モンゴル近代文学とその研究の諸問題

 

 

D.ガルバータル(東京外国語大学客員教授)

(訳)岡田和行(東京外国語大学助教授)

 

モンゴル文学の歴史は現在、およそ1000年間の範囲内で研究されている。この期間の約10分の1が「新文学」「近代文学」「革命文学」「社会主義リアリズム文学」というような様々な名称で呼ばれている文学の遺産によって占められている。この期の文学の歴史と理論の研究において必然的に取り上げるべき問題、明らかにすべき問題が少なからず蓄積されてきたことを私たちは知っている。 私個人としては、1930年代末までのモンゴル文学の遺産、詩学の様式、文体の特徴を東洋文学の範疇に入れて理解している。そして、古くから中国文学、インド文学、チベット文学、アラビア文学、ペルシア文学と非常に近い関係を持っていたモンゴル文学が、1940年代末から1980年代末までは、むしろロシア=ヨーロッパ文学の影響と様式を積極的に受容していた文学であったと理解している。したがって、モンゴル近代文学の80年あまりの歴史は、その総体としては東洋の伝統的な文化圏の中で、しかしながらロシア=ヨーロッパの文学と芸術文化の二重の影響の下に、民族的な特徴を可能なかぎり保持することを志向し発展してきたと言えよう。 前世紀の初めには、民族解放運動の過程とその勝利によって、文化生活と文学生活に覚醒の徴候が感じられ、1921年の人民革命後、革命新文学の最初の諸作品が生まれ、モンゴル文学に大きな刷新が現れた。その主要な成果は、革命新文学がその初期には古典文学と同様に口承文芸の手法、実践、詩学に基づいていたが、短期間で理論上(すなわち社会主義リアリズム)の明確なコンセプトを持つ、近代的な書面文学の形態に移行できたことにある。 モンゴルの新しい文学の歴史の初期を注意深く観察すると、1921年から1937年の間は主として口承文芸の方法論に依拠した短い形式の作品が主流を占め、文学研究において自然主義、抽象主義、形式主義、象徴主義、図式主義……と名づけられている、ナチュラリズム、アブストラクショニズム、フォルマリズム、シンボリズム、スキーマティズム……などの傾向の多くの手法が共存し、相互にせめぎ合い、探求を行っていた姿がはっきりと見て取れる。 芸術創作の新しい方法論のために若い作家たちが行っていたこの自由な探求は、革命新文学の主要勢力であったS.ボヤンネメフ、M.ヤダムスレン、Sh.アヨーシ……らが1937年に政治的な事件に連座して処刑され、D.ナツァグドルジ、Ts.ダムディンスレン、B.リンチェン、D.ナムダク……などの作家たちが投獄された後に途絶えた。そして、1937年から1948年にかけて文学の正常な活動は基本的に中断し、新しい世代が登場してくるまで、文学に一時空白が生じるのである。この年月に、上述した多くの手法と並んで、ソビエトの芸術にその基礎を置いていた社会主義リアリズムの理論と方法論(1934年)が思想面で非常に強化され、党の政治・イデオロギー政策の強力な支援を得て、他の手法を押さえつけながら指導的な地位に躍進した。当時は未熟だったこの手法は、1939年のハルハ河戦争と第二次世界大戦を経過した後、言いかえれば、1948年から1960年代の間に理論面だけでなく実践面でも完成されたのである。 社会主義リアリズムには、モンゴルだけでなくソビエトの芸術実践の場でその完成を見るまで、少なからぬ困難と障害を乗り越えてきた歴史がある。理論的な知識が浅く、経験もほとんど積んでいなかったモンゴルの若い作家たちは、民族的な伝統からはほど遠く、誕生したばかりで成長過程にあったこの方法論を、その最初から不完全かつ安易に理解していた。そのため、モンゴル文学に社会主義リアリズムの幼少期の一つの姿として残された図式主義あるいはスキーマティズムが、1940-1960年代に一時支配的な地位を占めるまでになった。社会生活における矛盾と葛藤を否定し、社会主義の新しい人間の卓越した形象を創作するために人物像を図式化し、ささいな労働の成果でも全面的に賞賛することを目指したこの傾向は、1960年代初期まで続いていたように思われる(それ以降も文学に執拗にまとわりついていたのだ)。もちろん、この期に社会主義リアリズムのすぐれた作品も現れ続けていたことを否定するものでは断じてない。 1960年代から社会主義建設[完成]期が始まったため、社会主義リアリズムも自身の様式を完成させる隆盛期を迎えた。このような時代は基本的に1990年まで続いた。言いかえれば、1940年代末から社会主義リアリズムの方法と原理が芸術に精力的に導入され、1990年になって、当時の社会制度にきわめて適した方法論と思想を有する、いくつかの主要な文芸ジャンルを統合した、世界の標準に匹敵する新しい様式の書面文学を持つことができたのである。これが社会主義リアリズム文学であった。これを、封建制から社会主義に移行する歴史の長い期間を含む社会の第一の過渡期、あるいは、社会主義リアリズム文学の歴史的勝利、主要な功績と言うことができる。このような最初の過渡期に、たとえ若い作家たちが創作と探求の過程で理論と方法論の面から誤りを犯しても、政治的な理由から正常な文学活動が中断され継承関係が失われても、文学の内部事情に党と国家のイデオロギー政策や決定が主要な影響力を持っていたとしても、何十人もの有能な小説家や詩人が生まれ、多数のすぐれた詩、長編詩、長編小説、中編小説、短編小説の、さらには戯曲や脚本の完璧な遺産が形成され、自国のみならず諸外国の読者にも享受されるようになった、という歴史的な意義と価値を弱めたり否定したりすることは断じてあってはならない。モンゴル近代文学の各時代の傑出した代表者のすぐれた作品が、偉大な文学の宝庫の中で、社会主義リアリズムの手法の歴史的な一時代を代表して輝いていることは、容易に理解されよう。 しかしながら、社会主義リアリズムが崇拝の対象となり、他の手法、文体、探求、実験を排除し、さらには政治化し、一党独裁のイデオロギー活動の武器に変貌したため、1980年代には作家の意欲、芸術的能力、詩学[のレベル]が著しく低下し、作品のテーマ、人物像と表現、構成、筋(プロット)が執拗に繰り返され、停滞状況に陥ったため、その能力と信頼を失い始めた、という歴史的事実を正当化する術はない。たとえ芸術の摂理から逸脱した多くの歪曲があったとしても、芸術の自立したまったく新しい体系的思想、体系化された方法論が整備されたことにより、「社会主義リアリズムの……」と誇らしげに語る愛国主義、人道主義、人民主義、英雄主義の思想が深く浸透した、現実の客観的真実とその明るい面を尊重したすぐれた著作が生まれ、その数世代にわたる作者たちが生まれた歴史的役割を、現在でも肯定的かつ好意的に見るべきである。しかしながら、今後は芸術に君臨する唯一の創作方法であるという可能性はなくなり、多くの手法が共存し、お互いに切磋琢磨しながら発展するような時代が到来したことを容認する社会的・心理的環境が、今ではすでに文学に生まれているのである。 1990年の民主革命の後、社会主義の旧制度から民主的な自由市場関係に移行する社会過程に関連して、旧来の方法論や理論的方針が時代の趨勢によって崩壊し、それにともなって文学界にも深刻な危機が生まれた。モンゴル文学は現在でもこの歴史的な危機の時代を克服する途上にある。社会主義から民主主義と市場社会の新しい関係に移行する過渡期の文学におけるこの危機を簡単に言えば、一元論に基づいていた文学に多元論を認め、自由な思考を尊重し、被害を最小限にとどめながら、人類の芸術と文学の共通の発展の道に移行する過程に現れている合法則的な現象である、と理解しなければならない。モンゴル近代文学の発展過程と歴史を概略的に言えば、以上のようになる。したがって、文学を危機的状況から救出しようとすれば、何よりもまず第一に、民族文学の手法と文体の歴史を詳細に研究し、それに基づいた正しい時代区分を行う必要が出てくる。 1990年代以前、モンゴル近代文学史の時代区分は、

 1. 反帝反封建人民革命の勝利と非資本主義的発展の道への移行期(1921-1940年) 2. 社会主義建設のための闘争期(1940-1965年)    А)第二次世界大戦期の文学(1940-1947年)    Б)平和建設期の文学(1948-1965年) 3. 社会主義建設期の文学(1965年以降)

というように、わが国の社会・政治生活に現れた特徴ある時代に基づいて区分してきた。最近では何人かの学者(S.ドラム、Ch.ビリクサイハン、Kh.サムピルデンデブなど)が様々な時代区分の考えを提示している。彼らの見解と理論を考慮して反映し、近代文学史の時代区分を、

  1. 封建制から非資本主義的発展の道へ移行する社会の第一の過渡期あるいは多元論                             の文学(1921-1937年)  2. 文学の正常な発展の喪失期あるいは戦争期の文学(1937-1947年)   3. 社会主義リアリズムが宣言され図式主義が拡大した時代の文学(1948-1965年)  4. 社会主義リアリズム文学の時代(1965-1990年)  5. 社会主義から民主主義と市場関係へ移行する社会の第二の過渡期あるいは自由な   思考に基づいた多元論の文学の時代(1990年から現在まで)

と規定すれば、モンゴル近代文学の発展の本質と各時代の特徴をかなり明確化することができよう。 モンゴル近代文学の研究は1920-1930年代にその開始を見るが、方法論の面では口承文芸と書面文学の作品の概念を解釈する古い手法が相変わらず支配的だった。S.ボヤンネメフ、Sh.アヨーシ、D.チミドなどの作家が新しい様式の研究の方法論を提起し、理論研究書を著した。1940-1950年代になると、近代的な芸術と科学の適切な知識と教養を身につけたTs.ダムディンスレン、B.リンチェン、N.ダンザン、Ch.ダシニャム、Ts.ツェデンジャブ、D.センゲー、G.ジャムスランジャブ、P.ホルローなどの作家や研究者が継承し、研究と批評の独立した分野が生まれた。初期には作家たちは批評活動も同時に行い、具体的な作品を分析して評価と結論を与える実践的な批評が多くを占めていた。1950-1960年代になると、M.ガーダムバ、D.ツァガーン、G.リンチェンサムボー、Ts.ムンフ、Ts.ハスバータル、D.ツェンド、S.ロブサンワンダンなどの多くの専門家が参入したことによって、近代文学の歴史、理論、批評は専門のレベルに達した。この期の主な特徴は、1921年以降の文学の成果を総括し、その成功と失敗を明らかにし、社会主義リアリズム文学の歴史を書き、社会主義リアリズムを理論と方法論の面から研究して強化し、文学の発展過程を理論と実践の観点から分析し、具体的な作品に専門的な評価を与える方向に主たる精力と関心を向けてきた点にある。これ以降の時代の研究者や批評家も、先輩世代の人々の伝統を継承してきた。これは事実上、モンゴル文学の研究が、社会主義リアリズム文学の研究と宣伝、その政治とイデオロギー面における純化、資本主義の芸術と文学の様々な「敵対的」影響からの擁護に主として向けられてきたということである。このような片寄った傾向は徐々に文学史を貧困化し、研究活動に理論、方法論、思想、思考様式、書式の画一化をもたらし、将来正常に発展する可能性を閉ざし始めたのである。その一例は、モンゴル近代文学の錯綜した、矛盾と葛藤に満ちた、多くの手法と潮流がせめぎ合った豊かな歴史を、科学的な見地から客観的に評価して書くことができないでいることである。1921年以降の新しい文学の歴史を叙述した『モンゴル近代文学簡史』(1968年)と『モンゴル近代文学史』(3巻本)という二種の大著が出版されたが、この著作は事実上、社会主義リアリズムがモンゴル文学にどのように導入され発展したかという歴史だけを書いたもので、文学に現れた様々な錯綜した現象、出来事、矛盾、葛藤の歴史は基本的に削除され、その空白をただ一つの作品を例に挙げて批判する立場をとっている。私は個人的には、わが国の先輩世代の研究者たちが社会主義リアリズム文学の歴史をかなり堅実に研究したと思っている。言いかえれば、彼らは作品の内容と思想の面の研究は十分に行ったが、形式面の研究は等閑に付され、社会主義リアリズムの原理に反するすべての理論や主義、新しい探求と実験に基づく作品の遺産が削除されてしまったのは、文学史を片寄ったものにし、すべての研究を理論研究から遠ざけ、ステレオタイプに封じ込めてしまったのではなかろうかと考えている。 このような理由から、社会史の時代区分を考慮するだけでなく、文学それ自身の方法と文体が変遷してきた発展の歴史とその法則に基づいた時代区分を、多くの人々が十分に議論し、次のような事項に留意して決める必要があるだろう。 ━━モンゴル近代文学の客観的な歴史を研究者の共同の知性を動員して創作する。 ━━1920-30年代の社会の第一の過渡期の文学に現れた理論と教義の葛藤、多くの潮流(自然主義、象徴主義、抽象主義、形式主義、浪漫主義、図式主義など)が生まれた理由、民族的な伝統とその意義、[これらが]1940年代より社会主義リアリズムに圧迫され創作の実践から締め出されたことなど、の錯綜した歴史を研究して統一規格を作る。 ━━1937年の大量粛清によって芸術活動が中断し、文学に生じた空白をいかに克服してきたのか。 ━━社会主義リアリズムがその初期に理論と方法論の面で十分に整備されておらず、未熟だったがために現れた「無葛藤理論」図式主義の哲学的・政治的基盤、その意義、それによってもたらされた害毒、続いた期間。 ━━社会主義建設期に批判され非難された諸作品と政治的な事件で粛清された作家たちの作品の名誉を回復し、文学的に誤りであるとされた歴史上の人物の人間像と活動を歴史の真実に合わせて訂正する。 ━━1990年代から始まった社会の新しい過渡期の文学に現れた矛盾と危機的状況、詩学に現れた様々な潮流や流派に関わる錯綜した諸問題を、自由な多元論の観点から現代の新しい方法論を活用して研究し、理論上のいくつかの方針を明確に決定する必要が、文学の内的生活から生じている。 過去の年間、社会主義リアリズムの研究がかなり精力的に行われてきたが、現在では反省し訂正する事項が少なからず蓄積されている。また非リアリズム的手法だけでなく、そもそもモンゴル人が古来、芸術文化上の貴重な事物を創造してきた創作方法の面でも基礎的な研究さえ行われていないのが現状である。したがって、モンゴル文学の手法の体系的な研究に基づいた正しい時代区分とそれに合致した新しい歴史が創造されれば、モンゴル文学研究に伝統と刷新の規範を保持した多岐にわたる新しい道が切り開かれ、その程度に応じて、理論研究や詩学に進歩が現れる広範な可能性が開かれるはずである。 以上のような課題は、従来の文学史の書き手(これには私自身も含まれる)や社会主義リアリズムの手法を専門的に研究してきた人々の名誉を傷つけ、そのいくつかの著作や論文などに害を及ぼすかも知れない。あるいはまた、そのための反対闘争に時間と労力と知力が大きく要求される苦難に満ちた作業であるかも知れない。たとえそうであっても、これらすべてをお互いに理解し合い、短期間で体系的な正しい作業を行わなければ、現在の危機と袋小路から抜け出す出口は少しも見えてこないだろう。もちろん、このように過去のすべてを反省するというのは困難な作業ではある。しかしながら、モンゴルの各世代の研究者には、これを共同で解決する精神力、強靭な知力、理論と方法論上の適切な経験があるということには疑問の余地はない。 モンゴル文学の発展の道程は明確である。それは、私たちが世界文学の共通の法則にしたがい、世界文学に精神的な貢献をすることにこそ存するのである。

東京 2001年5月26日