磯野富士子・モスタールト記念文庫について

 

アントワーヌ・モスタールト神父と磯野富士子先生の出会いは日本におけるアジア研究史の象徴的な一コマであり、お二人の出会いは、後に、磯野富士子訳『オルドス口碑集』として結実し、平凡社東洋文庫の中の一冊として出版されました。

 

しかし、出版されたものは抄訳でした。その全訳は大学ノートにぎっしりと書き込まれています。転居のため資料の整理を考えておられた磯野先生が、モンゴル語訳聖書の研究を通じて、スクート会の司祭方と交流をもつことになった清泉女学院の芝山にお声をかけて下さったのがきっかけとなり、その貴重な翻訳原稿と、当時の使用された原テキスト、仏語訳、辞書、写真資料等が寄贈されることになりました。

この貴重な資料を生かし、できれば、情報担当者とも共同して、テキストの電子化にも取り組むなど利用の可能性を広げ、本学だけでなく、ひろく、モンゴル学や口承文芸、民族学などに関心をもつ人々との共同研究に役立てていきたいと考えています。

 

アントワーヌ・モスタールト師について

Textes oraux ordos とそのフランス語訳、そして Dictionnaire Ordus を著したアントワーヌ・モスタールト師は1881年、ベルギー生まれ。モンゴル研究者なら知らぬもののない碩学であり、また、モンゴルへのカトリック宣教のパイオニイアの一人であった。1906年から1926年までモンゴルの地にあって、神父は、信者であるか否かを問わず、モンゴルの人々に優しく接した。師の人柄は1917年の飢饉の際、「なにかが私に残っている限り、それはあなたがたのものだ。」といって修道院に残ったわずかな穀類蔵の鍵をモンゴル人に渡したという逸話にもよくあらわされている。モンゴルから北京に移り、1949年アメリカへ居を移し、1971年、帰天。1993年には師の記念国際シンポジウムがベルギーで開かれた。

 

磯野富士子先生 について

1939年日本女子大学英文科を卒業、43年に夫である法学者磯野誠一氏のモンゴルでの調査活動に同行した。滞在の記録は『冬のモンゴル』(中公文庫)として出版されている。モンゴル滞在中にオルドス口碑集の翻訳を開始し、終戦直後、夫は調査中にソ連軍と遭遇、投降、単身、北京に戻り帰国した。52年ハーヴァードのセミナーでキッシンジャーと知り合った頃から、海外への日本からの発言の重要性を認識、留学中にブリテッシュカウンシルの制止をふりきり、被爆者の通訳ボランティアを行ったことは有名。誠一氏と共同で家族法の研究に取り組み、『家事事件の法的側面と人間関係調整の側面』という先駆的な論文を発表した。日本女子大、東京大学、英国リーズ大学などで講師を務めた他、60年代からラティモアの死までパリの研究所でその研究を支えた。

 

清泉女学院大学・短期大学のHPは、http://www.seisen-jc.ac.jp/index.htm