三国人形

 三国湊は、北前船の寄港地として、また九頭竜川の河口として、江戸時代から明治中期頃まで栄えていました.その三国の新保屋治平により江戸末期ころより土人形が作られ始めたと考えられています.商業の中心地にふさわしく、商売縁起物が多数作られました.北陸線の開通に伴い、三国湊も次第にさびれ、明治の終わりには土人形も廃絶してしまいました.
子供遊び

 伏見人形の子供遊びの人形がモデルですが,単なるまねでなく,完全に自家オリジナルの作品に仕上げています.丹と緑青で彩色されており,三国人形のごく初期の作品と考えられます.もちろん,三国独特の紋様も入れられてません.三国初代,新保屋治平(明治22年没)の作品かとも思われるのですが,確信はありません.