ごあいさつ

ようこそいらっしゃしました。

バッハ(1685−1750)の誕生日である今夕は、「ブランデンブルク協奏曲」を中心に聞いていただきます。

まずは「ブランデンブルク協奏曲」という題名について。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲というのはヴァイオリンがオーケストラをバックに演奏するもの。バッハのブランデンブルクは「ブランデンブルクと言う楽器」の協奏曲か?あるいはモーツアルトの「リンツ」「プラハ」みたいに、ブランデンブルク門(ベルリン)のトコロで作曲されたのか?どっちも違います。

まったくクラシックの曲名というのは解りにくいこと甚だしい。答えは後ほど。

バッハは、教会音楽家として「ヨハネ受難曲」「マタイ受難曲」や、多くのオラトリオ、オルガン曲などを作曲し、ライプツィヒで生涯を全うしたが、その前に東部ドイツのケーテン(スキーのジャンプ飛行距離とは関係ナシ!)という町の宮廷にしばらく仕えて、宮廷行事や祝祭、あるいは王侯の娯楽のための音楽を作曲し、みずからも演奏に参加していた。このときにはソナタや独奏曲などのほかに、さまざまな単独の楽器、また複数の楽器のいろいろな組み合わせための膨大な協奏曲が作曲されたものと思われております(楽譜の製本代金が多額に支出されているため。)が、それらのほとんどは散逸しています。残念だあああ。

唯一残っているのが、今夜その中から3,4,6の3曲を聞いていただくブランデンブルク協奏曲(全6曲)。これは、バッハがこの宮廷を通じて「ブランデンブルク辺境伯」という(これも人名じゃなく、地位の名前だ。人名はクリスティアン・ルートヴィッヒ。)貴族と知りあい、「おみやげ」または「就職活動用サンプル」として、自分の作品から「おいしいところ」を「みつくろって」、浄書して、セットとしてお送りした、というもの。貰った辺境伯の宮廷にはしかしこれを演奏できる楽団はなく、楽譜はキレーなままでずっと保存されていたのでした。本家は全部無くしたのに・・・・よかったよかった。

この6曲は、それぞれに独奏楽器が非常に面白く組み合わされていることが第1の特徴で、昨年演奏した「第1番」はオーボエ3,ホルン2,ファゴット、ヴィオリーノ・ピッコロをソロ楽器とした合奏協奏曲X組曲というゴージャスなものだったし、6曲を通じて木管金管弦楽器鍵盤、素材がまったくバラバラで、調理の難しいことでは「料理の鉄人(古いか!)並の課題。「プレゼン」だったので、自分の創意工夫と技術の究極を集めた曲集を編纂したのでしょうねー。

今夜は贅沢をして、普段はチエロやフルートで代用されるリコーダーやヴィオラ・ダ・ガンバにも、わざわざ名手をお招きして、弓をバロック・ボウに替え、さらにはモダン楽器にもガット弦を張るなどして、われわれのメンバーで極力バッハの指示通りの楽器編成を再現している。

ちなみに、この6曲の楽器編成にはそれがあまりにバラエティに富んでいるためにさまざま謎があったが、20世紀に入ってから宮廷の金銭出納簿を頼りに、ケーテン楽団の編成と事情に一致したものだったということが証明されている。したがって、第3番、第6番のヴィオラパート、第5番のチェンバロ独奏部はバッハ自身が弾いたものであることもわかっている。

「管弦楽組曲」(残っている筆写譜のタイトルは「序曲集」)は作曲事情の詳細が不明なのですがさまざまな舞曲の組み合わせセット。こうした組曲はむしろ鍵盤楽器のための「イギリス組曲」「フランス組曲」などで有名だが、管弦楽のためのそれは「交響曲」の先祖になったジャンルであり(第1楽章に大きな序曲を持つ、複数楽章による、舞曲を含む、などの理由)なにかの祝祭に用いられたのだろうと思われる。バッハのものは4(または5)セット残っているが、今夜は2本のオーボエとファゴットが独奏で活躍する「第1番」を選んでいる。

*こうした器楽の音楽のほかに、今夜は宮廷・教会音楽のいずれにも最高の業績を残したバッハを思い、また受難の季節でもあることから特別選曲として、バッハの「ヨハネ受難曲」から、その最初と最後(終曲コラールの直前)に歌われる2つの大合唱曲もプログラムに加えています。3年前の秋にはこのホールで「マタイ受難曲」を抜粋解説しましたが、それよりも規模が小さく客観的な「ヨハネ受難曲」もまた素晴らしい音楽であることを実感していただけると思います。合唱には「マタイ」のときにも名唱を聞かせてくれた「東京オラトリオ研究会合唱団(指揮:郡司博さん)」をお願いしています。いつか皆さまに「マタイ」「ヨハネ」そして「ロ短調ミサ」の全曲をお届けできることを夢見ています。

では、始めはライプツィヒのトーマス教会のミサに、そしてそのあとは宮廷祝祭に招かれた貴族の気分となって、厳粛な受難の音楽、絢爛たる合奏協奏曲と名人芸の数々をお楽しみ下さい。

・それぞれの曲について

*「ヨハネ受難曲」より2つの大合唱曲

第1曲「主よ、私たちの統治者よ」

オーボエ奏者として演奏していると、冒頭から木管それぞれ2人の奏者の音が不協和音として厳しく拮抗し、ハモらず、気持ち悪い。しかも、無限運動を続ける弦楽器の上で休み無く戦い続けなくてはならず、「ハヤクオワラナイモノカ」などと不届きなことを思いながら吹いていた。

鈴木雅明さんによると、この音形は受難曲の中で「十字架につけよ!」と歌う民衆の叫びを先取りしたもので、「苦痛」を表現しているという。どうりで苦痛であった・・・(これは冗談ではない。マタイ受難曲にも、ひたすらに長く演奏の難しいガンバのパートが、「耐え忍べ」というアリアに付いている。こうしたことはバッハの意図なのであり、偶然ではないのだ。)

中間部は「最悪の最低のときにさえ、いつでもあなたがまことに神の子であり賛美されたことを、あなたの受難によって私たちにお示し下さい」という、「受難曲」が演奏されるということそもそもの根本的意義を堂々と説いている。「最低の最悪のとき」は、音域も音量も非常に落ちて、次の「賛美された」が爆発的にフォルテになる設計となっている。

この部分は2回歌われるが、その中央にこの楽章の中心点(全小節数の丁度半分の場所)が存在し、前後をシンメトリーに配置していることがわかる。

*余談:バッハのシンメトリー

ちなみに、ブランデンブルク協奏曲のほとんどの楽章も、小節数の丁度半分にあたる場所付近を調べてみると、なんらかの特別な音楽が存在していて、そこを「中心点」にして時間的前後に左右対称に音楽のブロックが並べられていることがわかる。大きいトコロでは「マタイ受難曲」3時間半が全体をシンメトリーで構成していることが有名である(中心点は、唯一低音楽器を沈黙させたソプラノ・アリアの「愛より来たりて」)が、今夜演奏するブランデンブルク協奏曲のほとんどの楽章にも同じ構成手法がある。これは、聴覚的にはほとんど気づかれないものであることが多いが、バッハの時代には創作がまだ神秘主義的であったり、すべての作品は神の前に差し出すものであるという考えから、「完全な形」としての左右対称を常に意識していたものと思われる。また左右対称は同時に三角形を構成するが、3が神の数、王冠の象徴であることも同じテーマだろうと思われる。聞いているとごく自然に楽しく響く音楽の奥にこうした複雑な数理をも包み込んでいるところに職人バッハの凄さがある。

第39曲「聖なる亡骸よ、安らかに憩いたまえ」

マタイ受難曲の終曲にも類似の音楽がある。ここでは、「あなたの墓標は私に天を開き、地獄を閉ざしてくれる」と言う言葉が印象的。これは、「あなたの行い、生涯に思いをいたし、それを忘れないこと」と解釈されるだろう。「あなた」をバッハと考えても、同じことが思える。俗世間や教会での無理解や中傷と戦い続けながらもこうした偉大な音楽を残してくれたバッハさんの魂に、一人の音楽家として本日の演奏を捧げたい。

*ブランデンブルク協奏曲第3番

独奏楽器:ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロそれぞれ3

あまりにも有名であり、どこかで聞いたことのある方はとても多いはず。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、それぞれ3人が3群をなして、ときには単独で、ときにはグループとして弾きまくり合う有り様は、音楽そのものの興奮と一致した完全なプランがある。曲集の中の「第3番」にしていることも偶然ではないでしょうね。第1楽章も後半に入って新しいテーマのような音形が現れたり、ヴァイオリンからヴィオラに難しいパッセージが音域を下げながら一人づつ受け渡され、「こんなこと、低音楽器に弾けるのか??」とはらはらしていると、なんとチエロは3名一体となってグループ防御作戦に出る、などサービス精神に富んでいる。

第2楽章はわずか二つの和音しかなく、これは誰かが即興で弾いたのだろうということになっている。プレゼンなのにちょっと手抜きかも・・・?

なお、この第1楽章はホルン2,オーボエ3を加えてカンタータ第174番のシンフォニアにも転用されているが、これは超絶ゴージャスなので、いつか演奏します。

*ブランデンブルク協奏曲第4番

独奏楽器:ヴァイオリン+2つのリコーダー

まさに超絶技巧のヴァイオリン協奏曲で、ケーテン時代に幾つか残されたヴァイオリン協奏曲に妙技を留めているふたりのコンサートマスター、マルクスかシュピースのどちらかが弾いたものだろう。フルート奏者はふたり雇われていたのでこれもケーテン宮廷オケの編成に一致している。ちなみに、自筆譜では「フルート・エコー」を楽器の指定が有り、そういう楽器は知られていないために長い間不思議がられていた。ハルノンクールの研究をもとに、今夜もちょっと実験を。

休憩

*管弦楽組曲第1番ハ長調

独奏楽器:オーボエ2,ファゴット

振るよりは吹きたい曲というのがあり、これなどはその典型。ドイツ時代この曲の仕事が来ると飛び上がって喜んだ。三鷹発信シリーズの「人間的楽器楽」ライブCDはおかげさまで遂にオーボエ+トロンボーンが発売となって完結したが、「オーボエ」の回では僕自身がこのステージで、この組曲からの抜粋を演奏したことを覚えている方もいらっしゃることでしょう。新発売CDを買って帰りましょう。忘れた人は本(ヤマハ)を買って帰りましょう。そのころまだこのシリーズを知らなくて聞いていない・・・と言う人は両方買いましょう。(!)

今日のオーボエは日本フィル首席の真田さん、サイトウ・キネンなどでも活躍の宮本門下精鋭の南方さん、ふたりの女流若手ソリストに三鷹常連の藤田さん(ファゴット)が加わります。

序曲、クーラント、ガボット1+2、フォルラーヌ、メヌエット1+2,ブーレ1+2,パスピエ1+2という構成。1+2とは、2という部分をトリオのようにして1にもう一度戻る指定。演奏があんまりキツイし長いので、そのとおり繰り返しをやんないこともありますからゴメンナサイ。

*ブランデンブルク協奏曲第6番

独奏楽器:ヴィオラ・ダ・ブラッチョ(通常のヴィオラ)2,ヴィオラ・ダ・ガンバ2。

音楽史も長いが、作曲者が自分で弾いていたことがはっきりと解っているパートには、独特の神々しさがある。モーツアルトやベートーヴェンのピアノ協奏曲、ショパンのピアノ曲、マーラーの交響曲(指揮)、バッハのオルガン曲、変わったところではショスタコービチ第1交響曲のピアノなどがそれだ。そこには作曲者自身の演奏技術が冷凍されているばかりか、演奏する姿、汗を彷彿とするものがあり、誰もいない練習場などでショスタコービチのピアノ・パートを弾いてみたりすると(弾けるわけ?・・・気分のみ。)彼の目に見えていた、鍵盤の向こうのレーニングラード音楽院の風景までが見えてくる様な気がする。このステージでピアノ協奏曲を演奏・指揮する沼尻さんにはモーツアルトの視界が開けているのだろう。うらやましい。

このブランデンブルク第6番の第1ヴィオラ・パートはあきらかにバッハ自身が弾いていたものである。ケーテンの宮廷楽団はベルリンで解散になった一流楽団の精鋭を集めて一気に充実したのだが、出納簿には別個ヴィオラ奏者が雇われていた形跡が無い(楽譜はある)うえに、息子が後年、「父はヴィオラの席から楽団を指揮しておりました」などと発言しているからだ。ヴァイオリンを排除してすべてが中低音楽器という渋い編成だが、演奏の喜び、これに優る音楽は無い。宮廷ガンバ奏者アーベルは第2パートを弾き、第1ガンバはケーテン侯レーオポルト(雇い主様)が自ら担当したとされている。(ちょっと簡単だから・・・。)社長がカラオケで音程を外して恥をかいたりしないように、何人かが同じメロディを先にお知らせしといたりしてるようなトコロ(カノン)もある。接待も大変なので第2楽章ではガンバは「お休みをいただいて・・・」になって、社員旅行の2次会みたいに楽団員だけで楽しそうにやっている。なお、ヴィオラの楽器名についている「ブラッチョ」は腕、「ガンバ」は足のこと。今日ご覧になると意味が解ります。

(アンコールのようなもの)

バッハ:カンタータ第30番より第1曲(合唱曲)

「喜べ、救われし羊たちよ」(聖ヨハネ祝日のための)