しあうのはやめよう」

2001/9/22

人間には成長するタイプと開花するタイプがある。

例えば、リナス・トーバルズが最初に386マシンを手に入れた時に何をしたかと言うと、 彼は端末ソフトを作った。 彼は、コードを書くことが好きでCPUを動かすことが好きで、 メールを書いたり読んだりすることが好きだった。 3つの要求を同時に満たすために、 端末ソフトを作ったのだ。 端末ソフトというのは、送信と受信を同時にこなさなくてはならないので、 どうしてもマルチタスク的なプログラムになる。 マルチタスクというのはOSの卵みたいなもので、 この卵が10年かけてLinuxに育ったのである。

彼は今でも、コードを書いたり読んだりしてメールを書いたり読んだりしている。 10年前と同じことをしている。 世界にとって彼のコードとメールの持つ意味は大きく変わったが、 彼にとって彼のコードとメールの持つ意味は変化してない。 彼は、それをわずか3つの単語で表現した。 「Just for fun」

これが典型的な開花する人間だ。 それは最初からそこにある。 世界と本人は、それを掘り出すために多少の時間と努力を要する。 だが、最初からそれはそこにあって何も変化していない。

一方、成長する人間もいる。 ジョン・レノンは10代の早い時期にギターを手にいれ、 それから死ぬまで一貫してシンプルな言葉で歌を歌い続けた。 しかし彼は、歌を歌いながら、ある時は単なる街の不良であり、 ある時は世界的なアイドルであり、 芸術家になり革命家になり探究者になり主夫になり、 最後に単なる一人の歌い手として歌を歌いそして死んだ。

彼の歌は世界にさまざまな意味を与えた。 彼は自分の中から実に多くのものを掘り出した。 彼のミュージシャンとしての生涯を見て最も驚くべきことは、 彼には代表作というものが存在しないことだ。 どの歌よりも彼の人生の方がずっと大きい。

彼のシャウトは成長する者の苦闘の叫びであり、 彼のバラードには成長し続ける者のみが持つ充実感と静けさがある。 彼は大きな魂を持った人間であり、 大きな魂が前に進むためには、 たいへんな勇気とパワーが必要である。 その運動エネルギーは今だに多くの人を動かし止まる気配がない。

そして、僕は開花する人間と成長する人間を観察して大きな疑問を持つ。 たったの数十年でこのような結果があるというのはどのような奇蹟なのか。 例えば、星の年齢の方が宇宙の年齢より上だとしたら何かがおかしいことになる。 実際に宇宙論の試行錯誤のある段階でそのような冗談のようなことがあった。 100億年かけて成長した星が、50億年の宇宙の中に存在しているとか。 でも僕も人間の中にこのような状況を見るのだ。

僕はリナスの中に ネットの歴史よりはるかに長い時間かけて熟成されてきた何かを見る。 それは「つながる」ことの価値だ。 彼は人と人とがつながることの価値を言葉でなく、 自分自身の存在を用いて具現化している。

僕はジョンの中に どんなミリオンセラーよりはるかに普遍的な何かを見る。 それは世界がここにこのようにあることの意味だ。 成長するための場として世界があることの意味。 成長する者として人がいることの意味。

僕はこのようにして、 魂の存在を論理的に実証し、 世界の意味を獲得したのである。


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