バドミントンの伝来に関する調査

 数年前、長崎観光に行く折り、観光案内図によって出島の商館跡に「バドミントン伝来」の碑というものがあることを発見したので、行って見ることにした。(雲仙普賢岳の調査というか巡見が目的でしたが、内容は長崎市内とハウステンボスで遊んでただけ・・・)
 1787年江戸時代の蘭学者 森島中良によって著された「紅毛雑話」(長崎県立美術館蔵)に「ラケット」と「ウーラング」(シャトルコック?)を使って遊ぶオランダ人 の絵が「長崎和蘭陀屋敷絵図」として残されている。日本史で天明の飢饉などと習う時代のことである。
 英国グロスターシャー南部のバドミントン村でルールが定められてバドミントンが競技として生まれるのは1873年であるから「紅毛雑話」はそれより1世紀も早いことになる。しかし、バドミントンのルーツはインドのプーナ(poona)という遊びで、1820年頃には当地のイギリス人が遊んだという記録もあるので、似たような遊び(まだスポーツとはいえない段階)はもっと古くからあったに違いない。ちなみにプーナは町の名前で、現在も大都市である。
 当時インドに植民地を持っていたイギリス人やオランダ人が、同じ種類の遊びを各地でおこなっていたのは不思議でも何でもないのだが、日本にそんな記録があったとは驚きである。
 ついでに江戸時代の絵巻物「漢洋長崎居留図巻」にもバドミントンらしき絵が載っているそうである。残念ながらこちらのほうの実物を見たことはない。

 19世紀末のバドミントンについては、19世紀のバドミントンファッション再現 にも記してあるので参照してほしい。
 さて、長崎でおこなわれていた遊び「紅毛羽根突」をもって、日本にバドミントンが伝来したのはここであると長崎県バドミントン協会が出島の商館跡に「バドミントン伝来之地」なる石碑を1979年に建てた。1mもない小さなモノで、板塀の隙間に隠れて探すのにも苦労するようなシロモノだが確かに存在する。
 しかし、バドミントンという名前ができる前から「バドミントンが伝来」してたって、なんか変じゃないかな???

 なお、碑の右面の「日本発祥之地記念碑」は、第一回日中バドミントン競技大会の中国選手団長、孫藍氏の書である。

 「長崎和蘭陀屋敷絵図」の写真は長崎南商業高校のHPから転載しました。

1999年5月
2008年4月22日加筆修正