ハイドン:交響曲第82番ハ長調「熊」

(第1楽章呈示部のみ演奏)

当時、パリでのオーケストラ音楽会の開始は、ほぼ例外なくハイドンの交響曲であったという。今日はそれにちなみ、一群の「パリ交響曲」のなかでも、オープニングにふさわしい、祝祭的な、堂々たる楽章を選んだ。イキナリ呈示される、重々しく上向するもったいぶった第1主題(譜例1)は中断を繰り返しながらすぐ静まっていくが、そこに本当のファンファーレの不意打ちが来るという、もう、イキナリ憎い開始である。一度ファンファーレになってしまうと予想を超えてどこまでも盛り上がって、聞き手はあっというまに非日常の興奮に連れ去られている。魔法だ。

金属を口に含んでしまったときのような味がする、なんともいえない和音を経過して、曲はピチカートに伴奏される軽快爽快な第2主題(譜例2)へと進む。添えられたフルートの音色は神秘的、誘惑的、アンニュイで眠気を誘うが、これまた「驚愕」と「地震」(小結尾)によって嬉しく目覚めさせられる。G(属音)の音を刻み続けるバスの上で弦と木管が対話するうちに音が消えてゆき、呈示を終わる。簡潔にして充分、贅沢にして明快。「見本」のような呈示部だ。

なお、「熊」のあだ名は、この曲のフィナーレの冒頭が巨大な、どう猛な動物のうなり声を思わせるからだそうだが、僕には上品すぎて熊には聞こえない。このフィナーレも、イイコにしていたら近いうちに聞けるはず。

ハイドン:交響曲第83番ト短調「めんどり」

第1楽章

ト短調:ソナタ形式

この曲にも序奏がなく、いきなりト短調の情熱的開始。モーツアルトの小さなほうのト短調交響曲(「アマデウス」の開始の音楽)を連想する方も多いだろう。2小節目の強拍に、非常に決然と不協音であるCisが弾かれて、階段のような旋律はまさに身をよじる。(第1主題ト短調:譜例3)

よじっている隙にこの楽章全体にとって重要な付点リズムが3回打たれ、時間がフリーズ。この無音も含め、あまりにもショッキングなことが連続するので、聞き手はもはやとてつもなく深刻なドラマにわずか3小節で投げ込まれている。1ラウンドの開始から激しく打ちあうボクシングの試合のよう。

本来角張った主題の長さをさりげなく延長して、そこから次第に滑らかな旋律を導き、平行調の変ロ長調に転じていく様は「巨匠の8小節」である。こうして至った変ロ長調は泡立つように忙しい(譜例4)が、やがて舞台が無人となって第2主題が登場。さっきまでの深刻なドラマを茶化すように、あまりにも諧謔的でくすぐったい。(譜例5)さらにはコッココッコ・・・・・と、めんどりまでが鳴く。この「メンドリズム」が、さっきの「打ちあい」と同じリズムなのであるところに、ハイドンの、徹底的に素材を切り詰めて発展させ、統一感を作り出した「動機的労作」の意味、同じ材料から彼が作りだせる音楽の幅広さ、凄さがある。

展開部は教会的でさえあり、目立つ「めんどり」に負けて脇役かと思っていた「忙しい主題」(第2主題導入)が第1主題と重ねて扱われて本格的。ずっと忙しいので、ハイドンは突然中断を作る。

そして。そのあと聞こえるのはもはや紛れもないブラームスの音楽だ。100年新しすぎる。ロマン派なのだ。ここだけを聞いたら誰が「ハイドン!」と当てるだろうか?

その音楽にエネルギッシュに導かれる再現部では、第2主題はお約束のト短調には帰らないでト長調に進んでいる。「ブラームス風」には愛着が合ったのか、計画的なのか、コーダの開始にも使っている。ここでは「めんどりずむ」が重なってくるのに、それはちっともユーモラスには聞こえないで、むしろ真剣なメッセージに思えてくる。すごい瞬間であります。

第2楽章

変ホ長調ソナタ形式

客が寝るのをいつも本気で嫌がっていたらしいハイドンだが、無理もないでしょうね。で、幾度も、最弱音から最強音への「驚愕」を作曲して聴衆を起こしていたハイドンであるが、ここではユーモアの極地として、曲のほうが眠ってしまう。全く、面白い人であります。

ト短調(bb)からはもちろん、第1楽章を終わるト長調(#)からもちょっと遠い変ホ長調(bbb)をとる。「運命」と同じ楽章調性関係であり、第2楽章に入ったときに感じる曇った柔らかさには共通のものがあるはずだ。音楽全体の深遠、主題(譜例6)の美しさなども特筆だが、楽章がまさに終わらんとする瞬間の、オーボエとチェロが相互に係留し、狭い土台の上で手をつないで背筋を反らしているような(「タイタニック」か?)和音(Cbdim7/Eb)の、危なげで悩ましいことは、若きウエルテルの悩みか、シューベルトか。聞く人全ては春に還り、ここにもロマン派は予言されている。

第3楽章

メヌエット:ト長調

ト長調なのにeの音から入ってくるために、一瞬ホ短調のようにも響く。トリオでのとりすましたフルート(譜例7)も含めて全体に、「爽やか」がすこし過剰で「冷たい」とさえ思える、秋の風の様な音楽。第1楽章の熱情、第2楽章の深い詩情を冷ますシャーベットのような効果がある。

第4楽章

ト長調ソナタ形式(単一主題)

12/8で、狩の音楽なのであろうけれども、主題(譜例8)がさっそくたたえている高貴な風情はバッハのジグのようでもある。中間部で短調をとる(二短調)のもどこかバロック的。そう思って聞いていると最後に突然、幾度かフェルマータして回想的な場面が出現し、「ベートーヴェンかっ!!」と叫びたくなってしまう。交響曲1,4,8でマネしてる。

それにしても、明快歴然とト長調で終わってしまうが、開始のト短調はどこに消えたのか・・・これもまた「運命」(ハ短調>ハ長調)を先取りした調性構造。もっともあちらは闘争と勝利、こちらは悩みを忘れて狩に出かけた楽天家という風情だが・・・モーツアルトの2つのト短調交響曲やご自分の39番ト短調、44番ホ短調などは、ちゃんと約束通り暗く終わります。

ハイドン:交響曲第85番変ロ長調「王妃」より第2楽章「ロマンス」

(変ホ長調)

マリー・アントワネットがまだ少女なのにウィーンからパリに嫁ぎ、ベルサイユ宮殿を幾度もリフォームするような楽しい暮らしに明け暮れ、最後は革命でギロチンに送られた。ハイドンの音楽はまさにその時代に重なっている。彼女が愛したというこの楽章はフランスの恋歌「美しき(静かな)リゼット」(譜例9)にハイドンがつけた変奏曲。王妃が聞くと思って作曲したわけではないに違いないが、ここにつけられている和声の繊細さは、指揮の勉強のためにピアノで弾いたりしていると涙がこぼれるほどだ。ことに途中で変ホ短調に転じてからの軽やかな憂鬱は、一度は贅の限りを尽くして、歴史に殺されていった美しい、しかし平凡な女性の悲劇にふさわしく、僕には同じパリ、ギロチンとほとんど離れていない場所で亡くなったダイアナ妃にも通じるイメージにも聞こえている。

休憩

ハイドン:交響曲第88番ト長調「V字」

第1楽章

序奏がついている。大崎先生の文章の中で85番「王妃」の序奏はあとから追加した可能性があることを知ったが、非常に興味深い。85番の主部の開始は実に神秘的なので、いきなりあれで始まったら「(今以上に)凄い交響曲!」と思ってしまうだろう。85番ではハイドンには珍しく序奏の材料が主部で利用されているのだが、もしそうならば「主部の材料を使って序奏を書き足した」ことになるのも「こうもり序曲」のようで面白い。

さてこの曲。序奏部は短いものだが「もう、やめて!!」と叫びたくなるほどの、音楽を知り尽くした美と快楽に満ちている。3度繰り返される、教科書のようなシンプルな和音の連打構造が、挿入される大胆な半音階の旋律との対比でいかにやすらぎに満ちて聞こえることか。序奏部を終結に導くフリルのような音符は開始直後のスリルの中で「不意打ち」のフォルテとして、サブリミナルに皆様の頭脳にとっくに刷り込まれている脇役。

序奏のついている交響曲は主部が弱音で始まる物が多いとはいえ、この曲では序奏なしにイキナリ始めるのはちょっと無理だろうと思えるほど主部の開始はさりげない。ヴァイオリンがホルン5度で進行して屋外での祝祭を暗示する。(第1主題:譜例10)シンプルすぎるバスGの連打や大胆なユニゾンは当時祝祭で良く披露された軍隊(宮殿衛兵)の行進、それにつづく絢爛たる部分は花火なのだろうか。第1主題を、その伴奏形まで含んで徹底的に、ほとんど到達できるすべての調(b6個の変ロ短調!)にまで遠く転調し、強く、極めて弱く、明るく、また深刻に、手を変え品を変えずに取り扱いながらホ短調オルゲルプンクト(低音の長い保持音)のクライマックスに至るこの展開部を、若いベートーヴェンはどんなに徹底的に勉強しただろうか。彼の4番、8番など多くの交響曲に、もはや模倣とさえ言える展開を聞くことができる。偉大なりハイドン。

第2楽章

変奏曲:二長調

どちらかといえば貴族の屋外生活的、やや武骨な第1楽章と、ロンド・カプリチオのような気楽な第4楽章に、ふたつの、極めて特徴の強いふたつの楽章がはさまっていることが、この交響曲の表現の幅を大きく広げて、際立って魅力的にしている。

まず第2楽章は、変奏曲とはいえほとんど単一の旋律の繰り返しで構成してしまったような音楽。あまりの旋律の美しさにハイドン自身も魅了されて、主題を変形させることができなかったのだ。そのかわりに管弦楽法は凝りに凝っていて、オーボエ・ソロとチェロ・ソロを束ねて歌わせている。(譜例11)シューマンの4番の第2楽章に同じ例があるが、マネでしょう。シューマン君モネ。(?)

途中幾度も挿入される夕立や雷のような轟音は、ベートーヴェンの交響曲第4番で僕たちは幾度も聞いていた。スコアの外見さえ酷似しているほど(譜例12、13)、あきらかな影響関係がある。なお、この轟音のために緩徐楽章でトランペット、ティンパニを用いているのが大変珍しいということは有名だが、その効果のために第1楽章ではこれらを意識的にセーブしてあるという意見には賛成しない。第1楽章は主題からして「ホルン的」楽章で、トランペットのふさわしいシーンを想像できないのだ。

第3楽章

メヌエット:ト長調

そのティンパニを、また珍しくも独奏で用いるのがこのメヌエット。(当時はトランペットとティンパニは常に団体行動だった)絢爛、堂々たる、男性的、英雄的で規律正しい音楽は、ときおり鳴るティンパニ・ソロのユーモアと共に、どことなく宮殿衛兵の演習を思わせる。

トリオは一転して、仰天するばかりの「肥だめ」の音楽となる。(譜例14)ハイドンが生涯奉職したエステルハージ家はハンガリーの貴族であり、広大な屋敷の外にはドイツとは違う民俗音楽の世界が広がっていた。宮殿の自室の窓をあけ、地平線まで広がる庭園の向こうから地元の農民の祭りの音をかすかに聞くハイドンの目は、何を見つめていたのだろうか。

第4楽章

フィナーレ:ト長調

そもそも交響曲は、いみじくもハイドンの完成させた4楽章構成をとるのが基本として残ったが、その時代には舞曲楽章で終わる3楽章構成のものも根強かった。ハイドンもモーツアルトも、初期においてはフィナーレに舞踊組曲を思わせる3/8や6/8などを多用している。

この交響曲(#88)で聞くタイプの、2/4、快速でユーモラスな、それを象徴するかのようにファゴットが活躍するロンドは、後期ハイドン交響曲のフィナーレにとても多い。(譜例15)これは交響曲の「フィナーレ」=4番目、最後の楽章、というものについてハイドンが壮年期に立ち至った結論のようなものを示しているように思える。

「パリ交響曲」6曲のうち3曲が2/4であり、「トスト交響曲」ではこの88と89が双方ともに、「ドーニ交響曲」(90−92)でも2曲がこうしたフィナーレを持つ。(パリ関連11曲のうち7曲)。常に実験と変化を標榜したハイドンにしては珍しいデータと言えるだろう。

こうした「明るく軽快な」、ある意味定型化したフィナーレに飽き足らず、ハイドンの後続者たちは、大変奏曲(エロイカ)、深刻なソナタ(「モーツアルト#40」)フーガ(「ジュピター」)、楽器編成の拡大(「運命」)、そして合唱の導入(「第9」)と、ほかの楽章に較べても最大とも言える独創性、革命、工夫をフィナーレ創作に注入した。

ハイドンのフィナーレをマネして作ろうにも、あまりにも洗練され内容が深く、曲を閉じるにふさわしい気楽な愉しみで貫かれてとても超えられないことを、実際にマネをしてみてベートーヴェン(交響曲1,2)やシューベルト(交響曲1)は悟り、ほかの道を探したのかもしれない。曲の中間、全オーケストラが強引なHの音のオクターブ跳躍だけになり、そこからくすぐりくすぐり主題が引っぱり出されるのは、結果がわかっているのにじれったくておかしくて、マギー司郎の話術のよう。(譜例16)ベートーヴェンはこれも交響曲第8番のフィナーレで、オクターブに調律したティンパニとファゴットを使ってマネしたが、あんまし笑えないまま、今日に至る。(譜例17)

追伸:

*もし近い将来に聞くことがあったら、交響曲第82番「熊」のフィナーレもこの形式。低音にはドローン(保持音)(譜例18)が鳴り、民族風。曲の終わりにはまさに「あ〜〜〜〜〜っ!」と驚く仕掛けが。ご注意を。

次回プレレクチャー予告

(3/25:木曜日19:00:第1音楽練習室)

「運命」徹底解説に先立ち、クラシック音楽を聞くうえでどうしても重要な知識である「・・・調」とはなにか?どうやって決まっているのか?と、「和音」と、「ソナタ形式」について、ピアノに向かいながら非常に分かりやすく説明します。お楽しみに。お持ちの方は、携帯型キーボード(楽器の方)、お子様の(もしかして自分の)ピアニカなどをお持ちになると、より楽しめます。

「ホ短調」「ハ長調」などは血液型

血液型を変えてゆく音楽

血液型別相性物語

どの調にもある和音のタイプ、その意味

調を組み合わせてドラマを作るソナタ形式、基本のルールとルール破り

など。