バドミントンは永遠にマイナーか?

 以下の文章は バドミントンがサーブ権移動式のルールでおこなわれていた時期に書いたものである。したがって一部 現状とあわない部分もある。しかしながら バドミントンが永遠にマイナーであるかもしれない根本的原因についてはなんら解消されていないので継続して掲載することにする。
 2008年4月21日

 ここではバドミントンがなぜ面白くて、しかもなぜマイナースポーツから抜け出せないか考えてみることにする。

 すべての生物が生存競争をおこなうなかで、天敵のいない人間が人口抑制のためにおこなってきたのが戦争であるとの説がある。生存競争では競争相手より優れた能力をもつ個体が有利になる。優れた能力とは個々の体力であったり、仲間と共同で作業のできる協調性や作戦能力であったりする。勝ち負けのある対戦型スポーツ(ゲーム)の多くは戦争の一部を模擬化し昇華させたものであるから、スポーツを戦争の形態によって分類することも可能であろう。この場合の戦争は古代や中世の戦争をイメージしている。

 そこで 対戦型スポーツを次の4つに分類してみた。分類方法に異論のある向きもあろうが、おおよその概念として捉えて欲しい。

1.陸戦型 :攻撃と守備がはっきり分かれている。ゲームを中断して作戦をたてることができる。戦略的である。指揮官の役割だけを分担する場合はスポーツではないがチェスや将棋などのゲームも含むことができるかもしれない。

2.海戦型 :攻撃と守備が瞬時に入れ替わる。一度始めると止められないので個々のプレーヤーの戦術眼が必要になる。

3.砲撃戦型:障害物で隔てられた相手の陣地に攻撃を加える。相手の守備の弱点をつき、砲弾を多くたたき込むと勝利する。

4.肉弾戦型:肉体を使った格闘、ドッグファイト。もっとも現実の戦争に近い形態。

 対戦型でない競技は兵士養成型である。陸上競技や水泳などは特殊技能を持った兵士を養成する部分で、特殊技能(走ったり泳いだりの記録)を競うのである。
 さらに集団でおこなうものと、個人または少人数でおこなうものに分類できるので8通りの分類が可能であるが、現実にスポーツとして成立しないものもあるのですべての類型があるわけではない。(肉弾戦を集団でやれば、多分ケンカになるのだろう)
  集団戦 個人戦
陸戦型
 
野球 アメリカンフットボール カーリング ゲートボール (チェス 将棋)
 
海戦型
 
サッカー バスケットボール ハンドボール ラグビー
 
砲撃戦型
 
バレーボール
 
テニス バドミントン
卓球
肉弾戦型
 

 
レスリング 柔道
ボクシング 剣道

 私たちが楽しんでいるバドミントンはテニス、卓球と同種の個人砲撃戦型のゲームである。ネットをはさんで対戦するところ、また飛翔体(ボールやシャトル)を地面に落とせないという点でバレーボールとの共通点も多い。これらのゲームの特徴は「負けない」ことである。原理的に相手の打った球を100%返球できればお互いに絶対負けることがないので永遠にラリーが続くことになる。この部分は砲撃戦型スポーツがマイナーで終わることの根本原因かもしれない。
 砲撃戦型でもテニスは人気があるじゃないかと言われるかもしれないが、初期にプロ化され賞金が高くすでにニッチ(*1)が確立しているので根強いファンがいること、日本ではテニスは金持ちスポーツと思われていてブランドイメージがあったこともブランド志向の強い日本人にウケル原因であろう。(平成天皇が皇太子の時に美智子皇后をテニスでゲットしたときなど一気にテニスブームに火がついた)
 話をもどすと、砲撃戦型ゲームには対戦相手の実力が拮抗しているといつ終わるかわからないという欠陥がある。目標とされる点数が設定されており、その点数に達するまで終わらないのだから、時間無制限である。プレーヤーにとっては面白いところでもあるのだが、見ている方にとっては長時間の緊張が持続できないこともある。それでも熱戦であれば見ていて面白いのだが、凡戦となると興ざめである。
 さらにバドミントンではサービス権の移動があるから、極端な場合、サービスのできないプレーヤー同士が対戦すると永遠に終わらないことになる。ラリーポイント制ならこれでもゲームが成立するからサービス権移動ルールには根本的な欠陥があることになる。
 2006年 ついにラリーポイントが導入され「根本的欠陥」が解消されたかに見えるが、これはに必ずしも有益とはいえない一面も含まれている。

 さてここまで見てくると、そのスポーツが面白いかどうかの観点には2つあることに気づく。それは「プレーヤーが面白いかどうか」と「観客が面白いかどうか」である。

 プレーヤーが面白がる理由は簡単である。「面白くなければそのスポーツをやらない」からである。なぜそのスポーツを始めたのか、なぜそのスポーツが面白いのかは人によってさまざまであろう。面白くない人はさっさとやめて淘汰されてしまうのだから、現行プレーヤーにはそのスポーツを面白がる者しか残っていない。好きなのは当たり前である。この議論はもちろんバドミントンについても当てはまる。つまりそのスポーツがプレーヤーにとって面白いことと、競技人口の多寡とは無関係である。「こんなに面白いのに、なぜマイナーなんだろう」とプレーヤーが思うのはお門違いなのである。

 では観客側にたってみよう。プロ野球、サッカー、大相撲など多くのファンがいるが、多くの日本人で野球とサッカーと相撲を同時に現在も続けている人はいないであろう。やっていたとしても1競技かせいぜい2競技であろう。つまり圧倒的にスポーツは「観る」ものなのである。観て面白いがやってみたいと思わないスポーツが多いのである。多くの人はスキーのジャンプやフルマラソンをやりたいと思わないだろうしプロレスで興奮するオッサンも自分がリングに立ちたいとは思っていないだろう。
 観るスポーツの面白さは「パワー」「スピード」「テクニック」に収斂する。集団型のスポーツであれば「フォーメーション」(連携プレー)も重要な要素であるし、陸戦型になれば「作戦」も面白さの要素になってくる。

 バドミントンを観る側に立って考えてみるとマイナーな理由が見えてくる。
 個人スポーツの宿命で連係プレーはほとんど存在しない。陸戦型でもないので立ち止まって作戦を考えることもできない。もちろんダブルスの連携や作戦もあるにはあるが、そのオプションは野球やサッカーには及ばないし、トリッキーな動きで騙す要素も少ない。またシャトルの初速が300km/sを越えるといっても、パワーとスピードで格闘系に勝ることはない。(シャトルが当たって人が倒れることはない) またテニスほどハイソなブランドイメージがないのと、羽根つき=遊び の延長でハードなスポーツのイメージもない。どの要素もそれなりにあるのだが、決定的なものが欠けているのである。

 それでは なぜ私はバドミントンを面白いと感じるのだろうか。バドミントンの楽しみは「心理戦」にあると考えている。相手の動きから次の球を予測し、自分のペースを守って相手の守備を崩す楽しみである。スポーツであるから体力、技術をつけるのは当然であるが、それ以上に心理的な駆け引きを楽しんでいるのである。スマッシュだけでガンガン打ってもオッサンのせこいプレーに翻弄されるように、相手の力を逆手に取ることも可能である。野球のバッテリー心理や麻雀に似たものがあるのかもしれない。「心理戦」をバドミントンをしない観客や視聴者にわかってもらうためには、観客がバドミントンプレーヤーあるいは経験者でなければならないのだが、これは矛盾する話なので理解してもらうのは不可能であろう。

 野球はスポーツとしては欠陥も多い(*2)のだが認知されたのが早かったので(他に娯楽のない時代にほとんど唯一のスポーツだった、また気質が日本人に受け入れやすかった。インドネシアなどではバドミントンが他のスポーツより認知が早かったのでメジャーになっている)プロ化され裾野が広がり、プレーヤーが多いので作戦や心理を理解している人の数も多くメジャーなのだと考えている。結論から言うとスポーツであるとの認知が遅れた分だけ、スポーツ観戦の既にできあがっているニッチ(この場合既存のスポーツ)に割り込むことができなかったので、現状のままであればバドミントンは永遠にマイナースポーツの地位に甘んじねばならない。

 では現状を打開する方法を考えてみよう。
1.観客から観て面白いゲームに変更する:ルール(得点制度だけでなく用具やコートの大きさも含む)を変えてTV放送向きのゲームを作るようにする。
2.学校体育で必修にする:現行ルールのまま小中学校の体育授業の必修種目にしてしまう。
3.プロ化:選手をプロ化しトーナメントプロとしてサーキットをおこなう。テニスやゴルフと同じく賞金で生活ができるようにする。
4.神頼み:???

 IBF(国際バドミントン連盟)などはTV受けするルールを考えているようであるが、時間制限のあるTV放送で、いつ終わるかわからないようなスポーツは敬遠される傾向にあり、急激なルール変更はプレーヤーの離反を招くおそれがある。また、折角覚えたルールをころころ変えたバレーボールの二の舞になりかねない。私はルール変更には反対である。(バレーボールはラリーポイント制や日本リーグでのレオタード(今はなし)、リベロ制度などを導入したが長期低落に歯止めがかからずチーム解散の秋風が吹いている)
 2006年よりラリーポイント制が導入された。それ以前にも7点5ゲームや11点5ゲームなどが国際大会で試験的に実施されていたが、ラリーポイントではバドミントンの本来の面白さが損なわれる。しかし数年も経てば誰もが慣れてしまうだろうとは思える。しかし選手が望んだ改革ではなく、TVのCMタイムを取り放送終了時間を限定するためになされたことは明白である。
 現役プレーヤーはバドミントンが好きで続けることになるだろうが、新規にバドミントンに参入してくる人が、このゲームを面白いと感じるかどうかは別問題である。簡潔で覚えやすい反面、心理戦の面白みを欠くのではないだろうか。

 学校体育で必修にすることは現状でも可能であろう、文部科学省の指導要領に載せさえすればいい。必修にすることにより指導者が必要となり体育大学などへバドミントンプレーヤーの進学が増え就職も容易になるし、体育館などのインフラ整備も進む。短期には結果が出ないが10年20年先を見越した投資と考えればよい。これに必要なのは政治力である。
 2006年現在 日本バドミントン協会の会長が郵政民営化反対で刺客を送られ自民党を離党した綿貫民輔氏なのは、いかにも政治力がなさ過ぎという感はいなめない。

 プロ化はすでに時代の流れである。ただ現状でサーキットだけで生活資金を稼げるのは男女合わせて数人がいいところだろう、賞金が少なすぎる。テニスやゴルフではトーナメントプロ以外にレッスンプロがいるが、バドミントンではボランティアである。賞金というパイを大きくしなければならないのだが、国内だけでも年間30以上のトーナメントがあるゴルフに比べてバドミントンは1つ(ヨネックスオープン)だけ、しかも賞金は微々たるものではバドミントンで食っていこうと考える若者がいないのも当然である。

 神頼みとは・・・はっきり言ってスーパースターの出現である。オリンピックで金メダルをとり、モデルのような可愛い女の子が理想である。陣内、宮村あたりの出現で10年前よりは認知度が高いのだがこれは長続きしていない。後に続く人の候補もいるにはいるがやはり神頼みというほかない。
 最初に書いた時点で後に続く人の候補のイメージとして高校生の小椋選手がいた。その後 小椋・潮田のダブルスが世界で互角に戦えるようになり、認知度も上がったがその効果は限定的なものであることに変わりはない。

 そこで最終結論なのだが、「バドミントンは見せるという要素に欠けた部分があるのでメジャーにはなれない」ので「プレーヤーのためのスポーツに徹する」ことが必要であろう。
幸いに、名前だけは知れ渡っているので(「ばとみんとん」と間違ってはいても・・・)「まずやってみよう」と誘うことはできるはずである。間口を広く開けて気軽に始めて次第に深みに引きずり込んでみよう。


*1 ニッチ(またはエコニッチ):生態学的地位と訳される。ある生物が食物連鎖の中で占める位置のこと。例えばアフリカのサバンナではライオンは肉食動物の頂点を占めるニッチである。中生代では肉食動物の頂点はティラノサウルスだったので両者は同じニッチである。またライオンとヒョウのように同じタイプでは競合しないようにすみ分けがおこるが、ニッチを維持するため生物は日夜努力しなければ絶滅してしまう。一度形成されたニッチは容易に崩れないが、何かの原因で空白ができると他の生物が空白を埋めるように進化する。
 ここでは全ての競技を金(入場収入・広告料・放送権料など)というエサを奪い合う動物の生態にたとえている。当然 大量にエサ(=客・スポンサー)を獲得できるスポーツが「メジャー」であり日本では野球・サッカー・大相撲・ゴルフなどであろう。これらがシマウマを狩るライオンやヒョウなら、バドミントンはネズミを狩るヤマネコくらいのものであろう。

*2 野球はどこが変?:スポーツ一般に運動量の多いチームが勝つ確率が高いのだが、野球は運動しないで勝つことができる。例えば投手が全員を三振にとれば外野は寝ていてもよい。外野が運動するのは投手が打たれて負けているときである。つまり選手の運動に関するバランスが投手に偏りすぎているのである。チームプレーなのにエース投手一人の力で勝ち抜くことができる点が近代的でない点である。しかし、送りバントなど自己犠牲を美徳として強いるところが日本人にウケたにちがいない。


最後まで読んでくださって有り難うm(_ _)m ご意見頂ければ幸いです。
ねこんた
2000年12月8日
2006年9月28日追補