毎日新聞家庭面連載「オトコのみかた」

掲載日:04年5月:7日、14日、21日、28日


オトコのみかた(1)

先日、チェンバロ奏者であるウチの家内は公演地の松江から電話してきて、「プログラムが急に変更になったから、家のバッハの楽譜今すぐファクスしてちょうだいドーゾ!」と命令し、コトナキを得ていた。便利な時代になったものだ。昔ならこういう場合「あ、もしもし、まず、ド。つぎソラレで。」とか、電話で口述筆記したり、「シラシ ソラミラレタシ」などと電報を打ったりしていたのだろうか。これからは携帯で楽譜を撮影して送信するようになるだろう。巷ではすでに、そのカメラつき携帯で書店の本を撮影して、必要な情報だけゲットする行為が流行しているという。

僕たち音楽家も、数ページの小品を演奏するために分厚い全集楽譜を買わなくてはならないことがあるし、作曲家の自筆譜(写真版)は数万円もするから気持ちは解るのだが、この情報撮影行為、違法ではないのに「デジタル万引き」と呼ばれている。関係各位のご心配も理解できるが、まー、本一冊を丸ごと撮影するくらいなら大抵の人は買ってしまうだろうし、ちょっと撮影されたくらいで無価値になってしまうような本は紙資源のムダと言える。コピーや記録をカンタンにする文明の進歩は、メディアにも「コピーできない価値」を創造するよう、変化を促しているということになるのだ。

そもそも、撮影やメモを禁止しても、必死で暗記することだけは禁じようがない。「あっ!こいつ暗記してる!ケーサツいくぞ!」「してません!」「じゃ暗誦してみろ!」「国境の長いトンネルを抜けると・・」これではコメディだ。

モーツアルトは子供のころ、一度だけ聞いた「門外不出」のミサ曲をすらすらと楽譜に書いてしまって関係者は蒼くなったというが、彼に「『全国温泉ガイド』暗記してきて!」と頼めば、立ち読み3分、交通手段から温泉の成分、料理のメニューにいたるまで教えてくれる。これなどは「天才万引き」ということになるのでありましょうか。略して「天引き」。失礼しました。


オトコのみかた(2)

われわれ音楽家は休日が不定期なのを幸い、連休前ですいた遊園地に娘を連れていった。しかし、僕は怖がりである。観覧車に乗った瞬間、ドアのすき間から地面が見えるというだけで卒倒しそうになった。「パパー、ウチどこー?」「こら、揺らすな!」などと叫び、すっかり父親の面目を失ってしまった。

恐怖の源たる想像力は音楽家には必須の能力である!などと地上におりてから言い訳してみても、ジェットコースター大好き!な母親の前にはただの「意気地無し!」であり、勝ち目がない。女性は恐怖に強いのである。

この「女は度胸」、実は演奏にも反映しているように思える。有名な人が多いピアニストを例にとってみても、中村紘子さん、小山実稚恵さん、伊藤恵さんなど、女流には堂々とダイナミックな演奏をする人が多い。ブーニンさん、野島稔さん、清水和音さんなど男性ピアニストのほうが、むしろ繊細で柔らかな演奏をする傾向があるのだ。弦楽器はもちろん管楽器にも次々進出している女性奏者たちは、緊張して音が震えたりしている男性陣を尻目に、落ち着いて堂々たる演奏をし、美しい容姿とあいまって高い評価を獲得している。

オーケストラの世界では、「このオケのヴァイオリン全員女性!」という状況を避けるため、優秀な男性ヴァイオリン奏者が求人難となっているほどだ。

さて、こうなってくると、音楽の世界でまだ男性優位といえるのは「指揮者」なのだが、ここにも女流指揮者の進出が目覚ましい。松尾葉子さんや西本智実さんの活躍は有名だし、N響にはオーストラリア人のシモーネ・ヤングさんがよく客演している。指揮と演奏は真剣な頭脳同士のコンタクトなので性別などはすぐ忘れてしまい違和感はないし、声が高くて聞き取りやすいのは、女性車掌さんのアナウンスと同じでありがたい。

彼女達は「なぜ、女性指揮者は少ないのか?」という問いにかつて用意されていた答え、「論理的思考力が」「暗記力・統率力が」などを、ダイナミックな指揮ぶりで打ち砕いて、驀進しているのだ。

最近までウィーン・フィルやドイツの幾つかのオーケストラは女性を入団させなかった。しかし、こうなると、「女性だけ」のオーケストラが出来る、あるいは、「そうなってしまう」日も近いであろう。

なに?「女子十二楽坊」がもうある?失礼しました。


オトコのみかた(3)

休みになると船の模型を作る。1隻が平均10センチの甲板には手すり(高さ約2ミリ!)が張られ、はしごがつけられ、0.2ミリ径くらいのマストからは無数のロープ、ワイヤーが船体中に張り巡らされる。細部工作もだが面白いのは塗装。キレイな船を作っても実感がないので、長い航海で汚れて錆が流れ落ちているように極細の面相筆で塗る。こうして完成した模型を屋上で撮影すると、(僕には)ホンモノのように見える。

ちょっと考えてみると僕の仕事(クラシック音楽の演奏)とプラモデルは似ている。どちらも、完成図・部品(作曲・楽譜)は用意されていて完成は誰にでも約束されているが、そこに独自の技術や想像力、解釈を盛り込んで自分の作品を作り上げる作業だからだ。同じ作品を演奏しても、そこには無限といえる水準、趣味、人生の反映が歴然と発生する。第2次産業ならぬ第2次表現とでもいうのだろうか。音一つ一つの色合い、並び方、つながり方、変化の曲線は、模型の上に塗られてゆく一刷毛づつの影、錆、ピンセットで張られてゆくたわんだロープの曲線に相当している。

27年前音大に合格したとき、師匠(丸山盛三先生)のお宅に挨拶に伺った。お茶を出され、かちかちになって謹厳な先生と音楽の話をしていたら、本棚に大きなレーシングカーの模型が飾ってあるのが気になった。折りを見て、「あ、あれは・・先生の御趣味ですか?」と切りだしたら、突然先生は黙って席を立ち、隣の部屋に引っ込んでしまった。「どうしよう、こんなバカと話はできないから、もう帰れ!」という意味だろうか?とおののいていたら、戻ってきた。手には楽器を調整する小さなドライバーを持っている。「やっぱり・・・これから楽器を調整するから帰れという・・」と怯えていたら、いきなり棚からレーシングカーを取りだして、そのドライバーでボンネットを開け、「見たまえ!!このエンジンの精密さ!」と胸を張って下さった。こっちの胸はなでおろされた。

当時、今の僕と丁度同じ年齢で、僕のしているN響首席仕事を素晴らしい音色でなさっていた先生だが、惜しくも故人となられた。ときおり、ドライバーで楽器を調整していると、あのときのブルーのレーシングカーが目に浮かぶ。


オトコのみかた(4)

朝、娘に、起きて目玉焼き作って!と言われ、張りきって支度をさせていただいた。油の適温を確認し、別の器に割っておいた卵をフライパンにぢりりりっ、と入れ、黄身に指先で塩をもみ落し、ぬるま湯をじゃっ!と注ぎ込むと同時にべがん!とふたをして「霜降り」に・・・と、コックさん気取りでやっていたところ、ホンの少し多すぎた油とぬるま湯が反応し、「ぷぢょわわわ!!」と霧が吹きこぼれた。

さあ大変である。

こんなものを放置しておいたらホーローのガス台には汚れががっちり付着してしまい、それを発見した家内からどんなに叱られるかわからない。見事に仕上がった黄身に胡椒を挽いてサーヴし、娘に「おいしーねー!!」と、お褒めいただくシェフの幸福を味わうまもなく、僕はただちに熱いガス台の掃除にかかった。

家内が台所を新品のようにしておかないと気が済まないのは、ドイツ仕込みである。ドイツ人の家の、まるで使われていないように美しいことは有名で、日本の価値基準が「食・衣・住」ならば、ドイツ人のそれは徹底して「住・住・住」であるとさえ思える。突然訪問しても家の中はどこも日本のモデルルームのようにキレイであり、新聞の置き方までがインテリア雑誌のように計算され尽くされている。留学してくるや否や家内はこの状態に感激してドイツ住宅信奉者となったため、一緒に暮らすダラシナイ僕は、タオルの干し方、まな板収納の角度まで、片づけ法を厳しく御指導いただくことになったのである。当然、そこには風呂桶は入る前に洗う?出た後洗う?など価値観の相違が頻繁に存在し、闘争の末双方合意の片づけ方条約を締結して今日に至っている事項も数多い。

帰国して僕が多忙を極めてからは、お互いの練習・仕事をしながら手の空いたほうが家事をする、というドイツ時代の生活はできなくなったが、僕がときおり作る料理の腕前と片づけの素早さに、その時代と御指導の成果が残っている。 思えば今年で、人生を半分以上一緒にやったことになるのだが、ここまでの年月をかけてようやく台所掃除を覚えた以上、もう一度始めから別のやりかたを御指導頂くのもメンドクサイ。とりあえず死ぬまでは一緒に暮らしてみようと思っているのであります。失礼しました。

(終わり)

家ページに戻る