精神力と根性について

 スポーツに限らず「精神力」と言う言葉がまた幅を利かせてきた。「精神力で勝ちました」「精神力が足りないので負けたんだ」などと言う選手・コーチ・監督のいかに多いことか。一時精神論など流行らなくなった時代もあったのだが、不透明な時代にふさわしく、精神論の復権が著しいように思われる。

 さて、「精神力」とはなんだろう。「力」というからには物理学の用語であるはずなのだが、残念ながら物理学事典を見ても「精神力」は無い。当然ながら物理学者が学会で「精神力」という単語を使うことはない。  「精神」とは人間の心・たましいであるとされる。たましいの存在を疑う人も、心の存在を疑う人はいないので、「精神」なるものは存在すると考えてよい。「我思う、故に我あり」の唯物論者デカルトですら精神の存在を認めているし、私も脳の働きとして「精神=自我」の存在を認めてもよいと考えている。
 そこで、スポーツ一般に「精神力」とは「勝ちたいと思う心」ということなのだろう。つまり「精神力が強い」とは「勝ちたいと思う心が強い」ということであると考えられる。だが「勝ちたい」と願って勝てるものではない。試合をすれば一方が勝って他方が負けるのだが、体力・技術に差があれば勝敗は明かである。「精神力」なるものが登場するのは、下馬評で弱いとされる側が勝ったり、競った試合で逆転勝ちを収めた場合である。このとき勝った方は「精神力で勝った」といい、負けた側は「精神力で負けた」と言われるのである。

 さて私は「精神力」などというものは存在しないと考えている。少なくとも、物理的存在でないものに「力」という言葉を使って欲しくないと考えている。「精神」の存在を認めても「精神力」は認めていない。「力」は物理学の用語で f=m・a であらわされる。(m:質量 a:加速度) したがって単位は kgms^−2 で一般に〔N〕(ニュートン)で表される。

 「お前は精神力で不足して負けた」という指導者がいれば、いったい何ニュートン不足していたのか訊いてみるがよい。そんな質問に答えられる指導者がいるはずもない。「屁理屈をこねるな!」としかられるのが関の山である。指導者が指導を放棄した瞬間である。指導者は自分の指導できないことを選手のせいにして、責任逃れをしているわけである。
 時速300km/hが速いスマッシュで、100km/hのスマッシュが遅いのはわかる。速いスマッシュを打つためには、ラケット(道具)を選び、筋肉を鍛え練習でタイミングを覚えていけばよい。体力の付け方と技術・戦術を教えることはできる。また練習や試合に取り組む考え方・目的、目標も示すことはできる。しかし精神力をつける方法は教えることができない。競った試合で負けるのは体力や技術で負けたのである。(多少の運があるかもしれない・・・審判がジャッジをミスったとか)試合に臨むと練習でできることができないことことはよくある。「普段の実力が出せない」と言ったりする。残念ながらそれが実力である。

 いや 精神力を鍛える方法を学んだという人もいるかもしれない。座禅・ヨガをやったとか、刀の刃先を歩いたとか・・・もっと別の方法もあるかもしれない・・・しかし、これは純粋に医学的な問題である。緊張すると筋肉が自由に動かなくなったり、思ったことが言えなくなることもある。これは精神力などという神秘的な力ではなく、単に自律神経をコントロールできないだけである。
 人間は自分に自信がないことや不安なことをすると、緊張して自律神経のバランスが崩れる。たいていは交感神経がはたらきすぎて心臓の鼓動が速くなり(ドキドキする)、冷や汗をかいたりする。適度の緊張は良い結果を生むことが多いが、過ぎると一種のパニックにおちいる。これが「アガル」という現象で、間脳の作用である。
 柳田邦夫氏は人間の精神状態を「フェイズ」で分類している。(フェイズ1はリラックスした状態、2は普通の状態、3が緊張状態 4がパニック)試合に臨んで緊張感を持続しフェイズ3を持続することで良い結果が得られることが多いが、それは普段の練習でフェイズ3状態を経験している者ができる業である。そしてフェイズ4にならず試合中でもフェイズ2の状態になったりフェイズ3の状態になったりとコントロールできるように訓練することは可能である。このような訓練法を「精神力を鍛える」と誤解している(あるいは定義を誤っている)だけなのである。

 当然、緊張状態で長時間ゲームをする(競った試合など)というような経験を持たない者は、やっているうちに体力が尽きると的確なショットが打てなくなる、相手はこちらのパターンを読んで対応してくるということを知らず、「後半はミスで自滅した、精神力で負けた」などと言うのである。

 ついでに「根性」についても言及しよう。わたしは「根性」は存在すると考えている。
その正体は「アドレナリン」である。アドレナリンはホルモンの一種で、血糖値を上昇させるはたらきをする。また神経伝達物質のノルアドレナリンも似た効果を生む。
 砂漠で倒れて「もう一歩も歩けない、ここで死ぬ」と思ったとき、10m先にオアシスが見えたら必死で歩いて助かろうとする。このとき分泌されるのがアドレナリンである。ヒトは数百万年の歴史の中でここ一発というようなときに生死をかけて勇気と根性を試されてきた。そしてより多くの勇気と根性の遺伝子を持つ者だけが子孫を残せたのである。(精神などという崇高なものではなく純粋に本能である)
 そして勇気と根性を試す競争は現在も続いているので、より根性のある者のほうが生き延びるチャンスが多いのである。(あくまで確率なので100%じゃない)