【01年 初夏登山 早池峰山】

北上山地・早池峰山
月日:2001年6月29日〜7月1日
参加者:小野悦郎、府川宏、田代久、曽我裕之、佐宗謙一

6月29日(金)

南足柄==横浜==(首都高・東北道)==紫波IC==岳==河原坊(P)

 今回の企画は「梅雨の合間を縫って、東北の早池峰にエーデルワイスを見に行こう!」という田代副会長の一声から始まった。

 が、発起人本人の都合により、ドタンバで一週間延期することに...。結局、6/29の晩から、延期のおかげで同行できなくなった長谷川亨君の”怨念”を受けつつ、また、天候の面で延期が吉と出るか凶と出るのか賭けも負って、5人は出発することとなった。

 19:30南足柄発、横浜経由で、首都高から東北道をひたすら北上。距離500km以上あるも、田代さんの新車1台に運転手が5人搭乗という体制のため、苦にならない。が、紫波ICから河原坊の登山口まで、最後の20kmの運転を担当した小野会長は貧乏くじを引くことになる。そこは県道とは名ばかり、いきなり「クマ出没注意」の看板ある山道、実際キツネ・鹿も飛び出し、緊張を強いられる。ここはカーナビの指示に従わず、手前の花巻ICで降りるのが正解だったようだ。
 6/30より岳〜河原坊〜小田越区間は交通規制が始まり、AM5:00〜PM1:00は通行禁止となる。が、予定通り規制開始の5:00前に岳を通過、河原坊に車を乗り入れることができた。ここで仮眠。

6月30日(土)晴れのち曇り

河原坊(P)--コメガモリ沢--打石--早池峰山--小田越--河原坊(P)==大迫町==花巻市内==花巻・新鉛温泉(泊)

 朝食後、7:20出発。薄陽がさし、まずまずの天気。往きは直登コースを選択、コメガモリ沢沿いに登る。
 足下にはミヤマオダマキ、ミヤマアズマギク、チシマフウロ、チングルマの花。佐宗、にわか仕込みの高山植物の知識を披露するも、府川さん、田代さん「花なんてのは、きれいだなと感動して、すぐに忘れるのが正しい。」やはりOB会にアカデミックな登山は似合わないようで...。

 頭垢離の水場で一本。振り返るとどっしりとした薬師岳の緑が美しい。東北らしい奥深さを感じる。曽我さんはビデオ撮影に余念が無い。
 上空には青空も広がってきた。予想外の晴天に、「自称雨男」揃い、また「日頃の行いの良さ」にも思い当たる節のない一同、首をかしげる。府川さんの日焼け止めクリームにも活躍の場ができる。


↑河原坊登山口にて小野、曽我、府川、田代
(背景は早池峰山の頂稜)

頭垢離の水場で一本(背景は薬師岳)→

 発。いよいよ蛇紋岩の巨岩転がる急登に。この辺から、お目当てのハヤチネウスユキソウ(エーデルワイス)が見られるようになった。
 他には、やはり早池峰以外でなかなか見られぬナンブトラノオ、ナンブイヌナズナやミヤマキンバイ、ヨツバシオガマの群生、クロユリ、キバナノコマノツメ、ショウジョウバカマ等。ナウブトウウチソウは、まだ葉のみ。

ナンブトラノオ(左・タデ科)       
 とハヤチネウスユキソウ(右・キク科)→

 

 東京から来た50人ほどの団体を避けて、府川さんをガイドに、左の岩稜にバリエーションルートを開拓する。(注.高山植物保護のため登山道以外歩かないようにしましょう!)

 高度をぐんぐん稼ぎ、右手の小田越コースの稜線が近くなってくる。曽我さんの「ほら頑張れ、頂上まであと5分だ、あと2分だ。」の掛け声に、「曽我の『あと何分』はアテにならない。」「何度だまされたことか。」とみな取りあわない。

←打岩付近よりお花畑と稜線

 が、唐突に目の前が開け、小さな社が見える。曽我さんの言葉通り、早池峰山頂(1917m)に到着。かなり良いペースだった。
田代さん「自分で自分を褒めてあげたい。」

 山頂は大勢の登山客で賑わっている。景色の良い場所に陣取り、昼食。ビールにコーヒー、佐宗の隠し玉・スイカと、一同しばし幸福の味をかみしめる。

 


 ↑山頂神社前で(曽我、佐宗)

←スイカを頬張り、至福の表情

 憧れの早池峰に登った喜びのあまりか?この辺りから田代副会長の言動が”あやしく”なってくる。
「早池峰はここだろ。じゃ、タラチネってのは、どこなの?」「それは母の枕詞でしょ!」とツッコむ一同。
 すると田代さん、いきなり立ち上がり、「では、ここで一句、『早池峰や...』」「おっ」我々4人だけでなく、周囲に座ってる人からも注目が集まる。田代さん、ひるむことなく続け、
「早池峰や、ハヤくチネーと、雨が降る」
 周囲のおばさんたちからは冷笑が、他の4人からは「下山は別々のルートで」「一緒の仲間と思われたくない」等の罵声が浴びせられる。

 山頂神社へお参りし、記念撮影後、下山開始。しばらくは木道の気持ちの良い道、その後は岩石帯の急な下りが続く。

ヨツバシオガマ(紫・ゴマノハグサ科)と    
 イワベンケイ(黄・ベンケイソウ科)の群生→


↑可憐なウスユキソウ(キク科)    
お花畑の斜面→

 

↑リーダーの到着を待ちつつ岩上でくつろぐ府川さん

 ハシゴを下り、50人ほどの団体を追い抜いた辺りで田代さんが遅れ始め、最終的には約30分の差に。本人曰く「どうせ早く下っても(交通規制で)13時まで車を動かせないんだから、ここで時間調整してあげたんだよ。」とのこと。リーダーの深慮遠謀に一同感心(するわけない)。
 この間の花(ウスユキソウ、イワベンケイ、イワカガミ、ミツバオウレン、カトウハコベほか)

 小田越から車道を下り河原坊へ。途中、外来植物を駆除中の地元のおじさんに植物の講釈を頂く。(ただし方言のため、聞き取れない点多し)
 この間の花(ベニバナイチヤクソウ、ヤマオダマキ、テガタチドリほか)

 12:00頃、河原坊着。休憩後、交通規制解除を待ってPM1:00出発。

 今回は田代リーダーの「宿くらいなんとかなるよ」という強い指導方針のもと、宿の予約はせず、現地で探すことになっている。途中の公衆電話で数軒の宿を当たり、価格交渉の末、今晩の宿を花巻温泉郷の新鉛温泉に決める。大迫町、花巻市街経由でそこを目指す。

 途中「萬鉄五郎記念館」の案内の看板を見かける。「それって、誰ですか?」の質問に、小野会長答えて曰く「マンテツ・ゴロウっていう位だから、満州鉄道(満鉄)の関係者だろ。創業者じゃないかな。」一同、なんとなく納得する。(この人はヨロズ・テツゴロウといい、世界的な芸術家であるとの記事をガイドブックに発見するのは、それから数時間後のことである)

 新鉛温泉・「愛隣館」着。みなの悪い予感を覆し、8階建ての立派なホテル。きれいな浴場に前沢牛・馬肉・鮎など食べきれないほどの料理、値切ったのが申し訳ない。

 早速、曽我さんの撮影したビデオ上映会を開くも、睡眠不足・疲労のため、みな早々に就寝。


↑田代さんの帰還

7月1日(日)雨のち曇り

新鉛温泉==花巻南IC==一関IC==厳美渓==須川高原温泉==一関IC==川口JCT==横浜・南足柄・小田原

 翌朝は雨。朝風呂に入り、また布団に潜る。この雰囲気、内蔵助平での「沈殿」風景と変わらない。某F氏は散策と称し、女風呂覗きに出掛ける!?(そういう時は後輩も誘って下さい)。みなの意見まとまらず、本日の行動予定が立たない。

 結局、栗駒山の中腹・須川高原温泉へ行くことにする。朝食後、ようやく重い腰を上げ、出発。
 雨も上がり、一関IC付近では青空に。名勝・厳美渓に寄りつつ、車中でまたもバカ話に花が咲く。それを秘かに曽我さんがビデオ録画。曰く「動かぬ証拠ならぬ、動く証拠。」

 須川高原温泉の辺りは標高が高いためか、ガスと風が出てくる。500円払い露天風呂へ。天然の巨岩に囲まれた豪快な大浴場。白濁した強酸性の湯。新鉛温泉とは違った野趣溢れる温泉に一同至福の笑顔。往復2時間の価値十分あり。秋・紅葉時の再訪を期す。

 一関IC付近にて冷麺の昼食後、帰宅の途へ。21:00小田原着。

 今回は「結果オーライの田代」こと田代リーダーのお陰で、とてもリッチで楽しい山旅となった。感謝したい。

(記録文・佐宗)


須川高原温泉の豪快な露天風呂に大満足