『小田高百周年記念誌/山岳部編』

               加藤 憲一(昭和57年度卒業/高35回生)

 

 山岳部は、終戦後の混沌の只中であった昭和22年、登山部を前身として創部
され、五十有余年の歴史を刻んできた。その足跡を大きく三つの時代に分け、
それぞれにどのような活動をしてきたのか振り返ることとする。

【第T期(創部〜昭和30年代):アルピニズムヘの憧れの時代】

 エベレストを含む8000m級の未踏峰を舞台に各国登山隊の先陣争いが繰り広げ
られたこの時代、不安定な社会情勢や食糧事情にも拘わらず、ヨーロッパ発の
アルピニズムが日本の若者の中に確実に浸透していった。

 創部間もない小田高山岳部にも、やはり「アルプス」「岩と雪」「孤高の高み」
への憧れが満ち満ちていた。実際にヒマラヤ遠征隊に加わることは叶わぬとも、
「少しで高いところへ」との想いと、ハングリーな挑戦意欲で溢れ、それを実現
するための山行であり日々の練習であった。

 湯河原の幕山(通称小田高ロックガーデン)や小田原城の石垣など、手近な
「壁」ならどこでもゲレンデにしてクライミングや懸垂下降を訓練し、京浜地区の
クライマーのメッカであった丹沢の谷をホームグラウンドとして技を鍛え、夏の
合宿では穂高連峰・涸沢などに定着し岩稜を辿り岩を攣じる、といった活動で
あった。後半には徐々に縦走型登山も増え始める。

 装備面では、テントは陸軍放出の野戦用幕舎、靴はビブラム底の革靴が登場する
までは地下足袋に草鞋掛け、良くて歩兵用軍靴。ハーケンなど登攣用具類は高価な
ため数少なく、ザイルは麻ロープなどで代用。燃料は薪が中心、後に燃料アルコールや
ラジウスが登場する。荷は一人あたり50kg以上になることもあった。社会的な食糧不足
の中、当初の山での食事といえば、米、味噌、沢庵、芋類、海苔の佃煮や福神漬けと
いったもので、空腹を満たすために青大将も餌食になったという。昭和30年代に
入ると、カレー、乾パン、ソーセージ、インスタントラーメンなどが入ってくる。

 

【第U期(昭和40年代〜60年代):縦走型全盛の時代】

 この時期、国内の登山ブームの流れは、人工登攣を含む岩登りと、大衆にも可能な
縦走型に二極化。その中で登山者の遭難事故死も多くなり、神奈川県高体連登山部は
昭和41年、岩登りと冬山登山の原則禁止を盛り込んだ「神奈川原則」を採択、加盟校の
活動に大きな影響を与える。

 小田高山岳部の登山形態も、登攣目的の定着型から、黙々と長時間歩行をこなす縦走
型スタイルヘ徐々に変容。丹沢で基礎を鍛えながら、活動の柱である夏山合宿などで
は、北アルプス北部から南アルプス南部、八ヶ岳や飯豊など、広範囲に足跡が及んだ。
また、雪上訓練を目的とする春山合宿(尾瀬や八ヶ岳など)がこの頃から定例化する。

 練習は重い荷を背負って長時間歩くに耐える技術・体力作りに主眼が置かれ、
コンクリート製ドブ板を背負子に括りつけて百段坂を往復する「ボッカ」訓練、
タイムを計ってのパッキング競争、塔の峰方面へのランニングなどが中心であつた。
なお、城山競技場石垣でのザイルワークは、そんな流れの中でもある種の伝統として
受け継がれていく。

 装備の方は、キスリングからアタックザック併用へ、家型の重いテントから
ダンロップ社製のドームテントヘといった具合に、次第にコンパクト・軽量・便利な
ものへと置き換わっていく。食糧は、豚汁、カレー、親子丼、各種インスタント
もの、パンなどが一般的で、後半になるとレトルトを駆使しての凝ったメニューも開発
される。

 尚、46年頃に、OB部員同士での登山と交流、並びに現役部員への諸支援を目的として
小田高山岳部OB会が設立され、現在も活発に活動を行っている。

 

【第V期(平成以降):自然と山を楽しむ時代】

 「環境」意識の高まりを背景に、アウトドアブーム、中高年登山や日本百名山プーム
など、山登りは急速に大衆化・多様化し、「自然と親しむ」「山を楽しむ」的な
スタイルが主流となってくる。

 部の活動も、縦走型山行や雪上訓練に留まらず、沢登りやクライミングなどが復活、
更に「ヤマメ釣り山行」「いで湯山行」「薮こぎ山行」など、季節や個人差に応じて
山と自然を楽しむという要素が加わる。練習も、ドブ板ボッカなどは陰を潜め、複数の
コースを開発してのランニングや、筋力トレーニング、サーキットトレーニングなど、
合理的手法によるメニューが中心となる。

 装備は、創部時とは隔世の感で、ザックは自分用のアタック、燃料はEPIガス、
テントはドーム型の軽量モデルに。食糧も、合宿初日はしゃぶしゃぶを恒例とし、
ハヤシライス、リゾット、牛丼、スープスパゲティ、すき焼きなどがメイン化、
デザートや食後の飲み物も。一方で、いかにゴミを出さないかという視点も徹底
される。

 スマートになった活動スタイルやアウトドアブームを反映してか、総じて部員数が
多く、また女性部員も迎えるようになり、賑やかでアットホーム、周りから羨まし
がられる雰囲気になる。同時に、高体連の大会の常連校として地位を確立。部活動の
中で「楽しみ」と「実力」を両立させるに至っている。

【平成12年までの通算出場回数(うち女子):全国大会7回(1)、関東大会23回(4)】

 創部より現在まで約350名の部員が在籍、歴代顧問の先生方(中野敬次郎、梅原正巳、
渡辺栄一、加藤克美、榎本里志、尾上弘司諸氏ら30数名)のご指導とご苦労に
支えられ、時代と社会の奔流の中で、その時期ごとに特色のある理想と活動を積み
重ねてきた。その形態こそ移り変われども、「大自然の中で、己の力と向き合い、
同じ釜の飯を食う仲間と支えあう」という山岳部ならではのテーマは、あくまで普遍的
である。部員の卒業後の山歴は様々だが、或いはOB会メンバーとして、或いは社会人や
学生の登山サークルを通じて、或いは心の中の糧として、必ずや山に向き合い続けて
いる。